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27

  村の広場。

  集団は、すでに一度、結論を出していた。

  『人に狂った守り手は排除するしかない』

  『人間は見せしめにする』

  だがこういう時、集団は納得するために何度も同じ話を繰り返す。

  エリアスは、柱の前に立たされたまま、動かない。

  縛られてはいない。

  だが、逃げるという選択肢は、最初から与えられていなかった。

  村長が、咳払いをひとつして口を開く。

  「……残念なことになった」

  その言葉は、あまりにも形式的だった。

  「だが、聞くところによれば…

  かの王――エリアスは、今回の勅令には署名していない」

  一瞬、空気が揺れる。

  それは、事実だった。

  少なくとも、村長の手にある情報では。

  「この勅令は、王の知らぬところで出された可能性が高い。それを、この者に背負わせるのは――」

  そこまで言って、村長は言葉を切った。

  視線が、広場を見渡す。

  獣人たちの顔には、納得ではなく、苛立ちが浮かんでいた。

  誰かが、鼻で笑う。

  「だから何だ」

  低い声。

  「王が知らなかった? 署名してない?」

  「人間の内情なんて、知ったことじゃない」

  別の声が、すぐに重なる。

  「人間がしたことは、人間に責任を取らせる」

  「それが筋だろ」

  空気が、再び一方向へ流れ始める。

  「守り手を狂わせた」

  「村を守ってたガレンが、どうなった?」

  「人間がいたからだ」

  「いいように使われたんだ」

  エリアスの前で、

  “エリアスの話ではない言葉”が積み上がっていく。

  目を伏せた獣人が一人だけいた。

  だが、その沈黙はすぐに群れに呑まれた。

  「最初から、奪う気だったのかもしれない」

  「村を乗っ取るために」

  「獣の力を利用するために」

  推測が、断定に変わる。

  誰も、エリアスを見ていない。

  そのとき。

  「……違う」

  低い声が、割り込んだ。

  ギルバートだった。

  獅子の獣人は、広場の端から一歩踏み出している。

  声は、怒鳴っていない。

  だが、耐えきれなかった音だった。

  (守れないなら…せめて、事実を歪めるべきではない、)

  ざわめきが、彼に向く。

  「……何だ、今さら」

  「お前は医師だろ、村長の息子だろ、人間を庇うのか」

  ギルバートは、歯を食いしばった。

  「村長の息子で、医師だから言う。

  俺は、ガレンとエリアスを知っている」

  そして――

  視線を、エリアスに向けた。

  「……話せ」

  突然の指名に、広場が静まる。

  エリアスは、目を伏せたまま、動かなかった。

  ギルバートは、続ける。

  「誑かしたというなら、利用したというなら、その根拠が出てくるはずだ」

  声が、少しだけ低くなる。

  「……俺は、獅子の血を引いている。

  嘘をついていない。

  そして、お前たちも事実を聞いていない」

  獣人たちの間に、わずかな揺らぎが走る。

  だが――

  すぐに、押し返される。

  「聞く必要があるか?」

  「結果がすべてだ」

  「ガレンは、いなくなった」

  「人間は、ここにいる」

  論点は、すでに固定されている。

  ギルバートは、拳を握った。

  ここで声を荒げれば、また“獣”になる。

  それでも――

  彼は、もう一歩だけ前に出た。

  「……エリアス」

  名を呼ぶ。

  「お前が、どう生きてきたかを話せ」

  広場の中央で、見せしめとして立たされていた人間が、

  ゆっくりと、顔を上げた。

  誰の目も見ない。

  だが、確かに、そこに届く位置で息を吸った。

  (ガレン、)

  森では熊が低く唸る。

  まだ、距離はある。

  だが、

  “名前を呼ばれた気配”だけは、

  確かに、届いていた。

  ――

  弁明の場は、あまりにも整っていた。

  杭が立てられ、縄が用意され、人が集まる。

  誰もが「これは裁きだ」と理解している。

  だからこそ、声は荒れなかった。

  怒号ではなく、確認と同意だけが交わされる。

  エリアスは、中央に立たされていた。

  どこにも行けない。

  逃げても黙っても、認めたことになる。

  どちらを選んでも、結論は同じだった。

  「……私は」

  声は、思ったよりも静かだった。

  「私は、王だった。血筋は今も変わらない」

  ざわめきが起こる。

  だがそれは驚きではなく、計算の音だった。

  「王だった、か」

  「だから何だ」

  エリアスはまっすぐと前を見た。

  「その勅令には、署名していない。できなかったから、拒んだ。

  その結果、追放された。」

  事実を並べただけだ。

  弁解ではない。

  だが、その言葉は――

  群れにとって、都合が悪すぎた。

  「拒んだ? それで?」

  「今まで、獣人を守ったのか」

  問いは、疑問ではない。

  責任の所在を押しつけるための刃だ。

  エリアスは、答えられなかった。

  守っていない。

  知らなかった。

  見てこなかった。

  沈黙が、そのすべてを肯定した。

  「結局、保身ばかりだ」

  誰かが言い、別の誰かが頷く。

  エリアスは言葉を紡ぐ。

  「ガレンは人間の私を…

  まだ死んでいないと助けてくれた」

  ガレン。

  その名と姿を集団はそれぞれ思い描いた。

  ――あの熊は、どうだった。

  誰もが、心のどこかで知っている。

  自ら境界を越えなかったこと。

  必要以上の力を振るわなかったこと。

  守ってくれたこと。

  常に献身があったこと。

  だが今、それを思い出すことは、危険だった。

  勅令が出て、獣人は獣だと定義された。

  後ろ盾はない。

  法は、自分たちを守らない。

  次に切り捨てられるのは、自分たちかもしれない。

  恐怖は、理由を欲しがる。

  そして理由は、すぐに見つかった。

  「……やはりこの人間が、原因だ」

  誰かが言った。

  「守り手を狂わせた」

  「獣人を、ただの獣に堕とした」

  「だから、見せしめが要る」

  その言葉に、否定は返らなかった。

  エリアスは、息を吸った。

  「……ガレンは優しかった。何も、強要しなかった。

  …いつも、一緒に考えてくれた」

  それは、彼にとっては事実だった。

  だが――

  「そんなのは、完全に誑かされてるからだ」

  言葉が、歪められる。

  意図も、意味も、すり替えられる。

  ギルバートが、耐えきれず前に出た。

  「違う。彼は、最初からそういう男だ。

  誰かを利用するような存在じゃない。

  エリアスだって追放されて、もう人間側で処分を受けている!」

  声は、真剣だった。

  だが、村長が静かに首を振る。

  「ギルバート、それ以上は、」

  それだけで、十分だった。

  秩序が優先される。

  事実よりも、ここでは安心が選ばれる。

  ――

  エリアスの弁明は、途中で終わらされた。

  「もういい」

  誰かが言った。

  それは制止でも判断でもなく、打ち切りの合図だった。

  「言葉はいらない」

  「どうせ、もうすべて戻らない」

  視線が、エリアスの身体へと集まる。

  王だったときと同じ。

  最初にその視線を向けられたとき、彼は意図を理解できなかった。

  今は、分かる。

  「……その身体だ」

  低い声が、はっきりと言った。

  「守り手を誑かした身体を晒せ」

  「獣を貶めた、その証を見せろ」

  正義の顔をした欲望だった。

  恐怖と嫌悪。

  そして――自分たちが安全な側にいることを確認したいという衝動。

  「ガレン狂わせたのは、そいつの身体だ」

  「受け入れたんだろう?夜毎に、」

  言葉が、じわじわと下卑ていく。

  「なら、隠す理由はない」

  「見せしめにちょうどいい」

  服を掴まれる。

  (私の声は、もう届かない…?)

  エリアスは、抵抗しなかった。

  抵抗しても、意味がないと分かっていたからだ。

  布が引き剥がされ、風が、直接肌を撫でる。

  「……ああ、人間だ」

  誰かが、失望したように言う。

  別の誰かは、納得したように頷く。

  「弱い、人間」

  その言葉が、刃よりも深く刺さった。

  背中に、冷たい感触。

  「すぐ死ぬだろう」

  「死んだら王都に贈りつけてやる」

  「獣人を獣とする勅令をやめさせる」

  刃が走る。

  縦に。

  容赦なく。

  皮膚が裂け、血が溢れる。

  痛みは、遅れてきた。

  それより先に、匂いが立ち上る。

  鉄と生の混じった、はっきりとした匂い。

  「これでいい」

  縄が掛けられ、引かれる。

  エリアスの足が、地面を離れる。

  そのとき、ようやくざわめきが変わった。

  「……本当に、これは王だったのか」

  戸惑いは、ほんの一瞬だ。

  村長は、視線を逸らした。

  ギルバートも、唇を噛み、何も言わなかった。

  見てしまえば、自分たちが今何をしているのかを

  理解してしまうからだ。

  エリアスは、揺れる視界の中で、思った。

  (……人間の罪は人間が償う。もっと早くこうするべきだったか…甘えてしまった、ガレンに、私は…)

  自分は、最初から最後まで弱い存在だ。

  王としても。

  人間としても。

  血が、背中を伝い、土に落ちる。

  匂いが、森へ流れていく。

  エリアスは、目を閉じた。

  声にはならない。

  だが、祈りは、確かにそこにあった。

  (ガレンには生きてほしい。

  だからこのまま、来ないで。私に償わせてほしい)

  その願いが、皮肉にも最も届いてほしくない相手に

  届いてしまうことを――

  彼は、まだ知らない。

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