ケモホモ男子寮(公認)に放り込まれた俺の受難な高校生活11

  寮の食堂には、よく多くの寮生たちがたむろしている。グループ毎にテーブルに固まって、物を食べたりゲームをしたりしながら談笑している様子を毎日のように見かける。実際寮生たちが気軽に集まれる場所といったら、各々の部屋か食堂くらいしかない。特に会う予定もないまま、気軽に訪れたら誰かしら知り合いがいる、談話室のような役割としてうってつけの場所だった。ただ俺に関して言えば、そんなに顔が広いタイプじゃないので、来るときは大体こーすけと一緒だ。つまり今の状況はどちらかと言えば珍しかった。

  単に部屋のごみを食堂の大きなゴミ箱に捨てにきただけだったが、既に食堂にいた三年生に話しかけられることになった。

  「おい渡嘉敷。二年の桑原呼んで来てくんね?」

  「え?…………桑原…………?」

  なかなか量が入っているゴミ箱を上から押し込んで圧縮していると、三年生の豚獣人の先輩に言われる。これまでもまぁ誰かしらに何回かパシりにされることはあったが、聞き慣れない名前に思わず聞き返した。

  「用事あんだけどさ、俺顔も覚えてねぇくらい知らないから。頼むわ」

  「あっ、はい…………桑原………………」

  いくら他の二年生たちとあまり接点のない俺とはいえ、流石に数ヶ月生活している内に名字くらいは覚えたつもりだった。寮生もそんなに数は多くないはずで、顔も思い出せない方が珍しい。同級生に桑原なんていたっけ……と疑問に思いながら、ゴミ箱の蓋を閉める。

  「あんた後輩バシッてんじゃないわよ。それくらい自分で行きなさい?」

  すると近くに座っていたあやめ先輩が豚獣人の先輩をたしなめる。そちらを見れば、手前に手鏡を置いて自分の顔にメイクをしている様子が写った。あやめ先輩がこんな時間に食堂でメイクをするのも珍しいけれど。

  「………はいはい、分かったよ」

  不服そうだが従順に、豚獣人の先輩はそのまま踵を返して出口の方へ歩いて行った。同級生とはいえ三年生はどこかあやめ先輩には逆らえないようで、こういった場面は度々遭遇する。特に従う理由なんてないはずだけど、あやめ先輩の優しくて誠実な人柄が成せることだろう。現に俺もこうして助けられている。

  座っているあやめ先輩に近づきながら声をかける。

  「……先輩ありがとうございます」

  

  「いいのよそんな。パシろうとする方が悪いんだから」

  チラリとこちらを見てからすぐ視線を戻し目元になにかを塗るあやめ先輩。メイクをしている理由も気になるが、桑原のことも気になった。

  「あやめ先輩は……桑原って知ってますか?」

  「うーん誰だったかしら……名前は聞いたことあると思うけど、顔が出てこないわねぇ」

  あやめ先輩も知らないのか。二年生ということは一年以上在籍しているはずなのに、三年生が二人も顔が分からないなんてことがあるのか。よほど目立たないというか、影の薄い人物らしい。逆に興味が出てきたが、これ以上掘れる話題でもないだろう。

  先輩が座っている一年生のテーブルに腰かける。実はここが一番テレビに近くて、見やすいポジションだった。

  「先輩はなんで今………メイクしてるんですか?」

  「え?決まってるじゃない!今夜は花火大会だからよ。トーカちゃんも行くでしょ?」

  メイクを止めて驚いたような顔をするあやめ先輩。黒豹獣人の滑らかな黒毛から、丸く開いた白目が浮き立つ。

  あぁそうか、そういえば今夜だっけ。7月5日、近所の沙良川である花火大会に、浮き足立っている寮生は多いかもしれない。俺自身も楽しみじゃないわけではないが、お祭りへの知識が薄いせいで、どんな心構えでいればいいかよく分からない感じだ。こーすけからもちゃんと聞いていなかったから、あやめ先輩に詳しく教えてもらおうか。

  「花火大会って、そんなにすごいイベントなんですか?」

  「まぁ夏の風物詩よねぇ。沙良川はそんなに大きな祭りじゃないんだけど、それでも花火は綺麗よ。恋人と行けたら最高なんだけど」

  「…………俺、打ち上げ花火ちゃんと見たことなくて」

  「あらもったいない!じゃあ今夜は絶対行った方がいいわ」

  生で見るとそんなに綺麗なのか。心は女性で美しいものが好きなあやめ先輩が言うなら、興味が湧いてきた。まぁどちらにしろこーすけに連れていかれることになってただろうけど。

  「でも、夜間外出って校則的に大丈夫なんですか?」

  「学校が認めてるイベントだから大丈夫よ。その代わり基本は集団行動だし、教師も同行するの。あんまり自由にはできないけど、十分お祭りは楽しめると思うわ」

  先生もいるなんて初耳だ。確かにそれなりの人数の寮生を、寮監一人で見守るのは無理か。先生がいるならなおさら安心だ。

  「…………出発7時じゃありませんでした?まだ5時半すぎとかですけど」

  それにしても気合いの入ったメイクをしているあやめ先輩に、疑問をぶつけてみる。直後、キッとした目で見つめられる。

  「"もう"5時半よ!!お祭りといったら浴衣でしょ?私だけならともかく全員分間に合うかしら……」

  「…………全員分?」

  俺が聞き返したタイミングで、黄金色のふわふわの毛皮が近づいてきた。視界に入って声をかける前に向こうから話しかけられる。

  「先輩方お疲れ様です!あやめ先輩もうメイクされてるんですね……」

  「あらシバちゃん!当たり前よ。一年に一度のイベントだもの。楽しまなきゃ」

  上柴もどうやら上機嫌なようで、尻尾を緩やかに振りながらそっと俺の隣に座る。思えば俺が座っているとこは普段篠崎がいる席だった。

  「あ、あの渡嘉敷先輩………よかったら、今日一緒に回りませんか?」

  上柴はニコニコと微笑みながらも、少し照れくさそうに尋ねる。しかし質問の意味がよく分からない。

  「…………回る?何を?」

  「出店よ。お祭りは屋台がたくさん並んでて、料理とか飲み物とかが売ってるの。花火の時間までは屋台を回るのが祭りの醍醐味よ」

  「そうです!僕お祭りの屋台好きなので………も、もし良かったらでいいんですけど…………」

  要するに一緒に遊ぼうということか。祭りは初めてだから、当然知ってる人に着いていきたい。上柴なら安心だし、断る理由もない。

  「あぁ、いいよ。一緒に回るか」

  「ホントですか!」

  すごく嬉しそうに笑う上柴に和んでいると、あやめ先輩が気まずそうに口を挟む。

  「………………言いにくいけど、今日トーカちゃんは大人気じゃないかしら。久郷田もこーすけちゃんもシノちゃんも着いてきそうだけど」

  「も、もちろん二人きりじゃないですよ……!あでも、篠崎くんは今日行けないんです」

  「え?なんで」

  意外なことに驚いて聞き返す。祭りとかそういうイベントは、篠崎なんて特に好きそうだけど。

  「期末テストで赤点取っちゃったんです。寮監に聞いたら、行っちゃダメって言われたらしくて……」

  「あら、残念ね。でも決まりだから仕方ないわ」

  その話に内心ドキッとする。ちょうど今週テスト返却があったが、数学が赤点ギリギリだったからだ。なんとか回避したものの、ぶっちゃけ運で取れたようなもので、次はもっと頑張らないといよいよ赤点になってしまう。みんなが楽しんでる中寮に居残りは精神的になかなかキツい。篠崎は落ち込んでるだろうな。

  「あやめ先輩は誰と回るんですか?」

  テストの話を頭から追い出すように、あやめ先輩に話を振る。

  「もちろん友達とよ。女子寮の子も来るし、通学の子とも約束してるの。シバちゃんみたいに彼氏もいないしねぇ」

  「……っ、からかわないでください…………」

  「え?上柴彼氏いるのか?」

  「いないですっ!もう………………ほんと………」

  顔を赤らめる上柴に、ニヤニヤ笑うあやめ先輩。意味がよく分かっていない俺がもう少し詳しく聞こうとしたところで、またもや人が増える。

  「おぉーーあやめ気合い入ってんなぁーー」

  「入りすぎだろ。ケバくなんぞ」

  今度は壁のような二人組が現れて、相田先輩と久郷田先輩が口を挟んでくる。そのままあやめ先輩の両脇にドカッと座った。

  「うるさいわねぇ。今年の浴衣は派手目だからいいのよ」

  「やっぱり今年も着るんだなぁーー」

  「当たり前じゃない。他にいつ着るのよ」

  軽口を叩き合いながら仲良さげな三年生たち、それを見守る俺と上柴。やはり人数が増えると賑やかになっていいなと、爺くさいことを思う。

  すると久郷田先輩は向かいの上柴に水筒を手渡す。

  「おい上柴。これに水入れてこい」

  「あっ、はい!」

  上柴が慌てて席を立つのと同時に、あやめ先輩が久郷田先輩の肩を叩く。

  「アンタ、後輩顎で使ってんじゃないわよ!」

  「痛っ……いいだろ別に」

  「水くらい自分で入れろよなぁーー」

  先輩たちが揉めてる間にも、既に上柴は水道へ向かっていた。本当によく出来た後輩だ、俺もつい甘えてしまうことがあるから、気をつけようと思った。

  「ほんとアンタ地獄に落ちるわよ」

  「後輩パシったくらいで落ちてたまるか」

  「久郷田は累積で地獄行きだなぁー」

  緩く喧嘩しながら笑いあっている三人を見ながら、俺も自然と微笑んでいた。この三人は寮内でもかなり仲が良いし、久郷田先輩を叱れる数少ない組み合わせだ。でもそれを久郷田先輩も悪く思っていないようで、何気に尻尾を揺らしているところを何度も見かける。俺が蚊帳の外から鑑賞していたら、久郷田先輩に目をつけられた。

  「おい渡嘉敷。祭り行くんだろうな」

  「え?あ、はい」

  「じゃあ俺と回るぞ。利根川は置いてこい」

  相変わらず自分勝手な先輩にすかさずあやめ先輩がツッコミを入れる。

  「ホッント!もう!!」

  「痛っ、んだよ」

  「今のも久郷田が悪いなぁーー」

  「……あの、俺上柴たちと回るんで……」

  みんなで久郷田先輩をイジっている、賑やかな喧騒にさらに人が寄ってくる。今度は落胆している篠崎と平常運転のこーすけだった。

  「せぇんぱぁぁい…………今日祭り行くんすかぁ」

  「あ?行くよ」

  「俺と一緒に残りましょぅよぉおぉ」

  「嫌だよ、っ、離れろ」

  「先輩たち楽しそうですね。あ、あやめ先輩もうメイクしてる」

  「んー?篠崎もしかして赤点取ったのかーー?」

  「当たり前よ。こーすけちゃんお風呂入った?」

  「最悪っすよぉ、一教科しか落としてないのに……」

  「入りました。やっぱり今年もやるのかなって」

  「言っとくけど補習中は部活も出れねぇからな」

  もはや大人数で各々が会話を始めて、聞き取るのも大変になってきた。ちょうどそのとき上柴が帰ってきて、そっと隣に座る。

  「な、なんか大所帯になってますね……」

  「………みんな祭りでテンション上がってんのかな」

  「篠崎くん以外はそうでしょうね」

  苦笑する上柴と小声で話していると、あやめ先輩が周りの騒ぎに負けない大きめの声で呼びかける。

  「こーすけちゃんとシバちゃんは、点呼後すぐに私の部屋に来てね。出発まであんまり時間ないから」

  「え?何かあるんですか?」

  「上柴くんも浴衣着るでしょ?あやめ先輩にメイクまでしてもらおうよ」

  「えっ、また女装するんですか……?」

  驚く上柴に当然のように頷くこーすけとあやめ先輩。自らのみならず、後輩にも女装させるのが好きなあやめ先輩に、たまに上柴も付き合わされている。嫌々なのか多少は興味があるのか分からないが、半ば強引にやらされている感は否めない。

  上柴を見ると少し困ったように笑っていて、本人も悩んでいるらしい。

  「シバちゃん嫌?」

  「……い、今までは寮内でしたけど…………お祭りは外じゃないですか…………」

  「だからいいんじゃん。上柴くんの可愛さを見せつけてやろうよ」

  「ぇ………………うーん……………………」

  考え込む上柴に、二人はそれ以上追及する気はないようだった。確かに近所の人や先生にまで女装を見られるのはなかなか勇気のいることだろう。普段から女装しているあやめ先輩や、羞恥心のネジが外れてるこーすけには共感できないかもしれないが。

  「………………渡嘉敷先輩は、どう思いますか?」

  不意に話を振られ、慌てて答えを用意する。

  「上柴の好きなようにしたらいいんじゃねぇか?」

  「ぁ………………じゃ……なくて、先輩は………僕の女装姿見たいですか………?」

  上目遣いにおずおずと聞く上柴に、俺は少しの間頭を悩ませる。前に上柴の女装姿を見たときはあやめ先輩の部屋で人形のようにドレスを着せられていた。 元の顔立ちとあやめ先輩のメイクでかなり雌っぽくなっていて、声を聞くまで本人と気づかないほどだった。

  ………興味がないと言えば、嘘になる。

  「…………見たい………かな。あやめ先輩のメイクすげぇし……外でも上柴って気づかれないんじゃねぇか?」

  「そ、そうですか………………」

  上柴は悩ましい様子で首を傾げている。まぁ別に本人に嫌々やらせるつもりもないし、本当に好きにしたらいいと思う。

  考え込んでいる上柴をよそに、不意に後ろから強く抱き締められる。顔の横に飛び出してきたマズルは間違いなく狼のものだ。

  「センパイと祭り行きたかったっす…………」

  「おい離せ、食堂だぞ」

  「だってセンパイが俺の席座ってるんすもん……あっ、センパイ!屋台のたこ焼き買ってきてほしいっす!一緒に食べましょ!!」

  そういえば篠崎の席にいることを思い出して、退こうとするも上から強く体重をかけられて動けなくなる。居てほしいのか退いてほしいのかなんなんだコイツ、って思ったところで、点呼の五分前を知らせる音楽が鳴り始める。ガヤガヤと喋っていた各々のグループも、いつもの席に移動し始める。あやめ先輩のメイクはだいぶ仕上がったようで、三年生組もダラダラと席を立つ。こーすげは何も言わずに二年のテーブルへ向かっているし、俺も移動しなくちゃならない。背中に張り付いてる狼の脇腹に肘鉄を入れて、痛がってる隙に俺も立ち上がった。

  いつもの通りこーすけの隣に座ると、携帯を弄りながらも話しかけられた。

  「哲也も今夜行くでしょ?赤点取ってないよね?」

  「……取ってねぇよ。お前は女装すんのか?」

  「うん。そういえば俺の女装見るの初めてだっけ」

  「あぁ」

  あやめ先輩の趣味で、去年から度々こーすけも女装させられていたそうだけど、写真すら見たことがない。横目でこーすけの全身をチラ見して、女装姿を想像してみるも、俺は女子の服装なんて全く知らない。早々に諦めて、現物を見た方が早いという結論に至った。

  まぁただ、猫獣人は外見に雌雄の差が出にくい種族だ。他種族が外見だけで男女を当てるのは至難の技で、大抵は服装や匂いで判別することになるから、女子の格好をして香水をかけてしまえば見抜くのはほとんど無理だろう。体つきも全然筋肉質じゃないこーすけは、女装向きといえばそうなんだろう。

  「か弱い女の子をナンパ男たちから守ってね」

  「どこがだよ」

  俺のツッコミにニヤリとこーすけが笑みをこぼしたとき、食堂に寮監の声が響き渡った。いつも点呼はギリギリまで集合しきらず、6時越えることがほとんどなのに、今日は随分と集まるのが早い。やはり大半の寮生たちが今夜のイベントを楽しみにしているということだろう。

  何人かの頭越しに寮監の方を見ると、頭数を数えながらもどこか満足げだった。

  「はい!全員いるわねー!いつもこのくらいスムーズに集まってほしいとこだけど、まぁそれはよしとして」

  「無理に決まってんじゃん」

  横でこーすけがぼやく。

  「今日はみんな楽しみな花火大会です。出発は19時、帰宅は21時。事前に行かない人は連絡してもらったけど、体調不良等で行けない人は出発までに教えて下さい。とにかく誰が残って誰が行くのかはっきりさせたいの」

  この寮生たちのソワソワを見るに、ほとんどの人は事情がない限り行くんだろう。遠くのテーブルで項垂れる篠崎が視界の端にうつる。

  「私が引率してる間、窪塚先生が監督にいらっしゃいます。出発は19時だけど、ちゃんと5分前行動してね!以上です、じゃあ1時間後に!」

  寮監が口早に連絡を終えた途端、寮生たちは立ち上がって話をし始めた。静寂からいきなりガヤガヤと喧騒にまみれて、思わず黙り込む。こーすけもさっと立ち上がると、あやめ先輩の方へ歩いていった。

  あちこちで祭りの話題が上がり、楽しそうに声を弾ませる。そんなにみんなが楽しみなイベントだったなんて思わなかった。周囲の声に流されて自然と俺の期待感も高まり、何気なく尻尾がゆるりと左右に揺れた。

  

  「あーマジテンション下がるっす………………」

  悲痛な声が背後で聞こえて、俺を抱き締める腕に力がこもる。点呼のあと、こーすけと上柴があやめ先輩の部屋でメイクをすることになって、追い出された久郷田先輩と共に相田先輩の部屋に来ていた。俺の背もたれになっている篠崎はおまけだ。

  広いベッドの上に三人で座って、それを相田先輩が端から見守る。この構図になるのも何回目か分からない。落ち込んでる篠崎が俺を独り占めするように抱き締めてきて、横にはみ出た尻尾を久郷田先輩が絡ませてくる。夏だっていうのに暑苦しいことこの上ないが、相田先輩の部屋はいつも冷房が効いているからこそ、甘んじて受け入れている。

  「…………お前が悪いんだろ」

  「そうっすけど………あぁぁセンパイと花火………」

  「まぁまぁ篠崎ーーお土産買ってきてやるからー」

  「たこ焼き一緒に食べましょうね……センパイ……」

  「っ、痛ぇよ。力抜け」

  いつも明るくてうるさい篠崎がここまで落ち込むとなると、相当祭りに行けないのがショックらしい。首元にマズルを突っ込まれてしきりに匂いを嗅がれるのも、段々と慣れてきた俺がいる。

  久郷田先輩は会話に参加せず、腕を組んだまま固く目を閉じていた。絡まった尻尾からじゃ起きてるのか寝ているのかも分からない。

  「相田先輩は誰と行くんすか?」

  篠崎の質問に、相田先輩はのほほんと答える。

  「彼女だよーーー」

  「えーー羨ましいっす。通学の人なんすよね?」

  「そうーーーせっかくだから誘ったんだーー」

  相田先輩は稲光には珍しく異性の恋人がいて、絶賛ラブラブ中らしい。たまに惚気話を聞くことがあるが、高校生らしい絶妙な距離感で付き合っていて、俺からしても憧れる関係性だった。確かに女の子と一緒に祭りに行けたら、何かしらドキッとするようなことが起こる気がして、縁遠い俺も羨ましいと思った。

  放っておくと惚気話が始まってしまうので、俺も先輩に話を振る。

  「通学の人も来るんですか?」

  「近所の人はねーー。沙良川はそんなに大きい祭りじゃないから、わざわざ遠くからは来ないかなーー」

  「あっ!もしかして秋祭りとかってあったりします!?」

  「あるかもだけど寮生が外出できるのは今日だけだぞーー」

  唐突に元気な声になった篠崎が、一瞬でまた落ち込んだ。またすぐに機会があればいいが、年に一度きりのイベントらしい。

  特に話す話題も無くなって、少しの間沈黙が訪れる。とはいえ気まずいどころか篠崎は俺の手を探し出して繋ごうとしてるし、相田先輩は携帯を見ている。この空気に慣れた自分は、ずいぶん絆されてしまったように思う。

  すると篠崎の手がスルスルと俺の体を這い回り、撫でるような手つきから厭らしい手つきへと変わっていく。シャツの隙間から入り込んできた手が、俺の胸元をまさぐろうと動いてきたところで、俺はため息をついて一言呟く。

  「…………久郷田先輩、」

  ビクッと篠崎の体が反応して触っていた手が取り払われた。相変わらず俺のことを離してはくれないようだが、邪な考えは捨てたようだ。

  こうやって二人いるときにどちらかの名前を出せば、お互い過剰なスキンシップはできなくなる。三人で決めた約束はちゃんと効力を発揮しているらしく、俺はフン、と鼻をならした。

  名前を呼ばれた本人は起きる気配もなく、瞑ったままの目は開くこともない。疲れてるのか知らないが、そっちの方がありがたい。

  「……………そういえば、こーすけたち浴衣着るんですよね。あやめ先輩って三着も持ってるんですか?」

  相田先輩に視線を向けると、ちょうど大きなあくびをしたところだった。小型獣人くらいなら食べてしまうかもしれない。

  「ふぁぁ…………あやめの実家は呉服屋なんだよーー」

  「呉服屋って、着物屋さんすか?」

  「じゃあ実家から送ってもらったんですね」

  今の時代、着物や浴衣を持っているのは珍しい。田舎者の俺ですら、じぃちゃんが昔着てたやつしか見たことがなかった。

  「それにあやめは日本舞踊習ってたんだよなーー」

  「……確かにあやめ先輩って、姿勢いいですよね」

  「雌っぽいのはそれのせいかもなーー」

  「相田先輩の実家は何してるんすか?」

  「家はただの会社員だよーー」

  それから話は家族の話題になった。相田先輩には年の離れた弟がいるらしく、携帯で写真も見せてもらった。家族全員セントバーナードの家系で、幸せそうな一般家庭だった。

  すると今度は久郷田先輩の家族の話になる。仲の良い相田先輩もほとんど知らないらしく、当の本人は寝ているため憶測が飛び交う。俺は一度デートのとき少し聞いたことがあったため、それを基にあれこれ勝手な想像をしていた。確か年の近いお姉さんがいて、家族の中で唯一仲が良いとかなんとか。

  そしてもちろん篠崎の家族の話になるのは自然なことだった。

  「俺ん家は姉ちゃん二人とも普通のOLっすよー」

  「歳はーー?」

  「一番上はアラサーっすよ。もうおばさんなのになかなか結婚できないんすよねぇー」

  篠崎は親がいない代わりに、歳の離れたお姉さんに育てられたと言っていた。兄弟のいない俺にはそんなの全く想像できないし、それだけ歳上だとどんな関係性になるのかも分からない。ましてやお姉さんって、どんな存在なんだろうか。

  「お姉さんがいるって、どんな感じだ?」

  俺がそのまま質問すると、後ろの篠崎はぎゅっと俺を抱き締めてきた。

  「めっちゃ歳上なんで若い母親みたいな感じっすよ。それより俺は近い年の兄ちゃんが欲しかったっす」

  「寮はお兄ちゃんだらけだろーー?」

  「でもこの寮狼全然いないんすよねぇ……だからセンパイが余計に好きなんすよー!」

  「二年の田村も狼獣人じゃなかったかーー?」

  「田村センパイD系タチじゃないすかー俺はセンパイみたいな細マッチョ好きなんで」

  「…………結局俺かよ」

  俺と篠崎の様子を相田先輩は微笑ましく見守っている。端から見ればイチャイチャしてるように見えなくもないが、あくまで一方的であることは理解してほしい。初めの頃に比べ、だいぶ気を許してるなとは自分でも思うんだけど。

  ………ただそれも仕方ないと感じていた。どれだけ苦手な相手でも、三ヶ月間毎日抱きつかれながら好き好き言われたら、距離が縮まるのはしょうがない。これだけ好意をぶつけられて全部はね除けられるメンタルの人なんているんだろうか。

  「渡嘉敷の家族はどんななんだーー?」

  相田先輩に話を振られ、一瞬頭を悩ませる。家庭環境が複雑なことは適当に濁した方がいいだろうか。

  「…………俺はじぃちゃんと二人暮らしで、じぃちゃんは島からほとんど出たことがないんですよ。若い頃は戦争に行ってて、それからは郵便局員でした」

  「へぇーすごいなぁ戦争経験者なんてーー」

  「って言っても終戦間近だったので、銃を握ったことはほとんどなかったらしいですよ」

  じぃちゃんは狼獣人だからか生まれつきか、体も大きく力も強かったため、少年兵として戦争に参加したそうだ。細かい話は聞いたことがないけど、戦艦に乗ったことがあるとか言っていた。

  「センパイのおじいさんならめっちゃカッコ良さそうっすけどね!」

  「若い頃の写真は少ねぇけど……たしかに男前だったかもな」

  「九州男児はカッコいいよなーー」

  まぁとはいえじぃちゃんがモテていたとは思えない。基本的に無口で口下手だし、真面目だけど頑固な性格だ。島にはそもそも狼の女性も少なかったはずだし、ばぁちゃんとはすぐにお見合い結婚したんだろう。尤も俺が知っているのはだいぶ高齢になってからの姿だけど。

  すると相田先輩に簿かしていた部分を突っ込まれる。

  「渡嘉敷の両親は、やっぱり捕まったのかーー?」

  「ちょっ、相田センパイ……」

  「……いや、いいよ別に。そうっすね……多分。じぃちゃんは何も教えてくれなかったので」

  相田先輩はのんびり優しい人だと思ってたので、デリケートな質問を直球で聞かれたことに少し驚いた。

  「デリカシーない質問で悪いなぁーでも渡嘉敷はあんまり気にしてなさそうだったから」

  「いいですよ、ホントに気にしてないです。何も知らないのでアレですけど……」

  「……じゃあまだ刑務所にいるんすかね……?」

  篠崎の問いかけに少し思考を巡らせる。両親が今何をしてるのかたまに考えることがあるが、当然分からず仕舞いだ。逮捕されたことは確実で、服役していたことも事実のはずだが……

  「ハーフ罪の懲役って長くて10年くらいだろーー?もう出てきてるんじゃないかー」

  「えってことは東京にいる可能性もあるんじゃないすか!?」

  「………………あぁ」

  ハーフ罪で出所したあとの親の行動はまちまちらしい。昔気になって調べたことがあるが、産まれた子供の元に戻るケースは4割程度らしい。残りは大体子供のことなんか放っといて、赤の他人として生きていく。親権が無いからそれも当然といえば当然なんだけど。

  もし両親が俺に会いたいなら、出所してすぐに島に来れば会えたはずだ。この6年間何の音沙汰もないってことは、会うつもりはないんだろうな。

  「渡嘉敷は会いたいのかーー?」

  「………………いや、どっちでもいいです。顔くらい見たいかもしれないし、見たらぶん殴るかもしれないし」

  「…………………………センパイ」

  篠崎はまるで慰めるかのように優しく手を握ってきた。気持ちはありがたいが全く落ち込んでもないのでそっと振り払う。

  正直両親を目の前にしたら自分がどんな反応をするか全然想像がつかなかった。嬉しいのか、悲しいのか、怒るのか泣くのか何も分からない。相手の雰囲気次第になるかもしれない。それくらい俺には未知数だからこそ、会いたいとも思わなかった。

  「俺にはじぃちゃんがいるんで……島の人たちが家族みたいなもんですし」

  「いいなぁ、それ」

  相田先輩は和やかに微笑みながら、数回尻尾を振った。親なんかいなくても、俺はうまくやってる。そりゃちょっと不便なことはあるけど、大丈夫だ。

  「…………なんだよ篠崎。俺も家族になるっすーみたいなこと言わねぇのかよ」

  やけに静かになってしまった篠崎を茶化してみる。後ろなので表情は分からないが、背中越しにゆっくりとした鼓動の音は聞こえている。なんか繊細な部分に触れたのか?と疑問に思っていると、急に強い力で思いきり抱き締められた。

  「っ、痛」

  「俺もセンパイの家族になるっす……!死ぬまで一緒にいましょうねセンパイ……」

  体が痛みを感じるくらい強めに抱かれて、自然と空いた手で篠崎の脇腹に肘鉄を入れた。ドスッと鈍い音がして呻き声が聞こえると、腕の拘束が外れて俺はベッドから立ち上がった。

  「うわぁーー重」

  「…………なら祭りに行けるようにちゃんと勉強するべきだったな」

  「ぁあぁああ悪魔ぁぁ………………」

  悲痛に項垂れる篠崎を放っといて、相田先輩に歩み寄る。長らく時間潰しをしているけど、どんなもんになっただろうか。

  「先輩、今何時ですか?」

  「えーとーーー15分前だなぁーーちょっと早いけどそろそろ行くかーー」

  「えっ!もう行っちゃうんすか!?」

  相田先輩はのんびりと立ち上がると伸びをしてから大あくびをして、徐にクローゼットを開けるとのそのそと着替えを始めた。別にそのままの格好でもいいように思ったけど、彼女さんと会うならオシャレをしたいんだろう。

  「部屋で待ってても退屈だからなーー久郷田起こしてくれるかーー?」

  「あ、はい」

  「もういっそ放っといて久郷田センパイも居残り組にしちゃいましょうよ」

  篠崎の妬みを無視して、静かに熟睡している久郷田先輩に近づく。牙が少し見えて強面が余計に迫力を増している。

  腕を軽く叩きながら何度か声をかけると、目をしばたかせて相田先輩にも負けず劣らずの大あくびをして見せた。

  「………………テツ………………………………じゃなかった渡嘉敷 ………花火は俺んとこで見ろよ」

  「……え?まぁ…………はい」

  久郷田先輩は開けきらない目で俺を見つめながら、ゆっくりと頭を撫でてきた。いつもより優しい手つきにされるがままにしていると、茶色い体が遮ってきた。

  「ちょっなんすか今の!!久郷田センパイ今下の名前で呼んだすか!!?」

  「………呼んでねぇ。鉄板焼って言おうとした」

  「篠崎落ち着け。先輩も早く起きてください」

  二人きり……とはいってもそうそうないが、久郷田先輩はたまにテツと呼んでくる。下の名前で呼びあってるのは今のところこーすけだけだから、仲が進展したように見えてしまうだろう。

  釈然としない様子の篠崎の頭を軽く撫でてやって中和したあと、着替え終わった相田先輩とあくびをする久郷田先輩たちと共に、少し早めに螺旋階段を下っていった。

  靴を履き替えて玄関から外へ出ると、既に寮監と数人の寮生たちが寮の前で屯していた。この時間に外に出るのは少し新鮮で、昼間よりも涼しい風と蒸し暑い空気が混ざった夏の夕暮れは、自然と俺の尻尾を緩く揺らした。夕日は見えないがまだ薄明かりが空を照らしてる。紫とオレンジが混ざったような雲を吸い込まれるように凝視していた。

  ふと周りを見れば、段々と人が集まり始めているようだった。寮生はまばらに集合し始めて、学校の方から教師たちも歩いてくる。

  「渡嘉敷ーー財布持ったかー?」

  「あっはい。あんま入ってないすけど」

  「お祭りはそんなに使わないぞーー小銭があった方が便利かもなーー」

  相田先輩はさっきの服から南の島のイラストが入ったTシャツに着替えていた。少しかわいらしいデザインだが、相田先輩の威圧的なデカさを緩和するには丁度いいだろう。

  久郷田先輩は列の先頭で、どうやら寮監と話をしているようだった。二人が喋っているところはあまり見たことがない。

  「久郷田は副寮長だからちょっと仕事があるんだよーー」

  俺の目線に気づいたのかそっと相田先輩が説明する。

  「そういえばそうでしたね。でも仕事とかサボるイメージでした」

  「ははーー久郷田はクズだけど責任感は意外とあるんだよなーー結婚したら大事にしてくれるぞーー」

  「………遠慮しときます」

  はははーと呑気に笑う相田先輩を見守りながら横目で寮の方を見た。あまり暗い時間帯に外から眺めることはないから、夜は暖色の灯りでライトアップされているのも気づかなかった。煉瓦の外壁に黄色っぽい電灯が当たって、ちょっとしたホテルのような、オシャレな外観になっている。そういえば、稲光は制服や建物の見た目にけっこうお金を使っていると聞いたことがあった。有名なデザイナーとかを雇って細部まで拘っているらしい。俺からしたらただの学校をそんなにオシャレにしたい理由は共感できないけれど。

  するとそのとき、寮の玄関から明らかに見慣れない異質な色をした姿の獣人たちが現れた。一瞬何かと思い二度見してしまったほどだ。しかしよく見れば見るほどそれは色鮮やかな服を着た女性たちだったのだ。

  まず先頭を歩いてきたのは、長身の黒豹獣人。艶やかな黒毛の上に、濃厚な紫色の浴衣を着ている。あちこちに金色の糸で蝶の刺繍がされており、派手さと共に大人びた印象を与えていた。高い腰元に巻かれた黒の帯に、蝶の形の飾りまで添えてある。手に持った扇子にも蝶の模様、全身を蝶で統一させているようだ。顔をよく見れば美しい毛並みにぱっちりと開いた目、マズルの付近は綺麗に毛が整えてあり、耳の付近にはこれまた蝶の髪飾りがついていた。足下の下駄まで丁寧にコーディネートされた、完璧に近い女装だった。

  次に後ろをついてきた猫獣人にも思わず驚かされる。女子高生らしいメイクで顔は完全に雌にしか見えない上に、色とりどりの風鈴が刺繍された水色の浴衣を羽織っている。首元を少し着崩してはだけさせ、そこからカラフルな三毛柄を覗かせていた。浴衣と元々の模様でかなり派手には見えるものの、それをきゅっと引き締める純白の帯が綺麗に映えて、全体的に凛として纏まっている印象を覚えた。

  そしてその後ろを遅れて駆けてくる、黄金色の狐獣人。フワフワとして尚且つ滑らかな毛並みは艶やかに整えられて、それでいてシュッと可愛らしい小顔。耳元に赤い花の髪飾りをつけ、白が混じったピンク色の浴衣を身に纏っている。腰周りは赤色の、二人とは違った種類の帯をつけて、その華やかさは三人の中で一番だった。

  三人ともどこからどう見ても女性だった。普段の面影は感じつつも、見違えるような変化に何度も注目してしまう。あやめ先輩のテクニックには相変わらず驚かされるところだ。

  「あやめ先輩、私も髪飾りつければよかったですかねー?」

  「あらいらないわよ。三毛とその浴衣で充分派手だし、ちょっとうるさくなっちゃうわ」

  「………ぁ、あやめ先輩…………み、みんなこっちみてます……」

  「当たり前じゃない。私たちが一番美しいわ」

  自信満々に歩くあやめ先輩とこーすけ、その後ろを恐る恐る歩く上柴。明らかに周りの寮生たちもそのクオリティに驚いており、注目の的になるのも当然だった。

  あやめ先輩はそのまま人混みを割って寮監の方へ歩いていき、こーすけと上柴はすぐに俺を見つけ近寄ってきた。近くに来た瞬間に香る、普段の体臭と違う香水の匂い。何とは言い難いが植物由来のハーブのような……こーすけの体臭と混ざって心地良い香りになっている。

  「哲也、どう?私の女装」

  こーすけは袖を持って広げながら首を傾げ、普段よりいくつかキーを上げた声で尋ねてきた。その自信たっぷりな顔に悔しくなったが、こればっかりは否定の言葉が見当たらない。

  「…………雌にしか見えねぇ」

  「そうじゃなくて。可愛い?」

  ずいっと一歩近づいて、俺の顔を上目遣いに見上げる。ぱっちりと丸い目に黒い瞳孔、いつも見ている筈の顔が別人に感じる。その上こーすけは声色を高くして、あたかも雌のように振る舞っている。見た目も雌、匂いも雌、声も雌。雄の部分を見つけることの方が圧倒的に困難だ。

  「……………………あぁ」

  「やった。じゃあ今日はお祭りデートだから、ちゃんと私をエスコートしてね??」

  にっこりと微笑んだこーすけには普段のいじわる変態男の面影は一切感じられない。なんだか異世界に来たような気分で、俺は頭をボリボリと掻いた。

  「…………せめて声だけは戻してくれ。なんか勘違いしそうになる」

  「えーしてくれてもいいのに…………まぁ俺はどっちでもいいけど」

  ようやくいつもの声に戻ったこーすけにホッとしつつ、改めてまじまじと全身を眺める。浴衣も皺一つなく綺麗に整っていて、メイクも完璧だ。気合いが入ってるとはいえここまでやるかと、あやめ先輩の本気度が恐ろしくなった。

  「哲也はいつもの黒Tか。せっかくだからオシャレさせればよかった」

  「いらねぇよ……でもお前たちと歩いてたら浮くかもな」

  「意外とみんな周り見てないから平気だよ。それより借り物だから汚さないようにしないと」

  「あやめ先輩のやつか?」

  「そう。わざわざ実家から取り寄せてくれたの。哲也が好きなら買い取ろっかなー」

  「……………………………………」

  ノーコメントだがこーすけの浴衣は俺好みだった。派手なのは苦手だが、水色の色味がちょうどよく、和風を体現したような綺麗な色合い。風鈴も涼しげで夏らしい。

  これを着てるのが本物の女子なら、俺は目を見て喋ることも緊張するだろう。頭のどこかでこーすけだという認識があるから、いつも通り接することができる。女子になった途端しどろもどろになったらカッコ悪いことこの上ない。

  こーすけの後ろからおずおずと上柴が顔を覗かせた。相変わらず綺麗に整えられた毛にシュッとした小顔のせいで女っぽさが半端じゃない。

  「せ、先輩………………」

  儚げに呟いた上柴は恥ずかしそうに顔を赤らめながら俺の前でクルリとゆっくり回って見せた。背中の柄までよく見えたところで正面に返って、体の前で手を繋ぎながらもじもじと聞いてきた。

  「……………どうですか…………?」

  狐獣人の美少女にそう聞かれては、思い浮かんだ言葉は一つしかなかった。

  「………………か、可愛いよ」

  「あ、俺には言わなかったくせに」

  上柴は照れながらぎゅっと目を細めて笑う。

  「嬉しいです……」

  あざとい、という言葉が自然と思い浮かぶほど、仕草や表情まで完璧で逆に笑ってしまいそうになる。いつもの後輩がこんな姿になるんだから、女装というものは恐ろしい。

  アイドルのような出で立ちに感心しながら見ていると、不意にその華奢な肩を大きな手が包み込んだ。

  「おーー上柴かわいいなぁーー」

  「っ、相田先輩……?」

  優しく肩を掴んで自分の方へ抱き寄せた相田先輩。屈んで顔を近づけるとスンスンと匂いを嗅ぐ。緩やかに微笑んだまま牙を覗かせて口を開いた。

  「いい匂いするなぁーー女の子みたいだーー」

  「あ、ありがとうございます……」

  「女の子の気分になってみると、相田先輩怖いよね」

  「えぇーーなんでだよーー」

  そりゃ男からしても怖いんだから当たり前だろう。真っ黒で表情の読めない目元と、犬科の大きな牙。なにより2メートル近いガタイが人を寄り付かせない。イメージとは真反対の温厚な性格で本当に良かったと思う。

  「なぁその香水もしかしてLAXYのやつかーー?」

  「ぁ、そうです!高かったんですけど買っちゃいました」

  「…………ラクシー?」

  聞いたことのない店の名前にこーすけを見ると、いつもの呆れ顔はしていなかった。

  「最近流行りの香水専門店。本人の体臭に合わせて専用の香水をブレンドしてくれるの。俺のもLAXYでやってもらったんだよ」

  得意気な顔で首元の匂いを嗅がせてくるこーすけ。少し息を吸い込んでみれば、確かに体臭と植物性の匂いが混じり合ったような香りがする。

  鼻の良い獣人にとって匂いはとても重要で、人間関係の様々な場面でそれが現れる。本人の体臭をかき消さない上で別の良い香りとブレンドすれば、個性も出せて人気が出るのも頷ける。オシャレに疎い俺は知る由もなかったが。

  「女子とか美意識高い若者はみーんなLAXYだよなぁーー」

  「高級なので普段使いはできないですけどね……でも専門家の方がオススメをアドバイスしてくれるので一回行ってみるのもありだと思いますよ」

  「………………香水か……」

  「いっつも篠崎くんの匂いぷんぷんさせてる哲也には関係ないんじゃない?」

  意地悪く口を挟むこーすけを一睨みしつつも、そっと自分の体を臭ってみる。いつもとあまり変わらない気がするけど、裏を返せばいつも篠崎まみれってことだ。さっきまでずっと抱きつかれてたんだからしょうがないけど、Tシャツくらい変えてくればよかった。

  するとそのとき、後ろの方から寮監のよく通る声が聞こえた。

  「はーいそろそろ整列してー!!点呼をとるので学年順に!!」

  寮の前の広いスペースにバラバラに集っていた寮生たちは、声を聞いてぞろぞろと整列を始めた。実際あんまり寮生たちで列を組んだことはないけれど、みんななんとなくの感じで並んでいく。俺とこーすけは当然のように二年生の列の最後尾にそっと加わる。普段から同学年でも浮き気味なこーすけが、女装のせいでさらに浮いている。気を遣うわけじゃないが、何気なく俺は二年生とこーすけの間に収まった。

  しばらくして整列が終わると、寮監と久郷田先輩が人数をカウントしていった。嫌々かと思いきや案外普通に役割をこなしていて、久郷田先輩に悪いイメージをつけすぎてしまったな、と内省した。

  人数確認が終わると寮監は胸を張ってハキハキと喋り始めた。気合いが入ってるのはあやめ先輩だけじゃないらしい。

  「全員いるわね!はい、えっとではこれからお祭り会場の沙良川の方へ移動します!ただその前に、いくつか注意事項です……破ると寮則違反になるからね!」

  語気を強めた主張に余計に静かになる寮生たちへ、寮監は満足げに話を進めた。

  「まず、単独行動は原則禁止!例外として、屋台のエリアにいる間は自由行動だけど、ちゃーんと私たちが見ているので、まぁとにかく集団行動を心がけてください。それからマナーをしっかり守って良識ある行動をすること!ゴミをその辺に捨てたり、他校の生徒と喧嘩をしたり、近隣の方の迷惑になるような行為は絶対に止めましょう。来年もこのイベントがあるかどうかは、皆さんにかかってますからね!」

  「…………喧嘩なんかするのか?」

  「…………去年の三年にガラが悪いのがいたの」

  「今が19時前なので……21時には帰れるように集合してください。何かトラブルがあったらすぐに私や先生方に報告すること。体調不良もすぐに言ってね。では、えーと先生方から何か…………大丈夫そうですか?はい!じゃあそろそろ出発します!私を先頭に2列に並んでください!久郷田くん先導して!!」

  寮監は元気よく手を上げながら道路の方に進んでいき、それに面倒そうな久郷田先輩が着いていく。その後ろを寮生たちがゾロゾロと適当な列になって、夜の大行列が始まった。

  とはいえ俺とこーすけは当然のように後ろに着く予定なので、立ったまま寮生の群れを見送っていると、どこからともなくひょっこりと上柴が現れた。前の方にいたみたいだが、わざわざ俺たちのところまで来たらしい。

  「先輩方、お祭り楽しみですね!」

  「あぁ。花火見てみたいな」

  「花火もいいけどやっぱ屋台でしょ。あの清潔感の無さが風情だよねー」

  なんてことない立ち話をしていると、列の先頭からどんどん人がはけていって、俺たちものんびりと後ろをうろうろする。そこで俺たちが最後尾だと見たのか、先生のうちの一人が近づいてきた。

  「遅れないようにねー」

  「はい………………っ、あ、西村先生!」

  暗くなってきたのもあって近くで顔を見るまで気づかなかったが、紺色のジャージを着た巨体の虎獣人、化学の西村先生だった。

  先生も俺の顔を見るなり爽やかに微笑んだ。

  「おー渡嘉敷くん。こんばんは」

  「先生も祭りに行くんですか?」

  「いやぁ職員室で暇をつぶしてたら白羽の矢が立ってね」

  相変わらず人の良さそうな顔に優しい声、生徒からも人気の高い先生らしい。当然情報収集が趣味なこーすけが知らないわけもない。

  「あ、イケメン先生じゃん。哲也知り合いなの?」

  「あぁまぁちょっとな」

  「おや、女の子かと思ったら男の子か。綺麗な着物だね」

  「先生こそジャージ似合ってますよ」

  「はは、ありがとう」

  なんとなく俺の中で西村先生は白衣のイメージがあったから、ジャージ姿は違和感があったけど、流石に祭りに白衣を着ていくわけないか。

  俺が一人で納得していると、脇から上柴が顔を覗かせる。

  「…………利根川先輩、どなたですか?」

  「ん?理科の西村先生。学園の教師の中じゃ一番カッコいいから俺はイケメン先生って呼んでる。3年の担当だから授業は受けたことないけどね」

  「イケメン先生か。嬉しいけど恐縮だな」

  「確かにモデルさんみたいですね」

  「君たちが言うかい?渡嘉敷くんも両手に花だねぇ」

  容姿を誉めあっている三人を余所に周りを見渡すと、みんなほとんど道路の方へ出てしまっていて、俺たちも含めた最後尾になりたい人たちがポツポツと残っている程度だった。これ以上ダラダラする理由もないので、三人を軽く促してから歩き始めた。

  「西村先生は抱かれたい教師ランキング1位だからねー」

  「そんなランキングあるのかい?困ったなぁ」

  「どこ調べだよ」

  「俺。誰に聞いても大体西村先生か金城先生って言うよ」

  「金城先生ってどなたですか?」

  「牛獣人の体育の先生。野球部の顧問でマッチョだから大人気なんだよねー」

  へぇ、あの体育の先生金城さんって言うのか。金城っていうのは沖縄に多い名字だから、南国のルーツがあるのかもしれない。少しだけ親近感を覚える。

  「……ゲイの界隈って、やっぱりマッチョな方が人気なんですかね」

  「比較的そうだねぇ、俺らみたいな可愛い系はモテにくいよ。西村先生はなんで理科の先生のくせに筋肉質なんですか?」

  「おい言い方」

  「大学のときにウェイトリフティングやってただけだよ。もうだいぶ落ちちゃったけどね」

  こーすけの失礼な言い草にもニコニコと答える西村先生に、大人の懐の深さを感じる。

  「えー何キロくらい上げれます?」

  「現役時代は…………180くらいだったかな」

  「180キロもですか!?すごい!」

  「いやいや、ベンガルトラの中じゃ中の下くらいなんだ。世界大会じゃ300くらい上げるからね」

  三人の話を聞いて、ウェイトリフティングがなんなのか分からない俺も何となく理解した。多分重いものを持つ競技だろう。180キロといったら俺の体重の倍以上だけど、それでも普通だなんて驚きだった。虎の中でもさらに大きくて力の強いベンガルトラは、間違いなく日本でも最大級の種族だろう。確かにそれにしては、西村先生は小柄な方なのかもしれない。種族差と個人差、考えるだけでもややこしい。

  すると西村先生は話を中断して、前列の方にいる先生に呼ばれて走っていった。先生たちの中でも若い方だから、きっと序列があるんだろう。私立の教師は会社員に似ている、と聞いたことがある。

  「西村先生はめっちゃモテるけどノンケだって話。だから毎年撃沈する生徒がいるらしいよ」

  「へぇ………稲光は色んな先生がいますもんね」

  「……ノンケとかの前に教師としてダメだろ」

  なんとなく、西村先生に個人的な相談をしてることはこーすけに言いたくなかった。別に後ろめたいわけじゃないんだけど、いつも明け透けに話してる分ちょっとした秘密を持ちたくなったのだ。

  話題を変えようと周りを見渡すも、この辺は俺も来たことある道だし、特に真新しいことはなかった。となると、自然に二人の女装が目につく。この男子寮生たちの行列の中で、明らかに異彩を放っているけれど、本人たちは大して気にしていないようで。

  「その浴衣、あやめ先輩に選んでもらったのか?」

  「うん、あやめ先輩実家が呉服屋だからさ。GWに帰省したときに、わざわざ選んできてくれたみたい」

  「えっ、そんな前から決まってたんですか……?」

  「先輩は毎年やってるよ。去年は俺誘われたけどやんなかったんだよね。だから今年は一番気合い入ってる」

  あやめ先輩の女らしさへの努力は計り知れないものがあるが、後輩たちにも着せたいくらい、そもそも女装や可愛らしいものが好きなんだろう。特に祭りというたくさんの人がいる場所で、堂々と目立てる機会を逃す手はないのかもしれない。

  隣を歩くこーすけをチラリと見ると、はだけた首元が丸見えになっていてすぐに目を逸らした。普段風呂場で散々裸も見てるのに、女性っぽくなっただけで見ちゃいけないような気になってしまう。変な気分だ全く。

  「利根川先輩とあやめ先輩の浴衣はすごく大人っぽいのに、僕のは子供っぽい浴衣で……ちょっと恥ずかしいです」

  「いいじゃん可愛くて。ピンクが似合う人ってなかなかいないよ」

  「……上柴の帯は……なんか違うやつなんだな」

  上柴の浴衣の帯は、一人だけふわふわとしてるというか、かなりボリュームのある薄めの布だった。

  「これへこ帯って言うんです。小さい女の子がよくつけてるやつで……大人でもつける人はいますけど……うぅ」

  顔を赤らめて恥ずかしさに頬に手を添える上柴。ただメイクがついてるのに気づいて慌てて手を外した。

  その仕草を見てると、どうにも女の子が恥じらっているようにしか見えなくて、変な気分になってくる。

  「…………似合ってるし…………可愛いよ」

  少し気恥ずかしさを感じながら、思っていたことを正直に伝える。これが女の子相手だったら本当に緊張して言えないだろうなと容易に想像がつく。

  「っ………ありがとうございます…………けど、全然可愛くないですよ」

  上柴は相変わらず顔を赤に染めながら項垂れるように俯いた。褒めているのにその様子で、何か落ち込む要素でもあったかと考える。

  しかしそれをそのままこーすけが口にしていた。

  「上柴くんって有名女優の子供で顔もちゃんと美形なのに、自己肯定感低いよね。謙遜なの?」

  こーすけの声色は少しだけ不満の色を孕んでいて、それを感じ取ったのか上柴は萎縮しながらもおずおずと答える。

  「謙遜じゃなくって…………ホントに思ってます。僕より可愛い人なんていっぱいいますし……」

  「そりゃ上を見たらキリないけどさ……」

  「……それに、どんなに女装してメイクして香水をつけても………………雌っぽくなるだけで…………」

  上柴はほんの一瞬チラリと俺のことを見たあと、視線を地面に戻した。

  「………………女の子には敵わないじゃないですか」

  尻尾を垂らして落ち込んでいる様子の上柴に、こーすけも少し返事を戸惑っていた。いや、戸惑っているというより……考えているように見える。

  まぁ確かに、やっていることは雌の真似に他ならなくて、俺も何度か錯覚してるくらいクオリティは高いけど、女の子を超えるのは無理な話だろう。実際骨格とか声とか胸とか、再現しきれないところもあるし。

  ……ただ、

  「でも上柴が可愛いのは事実なんだから、それは素直に認めたらどうだ?」

  上柴は思わず顔を上げて、俺のことを見た。丸い目がゆらゆら揺れている。

  「そうだよ、理想高すぎ。上柴くんよりブスな女たっくさんいるし」

  「言い方…………でもこーすけの言うとおりだ。一番にならなくてもいいじゃねぇか」

  励ますように声をかけると、上柴は複雑そうな顔をして微笑んだ。

  「そうですね……ありがとうございます……」

  その顔は何か言いたげというか腑に落ちていないように見えたが、それを追及していいものか、俺は少し口を閉じた。それと同時くらいにこーすけはため息をつく。

  「上柴くん次第だよ……何もかも」

  「…………はい、すみません」

  二人は目配せをしながら意味深な言葉を交わしていた。俺が鈍感すぎるのか、何か二人の中で共通認識があるのか。置いてきぼりを食らったような気分になって、迷いながらも聞いてみる。

  「………………どういう意味だ?」

  「はいこの話終わり!お祭りに集中しよ」

  「そうですね!ほら、囃子の音が聞こえてきましたよ」

  「え?いや聞こえないけど」

  「上柴くんには聞こえてるの?」

  「あはは……狐は耳がいいですから」

  上柴がそう言った直後に、遠くの方で小さく太鼓や笛の囃子の音が聞こえてきた。少し息を吸い込むと、食欲をそそる食べ物の匂いを感じ取れた。いよいよ近づいているんだろう。

  最後の横断歩道を渡ってから、河川敷の草原に登る階段に足をかける。徐々にざわめく人の声が大きくなって、一段登っていく度に期待が高まっていく。夜闇をはねかえすような灯りがだんだんに強くなっていき、ついにその姿を目にしたとき、俺は無意識に息を飲んだ。

  幅の広い川に沿って、河川敷の草原いっぱいに出店がずらりと並んでいる。左右を見ても終わりが分からないくらい、本当にたくさんの屋台がある。向かい合って並ぶ出店の間を埋めるように、大勢の人がざわめき立っていた。隙間のない満員電車ほどではないが、3メートル先も見えないくらいの人混みだ。飛び込むのは気が失せるが、立ち並ぶ煌びやかな出店から香る食べ物の匂いに、俺は緩やかに尻尾を振っていた。

  今俺たちがいるのは草原を見下ろせる坂の上だ。列はまだ進んでいるので、歩みを進めながら祭りの様子を見守る。

  「うわぁ…………いい匂いしますね!」

  「そうだな………………あっ、フライドポテトある」

  「意外と繁盛してるねー去年より人増えてるかも」

  そういえばこーすけも相田先輩も、沙良川は小さいお祭りだって言っていたけど、この賑わいで小さいだなんて驚きだ。俺とカイが行った祭りは、田舎のほんの小規模なものだったんだと認識させられる。夏祭りの熱気と明るさに気後れしそうになるが、とりあえずはこのままこーすけと上柴に着いていけば大丈夫だろう。

  寮生の行列はそのままゾロゾロと河川敷を歩くのかと思いきや、出店の列の端の方……つまりお祭り会場の入り口付近へ進んでいった。そこは広めな駐車場と繋がっていて、角に数台停めてある以外はスペースを確保しているのか、三角コーンできちんと整備されていた。

  寮生たちは邪魔にならないよう端の方に詰めて並んでいき、寮監や周りの先生に囲まれながら最後尾の生徒まで駐車場に入り終えた。ここでもやはり点呼は取らないといけないらしく、背の高い久郷田先輩が頭数を数えていた。寮生たちのガヤガヤと止まらないお喋りの中、雷のように寮監の張り上げた声がよく通り、みんなの声がピタリと止んだ。

  「はい静かに!!人数確認を終えたら自由時間ですが、その前に念のためもう一度注意事項です。まずこのお祭り会場から出ないこと!ゴミ等の処理をしっかりとすること!トラブルを起こさないこと!何かあればすぐに私たちに報告すること!!」

  そこに久郷田先輩が近づいて、ゴニョゴニョと寮監と会話したあと、話を続ける。

  「しっかりと良識を持った行動を心がけてください!……はいでは皆さん待ちきれないでしょうから、現在7時10分から、8時45分まで自由行動とします!必ず時間を守ってここに集合してください!!はい解散!!!」

  寮監の早口な号令が響き渡ったと同時に、再びガヤガヤと話し声が辺りを包み込む。とはいえ、この声も祭りの賑やかさに比べたらどうということもないだろう。

  既にみんなどんどん会場の方へ足を運んでいるし、出遅れないように俺もこーすけと上柴を振り返った。

  「行こうぜ」

  「うわぁ……いよいよですね!」

  「まぁのんびり行こうよ。どうせ時間余るし」

  浴衣姿の二人に挟まれながら、俺の沙良川花火大会が始まった。

  [newpage]

  ひゅ~どんどこどんどこひゅ~と祭り囃子がスピーカーから流れ、それに負けないくらいの喧騒が辺りを包み込む。店頭の売り子がいらっしゃい!!と呼び込む声や、子供がはしゃいであげる笑い声、端で酒を飲む大人たち、そこかしこで鳴る音楽。ひとつひとつがこの祭りというものを作り上げていて、飽和しそうなほど会場を熱気で充満させる。声を少し張り上げないと二人と喋るのも大変そうで、早くも俺はこの祭りの雰囲気に圧倒されていた。

  「何から行きますか?」

  「とりあえずなんか食べよう。……あっ、たこ焼きとか?」

  「っ、すげぇ人だな………着物汚さないように気をつけろよ」

  こーすけに着いていくまま、人混みを掻き分けて一つの出店の前に到着する。前に数人並んでいるが、ここはたこ焼きの店がすぐ近くに三つほどあって、まだ少ない方だろう。

  前を覗けばむわりとした鉄板の熱気と湯気がたこ焼きの香ばしい匂いと共に漂ってきて、期待が高まる。

  「6個くらい?12個も食べないよね?」

  「結構腹減ってるから、食えると思うけど」

  「でもこの後も色々ありますよ!かき氷、ポテト、とうもろこし……」

  「じゃあとりあえず6個ね。400円か……流石祭りって感じ」

  「やっぱりお祭りの屋台って高いですよね……雰囲気代もありますけど」

  「へぇ…………そうなんだ」

  正直都会の物価についてはなんにも知らないから、高いのかも安いのかも分からない。でもお祭りの屋台って町中のお店より高いもんなのか?品質は劣りそうなものだけど。

  「あーチーズとプレーン選べるみたい。どうする?」

  「チーズたこ焼き?初めて聞いた」

  「プレーンがいいです!最初ですし」

  そうこう話していると前の人達がどんどんさばかれていって、俺たちの番が来た。白いハチマキをした犬獣人のおじさんが、元気な声で挨拶をしてくれる。

  「いらっしゃい!何個?」

  「プレーンの6個ください」

  「はいよ!じゃあ400円ね!」

  こーすけがお会計をしている間、上柴に引っ張られて店の端の方へ寄る。触れた手のひらは少し熱かった。

  「……上柴、暑くないか?」

  この夏の夜、人混みやら鉄板やら気温はかなり高くなっているだろう。暑がりな狐の上柴は平気なのかと思ったが。

  「ちょっと暑いですね……このあとかき氷食べましょう?」

  「あぁ。相田先輩とか大丈夫かな」

  「大丈夫じゃないかもですね……あんまり汗もかきたくないですし……」

  するとこーすけが横にぬるりと現れる。

  「お待たせ。結構一個がデカイし……熱々だから先食べて」

  こーすけはプラスチックの容器を開けると、中のホカホカの湯気が立つたこ焼きに爪楊枝を刺した。ソースとマヨネーズの上で踊るかつおぶしに自然と目が釘付けになる。そしてそのままこーすけはたこ焼きをこっちに差し出した。

  「はい、あーん」

  「っ、なんでだよ」

  「いいからホラ、あ、落ちちゃうよ」

  爪楊枝から自重で落ちそうになっているたこ焼きに渋々かぶりつく。マズルを大きく開けないと一口は難しそうだ。

  そうして口にたこ焼きが入った瞬間、ソースの味とかその前に火傷しそうなほどの熱さにぎゅっと目を瞑る。

  「美味しいですか?」

  「は…………はふい………………」

  あまりの熱々さに悶えつつ、少しずつ噛みながら味を堪能する。柔らかな生地とソースの味がほどよく絡み合ったあと、食感の違うタコがいいアクセントになる。熱いからこその旨みが、咀嚼する度に口に広がって嬉しくなる。

  「はい、上柴くんも。あーん」

  「えっ、ちょっと冷めてから……」

  「あホラ落ちちゃう落ちちゃう!」

  

  ようやく熱さに慣れてしっかりと味わってから飲み込んだところで、今度は上柴が熱さに悶えているところだった。

  「はっ…………はふ…………はふ………………」

  「どうだった?」

  「熱い……けど旨い。不公平だろ、こーすけも食えよ」

  「俺猫舌だもん」

  「じゃあ俺が食う」

  熱いとはいえ久しぶりのたこ焼きは記憶の中より美味しかった。出来立てなのもあるだろうな。

  俺がたこ焼きをふーふーしていると、飲み込んだ上柴がふう、と一息ついていた。

  「美味しいですね!トロトロしててちょっと関西風なのかも」

  「関西のたこ焼きってトロトロなの?」

  「そうらしいです。東京はいわゆる揚げたたこ焼きが主流ですもんね」

  二人の話を余所にもう一つたこ焼きを口に放り込む。十分冷ましたつもりでも中の具はまだ熱々で、ゆっくりと噛みながら熱を逃がして味わう。

  「俺は冷めてからにしようかな。とりあえず歩こっか。食べたかったら食べていいよ」

  「あっ、持ちますよ」

  上柴がすぐにこーすけの手からたこ焼きを受け取って、荷物持ちを買って出る。当たり前のように気遣ってくれる姿勢に感謝しつつも、また上柴に甘えてるなぁとぼんやり思った。

  歩きだしたこーすけに着いて人混みを避けて進みながら、周囲の看板に目を光らせる。フライドポテトや焼き鳥の張り紙がついた飲食店、氷という赤文字が印象的なかき氷屋、アニメとかのキャラクターの顔をしたお面屋さん……その前でこーすけは立ち止まった。

  よく見ると、俺でも知っている海外の有名なマスコットや、戦隊ヒーロー、国民的アニメキャラなんかがごった返していて、オールスターだなとなんとなく思った。

  「祭りの悪いとこ、一個あげるとしたらこういう出店が胡散臭いこと」

  「胡散臭い?なんで?」

  「絶対許可とってないから。無断でパクって作ってるに決まってんじゃん。著作権違反は絵師の敵だからさ」

  あぁ確かに言われてみれば、これだけの人気キャラそれぞれの会社に許可とってるわけないか。同じ製法で作られたお面たちが公式グッズとも思えないし。

  「著作権法って、確か見つからなければokって感じでしたよね」

  「作った側が申し立てないといけないの。こんなアナログな雑魚出店、誰も気にしないからね」

  「そうか………………なんでこんなことするんだ?」

  「分かりやすく稼げるからでしょ。人の褌で小銭稼ぎとか、コスい商売だよね」

  冷めた目で睨み付けてから、こーすけは再び足を進めた。さっき絵師の敵って言ってたけど、こーすけ自身も絵を描いてる立場からして、勝手に転用されるのが許せない節もあるんだろう。元々買う気はなかったけど、この出店たちももう少し注意して見てみようかな。

  「そういえば、戦隊物とか自然と見なくなって、今どんなのがやってるか分からないですよね」

  「小5くらいまでは見てたかも。俺はその後ガッツリアニメにハマったから、あんまり詳しくないかな」

  「俺も…………そんなテレビっ子じゃなかったしな」

  そうですか……と苦笑いする上柴に、こーすけが問いかける。

  「上柴くんは戦隊もの好きなの?」

  「うーんと……どっちかっていうと仮面ライダーが好きでした」

  「ふーん。そういや昔は気にしてなかったけど、仮面ライダーとかから人気俳優になる人ってちょくちょくいるよね。日野雄大とか」

  「あぁ…………そうですね」

  日野雄大。こーすけが言った名前になんとなく聞き覚えがあって、特に考えもせず口に出す。

  「ん、上柴が好きな俳優って日野雄大だっけ?」

  するとピクッと上柴の体が跳ねて、ぎこちなくこっちを向く。

  「そ、そうですけど……なんで知ってるんですか?」

  少し顔を赤らめた上柴を見て、ようやくミスをしたことに気がついた。そうだ、確か神社で籠谷が言ってたやつだ……なんか言い訳しないと。

  「いやなんか…………前言ってた気がする」

  「そうでした…………っけ……?」

  首を傾げて疑心暗鬼気味な上柴が気づく前に、こーすけがフォローを入れてくれた。

  「俺も覚えてる。日野雄大って、若手イケメン俳優の中じゃちょっと歳上だよね」

  「えっと……今年で30だったと思います。僕が小学生のときの仮面ライダーでしたから……」

  「それで好きになったのか?」

  「あはは…………まぁちょっとだけ」

  照れ笑いをする上柴を余所に、こーすけはどこからともなく携帯を出して写真を見せてきた。イケメンでややスリムな狼獣人が立ってて、恐らくこれが日野雄大だろう。

  「へぇ…………イケメンだな」

  「っ、ちょ……………………っ………………」

  「いわゆる優男?って感じで最近はそんな感じの恋愛映画めっちゃ出てるよね」

  イケメンってだけで……そりゃ演技もすごいんだろうけど、仕事の幅が広がるのは羨ましいな。顔なんて先天性のものなんだから、産まれたときからモテるのが決まってるなんてズルくも思える。多少性格に難があっても、顔がいいと許されてる人もいる。もちろん久郷田先輩のことだけど。

  すると顔を赤らめた上柴が、こーすけの腕を抑えて話を止める。

  「日野さんはもういいじゃないですかっお祭り楽しみましょう!?」

  明らかに焦った様子の上柴にニヤつくこーすけ。女装してても性格の悪さは健在だ。

  「えー上柴くんの初恋の話聞きたいな~」

  「っ、初恋じゃないですって……」

  「リアコじゃないの~?」

  「じゃないです!演技が好きなだけです……!」

  会話も耳には入ってきていたが、二人が携帯を巡ってじゃれあっている様子は、女子が恋バナで盛り上がってるように見えた。学校でもよく女の子って距離が近いよなーとぼんやり考えていた。

  「わかったって。まぁ画面の中の日野雄大より、リアルの哲也の方がカッコいいしね」

  「それは………………っ……………、」

  「……あ?なんだって?」

  「哲也の方がカッコいいよって。ほら、おんなじポーズとってみて?」

  「嫌だよ、イケメン俳優と比べんな」

  ようやく携帯をしまったこーすけと、少しムッとした顔でたこ焼きを食べる上柴。二人にしか分からない共通認識があるのはほとんど明白だが、俺は何も言わないことにした。上柴からたこ焼きを一つもらって、出店巡りを再開することにした。

  大量にある出店はどれを選んだらいいか、優柔不断な俺には決められなかった。特にかき氷の出店なんて数店舗おきにあるから、何を基準に決めたらいいかも分からないし。

  そんな中、こーすけはようやく一つのかき氷屋の前で立ち止まった。

  「ここにしよ」

  「…………なんで?どこも一緒だろ?」

  「味はどこも一緒。大事なのはバックに反社がいなさそうな店を選ぶこと」

  「えっ、反社がやってる店もあるんですか?」

  「あるある。川の水凍らせてかき氷作ってる店の話聞いたことあるし、警戒するに越したことないよ」

  ……そんな酷い話があるくらい、祭りは色々自由で法の目も届きづらいんだろう。据え置きの飲食店とは全く別物だと、こーすけに教えてもらった。

  店頭には大学生くらいの雌の猫獣人が、慌ただしくかき氷を売っていた。ゴォォオという音と共に、機械から細かく削れた氷が紙のカップへ山のように積もっていく。すぐさまそれに色とりどりのシロップをかけて、ストローを突き刺せば完成だ。

  「すいませーん、かき氷3つください。二人とも味は?」

  「僕はイチゴにします」

  「じゃあ…………俺もイチゴかな」

  「じゃあイチゴ三つ、お願いしまーす」

  こーすけが前の方で注文する様子を、少し後ろから見守る。猫獣人のお姉さんはこーすけの声を聞いて一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに営業スマイルに戻ってかき氷を作り始めた。

  「かき氷……俺食べるの二回目くらい……かも」

  「お祭り以外じゃあんまり食べませんからね……」

  「あ、でも白くまなら食べたことある」

  上柴は耳をピンと立てた。

  「し、白熊……??」

  「あぁ…………えっと、アイスのしろくま。あれ、都会じゃ売ってないのか?」

  「そ、そういう名前のアイスなんですね!ホントに白熊さん食べたのかと思いました……」

  「はは、紛らわしかったな」

  俺が笑いかけると上柴も少し恥ずかしそうに笑った。

  「同級生の女の子がかき氷機持ってて、それで一回だけかき氷食べたことあるんだよな」

  「あ、あの手で回すやつですか?」

  「そうそう。カルピスかけて食べた」

  「夢がありますよねー僕も昔わたあめの機械欲しかったんです」

  「わたあめ………食ったことないかも」

  「ホントですか?じゃあよかったら後で食べましょう!」

  上柴と話し込んでいると、ふと上柴の真後ろに大きな人影が通り過ぎようとしていた。ぶつかる、と思い咄嗟に上柴の肩を掴んで抱き寄せる。すんでの所で巨体の熊獣人がのっそのっそと周囲の人混みを押し退けて進んでいった。

  「…………危ないな」

  「っ、先輩…………?」

  声の方を見ると、腕の中の上柴は困惑したような、それでいて恥ずかしそうな上目遣いで俺を見つめていた。ふわり、と香水が匂った途端、俺の脳は女の子を抱き締めていると錯覚してしまった。

  「っ、わ、わ悪い!!」

  慌てて離すとぐらりと揺れて倒れそうになるも、上柴はなんとか踏ん張ってくれた。持ち物も落としてないようで、苦笑しながら着物を整えていた。

  「ご、ごめん……」

  「いえ、全然です……ちょっとビックリしましたけど」

  「…………後ろに熊獣人が通って、ぶつかりそうだったから」

  「え、ホントですか?ありがとうございます」

  上柴も気づかなかったようで、回避できてよかったはずだ。ただ俺はそのあと上柴を女の子と一瞬勘違いして、結局転ばせそうになっていた。それくらい今の上柴は女の子にしか見えなくて、ふとした時にどぎまぎしてしまう。何より匂いが女の子なのがとてもややこしい……ただでさえ上柴はハイビスカスの香りがして、雄獣人っぽさが少ないのに。

  女の子に見えたからって初な反応してたら、なんか恥ずかしいな。俺が女の子に不慣れなのはバレバレだとも思うけど。

  「はーい買ってきたよー早く受け取ってー」

  どこからともなく、かき氷のカップを両手で三つ抱えたこーすけが現れた。礼を言いながら受け取って、カップ越しに伝わる冷気に火照った体を涼める。

  「ありがとうございます!うわぁ久しぶりだなぁ…」

  「ん、なんかこーすけのだけ白いのかかってないか?」

  「俺だけ練乳トッピングした。甘党だからさ」

  カップの上にこんもりと盛られた白色透明の氷の粒に、目が覚めるような濃い赤色のシロップがふんだんにかかっている。このまま食べるのはちょっと大変そうだから、二人を見習って先の割れたストローでザクザクとかき混ぜていく。

  ある程度シロップがまんべんなく広がったところで、待ちきれなくなって少し掬って口に放り込む。舌先が触れた瞬間、ピリリと刺すような冷たさと、シロップの甘さが分かりやすく俺に美味しさを伝えてきた。咀嚼する間もなく溶けてしまい、自然と二口目が進んでいた。

  「冷たい……けど旨いな」

  「哲也って甘いの苦手なじゃなかった?」

  「甘すぎるのが好きじゃないだけで、たまに食う分には全然いいぞ」

  シロップはきっとふんだんに砂糖を使ってるだろうから、そのままだと甘すぎるけど、上手いこと無味のかき氷と調和して美味しくなる。喉が乾いていたのもあったのか、気づけばパクパクと口に放り込んでいた。

  「僕、どっちかっていうとかき氷が溶けたあとのジュースみたいな感じが好きなんですよね……分かります?」

  「あーちょっと分かる。結局シロップが旨いんだよね」

  「ふーん………………っ、頭キーンってなった」

  「はは、ペース早すぎ。ゆっくり食べなよ」

  「あっ、僕も…………ちょっときました」

  アイスとかもしばらく食べてないから、この感じ久しぶりだな。ちょっとがっつき過ぎたかもしれない。幸いかき氷の良いところは、カップだから食べ歩きに適しているとこだ。とりあえず道に沿ってのんびりと歩き出す。

  「食べるのもいいですけど、祭りにしかないゲームとかするのもいいですよね!」

  「ゲーム?」

  「射的とか、輪投げとか、ヨーヨー釣りとか……くじ引きや型抜きなんかもありますよ!」

  「大半インチキだけどね。景品は期待しない方がいいよ」

  「全部やったことないから、上柴に任せるよ」

  話くらいは聞いたことあるけど、それらが実際どんなもんなのかは分からない。それっぽい出店もいくつか見かけるから、後で寄ってみたいな。上柴はニコニコと微笑みながら、少し背伸びをして付近のお店を見渡していた。祭りが好きと言うだけあって、尻尾はずっとゆらゆら揺れていた。

  「…………あ!あれ………久郷田先輩じゃないですか?」

  「ん?どこ?」

  「あの階段です………三下先輩と一緒ですね」

  上柴が指を差した先には、人が往来する土手の階段の端に座った二人の姿が見えた。二人は仲がそんな良くないし、なぜ一緒にいるんだろうか?

  「えっなにあの組み合わせ。ちょっと行ってみる?」

  こーすけの後に続いて人混みを分けて土手の方へ進む。三下先輩は焼きそばを食べていて、その隣で久郷田先輩は気だるげにボーッとしていた。手には缶コーヒーを持っている。

  二人がこっちに気がつく前に、こーすけが声をかけた。

  「乙です、二人で何してるんですか?」

  「………………あ?お前らか。飯食ってるだけだ」

  「………………………………………………」

  焼きそばを咀嚼しながら応対した三下先輩と、黙ったままの久郷田先輩。前にラーメン屋で話したときは喧嘩の一歩手前のような雰囲気だったけど、至って平和にくつろいでるように見えた。

  「なんで二人?先輩たち仲悪いじゃないですか」

  「さっきまで相田とあやめも一緒だった。それぞれ行っちまったから、友達いない組の俺らだけ残った」

  「…………お前と一緒にすんな。俺は暑いのが嫌なだけだ」

  言葉の通り、久郷田先輩は少しぐったりした様子だった。夏バテとまではいかないが、シベリアンハスキーの分厚い毛皮は、この熱気にはしんどいだろう。川辺なのにここまで暑いのは、夏の気温と人口密度が相乗効果を生んでいる。

  「ふーん。かき氷食べます?」

  「甘いのは嫌いだ」

  「イヤイヤイヤイヤ子供かよ。俺も渡嘉敷組に入ろうかな」

  「じゃあ女装してください」

  「はっ倒すぞ」

  三下先輩は焼きそばを食べ終えてゴミを纏めると、脇に置いてボリボリと頭を掻いた。すぐに上柴がそっとゴミを回収し、どこからともなく取り出したレジ袋に入れていた。

  「お、ありがと。上柴可愛いな」

  「ぁ、ありがとうございます……」

  「久郷田先輩も、私たち可愛いでしょ?」

  「…………別に」

  袖を持ち上げて女声で冗談を言うこーすけに、ぶっきらぼうに答える久郷田先輩。いつもなら俺にちょっかいをかけたり三下先輩を煽ったりしそうなものだが、本当に怠いようだ。少し心配になるくらい。

  「……先輩大丈夫ですか?全然元気ないですね」

  俺がそう聞くと、久郷田先輩はおもむろにため息をついた。

  「暑いのと、人が多いのと、ストーカー共がずっと見てんのがストレスなだけだ。お前にちょっかいかけたら、また新谷が嫌がらせすんだろ?」

  「えっ……まぁはい。知ってたんですか?」

  「あやめから聞いた。俺が言っても止めねぇだろうしな」

  先輩がそのことを把握してて、気を遣ってくれてるのに驚いた。たまに現れてはゆすろうとしたり脅そうとしたり、新谷さんは俺の生活の中でのちょっとしたストレスだったからだ。

  「あ?新谷まだやってんの?お前のファンヤバイやつばっかだな」

  「ただのストーカーだ……うざってぇ」

  「つまみ食いしまくってたツケだな」

  三下先輩の突き放したような態度に、久郷田先輩は小さく鼻を鳴らしただけだった。暑さのせいで喧嘩する元気もないのかもしれない。

  「………ストーカーは本当やめてほしいですね」

  「何人もくっついててよく普通に生活できると思うわ」

  「露骨に関わってはこねぇよ。影でこそこそやってる。だから放っといてたが、周りに迷惑かけるんじゃそろそろシメねぇとな」

  「わーい物騒。哲也はストーカーいなくてよかったね」

  それは確かにそうで、俺のことを好きな人達はみんなダイレクトにアタックしてくる。それもそれで大変だけど、顔が見えてるだけマシかもしれない。上柴や久郷田先輩のように、顔が整ってる人なりにも、そういった心労があると考えると、少し前のイケメンが羨ましいと考えた自分も浅はかだったかもしれない。

  「……んじゃ、そろそろ俺ら行きますね。全然食べたりないし」

  言葉と共に立ち上がったこーすけに合わせて、俺と上柴も腰をあげる。三下先輩は小さく呻き声をあげた。

  「もう行くのかよ。こいつと二人で何しろってんだ」

  「オメェが勝手にいんだろうが。どっか行け」

  「そうだな。じゃあ熱中症だって寮監に伝えとくわ」

  久郷田先輩の大げさなため息が、祭りの喧騒の中でもよく聞こえた。二人はまぁ喧嘩はしても放っといて大丈夫だろう。

  こーすけに着いていくままに、再び荒波のような人混みに飛び込んでいった。

  [newpage]

  「哲也はフライドポテト買えたの?」

  「あぁ……なんか見たことないくるくるしてるヤツだけど」

  「サービスエリアとかのやつだね。上柴くんは?」

  「僕は唐揚げにしました!6個入りなので先輩たちもどうぞ」

  「うわ、旨そうだな」

  「にんにくが気になるから俺はいいかな」

  お祭りの空気にも段々と慣れ始めた頃、俺たちは目当ての食べ物をそれぞれ調達してきていた。種類もたくさんあるし、金銭的にも全部は買いきれないが、今日は晩御飯を食べてきてないので、なるべく屋台で腹を満たす必要がある。俺はその中でも少し値段は張るが見たことのない形のポテトを見つけて、内心ややテンションが上がっていた。

  早速串のような物を掴んで、端っこから齧ってみる。間違いなくフライドポテトなんだけど、食感はファストフード店で食べたのと違ってホロホロとしていた。

  ほどよい塩気にもっともっとと食を進めていると、イカ焼きを持っていたこーすけが口を開いた。

  「沙良川の祭りってそんなに規模大きくないのに、意外と知り合いに会わないね?」

  「そうですね……寮の人はちらほら見ますけど、稲光の生徒はあんまり来てないんでしょうか?」

  言われてみれば、そんな気もするけど……立地的に稲光学園のすぐそばだから、もっと学生が多くていいかもしれない。見た感じ同年代はあまりいなくて、家族連れや少し歳上の人達が多いように見受けられた。

  「まぁ祭って基本リア充のイベントだからね。学校の外でイチャイチャもできないし、通学の子ならもっとすごい花火大会に行く────」

  「おおお!!?渡嘉敷じゃん!!!!」

  こーすけの話を遮って、背後から不意に聞こえた喧騒に負けないくらいの大声に、俺は一瞬肩をびくりと跳ねさせた。

  声の主は見なくても分かる。ポテトに緩んでいた表情筋を引き締めてから、後ろを振り返った。

  「高田、お前も来てたんだな」

  「おぉよ!!!お祭り好きな俺が来ないわけねぇだろっ!!」

  高田は白のタンクトップに赤い短パンで、早くも夏らしいビーチサンダルを履いていた。普段制服もちゃんと着てないような奴だけど、クラスメイトの私服には新鮮さがあった。にかにかと嬉しそうに笑いながら、ずいずい距離を詰めてくる。

  「知らねぇよ……」

  「そういや高田くん近所だったね。秋沢くんは?」

  こーすけが問いかけた途端に、高田はそっちを見て目をビー玉のように真ん丸にした。少し息を吸い込んでから、尻尾を興奮でピンと立てる。

  「お前利根川かっ!!!???めっっっちゃ可愛いなぁ!!!!」

  至近距離の大声に俺もこーすけも自ずと顔をしかめた。

  「うん…………ありがと。でもちょっと声大きいよ」

  「マジかー!!全然気づかなかったわ!!!なんかいい匂いするし!!」

  肩を掴んで顔を近づけて匂いを嗅ぐ高田に、流石のこーすけも苦笑いを浮かべていた。普段俺がやられてる気持ちを味わえばいいという思いが生じて、助けてやる気にはならなかった。コイツには大きな声ではっきりと喋んないと届かないときがある。

  「女の子みたいだなぁ!可愛いじゃんよ!!」

  「ありがとう!ちなみにこの子も男だよ。寮の後輩」

  あろうことかこーすけは空いてる手で上柴を指差した。一歩離れたところから唐揚げを食べていた上柴も、急に注目を浴びて少し体を強ばらせた。

  「マジでッ!!??すげぇ可愛いなっ!!!なっ!初めまして!!!」

  今度は上柴の方にずいっと距離を詰めると、また顔を近づけて匂いを嗅いでいる。高田は身長2m、上柴は160cm程で、初対面の虎にガンガン詰めてこられるのは流石に怖いだろう。ただ俺が背中を引っ張っても意にも介さない様子で、上柴に興味津々のようだ。タンクトップだから首を絞めるのも容易じゃないし、耳元で怒鳴らないとダメかもな。

  「ぁ……は、初めまして……」

  「うわぁマジアイドルみたいだなっ!!!めっちゃ良い匂いする!!!!」

  「あ、あの…………ちょっと近いです……っ」

  今にも噛みつけそうな距離の高田に上柴が萎縮してる様子を見て、俺はため息をつきながら思いっきり高田の頭を殴ることにした。大きく振りかぶって、側頭部を手のひらで平手打ちすると、高田の頭がようやく少し傾いて、こっちを向いてくれた。

  「いでっ!!なんだよ!?」

  「距離感考えろ!上柴が怖がってる」

  「えぇえ!?怖くないよな!?な!?」

  「そういうとこだよ!いいから離れろ」

  「高田くんイカ焼き食べる?食べかけだけど」

  「おっ!食う食う~」

  こーすけが食べ物で釣って、なんとか上柴から引き剥がすことができた。まぁ別に危害を加えるような奴じゃないんだけど、パーソナルスペースを壊しすぎだ。特に初対面の上柴は嫌だろう。

  苦笑する上柴に声をかけようと思った矢先、その背後からぬるっとリカオンが現れた。途端に顔が強張る。

  「…………上柴………あの、奇遇……だな」

  「え?あ、籠谷くん!来てたんだ」

  「うん…………たまたま見かけたから」

  まるでタイミングを図っていたかのように、高田が離れた瞬間に現れた籠谷。俺と似たような黒いTシャツを着ていたが、親近感はほとんどない。部活で会うことはあるものの、お互いにほとんど喋らないし関わらない。そのせいで青木先輩に気を遣われてるくらいだ。

  上柴と話すときは口調も柔らかく、背筋もいいらしい。少し冷めた気持ちでこっそり聞き耳を立てる。

  「学校の人あんまり見かけないから、みんな来てないのかなって思ってた。籠谷くんは誰かと来たの?」

  「いや、一人だよ。上柴は……普段と雰囲気が違うんだな」

  籠谷の言葉を聞いた瞬間、上柴は顔を赤らめて口元を抑える。どうやら女装していることを忘れていたのかもしれない。普通の感性なら、同級生に見られて恥ずかしいと思うのは当然で、やっぱりこーすけはネジが外れてるなと思う。

  「あぁえっと、これは寮の先輩に無理やり……!に、似合わないよね!忘れて?」

  「ううん…………似合ってると思う。その………………可愛いと思う」

  「………ぁ、ありがとう……」

  会話を聞いてる限りは、一般的な稲光生徒と何ら変わらないやり取りだ。だが、こんなに見た目の違う上柴をこの人混みから見つけて、たまたまいいタイミングで話しかけられるものだろうか?籠谷の前科や俺に対する態度の違いを見て、つい疑念を持ってしまう。

  「あの…………よかったら、少し………………回らないか」

  「え?ごめん何て?」

  「……っ、一緒に出店……見に行かないか?ぉ、俺一人だからさ」

  それが聞こえたと同時に、俺は一歩上柴の方に近づいた。籠谷と正面から対峙して、無理やり話に加わる。

  「上柴、どうかしたか?」

  「あ、先輩…………籠谷くんもお祭り来てたみたいです!」

  「…………どうも」

  白々しく会釈する籠谷をじっと見つめる。俺を見て驚いた様子は一切ない。遠くからずっと見ていたのだとしたら当たり前だ。先入観は持ちたくないが、元ストーカーのこいつなら全然可能だろう。

  「おう」

  「……えっと、籠谷くん。僕寮の先輩たちと来てるから……抜けるのはちょっと」

  「ちょっと……だけでもいいんだ。折角来たから……誰かと思い出が作りたくて」

  上柴の言葉を遮るように食い下がる籠谷。話だけ聞いたらやや内気な青年に見えてしまうかもしれない。現に上柴もそう思ってるだろう。

  ……俺としては、籠谷の恋心に水を差すつもりは毛頭ない。ちゃんと正面から近づいて断られる覚悟で誘ってるんだから、問題はない筈だけど。こいつの異常性を知ってる俺としては、どうしても上柴に危害を加えるんじゃないかと邪推してしまう。こーすけと相談したくても、今は高田の気を引くので精一杯だ。困り顔の上柴はなんと答えるだろうか。

  「うーんじゃあ………良かったら、僕たちと一緒に回る?渡嘉敷先輩、ダメですか?」

  上柴は戸惑っているような様子で、俺に尋ねてきた。籠谷を連れていくのには積極的ではないが、クラスメイトで唯一の演劇部一年生を無下にしたくないんだろう。俺の知らないところで、多少の友好関係があるのかもしれないし。

  しかし上柴の提案は俺の頭を酷く悩ませた。籠谷とこーすけを引き合わせるのは決して得策じゃない。籠谷は上柴の写真を消された件でこーすけを恨んでいて、女装しているとはいえ顔を見たらバレてしまうだろう。流石に上柴の前で危害を加えるとは思えないが、ひたすらお互いに知らないフリをし続けなきゃならないのもしんどい。

  そして何より、高田がいるのが大いにややこしい。さっきみたいに上柴に絡み始めたら、籠谷が快く思うはずがない。なんにせよ揉め事が起こりそうな予感がする。

  数秒で色々と頭に巡った考えを整理すると、分かりやすく結論が出る。

  「ダメだ。今俺の友達もいるし、しばらく帰らなさそうだから……ちょっと面倒な奴なんだ」

  「そう……ですよね。すみません図々しく……ごめん籠谷くん、やっぱり────」

  「───じゃあ尚更、俺と来た方がいい。さっき上柴に凄く近づいてて困ってたのを見た」

  本人に断られても尚食い下がる籠谷には、ちょっとした執念めいたものを感じる。これこそがストーカー気質といえばそうだが、確かに高田も危険っちゃ危険だ。平手打ちしないと離れないような奴だし。

  とはいえ、どうすべきか俺が言うのは最早不自然だ。もうここは上柴の意思に任せるしかない。高田と籠谷、どっちを取るか………ほとんど明白だろう。

  「………………そう、だね。先輩、すみません……ちょっとだけ外れてもいいですか?すぐ戻りますので……」

  「…………あぁ、いいよ。久郷田先輩のとこに集合な」

  「すみません、僕から誘ったのに……」

  上柴の言葉に、籠谷はピクリと反応した。申し訳なさそうな上柴に、むしろこっちが申し訳なくなる。まぁこんな人が多いとこじゃ何にも出来ない……と思う。

  「気にすんな。じゃあ後で」

  「はい、失礼します……!」

  軽くお辞儀をしてから、上柴は籠谷と共に人混みの中に消えていった。やっぱり上柴にストーカーの正体を教えておいた方が良かったんだろうか?籠谷が絡むと、どうも自分の選択が間違っていたんじゃないかと不安になる。

  「哲也、どうかした?」

  背中から声をかけられて振り替えると、高田に持ってた飯を与えて餌付けしているこーすけがいた。俺の買ったポテトを旨そうに食う高田に軽く殺意が芽生えたが、とりあえず近づいてこーすけに状況を話す。

  「急に籠谷が現れて、上柴を連れてった」

  「は?籠谷って……」

  「上柴の元ストーカー。それなりに仲良くなったらしい」

  「………まぁ、高田くんがいたらしょうがないか。こんな人混みじゃ大したことできないし、仕方ないんじゃない?」

  こーすけは察しよく状況を把握すると、持っていたビニールにゴミを片付け始める。その横の高田はちょうどポテトを飲み込むと、キョロキョロと周りを見渡す。

  「あれ!?あの子行っちゃったのか?」

  「そ。高田くんは一人で来たの?」

  「そうだぜ~!秋沢誘ったけど、やっぱ来れなかったわ!」

  秋沢はお坊ちゃんだし、いつぞやか門限が厳しいと言っていたのを思い出す。もしかして、こういう庶民のイベントには参加したこともないんだろうか。

  すると高田はそっと腕をこーすけの肩に回した。

  「ん?何?」

  「いやぁやっぱ可愛いなぁ。なんか鎖骨のとことかエロいし!」

  「…………お前秋沢と付き合ってんのに、そんなことしてていいのか?」

  俺が静かに指摘にすると、高田は慌てたように弁解する。

  「肩組んでるだけだろっ!?浮気じゃない……よな!な?」

  「うーんまぁ確かに浮気じゃないけど」

  二人からすれば浮気にはならないらしい。俺は恋愛に疎いから、どこまでがセーフなのかは分からない。ただ同じくらい恋愛経験のない秋沢は、こーすけに可愛い可愛いと言う高田を見て落ち込みそうな気もする。

  とはいえ二人が付き合ってからも高田はたまに俺に可愛いとか言ってきたし、コイツの面食いでテキトーな性格は十分理解してるだろう。

  「セーフセーフ!っ、だけど秋沢には言うなよ!?」

  「うん、言わないよ」

  こーすけの言葉を聞きぎゅっと体を抱き寄せる高田を見て、なんだか複雑な気分になった。遅かれ早かれ、俺は秋沢にこのことを言うだろう。

  ただ意外とこーすけは高田のスキンシップを嫌がってはいないようで、されるがままになっている。普段特に友達以上にもならない奴に、可愛いと誉められるのが気持ちよいのかもしれない。満更でもないなら平手打ちの必要はないが、余裕な様子のこーすけに少し苛立ちを感じた。

  「おい高田、お前俺のポテト食べただろ。なんか奢れよ」

  「おっ!いいぜ!!あれだな、フランクフルト食いたい!!!」

  「俺が決めるんじゃねぇのかよ」

  こーすけを無理やり連れていく高田の背中に向かってため息をつく。上柴への心配は残るが、今さらどうしようもないし、純粋にお祭りを楽しむことにしよう。

  「祭りっつったらさ!!やっぱアレだよな!!?」

  「アレってなんだよ」

  「うーん花火?」

  「ちげぇよ、えっと、アレだ!!そう射的!!」

  高田が指を差した先には、射的、と大きな文字の看板が立っている店があった。周囲の店より少し大きくスペースを取っているが、その割にはあまり人が並んでいなかった。

  「うーーんそうかなぁ」

  「射的ってなんだ?」

  「知らねぇのか!?銃打って、お菓子とか落としたら貰えるやつだよ!!」

  高田の説明じゃほとんど分からないので、とりあえず近づいてやってる人の様子を見てみる。

  お店のカウンターのような所から、銃を持った子供が中にあるひな祭りみたいな段々の棚に並べられた景品を狙っている。上の方には大きな箱……ゲーム機がどんと置かれている。

  子供が引き金を引いたとき、パンと音が鳴って、ゲーム機の箱に茶色い弾がぶつかった。箱は少し揺れたが、微塵も落ちる気配を見せず、弾をピン、と弾いていた。

  「初めて見た。こんなのあったんだな」

  「まぁお祭りにあるゲームコーナーの一種って感じ。今の見たら分かるけど、あの銃じゃ絶対ゲーム機は落とせないように調整されてる。子供はつい欲しくてやっちゃうけど、悪どい大人にお小遣いを巻き上げられる。祭りの悪いとこだよね」

  ……祭りにはそんな詐欺みたいなことが横行してるのか。あまり近寄りたくならない話を聞いて、遠目から二発目を撃つ子供を見つめる。

  「ま、そういうぼったくりを含めて楽しむのが祭りってわけ。言ったらさっきのポテトだって、コンビニのホットスナックの方がよっぽど安くて美味しいわけだし」

  「なにごちゃごちゃ言ってんだよ!行こうぜー!!」

  喋ってるこーすけを横から高田がかっさらって、射的の方へ歩いていった。アイツは子供みたいなもんだし、お祭りの裏事情なんて気にもしてないんだろうな。ある意味正しい遊び方なのかもしれない。

  一昔前なら知りもしなかった色んなこと。都会に来てたくさん経験してる。あまりにも刺激が多くて、その場にいるだけで目が回りそうなことを、たくさん。でもこれらは田舎にいたら絶対知り得なかった経験で、きっとじぃちゃんも知らないことだ。なんだか急に、じぃちゃんに会いたくなった。都会で経験した話を、じぃちゃんやカイに話したい。帰れるのは一ヶ月も先だけど、明日の朝、電話でもしようかな。

  俺が物思いに耽っていると、遠くから少し歓声が聞こえてきた。射的の店の方からで、嫌な予感がして近づいてみると、とんでもない光景が広がっていた。

  「うっしゃぁあーー!!また獲ったぜぇ~」

  「上手い!じゃあ次あれ狙ってよ」

  「了解!!!」

  高田はカウンターからかなり身を乗り出して、限界まで腕を伸ばして標的を狙っていた。その巨体と腕の長さで、外しようがないくらいほとんど目の前まで銃を突き出し、景品を撃ち落としている。こーすけもこーすけで、ゲーム機のような大型の的を避けて、落とせそうな商品ばかり高田に指示を出していた。連続で落としていく姿に子供たちから歓声が上がり、店主は不機嫌そうな顔をしていた。

  俺はため息をつきながら次を狙っている高田に小走りで歩み寄り、軽くパンチした。

  「何やってんだよ!」

  「ん?何が!?」

  「反則だろそんなの。狙ってねぇじゃねぇか!」

  「えぇ!?射的ってこういうもんだろ!!?」

  驚いた顔をする高田にこーすけが後ろからフォローを入れる。

  「あぁ、実はコレわりと正攻法なの。そもそも玩具の銃だし、真っ直ぐ玉が飛ぶわけないじゃん?みんなやってるよ」

  「……そうなのか?」

  「まぁ高田くんがやったら銃で小突いてるようなもんだけど。反則じゃないよ」

  高田を見るとカウンターの上に手をついて、ぐっと前のめりになっている。そもそも体がデカイのと、猫科の体幹、片手で体重を支えられる筋肉が合わさって、至近距離まで近づいている。きっと店主もこんなやつが遊びに来る想定の用意じゃなかったんだろう。とはいえ高田だけ止めるわけにもいかないから、つまらなさそうに眺めているだけだ。

  少し斜めになっているキャラメルの箱を吹き飛ばしたところで、ようやく高田の弾が尽きたようだ。

  「……お前小さいやつばっか狙ってんな」

  「え!?普通にお菓子の方が欲しくね!?」

  「………………………………」

  一等にはゲーム機、二等にはアニメキャラのフィギュアなんかがある中で、駄菓子目当てでやるなんてほんと変な奴だ。そりゃたくさん取れて楽しいだろうな。

  猪獣人の店主が渋々といった様子で袋詰めのお菓子を高田に渡していた。本来ならあまり取られないようにできているのかもしれない。ニコニコ顔で受けとる高田を一瞥して戻っていった。

  「うわぁ、射的で元取ってる人初めて見た。400円分はあるね」

  「おっ!ヨーグルトのやつあんじゃん!!俺コレ好きなんだよなぁ!!」

  「………あぁ、それ懐かしいな」

  すると、ゲットしたお菓子をチェックしてる高田の元に、さっき射的屋にいた子供の一人が声をかけてきた。

  「洋兄ちゃん、ねぇ、洋兄ちゃん」

  「ん?あっ!ボンちゃんじゃん!!!久しぶりだな!!!」

  高田の背中をつついていた蜥蜴の子供は、少しもじもじしながら話しかけてきた。見たところ小学五年生くらいだけど、高田はえらく親しげに頭を撫でている。友達……にしては歳が離れすぎてるような気もするが、どういう関係なんだろうか。

  「さっきさ、あの射的のやつ、すごかった」

  「だろっ!?俺得意だからさぁー!」

  「洋兄ちゃんは、あの、高校楽しい?」

  「ん?楽しい!めっちゃ楽しいぞ!ボンちゃんも来れたらいいな!」

  小学五年生と同じ目線で談笑できるのは、一種の才能だと思う。中学生の頃は小学校と併設だったから、これくらいの歳の子と喋ることはあったけど、無意識に見下してしまって楽しく話を続けられなかった。まぁ単に精神年齢が同じって説もあるけど。

  「あの、じゃあ……………彼女できた?」

  蜥蜴の子は少し恥じらいながら高田に聞く。祭りの喧騒に紛れて、近くにいた俺くらいにしか聞こえなかったのだろう。当然高田は耳が遠いし。

  「え!?なんて!?」

  「ん、なんでもない!バイバイ」

  「ん?バイバーイ!」

  蜥蜴の子は急にそっぽを向くと、友達の方へ走っていってしまった。一度聞き返したはずの高田ももうお菓子に興味が移ったのか、再び袋を弄り始めていた。

  「ねぇ高田くん、今の子だれ?」

  「ん?ボンちゃん!近所の小学生!!」

  「友達?」

  「そう!!たまに公園で遊ぶんだよ!!!最近あんま行ってねぇけどな!!」

  ………高校生が公園で小学生と遊ぶのって、絶対普通じゃないと思う。チラリとこーすけの顔を見ると、苦笑いしていた。

  「珍しいね。最近は近所付き合いとかもしないからさ」

  「だよなぁーー俺ボンちゃん家行ったことねぇもん」

  いやこーすけが言いたいのはそういうことじゃないけど、こいつに説明しても無駄か。

  ただそれより、ボンちゃんが高田にした質問、彼女がいるか聞いたことに俺は少し驚いていた。小学生とはいえ都会の子はもう恋愛に興味があるのか、という点と、あの言い方や態度からしてボンちゃんは高田のことが好きなんだろう。稲光が同性愛者の高校だとも知っているかもしれない。あの年齢で性自認も済んでるなんて、都会の子は大人びてるなと思うところだ。

  「あのくらいの子と、何人か知り合いなの?」

  「えぇっとなぁ、あと三人くらいいるな!!」

  「何して遊ぶの?」

  「そりゃ鬼ごっことかかくれんぼだろ!!」

  当たり前みたいな顔して言ってるが近所の子供と休日に公園で遊ぶのは、なかなか普通じゃない。下手すりゃ不審者扱いだろうし。こーすけは苦笑いしながら適当な相槌を打つと、そっと話題を逸らした。

  「そういえば今何時?花火は8時半からだから……」

  携帯を見る様子もない高田と持ってすらいない俺は目をしばたたかせる。こーすけは着物の裾から携帯を取り出して、時間を確認した。

  「あ、あと15分くらいじゃん……」

  「あっ!!!!」

  不意に高田が大きな声を上げて、俺もこーすけもビクッとなった。相変わらずこの不意打ちには慣れない。

  「これボンちゃん好きなやつじゃん!!俺ちょっとあげてくるわ!!!」

  「はぁ?」

  ニカニカ笑いながら急に関係ないことを言って、手を振って人混みに消えていく高田。そのあまりの自分勝手さに俺は半分キレたような声を出してしまったが、それを気にもせず高田は居なくなった。

  「アイツほんとなんなんだよ……」

  「高田くんと付き合えてる秋沢くんスゴすぎ。距離近くなるほど振り回されるタイプだね」

  嵐のように現れては消えていった高田は置いといて、結局いつも通りこーすけと二人になってしまった。花火の時間まで少しあるみたいだが、どうしようか。

  こーすけの方を見ると、俺の顔をじっと見ていた。

  「ちょっと時間あるからさ、あれやらない?」

  「ん?どれ」

  「ヨーヨー釣り。子供の遊びだけど、せっかくだし」

  こーすけが指差した先にはあまり人気の無さそうな出店があって、木の看板にヨーヨー釣りと書いてあった。中身は全く想像がつかない。

  手を引かれるまま屋台の前に歩いていくと、小さなビニールプールの水面にカラフルな風船が浮かんでいて、プカプカと浮いている。長い輪ゴムもくっついているようだけど。

  「すみませーん、一回お願いします」

  こーすけが声をかけたのはビニールプールの前のプラスチックの籠の上にどっかりと座っている、年配の兎獣人だった。

  「…………はいよ…………これ使いな」

  渋く嗄れた声と共に差し出されたフックのついた白い糸……こーすけは受けとると俺に手渡してきた。

  「やってみ?」

  「……お前は?」

  「裾濡れちゃうから。哲也がやってるとこ見てる」

  地面にしゃがみこんで、俺を見上げるこーすけ。何とも言えない表情でじっと見つめてくる。裾が地面につくのはいいのか、と思いながら、俺もこーすけの横にしゃがんだ。

  「そのフックで、ゴムの輪っかのとこを引っかけるの」

  「あぁ……なるほど」

  受け取ったフックは糸が脆そうで、慎重にやらないと千切れてしまうだろう。そのギリギリを楽しむゲームなんだろう。

  目の前のプールには涼しげな水風船がたくさん浮かんでいる。気持ち良さそうだな、と変な考えを追いやったあと、そっとフックを水面に近づけていった。

  ポチャン、と小さく水面が揺れて、フックが沈んでいく。糸の部分が水に触れて、だんだんとコントロールが効かなくなっていく。

  「もっとゆっくり……そうそう」

  横からこーすけが口を出してるのも気にならないくらい集中していた。輪っかにフックが入りそうで、なかなか入らない。何度か水面を行き来する度に糸は脆くなるから、早いとこ釣り上げないといけないんだけど。自分の不器用さが少し嫌になった。

  すると、横からそっとこーすけが俺に手を重ねてきた。普段なら取っ払うところだが、ヨーヨー釣りを手伝おうとしてるんだろう。されるがままにしていると、フックはぴったりゴムの輪っかに収まって、先端を引っかけるのに成功した。

  「あっ、通った……」

  「ゆっくりゆっくり………………っ、あ」

  こーすけと共に徐々にヨーヨーを持ち上げようとしたところで、重みに耐えきれず糸がプツリと切れてしまった。きっと何度も水に浸けすぎたせいだろう。輪ゴムとフックは再び水の中に落ちていった。

  「あー惜しかったね?」

  こーすけは微笑みながら俺の手をそっと離した。少し言葉が出るのが遅れたが、負け惜しみのような冗談を言う。

  「お前が触らなかったらとれてた」

  「嘘。穴にも通せなかったくせに」

  適当な冗談を言い合ったあと、こーすけは店主に向き直って財布を取り出す。

  「すいません、いくらですか?」

  「…………………………………………」

  こーすけの声を無視するかのように、店主は黙ってプールの中に落ちたフックと、一つの水風船を引っ張り上げた。白と茶色と黒の、三毛柄のヨーヨー。

  店主はそれを俺に直接手渡してきた。景品のヨーヨーを手掴みでとって渡されたのに、困惑して店主を見ると、緩やかに微笑んでいるように見えた。

  「っ…………えっ、あの…………」

  「…………お代はいいよ。兄ちゃん…………大事にしな」

  「え?いいんですか?」

  「……………………………………」

  店主は黙って頷くと、席を立って店の掃除をし始めた。見た感じ店じまいをするのかもしれない。

  なんでタダで水風船をくれたのかは分からないが、ご厚意ならありがたく受け取っておこう。こーすけと共に大きめの声でお礼を言ってから、店から離れて歩きだした。

  「あんな粋なおじいさん、まだ東京にいたんだね」

  気になるこーすけの第一声はよく分からなかった。

  「…………なんでタダでくれたんだ?」

  「それが粋ってやつ。哲也は分かんなくてもいいよ」

  なんだよそれ。また俺だけ何も分からないのか?

  渡されたヨーヨーを見てみると、三毛柄の風船の中に少量の水が入っていて、振るとバシャバシャ音が鳴るようだった。

  「その輪っかに指通して、ヨーヨーみたいにパンパン遊ぶの。中指がいいかな?」

  言われるがまま中指を通して、ドリブルするように上下に動かせば、バインバインと跳ねながら大きな音を立てて何度も勢いよくぶつかってきた。ヨーヨーとはちょっと違う気もするけど、子供が喜びそうな玩具だった。

  「すぐに萎んじゃうけどね……祭りのあと見ると悲しくなりがち」

  「…………この風船、お前と同じ色だな」

  俺の言葉に、こーすけは少しだけ目を広げて、黙って目を伏せた。俺も何だか何も喋れなくなって、周囲の様子に目を向ける。人混みは多少薄れたような気もするが、相変わらず賑やかで煌びやかだ。すぐ近くを光る剣を持った子供が走り去っていった。

  そんな騒音の中で、俺にだけ聞こえる小さな声で、こーすけは言った。

  「ねぇ、神社行かない?」

  「は?」

  予想だにしない一言に、俺は間抜けな声を上げた。この辺の神社といったら稲光神社くらいだけど。

  こーすけは真剣な目をしていた。

  「去年の夏、一人で稲光神社から花火を見たの。会場で見るより高さがあって綺麗に見えるし……何より静かだった」

  「………寮監が、会場から出るなって」

  「集合時間に帰ってくればバレないよ。何より哲也と、あそこから花火が見たい」

  態度からしてもどうやら本気のようだ。監督つきの夜間外出から、勝手に抜け出すのはバレたら本当にまずい。生徒指導……親にも連絡がいくだろうし……。そのリスクを取ってまで見に行くべきなんだろうか?確かに神社のある丘からは、河川敷もよく見えたけれど。

  すると、こーすけは俺の服の裾をぎゅっと掴んだ。

  「……お願い」

  「…………………………………………」

  何をそんなに真剣なのかよく分からないけど……服を掴まれながら上目遣いに頼まれると、なんだか断れなくなった。誰にも見られないように、さっさと帰るんであれば……まぁ。

  「分かったよ。一瞬だけな」

  「ほんと!?ありがと。早く行こ?」

  嬉しそうに微笑むこーすけに、俺はまたこいつのわがままを聞いてるな、とぼんやりと思った。

  [newpage]

  河川敷と稲光神社はそう遠くない。数分で行ける距離だから、花火の時間には間に合うだろうが、スニーカーの俺と違って草履のこーすけは神社の階段を登るのに時間がかかっていた。そりゃただでさえ歩きづらい格好なんだから仕方ないが、もうちょっと急いでほしいくらい。

  階段を登りながら、こーすけの話を聞く。

  「ほんとは規則違反だけど、毎年夏祭りには抜け出す寮生がよくいるって。先輩たちの受け売りだよ」

  「それって全部バレてないのか?」

  「半分くらいはバレてる。年々監視の目も厳しくなってるしね」

  「…………じゃあ俺らも危ねぇじゃねぇか」

  こーすけに流されて来たものの、既にいないことがバレてないか心配になってきた。まぁポジティブに考えるなら、それだけ前例があれば罰も軽くなるかもしれない……ってくらい。

  夏の夜の神社はやっぱり暗くて、今日は月明かりも薄いから視界が悪い。凸凹の石階段を踏み外さないように、こーすけに合わせてゆっくりと登っていく。木立から香る土と木の匂いは、先程の喧騒からの静けさと相まってかなりリラックスさせてくれた。

  「あ…………そういや上柴と久郷田先輩………」

  「あぁ…………まぁこの際しょうがないでしょ」

  どちらも花火のときに合流する約束だったけど、ここまで来てしまった以上引き返せない。なんと言い訳すればいいか……道に迷った、じゃ流石に白々しいだろうな。なんかあったらこーすけのせいにしよう……そう思ってもう一段階段を登ろうと踏みしめたときだった。

  パァーンッ!!!!!

  遠くで銃声のような音が聞こえて、夜闇に響き渡った。パラパラと破裂するような音が次々に鳴り始め、木立越しに光の粒が見え隠れしている。どう考えもこれは花火だ。

  「始まっちゃった!」

  「急げよ、早く見たい」

  「ちょっと待ってって……」

  歩きづらそうになりながらもなんとかトントンと階段を登っていって、俺も一足先に鳥居をくぐり、いつもの見晴らしの良い特等席へと歩みを進めた。ぐるりと神社を囲む木立の一部分だけ木が生えていない場所。町の景色が一望できるポイントから、河川敷の空に浮かぶ花火を、ついに俺は目にした。

  どこからともなく昇った小さな粒が、真っ黒な夜空に吸い込まれたかと思えば、パッと色鮮やかな光となって花開き、町を照らしていた。ほんの一瞬の煌めきが、次から次へと夜空に閃光を映し出し、まるで一つの映像を見ているかのような、壮大な作品。絶え間なく発する破裂音と、何重にも重なる花火は、その圧倒的な美しさにしばらく俺の目を奪った。

  「………………綺麗だな」

  「…………うん。いいよね」

  いつの間にか隣にいたこーすけをチラリと見ると、そのガラス玉のような目も花火に吸い込まれているようで、俺も再び花火に視線を向けた。

  初めはまるで乱雑に見えた花火の数々も、今度は色や形を統一してまさにショーだった。端に昇る青色の小さな光、その横で揺蕩うように踊る白色、真ん中で激しく大輪を咲かせ続ける赤色の火花。タイミングも、色彩も、何もかも完璧に思えた。

  不意にこーすけが俺の手を引いた。稲光神社の特等席には、やや座れそうな形の岩がある。二人だと少し詰めないといけないが、ゆっくりと楽しむために俺はこーすけの隣に座った。

  「スゴいな……こんなの初めて見た」

  「数十分も上げ続けるんだから、火薬もとんでもない量だろうね」

  「職人さんたちの耳が心配だな」

  「っ、何それ………大丈夫に決まってんじゃん」

  こーすけは小さく笑い声を上げると、浴衣を正して満足げなため息をついた。

  「ありがとね。色々」

  「…………色々?」

  「今こうして、隣で花火を見てくれてありがとう。去年は一人だったからさ」

  「…………あぁ」

  こーすけの一年時の話を聞くたびに、俺の中のこーすけのイメージとはギャップを感じる。誰にでも絡みに行ける社交性もあるし、先輩との距離の詰め方も上手い。だが一年生のときは孤独だったというし、事実俺以外に親しい同級生もいない。なんだか周りの話も聞かないと、こーすけという獣人を掴みきれない気がする。なんにせよ、変わり者ということは事実だろうけど。

  「哲也に会えてホントによかった。俺は運がいいね」

  「…………なんだよ急に。明日いなくなるのか?」

  「ハハ、死亡フラグみたいになっちゃった。でも本当に思ってる」

  花火から少し目を背けて、横に座るこーすけを見た。大きな黒い双眸に、色とりどりな花火が映ってキラキラと輝いている。首もとがはだけた浴衣から、少し薄れたが未だに香る女の子の匂い。華奢な首、浮き出た鎖骨…………細く短いマズル。

  気づけばじっと見てしまっていた。遠くで上がる花火の色が、仄かにこーすけの白毛に移った。

  「………………お祭り、どうだった?」

  「え?あぁ……………………楽しかったよ」

  こちらを向いたこーすけを見て、慌てて目を逸らした。なんだか目を合わせられない。いや、原因は分かってる…………こーすけが女の子みたいだからだ。

  思えばこんな間近で見たのは初めてだった。初対面ほどのインパクトはないが……近くに寄れば寄るほど、心地よく鼻を刺激する香水が、お祭りの屋台の残り香が、俺の脈を早めていた。

  それを知ってか知らずか、こーすけは俺の肩をポンポンと叩いた。

  「ねぇ、なんで目逸らすの?」

  「………………はぁ、分かってんだろ」

  「………………分かってる。でも、哲也の口から聞きたいな」

  「…………………………………………」

  俺は少し目を伏せた。視界の端には未だに花火が光り続ける。夏の夜の、誰もいない神社。俺たちにまで、その光を届かせて。

  横を向いて、こーすけを見た。こーすけも俺を見ている。少し首を傾げながら、キラキラとした眼で、俺の心を見透かすように、じっと。

  「………………………………可愛いよ」

  「……っ、…………………………」

  俺の口から言えるのは、これが限界だった。恥ずかしくて、これ以上は褒められない。でもきっと、それで十分で、なぜならこーすけは。

  今までに見たことのない程顔を赤らめていたからだ。

  「……………………………………」

  「……………………………………」

  二人して沈黙が続く。何も言えない、お互いに顔を赤らめて、どうしようもなく悶えていて。ただ幾分が俺の方が余裕があったらしい。見たことのない様相のこーすけに、口許を綻ばせる程度だったけれど。

  「ッ、もう……………………反則」

  「……ん?何が?」

  「はぁ……………………………………」

  こーすけは、顔を下に向けてため息を吐くと、やや真面目な表情になって再び俺を見つめた。

  「…………知ってる。わがままなのも、錯覚なのも」

  「…………………………………………」

  「……………………でも、やっぱり俺は」

  「……………………っ…………………」

  不意に、こーすけがゆっくりと顔を近づけてきた。細い腕を俺の首に回して、じっと目を合わせて。

  きっとどうなるか、俺は分かっていたはずだ。

  それでも、ほんの一瞬も抵抗する気持ちが沸かなかったのは、強くなっていく雌の香水と、目の前の猫獣人が、とても可愛かったから。

  近づいた顔。自然と目を瞑る。マズルの先に、小さくて、柔らかいマズルがぶつかる。ほんの数秒、でもそれが長い時間に感じられた。遠くで、花火の音がまだ鳴っている。

  離れたあと。眼前にはいつもの猫獣人の顔があった。にっこりと微笑んでいるのに、俺はなんだか、悲しそうに見えた。

  「………どうしようもなく、あなたが好きです」

  「…………………………………………………………………………」

  あのガラス玉のような眼が見えなくなるくらい、ぎゅっと目を細めて笑った顔に、俺は目を離すことができなかった。時間がまた、ゆっくりと進んでいるような気がした。頭の中はぼんやりとしていて、何一つ考えがまとまらなかった。

  こーすけはゆっくりと首に回した腕を取ると、俺から目を逸らして俯いた。祈るように指を組んで、足先をブラブラと動かす。

  なんと声をかければいいか、分からなかった。返事?必要なんだろうか。言わなくても、こーすけは分かってる。ちゃんと言った方が、こーすけのためか?

  「………………なんか、言ってよ」

  再び口を開いたこーすけは、横目で俺を見上げる。あぁそうか、思ったこと……言えばいいのか。

  「………………蝉が…………鳴いてるな」

  「っ、え?セミ?」

  少し目を開いた猫獣人に、微笑みかける。

  「今気づいた。蝉っていつの間にか鳴いてるよな」

  「…………先週くらいから鳴いてたと思うけど」

  「そうか?意外と気づかないもんだな」

  俺の言葉に、こーすけは目をぱちくりさせた。明らかに困惑の表情を浮かべている。

  「え?な、比喩かなんか?」

  「いや?そのまんまの意味」

  「いや、今………………キスしたのに」

  「あぁ………………まぁある意味、これが返事だ」

  「………………ある意味?」

  「なんていうか……お前とはキスした後も、普通に喋れる。それくらい…………俺にとって近い存在なんだな、って今思った」

  俺の返事を聞いた途端に、こーすけは頭を抱えた。予想外の返事だったのだろうか、少しでも意表をつけたのは楽しい。

  「…………なんかそれ、あんま良くない気がする」

  「……ん、なんで?」

  「………………恋人ってより家族方面じゃん……距離近すぎたかも」

  小声で喋るこーすけに聞き返してみるも、独り言のようで教えてはくれなかった。花火もクライマックス中なのか、次々と音と光が炸裂している。

  こんなロマンチックなシチュエーションだと、こーすけとキスをしてしまうのも不可抗力に感じてきて、少しだけ自分を許すことができた。また流されてしまったし、また抵抗できなかったけれど。

  「…………あーあ、哲也が俺のこと大好きになってくれないかな」

  「本人の前で言うなよ……」

  「うん……でも一歩前進。やっと篠崎くんに追いついたかな」

  「っ、お前ライバル心でキスしたのか?」

  「違うよ。この神社に来てから本音しか言ってない。俺にしては珍しいね」

  こーすけはいたずらっぽく微笑むと、わざとらしく俺の手を握った。

  「時間ないから、そろそろ行こ?また来年も、哲也とここで花火見たいな」

  俺を見上げるその顔は、いつもの…………俺への好意を抑えつつ、友達としての距離感を保ってくれている…………こーすけの顔だった。

  何気なく、こーすけという変わり者の猫獣人の片鱗が掴めたような気がして、俺はぎゅっと手を握り返した。

  神社に屯しすぎたせいか、時間はギリギリどころか少し超過しかけていた。帰りの階段は俺が担いで時短したとはいえ、集合場所の駐車場まではある程度距離がある。なんとか祭りの会場の方から出てこないといけないのも念頭に入れつつ、俺とこーすけは急いで夜道を戻っていた。

  空にはまだ花火が咲いていて、ゆっくり終わりまで見れたらどれだけいいだろうと思った。特に今は柳の木のような垂れた金色の光が空を覆っいて、急ぎながらもついチラチラと空を見上げてしまった。高校生のうちには、じっくり花火を見るのは難しいだろうから、きっといつか、最後まで堪能したいところだ。

  ようやく河川敷の付近まで近づいてきて、なんとか階段を見つけて駆け上がる。このまま一度会場の中に戻ってしまえば、遅刻だけの生徒で済む。俺らの他にも遅刻者はいるだろうし、無事に辿り着けば───

  「───ちょっと待った!ストップ!!」

  ちょうど河川敷の土手に登った瞬間、横から張り上げた声が聞こえて俺たちは立ち止まった。声の主は小走りで近づいてくると、腰に手を当てながら俺らを見下ろした。

  「………………西村先生」

  「はぁ……………………嫌な予感が当たって残念だ」

  「…………あの、すみません僕が………………」

  ジャージ姿の西村先生は、怒っている様子はないとはいえ呆れたような、失望したような顔で俺を見ていた。むしろ怒鳴られた方が良かったかもしれない。信頼関係を築けそうだった先生を失望させてしまった。俺は早くも心臓が締め付けられていた。

  「寮監さんの話、聞いていなかったかな?単独行動……祭りの会場から出るのは禁止だ」

  いつもの優しい声から、冷たく突き放したような声になっている。バレてしまったこと、失望させたことに背骨が凍るような感覚を受けていた。弁明の余地はあるんだろうか。

  「…………僕が哲也を勝手に連れ出しました。どうしても神社で花火が見たくて」

  「同意したのなら同罪だ。花火を見に行っただけ?他には?」

  「……それだけです。すみませんでした」

  俺の謝罪の言葉に西村先生は困ったような顔をした。恐らくこのまま寮監に報告して、何かしら処罰を受けるんだろうけれど。

  先生はため息をついてから言い放つ。

  「………青春を楽しむのは喜ばしいけど、ちゃんとルールの範囲で楽しみなさい。もし君たちが途中で事故にでも遭ったら、誰も助けに行けないかもしれない」

  「………………はい」

  「良識のある行動を心がけて。渡嘉敷くん、君はもう少し……規律的な生徒だと思っていたよ」

  西村先生の視線に耐えかねて、俺は思わず下を向いた。言い訳できるようなことは何もない。ただ謝って、落ち込む限りだった。

  同じくこーすけも何も言わず、耳を垂れて先生の言葉を待つばかりだ。

  「さぁ、寮監さんも心配してるだろうから、早く戻ろう。集合時間はとっくに過ぎてるよ」

  先生は俺たちを手招きしながら、やや早歩きで出口へ進みだした。少し後ろを俺たちも着いていく。煌びやかな花火や出店も、なんだか遠くに聞こえるようで、あのウキウキとした雰囲気は何も浮かんでこない。

  小声で、隣のこーすけに話しかけられる。

  「……ごめん。ちょうど出くわしちゃって……」

  「………俺も着いてったんだから同罪だろ。この後、どうなるんだ?」

  「分かんないけど………多分普通の寮則違反と同じ扱いだと思う」

  「………………退寮にはならないよな?」

  「多分………………正直寮監さんの酌量次第かも」

  俺にとって一番まずい結果は、じいちゃんに連絡がいって退寮処置だ。退寮させられたら稲光には通えなくなるし、島に戻るしか無くなるかもしれない。規則を破って中退………島の人に顔向けできない。

  自然とため息が漏れる中、左右の屋台はどんどん通りすぎていき、会場の入り口の駐車場が見えてきた。

  「………下手に言い訳するより、平謝りした方がいいと思う。俺ら前科無いから」

  「………………そうだろうな」

  度々やっぱり流されて規則違反をしてしまうけど、本当に良くないからやめよう。上柴と朝に出歩いたり、久郷田先輩とホテルに行ったり、ストーカーを捕まえに夜間外出したり。抗えないときもあるけれど、やはりバレないからって規則を破るのはダメだ。その辺の線引きが曖昧になりかけてた節があったから……ちゃんと気を引き締めよう。

  河川敷のエリアを出て、駐車場へ入ると既に端の方に寮生たちが集合していた。俺たちが最後なのかもしれないが、まだまばらに散らばっていて全員を待たせている感じではなさそうだった。近寄ってきた西村先生に、寮監も小走りで近づいてくる。

  「西村先生!」

  「あぁ、ご心配なく。連れてきました」

  寮監は俺たちの姿を見るなりキッと真面目な顔になった。

  「渡嘉敷くん、利根川くん8分遅刻です。あれだけ時間厳守って言ったでしょ!?」

  「す、すみません…………」

  慌てて頭を下げる俺の背中に、大きな虎獣人の掌が触れた。

  「二人ともトイレを探してたみたいで、だいぶ奥の方まで行っていたようです。他の生徒は全員集まってますか?」

  「はい。点呼は取れてるので早く並ばせないと……」

  「そうですね。ほら、行きなさい」

  寮監が慌ただしく烏合の衆へ走っていったのを見て、西村先生は俺たちの背中を押す。でも俺は困惑して、立ち止まって先生を見上げる。

  「え…………あの、先生…………」

  「ちゃんと反省してるなら、もうしないようにね。早く行きなさい」

  微笑を浮かべながら再び俺の背中をポン、と叩くと、のんびりと先生たちの方へ向かう西村先生。いい加減俺たちも歩き出すけれど、まさか庇ってくれるとは思いもよらなかった。

  こーすけの顔を見ると、やや戸惑ってるように見えた。

  「…………イケメン過ぎる。あんなドラマみたいな先生現実にいるんだ……」

  「…………かっこいいな」

  西村先生が稲光の生徒からモテているのは、単に顔だけじゃないんだろう。規則違反の生徒相手には、少し優しすぎるかもしれないが……西村先生の好感度はめちゃくちゃ跳ね上がった。

  罰が無くてホッとしたのと、先生に庇ってもらえて嬉しかったので、ようやく緊張の糸が切れたような気がした。なんとか整列中の寮生たちの最後尾に加わって、安心感から深くため息をついた。

  周りの寮生たちは相変わらずガヤガヤと喋りながら、祭りで上がったテンションをクールダウンしているようだ。みんなお土産か出店の食べ物を持っていて、寮に帰ってからも楽しむんだろう。

  すると、人混みからどこからともなく狐獣人の耳が飛び出してきた。

  「先輩たち、お疲れ様です」

  「あっ、上柴…………ごめん、集合できなくてさ」

  「あはは……久郷田先輩たちも居なくなってたので、結局花火は籠谷くんと見ました」

  元はと言えば一番最初に上柴が誘ってくれたのに、途中から完全に別行動になってしまった。苦笑する上柴に申し訳ない気持ちが浮かぶ。

  「ごめんねーあの虎獣人に振り回されちゃって」

  「いえ、はぐれたのは僕ですから……」

  「籠谷とは無事回れたのか?」

  俺の何の気なしに言った質問に、上柴は少し首を傾げる。

  「は、はいもちろん…………?」

  「あぁいや、トラブルとか無かったかなって。今の上柴見たら、声とかかけられそうだろ?」

  「ハハ、いえ……大丈夫でした」

  籠谷の件でボロを出しそうになったが、なんとか言い訳して誤魔化した。納得してくれたか分からないけど、とりあえずやり過ごせてよかった。

  こーすけもフォローですぐに話題を変える。

  「そういえば食べるばっかりでお土産忘れてたなー」

  「この水風船くらいだな」

  手に持っていたヨーヨーを軽く跳ねさせる。心なしかさっきより少し萎んだように見える。

  「僕も篠崎くん用のお土産だけです」

  「あっ」

  上柴の言葉に久しぶりに篠崎の存在を思い出した。たこ焼きを買ってきてくれって頼まれてたんだっけ。完全に忘れていたし、結局時間はなかっただろうけど。

  「篠崎くん今頃泣いてるかもね」

  「…………まぁすぐに機嫌戻るだろ」

  「お土産、よかったら渡嘉敷先輩から渡しますか?」

  「いや、流石にいいよ。ありがとな」

  最初から最後まで、上柴に気を遣ってもらっていた。お祭りを楽しめたのは、紛れもなくこーすけと上柴と回ることができたからだろう。あとまぁ……ほんの少し高田も。単に一人で観賞するだけじゃ、こんなに色々体験することはできなかった。この友人関係を壊さないためにも、俺はまた今日、こーすけの気持ちを断った。

  ふと談笑する猫獣人に目を向けた。綺麗な浴衣、鮮やかな三毛。何度みても女の子に見える。

  ちょっとした気の迷い。俺はいつまで、この言葉に頼るつもりなんだろうか。