「うわ〜雪だ〜!」
「へへ、すげーだろ!」
息が詰まるような都会の中心地から車で数十時間がたったころ。
同じ音大で仲良くなった狼獣人の悠佑(ゆうすけ)の地元である豪雪地に来ていた。
「にしても人だれもいねぇなおい」
「そりゃまぁ、こんな山奥に住むなんて不便なことしかねーだろ。ここら一体の奴らはみーんな下町に引っ越しちまったよ。」
悠佑所有の4WDのパジェロが雪化粧を纏った山道をどんどんと力強く進んでいく。
次第に道幅も狭くなっていき一瞬でもハンドルさばきを誤れば谷底へ真っ逆さま。
明日の新聞の一面を飾るだろう。
「そろそろ着くぞー」
次第に景色が開けていき眼の前に少し古めの雰囲気を纏う洋館が現れた。
今日からニ日間お世話になる悠佑の実家だ。
「楽しみだな〜、2日日ぶっどうしでピアノ弾いてられるなんてよ!」
「おいおい、どんだけ弾くつもりなんだ。」
「だってせっかくの冬休み、しかもピアノ付きのお家に泊まれるなんてよ!サイコーじゃねーか。」
そんなことを話しながら、丘の上に佇む豪邸とも言えるほどの大きさを持つ玄関前に車を止める。
「到着〜」
「運転お疲れ様。ありがとうな。」
そう言っていそいそと車から降り、玄関の前に立つ。
俺の背丈の2倍ほどある扉が待ち構えていた。
しかしし装飾が剥がれてしまっていて、玄関も雪かきをしてる形跡は見られない。
「はいはい今開けるからちょっとまってね」
そう言って悠佑が車のキーと一緒にかけられた銀色の鍵を穴に差し込み左側にひねりこむ。
次の瞬間音を立てて開いた扉の向こう側には広々としたエントランスが広がっていた。
「さ、寒い!死ぬ死ぬ!」
「人間は毛皮なんて無いかしゃーねーわな。ちょっと待ってろ、ストーブの火起こしてくる。」
そう言ってどこかへと走り去って行く悠佑。
そう言えば親御さんたちの姿は見当たらない。
どこかへ出かけているのだろうか。
「そういえば悠佑の親御さんについて何も聞いたことねぇな。」
そんなことを呟いていながら体を震わせていると悠佑が戻ってきて2階へと案内された。
「ここがピアノ部屋」
二階の長い廊下の先にある角部屋を開けるとそこには広々とした空間にグランドピアノがぽつんと設置されていた。
ピアノ以外にも壁に沿って本棚が設置されていてそこには楽譜であろう冊子がずらりと並んでいた。
「ここは電気ストーブ置いてあるからまだ寒いようなら強めていいよ。」
「サンキュー」
俺は荷物を床に置き早速ピアノに近づき屋根を持ち上げたとき違和感を感じた。
「どした?」
「ん?ああ!なんでもない。」
突然の質問に少し狼狽えたが、誤魔化してしまった。
なるべく平常心を装ってピアノの椅子に座る。
「何弾いて欲しいよ」
「えー…じゃあ、月光」
「わかった」
俺はピアノの鍵盤に手を置き、音を弾き出し始めた。
いくらストーブが効いてるからとはいえ、流石に雪山の奥だ。
手が悴んで拙い音を出しながらも、ベートーヴェン作曲の月光第三楽章を奏でていく。
ピアノの音が壁と反響し、混ざり合って空気を振るわせる。
「……流石だね。」
「おう、いいピアノだなこれ。」
引き終わりと同時に悠佑は拍手をしてこちらと向かい合った。
「それじゃあ一旦こんなもんにして、部屋行こうよ。」
「うし、そーすっか」
そう言って荷物を持って部屋を出ようとしたとき、後ろから何か生き物の気配を感じた。
「!!!」
咄嗟に振り返ったがそこには誰もおらず、先ほどと同じように漆黒のグランドピアノが佇んでいるだけだった。
「おーい、どうした?大丈夫か?」
「うん!大丈夫!今行く!」
そうして俺は廊下を戻っていき悠佑の元へと向かった。
悠佑が待機している部屋の前まで行き、ゆっくりと扉を開け中の部屋とご対面する。
そこには先ほどのピアノ部屋よりかは小さいが、一人が生活するには十分すぎるほどの一人部屋が視界に飛び込んできた。
「す、すげー!これ俺の部屋の何倍だよ!」
「あはは、そんな大袈裟な。今日はこの部屋使ってな。じゃあ俺ちょっと車動かして来るから。好きなようにしてて。ちなみに隣は俺の部屋な。入っても面白いようなもんないけど、入るなよー」
そう言って悠佑は車を動かしに部屋を出て行った。
流石にこんな部屋を一人で、しかも好きなときにピアノが弾けるなんてなんで幸せなんだろう。
こんな思いをさせてくれている悠佑には本当に頭が上がらない。
そんなことを考えながら荷物をまとめ、コートをクローゼットの中にしまおうと開けたときである。
「ん?」
なにか、クローゼットの下の奥の方に置いてある。
なんだ?あれ。
俺が奥の方に置いてある大きな画板のようなものに手を差し伸べようとしたときである。
♪〜♫〜〜♫♫♫〜♪♪〜………
ピアノの音だ。
このどこか物寂しい雰囲気、間違いない。
ベートーヴェン作曲「月光 第一楽章」だ。
「…………………」
俺は動きを止めてしまった。
聞こえてきた音に俺の時間を支配された。
月光の第一楽章など、今まで腐るほど聞いたことがあるし、弾いたことももちろんある。
それなのになぜだろうか。
なぜこんなにも悲しい音が出せるのだろう。
♬〜♫♩♩〜〜♫♬〜〜〜〜♩〜…………
一音一音に何かメッセージ性を感じずにはいられなかった。
簡単に消えてしまいそうな火が優しそうに、それでいて胸を刺激するような音として耳に入って来る。
…悠佑、こんな演奏法もできたのか。
俺はクローゼットの奥の方へあった何かのことをすっかり忘れて、そのままピアノの演奏を聴きながら荷物を崩した。
その後悠佑が帰ってきて、夕方の18時ごろまでぶっ通しでピアノを弾き合った。
お互いの指摘点、改善点なとをぶつけ合い、とても有意義に時間を使うことができた。
そうして二人とも腹を空かせ、来る道中に買っておいた食料を俺の部屋で食べることとなった。
「いやー、改めて広いお家だわ。びっくりだよ。」
「あはは。ありがとう」
二人で大きなオードブルを囲み合いながらくだらないをし合っていたときそんな話題になった。
俺はここで今まで疑問に思っていたことを直球に聞いてみたら。
「そういえば親御さんは?まだいらしてないみたいだけど。」
俺がそう聞いた瞬間、空気が揺らいだのを感じた。
彼の三角耳が一瞬ぴくりと反応したが、次の時にはすでに平常時の耳へと戻っていた。
「……今日のために家開けてもらったんだよ。」
どこか吐き出すようにして言った彼は俺と目を合わせようとしない。
もしかしたら話しずらい事情があるのかもしれない。
俺は咄嗟に話題を変えた。
「そ、そう言えば、さっきお前の月光聞いたよ。いやー、すげぇロマンチックに弾けるんだな!感心したよ。」
すると彼は再びこちらを向き直す。
「あれ?さっき俺弾いたっけ?」
「さっきじゃなくてさ、車動かしに行くって言って部屋からでてった時。あのあとピアノ部屋行っただろ?俺感動しちまったよ。」
俺がオードブルの中にあったしなしなのポテトを口に放り込んだ次の瞬間、
「行ってねぇよ?」
…………え?
「な、何言ってんの?だって弾いてたじゃん。」
「いやいやお前だって何言ってんだよ。俺はあのあと玄関まで直行したんだぜ?俺がピアノ部屋入ったのはお前に案内した時と、さっきまでの2回だけ…………おい、まて、それ何楽章だった?」
先ほどまでとは打って変わって目の前の狼は乱れている。
何か引っかかるところでもあるのだろうか?
「何ってそりゃあ……」
♩♬〜♬♩♫〜〜♩♩〜♫〜…………
「「!!!!!!!!!!!!!」」
背筋が凍りついた。
俺たちの鼓膜を揺らすこの曲は紛れもない。
「月光第一楽章」
「え、う、うそでしょ…」
「…………………」
この洋館には俺と悠佑の二人しかいないはず。
……そう、他の部屋に誰かいるはずもないんだ。
俺は咄嗟に悠佑に抱きついてしまった。
窓の外はすでに日が沈み、2メートル先も見えないような暗闇。
空には煌々と一人寂れた三日月が辺りを照らしていた。
ブルブルと情けなく震える俺とは対照的に、悠佑の三白眼はゆらゆらと静かに揺れている。
何か思い出したかのような、そんな顔をしていた。
♩♩〜♫♩♬〜〜♩〜♬〜〜…………
先ほどと同様その音は震えている。
弱々しいのにどこか痛い。
聴いているこっちまで胸が痛くなるような音だ。
次の瞬間、悠佑はいきなり立ち上がったかと思ったら、ダッシュでピアノ部屋へと走り始めた。
「ま!待ってよ!」
置いてかれないよう俺も彼の後を追いかける。
廊下を照らすハロゲンの温かい照明を横流しに、長い廊下を走りまくる。
あの部屋に行く勇気なんてないけど、こんな時に一人になるのはもっと嫌だ。
そうしてピアノ部屋の前まで来て、悠佑が勢いよく扉を開けた。
そこで俺の目に飛び込んできたのは。
ピアノを弾く小さな狼獣人だった。
「だ!誰?!なんでこんなところに!?」
俺はパニックになった。
せめて不審者なら大人であろう。
てか不審者がいても困るのだが。
しかしそこにいたのは紛れもない、小学生ほどの狼獣人の男の子であった。
俺が呆気に取られている横で、大学生の悠佑の尻尾は小刻みに揺れていた。
そしてその細長いマズルがゆっくりと開き、言葉を漏らす。
「雪舞(ゆうま)?」
「……………………………………」
ピアノの音が止まった。
雪舞と呼ばれた男の子はこちらの姿を認識したのかと思った次の瞬間、煙の如くその場からフッと姿をくらませた。
「ま、まってくれ!雪舞!」
そう叫ぶ悠佑の先には誰もおらず、漆黒のピアノが月の光を反射しているだけであった。
静かな空間に戻る。
一瞬の間に、突発的で非科学的な現象が多数起きたことに対し脳みそが理解を拒んでいた。
しかし、俺はどうしても一つ気になっていたことがあった。
俺はポロリと言葉に出した。
「……雪舞って?」
「……………………」
悠佑は黙りこくってしまった。
下を向いたまま、琥珀色の瞳が激しく揺れ、息も上がっている。
どうやら、ただごとではない真実が隠されていそうだ。
俺はもう一つ、心に引っかかっていたことがある。
この家について。
俺はゆっくりと口を開いた。
「………ねぇ、悠佑。君の家族って、……」
「………………死んだ」
無機質な低音が部屋に響いた。
「………………」
「………………t
何も喋らなかった。
人生で感じたことのない空気の重さを感じる。
簡単に圧死してしまいそうだ。
そんな静寂を最初に破ったのは、悠佑だった。
「…………あの日も今日みたいに雪の日だった。」
震えた声は確かに言葉を紡いで。
「俺はあの日、家族を。全員、一瞬で亡くした。」
ストーブが切れて冷たくなった部屋で、ポツポツと、しずかに彼はゆっくりと独白を始めた。
「ピアノのコンクールだったんだ。雪舞の。うちの家系は代々音楽家の系譜だったんだ。弦楽器から金管楽器、木管楽器まで、いろんな分野で名を残してきた一族だったんだよ。」
月に照らされたピアノにゆっくりと歩いて近寄る悠佑。
「それで、あいつのコンクールの帰り。突然の吹雪でハンドルを取られた3人を乗せた車は谷底へ真っ逆さま。」
ゆっくりと椅子に腰をかける。
「俺はそん時家でピアノの練習をしてたからよ。全然気づかなくて、近隣の人間が通報してくれた。」
ピアノを抱きしめるような形で手を広げる悠佑。
顔は窓の方へと向いてしまう。
「…………せめてもの救いは、全員即死だったこと。父さんも、母さんも、雪舞も、全員苦しまずに天国に行けたんだよ。」
ポタポタとピアノの白鍵に涙の滴が垂れる。
「俺の手元に帰ってきたのは……3人分の遺骨。……それと、黒焦げになった優秀賞のトロフィーだけだった。」
背中は小刻みに震え、呼吸の間隔も短い。
「どうしようもできなかった……何にも恨めなかった。……。」
重苦しい空気がこの場を支配する。
ここで俺は、何ができる。
………何もできない。
涙を流しながらピスピスト先端が黒い鼻を動かす狼。
一体彼はどれほどの苦労をしてきたのであろう。
俺が想像すらできないであろう苦しみや悲しみ。
それを誰にも頼ることなく、一人で生き抜いてきたんだ。
「………なんでお前をここに呼んだんだろうな。」
どこか諦めたように、自嘲する彼。
「……ははは、知ってもらいたかったのかな。仲良くしてくれるお前に。俺のことを。……バカだな、俺…」
一瞬、されど永遠とも思えるような間が俺たちの間を埋め尽くす。
彼はずうっと、行き先の見えない真っ暗なトンネルを一人で歩いてきたのであろう。
彼が欲しいのは心からの共感でもない。
ならば……
俺はゆっくりと彼の後ろへと歩いていき、包み込むように彼のことを抱きしめた。
「…よく頑張ったな。」
ギュッと、抱きしめる強さを強くした。
温かい背中がふるふると震えた。
「うぅ、うわぁぁぁあぁぁ……」
今までギリギリダムせき止められていた水のように、彼の感情が爆発した。
ずっと一人で孤独だった。
誰にもわかってもらえなかった。
……そんなの、おかしいよ。
頑張りすぎだよ。
一人ぐらい、彼のことを受け止めてあげる人がいないと。
もうこれ以上、彼を傷つける場所なんてないだろ。
狼は顔をぐしゃぐしゃにしながらも、俺の胸の中で涙が枯れるほど泣き通した。
「………これで本当にいいのか?」
「あぁ……」
そう言ってピアノから立ち上がる。
もう何十分も弾き通したから指が取れてしまいそうだ。
翌日、彼からの提案で俺は月光第一楽章と第三楽章を弾き続けた。
「…成仏できるといいね。」
「…そうだな」
昨日、雪舞の霊が出てきたのは俺が着いて早々月光第三楽章を弾いたからかもしれないと彼はいう。
彼曰く、雪舞は負けず嫌いで、いっつもコンクールで負けてはギャンギャン泣いて帰ってきていたそうだ。
「まぁでも、そこは兄弟だね。」
「どーゆー意味だ」
どこか不服そうな顔で見つめてくる悠佑。
こんなところも弟君は似てるんだろうなぁ
「ふふふ」
「何笑ってんだよ」
「いやぁ?なにも?」
「てめぇ…」
俺はピアノから立ち上がって彼の腕を掴む。
「じゃあそろそろ帰る準備しよっか」
「……おう」
そうしてピアノ部屋から出ようと扉を開けた時。
♩♬〜…………
「「!!!!!!!!!!!」」
またもや勝手にピアノがなった。
「……ふふふ」
でも、今回の音は昨日とは違い、楽しげな、それでおいてどこか活き活きとしている音。
悠佑にそっくりだ。
「………ばいばい」
扉を閉める時、小さな男の子の声が聞こえたような、聞こえなかったような………