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前略、吐きました。
ゴミ箱が間に合わなくて、寝間着が少し汚れた。
元より学校に行くほどの元気もなかったので有給を消化する気分で休みの連絡をした。
この前の事があってから抑鬱傾向にある心身を酷使し続けたことが原因だろう。日に日に耐え難いものになっているのは自分でも分かっていたはずだ。
それなのに無理をし続けてしまった理由_それはきっとショウマとの関係性に焦燥を抱いていた所為だろう。
ショウマと甲斐君はもう付き合っているんじゃないかと思うくらいに仲が良いのに、僕は友達という解釈を取って良いのか分からないような距離感で、その距離を縮めようと自分にできる精一杯を尽くしても、一つも上手くいかない。
見せる表情も甲斐君と僕とじゃ、全然違う。いつまでもショウマへの想いを隠し通せるとは限らない。きっと甲斐君みたいにはいかない。
今でも根を張った不安は胸を締め付ける。
汚れたものを洗濯機にかけた後で軽食の用意をしていると、ベースが家にないことに気付いた。最近は雨続きで、持ち運びを控えていたのだから仕様がない。
今日に限って晴れるので、天気まで自分を嫌っているのではないかと考えてしまう。時間は8時25分、丁度一限目が始まる時間だった。
このまま起きていても、体調が悪い所為で余計にネガティブになった思考に飲まれるだけなので、もう一度寝てしまおうと思った。
…寝れない。
寝ようとしている間にも嫌な妄想が次から次へと湧いてくる。横目に映る黒髪に誰かが触れ、ショウマが笑う。恋人になってしたかったことが、友達なら簡単に出来てしまう。それを羨ましく思っていた。
届かないこの手を自ら傷つけては、近づくに値しない姿になっていく。それを誰かが振り払い、ショウマを守るように抱き締める。孤独。誰も彼もが勇者気取りで言葉の剣を突き立てる。
どこまでも救われない。憎い。憎くて堪らない。これは夢であり、現実だ。過去、現実として起きた事象がショウマに置換されて、起こり得る未来の夢として再上映されている。
そうなりたくなくて、誰のことも好きにならないようにしていたのに。ショウマのことを好きになった所為で、幸せになって、失うことが怖くなって、それなのにまた同じ結末を辿る。
終わらせてしまおうか。いっそこのまま、同じ過ちを繰り返して、全部失って死んでしまおうか。どうせ誰も悲しまない。眠りについて、そのまま目覚めなければいい。
けれど、それが夢だと気付いた瞬間、強烈に目覚めが訪れる。酷く痛む頭を抱えながらスマホの画面を覗くと、一件の通知以外何もない、何の変哲もない12時半過ぎだった。
それだけ自分に人望がないということなんだろう。ショウマだけを見続けて他の有象無象には興味すら持たなかった自分には、これがお似合いだ。
『大丈夫か?』
ショウマから送られてきたたったそれだけの文章が、僕をどうしようもなく幸せにしてしまう。
『大丈夫』
そう返事をしたが、既読はつかなかった。授業中にスマホをいじる方がよっぽど悪いことなのだが。
よく見ると、ショウマからの連絡が来たのは前の休み時間頃だった。
一瞬、僕の身を案じてソワソワしながら、授業内容を頭に叩き込むのもままならなずに机に向かうショウマの姿が思い浮かんだが、そんなことがある訳ないと、その妄想を一蹴した。
そんなことがあるはずがない。あっていいはずがない。皆から愛されるショウマがたった一人の、僕の事ばかり考えるなんてそれこそ都合のいい夢の中の話でしかない。
それでも、その夢を現実の様に扱えるなら。現実を夢の通りにできるのなら。
『放課後、教室に置いてあるベース持ってきてもらってもいい?』
4時、放課後になるその時間まで、無駄な時間を積み重ねた。意味もなくお菓子を焼いたり、炭酸飲料を冷やしたりした。
期待するだけ無駄だと分かっているのに、そうせずにはいられなかった。
僕のことを心配してくれているかもしれない。看病してくれるかもしれない。それを願うのは全く間違いで、それでも不適切な想いだけがこの体を突き動かす。
有り得るはずもない一瞬の、ただそれだけのために僕は生き長らえる。
これまで何度も死にたいと思って、この期待が果たされなかった後も死にたいと思うのだろうけど、ショウマがいるたった一瞬への切望のためだけに、生きていたいという矛盾がうまれる。その矛盾こそが、紛れもない僕なんだ。
悲観には十分な黄昏がパンザーマストを鳴らすと、帰り道を急ぐ子供たちの声や足音が聞こえるようになった。あんな風に誰かと遊んだ過去も、大好きな人と一緒に歩いたことも、僕にはなかった。ショウマと一緒に帰れたのもあの日だけだった。
他のやつらと一緒にいるショウマを脳裏に焼き付け、自分は独りでも生きていけると反芻して、それでようやくいなくなった悲しみや妬みは、いつもこの音が呼び起こす。
どうしたって僕の望みは独り善がりだから、この苦しみは代償としてこれ以上なく相応しい。だからこそ、耐えなきゃいけない痛みに必要以上に苦しむ自分が嫌になって、それが余計に首を絞めてくる。
この苦しみはショウマと結ばれたとして、それで出て来なくなるものなのだろうか。この感情がなくなった時、僕には何が残るのか。何もなくなったとして、そんな僕をショウマは必要としてくれるのか。
そこまで考えたところで、ふと気づいた。そうなることは絶対にないと。幸せになれる事を前提にする未来予想は現実とは程遠いものでしかないと。
訪れる諦観。冷たいそれが、帯びた熱を引きはがしていく。埋まることのない胸の内が冷えていくのは、寂しくて、それでいて心地良いものだった。
心情に反して全く冷めないリンゴのコンポートのシナモンの香りを纏った湯気を眺めながらそんなことを考えていると、不意にチャイムが鳴った。
『今から向かう』
そんな連絡が来ていたのは数十分前だった。
『起きてるか?』
今し方送られてきたばかりのその文字を見つめる。
今、ショウマは僕の家の前にいる。このまま中に誘い込むことが出来れば、あの愚かな妄想の通りにすることが出来る。
『今開ける』
逸る鼓動。沸き立つ欲望。抑え込めない。今度こそ、僕は幸せになるんだ。欲しかったものを手に入れるんだ。
玄関を開けた僕が見たものは、ベースを右肩に背負ったショウマと、_それに付き添う甲斐君だった。
途端、押し寄せる不快感。
ショウマに頼んだ時点でこうなることは予想できたはず。むしろこうなる可能性の方が高いことくらい分かっていたはずだ。それなのに期待してしまった。二人になることを望んでしまった。
絶望が胃液を吸って、より一層大きく膨らんでいく。上手く息が吸えない。過呼吸になっているのか?
心配そうに此方を覗き込むショウマから目を背け、声を掛けられる前に扉を閉め、力なくそこに凭れ掛かった。
石のタイルに、止め処なく溢れる脂汗が滴り落ちる。苦しい。
「おい!大丈夫か!」
ショウマが扉を激しく叩いている。僕が凭れ掛かっている所為で開かないと思ってるんだろう。でも、ごめんね。そっちから開けるには引かないといけないんだよ。
そうやって愛おしいと思えば思う程、胸の痛みが酷くなる。
耐えきれず、胃液が吸いすぎた空気と一緒に吐き出された。まだ足りない。苦しいのがなくならない。
少しづつ、モザイクのかかったようなボケた視界が暗転していく。
何度も昔の夢を見る。大切だった人をたった一つの好意で壊してしまった日の夢を。
現実から逃げた僕に「忘れるなよ」とでも言うように、その日の事だけを何度も何度も反芻する。
その人との思い出にも、楽しい事、幸せだったことがあるはずだったのに、定期的に鮮明になる苦しみしか思い出せなくなっている。
ショウマのことを想えば想う程に、幸せになりたいと願う度に、果てもなく暗い胸の奥底から、お前には無理だと言うためのエビデンスが這い上がってくる。
逃げきることのできないこの呪縛だけが僕の人生を添い遂げるのだろうか。
見上げれば知らない天井_なんてことはなく、いつもの、自室の白い壁紙の中央を梁が貫く自室の天井があった。
頭にはまだ冷たい濡れたタオル、枕元にはゴミ箱と風呂桶、学習机の横のベース。どこまでが夢でどこからが現実なのか、混濁した頭では到底理解することなど叶わなかった。
「起きたか」
ショウマの声が聞こえる。本当に?姿が見えないのに何故ショウマだと分かるのか。自分がショウマのことを間違える訳がないという慢心に過ぎない。
見回すと、ベッドの側面を背もたれに、流行りのアニメの切り抜き動画を見ていた。正確には「全く知りもしてないが、流行っていることだけは情報として流れてくるだけの自分の興味の対象外な萌えアニメ」のそれだった。
「…ごめん」
「何が」
僕の謝罪に対して、ショウマは本当に何事もなかったように、ただ眠っていた僕が目覚めるのを待ってただけのように、その短い一言を返した。その淡白さが、余計に胸を締め付ける。
「…わからない。けど、迷惑かけたはずだから」
そして、無言。アナログ時計のない部屋には、絶えずショウマのスマホから流れてくる動画の音声だけが居心地悪く残っていた。
報い。それがこの罪悪感に刃を突き立てられている感覚を表すのに正しい表現かはさておくが。
「シェパがリンゴと茶葉借りるって言ってた」
「そうか」
ショウマから聞きたくない言葉がまた一つ。どうしてこうもショウマの中は甲斐君ばっかりなんだ。悔しくて、無性に腹が立つ。
この苦しみ以外にも、僕とショウマを繋ぎとめてくれるものは幾らでもあった筈なのに、いつの間にか全部なくなっていて、その隙間を埋められる[[rb:甲斐君 > ひと]]が少しずつ僕からショウマを奪っていく。
そうやって憎んで、心の奥底では誰も彼もを嫌ってて、周りの不幸しか願えない僕にすら優しくしてくれる彼がいる中で、僕はどうして必要とされるのだろうか。
「コレ、シェパから」
ドアの前で甲斐君とやりとりしたショウマがマグカップを二つ持ってきた。きっと一方はショウマのものだろう。
カフェインレスの茶葉のラベンダーの香りが部屋に落ち着きのある彩りを与えた。それが何の役にも立たないことくらい分かり切っているけれど。
赤褐色のコロイドを一口含むと、甘みのある角切りのリンゴ_シナモン漬けのコンポートが邪魔にならない程度に存在感を主張してきた。体に体温が戻っていく感覚と共に、一層冷えていく心根が痛みを訴え始めた。
自分で作るようになってからすっかり忘れていたこのリンゴの意味、母がいた頃は理由もなく特別なものだと思っていたけれど。
謂れのない敗北感にようやく涙が溢れてきた。次々と頬を伝い、零れ落ちる涙をどうしても止めることが出来ない。
ショウマが見ているのに。止めなきゃ。こんな僕は見せちゃいけないのに。
「ううぅぅああぁっ、あああぁ」
意志に反して嗚咽まで漏らして、僕は自分史上最悪なまでに情けない姿を晒し続けている。
こんな僕なのに、ショウマは僕の背中を撫でてくれている。嬉しさと悲しさと悔しさをショウマの胸に深く顔を埋めて流し去った。流れ去ってしまった。
僕は、冷めきった[[rb:御招待の象徴 > リンゴのコンポート]]を飲み干して、それから、二度と作らないと心に決めた。
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