えなじいどりんく

  1

  今から昔、かなり昔の話です。まだ、この国全体が戦に明け暮れて人々が苦しんでいた頃。とある山間の村落に公太(こうた)という若い男性がおりました。公太は人の好い男で昔から村人に良い様に扱われておりましたが文句を言う事も無く頼みを聞いておりました。若い女子達も公太の事を良い人だとは思っていても自分の旦那にするには物足りず二十歳を超えても公太は独り身でした。

  (公太、儂の所の稲刈りを手伝ってくれんか?)

  (公太、私の家の裏山に猪が出るの!退治してくれない?)

  「よし、分かった。俺に任せとけ!」

  とは言え、公太とて一人の男性でしかありません。度重なる人々からの頼みを聞いている内に体を壊してしまいました。

  そんな公太に対して村人達は冷淡でした。掌を返したように公太に接して村の外れに追いやったのであります。村の外れには今では誰も住んでいない古びた神社があり物の怪が出ると噂がある曰くつきの場所だったのです。それでも公太は前向きな男でありました。

  (よし、こんな広い所に住めるとは俺は、ついているぞ!)

  公太は一人で荒れ果てた神社を掃除し始めました。誰も手伝ってくれる人々はおりません。やがて神社は綺麗になりました。境内は掃き清められ壊れていた建物も自分で直したのです。しかし、神社が昔の様になっても村人は誰一人訪れようとしませんでした。

  物の怪が出るという昔からの噂。そして噂を人々が硬く信じているのもありましたが村人は公太の有能さを恐れる様になったのです。

  (まだ、開発しがいのある土地がある。一人で暮らすには十分だ)

  荒れ果てた土地を耕し田畑を作ったのです。田畑といっても、ささやかな、それでも一人で食べるには困らぬ程の実りを秋には得る事が出来る様になったのです。尤も、そこまでの道も苦難に満ちた物でした。幸いにして村外れという事もあり山や森が近かったのです。

  (よし、これだけ捕れば十分だろう。)

  森には食べる事の出来る木の実や果物があり山には猪や鹿等がいて公太の田畑の実りを狙っておったのです。尤も公太は無暗な殺生は好みませんでしたが自分の田畑を荒らす物は別です。恵まれた体格で狩猟の腕も確かな公太は時々狩りをしていたのです。

  そんな、ある日の事でした。狩りを終え山から意気揚々と神社に戻ってきた公太。すると鳥居の所に何かがいるのに気づいたのです。

  近づいてみると、それは傷ついた狐であったのです。

  2

  「キューン、キューン・・・」

  どうやら他の獣に襲われた様です。元気だったら恐らく黄金色であろう毛は血で赤黒く汚れていて生々しい傷跡も見えています。

  鳴き声は弱く公太が手を差し伸べると、その手に自分の頭を乗せて舌で舐めてきました。しかし息が徐々に弱くなってきました。

  (このままでは・・・)

  本来、野生の狐というのは気難しく人には懐かないですが珍しく、この狐は人懐こい、何か特別な狐の様に公太は感じたのです。

  (とにかく助けるしかない。それでも駄目だったら・・・許せよ)

  狐を抱き上げた公太は自分の家に戻ると、まだ使っていない綺麗な自分の褌で簡単な寝床を作り狐を、そこに寝かせました。

  そして湯を沸かし綺麗な手拭いで狐の体を拭いてあげました。そんな公太の行いに狐は大人しく身動きせずにおったそうです。

  狐の食事も最初は粥を作って自ら食べさせて、やがて狐が元気になるにつれて一度煮て冷ました獣の肉を与えてやりました。

  公太が狐の看病を始めて一月あまり、狐は傷も回復し元気を取り戻しました。やせ細っていた体も今は肉付きのよい体になり

  傷口も塞がっていました。そして何より全身を覆う黄金色の毛が艶を取り戻していました。公太の行く所について回る狐。まるで飼い犬の様に自分に懐いてくれる狐に情が湧いていましたが元はといえば野生の狐。公太は狐を自然へと帰す事を決めたのです。

  「さあ、お前の家族の元にお帰り」

  狐と最初にあった場所、神社の鳥居の所へ連れてきました。公太が去ろうとすると狐が足元に纏わりついて体を擦り付けました。

  そして一緒にいた小屋とは反対方向、神社の祭殿の方に向けてトコトコと歩いていくのです。流石に公太も狐に注意をします。

  「おいおい、そこに行っても何もないぞ。祭殿の奥は俺でも開けられない扉があるだけだ。中に何があるのか知りたいんだが・・・・!」

  狐の後を歩いていく公太、そして問題の扉の前に辿り着きました。錆びついた大きな扉がありますが扉は固く閉ざされたまま。公太の見守る前で狐が扉に顔を擦り付けています。すると、何とした事でしょう。扉が静かに少しずつ開いていくではありませんか!

  「なんと、お主、只の狐ではないな!」

  「キューン!」

  驚く公太に対して一声、元気そうにないた狐。そして扉の奥に狐が入って行き後ろを振り返ります。まるで、ついてこいという様に。

  3

  (ここは、一体?)

  祭殿の奥の扉の中。公太達が入ると自然と多くの蝋燭に火が灯り中が明らかになりました。厳かな空気が漂う広い空間です。

  多くの狐の像が両脇に並ぶ中、狐の後を歩いていく公太。一番奥に大きな白い盃が有り中には黄金色の液体が入っています。

  その液体をピチャピチャと舌で舐めている狐。そんな狐の様子を眺めている公太。すると、どこからか厳かな声が聞こえてきました。

  「公太、有難う。よく、ここまで私を連れてきてくれましたね。改めて礼を言います。貴方がいなかったら私は今、ここにいません。」

  女性の声が聞こえたので辺りを見回しても自分と狐以外誰もいません。訝しげる公太の足元に狐がトコトコと歩いてきました。

  「私ですよ。狐の姿で今、貴方に話しかけています。・・・少し分かりにくいですかね。酒を飲んで力が戻ったので変身しましょう。」

  すると狐の姿が金色に光輝きます。眩しさの余り、公太は目を瞑ってしまい再び目を開けた時、目の前の光景に驚きました。

  金色の髪の毛で金色の目をした美しい女性が、そこにいました。白装束を身に纏った女性。しかし公太は咄嗟に身構えました。

  「貴様、やはり物の怪だったのか!」

  怒気を孕んだ声で叫びますが目の前の女性は涼しい顔をしています。いえ、女性の姿をしていますが明らかに人ではありません。

  頭からは髪の毛と同じ色の狐の耳が生えています。そして一番、目を引いたのは尻からは九本の狐の尻尾が伸びていました。

  「物の怪ですか。確かに私は物の怪と呼ばれても仕方ありません。でも今の私は純粋に貴方に礼がしたいのです。駄目ですか?」

  「俺に近寄るな!この物の怪め!」

  公太が怒鳴っても女性は近づいてきます。丸腰でやってきた自分を悔やみながら公太は女性の秘めている力に恐れていました。

  (これは・・・勝てない)

  悟った公太は床に胡坐をかいて座りました。恐らく自分の命は、ここで果てる。目を閉じて、後はなるようになれと思ったのです。

  「別に私は貴方の命を奪おうとは思っていませんよ。そう・・・私に身を委ねて下さい。賢明な貴方なら私の力が分かる筈です。」

  (心まで読まれているのか)

  もはや全てを諦めた公太。彼女の気配を感じたと思った時でした。自分の唇に恐らく彼女の唇が触れて、そこから何かが自分の口の中に注ぎ込まれて行きます。甘く、そして刺激的な味が自分の喉を通って体の中に注ぎ込まれるのを公太は感じていました。

  4

  暫くすると互いの唇が離れました。床に座り込む公太を女性は、その手を取って立ち上がらせ彼の目を見つめて、こう告げました。

  「貴方が今、飲んだのは神酒です。あの白い大きな盃の中に入っていた液体ですね。太古の昔、私の一族が、まだ大陸にいた頃から受け継いできた秘伝の酒、それを私の祖母が、この日本に渡ってきた時に持ってきて、母、私と受け継いできたのです。」

  彼女の話は続いている、そんな中、公太は体が熱く燃える様に感じていました。しかし、良い気分で彼女の話を聞いていました。

  「酒の名は恵奈示威怒倫苦(えなじいどりんく)。本来は私の一族、狐の為の酒なのです。これを人が飲むと、その者は・・・・」

  そこまで言ってしまい彼女は黙ってしまいました。何か言い辛い事があると察した公太。それでも聞かずにはいられませんでした。

  「飲むと、どうなるんだ・・・俺は?」

  「私の眷属。と言っても私の様に狐になる訳ではありません。狐人(きつねびと)になります。そろそろ変化が始まる筈です。」

  彼女の言葉を聞いて愕然とする公太。自分が人ではなくなる、その事実に恐怖を感じます。しかし彼女の言葉通りでした。

  体がギシギシと音を立てて軋み始めたのです。それと共に鍛えていた太い手足が徐々に細くなっていきます。日に焼けた肌も白く滑らかになり黒く短い毛も抜け落ちてしまいました。坊主頭だった筈なのに髪の毛が伸びているのが分かります。試しに一本抜いてみると金色の長い毛です。自分も物の怪になってしまう、覚悟はしていたが、いざ自分の身に起きると何とも心細く思いました。

  その間にも変化は進みます。しかし、公太はある事に気が付きました。まさかとは思いましたが一応、女性に聞いてみました。

  「ひょっとして俺は女性になるのか?」

  「そうですよ、狐人には男性はいません。皆、狐の耳と尻尾を持った女性になります。貴方に狐巫女として働いて貰います。」

  愕然とする公太。すると自分の体が光り輝いている事に気づきました。その光の中で胸が膨らみ代わりに股間が寂しくなるのを感じていたのです。そして顔の両脇にあった耳が引っ込むと代わりに頭の天辺から狐の耳が生えてきました。お尻が痒くなったので思わず手で押さえると褌の中から狐の尻尾が生えてきたのです。生えてきた尻尾は一本だけ。こうして公太は人ではなくなりました。

  5

  「さて、女性になったのに公太という名前は良くありませんね。そうだ、貴方の名前は狐鈴(こすず)にしましょう。いいですね?」

  「おい、勝手に俺の名前を決めるな!それよりも、お前こそ名を名乗れ!卑怯だぞ!」

  公太は凄んでみせますが低かった筈の声が鈴が鳴る様な可愛らしい物に変わっていました。物の怪の女性より小さくなりました。

  「私は楠葉(くすは)と言います。狐鈴、これからは私の指導の元、立派な狐巫女にしてあげます。共に頑張りましょうね?」

  嬉しそうに語り自分の手を握りしめる楠葉。公太も諦めて彼女の言葉に従う事にしました。そして楠葉は経緯を語り始めました。

  「つい先日、私は長い眠りから覚めたばかりでした。力も落ちていたので他の獣に襲われて危うい所だった所に公太、いや狐鈴が現れたのです。」

  楠葉の話を黙って聞く狐鈴、話を聞いている間にも無意識の内に自分の「耳と尻尾が動いている事に狐鈴は戸惑っていました。

  「昔の。若い時の私なら力を回復したら貴方を食べていた事でしょう。だが貴方は狐の私に大変良くしてくれました。だからこそ、この神酒を受け継ぐに相応しいと思ったのです。それに貴方と村人達の関係も分かりました。ここからは少し大事な話になります。」

  急に真面目な顔になった楠葉。彼女の表情を見て狐鈴も身構えます。耳がピンと立って尻尾の毛も逆立って膨らんでいます。

  「この国が戦乱に明け暮れている事は貴方も知っていますね。その為に多くの苦しんでいる人々がいます。この神酒を私が使うと

  貴方の様な眷属を生み出すだけですが狐と人の両方を持つ者、つまり貴方が使えば人々を助ける事が出来るのです。」

  楠葉の言葉は理解できます。しかし、自分と村人達の関係は良くありません。手放しで協力するとは狐鈴は言えませんでした。

  「間もなく、この国を二分する様な大きな戦が起きます。この村も間違いなく巻き込まれる事になるでしょう。貴方も心の奥底ではこの村に愛着があるのではありませんか?狐鈴、貴方の力で、この村を救うのです。大丈夫、何かあっても私が守りますから。」

  じっと目を瞑って考えていた狐鈴。やがて決意に満ちた顔で楠葉の顔を見つめました。そして楠葉の手を握りしめ大きく頷きます。

  「分かりました。俺も村の人達に世話になって、ここまで大きくなりました。楠葉さんが手伝ってくれるなら恩返ししたいと思います。」

  「じゃあ私から最初に一言、俺じゃなくて私と自分の事を呼びなさい。もう狐鈴は立派な女性なんですから見っともないですよ。」

  楠葉の言葉に狐鈴は照れ臭そうにしていました。

  6

  「これは酷い。私が村を離れてから1年余りしか経っていないのに、かなり荒れ果てている。昔は墓なんて殆ど無かったのに。」

  神社から村の方に歩いてきた狐鈴と楠葉。楠葉は狐の姿で狐鈴の横を歩いています。昔は自然豊かな村だったのに今では

  多くの田畑も荒れていて家は壊れて傾いている家が多く見られます。人々も疲れ果てて狐鈴と楠葉を見ても全くの無反応です。

  「これが戦です。戦は全てを破壊する。人の心まで壊してしまう。普通なら私達を見れば驚くとか怖がるのが普通なのですから。」

  楠葉が狐鈴の心に直接語り掛けます。2人が歩いていると、ある家の傍を通りがかりました。どうやら家の壁が壊れているらしく

  家の中が丸見えになっています。ボロボロの畳が敷かれた部屋の真ん中に布団に横たわる女性と男の子が住んでいました。

  (お姉ちゃん、狐さん?耳が僕と違う所にあるし尻尾も生えている。その服は巫女さんの衣装?ねえ、僕達に何の用事なの?)

  「うん、お姉ちゃんは人でもあるし狐でもあるの。そして君の言う通り巫女さんでもある訳。何か困った事が有ったら言ってくれる?」

  狐鈴は幾つもの徳利を持ってきていました。その中には神酒、そう、あの恵奈示威怒倫苦が、たっぷりと入っていたのです。

  男の子は少し考えました。すると表情に乏しかった男の子の目に涙が溜まっていくのです。そして嗚咽を交えながら訴えました。

  (僕の家、父ちゃんが戦に行ったまま帰ってこないんだ。村の大人の男性が殆ど戦に連れていかれて帰ってきた人は半分以下。

  帰ってきた人も怪我している人ばっかり。母ちゃんは元気を無くして食事も食べれずに寝込んでいる。僕も、もう疲れたんだ。)

  狐鈴の胸に顔を埋めて泣き崩れる男の子。その頭を優しく撫でながら狐鈴は男の子の目の前に一つ徳利を差し出したのです。

  「僕、これはね、お姉ちゃんと、ここにいる狐さんとで作った、お酒なの。何か、お椀があればいいんだけど、この家にあるかな?」

  すると男の子は2つの壊れて欠けた茶碗を持ってきました。狐鈴は、まず一つの茶碗に少し注いで自ら飲んで見せたのです。

  「ね?毒なんか入っていないでしょ、さあ、僕が飲んでみて!そして、もう一つは、お母さんに飲ませてあげて!」

  そう言って2つの神酒が入った茶碗を渡したのです。戸惑う男の子の傍には楠葉が寄り添って体を擦り付け励ましていました。

  7

  神酒に口をつけた男の子。直ぐに

  (何これ、凄く美味しいよ!)

  大声で叫んだ後に、あっという間に茶碗に入っていた神酒を飲み干していました。

  (お姉ちゃん、もっと頂戴!僕、こんな美味しい物、初めてだよ?)

  「駄目よ。これは薬みたいな物だから水やお茶みたいに飲んではいけないの。じゃあ、お母さんにも飲ませて貰えるかな?」

  男の子を窘めてあげる狐鈴。男の子は素直に茶碗の中の神酒を少しずつ母親の口の中に飲ませてあげました。

  すると弱弱しく息をしていた母親が薄っすらと目を開けました。彼女が辺りを見回すと子供、そして狐鈴と楠葉が見守っています。

  (私・・・一体?何か体の奥から力が湧いて来るようです)

  (母ちゃん!母ちゃんが元気になった!お姉ちゃん、狐さん、有難う!)

  男の子が母親の周りを飛び回って喜んでいます。神酒を飲む前よりも元気になって表情も明るい様子に狐鈴は安堵しました。

  (そうですか・・・その神酒を飲むと元気を取り戻すと言う訳ですか・・・有難い話です。そうだ、皆さんの事を村に伝えておきます)

  床から起き上がった母親が早速、村の中心部の方へ駆けて行きます。その回復ぶりに男の子も狐鈴も目を丸くしていました。

  (じゃあね、お姉ちゃん、狐さん)

  男の子に見送られて意気揚々と狐鈴と楠葉は自分の神社に戻っていきました。

  男の子と母親を救った翌日の事です。

  「狐鈴。村長さんが来ていますよ、昨日の男の子と母親も一緒です。」

  朝、楠葉に起こされた狐鈴が外に出ると鳥居の所に昨日の親子の他に年配の男性を先頭に数人の大人が待っていました。

  (そうか、狐鈴さんと仰るのか。何でも不思議な力を持つ酒をお持ちだとか?どうか、其方の力で、この村を救って欲しい)

  そう言って頭を下げる村長を始めとする村人達。どうやら自分が公太だったという事は知られていない様です。本当は自分の正体を打ち明けたいという思いもありました。しかし、今は自分を歓迎してくれている。だったら秘密にしておいた方が良いと考えました。

  「分かりました。私に出来る事でしたら、お手伝いします。」

  そう言って村長の手を取って助け起こす狐鈴。2人の様子を傍で楠葉が見つめていました。

  8

  それからという物、神社には毎日の様に多くの人々が訪れる様になりました。狐鈴が人々の相手をして楠葉が神酒を作る。

  今日も朝早くから多くの人々が訪れていました。ある若い男性は戦で負った傷の手当てを。若い女性は子宝に恵まれる様に。

  様々な願いを持って訪れる人々の話を狐鈴は丁寧に聞いて、最後には彼らに惜しげなく神酒を与えるのでした。

  (有難うございます!傷が癒えました。これで、また畑仕事が出来ます)

  (有難うございます!子供が生まれました。これで家の中が賑やかになります)

  人々の喜ぶ顔を見ていると狐鈴も幸せな気分になります。そんな狐鈴を見守っていた楠葉も神酒を更に作り続けていました。

  そんな日が暫く続いたある日の事でした。久しぶりに訪れる村人もいなく狐鈴と楠葉は神酒の調合を色々と試していました。

  「狐鈴、新しい神酒が出来ました。飲んでみてくれますか?」

  楠葉が盃に注いだ神酒。黄金色の液体は同じですが液体はブクブクと泡立っています。刺激的だがいい匂いが漂っていました。

  「これは・・・凄い。体の奥から力が湧き出るようです!」

  眠くならない、疲れない、頭が冴える等、様々な効果が新しい神酒にはありました。しかし、いい事ばかりだけではありません。

  新しい神酒は飲んでから暫く効果があるのですが時間が経つと副作用で眠くなる、疲れやすい、頭がボンヤリするのです。

  「そして一番、困った事・・・飲みすぎると神酒に依存してしまう・・・良い物かと思ったのですが作り方を封印するしかないですね。」

  楠葉が困った様な顔をして新しい神酒と、その製造方法を記した巻物を神社の更に奥深くにしまい込み封印を施しました。

  「そうですね、今の私達には手が余る物だと思います。何時か未来の人達が、これを上手く使ってくれる事を信じて待ちましょう。」

  狐鈴も残念そうに呟きます。彼女の耳も力なく倒れて尻尾も下に垂れ下がっていました。それから又、暫くの時が流れました。

  「狐鈴、風の便りで分かったのですが、漸く戦がない世の中になった様です。当分の間は、この国では大きな戦は無いでしょう。」

  「という事は私達の仕事も減るという事でしょうか?」

  狐鈴の問いかけに楠葉は無言で頷きます。楠葉の言葉通りに戦が無くなり村人が助けを求めて来る事も減っていきました。その代わりに昔の様に村は活気を取り戻したのです。その事には喜びを覚える狐鈴でしたが一抹の寂しさも感じていたのでした。

  9

  「狐鈴、お粥が出来ましたよ。」

  人の姿の楠葉がお盆の上に柔らかく似た粥を持って運んできました。神社の一室で床に臥せっている狐鈴。髪の毛も、すっかり白くなり顔には多くの皺が刻まれています。目も見えにくくなり耳も遠くなって歯も少なくなり、すっかりお婆ちゃんになっていました。

  「楠葉様、最近、私、耳や尻尾が消えたと思ったら、また生えたりするんです。もう私は狐巫女ではいられなくなるんでしょうか?」

  「そうです。言いにくい事ですが貴方の命は、もう残りわずかです。狐巫女の寿命は百年。よく、ここまで頑張りましたね。」

  そう言いながら粥を狐鈴に食べさせる楠葉。その表情は子供を見守る母親の様に優し気でした。

  「私達が最初に助けた母親、そして、あの男の子も旅立って、もう随分と経ちましたね。神酒も必要のない世の中になりました。」

  狐鈴が懐かしそうに眼を細めて昔を振り返ります。戦の無い世の中になって長い時間が過ぎていました。あれだけ賑やかだった神社も忘れられたように人が来なくなり狐鈴と楠葉、2人だけで、ひっそりと静かに、それでも幸せな日々を送っていたのです。

  「楽しかったなあ、私の人生。男から女、そして人から狐、そして狐巫女にもなった。こんな経験したのは私だけだと思うんです。」

  「そうね、今までの狐巫女は最初から女性。男性から狐巫女になったのは貴方が初めて。私も面白い時間を過ごせました。」

  粥を食べ終わった狐鈴が楠葉の胸に頭を乗せて、もたれかかっています。狐鈴の耳や尻尾が徐々に短くなり始めたのです。

  「私、どうなるんですか?」

  狐鈴が楠葉の顔を見上げて不安そうに呟きます。呼吸も徐々に弱くなり手を伸ばすと楠葉が、しっかりと掌を握りしめました。

  「貴方の先輩にあたる狐巫女達と会えますよ。皆、向こうで幸せに暮らしています。じゃあ、行きましょうか?」

  狐鈴の目が閉じてから暫くすると、その体がサラサラと粉になって崩れ落ちていったのです。その粉が一か所に集まって何かを形作っていきました。その中から現れたのは一匹の子狐でした。小さな声で鳴く子狐を楠葉が抱きしめて神社の奥に入って行きます。

  「さあ、狐鈴。貴方のお姉さん達に会いに行きましょうね。」

  それから間もなく、神社は忽然と消えてなくなりました。こうして狐巫女と神酒、恵奈示威怒倫苦は歴史から消えた・・筈でした。

  10

  「ああ、明日は試験だ!どうしよう。全然勉強していない・・・徹夜するしかない!」

  一人の青年が自分の部屋で頭を抱えて悩んでいます。コンビニに走って彼が買ってきた物。それは缶に入った一本の飲み物です。

  それを一気飲みした青年。そして、その夜は夜が明けるまで机に向かって勉強を続けました。試験の出来はどうだったのでしょう?

  「ああ、疲れた・・でも明日も仕事かあ・・・仕方ないわね。」

  一人の若い女性が仕事を終えて家に戻ってきました。それでも、これから食事を作り風呂に入って明日も仕事に行くのです。

  疲れ切った体に更に鞭を入れるかのように彼女も冷蔵庫の中の缶に入った飲み物を飲みます。そして家事を始めました。

  缶に入った飲み物には狐のマークが描かれています。そして飲み物を飲むと徹夜しても眠くならない。疲れがとれるといった効果がある。そう、皆さんご存じのエナジードリンクです。世界的にも有名なメーカーの奴ですね。これが最初に世に出たのは今から約百年前、世界中を巻き込む大戦争があった時です。日本が発祥のエナジードリンク。その創始者が小鈴(こすず)という女性です。

  彼女にも面白い話があるので、ご紹介しましょう。小さい頃から何故か、狐が好きだった彼女。成長してからは考古学者として

  全国の狐に纏わる伝説を研究していたそうです。その中で狐巫女の存在を知り、ある山間の田舎にある廃墟になった神社の跡を調査していたのです。すると、そこに一匹の狐が現れて、その後をついていくと恵奈示威怒倫苦の作り方が書かれた古文書、そして僅かに残っていた神酒を発見、それを基に、えなじいどりんくを作り出し最近になってエナジードリンクとして売り出されたのです。

  さて、賢明な読者の皆様ならお気づきになったかもしれません。元々の恵奈示威怒倫苦は病気を治したり傷を治したり子宝にも恵まれやすいという効果がありましたよね?しかし、今、私達が知っているエナジードリンク。飲みすぎると依存性がある、下手をすすると命の危険がある代物になっています。そうです、あれは狐鈴と楠葉が封印した方の神酒が元になっているんです。

  では真のエナジードリンクは何処にいったのでしょう?副作用もなく皆が待ち望む飲み物。実は世界中に、この種の話は良くあります。ある所では賢者の石、そして別の所ではエリクサー等と呼ばれている物。何時の日か世に出る事を信じようではありませんか?