Ad
カレンダーの端っこに描かれた肉球マークを見て、俺はぼんやりと呟いた。
「そう言えば、今日は猫の日だったな……」
そんな平和な独り言を打ち消すように、ノックもなしに部屋のドアが開く。入ってきた妹の頭には、あからさまにふわふわした「それ」が鎮座していた。
「お兄ちゃん、大変。猫耳生えちゃった」
「……はいはい。猫の日だからって気合入ってんな」
呆れて返したが、妹の表情は妙に真面目だ。彼女は俺のそばに寄ると、手鏡をスッと差し出してきた。
「お兄ちゃんだって……ほら、自分の顔見てみなよ」
「何言ってんだ。俺には生えてないぞ……ん?」
鏡を覗き込む。最初はいつも通りの見慣れた顔だった。だが、耳が尖り始めたかと思うと、みるみるうちに黒い毛に覆われていく。
「な、なんだこれ!? 耳が、俺の耳が!」
「あはは、引っかかった〜!」
俺がパニックに陥ったのを見て、妹はケラケラと笑いながら自分の頭についていた猫耳……いや、猫耳カチューシャを外した。
「実はね、ネットで見かけたやり方で、鏡に『見ると猫になる魔法』をかけておいたんだ。大成功!」
「ふざけんな、さっさと元に戻せ! 笑い事じゃないぞ!」
怒鳴りつけた瞬間、ズボンの後ろに違和感が走った。ブチブチと布を突き破る音がして、しなやかな長い尻尾がコンセントのコードみたいにうねり出す。
「いいじゃん、今日は猫の日なんだし。可愛いよ?」
「よくない! このまま猫になんかなりたくないんだよ!」
必死に訴える俺の頬に、今度はピンと硬い感触が走った。鏡の中の俺には、立派な猫のヒゲまで生え揃っている。
「……っ、おい! 早く解けよ、この魔法!」
「わかった、わかったって。しょうがないな。待ってて、今戻し方調べるから」
妹はスマホを取り出し、先ほどのページを履歴から開き直そうとした。だが、彼女の指がピタリと止まる。
「……あ、やべ」
「『やべ』ってなんだ。早くしろ」
俺の鼻がピンク色に変わり、視界が少しずつ低くなっていく。手には肉球がぷっくりと盛り上がり始めていた。
「さっきのページ、消えてる。……っていうか『いたずら成功を確認したら、このページは自動的に消滅します』だって。あちゃー」
「あちゃー、じゃないだろ! どうすんだよこれ!」
「まあ大丈夫だよ」
妹は完全に猫の姿(サイズは子猫ほどだ)になった俺をひょいと抱き上げると、その喉元を優しく撫でた。
「私が大事に飼ってあげるから。ね、お兄ちゃん?」
俺の口から出た抗議の声は、もはや言葉にはならず、情けない「なー」という鳴き声になって部屋に響いた。
翌日には戻っていたものの、しばらくは鏡を見ると猫耳と尻尾が生えてくるようになってしまったのはまた別の話。
Ad