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セルウス(奴隷)とバロン(男爵)の交響曲(シンフォニー)
始まり
ドルセニアの公園。ここには、物語を語るのが大好きなおじいさんがいた。
ナレーション(おじいさん):
「さあ、良い子のみんな、そしてお父さんお母さんもこちらへおいで。
これから始まるのは、素敵なお話の読み聞かせだよ。
その名も――『セルウスとバロンの交響曲(シンフォニー)』。
聞きたい人は、みんな寄っておいでね。静かに耳を澄ませて。」
[序曲:光無きプレリュード(前奏曲)]
ここはローレスの平民街の一角にある一軒家、そこには犬小屋に住む痩せ細った少女と 犬小屋の少女を見下す 一軒家に住むふっくらした体型の大人の女性がいた
女の子「おなか……すいたよ」
とある家の庭。首輪を付けられ、犬小屋の中で小さく震える女の子がいた。
彼女には名前もなければ、愛情を注いでくれる人もいない。
女の子の母「グズ、うるさいんだよ。あんたみたいな畜生にやる飯はないよ!」
その声は冬の風のように冷たく、少女の心を深く刺した。
女の子は犬小屋の隅にうずくまり、手に残ったパンのかけらを握りしめる。
震える唇でそれを口に運ぶが、温かさはほとんど感じられない。
女の子は犬小屋の中で小さく身を丸めたまま、震える手で残りわずかなパンを握りしめた。
庭の木の葉が風に揺れる音だけが、静かに響いている。
[newpage]
空は灰色で、寒さが骨まで染み渡る。
お腹は空いて痛み、体は冷たさに震え、でも声を上げればまた叩かれる——
そんな恐怖が、毎日の生活のすべてだった。
それでも、犬小屋の隅に落ちていた小さな羽根や、日光に照らされた水たまりのきらめきに、少女は目を留める。
「きれい……」
小さな声で呟くと、ほんの一瞬だけ、胸の奥に温かさが広がった。
それは、ほんのわずかでも、自分だけの小さな希望だった。
夜になると、母や粗暴で筋肉質な父の声が遠くで響き、少女は目を閉じて眠る。
夢の中では、誰も叩かない、誰も怒鳴らない世界があった。
そこでは、手を伸ばせば届くところに、温かい食事と柔らかい布団があった。
けれど、目を覚ますと現実に引き戻される。
首輪の冷たさ、犬小屋の硬い床、そして絶え間ない怯え。
少女は小さく唇を噛みしめ、心の中でただひとつの願いを唱えた。
「……誰か、助けて……」
[newpage]
昼下がりの庭には、ほかの子供たちの笑い声が遠くから聞こえる。
少女はその音に目を伏せ、犬小屋の影で小さく丸まったまま、ただ時間が過ぎるのを待った。
母「全く、掃除もダメ、料理もダメ、薄汚い……ほんと、なんでこんな子が私から産まれたのかしら」
父「そろそろ市場に売るか。こんなガキでも金にはなるだろ」
母「そうね」
女の子「そんなの……嫌だよ」
父「ガキが親に歯向かうな」
衝撃が体に走った。平手が頬を打つ痛みと、心を抉る冷たさ。
女の子は小さく泣き、犬小屋の隅にうずくまる。
母「辞めなあんた、価値が下がるじゃないか」
その声は、怒りでも哀れみでもなく、ただ取引品としての価値を気にする冷酷な声だった。
少女は口を押さえ、涙をこらえながら、暗い犬小屋の中で小さく丸まったまま、絶望に震えた。
朝の光が庭を淡く照らす中、母はため息混じりに言った。
母「さあ、行くわよ。今日こそ市場に連れて行くの」
女の子「いや……嫌だよ……」
父の手が伸び、少女の腕を強く掴む。痛みが走る。
父「ガキが親に歯向かうな」
女の子は必死に抵抗したが、力は弱く、振りほどくこともできない。
首輪が首を締め、犬小屋から引きずり出される。
[newpage]
道を歩く間、カリンの胸は恐怖で締め付けられた。
周囲の家々からは、村人たちの好奇の目が向けられる。
「あの子、どこかの家で飼ってたのか?」
「白狼の血が混じってるって本当か?」
足を止める暇もなく、少女は父の手に引かれ、広場へと連れて行かれた。
そこにはすでに、様々な人々が物品のように子どもたちを見ていた。
少女の心臓は早鐘のように打つ。
声を上げれば、また叩かれる——でも、黙って従えば、自由を奪われたまま買われるだけ。
商人の目が、少女を鋭く見つめた。
商人「ほう、まだ小さいが……血筋は良さそうだな。値がつくぞ」
母「どうぞ、連れて行ってやって。金になるでしょ」
少女は小さく泣き、手を握りしめる。
小さな体が震え、息を詰め、ただ誰かが助けてくれることを願った。
「……誰か、助けて……」
女の子は奴隷市場に連れていかれ父は商人と交渉する
父「うちの畜生な出来損ないの娘を買ってくれ」
商人は女の子を上から下へと舐め回すように女の子を見て値を決める
商人「そうだな、五百ミルってところだな」
父「もう少し高く買ってくれよ」
母「せめて、六百ミルで買ってください」
カリンは声を出すこともできず、ただ震えながら両親と商人のやり取りを見ていた。
「……お金のために、私を……」
胸が締め付けられるように痛んだ。
商人は少女の腕を軽くつかみ、評価するように見つめる。
商人「ふむ……力は弱いが、使えそうだ。よし、600ミルで決まりだな」
父「なら、頼む」
母「……あんたも、ちゃんと売られるんだからね」
[newpage]
カリンの目から涙がこぼれ落ちる。
手を握りしめても、どうすることもできない。
小さな体は震え、恐怖が全身を覆う。
「……誰か、助けて……」
再び小さな声で呟いたが、誰も聞いてはくれない。
広場の中央、カリンは商人の横に立たされ、見物人の視線が集まる。
一人の客が近づき、鋭い目で少女を品定めする。
商人「どうだいお客さん、この子は白狼と人間のハーフの珍しい混血種の娘だ 娶るのも良し使い捨ての駒でも良しですぞ お値段はなんと六百ミル」
客「この子か……値段、もう少し下げられないか?」
商人「いやー難しいですな、せめて五百ミルは最低ラインですぞ。」
客は女の子に手を伸ばす。「触らせてみろ」
女の子は反射的に後ずさる。小さな体を固くして、目に恐怖を浮かべる。
「いや……いやだよ……」
商人がムチを取り、軽くカリンの背を打つ。痛みが走る。
商人「黙れ!文句を言うな!」
しかし女の子は泣きながらも声を上げた。
「……行きたくない……!」
客は一瞬眉をひそめ、カリンの反抗に苛立つ。
「ふん、使い物にならん……」
商人の顔に苛立ちが浮かぶ。
「お前のせいで商談が潰れたじゃないか……!」
男は怒りを込めてムチを振り上げた。
ビシィッ!
乾いた音が広場に響く。カリンの細い腕に赤い痕が走る。
「ひっ……!」
少女は悲鳴を漏らし、思わず膝を折った。
商人は容赦なくもう一度ムチを振る。
「黙って従えばいいものを……奴隷風情が!」
カリンは必死に体を小さくし、腕で顔を庇う。
涙で霞む視界の中で、彼女は歯を食いしばった。
(……怖い……痛い……でも……さっきみたいに……嫌だって言えた……)
商人は少女の目にまだ消えない反抗の光を見て、さらにムチを振り下ろした。
「その目をやめろ!俺の前で逆らうな!」
[newpage]
女の子の背に再び痛みが走る。
だが彼女の心の奥底には、打ち消せない小さな灯が残っていた。
しばらくして、別の客が歩み寄った。
「その娘……傷だらけじゃないか。そんなガラクタに500ミル?せいぜい五十ミルだろう」
商人の目が吊り上がる。
「ガラクタだと?こいつはまだ若いし、体も丈夫だ。育てりゃ十分使える。五十ミルだと?馬鹿にするな!」
客は鼻で笑う。
「傷物に大金を払う奴なんていないさ。せいぜい俺が買ってやるって言ってるんだ」
商人と客の間で言い争いが始まり、やがて客は手を振り払うように去っていった。
「好きにしろ。どうせ売れ残るだけだ」
怒りに震える商人は、地面に唾を吐いた。
「ちっ……余計なことを……!」
その傍らでカリンは小さく身を縮めていた。
体中が痛みで焼けるように熱く、ムチの痕がずきずきと脈打つ。
「……いたい……」
か細い声が漏れる。
商人は冷たく吐き捨てた。
「寝てろ、どうせ明日にはまた誰か来る」
粗末な布を投げつけられ、カリンは地面に横たわる。
涙で濡れた頬を布で覆いながら、意識は次第に闇に沈んでいった。
(……もういやだ……でも……誰か……助けて……)
やがて、痛みと疲労に耐えきれず、少女は静かな眠りへと落ちていった。
カリンが奴隷市場に売られてから、もうすぐ一年が経とうとしていた。
日々の過酷な労働、冷たい扱い、そして人々の視線に晒される生活。
少女の目には、かつてあった輝きはすっかり失われ、生気の抜けた灰色の瞳が映るだけだった。
朝は市場の広場で列に並ばされ、夕方は体力の限界まで働かされる。
言葉を発しても、声はかき消され、怒鳴られるか叩かれるだけだった。
隣の同年代の子どもたちも同じように疲れ果て、笑顔を失っていた。
少女は時折、自分の手を見つめ、震える指先に問いかける。
「……これが、私の一生なの……?」
冷たい床の上で丸まり、天井の隙間から差し込むわずかな光に目を向ける。
それでも、その光は希望というより、遠い記憶のように感じられた。
カリンが奴隷市場で過ごした日々は、もうすぐ一年になる。
その灰色の毎日に、さらに大きな変化が訪れようとしていた。
「今日から、ドルセニア国へ移送だ」
市場の係員が短く告げる。
少女は無表情のまま立ちすくみ、言葉を失った。
どこに行くのかも、何が待っているのかもわからない。
ただ、連れて行かれるしかない現実だけがある。
[newpage]
荷馬車に押し込まれ、狭い空間に体を丸める。
車輪の振動が体を揺さぶり、窓から差し込む光が一瞬眩しい。
「……また、知らない場所……」
カリンの胸の奥には、長い年月の疲れと諦めが積もっていた。
しかし、その中で、わずかに心をかすめる感覚があった。
「……少しだけ……何か変わるのかな」
荷馬車は静かに出発する。
ローレス帝国の市場の喧騒は遠くに小さくなり、カリンは首を伏せて、まだ見ぬドルセニアの地に思いを馳せるしかなかった。
荷馬車の中、狭い空間に体を丸めながら、カリンは周囲の声に耳をすませた。
すると、商人たちのヒソヒソ話が聞こえてきた。
商人A「おい、ここにはな、獣人の女子が大好きな男爵がいるらしいぞ。変わり者のな」
商人B「マジか、そいつになら高く売れるかもな」
その瞬間、少女の体が硬直した。
小さく「ひっ!」と声を漏らし、首をすくめる。
目の前には狭い荷馬車の壁しかなく、逃げる場所はない。
心臓は激しく打ち、胸が痛む。
少女の目には涙が滲み、手はぎゅっと握りしめられたまま震えた。
「……いや……いやだ……!」
どこか遠くで、まだ見ぬドルセニア国で待つ男爵の姿を想像し、少女の胸には深い恐怖が押し寄せた。
そしてその恐怖は、荷馬車の揺れとともに、少女の全身を締め付ける。
[第一曲:火種の付いたアンダンテ]
一方、ドルセニアの街では、変わり者として知られる男爵グランジャスが、人々と談笑していた。
牛の男性「聞いたか、グランジャスさん。ここにも奴隷市場が来るんだってよ」
グランジャス「マジかよ……人身売買は許せんな」
街の人々は少し驚いた様子で彼を見た。
貴族にしては珍しく、日常の話に混じって社会の不正を怒る姿勢は、彼の変わり者ぶりを際立たせていた。
[newpage]
グランジャスは深く息をつき、考え込む。
「……こんな奴隷市場の子たちを、誰かが守れれば……いや、俺が何とかせねば」
牛の男性「……グランジャスさん、まさか自分で助けたりするつもりですか?」
グランジャスは少し笑って首を振った。
「そういうことになるかもしれんな……」
グランジャスは眉間に軽く皺を寄せ、遠くの市場の喧騒を思い浮かべながら言った。
グランジャス「まずは様子見だな」
タコの女性「反抗期の頃みたく、女の子をところ構わず関係持つんじゃないよ」
グランジャスは少し慌てて手を挙げる。
グランジャス「わ、分かってるさ!」
女性は腕を組み、半ば呆れたように小さく笑った。
グランジャスも苦笑いを浮かべつつ、真剣な顔に戻る。
「……冗談はさておき、まずは奴隷市場の状況を確認して、安全に動くかどうか判断する必要があるな」
風が街角を抜け、遠くで市場の準備を知らせる声が響く。
グランジャスは肩をすくめ、深く息をつきながら、これから起こる出来事に思いを巡らせた。
とある路地裏の広場
荷馬車が石畳の路地に止まると、商人たちは慌ただしく荷物を降ろし始めた。
少女たちの身柄も慎重に扱われ、狭い囲いに並べられる。
商人A「よし、ここで準備だ。簡単に囲い作って、明日の朝には客が来る」
商人B「獣人の子たちも別にして、値段の表示も忘れずにな」
少女たちは怖さで身をすくめ、互いに目を合わせることもできない。
カリンも、首を丸めてじっと地面を見つめていた。
日光が少し路地に差し込み、石畳に影が長く伸びる。
商人たちは手際よく囲いを作り、子どもたちを分け、商品として整えていく。
「……また、新しい場所……」
少女は小さくつぶやく。心臓が早鐘のように打ち、逃げ場のない恐怖が胸を締め付ける。
商人A「さあ、明日からだ。客が来たらしっかり売れ」
商人B「変わり者の男爵も見に来るって話だ、手抜きはできないぞ」
カリンは小さく震えながら、これから訪れる運命に思いを巡らせるしかなかった。
商人Cが腕を組み、辺りを見回しながら言った。
商人C「人狩り共はどうした?」
商人Aは肩をすくめ、少し不満げに答える。
商人A「まだ戻ってきてないな。人攫いも大変だからな」
商人Bがため息をつきながら荷物の整理を続ける。
商人B「こういう奴隷市場の準備って、いつも慌ただしいんだよな……」
カリンはその声を聞き、心の奥でまた恐怖を感じた。
“人攫い……まだどこかで……?”
小さな体を縮め、彼女は首を振り、目を伏せるしかなかった。
路地裏に差し込む光はわずかで、少女の影は長く伸びる。
その中で、カリンはただ静かに、息を殺して時間が過ぎるのを待った。
[newpage]
[第二曲:火の正義と仁義のボレロ]
グランジャスは屋敷に戻ると、静かに深呼吸をした。
「さて……着替えて、狩りをしないとな」
書斎の隅に置かれた鎧箱から、顔を覆う瑠璃の兜を取り出し、慎重に頭に被る。
分厚い瑠璃の鎧を身に纏うと、その重みが肩に心地よく感じられた。
肩からはワインレッドのマントを優雅に靡かせる。
その色は、戦場でも街中でも一目で存在を示す鮮烈なものだった。
手に握るのは銃剣。銃としての機能を持ちながら、刃としても扱える武器だ。
彼の目には決意が宿り、静かな屋敷の中に緊張感が漂った。
「行動は慎重に……だが、迷いは許されん」
グランジャスは足元を確かめ、静かに屋敷の扉を開けた。
外の風がマントを揺らし、彼の姿は夜明けの光に照らされて、まるで戦の獣のように力強く見えた。
屋敷の広間で、フクロウの若者が静かに声をかけた。
フクロウの若者「男爵さん、やはり奴隷市場に向かうんだな」
グランジャスは頷き、眼光を鋭くした。
グランジャス「ああ……見過ごせない!」
フクロウの若者は少し笑みを浮かべ、情報を伝える。
フクロウの若者「なら、平民街の武器屋と防具屋の間の路地裏の奥さ。俺は夜目が効くから、あらかじめわかっていた」
グランジャスは地図を頭の中で描き、頷く。
グランジャス「よし、わかった。君の目を信じて動く」
フクロウの若者は羽を広げるように身を伸ばし、軽く笑った。
フクロウの若者「くれぐれも無茶はするなよ、男爵さん」
グランジャスは肩越しに軽く笑みを返す。
グランジャス「心配するな。俺は人を守るために行動するだけだからな」
夜明け前の街に、静かな決意と鋭い緊張が漂った。
マントが風に揺れ、グランジャスは路地裏の市場へ向かう足を進めた。
[newpage]
グランジャスは市場の入り口に足を踏み入れ、客を装った。
平民街の服に身を包み、頭を少し下げて人ごみに紛れるつもりだった。
しかし、瑠璃の鎧の名残りか、肩や背中にかすかに見える重厚感と、ワインレッドのマントの色合いが、自然と目立ってしまう。
商人たちの目が、自然と彼に集まる。
「誰だ……?」
「あの客、ただ者じゃないな」
市場の雑踏の中、グランジャスは冷静に周囲を見渡す。
だが、意識的に目立たなくしようとすればするほど、逆に威圧感が漂い、周囲の商人や客の注意を引いてしまった。
それでも、彼は動揺せずに歩を進め、奴隷たちの様子を確認する。
グランジャスは周囲を見渡し、冷静な声で問いかけた。
グランジャス「老若男女問わずか」
商人Aは手を広げ、誇らしげに答える。
商人A「どうです?いろんな子がいますぜ」
グランジャスは短く息を吐き、眉をひそめる。
グランジャス「なるほど……」
商人Aは市場を歩きながら、商品を紹介するように言葉を続けた。
商人A「この子はまだ幼いですし、あの子は少し腕力があります。珍しい血筋の子もいますぜ」
グランジャスの目は少女たちを鋭く走り、心の奥で守るべき対象を探す。
怯えた子どもたちの姿が、胸の奥を締め付ける。
[newpage]
グランジャスは市場の中央で足を止め、鋭い目で商人たちを見据えた。
グランジャス「お前ら、この行いが正しいと思っているのか?」
商人Bは少し顔を背けながら、開き直ったように答える。
商人B「売れるためなら手段は選ばずです」
グランジャスは一瞬眉をひそめ、拳を軽く握る。
しかし言葉は続けず、静かに背を向けた。
グランジャス「……また来るぜ」
マントが風に靡き、足取りは軽やかだが、その眼差しには次回必ず介入するという決意が宿っていた。
市場の雑踏に、静かな緊張が残る。
商人たちは互いに顔を見合わせ、少し動揺した様子で手元の作業に戻った。
しかし、あの男爵の影と声は、確実に市場に刻まれたのだった。
しばらくして、路地裏の奥から人狩りが戻ってきた。
荷馬車の整理を終えた商人たちが顔を上げる。
人狩り「……今の鎧、間違いなく例の男爵さんだ」
商人たちは一瞬息を呑む。
商人A「やっぱりあの変わり者か……」
人狩りの声には、緊張と少しの恐れが混じっていた。
その言葉に、カリンを含む少女たちは目を伏せ、気配を消す。
市場の空気が一瞬、張り詰めたように変わった。
人狩りは周囲を見回し、低く唸るように続けた。
人狩り「奴ら、目をつけられたらまずい……用心しろ」
商人たちは互いに目を合わせ、慌ただしく動き始める。
グランジャスの存在が、市場全体に微妙な緊張を生んでいた。
グランジャスは屋敷に戻ると、瑠璃の鎧と兜を慎重に脱ぎ、奥の部屋にしまった。
重厚な装備を外すと、肩の力が少し抜ける。
次に黒装束を身に纏う。
体にぴったりと馴染むその衣は、動きやすく、周囲に溶け込むことを意識したものだった。
マントは外し、銃剣も腰に隠す。
その姿は、一見ただの影のようでありながら、潜在的な戦闘力を秘めている。
静かに屋敷を出たグランジャスは、市場のある路地裏に向かって足を進める。
夜の影が深く街を包み、路地の明かりはわずかに揺れるだけだった。
「あいつらは、俺の手で裁いてやる」
低く呟きながら、グランジャスは黒装束の影となり、市場の近くに忍び寄った。
周囲の物音、足音、商人たちのざわめき——すべてを注意深く察知しながら、彼は慎重に進む。
[newpage]
屋根の上、黒装束に身を包んだグランジャスは、奴隷市場の中央を見下ろした。
広場には怯える子どもたちと、商人たち、人狩りたちの姿がある。
グランジャスは拳を握り、低く声を震わせた。
グランジャス「人の命に値段をつける外道に、天誅!!」
その瞬間、彼は屋根から跳躍し、市場の中央へと降り立った。
黒装束は風に揺れ、銃剣が鋭い光を反射する。
商人たちの動揺の声が上がる。
人狩りたちの顔が青ざめ、一瞬身を固くする。
商人「誰だ、貴様!」
グランジャス「俺はグランジャス・ラーブス 仁義に生きる男爵だ」
人狩り「ま、まずい」
グランジャス「ギルティ!」
グランジャスは手始めに、目の前の人狩りたちに向かって銃剣を振るう。
刃が夜の闇を切り裂き、一瞬で数人の人狩りを切り伏せた。
その動きは迅速かつ正確で、反撃の余地を与えない。
市場にいた者たちは息を呑み、恐怖と驚きで動けなくなる。
女の子も小さく後ずさりながら、その黒装束の影と力強い姿を見つめる。
「……誰……?」
少女の声は小さく、震えていたが、その目にはわずかな希望の光が宿り始めた。
人狩りたちが次々と倒れる中、商人たちはナイフやムチを手に立ち上がった。
「この外道め!」
銃剣を握るグランジャスに向かって、手元の武器を振りかざす。
さらに、警備や市場に関わっていた兵士たちも現れ、数の暴力で圧し掛かろうとする。
グランジャスは一瞬も動揺せず、鋭い目で周囲を走らせた。
「外道は貴様らだろうが!」
彼は瞬時に銃剣を振り、ナイフを振るう者たちの攻撃を受け流す。
ムチが振り下ろされるが、軽やかに身を翻して避け、刃先で反撃する。
兵士たちもまとまって突進してくるが、グランジャスの動きは計算され尽くしており、群れに切り込む隙を与えない。
「民を守る立場の者が人の命の売り買いに加担して何してんだ!!」
市場全体が叫びと混乱に包まれる中、黒装束の影は冷静さを保ち、倒すべき相手に正確に手を下していった。
女の子は隅で固まったまま、その圧倒的な力を目の当たりにする。
恐怖の中にも、彼女の心には「助けてくれる人がいる」という小さな確信が芽生え始めていた。
兵士たちが突進してくる中、グランジャスは素早く銃剣の銃口を狙った。
「……仕方ないな」
一発、二発と発砲すると、兵士たちの足に命中し、膝が崩れ動きが止まる。
「ぐっ……!」
呻き声が上がり、数人がその場に膝をついた。
隙を生じた瞬間、グランジャスは銃剣を振るい、前にいた商人たちを次々と切り伏せる。
鋭い刃が夜の闇を裂き、動揺した商人たちは為す術もなく倒れていく。
グランジャスは空を見上げ、力強く叫んだ。
グランジャス「ジャスティス!」
その声は市場中に響き渡り、恐怖と正義感が混ざった強烈な存在感を放つ。
周囲の人々は息を呑み、戦慄する。
兵士たちの動きが止まり、商人たちは次々と倒れたまま動けなくなる。
市場には静寂が訪れ、かすかな息遣いだけが響く。
グランジャスはゆっくりと前に歩み出し、兵士たちの前で立ち止まった。
黒装束の影が夜の光に浮かび、威圧感を放つ。
グランジャス「お前らは、法の裁きに従い、裁きを下す沙汰があるまで……謹慎していろ!」
兵士たちは恐怖と圧倒的な存在感に押され、口を開くこともできず、ただ膝をついたままじっと見つめる。
市場にいた人々も息を呑み、あの声と力強い威厳が、正義を体現するものだと感じた。
グランジャスは周囲を見渡し、怯える子どもたちや市場の混乱を一瞬で把握し、次の行動を決意する。
倒れた商人の遺体に手を伸ばし、グランジャスは素早く腰の鍵を取り出した。
黒装束の影が市場の光に揺れる中、彼は牢の前に立つ。
グランジャス「さぁ、お前ら、出ろ……自由だぞ」
鉄格子の鍵穴に差し込み、ゆっくりと回す。
ガチャリと音を立てて、頑丈な鉄の扉が開いた。
怯えていた子どもたちは目を丸くし、一瞬ためらった。
だが、グランジャスの力強い声と、守られているという確かな安心感に背中を押される。
カリンも小さく息をつき、恐る恐る扉の中から顔を出す。
「……助けてくれる人……本当にいたんだ……」
グランジャスは微かに笑みを浮かべ、子どもたちに手を差し伸べる。
「もう大丈夫だ。俺が守る」
市場の喧騒の中で、黒装束の男の存在は希望の光となり、絶望に沈んでいた少女たちの心を温かく包んだ。
グランジャスはゆっくりと黒装束の頭巾を外す。
夜風が頬をかすめ、露出したスキンヘッドに冷たい空気が触れた。
グランジャス「ふぅ……スキンヘッドには、この頭巾は蒸れるぞ」
と、少し苦笑を浮かべる。
その姿を見た女の子は、まだ震える声で小さくつぶやいた。
女の子「……あの、ありがとう……ございます」
グランジャスは優しく頷き、微かに笑みを浮かべる。
グランジャス「気にするな。もう怖がる必要はない」
少女の目には、長く続いた恐怖と絶望の影が少しずつ消え、ほんのわずかに希望の光が差し込んだ。
グランジャスは奴隷達の手錠や首輪を外し自由にする
グランジャス「さぁ君ももう自由だ、 元の帰って過ごせ」
女の子は小さく俯き、震える声で打ち明けた。
女の子「あの……私、行く宛てがなくて……親に売られたから」
グランジャスは眉をひそめ、深く息をついた。
グランジャス「そうか……酷い親もいたんだな」
少し間を置き、優しい声で続ける。
グランジャス「よし、俺の屋敷に来なさい」
女の子の瞳に、一瞬希望の光が差し込む。
少女はまだ少し戸惑いながらも、小さく頷いた。
女の子「……はい」
グランジャスは微かに笑みを浮かべ、マントを整える。
グランジャス「安心しろ。もう誰もお前を傷つけたりはしない」
夜風に揺れる市場の混乱の中で、二人の間に生まれた静かな安心感が、女の子の心を少しずつ溶かしていった。
[第三曲:光の灯り初めるピチカート]
グランジャスはカリンの手をそっと取り、屋敷の奥へと導いた。
広間の灯りが二人を柔らかく照らす。
グランジャス「さあ、まずはお前をきれいにしよう」
カリンはまだ少し戸惑いながらも、恐怖の色が薄れ、静かに頷く。
女の子「……はい」
彼女は屋敷の大きな風呂場に案内され、温かい湯が満たされた浴槽を見て、目を少し見開いた。
グランジャスは背中をそっと押し、優しく促す。
グランジャス「無理に我慢することはない。ここでは安全だ」
カリンは浴室の縁に座り、湯にそっと足を浸す。
その温かさに、最初は体が震えた。
長い間、風呂に入ったことなどなかった。
泥や埃、蒸れた衣服の感触が肌にこびりつき、痣や傷が生々しく残る体を、誰かに見られることなど想像もできなかった。
湯がゆっくりと彼女の体に触れ、冷たく固まっていた肩や腕、背中に染み込む。
カリンは小さく息を吐き、思わず肩をすくめる。
指先で触れた痣や傷が、痛みとともに胸の奥の恐怖を思い起こさせる。
女の子「……こんなの……初めて……」
声は震え、でもその声に少し安堵も混ざっていた。
グランジャスは浴室の外で静かに見守る。
「無理に隠す必要はない。ここでは安全だ」
彼の声が柔らかく、しかし確かな守りの力を持って届く。
カリンは手でそっと傷や痣をなぞり、湯の温かさで少しずつ痛みが和らぐのを感じた。
全身にこびりついていた汚れや埃が流れ落ちるたび、過去の恐怖や絶望も少しずつ薄れていく。
湯気に包まれ、彼女は初めて自分の体を「自分のもの」と感じることができた。
女の子「……あったかい……怖くない……」
グランジャスは微かに息を吐き、肩越しに見守りながら、静かに微笑む。
「もう大丈夫だ。ここからが本当の始まりだ」
[newpage]
湯から上がったカリンは、まだ少し震えながらタオルで体を拭いた。
肌に残る湯気が、少しずつ緊張を解きほぐしていく。
グランジャスはそっと手に抱えた服を差し出す。
グランジャス「姉の子供の頃のだが……今はそれを来てくれ」
カリンは手に取った服を見つめる。
柔らかく、清潔で、丁寧に作られた生地に目を見開いた。
女の子「……綺麗……初めて……」
グランジャスは微かに笑みを浮かべ、優しく言う。
グランジャス「気にするな。これで少しは落ち着けるだろう」
カリンは服を手にそっと抱え、初めて「自分のための衣服」を持つ喜びに胸が温かくなる。
小さく頷き、感謝の気持ちを声に出す。
女の子「……ありがとう……ございます」
その瞬間、長く続いた恐怖の日々の終わりと、新しい生活の始まりが、彼女の心に静かに差し込んだ。
カリンは新しい服に身を包み、少し緊張しながらも足取り軽くグランジャスの元へ歩み寄った。
グランジャスはにっこりと微笑む。
グランジャス「似合ってるよ」
カリンは頬を少し赤くしながら、声を震わせつつも答えた。
女の子「ありがとうございます」
グランジャスは少し視線を落とし、静かに問いかける。
グランジャス「そういえば、名前がないって言ってたね」
カリンはハッと目を見開き、少し俯く。
女の子「……そう、です……」
グランジャスはやさしく手を差し伸べ、声を温かくする。
グランジャス「じゃあ……これからは、俺が名前をつけてあげようか」
グランジャスの目が、ふと目の前のバスケットに入った色とりどりのお菓子に止まった。
甘くて温かみのある香りが、長く閉ざされていた思考の隙間を突く。
ピンとひらめいた表情で、彼は微笑む。
グランジャス「……そうだな。名前はこれにしよう」
カリンは不思議そうに目を見上げる。
女の子「……え?」
グランジャスは力強く、でも優しい声で告げた。
グランジャス「カリンだ。カリン・シュガーナ」
カリンの耳にその名前が届くと、胸の奥がじんわり温かくなる。
女の子「……カリン……シュガーナ……」
小さな声で繰り返し、初めて自分の名前を持つ喜びをかみしめる。
グランジャスは微かに笑い、頷く。
グランジャス「これからはその名で生きろ。お前はもう、誰かの所有物じゃない」
カリンの瞳には、長い間消えかけていた希望の光が、ゆっくりと戻ってきた。
そして、これが新しい生活の第一歩であることを、二人とも心の奥で理解していた。
和式の部屋に通されたカリンは、畳の感触に戸惑いながらも、静かに座った。
その目の前、低いテーブルには湯気を立てるコーンスープと、ふっくらとしたロールパンが並んでいる。
グランジャスは笑みを浮かべ、カリンに向き直る。
グランジャス「そしたらカリン、ご飯食べようか」
少女は目を丸くして、しばし言葉を失った。
女の子「……これ、私の……?」
グランジャスは頷き、スープの器を手元に寄せる。
グランジャス「もちろんだ。遠慮はいらない。さぁ、食べようか」
カリンは手を伸ばし、恐る恐るパンをちぎる。
柔らかな感触に驚き、口に運ぶと……
女の子「……あったかい……おいしい……」
目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
カリン「ご飯……こんなに優しい味、知らなかった……」
グランジャスは静かに頷き、スープを一口啜る。
グランジャス「これからは、毎日食べられるさ。ここはお前の家だ」
カリンは涙を拭い、こくりと頷いた。
彼女にとって「食卓」は、虐げられた日々とは真逆の、温もりと愛情を象徴するものとなった。
[第四曲:日常のパストラーレ]
カリンと暮らしてから、七年の歳月が流れた。
かつて名前もなく震えていた少女は、今やすっかり成長し、落ち着いた表情を見せるようになっていた。
柔らかな白狼の耳と尾を揺らしながら、黒と白を基調としたメイド服を纏い、彼女は屋敷の廊下を静かに歩く。
その姿は、ただのメイドではなく――グランジャスの専属として、常に彼のそばに仕える「特別な存在」だった。
グランジャスが書斎で書き物をしていると、扉が静かに開く。
カリン「ご主人様、紅茶をお持ちしました」
カップを差し出す彼女の仕草は、凛とした気品と温かい気遣いが入り混じり、7年という月日の重みを物語っていた。
グランジャスは手を止め、彼女の成長を確かめるように視線を向ける。
グランジャス「ありがとう、カリン。……立派になったな」
カリンは少し照れくさそうに、しかし誇らしげに微笑む。
カリン「すべて……ご主人様のおかげです」
二人の間には、血のつながりを超えた強い絆が育まれていた。
かつて虐げられ、名も持たなかった少女は、今や堂々と「カリン・シュガーナ」として生き、グランジャスの傍らに立ち続けていた。
カリンはあの時、恐怖と絶望に震えていた少女から、すっかり成長した若い女性になっていた。
身体はしなやかに成長し、心は困難を乗り越えた強さと優しさを兼ね備えている。
礼儀作法も身につけ、学問の基礎も習得しており、屋敷での振る舞いは洗練されていた。
グランジャスが屋敷でくつろいでいると、カリンはいつものように笑顔でそばに寄り、日常の雑務をそつなくこなす。
その姿は、かつて小さな体で怯えていたあの少女とは別人のようだ。
だが、目の奥には今もあの時の芯の強さが光り、グランジャスを支える存在としての自覚がしっかりと根付いている。
カリンはかつて恐怖に震えていた少女から、すっかりたくましい若い女性へと成長していた。
身体はしなやかに、しかし力強く変わり、精神面でも落ち着きと決断力を兼ね備えている。
さらに、グランジャスのために護身術を習得しており、素手や脚を使った武術はかなりの実力にまで達していた。
屋敷に忍び寄る危険があれば、カリンは身を挺して主を守ることができる自信を持っている。
日常の振る舞いも整っており、礼儀作法や学問の基礎も身につけ、屋敷での仕事は滞りなくこなす。
だが、目の奥にはあの時の芯の強さが今も光り、グランジャスを支える存在としての自覚が揺るぎなく根付いている。
「ご主人様、今日も一日がんばりましょうね」
カリンの声は柔らかくも凛としており、屋敷の空気に穏やかな旋律が流れ込むようだった。
グランジャスとカリンは街に買い物に来ていた
ドルセニアの市場は今日も賑やかだった。
獣人、亜人、人間が入り混じり、誰もが自分の生活を楽しむかのように行き交っている。
その中を、グランジャスとカリンは並んで歩いていた。
アクセサリーショップに立ち寄ると、色とりどりの宝石や細工が並んでおり、カリンの目は輝きを増した。
白い耳をぴくりと動かしながら、ショーケースに顔を寄せる。
カリン「ご主人様、このソライロ真珠のネックレス……綺麗ですね」
ショーケースの中で、淡い空の色を映したような真珠がきらめいていた。
彼女の銀色の髪と澄んだ瞳に不思議とよく似合いそうだった。
グランジャスは腕を組み、しばし眺める。
グランジャス「ふむ……確かに、カリンに似合うな」
カリンは頬を赤らめ、首を横に振る。
カリン「い、いえ! 私は見るだけで……ご主人様にお金を使わせるなんて……」
グランジャスは微かに笑い、店員に声をかける。
グランジャス「すまん、そのソライロ真珠を見せてもらえるか」
カリン「ご、ご主人様!?」
カリンの狼の尾が慌てたように揺れる。
だが、彼女の心のどこかで「もし自分が持てたら」という小さな期待が芽生えているのを、グランジャスは気づいていた。
猫の店員はニヤニヤと髭を揺らしながら、からかうように声を上げた。
猫の店員「グランさん、今日もお熱いね、ヒューヒュー」
[newpage]
グランジャスは首を傾げ、肩をすくめる。
グランジャス「そうか?」
猫の店員はにやりと笑い、カリンとグランジャスを交互に見やる。
猫の店員「いやいや、どう見てもカップルか夫婦にしか見えないぜ」
カリン「ふ、夫婦っ!?」
耳がぴんと立ち、真っ赤になった頬を手で隠す。
白い尾はぱたぱたと落ち着きなく揺れ、どう見ても動揺しているのが丸わかりだった。
グランジャスは少し照れくさそうに笑いながらも、冗談めかして返す。
グランジャス「ははっ、まぁこいつが俺の傍にいてくれるのは確かだからな」
カリン「ご、ご主人様ぁ……!」
ますます顔を赤くして俯くカリンを見て、猫の店主は「こりゃ本物だな」と小声で笑った。
グランジャスは腕を組みながら、カリンをじっと見た。
グランジャス「カリン、いつもメイド服では大変だろ。今日は服とかも買うぞ」
カリンは慌てて両手を振り、耳まで真っ赤にする。
カリン「そ、そんな! 私はこれで大丈夫です。ご主人様のお屋敷で働けるだけで幸せですから……」
グランジャスはにやりと笑みを浮かべ、軽く肩をすくめる。
グランジャス「可愛いんだから、オシャレはしないとね」
カリンは固まった。
「可愛い」という一言が胸の奥に響き、心臓が早鐘のように鳴る。
カリン「……っ! そ、そんなこと……」
白い尾がぱたぱたと揺れて、隠そうとしても隠しきれない動揺が全身に表れている。
グランジャスは店のショーウィンドウに飾られたワンピースを指さした。
グランジャス「ほら、ああいうの。絶対似合うと思うぞ」
カリンは視線を泳がせながら、小さく呟く。
カリン「……もし、ご主人様がそうおっしゃるなら……」
員はにやにや笑いながら、また茶々を入れる。
猫の店員「いやぁ~本当に夫婦の買い物みたいだねぇ」
カリンは両手で真っ赤な顔を隠し、グランジャスは少し照れ笑いを浮かべる。
その姿は、確かに仲睦まじい恋人や夫婦にしか見えなかった。
店の奥から現れたのは、長い金髪を編み上げたエルフの女性だった。
尖った耳がアクセサリーと共に揺れ、品のある微笑みを浮かべる。
エルフの店主「男爵さんかい、珍しいわね。今日はどうしたの?」
グランジャスは横に立つカリンの頭をやさしく撫でる。
白狼の耳がくすぐったそうに動き、カリンは少し照れながら俯いた。
グランジャス「この子に色々服を買わないとと思ってね。いつもメイド服じゃ、なんかな」
エルフの店主はカリンを見て、目を細める。
エルフの店主「ふふ……なるほどね。メイド服も似合ってるけど、せっかくの可愛い子だもの。色んな服を着せてあげたくなるわ」
カリン「か、可愛いなんて……そんな……」
耳を伏せ、真っ赤になって小さな声で抗議するが、尻尾が落ち着きなく揺れている。
グランジャスは笑って頷く。
グランジャス「だろう? だから頼むよ。カリンに似合う服をいくつか見繕ってくれ」
エルフの店主はにっこり笑い、布地や飾りの並ぶ棚へと手を伸ばす。
エルフの店主「任せて。きっと、男爵さんが惚れ直すような姿にしてみせるわ」
カリン「えっ!? そ、そんな……!」
顔を真っ赤にして慌てふためくカリンをよそに、グランジャスは楽しそうに肩を揺らしていた。
グランジャスは腕を組みながら、店内を見回し、少し照れくさそうに笑った。
グランジャス「俺はファッションには疎いからな。プロに頼んだ方がいい」
エルフの店主はくすりと笑い、腰に手を当てる。
エルフの店主「正直でいいじゃない。そういう人の方が任せがいがあるわ」
カリンは慌てて首を振る。
カリン「で、でも……私なんかに、そんな……」
グランジャスは彼女の頭に再び手を置き、優しく撫でる。
グランジャス「“なんか”じゃないさ。お前は俺の大事な家族だ」
カリンの胸が熱くなり、俯いた顔が赤く染まっていく。
白い耳がぴくりと動き、尾が恥ずかしそうに小さく揺れた。
エルフの店主はその様子を眺めてにんまりと笑い、ハンガーに掛かったワンピースをいくつか手に取った。
エルフの店主「はいはい、ごちそうさま。じゃあまずはこれから試してみなさい。絶対似合うわよ」
カリン「えっ……そ、そんな……!」
カリンはワンピースを抱きしめるように受け取り、視線を泳がせながら試着室の方へと歩いていった。
グランジャスは懐からずっしりとした金塊を取り出し、カウンターに置いた。
グランジャス「ドレスやワンピース、他にもいろんなのが。本当に助かる。これ、お代だ」
エルフの店主は目を丸くして、その金塊をまじまじと見つめる。
エルフの店主「ちょ、ちょっと!あんた……これはお釣りがいくらあっても足りないわよ!」
カリンも慌てて両手を振る。
カリン「ご、ご主人様! そんなに出さなくても……!」
だが、グランジャスは落ち着いた表情で肩をすくめた。
グランジャス「いいんだ。価値あるものにはきちんと報いないとな。ましてやカリンの笑顔を見られるなら、安いものさ」
その言葉に、カリンの頬は一層赤くなり、耳と尻尾が恥ずかしそうに揺れる。
店主はしばらく呆然としたが、やがて苦笑して両手を広げた。
エルフの店主「……まったく。相変わらず破天荒ね。でも、そういうところが憎めないんだから」
グランジャス「任せるよ。カリンに似合う服を、存分に選んでやってくれ」
店内に、試着室からそっと顔を出すカリンの姿があった。彼女の手には新しいワンピースが抱えられていて、瞳はどこか期待と不安で揺れていた。
グランジャスはにこやかに微笑みながら、カリンに抱えられたワンピースを指差した。
グランジャス「サイズ合わせるから試着してみな、カリン」
カリンは目をぱちぱちさせ、恥ずかしそうに視線を逸らした。
カリン「えっ……い、今ここでですか?」
エルフの店主がクスクス笑って、奥の試着室を指差す。
エルフの店主「安心しなさい、ちゃんと個室があるわよ。さあ、こっちへ」
カリンは頬を赤らめながら小さくうなずき、両手でワンピースを胸に抱えて試着室へと入っていった。
カーテンが閉じられる音がして、しばらく中からガサゴソと着替える気配が聞こえる。
その間、グランジャスは腕を組み、どこか落ち着かない様子で待っていた。
エルフの店主「ふふっ、ずいぶんと楽しみにしてるのね」
グランジャス「そ、そういうわけじゃ……いや、まあ似合うのは間違いないと思ってる」
やがて、カーテンがそっと開き、カリンが姿を現した。
そこに立っていたのは――いつものメイド服ではなく、清楚で柔らかい色合いのワンピースを身にまとったカリン。
恥ずかしそうに指をもじもじさせながら、恐る恐る問いかける。
カリン「……ご主人様。似合ってますか?」
グランジャス「ああ、似合ってるよ」
[newpage]
グランジャスとカリンが軽いイチャつきを見せていたときに
店のベルが鳴って新しい客が入ってくる。
その客は金持ちそうな装飾を身につけた中年の男で、鼻を鳴らしながら店内を見回す。
選民思想の客「ふん、なんだこの店は……獣臭い。ああ、そこにいるのは狼の娘か。こんな獣がドレスを着ても笑い者にしかならんぞ」
カリンはビクリと肩を震わせ、咄嗟に耳と尻尾を伏せてしまう。
彼女の表情からは、過去に受けた虐待や奴隷時代の記憶がよみがえっているのが分かる。
グランジャスの目が鋭く細まる。
グランジャス「……今なんと言った?」
選民思想の客は意に介さず、鼻で笑う。
選民思想の客「人間の血こそ至高。獣人の血が混じった娘など、下賤な存在にすぎん。お前のような男爵が庇うのは恥だぞ」
グランジャス「貴殿は、ローレスの貴族だな。階級はジェントリーの……それにしては頭が固いな」
選民思想の客「なっ……!」
グランジャスは一歩前に出て、堂々と胸を張る。
グランジャス「身分に胡座をかき、他者を見下す。そんな了見では、たとえ爵位を持っていても本物の貴族とは呼べん。誇るべきは血ではなく、行いと心だ」
選民思想の客は顔を真っ赤にして唇を噛む。
選民思想の客「下賤な獣人に心など――」
バンッ!
グランジャスがカウンターに手を置き、鋭い眼差しを突き刺した。
グランジャス「俺の目の前でカリンを侮辱するなら、たとえ皇帝であろうと許さない!」
カリンは驚きに目を見開き、胸元でそっと手を握りしめる。
彼女の尻尾が小さく揺れ、耳が少しだけ持ち上がっていた。
エルフの店主が苦笑混じりに口を挟む。
エルフの店主「お客様、これ以上は営業妨害だわ。お引き取り願えるかしら?」
グランジャスは椅子から立ち上がり、冷ややかな目で客を見据えた。
グランジャス「……カリン、攻撃を許可する」
カリンは一瞬きょとんとしたが、すぐに背筋を伸ばし、メイド服の裾を軽く押さえて頭を下げた。
カリン「かしこまりました」
次の瞬間、彼女は獣人特有の俊敏さで客の襟首をつかみ、ずるずると外へ引きずり出す。
客「な、何をする!私はローレスの貴族ぞ――!」
カリン「ご主人様を侮辱した罪、身をもって償ってください」
そのまま路地に放り投げると、カリンは武術の型に構え、寸分違わぬ動きで打撃を叩き込んだ。
――ドゴォッ!
客はあっけなく地面に叩きつけられ、鼻血を垂らしながら呻き声を上げる。
カリンはすっと息を整え、スカートの裾を正すと店に戻り、グランジャスの前で静かに膝を折った。
カリン「……任務完了いたしました」
グランジャスは思わず吹き出すように笑い、肩を揺らした。
グランジャス「ははは! 見事だカリン。やっぱりお前は俺の誇りだな」
カリンの頬は赤くなり、嬉しそうに尻尾を揺らしていた。
夕暮れ時のドルセニアの街を、グランジャスとカリンは肩を並べて歩いていた。
カリンの手には新しく買った服や小物が詰まった袋が抱えられており、顔にはどこか満ち足りた笑みが浮かんでいる。
グランジャス「今日は色々買ったな。袋の重さ、大丈夫か?」
カリン「はい! むしろ、こんなに沢山買っていただけて……夢みたいです」
グランジャスはその言葉に目を細め、軽く彼女の頭を撫でた。
グランジャス「夢なら、これからも続けていけばいい。カリンが幸せそうなら、俺も幸せだからな」
カリンは顔を赤らめて下を向いた。尻尾がふわふわと揺れ、気持ちを隠しきれていない。
やがて二人は石造りの門をくぐり、屋敷へ戻る。
使用人たちが出迎えると同時に、カリンは「ご主人様のお荷物です」と言って袋を差し出そうとするが、グランジャスは首を振った。
グランジャス「今日はお前が主役だ。新しい服も、飾りも、お前のものだ。しっかり自分の部屋にしまっておけ」
カリン「……はい! ありがとうございます」
[第五曲:恋風のメヌエット]
その日の夜。
屋敷は静まり返り、月明かりが廊下に差し込んでいた。
カリンは用意された自室――かつてグランジャスの姉が使っていた部屋に座っていた。
壁には落ち着いた色の布がかけられ、窓際には清潔なレースのカーテン。柔らかなベッドにはふかふかの毛布が整えられている。
カリン「……なんか、不思議」
彼女は小さくつぶやき、シーツの上に手をのせた。
カリン「今まで硬い床や藁の上で眠ってたのに、こんなに暖かくて柔らかいところに……」
頬にシーツをすり寄せると、自然と涙がにじんできた。
カリン「ここで眠れるなんて……夢みたい」
コン、コン。
扉をノックする音がして、グランジャスが顔をのぞかせた。
グランジャス「カリン、部屋の具合はどうだ?」
カリンは涙を隠すように慌てて袖で目をぬぐい、笑顔を見せる。
カリン「はいっ! すごく素敵です。私なんかがこんな部屋を使っていいのかなって……」
グランジャスは優しく笑い、部屋に一歩入った。
グランジャス「ここはお前の部屋だ。誰にも遠慮する必要はない。安心して、胸を張って使えばいい」
カリンは胸の奥がじんと熱くなり、布団をぎゅっと抱きしめた。
カリン「……はい。ありがとうございます、ご主人様」
深夜――。
屋敷の中は静まり返り、外からは虫の声がかすかに聞こえるだけ。
グランジャスは隣の部屋で既に就寝しており、規則正しい寝息が壁越しにわずかに届いていた。
しかしカリンは、ふかふかのベッドの上で何度も寝返りを打ち、まぶたを閉じても眠れなかった。
胸に手を当てると、トクントクンと心臓が速く脈打っている。
カリン「……なんだろう。最近、ご主人様といるとドキドキする」
彼に頭を撫でられると胸が温かくなる。目を見つめられると息が詰まる。
そして、今まで感じたことのない熱が体の奥にじんわりと広がっていく。
カリン「それに……この体の疼きは、なに……?」
カリンは頬を両手で押さえ、赤く火照った顔を枕に埋めた。
頭の中には、いつも優しく守ってくれるグランジャスの姿が浮かんで離れない。
カリン「私……どうしちゃったんだろう……」
胸の奥のざわめきは、子供の頃に感じた「安心」や「憧れ」とは違っていた。
それはまだ名前のつけられない感情だったが、確実に彼女の心を大きく揺さぶり始めていた。
翌朝。
カリンは朝食の席でグランジャスに頭を下げた。
カリン「ご主人様、今日は少し……街に出てもいいでしょうか?」
グランジャス「ん? 買い忘れでもあったか?」
カリン「いえ……ちょっと、昨日の店主さんにお礼を言いに」
グランジャスは一瞬不思議そうにしたが、すぐに笑ってうなずいた。
グランジャス「そうか。礼儀を忘れないのはいいことだ。気をつけて行ってこい」
――
そしてカリンは、昨日訪れた服屋の扉を押した。
カランコロン、と鈴の音が響く。
エルフの店主「おや、もう来たのね。昨日は大変だったでしょう?」
カリンはこくりとうなずき、店主に近づいた。
カリン「あの……実は、ご相談があって」
エルフの店主「ふふ、なんだか深刻そうね。座って話してごらん」
カリンは少し顔を赤くして、俯きながら言葉を選んだ。
カリン「……最近、ご主人様といると胸がドキドキして、夜も眠れなくて……。それに、体が熱くなって……どうしたらいいのか分からないんです」
エルフの店主は目を細め、どこか優しく微笑んだ。
エルフの店主「あぁ……そういうことね。カリン、あなた――恋をしてるのよ」
カリン「……恋?」
カリンは目を瞬かせ、頬の赤みを隠せずにいた。
カリンは顔を赤くしながら言葉を続けた。
カリン「胸が……時々、変な感じがして……。それに、ご主人様に触れられただけで、体が熱くなって……変になるんです」
エルフの店主は頷き、にっこりと微笑んだ。
エルフの店主「なるほどね。カリン、あなたの場合は――」
指を立てて、ひとつひとつ丁寧に数える。
エルフの店主「まず、女の子としての成長期特有の体の変化。次に、獣人の血を引いているから訪れる“発情期”。そして……誰かを大切に想う“恋”。この三つが同時に来たのよ」
エルフの店主は指先で頬にかかった髪を払って、少し真面目な声になった。
エルフの店主「恋はね、思いすぎたり、症状が重くなると“恋煩い”とか“恋の病”なんて言われる状態になるの。食欲が落ちたり、眠れなくなったり、心も体も負担がかかるのよ」
カリン「……! わ、私……昨日も眠れなかった……」
胸の奥がドキリと跳ねて、カリンは慌てて口を押さえる。
エルフの店主はクスクス笑って、カリンの頭を撫でた。
エルフの店主「恥ずかしいことでも怖いことでもないわ。むしろ自然なこと。大事なのは、その気持ちと体をどう扱うか。……そして誰に預けたいか、ちゃんと自分で決めることよ」
カリンは胸に手を当て、昨日から続く鼓動を確かめた。
カリン「……やっぱり、ご主人様なのかな」
その声は小さく、でも確かに心の奥から溢れ出ていた。
エルフの店主は優しく頷き、微笑んだ。
エルフの店主「そう思うなら、大切に育てなさい。その気持ちをね」
エルフの店主
「それで、カリンちゃん。男爵のことをどう思ってるの?」
[newpage]
カリン(少し赤面して)
「……その……とても優しい方です。でも、私なんかがそばにいていいのかって、不安もあって……」
エルフの店主は胸に手を当てて、少し懐かしそうに微笑んだ。
エルフの店主「私は発情期はないけど、成長期と恋なら経験してるから気持ちはわかるわよ」
カリン「……店主さんでも、そういう時期があったんですね」
驚いたように目を丸くするカリン。
エルフの店主は軽く肩をすくめた。
エルフの店主「ふふ、女の子なら誰でも通る道よ。胸が熱くなったり、相手のことばかり考えちゃったり……。あの頃は自分でも戸惑ったわ」
カリンは頬を赤くしながら、小さな声で呟く。
カリン「……やっぱり、これって恋なのかな」
エルフの店主「自分でそう思うなら、きっとそうよ。大事なのは、その気持ちを大切にして、焦らず育てること」
店主はカリンの手をそっと握り、真剣な眼差しで続けた。
エルフの店主「それに、あなたの“ご主人様”は変わり者だけど、信じられる人でしょ?」
カリンは一瞬言葉に詰まり、それから小さく頷いた。
カリン「……はい。すごく……信じられる人です」
店主はくすっと笑い、しかしすぐに穏やかに続けた。
エルフの店主「でも安心して。恋煩いや恋の病は 解決はできるのよ。大事なのは、自分の気持ちをごまかさず、ちゃんと向き合うこと。そして、どうしても苦しいときは……その相手に、心を打ち明けることね」
カリン「心を……打ち明ける……」
カリンの胸がさらに熱くなる。ご主人様の笑顔が脳裏に浮かんで離れなかった。
エルフの店主「ねぇ、カリン。あなたのご主人様なら、きっとちゃんと受け止めてくれると思うわ」
エルフの店主は遠くを見つめるように微笑んだ。
エルフの店主「私はね、思いを伝えたときは緊張で震えたわ。でも……告白したらすっきりした。振られても、振られなくてもね。胸に抱えて苦しむよりずっと楽になるの」
カリン「……振られても……?」
エルフの店主「そう。だって気持ちを閉じ込めたまま後悔するのは、一番つらいから。答えがどうであれ、想いを伝えた自分を誇れるものよ」
カリンは黙り込み、ぎゅっと胸元を押さえた。
カリン(……ご主人様に、言うべきなのかな……? でも、怖い……)
店主は優しくカリンの肩に手を置いた。
エルフの店主「焦らなくてもいい。けどね、恋も病も、こじらせすぎると取り返しがつかなくなることもあるの。だから、心の準備ができたら……素直な気持ちを伝えてみなさい」
[第六曲:店主が紡ぐバロンのエレジー]
店主は微笑むが、ふと目を細めて遠くを見る。
「……あの男爵さんのことをね、知っておいた方がいいかもしれない」
カリン「え……?」
店主
「あの男爵さんには父と母、それに姉が三人いてね。全部で六人家族だったのよ」
「だけど……父親は酒と女に溺れ、自分の娘にすら手を出した人。母も見て見ぬふりをして……」
カリンは息を呑み、胸の奥に重苦しいものを感じる。
「……そんな……」
店主(少し沈んだ声で)
「だからこそ、あの人は『守る』ってことに誰よりも真剣なの。自分の父のせいで貧乏だったし辛かったから……他の誰かを救おうとする」
エルフの店主
「それに……あの人は小さい頃、二歳くらいの真冬のことよ。父親が会社で“自慢するため”だけに連れ出してね……ジャンバーも暖かい服も着せずに。見栄のために、よ」
カリン(目を見開く)
「そんな……!」
店主(小さく息を吐きながら)
「そのせいで重い肺炎になったの。さらに敗血症まで併発して……死にかけたって話よ」
カリン(胸を押さえ、震える声で)
「……そんな……ご主人様が、そんな目に……」
店主(優しく)
「だからこそ、あの人は“命の重さ”を誰よりも知っている。誰かを傷つけたり、見て見ぬふりしたりなんて絶対にしない。それが、あのグランジャスという男よ」
エルフの店主は深いため息をつき、カリンの肩にそっと手を置いた。
「母は父が娘に手を出したことが離婚の直接のきっかけだったの。弁護士も立てて、きちんと慰謝料や養育費を請求したけれど……」
カリンはじっと店主の言葉に耳を傾ける。
「慰謝料は五万ミル、養育費は本来月に千ミル。でも、父はたった百ミルしか払わなかったのよ……ほんのわずかだけ。」
カリンの小さな手がぎゅっと握られる。胸に込み上げるものがあった。
エルフの店主はにっこりと微笑んだ。
エルフの店主「ええ、あなたの男爵さんも、幸せな家庭を求めてるのよ」
カリンは驚きの声を漏らす。
カリン「え……? そうなのですか?」
目をぱちぱちと瞬かせ、耳と尻尾を小さく揺らす。
店主は優しく頷く。
エルフの店主「ふふ、見ていればわかるわ。人を守るのが好きで、でも自分の幸せも大事にしたいタイプ。カリン、あなたはその幸せの一部になれると思うわよ」
カリンは胸の奥がじんと熱くなり、手をぎゅっと握った。
カリン(……私が、その一部……? 本当に……?)
店主はくすっと笑い、少し茶化すように言った。
エルフの店主「さあ、あとはあなた次第ね。勇気を出すか、それともまだ迷うか」
カリンは小さく息を吸い込み、考え込む。
カリン(……でも、ご主人様に……会いたい……!)
エルフの店主はくすっと笑い、少し茶化すように言った。
エルフの店主「ただ、あの男爵さんは無茶を良くするから、奥さん泣かせとも言えるけどね」
カリンはびくっと耳と尻尾を揺らし、少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。
カリン「えっ……奥さん、って……私は……」
店主(優しく微笑む)
「だからこそ、カリンちゃん。あの人は人一倍、誰かを家族にしたいと願ってるの。君の存在は、その願いを満たす光になるはずよ」
店主はにこやかに肩をすくめ、からかうような笑みを浮かべる。
エルフの店主「ふふ、でもそれもご主人様の魅力の一つよ。あなたなら、うまく受け止められると思うわ」
カリンは小さくうなずき、胸の奥のざわめきに戸惑いながらも、少し希望を感じる。
カリン(……無茶なところもあるけど、でも……好き……なのかもしれない……)
エルフの店主はカリンの目を見つめながら話を続ける。
「男爵は幼い頃、貧民街で苦しい生活を送っていたわ。でもある日、王族が体調を崩した時、男爵は人知れず助けたの。命を救ったのよ」
カリンは目を大きく見開く。
「え……それで?」
「その功績が認められ、母は女爵の地位を得たの。そして男爵は、母が築いた名誉と財産を受け継いで、今の男爵になったのよ」
カリンは小さく息をついた。胸の奥で、過酷な過去を乗り越えて今の優しさと強さを手にしたグランジャスの姿が浮かんだ。
「……だから、あんなに立派で、誰にでも公平なんですね」
店主は静かに頷き、優しい微笑みを浮かべた。
「ええ、苦労を知っているからこそ、他者の痛みも理解できるのよ」
エルフの店主は頷き、少し感慨深げに話す。
エルフの店主「たしか、数年前に奴隷市場を壊滅させたという話も聞いたわね」
カリンは小さく胸に手を当て、目を伏せたまま答える。
カリン「それは……本当です。私、その時に助けられましたから」
店主はカリンの肩に優しく手を置く。
エルフの店主「そうよね……あの時の男爵さんがいなければ、あなたはどうなっていたか分からないもの。だからこそ、今の気持ちも大事にしなさい」
カリンは頬を赤くしてうなずく。
カリン(……ご主人様のおかげで、私は今こうして……生きていられる……)
店主は微笑みながら、少し茶化すように付け加えた。
エルフの店主「だからね、恋心も成長も、ちゃんと向き合う価値があるってことよ」
カリンは小さく頭を下げ、決意を胸に屋敷へ向かって歩き出した。
カリン「ありがとうございます。私、やってみます」
エルフの店主はにっこりと頷いた。
エルフの店主「しっかりね。焦らず、自分の気持ちを大切にするのよ」
カリンは微笑みを浮かべ、街の道を駆けるように屋敷へと戻っていった。
店内に残った店主は、柔らかく笑みを浮かべてつぶやく。
エルフの店主「ふふふ、若いっていいわね……久々に、私も恋をしたくなったわ」
店内に響く鈴の音とともに、静かな余韻が残った。
カリンの胸に芽生えた小さな勇気と、ときめきの予感――それを店主は暖かく見守っていた。
屋敷に戻ったカリンは、いつものようにスイガンや他の使用人たちと一緒に家事を始めた。
食器を洗ったり、庭の花に水をやったり、掃除機をかけたり――普段通りの穏やかな日常が流れていく。
スイガン(ワニの獣人)は大きな手で床を拭きながら、笑顔で声をかける。
スイガン「カリン、今日は元気そうだな」
カリンは少し頬を赤くしながら微笑む。
カリン「はい、なんだか……少し、胸が落ち着きました」
別の使用人が笑いながら花壇を整える。
使用人「まあ、昨日のこともあったしな。今日くらいはのんびりしたいもんだ」
カリンは心の中で、昨日のエルフ店主との会話を反芻する。
カリン(……昨日の話、私……ちゃんと覚えておこう。焦らず、自分の気持ちを大事に……)
屋敷の中に流れる日常の温かさは、彼女に安心感と勇気を与え、少しずつ心を整えていった。
夕暮れが差し込む屋敷の食堂。
長テーブルにはスイガンや他の使用人たち、そしてカリンとグランジャスが並んで座っている。
今日は、みんなのリクエストで「うどん」が夕食だ。湯気が立つ器に、だしの香りがふんわり漂う。
スイガン「おっと、今日はうどんか。寒い日にはちょうどいいな」
カリンはおたまを手に取り、丁寧にうどんをよそっていく。
カリン「はい、ご主人様、どうぞ」
グランジャスはにっこり笑って受け取る。
グランジャス「ありがとう、カリン。相変わらず手際がいいな」
使用人の一人が箸を動かしながら言った。
使用人「やっぱり皆で食べると美味しさも倍だな」
カリンは少し照れくさそうに笑いながら、心の中で昨日のことを思い出す。
カリン(……まだドキドキするけど、こうして穏やかに過ごせるのも大事だ……)
グランジャスも箸を手に、カリンをちらりと見て微笑む。
グランジャス「カリン、今日もよく頑張ったな」
カリンは顔を少し赤らめ、でも嬉しそうに頷く。
カリン「はい、ご主人様」
食卓には、温かい笑い声と穏やかな会話が流れ、屋敷の中はいつも通りの安心感に包まれていた。
食事を終え、使用人たちは片付けを始める。
グランジャスは椅子に腰を下ろし、くつろぎながら言った。
グランジャス「今夜は久しぶりに晩酌でもするかな」
スイガンがにやりと笑って、カリンに目を向ける。
スイガン「カリン、お相手してやれ」
カリンは少し緊張しながらも、素直に頷いた。
カリン「はい」
[第七曲:晩酌のセレナーデ]
グランジャスはカリンの手元をちらりと見て微笑む。
グランジャス「じゃあ、今日はゆっくり話でもしようか」
夜の中庭。
月明かりが白く石畳を照らし、風に揺れる木々の葉がささやくような音を立てている。
グランジャスはベンチに腰掛け、手に持った甘口のワインをゆっくりと傾けながら、夜空を見上げた。
グランジャス「空は綺麗なのに……世の中は全く美しくない。嫌になるぜ」
心の奥に重く沈む疲労と孤独を感じながらも、ワインの甘さがわずかな慰めとなる。
グランジャス「守るべき人間もいるのに、外ではまだ理不尽なことが……」
星々が瞬く夜空を見上げるたび、グランジャスは胸の奥で小さな決意を新たにする。
グランジャス「……だが、俺ができる限りのことはしてやる。誰も泣かせない世界なんて無理かもしれんが、目の前の命は守る……」
ワインの香りと夜風が混ざる中、グランジャスはひとり静かに誓った。
孤独な夜でも、守るべき者の存在が、彼にとって唯一の光となっていた。
中庭のベンチに座るグランジャスの前に、カリンがそっと現れた。
手には小皿にのせたおつまみ――カスベとばを持っている。
カリン「ご主人様、飲んでばかりではお身体に響きますよ」
その声は少し恥ずかしそうで、でも真剣だった。
グランジャスはワインを傾けながら、ふっと笑みを浮かべる。
グランジャス「そうか、気をつかわせたな……ありがとう、カリン」
カリンは少し照れたように頷き、グラスを置いて小皿を差し出す。
カリン「少しでもおつまみがあれば、ワインも楽しく飲めるでしょう?」
グランジャスはカリンの気遣いに心が温かくなり、手を伸ばして小皿を受け取る。
グランジャス「ふふ、そうだな……お前は本当に、いつもよく気がつく」
カリンは小さく笑い、少し目を逸らした。
カリン(ご主人様に……褒められると、なんだか……胸がドキドキする……)
夜風が二人の周りをそっと撫で、月明かりの下で、静かで穏やかな時間が流れていった。
カリンは小皿を置き、そっと俯きながら問いかける。
カリン「ご主人様、私は……役に立っているでしょうか。スイガンさんに比べて、機械は疎いですし、エレファンさんみたく料理も上手くありません」
グランジャスはカリンの肩に手を置き、柔らかく笑った。
グランジャス「カリン……役に立つとか立たないとか、そんなことで測るものじゃない」
カリンは目を瞬かせ、少し戸惑う。
カリン「でも……私は、屋敷のために、みんなのために、ちゃんと貢献したいんです」
グランジャスは真剣な眼差しでカリンを見つめ、言葉を続けた。
グランジャス「お前はもう、俺にとってかけがえのない存在だ。役に立つとかじゃなく、お前がいるだけで屋敷も、俺も、みんなも安心するんだ」
カリンの胸は熱くなり、頬が赤く染まる。
カリン(……ご主人様……私、必要とされているんだ……)
グランジャスは微笑みながら、そっとカリンの頭を撫でた。
グランジャス「だから、あまり比べることはない。お前はお前のままで十分なんだ」
夜風が二人を包む中、カリンの心は少しずつ、でも確実に温かさと自信で満たされていった。
グランジャスは穏やかな笑みを浮かべ、カリンを見つめた。
グランジャス「俺にとっては、屋敷で働く者はみんな、家族として接しているからな」
カリンは一瞬言葉を失い、胸の奥がじんと温かくなる。
カリン(……家族……私も、そういう存在として見てもらえてる……)
グランジャスは少し笑いながら続ける。
グランジャス「だから、役に立つとか立たないとか、そんなこと気にする必要はない。お前がいてくれるだけで十分だ」
[newpage]
カリンの目に小さな光が宿り、頬がほんのり赤くなる。
カリン「……ありがとうございます、ご主人様」
グランジャスは軽く頭を撫で、夜風に揺れる月明かりを眺める。
グランジャス「……さぁ、ゆっくり飲もう。今日はお前とこうして過ごせるだけで、俺は満足だ」
カリンは胸の高鳴りを感じながら、静かに頷いた。
カリン(……ご主人様と一緒にいる、この時間が……幸せ……)
カリンは小さく声を出す。
カリン「ご主人様、あの……」
グランジャスは穏やかに顔を向けて答える。
グランジャス「どうした?」
カリンは顔を赤くし、俯いて小さく手を握る。
カリン「な、なんでもありません……」
グランジャスはふっと微笑み、首をかしげる。
グランジャス「そっか……でも、お前の顔を見ると何か言いたそうなのはわかるぞ」
カリンは小さく息を飲み、胸の奥が熱くなる。
カリン(……言いたい……でも、勇気が……出ない……)
グランジャスはその手をそっとカリンの手元に置き、優しく声をかける。
グランジャス「焦らなくていい、カリン。言える時が来たら、聞かせてくれればいい」
カリンは小さく頷き、頬の赤みを増しながらも、少し心が落ち着いた。
カリン(……いつか……ちゃんと……言えるようになりたい……)
夜風に揺れる月明かりの下、二人だけの静かな時間が、ゆっくりと流れていった。
[第八曲:ナイト・ディソナンス・ウォーパーカッション]
ドタドタドタドタ!
サイの使用人兼警備のライノスが慌ててグランジャスの元へ駆け込む。
ライノス「男爵、緊急だ! ローレスの連中が攻めてきやがった!」
グランジャスは眉をひそめ、剣の柄に手をかける。
グランジャス「昨日の一件か……よし、動くぞ」
カリンも身を引き締め、声を落として問う。
カリン「ご主人様、どう致します?」
グランジャスは静かに、しかし決然と答える。
グランジャス「俺が対応してみる。だが、お前も一緒にいろ。戦闘になるやもしれん。使用人たちは周囲の警戒を」
カリンは頷き、手に持つ掃除用の布巾をぎゅっと握りしめる。
カリン(……ご主人様と一緒なら……私も、役に立たなくちゃ……!)
ライノスは戦闘態勢を整えながら、他の使用人たちに号令をかける。
ライノス「皆、屋敷内外の警戒だ! 無駄な犠牲は出すな!」
月明かりに照らされる中庭に、グランジャスとカリン、そして警備の使用人たちが緊迫した空気を漂わせる。
戦いの気配が徐々に屋敷を包み込む――。
グランジャスは戦闘準備のため、真剣な表情でカリンに近づいた。
グランジャス「カリン、これを」
カリンは驚きの声を上げる。
カリン「え……これ……ご主人様の……?」
グランジャスは頷き、手渡す。
グランジャス「狼の装飾の手甲とレガースだ。さらに、これはミスリル銀で作った戦乙女の鎧だ。お前を守るために用意した」
カリンは目を丸くして、手甲を握りしめる。
カリン「こんな……立派な……」
グランジャスは微笑みながらも、真剣な声で続ける。
グランジャス「俺と一緒に戦うなら、無防備じゃ危険だ。これを着て、俺の隣で戦え」
カリンは少し躊躇いながらも、決意を胸にうなずく。
カリン「……わかりました、ご主人様。私、精一杯、頑張ります!」
月明かりに照らされる鎧と手甲が、夜の中庭でかすかに光る。
カリンはその輝きを見つめながら、胸の奥に新たな決意を固めた。
グランジャスはゆっくりと重厚な鎧騎士の鎧を身に纏った。
金属の甲冑が月明かりに反射し、堂々たる存在感を放つ。
手には銃剣を握り、鋭い眼差しで屋敷の玄関へと歩を進める。
足音が石畳に響き、静寂の夜を切り裂くようだった。
グランジャス「……よし、行くぞ」
玄関の扉を開けると、外には迫り来るローレスの兵たちの気配がわずかに漂う。
風が鎧を擦る音、遠くで吠える犬の声が、戦いの予感を告げていた。
グランジャスは一歩前へ踏み出し、カリンの視線をちらりと確認する。
グランジャス「カリン、覚悟はいいか?」
カリンは狼の装飾の手甲を握り、戦乙女の鎧に身を固めて頷いた。
カリン「はい、ご主人様。ご一緒に戦ちます!」
二人の足元に月明かりが落ち、屋敷の前に迫る緊迫した夜の戦場が静かに息を潜めている。
玄関を開けると、目の前には昨日の選民思想の貴族が立っていた。
選民思想の貴族「この前のお返しに来たぜ、愚民!」
グランジャスは眉をひそめ、銃剣を構えながら静かに答える。
グランジャス「あれは、お前が差別した一方的な悪事だ。俺には関係ない話だ」
貴族は鼻で笑い、挑発するように一歩踏み出す。
貴族「だ、黙れ、今回は俺の力を思い知らせてやる!」
グランジャスは背筋を伸ばし、冷静な声で返す。
グランジャス「力を振るう前に、考えろ。俺は誰も傷つけずに済ませるつもりだ。しかし、お前が攻撃してきたら……」
その瞬間、カリンも隣に立ち、狼の装飾が月明かりに光る。
カリン「ご主人様、私も……一緒に戦ちます!」
グランジャスはわずかに笑みを浮かべ、カリンを力強く見据える。
グランジャス「よし、なら二人で片をつけるぞ」
夜の玄関前に、冷たい緊張と戦意が漂い、戦いの瞬間が迫っていた。
貴族の号令とともに、雇われた傭兵たちが一斉に暴れ出す。
鎧の金属音や武器がぶつかる音が、中庭に響き渡った。
グランジャスは冷静な眼差しでカリンを見る。
グランジャス「カリン、奴らを叩き伏せろ。ライノスも存分に戦え」
カリンは頷き、狼の装飾の手甲を握りしめ、戦乙女の鎧に身を固める。
カリン「はい、ご主人様!」
ライノスは低く唸りながら大きな体を揺らし、槍を構える。
ライノス「任せろ! 俺が前衛を務める!」
グランジャスは銃剣を振り上げ、一歩前へ踏み出す。
グランジャス「俺に続け! 後退は許さん!」
カリンは慎重に距離を取りながらも、狼の手甲で傭兵の攻撃を受け止め、反撃の体勢を整える。
カリン(……ご主人様のために、そして屋敷のために……絶対負けられない!)
屋敷は戦場と化し、月明かりが武器や鎧に反射して閃く。
グランジャスとカリン、そして忠実な使用人たちが、力を合わせて傭兵たちに立ち向かっていった。
戦場の混乱の中、貴族は後方で指示を出すだけで、自らは剣を握って立っているだけだった。
グランジャスは眉をひそめ、鋭い眼差しで貴族を見据える。
グランジャス「命令したなら、自分から動けよ」
貴族は軽く鼻で笑い、肩越しに指示を続ける。
貴族「ふん、俺は指揮官だ。前線に出る必要はない」
グランジャスは唇を引き結び、一歩、二歩と貴族に近づく。
グランジャス「指揮官だからって、ただ見ているだけで良いと思ってるのか? 差別も、無茶も、すべてお前が始めたことだろうが」
貴族はわずかに眉をひそめるが、まだ剣を振るう気配はない。
グランジャスは銃剣を構え、戦場の騒音を背に、静かに貴族に詰め寄る。
グランジャス「もう、見逃すわけにはいかない」
月明かりに照らされる中、グランジャスの瞳には決意と怒りが宿り、貴族との距離が一気に縮まった。
グランジャスは銃剣を構え、低く言い放った。
グランジャス「傲慢で悪質なる魂に……鉄槌を!」
次の瞬間、鋭い刃が月光を切り裂き、貴族の剣を弾き飛ばす。
グランジャスはためらいなく銃剣を振るい、横薙ぎ、縦斬り、突きと連撃を叩き込んだ。
金属音と血飛沫が交錯する。
貴族「ぐあっ! や、やめ――」
しかし、グランジャスの眼差しは冷徹だった。
銃口を突きつけ、至近距離から引き金を引く。
乾いた銃声が夜空に轟き、銃弾が貴族の体を撃ち抜いた。
さらに二発、三発と、逃げ場を与えぬ裁きが続く。
グランジャス「これで終わりだ」
膝をついた貴族は言葉を失い、暗い夜に沈んでいった。
周囲の傭兵たちは主の最期を目にして戦意を喪失し、武器を捨て始める。
グランジャスは血に濡れた銃剣を振り払い、静かに構えを解いた。
月明かりの下、その姿はまさに「鉄槌を下す者」としての威厳を放っていた。
[第九曲:リタニア・ドルローザ]
貴族は血に濡れながらも、最後の力を振り絞って剣を抜いた。
貴族「……ただでは、死なん……あの畜生娘を道連れにしてやる!」
その剣が、閃光のようにカリンへ投げ放たれる。
カリン「――っ!」
瞬間、グランジャスがカリンの前に飛び出した。
グランジャス「危ない!」
[newpage]
鋭い音と共に、剣はグランジャスの背を貫き、腹部まで突き刺さる。
グランジャス「ぐっ……!」
カリンの瞳が大きく見開かれた。
カリン「ご主人様ぁ!!」
貴族は苦悶の表情を浮かべながら、最後の言葉を吐き捨てる。
貴族「外した……か……ふん……無念……」
力尽き、地に崩れ落ちる。
だが、グランジャスの体からは止めどなく血が流れ落ちていた。
彼の顔は苦痛に歪み、それでもなお、カリンを庇い続けていた。
グランジャス「カリン……怪我は……ないか……?」
カリンは涙を流し、必死に頷く。
カリン「私は……私は大丈夫です! でもご主人様が……!」
夜空の下、屋敷の庭には戦いの余韻と、重苦しい静寂が広がっていった。
グランジャスは大きく息を吐き、背に突き刺さった剣を無理やり引き抜いた。
血が勢いよく流れ出すが、彼は苦痛を押し殺すように顔をしかめるだけだった。
グランジャス「……このくらい、平気さ」
ゆっくりと体を起こし、血で濡れた地面を踏みしめながら歩き出す。
カリンは泣きそうな顔で、慌ててその腕を掴んだ。
カリン「ご主人様、いけません! 動いてはダメです!」
グランジャスは振り返り、彼女の頭に優しく手を置く。
グランジャス「心配するな……まだ倒れるわけにはいかない」
カリン「でも……血が……!」
涙声で訴えるカリンに、グランジャスはわずかに微笑む。
グランジャス「お前を……守れたなら、それで十分だ」
そう言いながらも、彼の歩みは徐々に重く、足元には赤い跡が続いていた。
ライノスや他の使用人たちが駆け寄り、その場は緊迫した空気に包まれる。
グランジャスは血の滴る手で伝声管を掴み、息を整えながら言葉を絞り出す。
グランジャス「……スイガン、急いで医者を呼んでくれ。それと、恋病院への手続きも頼む」
スイガンの低い声が管を通して返ってくる。
スイガン「了解した、すぐに手配する!」
ガチャン、と管を戻すと同時に力が抜け、グランジャスは壁にもたれ掛かり、ずるりと座り込んだ。
カリン「ご主人様!」
カリンが駆け寄り、必死に血を止めようと布を押し当てる。
だが赤は瞬く間に染み広がり、彼女の手まで赤く濡らしていく。
グランジャスはそんな彼女を見て、かすかに笑った。
グランジャス「……心配そうな顔するな。大丈夫だ、俺は……死なない」
カリン「そんなこと言って……こんなに血が……!」
カリンの瞳には涙が滲んでいた。
彼女の必死な姿に、グランジャスの胸は別の意味でも熱くなるが、それを言葉にする余裕はなかった。
グランジャスは片手で深々と開いた傷口を押さえ、息を荒げながらも口元に笑みを浮かべた。
グランジャス「……久しぶりの負傷だ。やはり……キツイな」
血が指の隙間から滴り落ち、床を赤く染めていく。
カリン「ご主人様! そんなこと言ってる場合じゃありません、動かないで!」
彼女は震える手で布を重ねて押さえるが、血の勢いは衰えない。
グランジャスの視線がふっと宙を泳ぎ、天井の梁に止まる。
グランジャス「……昔、親父のせいで肺炎になった時よりは……まだ楽だな」
そう呟くと同時に、背筋を壁に預けて息を吐いた。
カリンは涙をこらえながら、その手を必死に握りしめる。
カリン「お願いです、これ以上しゃべらないで……! 早く医者が来ますから!」
ケンタウロスの屈強な看護兵たちが駆け寄り、手際よく担架へとグランジャスを移す。
血で濡れた鎧が重く、担ぐたびに鈍い金属音が鳴り響いた。
グランジャス「やっと……来たか」
彼は顔をしかめながらも、かすかに笑みを浮かべる。
医師「しゃべるな! 傷口が開く。こりゃ腹部を貫通してる……手当が遅れりゃ命に関わるぞ!」
カリンはその横で震えながら、必死に担架の脇を歩いていた。
カリン「ご主人様……どうか、どうかご無事で……!」
スイガンが後方から声を張る。
スイガン「道を開けろ! 男爵様を通すんだ!」
屋敷の門を抜けると、待機していた荷車に担架ごと乗せられた。
ケンタウロスの兵たちはすぐさま疾走を始め、車輪が石畳を激しく叩く。
医師「ドルセニア中央の恋病院まで最短で行け! 遅れれば手遅れだ!」
カリンは荷車の端にしがみつき、血の匂いと揺れに耐えながら、ただ必死に祈り続けた。
恋病院の特別病棟。
魔術と医学の粋を集めた手術室での5時間に及ぶ処置の末、グランジャスは一命を取り留めた。
医師「……ふぅ、なんとか持ち直した。奇跡に近いぞ」
看護師「出血が多かったですが、もう峠は越えています」
その声を聞き、手術室の前で待っていたカリンは涙を流し膝から崩れ落ちた。
カリン「よかった……ご主人様……!」
ーー
数時間後、病室。
グランジャスは包帯で腹部をぐるぐる巻きにされ、薬草の香りが漂う中で静かに眠っている。
窓の外から月明かりが差し込み、その横顔を淡く照らしていた。
カリンはベッドの横に座り、彼の大きな手を両手で握りしめる。
カリン「まだ眠ってる……麻酔のせいよね……。どうか、早く目を覚まして……」
彼女の瞳には涙が溜まり、けれど必死に笑みを作ろうとしていた。
ーーそれは、過去に彼から救われて以来、ずっと守られてきた少女の、はじめての祈りだった。
[第十曲:愛と祈りのカンティレーナ]
病室は静かで、聞こえるのは夜風に揺れるカーテンの音と、グランジャスの規則正しい呼吸だけ。
薬草を焚いた香りが漂い、かすかな燈火がランプに揺れている。
カリンはずっと椅子に座り、両手で彼の手を包み込むように握っていた。
その大きな手はまだ冷たさが残っており、彼女は何度も胸元に近づけ温める。
カリン「……ご主人様、聞こえていますか? カリンはここにいます。ずっと傍にいますから……」
彼の額に汗が浮かんでいるのを見ると、布を絞って優しく拭った。
その仕草は、もはや一人の使用人のものではなく、心から彼を想う娘のような、あるいは恋人のような。
カリン「私……本当に怖かったんです。ご主人様がいなくなるんじゃないかって」
涙声になりながらも、必死に笑みを浮かべて彼を見守り続ける。
夜更け。病室のランプが揺れ、窓から差す月光がベッドに淡く降り注ぐ。
カリンはうつむき、握っているグランジャスの手に頬を寄せた。
カリン「……まだ好きと言えてないのに」
その声は小さすぎて、誰にも届かないはずだった。
しかしベッドの上の男は、わずかに眉を動かし、閉じられた瞼の奥で意識を揺らがせた。
カリン「ご主人様……目を覚ましたら、ちゃんと伝えます。だから、どうか……」
彼女の瞳から涙が一粒落ち、グランジャスの手の甲に温かい雫を残した。
[4第十一曲:目覚めと歓喜と涙と告白のワルツ]
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、病室を柔らかく照らす。
グランジャス「……う、眩しい」
重たい瞼をゆっくりと開けると、視界の端にふわりと白い髪が見えた。
カリン「……ご主人様……むにゃ……」
ベッドの縁に突っ伏し、彼の手を握ったまま、安らかな寝息を立てている。
グランジャスはしばらくその姿を見つめ、ふっと息を漏らす。
グランジャス「まったく……無理をするな、カリン」
彼は自由な手を伸ばし、そっと彼女の髪を撫でた。
その瞬間、カリンが小さく身じろぎし、半分夢の中で彼の名を呟く。
カリン「……グランジャス様……好き……」
グランジャスは驚きに目を瞬かせ、やがて微笑んだ。
グランジャス「……聞かなかったことにしてやるよ。起きたら、ちゃんと聞かせてもらう」
グランジャスはベッドに座ったまま、腹部の包帯をそっとめくり、自分の傷口を確認する。
グランジャス「……さすがはあいつだな。しっかり縫合されてる」
手術を担当した医師の技術に、わずかに感心した様子を見せる。
血の跡はまだ残っているが、命に関わるほどの出血は止まっている。
グランジャスは包帯を整え直し、ベッドにもたれ掛かりながら、静かに息をつく。
痛みはあるが、それ以上に安心感が勝っていた。
カリンはまだ眠ったまま、彼の手を握っている。
グランジャスはその手にそっと触れ、微笑む。
グランジャス「……こいつも、よくやってくれたな」
グランジャスはベッドの端に腰かけ、まだ眠るカリンの頭をそっと撫でながら、片手に持った本街の情報誌に目を通した。
ページをめくるたび、街の新しい出来事や商業の噂、舞踏会や催し物の案内が目に入る。
グランジャス「ふむ……ドルセニアも、少しずつ変わってきたな」
カリンは微かに寝返りを打ち、顔を胸元に埋めたまま、穏やかに寝息を立てている。
その姿に、グランジャスの表情がほころぶ。
グランジャス「お前がそばにいてくれるだけで、俺は落ち着ける……ありがたいことだ」
ページをめくる手は止まらず、時折カリンの髪を指先で撫でながら、静かに夜明けの光を浴びる二人の時間が流れていった。
カリンの瞳がぱちりと開き、ベッドの端に座るグランジャスを見つける。
カリン「ご主人様! 目が覚めたのですね!」
そう言うと、飛び上がるように勢いよく抱きしめた。
グランジャス「い、だだだ……!」
[newpage]
予想外の力強さに、彼は思わず肩をすくめる。
カリンの温もりと勢いに包まれながら、グランジャスは笑みを浮かべた。
グランジャス「……お前、力が強すぎるぞ」
カリン「ご主人様が無事でよかったんです! 嬉しくて……!」
抱きしめられたまま、二人の間には安堵と喜びが静かに満ちていった。
血の匂いも痛みも、少しだけ忘れられる瞬間だった。
そして喜びの涙も零れていた。
カリンはグランジャスの胸に抱かれたまま、真剣な眼差しで見上げた。
その瞳には涙が光り、声には震えながらも強い決意がこもっている。
カリン「ご主人様……私は今まで、ご主人様に助けられてきました」
カリン「……今度は、私が支える番です」
カリン「これからも……いえ、この先もずっと……お傍に」
カリン「使用人としてではなく、妻として――」
グランジャスは一瞬息を呑み、固まったように彼女を見つめる。
胸の奥に熱いものがこみ上げ、言葉が詰まる。
グランジャス「……カリン……」
そして、深く息を吐き、彼はゆっくりと笑った。
グランジャス「……ありがとう、カリン……俺も……ずっと、お前を……」
二人の距離は、ただの主従を超え、互いの心を確かに結びつけていた。
窓から差す朝日が、血の跡を包み込むように優しく差し込み、病室には静かで温かい光が満ちていた。
カリンは一歩踏み込み、真剣な瞳でグランジャスを見上げる。
カリン「信じられませんか……?」
グランジャスは少し笑みを浮かべ、手をそっと彼女の肩に置く。
グランジャス「いや……嬉しいよ、カリン」
その言葉を聞いたカリンは、迷わず唇を彼に重ねた。
カリン「チュッ……これが、証です」
驚きと幸福が混じった表情で、グランジャスは目を細める。
グランジャス「……証、か……なら俺も……」
二人はそのまましばし抱き合い、互いの温もりを感じる。
長く厳しい日々の果てに、ようやく訪れた安堵と幸福の瞬間だった。
病室の窓から差す朝の光が、二人の周りを優しく包み込み、戦いと困難を乗り越えた証として、静かに温かく照らしていた。
スイガンが病室の扉をそっと開け、顔を覗かせる。
スイガン「お熱いね、二人とも」
グランジャスは瞬間、顔を真っ赤にして慌てて視線をそらす。
グランジャス「ス、スイガン……いたのかよ!」
カリンも頬を赤く染め、体をベッドに沈めるようにして顔を隠した。
スイガンはにやりと笑い、カリンに目を向ける。
スイガン「カリン、やっと吹っ切れたようだな。願いも叶って、よかったな」
カリンは小さくうなずき、照れくさそうに目を伏せた。
カリン「はい……やっと、言えました」
グランジャスはまだ顔を赤くしつつも、カリンの頭をそっと撫で、少し照れた笑みを浮かべた。
グランジャス「……お前も、強引だな」
スイガンはにんまり笑い、二人の様子を微笑ましく見守った。
[第十二曲:決別の刃のリタルダンド]
病院の廊下。
看護師たちは慌てて制止する。
看護師「お待ちください! ここは許可のない立ち入りは――」
父「何を止めるんだ! 俺たちの娘の所だろう!」
母「さっさとどいてちょうだい!」
看護師が押し返そうと手を伸ばすが、父母は振り切り、無神経に病室へ踏み込む。
父「おい、金を出せ! 助けてもらったんだから当然だ!」
母「あなたの屋敷に住むなら、我々にも恩恵があるでしょ!」
病室の中、ベッドに座るグランジャスは驚きつつも冷静に彼らを見据える。
グランジャス「……なるほど、金の無心か。ここまで卑しいとはな」
カリンは怒りで顔を赤らめ、立ち上がる。
カリン「私を売ったり、虐げたりした親が、今さら金を要求するなんて……信じられません!」
父母はお構いなしに叫び続けるが、カリンの目にはもう恐怖はなく、怒りと軽蔑だけが光っていた。
グランジャスはカリンの肩に手を置き、落ち着いた声で言う。
グランジャス「もう大丈夫だ。俺たちが支える」
グランジャスは冷静な声で紙を差し出す。
グランジャス「いいだろう。その代わり、この契約書にサインを」
紙には、今回限りの金銭援助と、それ以降は一切の借金と関係を絶つ内容が書かれていた。
つまり、カリンと父母との縁を完全に切るための契約書である。
父母は内容をろくに確認せず、目の前の金塊や札に目を奪われてサインした。
父「さっさと金をよこせ!」
母「これで全て解決ね!」
グランジャスは書類を受け取り、穏やかに目を細める。
グランジャス「……これで、お前たちはもう、カリンに手を出せない」
カリンは胸の奥で重く沈んでいた感情が、少しずつ軽くなるのを感じた。
カリン「……これで、私も、やっと自由……」
父母は金だけを得て、何の満足もないまま病室を後にした。
グランジャスとカリンは互いに目を合わせ、静かに笑みを交わす。
[第十三曲:バロンのリフレイン 〜ウエディング・カンタータ]
数か月後。
グランジャスは身体も完全に回復し、屋敷に戻ってきた。
グランジャス「今戻ったぜ」
ライノスは門の前で迎え、少し心配そうに声をかける。
ライノス「無理はするなよ、男爵」
エレファンはにこやかに笑いながら、グランジャスの肩を軽く叩く。
エレファン「結婚式するんでしょ? まだ先だけど、準備とかはしておきなさいよ」
グランジャスは微笑みながら頷き、屋敷の中へ歩を進める。
グランジャス「おう、カリンと一緒に幸せな日々を迎えるためにな」
カリンは窓辺で彼を見つけ、笑顔で手を振る。
カリン「ご主人様、おかえりなさい!」
屋敷には、戦いを乗り越えた二人を祝福する穏やかな光が差し込み、幸せな空気が満ちていた。
スイガンは腕を組み、鋭い目でグランジャスを見据えた。
スイガン「グラン坊、お前は夫だけじゃない。いずれ父になるかもしれんのだから、しっかりな」
グランジャスは小さく笑い、窓の外で笑顔を見せるカリンに視線を向ける。
グランジャス「ああ。俺の親父みたいに、酒や女に溺れたりはしねぇよ。あの時の俺みたいに悲しむ子供を増やすもんか」
エレファンは肩を竦めながらも頷く。
エレファン「ふん、口だけじゃなくて実践してみせなさい。…でも、アンタなら大丈夫か」
ライノスは牙を見せて笑う。
ライノス「お前さんらしいな。俺も酒場で吹聴してやるよ、“ドルセニアの狼は家族を大事にする”ってな」
[newpage]
グランジャスは椅子に腰かけ、湯気の立つお茶を一口飲んでからスイガンを真っ直ぐ見た。
グランジャス「スイガン、お前に仲人を頼みたい。一番古株だから信頼できる」
スイガンは目を丸くして、やがてゆっくりと笑った。
スイガン「仲人だぁ?まったく、俺がそんな役回りをするとはな。けど…嬉しいぜ、任せとけ」
グランジャスは肩をすくめる。
グランジャス「国王ってわけじゃないからな。俺としてはこじんまりと式をしたいんだが……王は盛大にやりたがりそうでな」
エレファンが呆れた顔をする。
エレファン「はっ、あの王様なら絶対そうするわね。街全体を飾り立てて、民衆を集めて“国の祝祭”に仕立て上げるわよ」
ライノスは大きな鼻息を吐いた。
ライノス「まぁ、王が絡めば避けられねぇだろうな。だが、式が盛大になろうが、肝心なのは“誰と誓うか”だろう」
カリンは少し恥ずかしそうに俯きながら、そっとグランジャスの袖を握った。
グランジャスは立ち上がり、腰の剣に軽く手を添えながら皆に告げた。
グランジャス「とりあえず国王に報告だけはしてくる。先に伝えておかないと後で面倒になるからな」
カリンは少し不安げに彼を見上げる。
カリン「……ご主人様、いえ、グランジャス様。王様に何か言われても、私は嫌じゃありません。どんな式でも、隣に立てるなら」
その言葉に、グランジャスは一瞬言葉を失い、やがて柔らかく笑う。
グランジャス「カリン、心配させて悪いな。大丈夫だ、俺が主役の式だろ?勝手に操られるわけにはいかねぇよ」
スイガンが腕を組みながら頷く。
スイガン「そうだな。王の性格からして“国を挙げての婚儀”にしたがるだろうが、お前ならうまく捌けるはずだ」
エレファンはにやりと笑う。
エレファン「さぁて、王城に行ってどう切り返すか、楽しみにしてるわよ」
ライノスは真剣な顔で付け加える。
ライノス「俺たちも控えてるからな。何かあればすぐ駆けつけるぜ」
グランジャスは頷き、マントを翻して玄関へ向かう。
グランジャス「じゃあ行ってくる。……心配するな、すぐに戻る」
カリンは彼の背中を見送りながら、小さく胸に手を当てた。
カリン「(どうか、王様に振り回されませんように……)」
城の門前に着く
門番の兵士1「おはようございます男爵さん、今日はどのようなご要件で?」
グランジャス 「結婚報告をしたくてな」
門番の兵士2「おめでとうございます、王は音の間でエアロビクスをしております」
グランジャス「……エアロビクス?」
門番の兵士1「はい、王は最近、健康のために毎朝欠かさずやっておられます」
門番の兵士2「“民に強い王であれ”が信条らしくてな。まあ、おかげで家臣たちは毎朝付き合わされて大変ですよ」
グランジャスは額に手を当て、苦笑した。
グランジャス「はぁ……変わらんな、あの御方は」
兵士1「中にご案内いたします。王がお終いになるまで控えの間でお待ちください」
グランジャス「ああ、頼む」
城内に入ると、石畳の広間にまで響いてくる音楽と、兵士や侍女たちの掛け声が聞こえてきた。
「ワン・ツー! ワン・ツー! 王よ、もう一度!」
「はぁ、はぁ……陛下、すごい動きでございます!」
グランジャスはため息をつきながら、控えの間の椅子に腰掛ける。
グランジャス「結婚の報告をしにきたってのに、なんだこの空気は……」
やがて、汗を拭いた侍従が駆け込んでくる。
侍従「お待たせしました! 王がお呼びです、男爵殿」
グランジャス「よし、行くか……」
王は豪快に笑い、手に持っていたタオルを放り投げた。
王「おお!グランジャス!お前がついに女を射止めたか!いやぁ、めでたい!」
グランジャス「まだ婚姻届は出してないし、式も準備中だがな。ま、報告だけは先にと思って来た」
王「はっはっは!でかしたぞ、我が飲み仲間よ!──で、式は国を挙げて盛大にやるのだろう?」
グランジャスは眉をひそめ、ため息をついた。
グランジャス「いや、俺は身内と友人だけでこじんまりとやりたいんだよ。大仰なのは性に合わん」
王「なにを言う!ドルセニア男爵グランジャスの婚礼だぞ!?祭りだ、宴だ、酒池肉林だ!」
グランジャス「お前が飲みたいだけだろ……」
王「うむ、正直に言えばそうだ!」
王は肩を組もうとする勢いでグランジャスに近寄る。
グランジャスは苦笑しながらグラスを受け取った。
グランジャス「……まあ、酒はつき合う。だが式はこじんまり、これだけは譲らんぞ」
[newpage]
王「むぅ……つれぬな。しかし酒席は盛大にせねばならん!式はお前の望む形でよい、だが宴は任せろ!」
グランジャス「……結局、騒ぎになるんじゃねぇか」
二人は顔を見合わせ、大笑いした。
王「花嫁は誰だ?知らん奴を花嫁にはせんだろう」
グランジャス「ああ、メイドのカリンさ相手はな」
王「ほぉ〜!あのカリン嬢か。いつもお前の傍にいた白狼の娘だな?」
グランジャス「ああ。拾ったときはボロボロだったが、今じゃ立派なメイドだ。……そして、俺の相手だ」
王は酒杯を置き、身を乗り出した。
王「なるほど!確かにあの娘は気立てもいいし、真面目だ。だが……ほんとうに愛しているのか?」
グランジャスは即答した。
グランジャス「愛してる。俺の人生を共に歩んでほしいと、心から思ってる」
王は数秒じっと彼を見つめ、やがて豪快に笑い出した。
王「はっはっは!ならば文句なしだ!グランジャスの嫁ならば、わしの国の嫁も同然!……よし、後でその娘にも挨拶させてくれ。直に目を見て確かめたい」
グランジャス「分かった。本人も緊張するだろうが、王になら会わせてもいい」
王「決まりだな!さて、祝い酒だ!おい、酒樽を持ってこい!」
侍従たちが慌てて大樽を転がしてくる中、グランジャスは額を押さえた。
グランジャス「……やっぱり騒がしくなるな、これ」
グランジャス「式の前にぶっ倒れるぞそこは式まで取っておけその方が酒は美味い」
王「むむっ、たしかに!祝いの酒は式の席でこそ真価を発揮するもの……!」
王は大樽の前で腕を組み、真剣な顔でうなずいた。
王「よし、今日のところは控えよう!──だが式当日には、この樽どころか百樽でも並べてやるぞ!」
侍従たち「ひ、百樽……!? 陛下、それは倉庫が空になります!」
グランジャスは肩をすくめて笑う。
グランジャス「相変わらず極端だな。だがまぁ、その意気込みはありがたく受け取っておくさ」
王はグランジャスの肩を力強く叩いた。
王「式の日まで死ぬなよ、グランジャス!わしはお前の晴れ姿を、この目で見届ける!」
グランジャス「縁起でもないことを言うな……けど、安心しろ。俺は必ず立っている」
王とグランジャスの視線がぶつかり、やがて二人は豪快に笑った。
グランジャス「一つだけ頼みがある」
王「なんだ、かしこまって」
グランジャス「カリンのクズ親二人を、呼びたいのです」
王「なぜだ」
グランジャス「簡単に言えば公開処刑です親のしてきた醜態を世間に晒す事で社会的に制裁するのさ」
王「……ほぅ。お前にしては物騒な言葉を使うな」
グランジャス「殺すわけじゃない。だが、あいつらがカリンにしてきた仕打ちは到底見逃せない。
生まれてすぐ“畜生”呼ばわり、挙句は奴隷市場に売り飛ばした……そんな連中が平然と世間を歩いてるのが許せん」
王は腕を組み、じっと考え込む。
王「つまり、結婚式という晴れ舞台に呼びつけ、真実を白日の下にさらすと……?」
グランジャス「そうだ。俺の屋敷に来て金をせびりに来た時も、何も変わっちゃいなかった。
なら俺が、王国の前で“こいつらは親の皮を被った外道だ”と証明してやる」
王はやがてニヤリと笑った。
王「ふん……愉快じゃないか。処刑台に立たせるよりよほど効くな。名誉を剥ぎ取り、面子を潰す……それこそ生き地獄だ」
グランジャス「ご理解いただけて何よりだ。俺がやりたいのは、ただの復讐じゃない。
“こんな人間にはなるな”って見せつけてやりたいんだ。カリンのためにも」
王は杯を掲げた。
王「よかろう!招待状はわしが直々に用意してやる。奴らがどんな面で現れるか……楽しみだな」
グランジャスは深くうなずいた。
グランジャス「王よ、恩に着る」
王「ふはは!結婚式となれば、わしとしては盛大に祝いたいのだがなぁ」
グランジャス「……もし盛大にやるってんなら、これが条件だ」
王「条件?」
グランジャス「ああ。カリンを捨てた両親を呼ぶ。奴らを人前に晒してやること、それが条件だ」
王はグランジャスの目を見据え、しばし黙り込んだ。
王「……お前、本気だな」
グランジャス「もちろんだ。華やかな舞台に並べてやれば、取り繕う余地もなくなる。
親としての罪を、誰の目にも焼きつけられるだろう」
王はゆっくりとうなずき、笑みを浮かべる。
王「よかろう。盛大な式にしてやる。だがその代わり、わしも存分に楽しませてもらうぞ」
グランジャス「望むところだ」
グランジャス「そうだ、王。牢獄に覗きで捕まった奴や、貧乏で仕方なく窃盗した奴は、その日くらいはいい飯食わせてやれ」
王「ほぅ?結婚式の席に囚人を呼べと言うのか?」
グランジャス「呼ばなくてもいい。ただ式の日くらい、飢えに苦しむ弱者や罪の軽い連中に温かい飯を食わせてやってほしいんだ。
俺の祝いの日が、そいつらにとっても忘れられない日になれば悪くねぇ」
王はしばし腕を組み、そして破顔する。
王「お前という男は、ほんに変わっておるな!自分の晴れ舞台に、庶民や囚人の腹まで気にするとは」
グランジャス「俺はそういう男さ。盛大にやるなら、せめて誰もが笑える日にしたいんだ」
王「よかろう!その日だけは牢の飯を豪華にしてやろう。民にも振る舞いを増やすとしようぞ。
……だが、お前の酒代が倍になるぞ?」
グランジャス「ははっ、構わねぇよ。祝い酒なら何杯でも飲んでやる」
グランジャスは城を後にし、屋敷へ戻る途中、街の喧騒や人々の笑顔を眺めながら歩いた。
グランジャス「……結局、式は盛大になりそうだな」
ライノスやスイガン、エレファンたちは玄関で迎え入れる準備をしていた。
ライノス「おかえり、男爵さん。王との交渉は無事だったか?」
グランジャス「ああ、なんとかな。……でも、式の規模は思ったより大きくなりそうだ」
エレファンはにやりと笑いながらグランジャスの背中を叩く。
エレファン「まぁ、騒がしい方が面白いじゃない。準備は大変だけどね」
[newpage]
カリンは台所から顔を出し、微笑んだ。
カリン「ご主人様、お帰りなさい。何か困ったことはありましたか?」
グランジャスは軽く肩をすくめて答える。
グランジャス「いや、心配するな。俺たちで何とかなるさ」
カリンは頬を少し赤くしてうなずく。
カリン「はい、ご主人様」
屋敷に戻った安心感と、これから迎える大婚礼の期待が入り混じり、静かに夕暮れが広がっていった。
グランジャスはカリンの肩に手を置き、真剣な眼差しで語る。
グランジャス「カリン……お前には辛いかもしれんが、式にはお前の親を呼ぶ。社会的に終わらせる為にな」
カリンは目を伏せ、唇を噛む。
カリン「……はい、ご主人様。私、逃げたりはしません。……でも、会いたくない気持ちもあります」
グランジャスは軽くうなずく。
グランジャス「わかってる。無理に会わせるわけじゃない。だが、あいつらがこれまでやってきたことを、誰の目にも晒すことが必要なんだ」
カリンは小さく息をつき、決意を固める。
カリン「……わかりました。ご主人様の望む通りにします」
グランジャスは微笑み、肩を叩く。
グランジャス「よし、頼むぞカリン。お前の人生を守るために、俺が全力で支える」
数日後――。
ドルセニア邸の広間。
扉が勢いよく開き、ずかずかと入ってくる二人の男女。
カリンの父と母だった。身なりはみすぼらしくも、どこかふてぶてしい態度を崩さない。
父「おいグランジャス男爵! 俺らを呼んだってのは金の話だろうな?」
母「そうよ、娘を勝手に囲って好き放題してるんだから、それなりの支度金は当然でしょ!」
カリンは椅子の陰に隠れるようにして震えていた。
グランジャスはあえて冷静に笑みを浮かべる。
グランジャス「まあまあ、慌てるな。話はこれからだ」
その時――奥の扉から、豪奢な衣をまとった国王が入ってくる。
衛兵達も後に続き、広間の空気が一瞬で張り詰めた。
王「……なるほど。これがカリンの親か。噂には聞いていたが、想像以上に浅ましい」
両親は驚いて王に頭を下げるどころか、逆に声を荒げる。
父「な、なんで王様まで!? こりゃあチャンスだ、陛下! 俺たちに援助金を!」
母「そうよ! 娘を男爵に奪われたんです! 慰謝料を払ってもらわなきゃ!」
王「お前らが娘を捨てたんだろうが、こやつは拾って育ててきた お前らよりも立派だ」
広間に集まった使用人や来賓たちの視線が、一気に二人に突き刺さる。
カリンは俯きながらも、拳を強く握りしめていた。
グランジャス「これが現実だ。世間にさらす、ってのはこういうことだ」
グランジャスは王の前に立ち、背後に隠れるようにいたカリンの手を取った。
そして、広間中に響き渡る声で言い放つ。
グランジャス「王よ、この子さ。俺の嫁になる子は」
カリンの顔が真っ赤に染まり、会場はどよめいた。
王はゆっくりとうなずく。
王「承知した。堂々と宣言したな、グランジャス」
しかし両親は口を尖らせ、ヒステリックに叫ぶ。
母「な、なんですって!? あの子が男爵夫人!? 冗談じゃないわ、あの子は私らの所有物なのよ!」
父「そうだ! 売り払ったってのに勝手に嫁にするとは――」
王が手を上げ、声を鋭くした。
王「黙れ!」
一喝で広間の空気が震えた。
王「己の娘を所有物と呼ぶとは何事だ! 恥を知れ!」
観衆が一斉に非難の眼差しを両親に向ける。
グランジャスは冷たい視線を向けながら懐から契約書を取り出す。
グランジャス「ここにあるのはお前たちが自ら署名した文書だ。
縁を切り、これ以上の要求は借金とする。……つまり、今日限りでお前たちに“親としての資格”は無い」
カリンは涙ぐみながらも一歩前へ進む。
カリン「私にはもう親はいません。ご主人様……いえ、グランジャス様と、仲間たちが家族です」
広間に拍手が起こり、両親は顔を青ざめさせて立ち尽くすしかなかった。
グランジャスはゆっくりとカリンの手を引き寄せた。
その動作に広間が一瞬ざわめき、母と父の顔が引きつる。
母「ま、まさか……!」
父「やめろ……やめろぉ!」
二人の必死の叫びを無視して、グランジャスは堂々と宣言する。
グランジャス「俺は、この子を妻とする」
そう言うと、彼はカリンの肩を抱き寄せ、静かに唇を重ねた。
会場は一瞬息を呑み、やがて大きなどよめきと拍手に包まれる。
カリンの頬は紅潮し、けれど瞳は揺るぎなく輝いていた。
カリン「……ご主人様。いえ、私の……旦那様」
グランジャス「カリン……」
母は蒼白になり、父は歯ぎしりをしながらも言葉を失う。
その光景こそが、何より雄弁な「夫婦の証明」だった。
グランジャスは契約書を王に差し出し、冷ややかな目で両親を見据えた。
グランジャス「こいつらを式の時まで牢獄へ入れておいてくれ、王よ」
王は顎に手を当て、しばし考え込む。
王「ふむ……式の日に、すべてを白日の下に晒すという訳か」
グランジャス「ああ。今この場で裁いてもいいが……奴らは自分の行いを悔いる時間すら持っていない。
式の日まで牢に入れ、己の愚かさを反芻させる。
そして民衆の前で、自分が何をしてきたのか理解させてやる」
王は大きくうなずいた。
王「よかろう。兵士! 二人を拘束し、牢獄へ連れて行け!」
両親は青ざめ、必死に暴れる。
母「いやよ! 私は貴族の娘なのよ、こんなの間違ってる!」
父「お、俺は悪くない! 全部畜生に産まれた娘が悪いんだ!」
しかし兵士たちに両腕を掴まれ、ずるずると引きずられていく。
観衆は彼らを侮蔑の眼差しで見送り、広間に拍手と歓声が巻き起こった。
王は杯を掲げる。
王「では、式の日にすべてを決着させよう。……これは国にとっても良い見世物だ!」
グランジャスはわずかに笑みを浮かべ、隣のカリンの肩に手を置いた。
カリンは涙を浮かべながらも、しっかりとうなずいた。
[chapter:幸せのブティックシンフォニア]
グランジャスは優しく微笑み、カリンの手を握った。
グランジャス「カリン、ウェディングドレスを買いに行こう」
カリンは目を丸くし、すぐに涙が頬を伝った。
カリン「……はい♡」
声が震えながらも、その顔は幸せに輝いていた。
両親に愛されることのなかった少女が、ようやく「守られる場所」と「誓いの相手」を得た瞬間だった。
スイガンが腕を組みながらにやりと笑う。
スイガン「おいおい、ドレスを買う前に涙で化粧が落ちちまうぞ」
ライノス「だが、良い涙だな」
エレファンは口元に手を当て、感慨深そうに呟く。
エレファン「まったく、あの小さかった子が……もう花嫁か」
グランジャス「化粧はいらん、それに俺は素の姿のカリンじゃないと違和感がな」
カリンは涙を拭いながら、ちょっと笑ってうなずいた。
カリン「ご主人様らしいです……私も、その方が安心します」
グランジャス「そうだろ。式だからって着飾りすぎたら、かえって居心地悪いもんだ」
スイガン「はは、グラン坊らしいぜ。豪華な式よりも普段通りを重んじるってか」
エレファン「でも、ドレスは必要よ。あれは女の子の夢だもの」
グランジャスは少し照れくさそうに頭をかいた。
グランジャス「もちろんだ。ドレスは買うさ。ただ化粧は要らん。カリンは素で十分綺麗だ」
カリンの顔は一層赤くなり、胸の奥が熱くなる。
カリン「……そんなこと言われたら、もっと泣いちゃいます」
グランジャス「俺もスーツ買わないとだからさ」
カリン「ご主人様はラフな格好しかしないから仕方ないですね。」
スイガン「ははっ、確かに。グラン坊はいつも鎧かラフな服しか着ねぇもんな」
エレファン「普段着か鎧姿か、どっちかの服装しか見たことないわ」
グランジャス「おいおい、そこまで言うか。……まぁ確かにタンスには普段着と鎧しかねぇけど」
カリン「だから、今回が初めての正装ですね。……楽しみです」
グランジャスは少し気恥ずかしそうに笑い、
グランジャス「お前に笑われなきゃいいんだがな」
カリン「そんなことしません!……でも似合わなかったら、私が選び直しますから」
白い外壁に花飾りのついた洒落た店。
グランジャスとカリンが中へ入ると、鈴の音と共に扉が閉じた。
出迎えたのは、すらりとした長身のボルゾイの獣人夫婦。
毛並みは雪のように白く、動作もどこか舞台役者のように優雅だった。
夫店員「ようこそ、ドルセニア随一の婚礼衣装店《シュナウゼル・ブライド》へ」
妻店員「まぁまぁ!噂の男爵様と、その花嫁様ね。お待ちしておりました」
カリンは真っ赤になって俯いた。
カリン「は、花嫁……///」
グランジャス「おいおい、まだ籍も入れてねぇのにそんな呼び方されたら照れるだろ」
夫店員は笑って手を広げる。
夫店員「ですが、式の準備にいらしたのでしょう?すでにお二人は、立派な新郎新婦でございます」
妻店員「さぁ、まずは花嫁衣裳から参りましょう。彼女ならきっと、どんなドレスも映えますわ」
グランジャスは苦笑しながらも、心のどこかで誇らしげにカリンを見ていた。
グランジャスはソファに腰を下ろし、分厚いカタログをパラパラとめくっていた。
グランジャス「へぇー、色々あるんだな。海岸でするようなドレスだったり、チャイナドレス風だったり、ノーマルだったり……」
ページをめくる手が止まる。
グランジャス「おっ、この瑠璃色のドレスいいなぁ。カリンに似合いそうだ」
カタログを覗き込んだボルゾイの妻店員がにっこりと微笑む。
妻店員「ふふ、さすが男爵様。お目が高いです。そのドレスは“深海の宝珠”と呼ばれる一着。瑠璃の光沢が花嫁を気高くも神秘的に見せるのですよ」
[newpage]
グランジャス「なるほどな。名前まで洒落てやがる」
カリンは試着室のカーテン越しに声を上げた。
カリン「ご主人様……そんなに真剣に見られると、ちょっと恥ずかしいです」
グランジャス「恥ずかしがることはねぇ。どうせ一番綺麗なドレス着るんだからな」
夫店員「では、その瑠璃色のドレスをお持ちしましょう。さぁ、お嬢さん、こちらへ」
グランジャスはカタログをぱらぱらとめくり、眉間に皺を寄せる。
グランジャス「鎧みてぇなタキシードは戦闘じゃあるまいし、着たくねぇ。ノーマルの黒もなんか味気ないな……」
その時、目に留まったのは純白のタキシードだった。
グランジャス「おっ、白いタキシードか。俺には似合わねぇだろうが……まぁ、これでいいか」
少し間を置き、にやりと笑う。
グランジャス「ついでにルリイロコンゴウインコの羽で作ったマントをつければなんとかサマになるな」
店員夫婦は顔を見合わせて感心したようにうなずく。
夫店員「大胆な発想ですが……王族の式でも見たことがないほど華やかでしょうな」
妻店員「瑠璃色のドレスと白のタキシード、それにインコの羽マント……まるで光と海鳥の王のようです」
カリンが恥ずかしそうに口を挟む。
カリン「ご主人様、目立ちすぎじゃありませんか?きっと皆が見惚れちゃいます」
グランジャス「それでいいんだよ。主役はお前だけど、横にいる俺もちゃんと釣り合わねぇとな」
グランジャスは白タキシードと羽マントを指差し、カリンに笑みを向ける。
グランジャス「それに、苦労した分幸せにならないとな」
カリンの目にまた涙が滲む。
カリン「……はい。ご主人様となら、どんな未来でも幸せです」
店員夫婦は思わず見とれてしまい、声を潜めて囁き合う。
妻店員「……なんて素敵な二人でしょう」
夫店員「ええ、こういう結婚こそ祝福されるべきだな」
カリンは瑠璃色のドレスを胸に抱き、グランジャスを見上げる。
カリン「ご主人様……私、早く着てみたいです」
グランジャス「よし、試着してみるか。俺も白タキシードを試してみる」
カリンは緊張しながら試着室のカーテンを開けた。
瑠璃色のドレスが体に沿い、光を受けて柔らかく輝く。
カリン「ご主人様……どうでしょうか……?」
グランジャスは息を飲む。
グランジャス「……す、すげぇ……光ってる、まるで海の底の宝石みてぇだ」
カリンの頬が真っ赤に染まり、目をそらす。
カリン「えへ……そんな、大げさですよ」
その後、グランジャスも白いスーツに着替える。
胸元にルリイロコンゴウインコの羽のマントを合わせると、派手ながらもどこか王者の風格が漂った。
カリン「ご主人様……かっこいいです!」
グランジャス「お前が言うなら間違いないな……って、お前も負けてねぇぞ」
二人は鏡の前に並び、互いの姿を見て照れ笑いを浮かべる。
カリン「……なんだか不思議です、私たちがこんな格好をしているなんて」
グランジャス「苦労した分、こうして幸せにならねぇとな」
スイガンが店の入り口から小さく声をかける。
スイガン「おいおい、二人とも眩しすぎて目が痛ぇぞ」
ライノスも横でにやりと笑いながら
ライノス「式の日が楽しみだな」
カリンはグランジャスの腕にそっと手を重ね、未来への決意を胸に抱く。
店主がドレスとタキシードを丁寧に包み、預かり証を渡す。
店主「式当日には最高の仕上がりでお渡ししますよ」
カリンは深々と頭を下げる。
カリン「ありがとうございます……」
グランジャスはカリンの肩に手を置き、真っ直ぐ前を見据えた。
グランジャス「次にこれを身に纏う時……俺たちは夫婦だ」
カリンは小さく笑みを浮かべ、その手に自分の手を重ねる。
カリン「はい、ご主人様……」
二人の視線は未来へと向かい、店の扉を開いた。
陽光が差し込み、祝福のように二人を包んでいた。
瑠璃色のドレスと白いタキシードを預け、店の扉を出たグランジャスとカリン。
陽光が二人を包み、少し緊張しながらも自然と手をつないで歩き出す。
[第十四曲:婚礼前の準備のプレリュード]
カリン「ご主人様……次は役所ですね……緊張します」
グランジャス「安心しろ、俺も初めてだ。でもお前となら心配いらねぇ」
街路を進む二人の足取りは、まるで静かなワルツのように揃っていた。
途中、行き交う人々の視線や笑顔を受け止めながら、二人は小さく頷き合う。
そして、役所の前に到着する。
役所の門は堂々と構え、格式ある雰囲気が漂う。
二人は深呼吸をして中に入ると、婚姻届の提出窓口へと向かった。
職員「ご婚姻ですか? 書類はこちらにどうぞ」
カリンは少し手が震えながらも書類にサインをする。
グランジャスも同じく、確かな筆致で署名を済ませる。
グランジャス「よし……これで正式に……俺たちは夫婦だな」
グランジャスはカリンの肩にそっと手を置き、微笑む。
グランジャス「これで俺が名付けたカリン・シュガーナという名前は、カリン・ラーブスに変わるんだな、カリンは」
カリンは頬を赤くしながらも、嬉しそうに微笑む。
カリン「はい、ご主人様……これからずっと一緒ですね」
二人の名前が役所の台帳に刻まれ、正式に夫婦として認められる瞬間。
小さな鐘の音がどこからか聞こえるようで、二人の胸は幸福感で満たされていた。
数日が経ち、ついに式当日。
グランジャス「カリン、まずはドレスとタキシードを取りに行こう」
カリン「はい、ご主人様♡」
二人は昨日のウエディングショップへ向かう。
店内に入ると、ボルゾイの夫婦店員が微笑んで迎える。
店員「お待ちしておりました。今日は晴れの日ですね」
グランジャスとカリンは手を取り合い、二人で試着室へ。
カリンは緊張しつつも、瑠璃色のドレスを身にまとい、鏡の前で微笑む。
グランジャスも白いスーツに着替え、胸元のルリイロコンゴウインコの羽マントを合わせると、華やかで堂々たる姿になった。
二人はお互いの姿を鏡で確認し、頬を赤らめながら照れ笑いを浮かべる。
カリン「……なんだか、夢みたいです」
[newpage]
グランジャス「それじゃあ、会場に行こうか」
カリンは優しく微笑む
「はい、参りましょう」
店を出ると、目の前には鮮やかなフラワーロードが敷かれていた。
小さな花々が道の両脇に並び、優雅な香りを漂わせる。
蝶や小鳥が舞い、まるで二人のためだけに用意されたかのようだった。
カリンは手を胸に当て、目を輝かせる。
カリン「わぁ……ご主人様、これは……私たちのために……」
グランジャスは少し照れながらも、肩を張って胸を張る。
グランジャス「そうだ、今日はお前と俺の幸せの日だ。しっかり歩かねぇとな」
スイガンとライノスも後ろから微笑みながら見守る。
スイガン「いいぞ、グラン坊。花道を歩く二人、まさに絵になるな」
ライノス「俺たちも感動で涙が出そうだぜ」
カリンはゆっくりと歩きながらも、グランジャスの腕を握りしめる。
カリン「……ご主人様、ずっとこのままで……」
グランジャスはそっとカリンの手を握り返す。
グランジャス「当たり前だ。お前と一緒にいる限り、幸せは続く」
フラワーロードの向こうには、祝福の声と王の姿が見え始める。
二人は胸を高鳴らせながら、未来への一歩を踏み出した。
[第十五曲:式前の裁きのディエス・イレ・カデンツァ]
フラワーロードを進んだ先、目の前には闘技場のような広大な円形の会場が広がっていた。
普段は色男コンテストやミスコンに使われる場所だが、今日は祝福と裁きを兼ねた特別な舞台となっている。
観覧席には王族や貴族、そして招待された人々が整然と座り、中央の広場には花びらが散らされていた。
カリンはその光景に息を飲む。
カリン「ご主人様……こんな場所で……」
グランジャスは肩を軽く叩き、微笑む。
グランジャス「今日はお前と俺のための場所だ。堂々と歩け」
スイガンが横から小声で囁く。
スイガン「ここなら、クズ親も人前で恥をかくにはもってこいだな」
ライノスもにやりと笑う。
ライノス「闘技場ってのも面白い演出だぜ。お前らの式、一生忘れられねぇだろうな」
カリンは手を握りしめ、深呼吸する。
カリン「……ご主人様、私、頑張ります」
グランジャスはうなずき、手を差し伸べる。
グランジャス「よし、一緒に進もう。今日の主役はお前だ」
二人は互いの手をしっかり握り、花びらの散る闘技場の中央へと歩き出した。
中央の台座には剣が突き刺さり、光を反射してキラリと輝いている。その前にグランジャスとカリンが並び立つ。
グランジャスは剣を指差し、低く静かな声で言った。
グランジャス「式の前に、とある罪人を公開処刑する」
観覧席の人々がざわめく。カリンの両手は小さく握られ、緊張が走る。
グランジャスは兵士たちに目配せする。
兵士たちはすぐに動き、闘技場の入口から乱暴に二人の親を引きずり出す。
カリンの父と母は慌てふためき、無理やり押し入る形で中央に連れて来られる。
父「ちょ、ちょっと待て!何をする気だ!」
母「やめなさい!ここは病院でも屋敷でもないのよ!」
しかし兵士たちは容赦なく両親を中央に立たせる。
グランジャスは冷たい目で彼らを見下ろす。
グランジャス「カリンの親としてではなく、社会に害をなした者として裁かれるのだ」
観覧席からは驚きの声とざわめきが上がる。
カリンは拳をぎゅっと握り、心の中で誓う。
カリン「……私はもう、あなたたちの犠牲者じゃない」
グランジャスはゆっくりと剣の前に立ち、剣先を軽く掲げる。
グランジャス「今日、全ての罪を世に晒す。これ以上、誰も傷つけさせはしない」
両親はただ震え、言葉も出ずに立ち尽くす。
カリンの目には、復讐と解放の決意が光っていた。
闘技場に設置された高い演台から、兵士が両親の過去の罪や、カリンを売り飛ばしたこと、虐待していたことの詳細を朗読する。
観衆は驚きの声を上げる。
貴族や商人たちも顔を曇らせ、ざわめきが広がる。
「まさか……」「なんという無神経な親だ……」
両親は羞恥に顔を真っ赤にし、必死に言い訳をする。
父「そ、それは……金銭的に……!」
母「わ、私たちも……仕方なく……!」
しかし兵士は容赦なく制止し、観衆の目の前で二人を中央に立たせる。
グランジャスは冷ややかに言い放つ。
グランジャス「金銭的事情など関係ない。人の命と尊厳を踏みにじった罪は消えない 貴様は我が子を畜生と呼び犬小屋で住まわせ奴隷以下の生活をさせてただろうが」
カリンは深呼吸し、両親を見据える。
カリン「……私はもう、あなたたちの犠牲者ではありません。これからは幸せに生きます」
観衆の中から拍手が起こり始める。
市民や平民は口々に称賛し、同情と感嘆の声が混ざる。
「よくやった!」「正義だ!」
グランジャスはカリンの肩にそっと手を置く。
グランジャス「今日で全て終わりだ、カリン。お前の人生はこれからだ」
両親は顔を伏せ、言葉もなく立ち尽くす。
カリンの心には、長年の苦しみが晴れ渡るような清々しさが広がった。
観衆の祝福の拍手が、二人を中心に大きく響き渡る。
カリンはグランジャスの腕を握り返し、笑顔を浮かべた。
カリン「ご主人様……ありがとうございます」
グランジャス「俺の方こそ、ずっと一緒に歩んでくれてありがとう」
闘技場は、復讐と解放の舞台から、祝福の舞台へと変わった。
グランジャスは剣を握ったまま両親を見下ろす。
グランジャス「殺しはしない。お前らには亡者や遺体の埋葬地の死霊島にて、亡者の体の処理を命ずる」
両親は耳を疑い、青ざめる。
父「な、なんだって……!?」
母「そ、それは……!」
グランジャスの目は冷たく光る。
グランジャス「人を売り、虐げ、家族の尊厳を踏みにじった罪に対して、これ以上の責め苦はない」
カリンは隣で静かに頷く。
カリン「……これで十分です。私たちの幸せのために」
観衆は息を呑み、ざわめきが広がる。
平民や市民は小さくうなずき、正義が執行される光景を目の当たりにする。
「なるほど……生かしてこそ制裁だ」「これでまた被害者が出なくなる」
グランジャスは剣を台座に戻し、穏やかな表情を見せる。
グランジャス「さぁ、カリン……もう振り返る必要はない。今日からは、お前の人生だ」
カリンは微笑みながら手を握り返す。
カリン「はい、ご主人様。これからは二人で幸せになります」
闘技場は祝福の拍手に包まれ、両親の罪が社会の前で裁かれたことを示す、清々しい空気が広がった。
グランジャスは静かに剣を握り、冷徹な声で命じる。
グランジャス「兵士よ、連れて行け」
兵士たちは素早く動き、両親を押さえつけながら闘技場の出口へ連れ出す。
両親は必死に抵抗するが、観衆の視線と兵士たちの圧力に声も出せず、ただ従わざるを得なかった。
カリンは握りしめた手を少し緩め、グランジャスを見上げる。
カリン「……ご主人様、これで……」
グランジャスは優しく肩に手を置き、微笑む。
グランジャス「ああ、もう振り返る必要はない。今日からはお前の人生だ」
兵士たちは両親を後方へ連れて行き、死霊島へ向かう準備が整えられる。
観衆の間からは小さな拍手が漏れ、正義が遂行されたことを静かに認める空気が漂った。
カリンは深く息をつき、グランジャスの腕を握り返す。
カリン「ありがとうございます……ご主人様」
グランジャス「俺こそ、ずっとそばにいてくれてありがとう」
闘技場の中央で、二人は互いに微笑み、過去の影を完全に振り払い、新たな未来への一歩を踏み出した。
[終曲:祝福のウエディングファンファーレ]
グランジャスは台座に立ち、剣をゆっくりと抜き掲げる。
その刃先に光が反射し、闘技場の中央が神聖な空気に包まれた。
グランジャス「時間を取らせてすまぬ。それでは、式を始めよう」
カリンは深呼吸し、瑠璃色のドレスを揺らしながらグランジャスの隣に立つ。
カリン「はい、ご主人様……」
観衆は静まり返り、王族や招待客たちが二人に注目する。
スイガンやライノスも後方でにこやかに見守り、心の中で拍手を送った。
グランジャスはカリンの手を取り、真剣な眼差しで見つめる。
グランジャス「これから先、喜びも悲しみも、共に歩むことを誓う」
カリンも握り返し、微笑みながら答える。
カリン「はい、どんな時もご主人様と共に」
剣を掲げる姿は、戦士としてだけでなく夫としての誓いを象徴するものだった。
光が二人を包み込み、祝福の空気が闘技場全体に広がる。
観衆から自然に拍手が湧き起こり、式は静かに、しかし力強く進行していった。
グランジャスは胸ポケットから丸い玉を取り出す。
観衆が息をのむ中、彼はそれを空中に放り投げた。
玉はゆっくりと回転しながら宙を舞い、グランジャスは一閃。
剣でその玉を切り裂くと、中から光り輝く婚約指輪が現れた。
グランジャスは跪き、カリンの手を優しく取る。
グランジャス「カリン・シュガーナ、この指輪をお前の指に」
カリンは目を輝かせ、息を詰める。
カリン「はい、ご主人様……!」
グランジャスはそっと指輪をカリンの指にはめ、立ち上がると、二人の視線がしっかりと絡み合った。
観衆からは感嘆の声と拍手が湧き起こる。
スイガンやライノスも思わず笑みをこぼす。
スイガン「さすがグラン坊、演出も一味違うな」
ライノス「これぞ男爵式だぜ」
カリンは胸を押さえ、感激で涙を浮かべる。
カリン「ご主人様……ありがとうございます」
王は満面の笑みで二人を見つめ、声を張る。
王「それでは、誓いのキスを」
観衆が静まり返る中、グランジャスはカリンの手を握り、目をしっかりと見つめる。
グランジャス「カリン・シュガーナ、今日からお前は俺の妻だ」
カリンも微笑みながら頷き、そっと顔を近づける。
カリン「はい、ご主人様……ずっと一緒に」
二人の唇が重なり、会場には静かな感動が広がった。
花びらが舞い、太陽の光を反射して輝く。
観衆から自然と拍手と歓声が湧き上がる。
スイガンやライノスも目を細め、満足そうに微笑む。
スイガン「やっと……これで安心だな」
ライノス「二人とも、幸せになれよ」
グランジャスはカリンを優しく抱きしめ、微笑む。
グランジャス「さあ、これからは二人で幸せに生きるんだ」
カリン「はい、ご主人様……♡」
闘技場は、復讐と祝福を経て、ついに二人の幸せな未来の舞台へと変わった。
グランジャスは微笑みながら、カリンの肩に手を置く。
グランジャス「これで誓いは形になった。さあ、未来へ進もう」
フラワーロードや観衆の祝福の中、二人は新たな人生の一歩を踏み出した。
式場の門の外から、蹄の音が高らかに響いてきた。
観衆がざわめく中、二頭立ての豪奢な馬車が現れる――だが、それを引いているのは誇り高きケンタウロスたちだった。
ケンタウロス1「さぁ、乗って」
ケンタウロス2「こういう時くらいは目立ってなんぼよ」
観衆は驚きと歓声で沸き立つ。
子供たちが花びらを投げ、楽団が祝福の音楽を奏でる。
グランジャスはカリンの手を取って馬車へとエスコートする。
グランジャス「行こう、カリン。俺たちの新しい人生の始まりだ」
カリン「はい……ご主人様♡」
二人が馬車に乗り込むと、ケンタウロスたちは力強く駆け出した。
花びらと拍手の雨の中、馬車はゆっくりと街を抜け、祝福に包まれながら走り去っていく。
カリンは窓から身を乗り出し、笑顔で手を振る。
カリン「みんな、ありがとうー!」
グランジャスは隣で腕を組み、満足そうに微笑んだ。
王も高台から手を振り、満足げに呟く。
王「うむ……これこそ国を支える真の夫婦だ」
こうして二人は、人々の祝福を背に新たな未来へと走り出した。
王は高台から立ち上がり、両腕を広げて民衆に向かって声を張り上げた。
[newpage]
王「この後は宴だ!大人も子供も関係なく、無礼講とする!!」
その瞬間、闘技場は地鳴りのような歓声に包まれた。
楽団が陽気な調べを奏で始め、料理人たちが次々と豪勢な料理を運び込む。
酒樽が叩き割られ、香ばしい肉の匂いが辺りに漂い、子供たちには甘い菓子や果物が振る舞われる。
観客の中には見ず知らずの者同士が肩を組み、歌い、踊り始める者まで現れる。
「今日は祭りだ!」「花嫁さんに乾杯だ!」と声が飛び交い、街全体が祝福と歓喜の渦に巻き込まれていった。
ケンタウロスの馬車に乗った新郎新婦の姿が遠ざかっても、人々の祝いの声はいつまでも響き続けていた――。
式を無事に終え、祝福の拍手と花びらの中で退場したあと。
ふたりは迎賓館の控室に戻り、正装を脱いで落ち着いた衣服に着替えた。
グランジャスはシャツの袖を軽くまくり、ゆったりとしたベスト姿。
カリンは白を基調にしたワンピースに小花の髪飾りを差して、柔らかな雰囲気をまとっていた。
鏡を見ながら腕を回し、グランジャスが笑う。
グランジャス「やはりラフな格好が一番だ。肩も動かしやすいしな」
カリンもくすっと笑って頷く。
カリン「ご主人様らしいです。でも……私はどんな姿でも素敵だと思いますよ」
少し照れながらも、彼はカリンの手を取る。
グランジャス「よし、そろそろ披露宴に行くか。みんな待ってる」
カリン「はいっ」
ふたりは寄り添い合いながら、再び式場へと歩いていった。
――そこには、もう家族同然の仲間たちと、国中から集まった祝福が待っているのだった。
広場に並べられた長い宴席には、肉の丸焼き、山盛りの果物、色とりどりの酒瓶が所狭しと並んでいた。
楽団の笛と太鼓の音が鳴り響き、人々は手を取り合い、酒杯を掲げ、笑い声が絶えない。
王は立ち上がり、金色の大杯を掲げて高らかに宣言する。
王「皆の者!今日この日、我が友にして男爵――グランジャスの結婚を祝おうではないか!
男爵の結婚に乾杯!」
「乾杯ーー!!」
民衆、兵士、獣人たちの声が一つに重なり、空へと響き渡る。
杯が打ち合わされ、酒が溢れ、太鼓のリズムに合わせて踊りが始まる。
スイガンは大皿の肉を豪快に頬張りながら、
スイガン「うめぇ!今日は飲んで食って祝え!それが礼儀ってもんだ!」と吠え、
エレファンは葡萄酒を片手に「花嫁さん、今日はお姫様以上だな」とにやり。
ライノスは照れ臭そうに花婿へ杯を差し出し、
ライノス「グランジャス…お前が幸せになるなんて、なんだか信じられんな」と笑った。
その傍らで、カリンは真っ赤な顔で酒を口に運びながら、
カリン「ご主人様、幸せすぎて…夢じゃないですよね?」
と小さく呟き、グランジャスの肩にもたれていた――。
カリンは王妃に尋ねる
カリン「夫婦円満の秘訣はなんですか?」
王妃はワイングラスを揺らしながら、にこやかにカリンへ視線を向けた。
煌びやかなドレスを纏いながらも、その目はどこか母のように柔らかい。
王妃「ふふ、難しいことではありませんよ。
お互いを思いやること、そして……相手に”期待しすぎない”ことですわ」
カリン「期待しすぎない?」
王妃「ええ。完璧な夫などいませんし、完璧な妻もいません。
足りないところを補い合う……それこそが夫婦円満の秘訣なのです」
隣で聞いていた王が大笑いする。
王「わしなんぞ、家ではただの酔っ払い扱いだからな!
なぁ、妃よ!」
王妃「本当のことを言ったまでですわ♡」
カリンはくすっと笑いながらも、心に深くその言葉を刻みつけた。
カリン「ありがとうございます……私、必ずご主人様とそうなれるように努めます」
王妃は少し遠くを見るようにグラスを傾け、懐かしむように言葉を続けた。
王妃「私の母上は嫉妬深くて、夫――つまり父上によく問い詰めたものよ。
“誰と会っていたの?” “なぜ遅いの?”って。愛ゆえだったのでしょうけれど……」
カリン「……それで、どうなったのですか?」
王妃「最初は父上も苦笑いしていたけれど、やがて疲れてしまった。
最後には二人の間に冷たい壁ができてしまったのです」
王妃は軽く肩をすくめて、優しく微笑む。
王妃「だから私は逆に、夫に疑う暇を与えないくらい、信じて笑って過ごそうと思ったの。
愛は縛るよりも、信じる方が強いのですわ」
隣で王が豪快に杯をあおりながら、
王「その通りだ! 妃の笑顔一つで、わしは戦場よりも勇ましくなれる!」
カリンはそのやり取りを見て、頬を赤くしながらグランジャスの横顔を思い浮かべた。
カリン(……私も、ご主人様を信じ抜ける妻にならなくちゃ)
王「俺は尻に敷かれてるが、それくらいがちょうどいいのさ。
王妃に叱られるたびに、国も家庭も締まるんだからな!」
王妃「まぁ、叱っているつもりはないのですけれど……」
と、くすりと笑みを浮かべる。
王は豪快に笑いながらカリンに顔を向ける。
王「なぁカリン、お前も遠慮せずグランジャスを叱ってやれ。
戦場じゃ無双するくせに、家庭じゃ抜けてることも多いだろう?」
カリン「ふふっ……そうですね。ご主人様は無茶ばかりするから……」
ちらりとグランジャスを見て、頬を赤くする。
グランジャス「おいおい、俺を尻に敷くのは早すぎねぇか?」
王「はっはっは! 今から慣れておけ! それが夫婦円満の秘訣だ!」
王妃は杯を置き、カリンの耳元にそっと顔を寄せた。
王妃「いいこと、カリン。――夫婦円満の秘訣はね……“全部を許す”ことじゃないのよ」
カリン「え……?」
王妃「叱るところは叱る。褒めるところは褒める。
でもね、最後は必ず“私はあなたの味方”と伝えること。
男というのは、不思議とその一言でどれほど無茶をしても立ち直るものよ」
カリンは目を見開き、ゆっくりとうなずいた。
カリン「……味方、ですか」
王妃「そう。世界中が敵に回っても、妻だけは夫の味方。
それができれば、どんな無茶をする夫でも必ず帰ってきてくれるわ」
その言葉に、カリンは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
自然と隣のグランジャスの手を握りしめる。
グランジャス「……おい、どうした急に」
カリン「……いえ。私はずっと、ご主人様の味方です」
王妃は満足そうに微笑み、杯を再び手に取った。
王妃はカリンの肩にそっと手を置き、真剣な目で語りかける。
王妃「特にね、子供ができてからが肝心よ」
カリン「子供が……」
王妃「夫に家事や育児を手伝ってもらうこと、それ自体はとてもいいこと。
でもそれを“当たり前”と思ってはいけないの。
小さなことでも『ありがとう』と口にするのが、夫の心を一番強くするのよ」
カリンは胸に手を当て、頷いた。
カリン「……ご主人様は、きっと手伝ってくれると思います。
だから私も、ちゃんと感謝を伝えます」
王妃はにっこりと笑う。
王妃「そうすればね、あなたの夫はどんな困難が来ても誇りをもって家に帰ってくるわ」
その横で王は豪快に笑い、杯を掲げる。
王「そうそう!俺だって尻に敷かれてるが、『ありがとう』の一言があれば全部頑張れるんだ」
会場は和やかな笑いに包まれた。
王は杯を片手に、真剣な顔で続ける。
王「感謝があればな、俺は“必要とされてる”って思えるのさ」
王妃が横でうんうんと頷く。
王「グランジャスは俺と似てるから、きっと同じだろう。
戦で剣を振るうより、妻に『ありがとう』って言われた方が何倍も嬉しいもんだ」
カリンは驚きながらも、そっとグランジャスの横顔を見る。
彼は照れ臭そうに頭をかきながら、ワインを口に含んでいた。
グランジャス「……まぁ、否定はできんな」
場が笑いに包まれる。
カリンは小さく微笑み、心の中で「絶対に忘れません、ありがとうを」と誓った。
夜風がふわりと吹き抜け、二人の衣の裾を揺らした。
カリンは少し間を置き、グランジャスの袖をそっと掴む。
カリン「……あの、ありがとう、ご主人様」
グランジャス「ん? どうした急に」
カリン「王妃様に言われたんです。
“どんな時でも、当たり前と思わずに感謝を伝えることが大事”だって。
だから……私は、ずっと伝えていきたいんです。私を救ってくれて、今も傍にいてくれて……ありがとうございます」
グランジャスは言葉を失い、しばし夜空を見上げた。
やがて苦笑しつつ、カリンの頭を撫でる。
グランジャス「ったく……泣かせること言いやがって。
俺の方こそ、ありがとうだ。お前がいたから俺はここまで来れた」
カリンの頬は熱を帯び、ふたりの影が夜の月明かりの下で重なった。
[アンコール:幸せのファミリーポルカ]
朝の光が窓から差し込み、カリンの髪に柔らかく反射する。
グランジャスは寝息を立てるカリンの額にそっと手を置き、軽く撫でる。
グランジャス「ふふ……今日も可愛いな」
ベッドの脇に置かれた書類を手に取り、ペンを走らせる。
領地の管理、屋敷の手配、使用人の報告――忙しい日常だが、隣にカリンがいるだけで心が落ち着く。
カリンはまだ眠りの中で小さく笑みを浮かべ、グランジャスの指先が温かいのを感じていた。
彼女の胸の中には、安心と幸福が静かに広がっていく。
グランジャス「今日も……一緒に頑張ろうな」
そう呟き、ペンを握り直す手に力を込める。
屋敷には静かな朝が流れ、夫婦の穏やかな日常が始まった。
ある日、カリンはそっと自室で手をお腹に当て、微かに笑みを浮かべた。
カリン(……あ、私の中に新しい命が……)
嬉しさと少しの不安が入り混じる感情に、思わず目に涙が光る。
グランジャスは書類仕事の合間、カリンの手元に気付き、そっと近づいた。
グランジャス「どうした? そんな顔して」
カリンは少し照れながらも、ゆっくりと口を開く。
カリン「ご主人様……私、赤ちゃんができたみたいです」
グランジャスは一瞬目を見開き、次の瞬間には満面の笑みでカリンを抱き寄せた。
グランジャス「なんだと……! それは、俺たちの……小さな奇跡じゃないか!」
カリンの頬に手を添え、額を軽く合わせる。
グランジャス「お前も、赤ちゃんも、絶対に守る――俺が守る」
カリンは涙を流しながら頷き、二人は静かに幸せを噛み締めた。
屋敷には穏やかな日差しが差し込み、家族としての新たな一歩が、静かに始まった。
ーそして二年後ー
ベッドの脇で、まだ眠っている小さな赤ん坊を抱き上げるグランジャス。
柔らかい産毛と小さな手足に触れ、思わず微笑む。
グランジャス「我が家へようこそ、Jr……」
カリンはそっとそばに寄り、優しい眼差しで夫と赤ん坊を見つめる。
カリン「ふふ、これから大変ですよ、ご主人様。でも一緒に乗り越えましょうね」
グランジャスは赤ん坊を胸に抱きしめ、少し照れくさそうに笑う。
グランジャス「うん……お前となら、どんな困難でも恐くないな」
小さな命のぬくもりと、二人の愛情に包まれた屋敷には、穏やかで暖かい空気が流れた。
ナレーション:
「彼らの家族の物語は、まだ幕を閉じない。
それはもはや、我々の語るべきものではない――
これからは、二人だけの手で紡がれていくのです。」
こうして、おじいさんはにっこり笑いながら本を閉じた。
『セルウスとバロンの交響)』 の読み聞かせは、ここでおしまい。
Fin
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