団長とウルスラ

  狭い室内には事切れた肉塊が転がっており、その下には赤い絨毯が敷かれている。広がる鮮血の上に倒れた時の守護者であるエビワラーの死体を見下ろした牡のバクフーン、黒い外套と帽子を身にまとった将校は、つま先でそれを蹴ると室内を見渡した。坑道で捉えたグレーゴルと名乗るリオルは脱走し、どこにも姿が見えなかった。その事実に将校は溜め息を漏らすと、同じように黒い外套と帽子を身にまとった牡のゴウカザル、ヴィレムに目を向けた。

  「星の調査団の生き残りが逃がしたか...おそらくセレビィとキモリのはずだ、追いなさい」

  エビワラーの死体をつま先で蹴り転がし遊んでいたヴィレムは「了解」と応えると重たげに腰を上げた。ヴィレムは傍に置いてあるマスケット銃を手に取ると、扉の外に待機している時の守護者たちを引き連れ、部屋を後にした。

  室内には将校と、彼の側近である外套を身にまとった若いポケモン、Kのみが残った。Kもまた、エビワラーの死体をつま先で突っついており、それを見た将校はKに向かって「止めなさい」と口に出した。将校の言葉にKは素直に従うと、死体の傍を離れ、近くの床に目を向けた。

  それはグレーゴルが乱暴されていた場所であり、その匂いが染み着いている場であった。Kは顔を近づけると匂いを嗅ぎ、そのまま床を舐めた。その様子を見た将校は薄ら笑いを浮かべ、Kの情報収集が終わるのを待った。

  やがて、匂いを覚えたKはゆっくりと立ち上がると将校に目を向けた。彼と目があった将校は目を細めると、試すような口調で尋ねた。

  「追えるか?」

  その言葉にKは深々と頷くと、笑みを浮かべた将校が鳴らした指を合図に駆け出した。その手にはヴィレムと同じくマスケット銃が握られており、Kは瞬く間に部屋を後にした。

  それを見届けた将校はニヤリと笑うと、部屋を見渡し、口を開いた。

  「フランツ」

  将校の呼びかけは室内に響き、壁を叩いた。それが合図であるかのように、壁の中から姿を現した牡のヨノワール、フランツは一つの目を将校に向けると、深々とお辞儀をした。闇のディアルガの腹心であり、盟友でもあるフランツを見た将校は柔らかな笑みを浮かべると、口を開いた。

  「あのキモリとリオルは、セレビィの力を使い過去の世界に向かう筈です。奴らが星の調査団である以上、その目的は星の停止の阻止か我々の壊滅...どちらにせよ、私たちも向かう必要があります」

  「...はい」

  フランツは将校の言葉に小さく頷き、目を逸らした。その姿を見た将校は微かに口角を歪めると、窓から外を見た。そこには虜囚達が強制労働や強制奉仕に当てられており、その光景を見下ろした将校は横目でフランツを見た。

  「宝石の採集はディアルガ様の命、ディアルガ様の命は絶対です」

  闇のディアルガの名前を聞いたフランツは目を伏せると、小さく頷き壁の向こうに消えた。それを見届けた将校は僅かに笑みをこぼすと、愉快そうな眼差しで外の光景を見た。

  将校の意図を察したフランツは、壁の向こうにある廊下を歩くと、窓の外に目を向けた。辺りに転がる死体と酷使される虜囚、その中にはフランツの見知った顔もあり、時の守護者達に蹂躙されている。その光景を見たフランツは一つしかない目を閉じると、頭を小さく振り、顔を伏せた。

  滅び行く世界で、フランツはがむしゃらに生きてきた。両親を殺され、頼れる者もいないフランツの力を将校は、闇のディアルガは求めてきた。それは目的もなく生きていたフランツの心に染み渡り、彼を支配した。今もフランツは将校を通して闇のディアルガに付き従っており、その命令に従おうとしている。

  見知ったポケモンすら見捨てたフランツが、心を許した友を追い、排除するように命令された。

  「...」

  こびり付いた染みのように広がる闇のディアルガの意思と将校の命令、そして友であるカフカを殺したくないという気持ちが染みの中を漂う。それらを胸に抱いたフランツは目を閉じたまま歩き続けた。

  (殺したくない...)

  生まれて初めて闇のディアルガと将校に逆らおうとする自身に気がついたフランツは、一つしかない目を大きく見開くと震える口から息を吐いた。幸いにも、周囲にはフランツしかいない。心を読めるポケモンもいないため、先ほどの考えが闇のディアルガ達に知られる危険性は限りなく低い。それでも、初めて抱いた感情にフランツは生娘のように身体を震わせると、廊下の先を見た。

  そこにはフランツの部下として闇のディアルガから与えられたヤミヤミ達の姿があり、彼らは宝石の目をフランツに向けると指示を待っていた。

  「フランツ様、この後はどうされますか?」

  ヤミラミの問いにフランツは唇を僅かに噛み締めると、目を伏せながら口を開いた。

  「リオルのグレーゴル、キモリのカフカ、セレビィを追跡する。まずは連中がタイムスリップした時代を特定し、ディアルガ様の御力で我らも向かうぞ」

  フランツの言葉にヤミラミ達は鋭い爪を振り上げ、高らかな声をあげた。まるで血肉に飢えた獣のような雄叫びをあげるヤミラミ達、その心が滅び行く世界に犯されている事は明白だ。

  それを知りつつも、フランツはヤミラミ達に言えなかった。

  彼らを追うな、カフカに危害を加えるなと。

  フランツは腹の奥底に言葉を飲み込むと、ゆっくりと歩き出した。巨体に似合わぬ小さな背中を、ヤミラミ達は追っていた。

  セレビィのエミルの肩を借りたリオルのグレーゴル、私は何とか足を動かすと、ガルム鉱山に設けられた時の守護者達の詰所から逃げ出そうとしていた。遠くからは守護者達の叫び声が微かに聞こえ、それを耳にした私とエミルは懸命に歩き続けた。

  「早く逃げないと...この先に時の波紋の残りがあるはずです」

  エミルの言葉に私は苦笑いをこぼすと、震える唇を動かした。

  「このイカれた世界から逃げ出せるのなら、どんな藁にも縋り付くよ」

  微かに漏れた皮肉に私は自然と口元を緩めると、視線を足下に向けた。私の排泄孔から垂れる白い液が太腿を伝い、その感覚に私は嫌悪の表情を浮かべた。

  私の表情を見たエミルは辛そうな目で唇を噛み締めると、視線を正面に向けた。

  ヤミラミの雄叫びが聞こえてくる。

  それを耳にしたエミルは歯軋りすると、詰め所近くにある坑道に入った。私に肩を貸したエミルはそのまま暗闇に入ると、身を小さくした。

  数秒後、坑道の入り口をヤミラミ達が通り過ぎ、足音が遠くに響いた。エミルは厳しい表情でヤミラミ達が通り過ぎるのを見届けると、再び私を抱え、坑道の奥に歩いていった。

  「...頑張って、あと少しでこの世界とお別れできますから」

  小柄なエミルの身体では、私を運ぶのに無理がある。エスパーの力を使うにも、カフカをタイムスリップさせ私を助けたエミルには余力がなかった。

  徐々に息が荒くなるエミルは、やがて坑道の奥に広がる空間にたどり着くと、溜め息を零した。

  「ここなら、時の波紋の力を使ってタイムスリップすることもできます...」

  「...早く流刑地に向かいたいよ」

  「地獄よりはマシですかね」

  私の言葉にエミルはクスクス笑うと、額を伝う汗を拭った。その姿に私は感謝の意を胸中に抱くが、それを口に出す余裕はなかった。エミルは私を岩に座らせると、空間の中央に移動した。エミルはそこで目を閉ざすと、右手を地面に当て意識を集中させた。

  時の波紋から集めたエネルギーを地面に伝達させると、エミルは静かに息を吐いた。直後、彼女を中心に青白い円がいくつも発生し、瞬く間に幾層もの円が広がる。まるで静かな水面に投石した際に生じた波形のようなそれは、見ている者を感嘆させる。

  自然と息が止まった私の目はエミルに向けられ、その美しさに目を奪われた。私の視線に気がついたエミルは微かに笑みを浮かべると、私に手を差しのばした。

  「...闇のディアルガの力を借りれば、時の守護者達もタイムスリップが可能です。私はここに残り食い止めるので、グレーゴルさんは世界を救ってください」

  「...ほんとうに良いのか?」

  私の質問にエミルは頷くと、口を開いた。

  「この世界に醜くしがみつくよりは、グレーゴルさんのわがままに付き合う方が1mmほどマシですよ」

  カフカと同じような返事に私は笑みを浮かべると、エミルの差し出した手を掴み、青白い光の中に足を踏み入れた。私の視界は青く染まり、光の外から微笑むエミルの姿が消えていく。エミルは泣き出しそうな表情で私を見つめると、微かに唇を動かした。

  「例え貴方が死刑された元人間であろうとも、例え信じる者がいなくても、私やノア、カフカさんは貴方を信じます」

  エミルの言葉を聞いた私は、思わず涙腺が緩みそうになった。それを抑えた私は微かに口角を緩めると、少しずつ強くなる光の中に溶けるエミルに言った。

  「ありがとう」

  *

  薄汚れた寝台に横たわっていたジュプトルのカフカは、激しい動悸を覚え、目を開いた。額から冷や汗が流れ落ち、胃酸独特の苦味が喉の奥から広がってくる。それを強引に抑え込んだカフカは身体を起こし、陶器を手に取った。白磁のそれを満たす水を喉の奥に流し込み、カフカは眉根を微かに寄せた。胃酸の苦味は温い水の感覚により掻き消され、僅かな不快感のみが残る。それを腹の奥底にしまったカフカはゆっくりと身体を起こすと、狭い室内を見渡した。

  室内は寝る前に見た光景とさほど変わっておらず、寝台の下のスペースに隠したカバンも変わらずそこにある。カバンの中、キザキの森から奪取した時の歯車は静かに横たわっており、カフカ以外の宿泊客や従業員は誰もその存在を知らない。

  キザキの森を離れたカフカは、一時的な拠点であった廃墟から移動し、道沿いにある宿で一晩を過ごした。宿には旅のポケモンやギルドに所属するポケモンも泊まっており、彼らに混じりカフカも一晩を明かした。

  既に探検隊『鎌鼬』により、キザキの森から時の歯車を奪ったカフカは指名手配されている。ジュプトルという種族は保安官事務所やギルドから職務質問されるようになり、カフカもまた数度の職務質問を受けた。その度にカフカはザムザという偽名を名乗り、布地を扱う旅の商人と偽り、そのための布地を保安官事務所やギルドのポケモンに見せた。幸いにも、ジュプトルという情報しか出回っていないため、カフカの嘘を見抜けるポケモンはいなかった。

  そうしてキザキの森を離れたカフカは宿で休息を取り、束の間の安らぎの時を得た。

  ゆっくりと身体を起こしたカフカは僅かに伸びをすると、隣で動く影に目を向けた。カフカの隣にはシーツにくるまった人形のウサギポケモン、チャームズのリーダーであるミミロップのミストは眠たげに欠伸をすると、寝ぼけ眼のままカフカを見た。

  宿にチェックインしたカフカは、キザキの森における救助活動を終えた探検隊、チャームズとフロントで出会し、例の如く彼女らに職務質問された。もっとも、ザムザという偽名とダミーの布地を見せることで彼女らを納得させることはできた。

  だが、ミストからの追求は収まらず、むしろ夜のお相手としてカフカを指名した。彼女の言動にカフカは唖然とし、サーナイトのソフィとチャーレムのエレナは頭を抱えていた。

  そうして一晩が開け、ミストと夜を共にしたカフカは小さく息を吐いた。

  「...凄まじいテクニックだな」

  ミストの技と体力にカフカの精力は底をつきかけつつあった。だが、ミストは物足りなさそうな表情でカフカを見上げると、目を擦りながら口を開いた。

  「仕方ないでしょう、溜まっていたのよ」

  カフカはミストの言葉を聞き、思わず耳を疑った。他のポケモン達から尊敬の眼差しを向けられているチャームズのリーダーとは思えない発言であったからだ。驚くカフカを尻目にミストは身体をゆっくりと起こすと、ベッドサイドの机に置かれているパイプに手を伸ばした。ミストはそれを咥えると、火打ち石で先端に火を灯し、煙を吸った。

  「あれだけの死を目にしたのよ...今は生を謳歌したいわ」

  煙を吐き出しながらミストは言葉にすると、舌舐めずりした。妖艶な彼女の姿にカフカは思わず顔を背け、恥ずかしそうに俯いた。カフカの反応にミストは微笑むと、彼の腕にもたれかかり、煙草を咥えた。

  その煙にカフカは嫌そうな表情を浮かべた。

  「...頼むから、俺はそれが苦手なんだよ」

  カフカの言葉を聞いたミストはクスクスと笑い、煙を空に吐き出した。彼女の目はカフカの商品に向けられており、物珍しそうに見ていた。

  「ザムザの仕事は儲かっているの?」

  奇異の目を向けてくるミストの問いにカフカは「うーん」と小さな声を漏らすと、彼女の頰に手を当てた。

  「少なくとも...食いっ逸れることはないな、後は極上の美女の同伴を願えるほど...かな」

  カフカの言葉を聞いたミストはクスクスと笑い声をあげた。そして煙草の煙を吐き出すと、灰皿にそれを押し当てた。

  室内に微かな煙草の臭いが広がり、それを嗅いだカフカは眉根を寄せた。そんなカフカの表情を見たミストは愉快そうに口角を歪めると、彼の胸板に顔を沈めた。

  暖かな彼女の身体を抱き締めたカフカは、目を細めた。

  「...生を謳歌できたか?」

  カフカの問いにミストは頷くと、彼の胸板を舐めた。その感覚にカフカは呻き声を漏らし、その反応を見たミストはニヤニヤと笑みを浮かべた。

  「酒と煙草と薬とセックス...虚しいけど、探検以外で私が生を感じられるのはそれくらいよ」

  寂しげな声でミストは話すと、少しずつ大きくなるカフカのナニに手を伸ばした。彼女はナニを掴み、それを擦ることで彼に快感を与えた。ミストの生み出す刺激にカフカは身を任せると、目を閉じた。

  料理や音楽、文学は未来の世界にないものであった。ごく稀に酒や煙草、薬が手に入ることはあったが、未来の滅び行く世界における主たる娯楽はセックスであった。それを思い出したカフカの瞼の裏に、未来の世界にいた仲間の顔が過ぎる。

  ラプラスのノア。

  セレビィのエミル。

  そしてリオルのグレーゴル。

  彼らの顔を思い出したカフカは、快楽と罪悪の二つの感情を抱いた。

  (時の歯車を見つけたぞ...早くグレーゴル達もこちらへ来てくれ...)

  ミストの顔に欲望を吐き出したカフカは、息を乱し、呻き声をあげた。その姿を見たミストはクスクス笑い続けると、薬液の入った袋を取り出し、中身を口を含んだ。快楽の源、薬を摂取したミストは恍惚とした表情でカフカを見上げると、彼の耳元で囁いた。

  「楽しみましょう」

  その言葉を聞いたカフカは、僅かに腕に力を込めると、ミストの身体を押し退けた。彼の行動にミストは目を丸くさせたが、カフカはそれを歯牙にもかけず、寝台から身を起こした。そしてカフカは呆然とするミストに目を向けると、「すまん」と一言だけ送った。

  「...やらなければならない仕事を思い出したよ、悪いがお前の相手は仕事の後になりそうだ」

  カフカの言葉を聞いたミストは歯軋りしたが、「そう」と短く答えた。中枢神経に働きかける薬を摂取していたが、存外ミストは冷静な反応を示した。それを見たカフカは再度「すまん」と声を漏らすと、荷物一式と時の歯車を収めたカバンを手に取った。そしてミストを残し部屋を後にした。

  その背中を見届けたミストは、カフカの気配が完全に無くなるまで身じろぎせずにいた。やがて、カフカの気配が無くなると、彼女は嗚咽を漏らしながら右手を己の性器に挿れ、寝台に残されたカフカの匂いに身を任せた。

  室内には呻き声と嬌声の二重奏が広がった。

  *

  ワイワイタウンに入港した船から降りたルカリオのオズワルド、ガブリアスのゼーンに変幻したゾロアークのニコル、マフォクシーのヘレンは港を後にすると、人の溢れる市街地の中央に位置する噴水の前に立っていた。多種多様なポケモン達が歩き回り、空を飛び、数多くの建物からは喧騒が響き渡る。街の中心部にはレシラム教の本拠地である教会が建てられている。一目で荘厳な作りとわかる建物は街を見下ろし、まるで世界を、人々を支配しているかのように君臨している。

  噴水の周囲にはトレジャータウンと比較にならない規模の街並みが広がり、それらを見上げたオズワルドは感嘆の息を漏らした。

  「凄い...初めて見ましたよ」

  呆然とした表情のオズワルドはそう呟き、彼の言葉を聞いたニコルとヘレンは微かに笑みを浮かべた。

  「ここは水の大陸でも最大の街だよ。カピンタウンとは比べ物にならないだろ」

  変幻しているニコルは男性口調で話し、彼女の言葉を聞いたヘレンは首を縦に振った。

  「懐かしいわ、この感覚...華やかさと影が両立する雰囲気だわ」

  そう呟いたヘレンは目を細めた。その姿を見たオズワルドは彼女が没落した華族である事を思い出した。人身売買業者との関与が疑われているエンブオーのアイザックス大司祭の許嫁でもあったヘレンは、かつて己が生まれ育った街を見渡し、溜め息をこぼした。

  その姿を見たオズワルドは、躊躇するような口調で尋ねた。

  「...ヘレンは家に寄らなくてもいいのですか?」

  それはオズワルドなりの気遣いであった。その事を理解しているヘレンはニコリと微笑むと、彼の頭を撫で、口を開いた。

  「両親が処刑された後、家はレシラム教に接収されたわ。もう貴金属はもちろん、家財道具すら残っていないわよ」

  自虐的な笑みをみせたヘレンの言葉に、オズワルドは身を小さくした。それを横から見ていたニコルはオズワルドの頭をポンポンと叩くと、オズワルドとヘレンの注意を集めた。

  彼女の視線は噴水の先に向けられており、そこには人混みを掻き分け、オズワルド達の下に近寄ってくる影があった。影、巨大な口を携えた小さなポケモン、牝のクチートは他のポケモン達に踏まれないように避けながら歩き続けると、オズワルド達の側で止まった。

  彼女はオズワルドの顔を見上げると、微かに笑みをみせた。

  「ヘンデルの依頼を受けたのは君たちか?」

  クチートの問いにニコルとヘレンは頷き、それに倣いオズワルドもオドオドとした雰囲気のまま頷いた。それを視認したクチートは僅かに口角を緩め、ヘレンと握手をした。

  「私は調査団のウルスラ、君達の案内役だよ」

  クチート、ウルスラの紹介に自己紹介をしたニコルは「よろしく」と返し、先導する彼女の後を追った。ニコルに続きヘレンとオズワルドも足を動かすと、噴水の傍を離れ、街中を歩いていく。

  大柄なサイドンやハリテヤマなどのポケモン達に踏まれぬ様に避けつつ、ウルスラは足を動かす。彼女に倣い、オズワルド達も石畳の地面を踏み締め、歩き続ける。

  「そういえば、キザキの暴動は鎮静化できたのかい?」

  歩きながらウルスラは尋ね、それを聞いたニコルは苦い表情を浮かべた。彼女の顔を見たウルスラは口を紡ぐと、「そうか」と呟いた。

  「キザキの暴動に関しては、こちらにも話が届いているよ。かなり酷い暴動のようだな」

  ウルスラの言葉にニコルは「はい...」と目を伏せながら呟いた。

  「キザキの集落はレシラム教徒とゼクロム教徒が共存していた土地なだけあり、もともと小競り合いの火種はあったようです。そこに時の歯車の紛失という事実が重なり...集落は地獄と化しました」

  凶悪なガブリアスに変幻しているニコルの落ち込む姿を見たウルスラは目を丸くし彼女を見上げていたが、やがて溜め息をこぼした。

  「暴動により家を追われた住民の人身売買にレシラム教の関係者が、この街の者が関与しているとは...同じ街に住む者として恥ずかしく思うよ」

  ウルスラはそう呟き、「すまない」と言った。彼女の言葉を聞いたニコルは気にするなと言わんばかしに首を左右に振ると、街中を見渡した。

  「どこも同じだ...陽の当たる面もあれば陰になる面もある」

  ニコルの言葉を聞いたオズワルドは、かつて自身が買われていた売春宿を思い出した。カピンタウンにあるそれは、異教徒や人買いに攫われた者が商品とされていた。オズワルドもまた、記憶のない状態で海岸に打ち上げられ、人買いに攫われた1人である。

  故にオズワルドはキザキの森から攫われた住民の身を案ずると共に、攫った人買いと彼らと繋がりのあるアイザックス大司祭に対する憎しみの感情を覚えた。

  そしてアイザックスはかつてオズワルドを買った客でもあった。彼に乱暴に抱かれた記憶が鮮明に脳内を過ぎり、オズワルドは微かに身震いした。

  全身を覆う寒気にオズワルドは身体を強張らせる。それに気が付いたニコルは何も言わずにオズワルドの肩を抱き寄せると、安心させるように彼の頭を撫でた。

  暖かな感覚が広がり、オズワルドは目を細めた。

  まるで子供のように甘えるオズワルドを見たニコルは僅かに微笑むと、改めて街中を見渡した。

  表通りは様々な影や店、物に溢れ、美しさと喧騒に包まれていた。だが、裏通りには家のない子供や物乞い、薬の中毒者、犯罪者などの姿があり、言葉に表せられない雰囲気が広がる。

  裏通りの入り口を一瞥したニコルは溜め息を漏らすと、ウルスラの背中を追った。

  その脇を白と黒、レシラム教とゼクロム教徒の証である装飾品を身に付けた一団が通り抜けた。

  先頭を歩く牡のエンペルトのフルトは人混みを掻き分けながら進むと、辺りを見回した。彼の後ろに続く一団もまた、レシラム教とゼクロム教の証を身に付けており、それぞれが武器を携帯していた。

  「そろそろ教会に着きますよ、巫女様」

  フルトは肩越しに振り向くと、一団の中心を歩く牝のゼラオラを見た。ゼラオラ、巫女はフルトの言葉を聞き頷くと、嫌そうな表情で溜め息をこぼした。その姿を見たフルトは呆れたように眉を顰めると、口を開いた。

  「教会ではオズボーン様とアイザックス様が待っております、そろそろ愛想という言葉を覚えていただかないと...」

  

  「寝る相手に媚を売れと?代わりにお前が抱かれろ」

  巫女の言葉を聞いたフルトは眉間に指を当てると、息を吐き出した。

  「何と下品な...巫女様にはゼクロム教とレシラム教の橋渡しになる大切な役目がありますよ」

  フルトの説教に巫女は嫌そうに眉を寄せると、周囲を歩く一団を見た。彼らはフルトと共に巫女を警護する役目を拝命しているが、実態はレシラム教に捧げられる巫女が逃げ出さないように見張る事が仕事である。

  「...つまり、キザキの暴動にケジメをつける事が私の役割...異教徒の子を孕めというのか」

  フルトの腹の内を見抜いている巫女は憎々しそうに話すが、フルトは涼しい表情のまま彼女を見た。その目は尊敬の色など微塵もなく、ただ物を見るそれであった。

  フルトの目を見た巫女は憎しみのこもった視線を向けるが、フルトは無表情のまま歩き続ける。仮に逃げ出そうにも、周囲の護衛が素直に彼女を逃す筈もない。巫女はそれを理解しているため、悔しそうな表情のまま歩いていた。

  一団は、レシラム教の教会に続く階段を昇り、中に消えていった。

  同じ頃、ウルスラに先導されたオズワルド達は街の中央通りを通り抜けると、街の外れにある大きな建物前に到着した。

  それは、まるで城である。

  巨大な建物を見上げたオズワルドとニコルは驚きの表情を浮かべ、ヘレンは懐かしい物を見る目で見ていた。そしてウルスラは「こっちだ」と言うと、彼らを城内に入れた。彼女の言葉を聞いたオズワルドとニコルは戸惑うように歩くと、城内に入り、中を見渡し唖然とした。

  「これは凄い...初めて見ました」

  オズワルドの感想にニコルは頷くと、呆然とした顔でホールの天井を見ていた。

  「確かに...ゴシック建築とでもいうのか」

  ニコルも驚きの顔で呟くと、ウルスラとヘレンに続いてホールの中を進んだ。そのまま彼らはホールと隣接する応接室に入った。室内には飾られた生花の香りが広がり、オズワルドの鼻を擽る。

  「団長、お客を連れてきたぞ」

  室内に設けられたソファーに座っている牡のデンリュウ、団長は「はいはい」と呟き、手元の本を読み続けていた。依然として顔をあげない団長を見たオズワルドとニコルは戸惑いの表情を、ウルスラとヘレンは溜め息をこぼした。

  次の瞬間、ウルスラは団長の座るソファーを蹴った。

  その振動により団長は顔をあげると、怪訝そうな表情でウルスラを見た。

  「なんですか、このアンポンタン」

  団長は気に食わないと言わんばかしに本を閉じると、ゆっくりと立ち上がった。そして本をテーブルの上に置くと、ウルスラの頭を撫で「ご苦労様です」 と言った。

  そして団長はオズワルドとニコルに目を向けると、ニコリと微笑んだ。

  「はじめまして、ワタシは調査団の団長です。アナタ達がヘンデルの話していた方々ですね」

  差し出された団長の手を握り返すと、ニコルは頷いた。

  「私はゼーン、彼らはヘレンとオズワルド...ヘンデル氏の依頼を受け、こちらに来ました」

  ニコルの紹介を聞いた団長とウルスラは頷くと、オズワルド達に座るように促した。オズワルドはそれに素直に応じると、団長とウルスラの向かいに腰掛けた。その隣にニコル、ヘレンも腰掛けると、彼らと顔を向かい合わせた。

  かちゃりと食器のぶつかる音が聞こえた。

  オズワルドがそちらに目を向けると、調査団の団員であるブイゼルが立っており、紅茶の入ったカップを人数分置いた。ブイゼルはお辞儀をすると、そのまま応接室を後にした。

  心地良い香りが鼻腔に広がり、オズワルドは僅かに頬を緩めた。

  オズワルドの表情を見た団長はニコリと微笑むと、口を開いた。

  「あなた達の事情はヘンデルから聞いていますよ」

  そう話した団長はカップを手に取ると、それを口に注ぎ込んだ。続いて団長はブイゼルの用意した焼き菓子を手に取ると、それを口にした。

  カリカリとした音が応接室に木霊し、オズワルドの食欲を誘う。

  オズワルドは紅茶と焼き菓子を見て生唾を飲み込んだ。その姿を見たニコルはクスクスと笑い、ヘレンとウルスラは沈黙したまま紅茶を口にした。

  そんな中、団長はマイペースに口を動かした。

  「さてと...あなた達は人身売買業者とアイザックス大司祭の繋がりの調査と証拠確保のために来たそうですが...どうされるおつもりで?」

  団長の質問にニコルは小さく頷くと、口を開いた。

  「キザキの森の集落の村長のヨルノズク...奴が浚われた住民の人身売買に関与し、アイザックス大司祭に賄賂を送り、罪を逃れている事は判明しています。これが業者からの利益と賄賂の明細です」

  「ヘンデル氏からです」と続けたニコルは目録を団長に手渡し、それを受け取った団長はウルスラと共に目を通した。そこに記されている金、宝石、酒、奴隷の一覧を見た団長は低いうなり声を漏らした。

  「なるほど...ただ、これだけでは偽造された可能性を否定できない物ですね」

  そう呟いた団長は目録をウルスラに手渡し、ニコルと目を合わせた。目録を受け取ったウルスラも低いうなり声を漏らすと、苦渋の表情を浮かべた。

  「団長の言うとおりだ、これだけではアイザックス大司祭と村長を教会に告発する事は難しいな...せめて犯罪の現場...取引現場を保安官と共に抑える必要があるな」

  ウルスラの言葉と団長の視線に、ニコルもまた苦渋の声を漏らすとヘレンとオズワルドを横目で見た。彼女の視線にヘレンは沈黙したまま頷き、オズワルドは恐る恐るといった雰囲気のまま、首を縦に振った。

  彼らの反応を見たニコルは苦い表情のまま溜め息を漏らした。

  「やはり...相手はレシラム教の大司祭...確実な証拠が無ければ難しいですよね」

  ニコルの言葉に団長とウルスラは首肯すると、目録に目を向けた。

  「...証拠確保のために、大司祭を吊るのはどうですかね」

  唐突に団長は言った。

  それを聞いたニコルとオズワルドは目を大きく見開き、ウルスラとヘレンは頷いた。彼らの反応を見た団長は焼き菓子を頬張ると、それを飲み込み、口を開いた。

  「アイザックス大司祭が食らいつく獲物を用意し、それを餌に人身売買業者と大司祭の取引を抑える...そうすれば証拠を抑え、教会に告発できますね」

  団長の提案を聞いたウルスラは「確かに...」と呟くと、目録から視線をあげた。

  「聞けば...アイザックス大司祭は相当な色好きとのこと...好みに合えば牡牝は関係なしだそうだ」

  ウルスラの言葉を聞いたヘレンは戸惑いの表情をみせると、口を開いた。

  「だけど...アイザックス大司祭が食いつく餌が何処に...」

  ヘレンの肩にニコルの手が置かれた。それに気がついたヘレンは口を閉じ、ニコルに目を向けた。彼女の視線にニコルは頷くと、隣に座るオズワルドに目を向けた。

  「餌はある」

  ニコルの言葉にオズワルドは僅かに身体を震わせるが、力強い目で彼女を見返した。

  「はい」

  応接室にオズワルドの声が響いた。