第一幕
現在進行形で自殺しようとしている俺 ーーー 東野春樹は残業がたくさん、いや、それどころじゃないな。安月給、休みなし、残業塗れの三拍子が見事に揃っているブラック企業に勤めている。
...これは勤めていた、が正しいか。つい先ほど辞めてきたところだ。住んでたアパートも解約。死ぬ準備は万端だ。なのに、それなのに。今俺の目の前には、就職した企業の都合で遠くに引っ越した高校時代の同級生のワタル、小林航が居た。まぁ、俺が自殺を仄めかすメッセージを送ったのが一番の原因だろうがね。
ワタル「...ほんとに、死ぬのか?」
春樹「だとしたら?」
ワタル「全力で止める。」
春樹「...無駄だよ。」
ワタル「なら、俺の部屋で拘束してでも生きさせる。どうせ会社辞めてアパートも解約したんだろ」
春樹「当たり。」
ワタル「なら、俺と来い。」
ワタルはそう、告白っぽいことを口にする。
冬特有の北風が吹き抜けるビルの屋上。ノンケだったはずのワタルは知らない間にホモになったらしい...?確証は持てない。自殺を止める為だけの口実という可能性も十分に有り得る。
まぁどうでもいい、俺は少し鼻で笑って手すりに手をかけた。
ワタル「...」
春樹「月が綺麗だな。」
その言葉が何を、どう意味するのかはなんとなく分かっていた。
ワタル「...うん」
実際、俺はさっきの「俺と来い」で自殺をするかどうか揺らいでしまっている。自分は生粋のノンケだ。もちろん同性に興奮することは断じて無い。それでも、揺らいでいる。遠くから、わざわざ来てくれたワタルは友達が少なかった俺とずっと一緒に居てくれた幼馴染。一緒に居られたのは楽しかったし、嬉しかった。仕事の都合で遠くに行くって言われたときは絶望した。それからは心の中が永久凍土にでもなったのかというくらいに凍り付いた。
ワタル「俺と一緒に居よう...高校時代みたいに。」
春樹「...」
ワタル「俺はお前が好きだ。お前がノンケで、俺をそういう目で見れないのは分かってる。」
春樹「......」
俺はただ、俯いて沈黙を貫く。
ワタル「なぁ...一緒に居てくれよ......好きな奴に置いて行かれたく...ないんだよ...」
ワタルはそう言って紙をクシャクシャにしたように顔を顰めた。
夜中だからか、風の冷たさに拍車が掛かっている。でも、心のどこかは少し暖かかった。
あぁ...なんとなく分かってきた...俺は、こいつに、ワタルに自殺を止めてほしかったんだ...
春樹「...わかった...お前がそこまで言うなら......もう少し生きてみようかな...」
ワタル「...ッ......」
あれだけ真面目に俺の説得を試みていたワタルの顔がパァッと明るくなる。その顔を見て、心の内側、そのさらに内側に押し込んでいた気持ちが溢れてきた。雪が降り始めたこの街なんて気にも留めず、ワタルに歩み寄った。
春樹「...なぁワタル」
ワタル「...なんだ?」
春樹「少し恥ずいけど...ちょっとだけ抱きしめてくれないか...?」
ワタル「あぁ。満足するまでハグしてやるよ。」
泣きそうになる顔をなんとか誤魔化して俺はワタルに抱き着いた。暖かい。生きてる。ちゃんとここに居る。死ぬ瀬戸際の幻なんかじゃない。実在してる。昔みたいに甘やかしてくれてる。
春樹「ほんとのこと言ったらさ...ちょっと...ううん。すごい怖かった。」
ワタル「...だろうな」
春樹「退職届通ってよかった...」
ワタル「あ、怖かったのそっち?」
春樹「自殺するのももちろん怖かったよ...」
ワタル「じゃぁ、俺の部屋に行こうか。」
第二幕
俺はワタルが住むアパートに来た。何故か二人用の部屋を借りているらしい。家賃キツくないか?
そんな俺の心配事をよそにワタルは「春樹と一緒に暮らせるとは思ってなかったな」とか「ここがリビングでこっちは俺の部屋」などと室内の説明をしている。暖房が効いているワタルの部屋は体の芯まで冷え切っていた俺の体を温めてくれた。鼻水を啜っているとワタルがホットココアを俺の眼前に差し出した。
ワタル「ほら、寒いだろ?」
春樹「...ありがと」
ワタル「今日から春樹、お前はルームメイト...?同居人...?だからよろしくな」
そこははっきりさせてから言ってくれ、と笑う俺。それを見たワタルも笑う。さっきまで自殺云々で騒いでたとは思えないくらいにほんわか空間だった。さっきよりも少し降る勢いが強まった雪を見ながらホットココアを飲んだ。体が温まると少し眠くなってきた。それをワタルに告げると「急に子供みたいだな」と俺の頭を撫でた。
春樹「撫でんなっての」
ワタル「お前用の家具はまだ揃えれてないから今日は俺の部屋で寝な。」
春樹「えっでもお前どこで寝るん?」
ワタル「そこにソファあるだろ。そこで寝る」
ワタルはふかふかの人が一人は寝られそうなソファを指さす。でもなんだか申し訳ないな...
ワタル「なんだか申し訳ないな、って顔だな」
春樹「そりゃそうだよ」
ワタル「気にしなくていいって。逆にホモの俺と添い寝なんて嫌だろ。細かく言えば元ノンケだが」
春樹「...ホモってだいたいそうじゃないの?」
同性愛者はいろんなきっかけがあって同性を好むようになるイメージがあるけどその辺はどうなんだろ...?
そんな考えは脳の片隅に置いて、眠気も限界なのでさっきのワタルのお言葉に甘えてワタルのベッドに寝転んだ。
...ワタルの匂いがする。いつもワタルの匂いを嗅ぐ、と言えば変態的な表現になってしまうけどワタルの匂いを感じると不思議と落ち着く。ワタルの匂いを簡単に表すと牛乳石鹸の匂いと何かの花の匂いが混ざった匂いだ。そんなワタルの匂いが俺は大好きだ。でも今日はなんだか落ち着かない。もちろん理由は明白だ。自殺しようとしたときのビルの屋上から見下ろした地面がどうしようもなく怖かったんだろう。かといってワタルに添い寝してほしいってせがむのはなんだか恥ずかしい...
ワタル「どした、落ち着かないのか?」
春樹「...まぁ...うん」
ワタル「寝付くまで横に居てやろうか」
春樹「子供じゃあるまいし...」
ワタル「でも、なんか不安そうに見えるぞ、お前」
図星を突かれ思わず「うっ...」と声が漏れる。ついでに表情もむっとなった。でも実際怖い、というか不安だし...背に腹は代えられん...
春樹「...やっぱ横に居て」
ワタル「はいはい。」
ワタルは俺の横に腰かけた。ワタルの黄緑色の瞳が優しく俺をその視界に捉える。まるで子供を見守る母親のように俺を見る。昔の俺なら突っ撥ねてただろうけど今はそれがどことなく嬉しい。未だに治らない抱き癖なんて気にせずに目を瞑った。
ワタルに、優しく撫でられている気がする。その撫で方は今は亡い母親を彷彿とさせて思わず「ふえ」と恥ずかしすぎる声が出る。
ワタル「!? どしたどした」
春樹「...なんでも、ない」
差し出されたワタルの手に自分の手を重ねて今度は本当に眠りについた。
ワタルが使っているであろう毛布を片手に抱きしめて、明日を待つ。
第三幕
目が覚めると目の前にワタルは居なかった。寝ぼけ眼を擦りながらリビングに歩いて行く。
ワタル「おはよ。」
ワタルはソファに腰かけて柄にもなく眼鏡をかけて本を読んでいた。
春樹「...おはよ。」
ワタル「朝飯、できてるぞ。」
春樹「ありがと」
本を読みながらお茶を啜るワタルがなんだかお爺ちゃんみたいでふっと笑った。
雪はもう降ってないらしい。鬱陶しいとは思いつつもなんだかんだで好きだったんだけどなぁ...
ワタル「どした」
春樹「雪止んじゃったんだなぁって」
ワタル「ふふ、積もってるぞ。」
春樹「マジ?」
ワタル「マジ。」
久しぶりに積もったということを聞いて童心にかえったからか少し興奮してきた。
ワタル「可愛いな、お前。そんなに尻尾ぶんぶん振って」
春樹「エッ...」
知らないうちに尻尾を振っていたようだ。イヌ科獣人の宿命?ではあるからどうしようもないんだが...ていうかイヌ科で言えばワタル、お前も狐獣人だろ。
そう不満を抱いてワタルを睨むと「はて...」とでも言いそうな顔をしていた。ちくしょう...そういえばこいつが尻尾振ってるところ見たことないわ...
そんなことは置いておいて。早く、あのひんやりとした雪の手触りを感じたい。仕事に行かなきゃいけないわけではないので気楽だ。
思わず顔が綻ぶ。それを見たワタルの顔も緩くなる。
ワタル「そんなに嬉しいんけ、雪が積もったの」
春樹「まぁ...久しぶりだし」
ワタル「俺からしちゃ洗濯物湿っちゃうから苦手だな...」
春樹「...」
ワタル「まぁいいや。部屋干しにすりゃいいだけだし。」
春樹「...」
俺はさっきから何故かワタルと一緒に小さい雪だるまを量産することを望んでいる。まぁ...それは中学時代の思い出だけどな。でも、またワタルとそれができるならまた、やりたい。
......
ワタル「お前ってほんと雪好きだよな~」
春樹「なんか悪いか?」
ワタル「別に悪くねぇよ。俺も小さい雪だるま作るのは好きだし。」
春樹「じゃぁ、一緒に量産しようぜ。」
ワタル「別にいいけど」
そうして暫く雪だるま量産して遊んでたっけ...
雪が積もっても尚降り注ぐ粉砂糖のようにさらさらした雪を、思い出していた。
10体くらい作り終えた時に俺のお腹が鳴って一緒にお昼食べたっけな。
......
ワタル「...そういえば中学生くらいの時に一緒に雪だるま作ってたよなぁ...」
春樹「だな。」
そのワタルの言葉に少し期待を抱く。
ワタル「また、一緒に作るか?」
春樹「...あぁ。」
俺はワタルと一緒に外に出てアスファルトの地面に降り積もった雪を踏んだ。久しぶりの感覚だ。
吹き抜ける冬の空気が俺とワタルの鼻腔を刺激する。冬の空気は好きだが少し鼻が痛いのは勘弁してほしい。
12月28日午前10時、アパート付近の寒空の下、二人仲良く雪だるまを作る人影があった。
元ノンケとノンケ。関係は親友止まり。もちろん互いにホモという訳ではないのでこれ以上関係が進む訳もなく。
「もし、お互いに同性愛者なら、恋人になっていたんだろうか。」
そう俺は、心の中でつぶやいた。恋愛的な好きとまではまだ行かない。ただ、ふとそう思っただけだ。