竜化の祝福は伝搬する

  いつもと変わりない休日の夜。今日やりたいことと、やるべきことを全部終えたので、自室で適当な音楽を聞きながら寝転がっていると、家のインターホンが二度、短い間隔で鳴った。

  今日は誰とも会う予定はないうえに、けっこう遅い時間だ。なにか変な事件でも起きたか、それとも無駄に頑張っている営業マンでもやって来たか。あまり良い想像はできない。

  いぶかしみながら玄関へと向かい、ドアの覗き窓から外を見てみると、そこには俺の友人が立っていた。

  上気した顔とやけにきらきらした目からして、見るからに浮ついている様子だ。普段なら前もって連絡を入れてくるのに、一体どうしたのだろうか。

  「よぉう、いきなり来てすまんな」

  「どうしたのかね、こんな時間に」

  俺は友人を家へと上げることにして、とりあえず居間でテーブルを挟んで向かい合う。

  「実はさ、お前にピッタリのいい話があってさ。それを教えに来たんだよ」

  「は? なんだそれ」

  友人は意気揚々と語りだすけど、本題を変にぼやかしてきたことに嫌なものを感じたので、顔をしかめつつ声のトーンを下げてしまう。

  友人は露骨な態度をとった俺を気にした風もなく、懐から一枚の白い紙を取り出すと、それを見せつけるようにして掲げてきた。

  「俺、この手紙を地元の友だちにもらったんだ。これを友だちに贈るとさ、すごくいい事が起きるんだよ」

  「……それ、チェーンメールだろ」

  同じ内容のメールを何人かに送らないと、あなたになにかが起きますという、形を変えては流行ることがあるアレだ。

  今どき紙媒体でそんなことをやらかすとは、送り主は相当に暇なんだろうなと思って呆れかえる。

  しかし、友人は謎の勢いを緩めない。

  「ところがどっこい、ただのチェーンメールじゃないんだな、これが」

  「やっぱりチェーンメールなんじゃねえか」

  「こいつはな、よくあるやつみたいに複数人に送りつけて拡散させるとかなんてしない。選び抜いた一人の友達に渡すバトンみたいなものなんだよ」

  送り先が複数だろうと一人だろうと結局やってることは変わりなくねえか、というツッコミはひとまず置いておく。

  とにかく、その手紙でどんな『いい事』とやらが起きるのかを、さっさと尋ねることにした。

  「で、なにが起きるのかね」

  「これを友人に贈るとな、竜になれるんだよ」

  「は? なんだって?」

  「竜だよ、ドラゴンだよ。お前も好きだろ? 竜はさ」

  「そうだけど」

  友人が俺を見る目はとても真っ直ぐで、声色にも迷いのようなものは無いので、本気で言っていそうである。

  確かに俺は、竜というキャラクターは好きではあるけど、さすがに現実と混同したりはしない。

  それはこいつだって同じはずである。なにか変なキノコとか怪しい粉とかをキメでもしたのだろうかと、少し心配になってくる。

  「俺にこの手紙を渡した友だちが、でかい竜に変身するところをこの目で見たんだ。こいつはマジですごい手紙だぜ!」

  相変わらず友人は全力全開で手紙を推してくるのだ。もう夢中になっているようで、あれこれ指摘しても無駄だろうと直感したので、あとは適当に合わせることにした。

  「そうか、じゃあ渡してもらおうか」

  「おっと、そう慌てるな。こいつは手順を踏んで渡す必要があるのさ」

  「そうか、で?」

  「手紙を渡す前にな、手紙の内容を読み聞かせて同意してもらう必要があってだな」

  「そうか、じゃあ聞かせてくれ」

  「任せてくれ!」

  俺のリクエストを受けた友人は、いそいそと手紙を広げると読み上げを始めた。

  「これは祝福の手紙です。この手紙をあなたと親しい人へ、内容を読み上げて合意を得たうえで手渡してください。手紙を受け取ってもらうことができれば、あなたは弱くて短命な人間の身を捨てて、強くて長命な竜になることができます。この手紙が多くの人に渡っていくほど、あなたは竜としての力を増していくでしょう」

  友人はこほんとひとつ咳払いをすると急に落ち着いて、普通に手紙の内容を読み上げきってみせた。浮き沈みの激しいやつである。

  「じゃあ、この手紙を受け取るか?」

  「ああ。夢がかなうといいな」

  友人は手紙を畳むと、ちょっと神妙な顔をしながら俺に差し出してきたので、ぱっと取った。

  その時、友人が体を小刻みに震わせだした。

  顔や手の血管が異常に浮き出て、破れそうなほどに脈打つ。さらに骨を鳴らし肉を裂く、生々しく気味の悪い音が全身から鳴りだす。

  「来たぞ来たぞ!」

  血走った目で興奮している友人が勢いよく立ち上がる。両手を持ち上げると、指先の爪が先を鋭く尖らせながら伸びていく。爪が平たい人の形から、獣のそれのような円錐状になると、緩やかな曲線を描いたかぎ爪に変わる。

  耳が耳孔側から外側へ、数本の軟骨の筋を生み出しながら広がっていくと、水かきのような形となって顔の側面を覆う。

  そして手や顔に赤い鱗が生えてくると、肌をどんどん覆いだした。

  「おお見ろ、俺の爪が竜の爪になったぞ! 鱗も生えてきた!」

  「お、おい、だいじょうぶなのかお前」

  友人がいきなり人間ではないものに変わり始めたので、さすがに焦って声をかける。

  しかし友人は、変異する自分の体になにも不安を抱いていなさそうで、ますます興奮した様子でつばを飛ばしながら応じてきた。

  「だいじょうぶ! 俺は変わるぜ! 俺は変わるぜ!」

  鱗が生える速さが加速していく。鱗に浸食された頭から髪の毛がばさばさと抜け落ちていくと、見える範囲の肌が鱗で覆われ尽くす。

  虹彩が濃い筋を増やしながら大きくなると黄色く染まり、瞳孔が縦に細く縮んでいく。白目が見えない黄色の目に縦割れの瞳孔が浮かぶ、爬虫類のそれのような人間味の無い、しかし鱗に満ちた人外の顔にはふさわしい形へと変化した。

  「すごい、グルル竜になる、てグルルこんな、ふう、ルルルなぁるぅ、グルのぉぉオァァッ」

  友人の歓声が猛獣のような荒々しいうなり声に変わっていくと、ごきごきと頭蓋が変形する音を派手にたてながら頭蓋骨が変形して、頭が人間の形からかけ離れ始めた。

  

  鱗で覆われた友人の頭が、粘土をこねくり回すかのようにしてぐねぐねと動き出す。

  目の周りの細かい鱗に小さい棘が生えると、目の位置がやや外側へとずれる。鼻筋が潰れていって、上あごに吸収される形で消えてなくなる。

  後頭部へと向けて伸びる二本の鋭角な骨の突起を生やしながら、頭頂部が平たくなっていく。同時に、大きな鼻孔を持つあごが、景気良く軋む音を立てながら前へと突き出していって、爬虫類の長い口吻を形成する。肉食の恐竜を思わせるシルエットだ。

  「グゥゥッ、クアッ! アッ! アッ!」

  友人はあごの付け根まで開く大あごを開く。あごが人間よりもはるかに大きなものに変異したことで、無様なすきっ歯になった人間の頃の歯が、役目を終えたかのようにしてぼろぼろと抜け落ちてゆく。

  代わりに鋭く尖った牙が早回しをするかのような速さで伸びてきて、またたく間に歯茎を埋め尽くす。見事に噛み合わさって凶悪なギザギザを描く牙はすべてが同じ形をしていて、とても歯並びが良かった。

  人間が化け物へと早変わりするさまを目の当たりにした俺は、呆然と見ていることしかできない。止めることも逃げることも忘れて立ち尽くしてしまう。

  実に恐ろしい、腰を抜かしてしまいそうな光景だけれども、そこに幻想的な芸術性も感じて、片時も目を離したくないのだ。

  「ヴルルルル……ギャウッ! ギャウッ!」

  あれよという間に人間の面影を失った友人が、こちらに向けて牙だらけの口をがちがちと開け閉めすると、何かを訴えかけるような感じで獣そのものの鳴き声をあげてくる。

  骨格が人間のものではなくなっため、もう人間の言葉を話すことはできないようで、なにを伝えたいのかがわからない。だが、今も自分自身の変化に対して前向きに大興奮しているということだけは、よく伝わってきた。

  動物的な唸り声をあげっぱなしの友人は床に手を突くと、全身からたてる不気味な変化の音がさらに激しさを増して、体のあちこちが服の下からでもわかるほどに波打ちだす。

  頭頂部から背骨に沿って棘が次々と生え、棘の間に膜が張られて背びれを形作っていくと、背骨の終端にあるズボンを破って、赤い鱗で覆われた太い尻尾が飛び出して鞭のようにしなる。

  背中の肩甲骨部分が盛り上がりだすと、そこから服を破って皮膜とかぎ爪を持つ赤い翼が生えてきて宙を打つ。

  友人はできたばかりの尻尾と翼を、確かめるようにしてゆっくりと動かしている。

  肩幅が急に狭まると骨のつき方が変わって、肩が体の前の方へ移動する。おまけに床に突いている手の小指が急速に退化して痕跡を残さずに消え去り、代わるようにして残った四本の指が太さを増していって、上半身をしっかりと支えられる前足の形となった。

  ズボンがパンパンになるほどに太くなった足は膝の位置が上がっていくとともに足の甲が伸びて、関節が獣の後ろ足のそれに変形する。ぱつぱつになった靴下の先が爪で破れると、鱗に覆われた四本指の太い足指が現れた。

  首の付け根からガキリと骨が外れたような音が鳴ると、首がぐんと伸びていく。頭と首の関節も組み変わって、頭が首に乗る人の形から、横に伸びる背骨かぶら下がる獣の形へと変わった。

  友人は長くなった首をもたげて、こちらに鼻先を向けてくると、なにか言葉を話すかのように口を動かして、今までとはなにか違う音がする唸り声をあげてくる。

  「グォウ、グルルゥ、グォウ! グォウ!」

  相変わらず何を言おうとしているのかはわからないし、硬い鱗で覆われた爬虫類の顔には表情なんてものも無いので、想いを推し量ることすらままならない。

  ただ、その喉から出てくる低い声は、この地上にいるどんな動物でも出せないであろう独特の響きを持つようになっていて、なにか底知れない存在感と威圧感を発していた。

  友人は視線を外してくると、太い尻尾をひと振りしてから立ち上がる。二本の足ではなく、四本の足でだ。

  床と水平になった胴体から垂直に伸びる四肢で、がっしりと地を支える、四足獣の骨格へと変わっていた。もはや人間の原型を留めていない。

  肉が伸縮し、骨が組み替わる音に混ざって、今度は布がビリビリと盛大に破れる音がしだす。

  友人の前足が、後ろ足が、胴体が、翼が、尻尾が、全身の筋肉がどんどん膨れあがる。増していく体のボリュームに対抗するようにして骨も急成長を始めて、体がどんどん大きくなっていく。

  巨大化していく体に耐えられなくなった服は次々と破れて、布切れとなって床に落ちてゆく。服の下にはやはり人の肌は残っておらず、筋骨隆々とした体を硬そうな赤い鱗が覆い尽くしている。

  ただ、あご下から尻尾の先までの腹側の鱗は淡い紅色で、ひとつのアクセントを成していた。

  気がつくと友人の体は、四足歩行の体勢でも軽く見上げるほどもある、馬と同じくらいの体格にまでなっていて、そこで変化が終わった。

  部屋をいっぱいに占める巨大な翼を広げ、首と胴体を合わせるほどに伸びた長大な尾でどすんと重々しく床を叩く。

  そして頭を天井に向けて突き上げると口を全開にして、つんざくような吠え声をあげた。

  「グルルルッ、ギャオオオオーーッ!」

  その体を芯から震わせてくる声は、ライオンや虎といった普通の生き物では絶対に出せないだろう。映画に出てくる怪獣のそれを想起させる、この世の常識から逸脱した響きを持つ咆哮だった。

  吠え終えた友人は、下から動くまぶたと横に動く瞬膜をぱちぱちさせて、縦に割れた瞳孔をもつ人外の目向けてくる。

  人間など簡単に咬み殺すことができそうな、鋭利な牙がずらりと並んだ口を動かすと、低くしわがれた別人の声で人間の言葉を発してきた。

  「どうだ人間、竜となった俺の姿は。かっこいいだろう」

  変化の途中では鳴き声しか出すことができなかったのだが、完全に竜へと変化したためなのか、また人の言葉を話せるようになったようだ。

  燃え盛る炎が灯った喉の奥から出る吐息は火傷しそうなほど熱く、濃い硫黄のような腐臭が鼻を突いた。

  「あ、ああ。本当に、竜になるなんて」

  「グルルルッ、これで俺も竜族の仲間入りをすることができたぜ」

  友人は口を半開きにして牙を剥きだすと、ゴフッゴフッと咳をするかのように何度か息を吐いて、大量の火の粉を散らす。どことなく笑っているかのようなリズムだ。

  「な、なあ。おまえ、おまえはおまえのままなのか? 変わってないのか?」

  「なにを無様に震えているんだ、チンケな人間め」

  友人は俺を見る目を細めつつ首を傾げると、少し苛立ったようにぼやきながらゴロゴロと喉を鳴らす。

  そして長い首を伸ばして胸元に鼻先を寄せてくると、なにを思ったのか大きな鼻の穴をひくひくと動かして匂いを嗅ぎだす。

  「おまえの匂いは覚えているんだ。他の人間どもと間違って喰うことなんてないんだから、無駄に怯えるのはやめろ。人間ごときが俺を煩わせるなよ」

  そして俺をなだめすかすようにして言ってくるけど、話が噛み合っていなくて一気に不安が強くなった。発言がやたらと高圧的なことといい、露骨に人間を見下した態度をとっていることといい、明らかにこの友人から人間としての心が消えている。

  「フーッフーッ……それにしてもおまえ、うまそうだな。少し喰わせろ」

  「うおあ!?」

  友人は硫黄臭い息を荒く吐くと、唐突に口を開いて腕に咬みつこうとしてくる。

  鋭い牙だらけのあごに挟まれたら、人の腕なんて一瞬で食いちぎられるので、さすがに全力で飛びざすった。

  が、友人は口を閉じきることはせずに引っ込める、甲高い音を喉から鳴らしながら口を少し開けた。

  その微妙に動いた顔面の雰囲気からして、恐らく笑っているのだ。

  「馬鹿め、冗談に決まってるだろうが。おまえを喰ってしまったら同胞を増やせないし、俺も強くなれないんだからな」

  「……悪趣味すぎる」

  喰われそうになったことを冗談だと思えと言われても困る。人間よりもはるかに強い怪物と化した友人に対して、以前のように抗議をする勇気はさすがに出せず、消極的な文句を吐き捨てることしかできなかった。

  「でもな、人間」

  が、友人はその顔から笑みを消し去ると、不意に大きな右前足で俺の首をつかんできた。ごつごつした鱗越しでも熱湯のような高い体温が伝わってくる。

  首はぜんぜん絞まっていないので苦しくはないのだけど、逃れようとして前足に手をかけてみても、指一本をわずかに動かすことすらできない。その気になれば簡単に俺の頭をもぎ取れるであろう力を感じた。

  「もしその手紙を棄てて、竜族の祝福を拒むような無礼を働いたら、そのときこそおまえを俺の餌にしてやるぞ。グルルルルッ」

  友人は爬虫類の鼻面を間近まで寄せてくると、縦に割れた瞳孔を限界まで細めた獣の目で、ぎろりと睨みつけてくる。

  そして、幾筋もの唾液を引く大あごを開けて鋭い牙と炎を見せつけてくると、腹に響くような重低音の唸り声をあげて威圧をしてきた。

  人間性など欠片も無い。なんの感慨もなく人の命を摘み取ることができる生き物がするであろう、世にも恐ろしい獣の形相であった。

  その後、用事を終えた友人は瞬き一つの間で人間の姿に戻った。

  人間の姿と言っても、よく見ると瞳孔が縦に伸びていたり、犬歯が牙になっていたりしていたので、やっぱり人外のままだったが。

  「竜族はいいぞ、素晴らしいぞ。早くその低劣な身を捨てて竜になれ、人間」

  床に散らばっている自身の一部だった残骸を念力で片付けた友人は、煽り全開の言葉を残すと、軽い足取りで帰っていった。

  [newpage]

  友人が竜になった日の翌朝。昨日の出来事は夢だったのではないかと思ったが、枕元に例の手紙があったので、あれは現実だったということを認めざるを得なかった。

  そして、この手紙の扱いについて考えを巡らせてみるが、迷うことはなかった。

  立派な竜と化した友人の姿を思い出す。俺もあれになることができるのだと思うと、心躍る気持ちになる。だから、手紙を誰かに渡すことを決意したのだ。

  何日か経って心の準備が整ったら、さっそく同好の友人に誘いをかけた。

  家の自室に招いて事のあらましを説明してみると、友人は案の定わかりやすく戸惑った様子で生返事をしてくれた。俺もこうだったので、内心クスッとくる。

  「誰かに渡すと竜になる手紙ねえ。なんともまあ」

  「おもしろいだろう。俺がお前に渡してみるから、付き合ってくれないかね?」

  「まあ、やってみようかな。暇だし」

  俺が竜に変身するところを見たら、こいつはどんな反応をするのだろうかと、ちょっとしたイタズラ心を胸に秘めながら手紙を開く。

  まずは儀式として中の文面を読み上げたら、丁寧に畳んだ手紙を友人に差し出した。

  「と、いうことだが受け取るかね?」

  「なんかすごい内容だね……うん」

  友人が手を出して、手紙が俺の手から離れたそのとき、見えないけど大きな何かが体を突き抜けていったのを確かに感じた。

  胸の中に焼けた鉄棒でも押し込められたかのような高熱が生じる。普通なら激痛でショック死でもしそうなものだが、痛みも苦しみもないどころか、とろけるような気持ち良さばかりがある。

  心臓が肋骨を大きく広げるほどに力強く動いて、恐ろしい速さで脈打ちだす。猛烈な勢いで送り出される熱湯のような血が全身に巡りきると、体が中から作り変わる様々な音をたてながら震えだした。

  「ちょ! どうしたの!」

  浮き出た血管に覆われる手から、皮膚が強く張るような感覚がしたので見てみると、青い鱗が次々と生えては広がっていっていた。顔からも、胸や背中からも、足からも同じものを感じる。

  手の爪の形がみるみるうちに変わって、獣のように先が尖ったかぎ状に変形しつつ長く伸びていく。実に鋭利そうなこの爪は、鉄だって切り裂けそうだ。

  髪の毛がばらばらと抜けて床に落ちていくのが見える。皮膚の張りが全身を駆け抜けていって、あっという間に見える範囲の肌が青い鱗で包まれた。

  肩と腰辺りからバキバキと骨が圧し折れるような音がすると、急に体の重心が変わり立っていられなくなって床に手を突く。

  頭が強く締めつけられると、耳の奥から肉や骨が組み変わるやかましい音が響きだす。

  両目の視点が外側にずれていく。視野が一気に広がって、前を向きながら後ろの方まで見えるようになる。

  変わった視野の中央で、俺の鼻から先がぐんぐんと前に長く突き出ていって、口と舌の感覚がその見た目通りの長さに変わる。

  口の中にゴロゴロした硬いものが入り込んできたので吐き出すと、人間の歯が堅い音を立てて床に散らばった。

  長くなった口を動かして息をついてみると、猛獣そのものの唸り声が俺の喉から出てくる。

  人間の頃だったら恐ろしげに感じたであろう声だけど、今はなんて強くて勇ましそうな鳴き声なのだろうと思って、心の底から喜べてしまう。

  背骨に一瞬だけ痺れが走ると、股の間から新しい感覚が生まれる。それに力を込めて思い切り伸ばすと、下着をばりばりと破いて尻尾が解放された。

  できたばかりなのに、まるで生まれながらに持っていた体の一部であるかのようにして動かすことができるのだ。

  さらに背中からもう一対の腕の感覚が生まれたので広げると、上着を軽々と引き裂いて翼が開いた。

  尻尾と同様に、翼も自分の意志で動かして羽ばたくことができる。まだ小さいが、変化が終われば風を受け止めるのに十分な大きさに成長するはずだ。

  「なっ、あっ……」

  首の付け根からゴキリと骨が大きく鳴る音がすると、視点がひとりでに胴体から離れていく。首がぐんと伸びたようで、可動域がとてつもなく広がって自由自在に動かせるようになる。

  と、そこですぐそばから声がしたので、首をひねって声をした方に顔を向けて見てみると、腰を抜かして床にへたり込んでいる友人が、めいっぱいの驚愕が張り付いている顔で俺を見上げていた。

  そんな友人の有り様が実に滑稽に思えて、ついつい含み笑いすると、猛獣の唸り声が喉から出てきた。

  いつのまにか指の数が四本に減っていた四肢の筋肉が膨れあがって、服を張り裂かんばかりに太くなる。

  いや、実際に服が張り裂けて、一気にズダズタの布切れへと変わっていく。すぐに服は全部破れ落ちて、頑丈で美しい青の鱗で全身を覆われた、たくましい竜の肉体があらわになった。

  さらに、周りの家具がだんだんと小さくなっていく。家具だけではなく部屋の縮尺そのものが狭まっていく。

  いや、違う。これは俺が大きくなっているのだと悟ったその時、頭の中になにがどっと流れ込んできて、思わず目を閉じた。

  獲物の狩りかた、炎の吐きかた、空の飛びかた、竜語の話しかた、竜語での魔法の使いかたなどを理解する。

  竜族こそが世界の頂点に立つ絶対者であり、人間は竜族の腹を満たすための家畜でしかないのだと確信する。

  数百年ぶんに相当するであろう竜としての知識と経験が、俺の心を人間では絶対に到達できない高みへと昇華させる。

  最後に、絶大な竜の力が俺を満たしきると性的絶頂にも似た強烈な快感に打たれ、目を見開くと同時に首を天井に突きあげて、高々と咆哮していた。

  すべての変化が終わったので、ようやく一息ついた。

  四本の脚に力を入れて立ち上がり、下から動くようになったまぶたで瞬きをして、がらりと印象が変わったこの世界を見る。

  目に見えるすべての色が鮮やかさを増している。人間の目では認識すらできなかった様々なものが見えるようになっている。

  耳は人間では聞き取れない音が聞き取れるようになっているし、鱗越しでも床の微細なおうとつを感じ取れるほどに感覚が鋭くなっているし、なにより強大な魔力が体の内で渦巻いているので、どんなことでもできそうな全能感がある。

  これが竜か。なにもかもが新しくて、世界そのものが生まれ変わったかのようだった。

  なんとなく鼻を利かせてみると、近くから餌の匂いがした。匂いがしたほうを見てみると、小さな人間が一匹、呆然とした顔で俺を見上げていた。

  程よい大きさで柔らかそうな肉もついている、実にうまそうな獲物である。少し腹が空いているので喰いたくなってくるが、それだけは絶対に駄目だ。

  コレは竜の祝福が込められた手紙を持つ人間だ。未来の同胞であり、俺の力を高めることになる存在なのだから、今は喰うわけにはいかない。

  「人間、おまえは狩ったりはしないから安心しろ」

  「熱っっ!」

  だから、その顔をひと舐めして、味見をするだけで許してやることにした。

  「どうだ人間、竜となった俺の姿は。美しいだろう、力強いだろう、恐ろしいだろう。祝福を受け入れれば、お前もこの俺の仲間になることができるんだぞ」

  皮膜を持つ雄大な翼を広げ、口にたっぷりの炎を含んで、竜となった俺の威厳ある姿を見せつけてやる。

  これでこの惨めな生き物は、俺たち偉大な竜族に羨望を抱いて、全身全霊をもって竜となることを目指すことだろう。そうでなければ喰わないでおく価値はない。

  「この手紙すごい」

  皿のように目を見開いて俺を見つめる人間は、ぽつりと言葉を漏らす。

  「この手紙すごい! 神秘! 宇宙! さっそく友達を探さないと!」

  そして荒く息をつき始めると、脇に落ちていた手紙を拾い上げて、飛び跳ねるようにして勢いよく立ち上がる。そして、興奮したように早口で独り言を吐くと、せかせかとした駆け足で家から出ていった。

  おかしな人間である。だが、心の底から喜んでいる様子ではあるので、あれなら祝福を拒むようなことはないと思う。

  今後の憂いが無くなった安心が半分、餌を喰えなかった落胆が半分。ちょっと複雑な気持ちだが、とにかく一区切りついたので、少し眠ることにする。

  が、俺の巣であるこの建物は、ねぐらとするには少々手狭だ。なので、竜の魔法を操って人間に擬態する。弱くて小さくて哀れな姿だが、人間用の建物を巣としている以上は本来の姿だと動きづらいので仕方ないだろう。

  いつかは険しい高山の洞窟に巣を構えたいなあと思いながら床に寝転がり、目を閉じて眠りに入った。

  俺が竜になったその日の深夜、俺の巣に同族が訪ねてきた。

  そいつは、俺に祝福を授けて竜にしてくれた、あの同胞だった。今は人間の姿に擬態しているけれど、同じ竜族となった俺には一目で人間などではないと見抜くことができる。

  「お前が竜になったことは、すぐに分かったぞ。竜族の一員になったことを歓迎するぞ、同胞よ」

  「ああ、感謝するぞ同胞よ。おかげで良い気分だよ」

  同胞は鋭い牙をのぞかせる笑みを浮かべながら、竜語で祝辞を述べてくれる。それが素直に喜ばしいと思って、俺も同じように笑顔で応じた。

  「ここは狭いな。適当な広い場所に……近くの公園にでも行って羽根を伸ばさないか? そこでおまえの本当の姿を見せてくれ」

  「ああ、そうだな」

  同胞は親指で外を指し示して誘いをかけてくる。

  小さな人間の姿は窮屈でストレスを感じていたところなので、ちょうどよい。俺は同胞の求めに応じて、二人で家から出た。

  今の時刻は夜深く、明かりが落ちた街はすっかりと静まり返っている。人通りはまったくないので、人目を気にせずに堂々と外を往くことができるのだ。誰の邪魔も入らない道を良い気分で行進していって、何事もなく夜の公園にたどり着く。

  人目につかないよう認識を阻害する魔法をかけたら、擬態を解いて竜の姿に戻った。

  前足を突いて深く伏せて、力いっぱい伸びをする。翼と尻尾もめいっぱい伸ばして、少しだけ溜まっていた関節の錆を落とす。

  やはり本来の姿は良い。とても解放感があって気持ち良い。

  「ほう、おまえの鱗は青色か。実に精悍な姿だ、同族として見ていて誇らしくなってくるぞ」

  俺の姿を見ての感想を口にする同胞も、赤い鱗を持つ竜の姿に戻った。が、その体は俺よりもひと回り大きい。鱗は俺より頑丈そうだし、牙と爪がさらに鋭利そうだし、魔力量も明らかに俺を上回っている。

  友人は俺と同い年のはずなのだけど、俺よりも百年くらいは歳を重ねているように見えた。

  「おまえ、前よりも大きくなっていないか?」

  「おまえが竜になったときに力が増したからさ。手紙に書いてあっただろう、祝福が広まるほど竜としての力を増す、とな」

  自慢気な同胞の語りから、確かにそうであったことを思い出す。

  俺はこれから力を増していくのだろうが、それは同胞も同じこと。それはつまり、この同族と力で並ぶことは無いということだ。

  大きな差があるという程でもないが、良い気分にはなれなかった。

  「俺は、俺以上の高みに至るおまえを見ていかなければならないのか……」

  「こればかりは早いもの順だから仕方ないな。ところで、グルルゥ……同胞よ」

  同胞は餌を求めるときの唸り声を出すと、飢えでぎらぎらしている目をからめてくる。

  「今まで人間のふりをするために、人間の食い物で飢えをしのいできたが、いい加減に新鮮な血肉を喰いたくなってな。これから狩りをしないか?」

  「狩りか、なにを狩ろうかね?」

  「言うまでもないだろう、竜族になる資格を持たない餌どもが、グフッ、グフッ、周りにいくらでもいるルルルル」

  興奮して息を荒げだした同胞は、口を開けてすべての牙をむき出しにすると唾液をダラダラ流し始めて、地面によだれの水だまりを作る。

  俺も人間を喰いそびれて欲求不満が溜まっていたので、この上ない名案である。人間の味を想像すると、唾液を口から溢れさせてしまう。

  「それはいいな、さっそく行こうか。ああ、無駄に人間どもを騒がせたりはしないように気をつけろよ。竜族の品位を損なってしまう」

  「ギャウッ、わかっているさ」

  俺たちは翼を広げると音もなく夜空へと舞い上がって、上空から獲物を探し始める。

  夜闇で覆われた人間の街はとても暗いが、竜の目は真昼の空の下であるかのごとく見通すことができる。そして、はるか彼方の草むらに潜むネズミ一匹の姿を正確に捉えることもできるのだ。

  無防備に一匹だけで夜道を歩いている馬鹿な人間を見つけてニヤリと笑う。どうやら俺に喰われたいらしい。

  獲物に狙いをつけて前足のかぎ爪を開くと、力強く羽ばたいて急降下した。

  終わり