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【捕食(狼×人間♂)】大上神社奇譚②

  僕は旅行が好きだ。観光地もいいけれど、目的地を決めず何でもない町や村を訪れるのも悪くない。土地の暮らしや風景など、そこにしかないものを感じるのが好きだった。

  大学1年の秋、僕は連休を利用してローカル線の小旅行に出掛けた。

  「次は 神山 神山です」

  1時間に2本しか電車のない辺鄙な村。電車を降りると、枯れ草を燃やす煙の匂いがした。

  駅前には郵便局と交番、食料品や雑貨を扱うひなびた商店、小さな宿があり、そこから先は田畑ばかりで、その合間に数軒の農家が点在している。

  商店でパンを買おうと立ち寄ると、だいぶ腰の曲がった婆さんが出てきた。住民かその親族以外はそうそう訪れることのない所なのだろう。どこか物珍しそうにキョロキョロと僕を見ながら話しかけてきた。

  「兄さん、大学生?どこからおいでな」

  「はい。K市の、R大です」

  「この辺に親類か誰かおいでか」

  「いえ、別に。こういうわけで、小旅行です」

  「そうですか。まあ、こんな村によく」

  めったにない外来の客に、婆さんは嬉しげに話かけてくる。そこへ掛けなと上がり框をさし、お茶を出してくれた。

  「兄さん、好きなところを見てったらいいだろうけど、あそこの神社だけはよしておきなよ」

  「え?どこですか」

  「向こうの山をしょった鳥居のところ。あそこはあぶないでな。おまえさまのような可愛い男の子は大上さんにたべられちまうよ」

  「あはは、オオカミさんかあ」

  「笑い事じゃない。大上さんはほんとにおるで。いつだかも、同じくらいの兄さんが食べられちまっただもの」

  さっきまで冗談を言っていた婆さんが、きゅうにひどく真面目な顔をしてそう話すので、内心面食らった。

  ーー確かに、そんなことがあったなあ。

  数年前、なんとかいう神社で起きた大学生失踪事件は、小さな村での事件なので、わりと鮮明に記憶されている。

  ここだったのか。

  「わかりました。ご忠告、ありがとうございます」

  「ま、帰りもよかったら顔だしておくんなさい」

  僕は商店をあとにした。

  ◆◆◆

  「オオカミさん、か」

  こんな村だもの。迷信深い土地柄なのだろう。

  婆さんの口ぶりにさっきは驚いたけれど、よくよく考えたら何だかおかしくて、ちょっと吹き出してしまう。

  歩いてゆくと“大上神社”の鳥居はすぐに見つかった。

  オオカミって、こんな字なんだ。

  「見に行くぐらい、いいよな」

  ◆◆◆

  まさか、迷うなんて。

  午後3時25分。秋の山の日暮れは早く、足元が薄暗い。

  神社脇の林道は一本道だったはずなのに、どうして迷ったんだろう。

  方向感覚が狂う土地柄なのかな。

  スマートフォンの電波は圏外。

  オオカミさんは出ずとも、熊さんはいるだろう。さすがに身の危険を感じはじめていた。

  夕方の風が、ざあっと森を鳴らす。

  風にのって、どこか獣臭い匂いがした。

  ざ……ざ…ざ…

  ?

  足音?

  …まじで、やばいかな

  心臓がどくどく鳴る。

  怖い。帰りたい。

  駆け出したそのとき、背後の足音が物凄い早さに変わった。

  どっ、どどっ、どどっ!

  並みの動物の足音じゃない。

  やばい、やばい、やばい

  木の根に躓いて盛大に転んだ。膝をひどく擦りむいたが、構ってもいられずまた駆け出した。

  「あ」

  横っ腹にとんでもない衝撃を覚える。

  僕は地面に叩きつけられた。

  ◆◆◆

  巨大な脚が、僕はの頭を踏みつけている。

  頭蓋を砕かれる恐怖に絶叫した。

  「はあっ…はあっ…、や、やだ、はなしてっ!!あ、がああああああ」

  生涯あげたことのない悲鳴。この喉が裂けるほどの叫びすら、獣の耳には届かないようだった。

  と、突然頭をつぶしていた重圧が無くなる。

  はっとして見上げると、白い毛並みの巨大な顔が、大きな口を開けていた。

  「あ、あああああ!」

  ばくん!!!

  視界が一気に暗くなるとともに、全身に衝撃が走った。

  ◆◆◆

  口の端に突き出した左手で狼の黒い唇を掴む。離すまいと爪を食い込ませたが、狼はうるさがるように首をふって咥え直され、簡単に離してしまう。

  がふっ。はぶっ。

  僕の体は完全に口に収まってしまった。

  爪先が喉の肉に触れる。

  「ひっ」

  僕の顔を潰しているごつごつの上顎の延長にある、ぶにっとした、生々しい柔らかさ。

  その先にあるであろう、いや間違いなく存在する、獣の体内へと続く肉の入り口を、いやでも脳裏に想像してしまう。

  「いや…や…ひ、ひいいっ」

  暴れようにも、ぐにぐにと動く舌と洗濯板のような上顎に潰され、身動きがとれない。

  ピンク色に黒いぶちのついた、獣の口。

  ゴクッ

  舌が波打ち、ふくらはぎが喉の奥に触れる。締め付けられる。

  「やめっ、やめろおぉ!」

  僕を押し潰したまま分厚い舌が前後する。柔らかいのにそれは強靭な力で僕の体をねじった。

  痛い。苦しい。獣臭い唾液が呼吸を遮る。

  うつ伏せの体制になったそのときを狙って、僕は舌の付け根にしがみついた。

  無駄な抵抗だった。

  ゴクッ

  舌は嘲笑うように蠢き、太ももまでが喉に押し込まれた。

  平べったい舌の肉がぐっと厚く持ち上がり、狼の喉が弛緩する。

  「ぷはっ。やめろ…やめろお……やめてっ、ぎゃああぁあっ!!ぶっ!!」

  ゴキュッ…ゴクッ!

  嚥下する蠕動のリングが僕の腰骨を捉えた瞬間、これまでにない力で喉の奥へ引きずりこまれた。

  グビッ

  ズルルルルッ

  !!!!

  「うあぁっっ!んんんんーーーッッ!!」

  ヌチッッ…ギュウウウウウウゥゥゥゥ…

  肉の筒が、全身を締め上げる。万歳をした間抜けな姿のまま、食道は僕を奥へ奥へと送り込んで行く。

  ぬめる肉壁は掴まるところもなく、爪もかけられない。抵抗など出来るわけがなかった。

  顔面に粘膜が貼り付いて息が止まるたび、頭がパニックになった。

  やがて爪先にキツいすぼまりを感じたが、時をおかず頭側からやってきた強烈な蠕動に押され、絞り出されるように僕の体は狼の狭い胃袋の中へ送り込まれた。

  ニュッ、ブチュチュチュッ。どちゃっ。

  熱い、ひだひだの肉の感触。思わずついた手の指がひだの間に埋もれ、粘液の泡がブチッと指間から吹き出した。

  どす、どす、どす、どす

  狼が歩きだしたらしい。

  塒へ帰るのだろう。もはや、僕は生きて戻ることはできない。そして、そして…。

  「ひ…ひいいぃいいっ…おええっ」

  暗い、狭い、熱い。展開に頭がついて行かず、僕はたまらず吐いた。自分の胃液が、狼の胃液とともに手元に流れたのを感じた。

  そのとき。

  リリリン♪

  ヴーン。

  「…あ…」

  LINEの着信音だ。

  偶然、電波の届く場所にさしかかったらしい。

  リリリン♪

  ヴーン。

  あまりにも非現実的な展開を、聞きなれた電子音が打ち破る。動転していた頭が一気に正気に戻っていくのを感じた。

  あわてて腰をまさぐる。

  こんなに濡れてしまったものの、奇跡的にスマートフォンは無事だったらしい。液晶画面が、暗闇を青白く照らし出した。

  震える指でライトをつけてみた。

  ひだで埋め尽くされた、赤い、肉の壁。固く閉じた入り口はたまにぴくぴくと痙攣し、掌ほどのつぼまりになっていた。

  こんな所から入ってきたのが俄には信じられないけれど、事実、僕はこうして狼の胃袋のなかにいるのだ。

  『明日の飲み会、出欠おしえて』

  飲み会どころではない。

  あせる手で、返信をうつ。

  「た、す、け、て…、クソッ!」

  ぬめる粘液でうまく操作できない。

  舌打ちして、文字を打つことをやめた。

  電話にしようーーそう思ったときには、もう電波は途絶えてしまっていた。

  「うそだろ…」

  息が止まりそうだった。

  そうこうしているうちに、胃壁がゆっくりと動き始めているのに気がついた。

  初めはごく緩く始まった蠕動が、やがて全身を揉みつぶすような動きに変わってゆく。

  むニュニュニュ…ぶちゃっ。

  顔面を撫でた粘膜が口に入る。

  「うわっ、ぶっ…ぺっ、す、酸っぱい!」

  吐き出したものの、痛いほどの感覚は消えない。しみるように、唇や歯茎がじんじんとした。

  !!

  狼が駆け出したらしい。

  どこっ、どこっ、どこっ。

  無防備な胃袋の中の獲物は振り回されて、びたんびたんと肉壁にたたきつけられた。

  狼の胃は、獲物を消化する体制に入っていた。

  肉食動物の胃液は、phが人間のそれよりはるかに低い。そしてペプシンをはじめ、消化酵素を含んでいる。

  飲み込んだ“食物”を跡形もなく溶かし、根こそぎ消化吸収するためだ。

  いま、僕は胃液を全身にまとっている。

  擦りむいた膝が、再び痛みはじめた。

  指先のほうからちくちくし出したが、やがて皮膚の薄い所は水ぶくれになり、激痛が走った。

  ぶちゅる

  「ぎゃあああああっ」

  おもわず体をのけ反る。しなやかで狭い胃袋は僕が動けば僕の体に合わせてぐにゃりと曲がる。手をつけば力を入れただけ沈みこむ。

  そして、蠕動の収縮が始まると、肉壁はまるで別物のように固く力強く締め付けてくるのだった。

  他の生き物を分解して、吸収して、体の一部にするための運動。

  びゅるる、とたまに腸から逆流してくる膵液もまた、胃液でぼろぼろになった皮膚を容赦なく溶かした。

  ぎゅるっ

  にゅちちち

  ぶちゅる

  逃げ場のない、熱い肉袋。狼の体にとって、僕はただの栄養に過ぎない。絶え間ない消化と蠕動のなか、僕は次第に痛みがわからなくなってきた。

  「ひぁ…」

  頭が朦朧としてくる。誰でもいい。助けをよばなきゃ。通話マーク押すかどうかのうちに、握りしめていたスマートフォンが手から離れたような気がした。ライトが遠くなる。

  強烈な蠕動に包み込まれ、僕は胃袋の底に押し潰された。

  意識が途切れる直前、横腹から何か出てきたような気がした。なにも感じなかった。

  ◆◆◆

  ヴーン。ヴーン。ヴーン。

  「あれ、もしもし?浅井?」

  …ちゅ…ぐち…ぶちゅっ…

  「…?…浅井、だよね」

  ぬちっ…じゅるる…

  プツッ

  ツーッ、ツーッ、ツーッ

  「??…」

  ◆◆◆

  その日を境に彼は音信不通となり、不審に思った友人は警察と家族に連絡を入れた。

  1ヶ月後、釣人がはるか下流の沢で彼のスマートフォンと着衣の一部と思われるものを発見したが、酸等でひどく損傷しており、事件に巻き込まれた可能性があるとして大きなニュースになった

  。

  そして、数回にわたり大規模な捜索が行われたものの、彼の遺体は結局みつからなかったという。

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