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夜の帳が下りた王宮周辺は静かだったが、人の気配を辿り向かって行くと賑やかな街に辿り着く。思ったより人が多い。
「ほぇー…………うわっ」
ぽかんと口を開け突っ立っていると、大きな人にぶつかられリュヌはゴロンと転がった。相手は気づきもせずに行ってしまう。
マントを着てフードを被っているから、だれもリュヌが王子であることに気づいていないのだ。
一瞬カッとしたけどそれよりも好奇心が勝った。くふふと笑い声が口から漏れる。お忍びで街へと遊びに行かせてもらったことはあるものの昼間だったし、なにより今はひとりだ。
夜にひとりで出歩くなんて、大人の遊びって感じがしてわくわくする。もう大人だもんね!
だれもリュヌを見て道を譲ったりしないのが新鮮だ。大きな人が多いけど、自分より小さな人たちもいる。前を歩くあの尻尾は……栗鼠獣人だろうか。
獣人と言ってもその特徴は耳と尻尾だけで、身体のつくりは人間と変わらない。身体の大きさとか力の強さが種族によって違うくらいだ。大昔は完全に獣化できる人がいたらしいが、もうそんな人もいない。
リュヌの耳と尻尾は月の光のような銀色で、色だけでなく毛並みも素晴らしい。さすがに見せては歩けないだろうと、すべてマントの中に隠していた。
嗅いだことのない食べ物や酒の匂いがあちこちからする。鼻をあちこちに向け、くんくんしてしまった。
王宮では出てこないような庶民向けの濃い香りは食欲をそそる。実は晩餐の前に出てきてしまったからお腹が空いていたのだ。
茶色いタレを絡めた肉を串に刺したものが、火に炙られジュウジュウ音を立てている。その屋台の前でリュヌは思わず立ち止まった。ゴクリ、と唾を飲み込む。
「……おいしそう」
「おっ、嬢ちゃんおつかいか?何本だ?……っつかどえらい美人だなぁ!」
狐の耳を持つ店主が驚いて声を上げたので、慌ててフードを深く被る。勇気を出して購入の意思を伝えた。
「い、一本ください」
「400ローエルだ」
「あ!」
(お金……ない!!!)
リュヌはあんぐり口を開けた。物を買うのに現金が必要であることが、ぽっかりと頭から抜けていたのだ。公式のお忍びの際は付き人がお金を払ってくれていたし、今のリュヌは店主にひとりで声を掛けることだけでいっぱいいっぱいだった。
「ご、ごめんなさいお金ないの忘れてました……」
「えぇ!?そんな、一本くらいだし……なんとかしてやりたいが。サービスは嫁さんに叱られるしなぁ……」
人のいい店主のようだ。リュヌも口の中が肉串モードになっていて、どうしても食べたい気持ちが募っている。目の前にあると、匂いが食欲を唆りすぎるのだ。
どうすればこれを食べられる?
店主は「短時間でも店に立ってもらえば売上が増えるかも」などとぶつぶつ呟いているが、リュヌは決済手段の原点、物々交換を思いついた。
マントの下、腰につけていた物入れの巾着を手探りで掴む。巾着を括る紐の先に、コロンとした宝石が付いていることを思い出したのだ。
ブチッと宝石だけを外し、外に取り出す。小指の先ほどの大きさのアメシストが、屋台のランタンに照らされキラリと輝いた。
「これと交換……はどうでしょうか」
「は?えっ?いやいやいや……それは、その、無理ではないが」
まんざらでもなさそうな反応に尻尾が振れ、風もないのにマントが揺らいだ。
期待にキラキラとした視線を向けていると、気まずそうな表情をした店主が小さく頷いた。布巾で手を拭い、こちらに手のひらを差し出してくる。
「やった!」
「――ちょっと君。さすがに肉と宝石じゃ対価として釣り合わないだろう。店主のあなたもあなただ。宝石に目が眩んだからって、子供を騙すようなことをすると後悔するぞ」
大きな影が通りの街灯を遮った。アメシストを差し出そうとした手は突然の闖入者によって横から掴まれる。
リュヌはぴゃっと飛び上がってしまった。王子の自分は突然他人に触れられたことなどほとんどない。見上げると、日焼けた小麦色の肌をもつ大男がリュヌの手を掴んだまま店主を睨みつけていた。
男もフード付きの長いマントを羽織っていて、その容貌は窺い知れない。ただその体格から、熊やライオンなどの大型獣人であることは容易に想像ができる。
店主はすでに後悔を濃く滲ませた表情で男にすまないと謝った。リュヌにもごめんねと謝ってくるから、困った表情で返す。
肉串が食べたかっただけだし、現金はない。確かに宝石はやりすぎだったかも……というのは分かるけど!
まさかリュヌがここで売り子をできるはずもない。これ以上の解決策はなかったはずなのだ。
リュヌがなおも肉を見ていることに気づいたのか、店主が眉を下げて串を一本持ち上げた。リュヌの垂れていた耳が期待でピンと立ち、フードが少し持ち上がる。もしかして……!
「お詫びにこれ、持っていっ」
「おい、行くぞ」
「ちょっ、えぇっ!?」
え……!あともう少しで貰えそうだったのに!
男はリュヌの手を引いて歩き出した。彼からすれば子どものような体格の自分が逆らえるはずもない。
「ねぇ、ちょっと。……ねぇってば!」
「あぁ?そこで離してやるって。噛み付くなよ」
人目につかない脇道でようやく手を離した男は、まだ宝石を持ったままの手をリュヌの胸元に押し付ける。子どもに諭すように言葉を重ねた。
「いくら持っているからって過ぎたものを与えたら駄目だろう。悪い奴が見ていたら金目当てでお前を狙うかもしれないし、店主だってどこで手に入れたんだとまずい立場になるかもしれない」
「だって……」
「今日はもう大人しく家に帰るんだな。親にでも買ってきてもらえ」
「だって、お肉食べたかったんだもん!!!」
リュヌはぷちんとキレた。男の話は聞けば聞くほど正論だ。でもあの瞬間、確かに肉串はリュヌのものになりそうだった。それをこの男が邪魔したのだ。
屋台の肉串なんて誰が買ってきてくれるものか。怒りに任せて大声を出す。タシタシと大きく尻尾が振れ、マントがずれてフードが滑り落ちた。
「おっ、おま……!」
「ひどい!お前のせいだ!偉そうに言うなら、買ってきてよ!」
男は大きく目を見開いている。リュヌもようやく男の顔を正面から見た。ふうん。正直……タイプかも。
けぶるようなグレーの瞳。かなり整った顔をしているけど、ぽかんと口まで開けた様は間抜けでちょっとかわいい。
リュヌの容姿は有名だから、王子だと分かったのだろう。近くに他の人は見えないし、バレたならまぁいいかと頭を晒したままにした。
それにこの反応。驚きすぎな気もするが、王宮内でも慣れない人はリュヌの美貌に驚いて見惚れていることがよくある。
押せばイケるかも。蝶よ花よと育てられてきたリュヌには、甘えて欲しいものを手に入れる強かなところがあった。
まぁ、肝心なところ……苦手な父親に結婚相手を変えてもらうよう頼むことはできないのだけれど。
「ねぇ、僕……あの肉串が食べたかった。責任とって買ってきてほしいな〜」
「ゔ」
宝石を握った手と反対の手で、男のマントの端をツンツン引っぱる。コテンと頭を肩に落とし斜め上に見上げれば、男の顔は瞬く間に真っ赤に変貌した。
よしよし、あとひと押しだ!
「ねっ、独り占めなんてしないから、ね!一緒に食べましょう?」
「あ゙ー!わ、わかった。わかったから……ちょっと待っててくれ。いや、こんなところ危険だ。あそこにしよう」
やった!嬉しくて、子どものようにぱあっと顔を輝かせてしまう。リュヌを見下ろす男はまだ褐色の肌を紅潮させていたが、眉根に皺を寄せたりして複雑な表情をしていた。
眉が濃く目との距離が近い。あまり見たことのない顔立ちかもしれない。何より背が高いし、太くはないが身体に厚みがある。強そうな雰囲気を端々から感じて胸がキュンと跳ねた。髪は濡羽色で、リュヌとは正反対の色だ。
フードを被るように言ってくるから、リュヌは「ん」と男に頭を差し出した。お世話させてあげてもいいよ?という親切心からの行動だ。一瞬の間を置いて、そろそろとフードが被せられる。
これだけサービスしてやったのだから早く食べたい。行こう、とマントを引っ張ると方向が違っていたようで「はぁ……そっちじゃない」と諦めた様子の男に手を引かれて裏路地を歩いた。
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