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北陸の虎

  僕の住んでいた村は、深い緑に包まれた山の麓(ふもと)にあった。山の周辺には、湖も在ったし、まだ当時子供だった僕は、数人の友達と一緒に大自然に恵まれた環境の中で、毎日、日が暮れるまで遊んで、楽しい毎日を過ごしていた。

  ある日、僕は、風邪をひいてしまって小学校を休んだ。

  「ちゃんと、お薬飲んで、しっかり栄養を取って大人しく寝ているんだよ!」

  お母さんは、何度も僕にそう言い聞かせて、先に農作業に出ていたお父さんの手伝いをするために、朝、8時くらいに家を出ていった。

  「今日一日で治すだぁよ、太一郎(たいちろう)!」

  「分かったよ!大人しく寝ているよ!」

  僕は、布団の中でもぞもぞしながら、早く一人になりたかった。理由は、もちろん一人で、テレビを見たり、ゲームをしたり、お昼用にお母さんが作ってくれていたおにぎりと、豚汁を好きな時に好きなだけ食べたいからだった。

  「風邪をひいて学校を休む日は、我々子供にとって天国である!」

  なんて、よく仲間たちと、たまには、風邪でもひかなきゃ、息抜きが出来ない!って変な暗黙の了解のような認識が、しっかりと出来ていた。

  午前10時。僕は、しばらく眠ったあと、おしっこがしたくなって目が覚めた。

  「しばれるなぁ~、小便が近いよ!」

  僕は、茅葺(かやぶき)屋根(やね)の家の外にあった便所まで、寒気と闘いながら歩いて行き、我慢して、膀胱(ぼうこう)がはちきれんばかりに溜まっていた小便を時間にして一分間以上かけて、しばれる身体を、再び外気にさらしながら、今度は、小走りで家の中まで戻った。

  季節は、二月。北の国の冬は、まだまだ寒さが、身にこたえる。

  「ゲームでもやるかぁ……」

  僕は、持っていたポケットゲームの中から、買ったばかりのドンキーコングを選んで、布団の中で、肘(ひじ)をついて、ドンキーコングに夢中になっていた。

  「な~ん、飽きてしもうた……」

  一時間くらい、ポケットゲームで遊んでいた僕は、風邪薬のせいか?少し、頭がボーっとして、ゲームになかなか集中できなかった。

  「おにぎり、おにぎり」

  僕は、台所の卓上に置いてあった特大のおにぎりを、一つ手で掴んで、口を大きく開けてムシャムシャと食べ始めた。

  「ああ、うんめぇ……」

  一個目のおにぎりの中の具は、当たりだった。

  「鮭だぁ~、ラッキー!」

  「とすると、残りの二つは、一つが、ネギ味噌で、もう一つは……」

  「梅だろうなぁ~!」

  とにかく、一個目から大当たりの鮭を引いてしまった僕は、その特大のおにぎりを頬張りながら、次は、何をして遊ぼうか?それだけを考えていたような気がする。

  テレビを見ていた。

  なんだか、あまり面白くない。

  「そろそろ、寝てないとお昼には、お父さんもお母さんも帰ってきよる」

  僕は、再び布団の中にもぐりこんで、大きく息を吐きながら枕に頭を乗せて、しばしの間短い眠りに就いた。

  「太一郎!お利口さんにしていたか!?」

  「うん……あっ!お帰りなさい!」

  お父さんとお母さんが帰ってきた。僕は、しっかり大人しく寝ていた演技を続ける事にした。

  「父さんと母さんは、母さんが朝こしらえてくれた弁当があるけぇ、お前は、おにぎりと豚汁を、しっかり食べて栄養つけんとぉ!」

  「うん、分かっとるよ!」

  僕は、内心ほくそ笑みながら台所へ行って、お椀いっぱいに豚汁を注いで、卓上に置いてある、おにぎりの席に座った。

  「いただきま~す!」

  富山県のお米は、とても美味しくて僕は、たまさかに、お母さんが握ってくれる、この特大おにぎりが、大好きだった。

  「ゆっくり、よく噛んで食べんしゃいよ!」

  お母さんは、僕にそう言ってから、右手を僕の額にあてた。

  「あ~れ、まだだいぶ熱があるねぇ!ちゃんと、寝とったんかいな?」

  確かに、ずっと頭がボーっとしているような感覚は、消えていなかったけど、しっかりと養生していなかったことは、気付かれては、いけないと自分に言い聞かせていた。

  「夕方には、もどるけえ、しっかり寝とけよ!」

  お父さんが、そう言ってお母さんと一緒に、また作業に出ていった。この時期は。雪も残っているから、ビニールハウスや温室(おんしつ)栽培(さいばい)なんかで、生計を立てている事くらいは、一人息子として知っていた。

  昼ごはんの後に飲んだ風邪薬が、効いたのか?僕は、夕方までぐっすりと眠って、気が付いたら、お父さんもお母さんも帰ってきていて、お母さんは、台所で晩御飯の支度をしていた。

  「おう、起きたか!太一郎!」

  お父さんが、目を覚ました僕に気付いて、声をかけてきた。

  「あ~、よく寝た!だいぶん良くなった気がする!」

  さっきまでの、気怠さや、寒気、頭痛が、軽くなっていた。

  「お父さん、僕もそろそろ農作業手伝いたいよ!」

  僕は、汗で少し湿ってしまった下着を、着替えながらお父さんに話しかけた。

  「そうかぁ?結構大変だぞ!」

  「大変だから、僕が手伝うんだよ!」

  「かあ~、頼もしい奴だなぁ~」

  そんな、僕とお父さんの会話を、お母さんは、静かに微笑んで嬉しそうにしていた。

  翌朝、風邪は、だいぶん良くなった。昨日しっかりと養生したのと、富山県の風邪薬が、良く効いたみたいだ。

  「念のため、今日もう一日休んで、完全に治しなさい」

  お母さんが、そう言って今日の分の風邪薬を、渡してくれた。

  「しばれるけぇ、家の中で大人しくしてんしゃい」

  お父さんは、作業に出かける準備をしていた。

  朝8時。お父さんとお母さんが、仕事に出かけた。外は、まだまだ寒そうだった。

  「今日も、つまらんがねぇ……」

  僕は、布団の中で目を瞑(つぶ)りながら、亜紀ちゃんの事を考えていた。亜紀ちゃんは、学校の同級生で、女の子なのに、いつも僕たち男子と遊んでばかりいる、少し変わった子だった。

  「亜紀は、おちんちん付け忘れたんじゃなかろうか?」

  僕は、そんな事を考えながら、いつの間にか風邪薬が効いてきたのか?深い眠りに落ちていった。

  午前十一時くらい。僕は、目を覚ました。

  「な~ん、退屈やわぁ……」

  僕は、ジャンパーを着こんで少し外に出てみる事にした。

  「うん?なんね、あれ……」

  僕は、集落を散歩しながら空に何か、光る物体が、不規則な怪しい動きをしながら飛んでいるのを見つけた。

  「UFO?んな、馬鹿な!」

  その物体は、光を放ち続けながら山の頂上に向かって、急激に落下し始めた。

  「なん?落ちるぞ!」

  飛行物体は、そのまま山の山頂近くに、落下して影も形も見えなくなった。

  僕は、何かに急かされるような感覚に襲われて、山を登って、あの物体の正体を突き止めてやるつもりで、遊び慣れた山道を数十分で登り詰めた。

  「なんもない……」

  確かに、あの飛行物体が、落ちたはずの場所付近には、いつもと変わらない光景が、静かにたたずんでいた。

  「けど、なんか変な臭いがする……」

  僕は、そのきな臭い臭いのする場所へ、自分の嗅覚を頼りに歩を進めた。

  そこには、何かが落下したような、直径5メートルくらいの大きな窪(くぼ)みがあった。

  「何だろう?」

  僕は、恐る恐るその窪みを凝視(ぎょうし)して、中の様子を確かめた。

  「何か、小さな物が動いている……」

  窪みの中央辺りに、昼の太陽の光に照らされた「何か」が、蠢(うごめ)いている。僕は、その「何か」の様子を、興味津々にじっと眺めていた。

  「ウギャッ!ウギャッ!ギャー!」

  突然、そいつは、何かを訴えるかのように鳴き始めた。

  「猫?」

  猫にしては、体つきが、ごつい。

  「どうした?お前は、何者だ?」

  僕は、大きな声でそいつに話しかけてみた。

  「ンギャッ!」

  答えた。僕には、そう聞こえた。

  僕は、恐る恐る窪みの中に入って、そいつに近づいてみた。

  「と、虎……?」

  そこには、まだ赤ちゃんであろう虎が一匹だけ蠢いていた。

  「なんで、こんなところに虎の赤ちゃんが……」

  「ギャーギャー!」

  虎の赤ちゃんは、僕の姿を見つけると走って近寄って来て、僕の足に前足を、預けてきて、何かを訴えるかのように鳴き続けた。

  「お前、お腹空いているのか……?」

  僕は、膝をついて、しばらくの間、その虎の赤ちゃんとじゃれ合って遊んだ。

  「ンギャー!ギャー!」

  「ごめんよ。今は、何も食べられるものを持っていないんだ……」

  僕は、その子を抱きかかえて、自分の家に向かって山を下り始めた。途中、何度も鋭い爪で、引掻(ひっか)かれたけど、そんなに痛くなかった。

  「お父さんとお母さんが、帰ってくる前に……」

  僕は、虎の赤ちゃんを抱いたまま、誰にもバレない様にジャンパーの中に、その子を潜り込ませて必死で歩いた。

  「よし、着いたぞ!」

  お父さんもお母さんも、家の中には、居なかった。時刻は、12時半くらい。

  「もう、ご飯食べて出かけちゃったかな?」

  僕は、家の中に入ると随分と暴れてくれた虎の赤ちゃんを、そっと持ち上げて床に下ろした。

  「昨日の豚汁の残りと、おにぎりがある……」

  僕は、器に豚汁を、沢山盛り付けて、僕のためにお母さんが握ってくれた、おにぎりを三個全部、虎の赤ちゃんの前に差し出した。

  「食べるかな……?」

  虎の赤ちゃんは、鼻で豚汁の匂いを嗅いだ後、少しずつ豚汁を食べ始めた。食べられるものだと認識したのか?食べるスピードが、どんどん速くなっていった。

  「美味いか?しっかり食べろよ……」

  豚汁を完食した虎の赤ちゃんは、続いておにぎりをムシャムシャと食べ始めた。その様子は、とても可愛らしかった。

  「お前、何でまた……こんなところに……」

  虎の赤ちゃんの頭を撫でながら、僕は、その子に何か名前を付けようと急に思い立った。

  「トラ……そのままじゃないか……」

  「あっ、米粒が鼻に付いてるぞ!」

  僕は、虎の赤ちゃんの鼻先に付いた米粒を取ってやって自分の口に運んだ。

  「お前、鼻の頭が茶色いんだなぁ……」

  一瞬、虎の赤ちゃんが、僕の顔を見上げた。

  「茶色……虎……」

  「チャトラ!お前の名前は、チャトラ!決めた!」

  チャトラと名付けられた虎の赤ちゃんは、気が付くとおにぎり三個とも全部残らずキレイに食べつくして、大きな欠伸(あくび)をしてみせた。

  「離れの納屋が、空いている。お前は、僕が納屋で育てるんだ!」

  「ギィー!ンギャー!」

  チャトラは、食べ物をたくさん与えてくれた僕に、心を許したのか?僕の手をペロペロと舐め始めた。時折、甘噛みもしてきたけど、全然痛くなかった。

  「よしっ!納屋へ行こう。お前の家だぞっ!」

  納屋の中は、かなり乱雑で汚かったけど、チャトラを匿(かくま)うには、絶好のスペースだった。藁(わら)もいっぱいあるし、寒さも何とか凌(しの)げるだろう。

  「大人しくしているんだぞ。鳴き声一つで、バレちゃうから……」

  僕は、チャトラの頭を撫でて、身体を擦(さす)ってやった。

  しばらくすると、チャトラは、お腹いっぱいになったせいか?ウロウロ動き回って藁が敷き詰めてある納屋の一角に身体を落ち着けて、静かに眠り始めた。

  「チャトラ、また今夜な!」

  僕は、寝ているチャトラを起こさない様に、静かに納屋の外に出た。

  夜中、両親が寝静まった頃、僕は、静かに寝ている振りをしていたのをやめて、両親を起こさない様に、静かに台所へと向かった。

  「牛乳を、人肌くらいかなぁ?温めて……」

  僕は、鍋に牛乳を注いでから、火を点けてガスコンロで、温め始めた。

  「人肌って言ってもなぁ……大体でいいかっ!」

  その、「大体」人肌くらいに、温まった牛乳を、空になっていたペットボトルに入れて、ペットボトルの口を、ガムテープで巻いて塞いで、千枚通しみたいなものがあったから、それで、小さな穴を、口を塞いだガムテープに開けた。

  それから、使っていない毛布を、あらかじめ、準備しておいたので、それを、頭からかぶって、僕は、静かに家の戸を開けてから、離れの納屋に向かった。

  「入るよ~……」

  僕は、小さな声でそう言った後、納屋の戸をそっと開けた。

  「真っ暗……灯りをつけなきゃ……」

  僕は、チャトラの姿が見えないまま、納屋の灯りのスイッチをつけた。

  「グルルルル……」

  納屋の隅っこの、藁の上で、チャトラは、寒そうに身を屈(かが)めていた。

  「チャトラ、遅くなってごめんね。ほら、毛布を持ってきたよ……」

  「グルルルル……」

  チャトラは、しばらくの間、僕の顔を見ていた。そして、ようやく僕だと分かったのか?起き上がって、僕の足元にすり寄ってきた。

  「寒かったろうに……ごめんな!」

  「グー!」

  「ほら、毛布をひいてやるから、暖まりな!!」

  僕は、毛布を床に敷いて、その上にさっきまで、チャトラが寝ていた藁を敷き詰めて、簡単なベッドメイクをしてあげた。

  「よし、今、ミルクをあげるからね!!」

  僕は、昼に食べさせた豚汁とおにぎりが、チャトラには、まだ早すぎた離乳食だったんだと、夕方ごろに気付いて、この子には、まだ、ミルクが必要なんだと、ようやく気付いたんだ。

  チャトラは、変なペットボトルで作った哺乳瓶を両前足で必死につかんで、人肌に温めた牛乳を、美味しそうにゴクゴクと飲み始めた。

  「ハハッ!凄いな!足りなくなるかも……」

  チャトラは、ものすごい勢いでミルクを飲み干してしまった。

  「グールグール……」

  まだ、足りないと言った表情で、チャトラは、僕に身を摺り寄せてきて、前足を僕の身体に預けて、僕の顔をペロペロと舐め始めた。

  「こらこら、落ち着きなさい!チャトラ!」

  それから、しばらくの間、僕とチャトラは、納屋の藁の上で一緒にじゃれ合って楽しく遊んだ。チャトラは、時折、僕の手を甘噛みしてきた。少し、傷がついたけど、痛くなかった。

  それから、僕は、もう一度家の中に戻って、さっきよりたくさんのミルクを作って、もう一度、チャトラにミルクを飲ませた。

  「グルルルル……」

  お腹いっぱいになった様子のチャトラは、僕が作った特製のベッドの上で気持ちよさそうに眠り始めた。

  「おやすみ、チャトラ……」

  僕は、両親にバレない様に静かに家に戻って、何だか幸せな気分で自分の布団に入って、朝まで、ぐっすりと眠った。

  その日から、僕は、チャトラの世話を欠かさずおこなった。

  でも、この納屋に住まわせるのは、きっといつか両親にバレてしまう。そう思っていた。

  「もっと、いい隠れ家は、ないかなぁ……?」

  僕は、普段遊んでいる友達との約束も、そこそこに、チャトラの隠れ家探しに躍起(やっき)になった。

  「ああ、ここなら大丈夫かもしれない!!」

  そこは、数年前まで、日寺(ひでら)さんという老夫婦が住んでいた家だった。日寺さん夫婦は、息子さん夫婦と一緒に暮らすために、数カ月前に、富山県の高岡市へ引っ越していた。

  

  「ここが、チャトラの新しい家になるんだ!」

  僕は、山の中にあった日寺さんの家なら、そんなに人目にもつかないだろうと考えた。

  「なんけぇ?今日も太一郎、一緒に遊ばんの?」

  「ごめん、ちょっと、勉強したいんだ!」

  「な~ん、分からん!お前が、勉強!?」

  チャトラの事は、例え友達にだって知られてはいけないと僕は、思っていた。

  「チャトラの事がバレたら、こんな小さな村じゃあ、噂もあっという間に広がって、チャトラは、役所の連中に猟銃で撃たれて殺される……」

  僕は、もう、誰にもバレずにチャトラを育てようと自分の心に誓ったんだ。

  チャトラの引っ越しは、例によって夜中に実施された。

  「おいで、チャトラ……」

  「グーッ!」

  この頃には、僕とチャトラは、すっかり仲良しになっていた。

  「お前の事は、誰にも知らせない。バレたら殺される……」

  日寺さんの家の鍵の場所は、僕は、良く知っていた。確か、井戸の有る裏口のひさしの上だ。

  「有ってくれよ~!」

  真っ暗な空間で、勘だけを頼りに、僕は、ひさしの上を手探りで弄(まさぐ)っていた。

  「おっ!手応えありっ!!」

  僕は、確かに右手に伝わる、その物の感触を確かめてから、そいつを手に掴んだ。

  「有った!チャトラ、有ったぞ!」

  「グルルルル……」

  チャトラは、静かに僕の様子を眺めていた。

  「ほうら、お前の新居だぞっ!!」

  日寺さんの家の中は、うちと違ってとてもきれいに物が整理整頓されていた。いつ帰ってきてもいいように、電気もガスも水道も、まだ通っていた。

  「よろしかろうよ!なあ、チャトラ!!」

  チャトラは、日寺さんの家の中を、初めて見るものだらけだったのが、新鮮だったのか?興味深そうに、ウロウロと歩き回っていた。

  「猫みたいに、トイレの仕方、覚えるかなぁ……?」

  僕の家の離れの納屋の中は、チャトラの粗相(そそう)で、大変な事になっていたから、僕は、動物園の飼育員さんになって、それらを、掃除して山の中に埋めていた。

  「だけど、お前は、どっからこんな田舎に来たんだぁ?」

  僕が、不思議に思って何度かチャトラに同じ質問を投げかけた事が有るけど、本当に、それは、謎だった。

  「あの、変なUFOみたいなのに、乗っかってきたのかぁ?」

  「グルルルル……」

  「お前、グルルルルしか、言わねえじゃんよ!!まあ、トラの赤ちゃんだから、仕方ねえか!」

  「グーッ!」

  「日寺さん、家財道具全部置いてったんかあ……」

  僕は、今、この空間に人が住んでいない事を少し不思議に思いながらも、何でもそろっているこの家なら、チャトラを育てられるし、たまに、夜中なら、近くを散歩も出来ると思っていた。

  「グルルルル、ガッ!」

  チャトラは、日寺さん家の座布団が気に入ったらしくて。ひたすらに座布団と格闘して遊んでいた。

  「よ~し、ミルクをたくさん作ってやるぞ~!!」

  もう慣れたもので、僕は、手早くミルクを温めて、変なペットボトル式哺乳瓶を使ってチャトラにミルクを、たっぷりと飲ませてあげた。

  それから、僕とチャトラと座布団は、嫌(いや)って程遊んで、僕とチャトラは、疲れきってしまって、そのまま、電気をつけたまま畳の上で、眠ってしまった。座布団は、くたびれた様子で、ぐったりとしていた。

  いつまでも、こんな状態が続くのは、到底無理だと僕は、本当は、分かっていたのかも知れない。それでもいいから、今は、チャトラと一緒にいる時間が、何よりも愛おしく感じられて、心が暖まって幸せな気分に、僕をそうさせてくれていた。

  「太一郎!!お前、どうゆうつもりだっ!!」

  夢の中で、僕は、誰かにそんな事を言われたような気がした……

  

  日寺さんの家で、チャトラを飼っていたんだけど、チャトラは、案の定、家の中のあちらこちらで、粗相をしてしまった。

  日寺さん宅に、定期的に様子を見に来ていた亀(かめ)戸(いど)さんが、お気に入りの座布団の上で、スヤスヤと眠っているチャトラを、発見してしまったんだ。

  「トラが、まだ赤ん坊みてえだけど、トラが、日寺さんの家の座布団の上で寝てたっ!!」

  亀戸さんは、すぐに村長に報告に行ったらしい。

  「亀やん、それは、有り得ねえがよ!!トラの赤ちゃん!?なして、こんな富山県の南砺(なんと)市(し)の平地域の高草峰に、トラが居るんが?あれだよ、あれ、小谷山の山頂付近にある、猫(ねこ)池(いけ)!!猫のお化けでも、見たんだろうがっ!!」

  「いんや、村長さん、本当におったが!!あれは、猫なんかじゃあねえ!!間違いなくトラだよ!トラの赤ちゃん!!」

  村長の屋敷(やしき)さんは、タバコに火を点けて、煙をしこたま吐き出して、しばらく考え込んでいた。

  「それで、太一郎が、何で関係あるんが?」

  「あいつが、あのトラを匿(かくま)っている。日寺さんの家の中は、トラの糞(ふん)で、そりゃあ、臭えなんてもんじゃあなかった。ここ数日、日寺さんの家を出入りする太一郎の様子を、村人たちが、何人も見ている!」

  「太一郎が……?日寺さんの家を出入りしとるがか?」

  「うん、間違いない!!」

  「それで、そのトラの赤ちゃんとやらは、今、どこで何しとる?」

  タバコを根っこまで、吸い尽くした村長の屋敷さんは、やっとこさと重い腰を上げた。

  「多分、まだ、日寺さんの家の中にいる!太一郎も呼ぶ出すか!?」

  亀戸さんは、相当興奮している様子だった。

  「な~ん、本当にそんな事があるんか?俺が、日寺さんの家の中へ、確かめに行く!!」

  村長の屋敷さんは、家の奥から猟銃を持ってきて、ジャンパーを羽織って、外に出た。

  「な~んもない、この村に、そんな事が……?」

  「村長、気を付けんと!赤ん坊って言ったって、トラだから!!」

  村長と、亀戸さんは、表情を強張らせて日寺さんの家に向かって歩き出した。

  その日、僕は、学校の授業が終わって、例によって一人で勉強するからと友達に言って、一人で走って学校を飛び出して、チャトラのいる日寺さん家に向かった。

  「チャトラ、大人しくしとれよ……」

  「バーン!バーン!!」

  小谷山の方から、猟銃の音が立て続けに二発、鳴り響いた。

  「チャトラ!!」

  僕は、一瞬立ち止まって、混乱しそうな頭の中を整理していた。

  「猟銃の音なんて、滅多に鳴らないのに……」

  僕は、急いで日寺さんの家に向かうために、ちょっと危険な裏道を使う事にした。

  日寺さんの家の前には、村長さんと亀戸さんが、まるで僕を待っていたかのように、二人で立ち尽くしていた。

  「村長……亀戸さん……」

  「太一郎……お前、なんで、日寺さんの家に出入りしていたんだ……?」

  「あの……さっきの猟銃の音は……?」

  村長が、手に持っていた猟銃を、いきなり空に向かって一発、引き金を引いた。

  「バーン!!」

  「これか……?」

  僕は、チャトラが心配になって、二人の間をくぐり抜けて、日寺さんの家の中に入った。

  「チャトラ!!」

  チャトラは、どこにもいなかった。あの臭くてしょうがなかった粗相した糞の臭いも、大好きだった座布団も、最初に日寺さんの家の中に入った時と同じように綺麗に整理整頓されて、僕や、チャトラが、遊んでいた形跡もまるで残っていなかった。

  「太一郎……」

  村長さんが、猟銃を地面に置いて、僕の方に近寄ってきた。

  「お前……本当にトラを、見たのか?」

  村長さんは、亀戸さんに目配せをして、亀戸さんは、

  「じゃあな、太一郎!!」

  とだけ言って、その場から立ち去っていってしまった。

  「僕は、確かにトラの赤ちゃんを、ここに連れてきました……」

  村長さんと二人きりになった僕は、チャトラとの出会いから、今日までの出来事を、事細かに村長さんに説明した。

  「う~ん、不思議な事が、有るもんだなぁ……」

  村長さんは、僕に気を使ってくれて、僕の前では、タバコを我慢してくれているような気がした。

  「父ちゃんと、母ちゃんは、知っているのか?」

  「いえ、知らないはずです……」

  僕は、少しだけ落ち着きを取り戻していた。

  「まあ、何というか……子供にしか見えない世界ってもんが、この世には、有るって言うし……だけどな、太一郎。亀戸も確かにここで、トラの赤ちゃんを見たって。そう言うんだよ!!しかし、こんな北陸の寒い地域に、トラなんて、いる訳ないがになぁ……」

  その日は、村長さんと一緒に山を下りて、家に着いたら、村長さんが、お父さんとお母さんに事情を説明してくれていた。

  「ほんに、うちの太一郎が、お騒がせして申し訳ありません。良く言って聞かせますから……」

  「いやいや、そんなに大した事じゃないがぁ。太一郎も、悪い子じゃないのは、ワシらもよ~知っとる!だから、そっとしておいてやってくれんか?」

  「ありがとうございます!村長さん……」

  お父さんとお母さんは、猟銃を持って帰っていく村長さんに深々と頭を下げていた。

  その日は、夕食の時間もお父さんとお母さんは、僕と何も会話をせずに、お通夜のような夜だった。

  「太一郎、今日は、お風呂に入って早く寝られ!少し疲れとるんやろう……」

  お父さんに、そう言われて、僕は、素直に頷いて、その言葉通りに風呂に入って、早めに布団に入って、眠る事にした。

  「チャトラ……どこに行ったんだ……?」

  僕は、何度か心の中で、そう呟いていた。でも、本当に僕は、チャトラを育てようとして、日寺さんの家の中に入ったんだ。そんな事を考えているうちに、僕は、少し疲れていたのか?深い眠りに落ちていった。

  十数年後、僕は、東京の大学に進学した。

  慣れない都会での生活も、過ぎていく日々の中で、「住めば都」となり、大学二年生になった頃、僕は、生まれ育った北陸の富山県に帰省した。

  帰省した次の日の朝、僕は、もう無くなっていた納屋の跡を見て、ふと思った。

  「あそこに、行ってみよう……」

  幼い頃に見た、飛行物体が、落下した、あの場所だ。

  「確か、この辺だったな……」

  その時、何かが蠢(うごめ)くような、音がした。

  「イノシシかな……?」

  僕は、音のする方へと、慎重に歩いて行った。

  「グルルルル、グルルルル……」

  何かが、独特の鳴き声を放っていた。

  僕は、もう忘れかけていた、チャトラの事を思い出した。

  「チャトラ!!」

  僕は、一度だけ、忘れてなんかいなかった、その名を、叫んだ。

  山の、茂みの中から、一匹の大きなトラが、その雄姿を静かに現した。

  「チャトラ、なのか……?」

  僕は、その大きなトラに向かって、話しかけてみた。

  「グルルルル……」

  次の瞬間、その大きなトラは、ゆっくりと何かを確かめるように、僕に近づいてきた。

  「チャトラ!!」

  僕の声に反応した、その大きなトラは、走って僕の方に、向かってきた。

  「グルルルル!」

  「チャトラ!!お前、やっぱり生きていたんだな!?ここで、この山の中で、ずっと生きていたんだな!!」

  「ガーッ、グルルルル……」

  チャトラは、僕に抱きついてきた。思わず、押し倒された僕は、チャトラの名前を呼び続けた。

  それから、しばらくの間、僕とチャトラは、あの、子供の頃のようにじゃれ合って一緒に遊んだ。

  しばらくすると、チャトラは、僕の元を離れて、茂みの中に戻っていった。

  

  東京に戻った僕は、大学生として何不自由なく楽しいキャンパスライフを、送っていた。

  ある日、テレビのニュース番組を見ていたら、北陸の富山の山中で、発見されたトラが、村人によって、射殺されたと言うニュースを見てしまった。

  「チ、チャトラ……?」

  射殺されたトラの映像が流れた。

  鼻先が、茶色い大きな、立派なトラだった。

  僕は、今でも不思議な感覚に陥る。

  それは、時として僕を悲しませたけれど、幼い頃のチャトラとの思い出が、僕の心の中から、消える事は、なかった。

  チャトラは、僕の事を覚えてくれていた。

  だから、僕も、チャトラの事を、一生忘れる事は、ないだろう。

  「グルルルル……」

  僕は、チャトラの鳴き声を思い出して、涙がこぼれない様に天井を見上げ続けていた。

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