Ad
窓の外はオレンジ色に染まり始め、誰もいない教室には静寂が広がっていた。……はずだった。
「なあ健介、これ、手伝ってくんない?」
目の前の机にドサリと置かれたのは、色とりどりのラッピングに包まれた紙袋の山。主は、クラス一のモテ男、瑠斗だ。バレンタインの今日、彼は女子たちの好意という名の「物資」を浴びるほど受け取っていた。
「独り占めは贅沢だろ。俺一人じゃ、一生かかっても糖分過多で倒れる」
瑠斗は苦笑いしながら、一番上にあった箱を開けた。高級そうなトリュフチョコが並んでいる。俺は「悪いな」と言いつつ、彼と向かい合って座り、一粒口に放り込んだ。
「……うまっ。これ、手作りか? 店のやつみたいだ」
「だろ? こっちの生チョコもいけるぞ」
二人で他愛もない話をしながら、次々とチョコを消化していく。だが、数分が過ぎた頃だろうか。俺は瑠斗の異変に気づいた。
「……瑠斗、お前、髪にゴミついてるぞ。っていうか、耳……?」
瑠斗の耳が、ぐにゃりと形を変えていた。端が上へ向かって鋭く尖り、短い毛がふわふわと生え始める。
「え? 耳?」
瑠斗が自分の頭に手をやった瞬間、今度はズボンの後ろが、バリッという音を立てて弾けた。そこからしなやかな、長い尻尾が飛び出し、猫のようにパタパタと左右に揺れている。
「な、なんだこれ!? 身体が熱い……」
瑠斗の瞳が縦長に裂け、頬にはうっすらと髭のような模様が浮き出る。どんどん「猫」へと変貌していく親友の姿に、俺は戦慄した。
……いや、待て。
俺の頭にも、妙な違和感がある。
「えっ、待って。俺もこれ、食べちゃったんだけど……」
慌てて自分の耳に触れると、指先にツンとした尖った感触があった。俺の耳も、瑠斗と同じように形を変え始めている。視界が低くなり、全身にザワザワとした感覚が走る。
その時だった。
ガラッ!
教室の扉が勢いよく開き、一人の女子生徒が立っていた。園芸部の、いつも物静かな先輩だ。しかし今の彼女の目は、獲物を狙う肉食獣のように鋭い。
「……ちょっと、計算違いなんだけど」
先輩は、山積みのチョコと、中途半端に耳が生えた俺たちを交互に見て、忌々しそうに舌打ちした。
「それ、特製の『猫化チョコ』。瑠斗くんを可愛い猫にして、私だけで独り占めするつもりだったのに……」
「独り占め……? 先輩、何言って……」
瑠斗が掠れた声で問い返す。
「あんたが健介くんなんかに分けるから、成分が分散しちゃったじゃない。二人とも、せいぜいその『中途半端な姿』でバレンタインを楽しめばいいわ」
先輩はそれだけ言い残すと、嵐のように去っていった。
静まり返った教室。俺と瑠斗は、尖った耳をピクピクと動かしながら、顔を見合わせた。
「……健介、俺の顔、変か?」
「お互い様だよ。……つーか、これ、いつ治るんだよ……」
俺たちのバレンタインは、甘いチョコの味どころではなくなってしまった。
Ad