食は万里を超える。
日本でも「門松は冥途の旅の一里塚」てふ川柳がある。
これを言つたのは、あの「一休さん」である。
また「母を訪ねて三千里」や「海底二万里」などにも、この「里(り)」てふ単位が出てくる。
『ドラゴンボール』にも「公里(キロ)」や「海里(マイル)」が出てくる。
さてこの「里」であるが、シナ以前のアジア大陸の都市国家「周」が決めたやつらし。孔子が理想化し、史記にも載つてる、シナ文明以前のやつです。
シナ以前に、さうして「300歩四方」の面積だつたものが、秦漢に採用された。
そして漢では、長さとして300歩を1里とした。
のちに360歩に變はつたが、同時に1歩が6尺から5尺になつたので、シナ文明を通じて「1800尺」だつたさうな。然し尺の長さが常に變動するのであつた。
周の尺は20センチ程だつたとか。
秦は23センチ。(※)
隋代に1.2倍の大尺を制定、従来の尺を小尺とした。
唐代以降は小尺は廃れた。大尺(30cm)は、日本にも傳はつたか。律令制崩壊後はてんでバラバラでしたが、明治期に1/33m(約30.3cm)に落ち着きました。
かういふのは大体、信長公と太閤検地と幕府なんよな。
630年に始まる遣唐使のお蔭で、唐の律令制が傳はり、701年の大宝律令として結實した。これも大小尺を定めるが、2寸長い「高麗尺」が大尺で、唐の大尺(29.63cm)が日本の小尺だつたのではないか、とか何とか。これが1尺2寸の「呉服尺」の起源だとか。文化を守るため、色々と大変ですね。和装と建築は尺貫法らしいですから。また、呉服尺で家建ててもあきませんし。
「竹尺」は京都系の享保尺など。
「鐡尺」は大坂系の又四郎尺など。
京都のは大阪より0.3%長く、両者を平均したのが「折衷尺」とか何とか。
あと1/26.4(m)の「鯨尺」な。「曲尺(かねじやく)」の1.25倍の長さで和装用。鯨の家や、言ふてこれで測つたらあかんえ。これ先の「呉服尺」ち、なんや鯨尺の事みたいらしわ。鯨の髭でものさしを作つたからとか何とか。ハンコも象牙を使ははるし、えらいことや。
偖「里」は1800尺だから、秦代は414米四方。
漢代に長さになり、416〜421m(※)。
三国志の魏は434m(※)。
唐代では533.3m。
大清國は32cm(1915年)で、576m。
シナ以降は市制で1里(市里)=半公里(キロメートル)=500m=1500尺にしやがつた。一尺は33.3cm迄伸びた。
朝鮮では1920年迄、20センチほどの長さを「周尺」と呼んで使つてゐた。
6尺(120cm) × 360歩で、1里2160尺になつてしまつてゐる。大体432mである。唐は5尺で150cmでしたからねえ。
大韓帝國の時代に、尺貫法は廃止された。
今でも「里」は大体400m位を指す。
そのため、日本の約4km(後述)とは大きな違ひだ。統治時代に、日本の1里を朝鮮の10里(400m)とした爲だらう。432mよりも縮んでしまつた。
とはいへ昔の里(432m)は魏(434m)に近い。400mになつてからも、周(1800尺、320〜360m)より長い。唐代の360歩1800尺に合はせたけど、尺をいじると差が大きくなつてしまふから、1歩6尺で据え置いた、と。そのせいで2160尺てふ独自の長さを生み出したと。
日本はもつと狂つてますよ!
シナの414→576の伸長や、朝鮮の432→400の縮小を大きく飛び越えて、大体4000メートル!
どうしたかうなつた。
アルプス一万尺の小槍は、標高3030mできつかり1,0000尺。
ならば1里4キロは、1,3200尺……。1800でも、2160でもない。きつと、歩が5,6尺で、1里が300〜360尺なんてのを忘れてしまつたんだらうな。
これも信長の所爲にされる事がありますが、それ以前から使はれてゐる樣です。アジアを統一するためには、このイカれた日本の里(り)を駆逐して、メートルにしなければならなかつたのでせうか。元号はまだ消えてへんけど、台湾の民国○年以外は、中朝で西暦やし。いや、主体(チェチュ)○年もあつたか。まあ両方代替わりせえへんし。中共はキリスト起源を「公元」二〇二三年とかやるらし。
纏めると、「一里塚」は約4km(1.32萬尺)かなあ、つてところ。これは東海道や伊勢路におかれ、一里ごとに「松を植ゑた土團子」がおかれたんやと。
なんで門松が死出の旅の一里塚か。両方松が刺さつとるからやけど、数へ年の頃の正月は、みんなにとつて「ハッピバースデイ」みたいな存在やつたちゆうわけや。いややろ?「バースデーケーキの蝋燭は、死への道標、Googleマップのピン」とか言われたら。一休宗純は、さういふ破戒僧やねん。ほんとに皇室の落胤やつたら、暗殺の危機もあつたかも知れん。狂つた振りでもしたくなるわな。知らんけど。プリンセス・トヨトミ的な。違ふか。
大江千里や悪事千里は4000キロ。千里の道も1歩(1.82m)から。
三千里は1,2000km。
冒頭の「万里」、長城の「万里」は4万キロで、地球一周分や。ええなあ、夢があるわ。
2万里は8万kmやから、地球を突き抜けてまふわな。
フランスの単位で「リュー(lieues)」で、2万リューはやつぱり8万kmなんやと。日仏でこんな偶然あるんかいな、と尺貫法が廃止されても尚『海底二万里』と名乗つとるわけや。
因みに英米ヤードポンド法の「リーグ」で、『二万リーグ』とされた事もある。「リュー」と同源の概念やけど、長さが違くて9.6万キロやと。何やねん。やはりヤードポンド法は滅ぼすべし。
あとは「海底六万哩(マイル)」、9.6万キロ。このマイルは1600mで、国際海里1800mとも違ふ。やはりヤードポンド法(以下同文)後者は200海里(排他的経済水域)のやつやけど、人定法かつ領域国民国家を成立させてゐる概念なので、悪である。
ディズニーは「海底二万哩(マイル)」で3.2万キロ。
「海底二万海里(浬)」は3.7万キロ。
あ、地球二周分の航海いふ事らし。水深やないんやつて。じやあ『ナディア』は正しかつてんな。南極行つてはるし。
※参考サイト…「[[jumpuri:【三国志】距離について① > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C]]」(note)[newpage]
701年に1里5町300歩1800尺と決めた。
1歩6尺なのは、朝鮮と同じや。
当時は533.5m、明治期換算で545.5mになる。然しまあ、ここからカオスになりますさかい。
あとしれつと、「町」とかいふ便利なオリジナル単位をねじ込んではる。
これのお蔭で、1里が36町とか40町とかいふ話が分かる。
唐の360歩(1800尺)も日本やと「6町360歩」や! 朝鮮と同じ2160尺になつてしまふんやけども。
里は5〜6町やつたけんど、長距離移動や広域支配の時に、測れへんくて難儀した。
そこで半刻(一時間)歩いたら「一里」いふ、嘘の単位を作つてしもた。こつからはもう、オリジナルや。
36町里(1,2960尺、3927m)、40町里(1,4400尺、4364m)、48町里(1,7280尺、5236m)いふんが生まれましたわ。人によつて歩くスピードが違ひまつしやろ? こりやあ、暗黒の中世とでも言ひたくなりますわ。
そして豐太閤とか1604年に初代将軍とかが、36町里で一里塚を作つたんやと。
「お伊勢参り」とかは、一日に8〜10里歩いたんやと。32〜40kmですな。
日がな農作業をしとるさかい、健脚も健脚よ。米俵が持てたら成人やし、「體の道具化」いふて、何俵もズシンズシンと背中に積みよるわけですよ。恐ろしい。
東國では6町里(360歩1800尺=545.5m、小道や小里)が使はれとつたとか。
七里ヶ浜は3818m、九十九里浜は5.4kmになる。
伊勢では「1間=6尺5寸」の36町2160間を採用した。1里4255メートルで、江戸の39町くらゐになる。
また、信長も「六尺五寸」の間(京間)を採用したてふ。天下布武の天下とは畿内てふ新説あり。これも天下布武の賜物だらうか。
因みに両宮の間の距離は、だいたい48町になる。このため、伊勢の1里は48町てふ誤解も生まれた。
間とかいふオリジナル単位やめろ〜! 歩にしろ〜!