グレーゴルとグレーテ

  水の大陸ワイワイタウン、レシラム教教会の地下深く。

  アイザックス大司祭が殺されたエリアよりも更に地下深く、レシラム教関係者の中での極一部の者しか知らない空間がある。複数の部屋と牢屋から構成された空間、それは魔女狩りや異端審問で有罪となった者が送り込まれる拷問室である。

  牢屋の中は簡素な硬いベッドと薄い毛布、トイレ代わりの桶しかなく、一年を通して湿気と薄暗さと寒さに襲われる作りになっている。複数の牢屋が並ぶ先には看守の務める部屋があり、そして拷問部屋に繋がる通路がある。

  拷問部屋の中は薄暗く、壁や床、設置された器具には赤黒い何かが付着していた。今も時折使われているのか、器具はいずれも油が差されており、非常に滑らかな動きで機能を果たしている。

  今でも手入れされ、いつでも使える状態で保持されている。

  それは、レシラム教の歴史の一部分でもある。

  拷問部屋の中の人影は非常に少なく、虜囚と拷問官、そして彼らを見守る姿があった。

  「ゔぉ、ぇっ…」

  板の上で四肢を拘束され、仰向けの姿勢を取らされた牝のバシャーモ、リラは拷問官に顎を掴まれ、強引に顎を突き出す姿勢を取らされた。その姿勢のまま、ゆっくりと水を鼻に流し込まれ、水を吐き出そうと反射的に咽せこみ、余計に水を吸い込む拷問を受けさせられていた。反射的に水を吸い込んだリラは、まるで溺れるような感覚を抱き、四肢を硬直させながら失禁した。拷問官はギリギリのところで水を止めると、陸上で溺れかけたリラが水を吐き出すのを確認し、顎を再度掴み、水を流し込んだ。

  その光景を側から見ていた影、牡のバクフーン、カウフマンは手をあげた。

  それを合図に拷問官は手を止めると、リラが水を吐き出すのを待った。咽せこみながら水を吐き出したリラを見下ろすと、カウフマンは冷たい口調で尋ねた。

  「赤子をどこにやりました?」

  カウフマンの質問にリラはにやりと笑うと、薄笑いと共に応えた。

  「塔の上から突き落とした、兵士の死体に押しつぶされていただろう?」

  リラの返事を聞いたカウフマンは溜息をつくと、彼女の頬を叩いた。拷問室内に乾いた音が響くが、リラは薄笑いを浮かべたまま、カウフマンを見ていた。

  水責めでも一向に口を割らないリラに対して、カウフマンは溜息をつき、拷問官に視線を向けた。

  「続けなさい」

  カウフマンの指示に対して拷問官は頷くと、作業台に置いてある金属製の塊を手に取った。拷問官の手中にある金属製の塊、苦悩の梨は蝋燭の灯りを反射させ、不気味な雰囲気を纏っている。

  「オズボーン様のお気に入りです、傷を残さないように」

  カウフマンに指示された拷問官は苦悩の梨を濡らすと、それをリラの股間に差し込んだ。その痛みにリラは悲鳴をあげるが、カウフマンはタバコを吸いながら冷たい眼差しで見下ろした。

  「異端審問官だった君なら理解しているでしょうが…それは人体の孔を拡張させます」

  カウフマンはタバコの煙をリラの顔に向かって吐き出すと、話を続けた。

  「個人差がありますが…口や肛門、膣などを拡張させ、苦痛を与えます」

  拷問官は金属製のパーツを動かすと、苦悩の梨の先端が拡張し、リラの膣を内部から広げていく。その痛みにリラは悲鳴をあげるが、カウフマンと拷問官の顔を見ると、にやりと笑った。

  「あの子は塔から落ちて死んだ、オズボーンの子供として育てるくらいなら、私が自分の手で息の根を止めた方が幸せだ」

  下半身から広がる痛みにリラは顔を顰めるが、小馬鹿にしたような口調でカウフマンに言った。彼女の反応を見たカウフマンは溜息をつくと、タバコの煙を吐き出した。

  カウフマンはリラを見下ろすと、タバコを指に挟み、火のついた先端をリラの目に近づけた。

  「…っ‼︎」

  それを見たリラは反射的に目を閉じようとしたが、拷問官が指で彼女の瞼を固定し、強引に開かせた。

  リラの大きな瞳にタバコの火が反射する。

  「…拷問官が貴方に傷をつけることは、オズボーン様が禁じました。ですが…私には貴方をどうするかの裁量権がある」

  少しずつ近づいてくるタバコの火を見て、リラは強引に逃れようとした。いくら炎タイプのリラとはいえ、眼球にタバコの火を押し付けられ、無傷で済む筈がない。

  「…いやっ‼︎」

  か細い悲鳴をあげ、リラは頭を動かそうとした。だが、拷問官の凄まじい腕力がリラを逃さず、カウフマンの持つタバコがリラの眼球に近づく。

  リラの目尻から涙が溢れ落ちた直後、カウフマンのタバコを持つ手がリラの目から離れた。カウフマンは作業台の上にある灰皿にタバコを押し当てると、リラの顔を見て微笑んだ。

  「赤子はどこです?」

  タバコの火が眼球に当たる直前でカウフマンは手を引くと、極限の恐怖をリラに植え付けた。現にリラはカチカチと歯を鳴らしており、失禁しつつ涙を溢していた。異端審問官として多くの民を拷問し弾圧してきたリラだったが、彼女自身は拷問や強迫に対する耐性がなかった。カウフマンはその事を見抜いており、リラの精神を追い詰める事に成功した。

  カウフマンはリラを見下ろすと、微かに口角を歪ませ、別のタバコを取り出し、火を灯した。それを口に咥えるとリラと視線を合わせて、にやりと笑った。

  早く話さないと、次は眼球にタバコの火を押し当てる。

  カウフマンの意図を理解したリラは失禁した。

  それを見た拷問官は嫌そうに顔を歪めると、苦悩の梨をリラの膣から取り出し、作業台の上に置いた。だが、カウフマンは普段と変わらぬ笑みを浮かべると、タバコを指に挟み、リラの顔を見た。

  カウフマンが笑い、リラが恐怖に震えた時、拷問室の扉が開かれた。

  カウフマンの手が止まり、拷問官と共に視線を扉に向けると、そこには牡のガオガエン、親衛隊指揮官のルドルフがいた。彼の傍には牡のブラッキー、カルマンの姿もあり、カルマンはルドルフの案内に従い、拷問室の中へと入ってきた。

  「…なぜ、貴方がここに?」

  カウフマンはポツリと呟くが、ルドルフは疲れた表情で応えた。

  「オズボーン様から直接の伝言で、リラの処遇が決定した」

  ルドルフは応えると、カルマンがリラの処置をする姿を見ていた。恐怖を植え付けられたリラは震えており、拘束を外された途端に身体を縮こまり、幼子のようにガタガタと震えていた。カルマンはそんなリラに処置を施すと、震える彼女に水を飲ませた。

  ルドルフの返事を聞いたカウフマンは、リラとカルマンを凝視すると、横目でルドルフを見た。カウフマンの冷たい眼差しを受けるが、ルドルフは冷めた表情でカウフマンを見返した。

  「今回の一件、オズボーン様は全ての責任を円卓のリラではなく、異教徒に被せるつもりのようだ。そのためにも各大陸に異端審問官を送り込み、魔女狩りや弾圧を行うとの事だ」

  「…あぁ、そういう事ですか」

  表向きは異教徒に罪を被せて円卓内部の不和、レシラム教の不和を隠そうとしているが、実態は異端審問官であるリラを前線へと送り込み、捨て駒にしようとしている算段である事を、カウフマンは即座に見抜いた。

  レシラム教のメンツを守りつつ、逆らったリラを処分する。同時に異教徒による破壊工作という罪をでっち上げ、レシラム教の敵を外部に作り、レシラム教をまとめ上げる。

  現状の問題点を一気に片付けようとするオズボーンの魂胆を見抜いたカウフマンは溜息をついた。レシラム教内部の不和、それによるレシラム教の弱体化を狙っているカウフマンとしては、レシラム教の団結を促しかねないオズボーンの方針は、不愉快極まるものである。かと言って、教皇オズボーンの決定に異議を唱えるには「円卓の一員であるリラがオズボーンの子を産み、そして殺した」という事を認めるように、オズボーンに迫る必要がある。

  名誉を重んじる貴族、しかも華族で教皇であるオズボーンがカウフマンの提案を素直に受け止めるとも思えない。

  一方で、安易に異教徒に罪をなすりつけたところで、思考力のある者ならば「レシラム教の本拠地である教会内に侵入した上で、警備の兵士を倒し、ことに及んだ」という状況に違和感を抱くだろう。しかし、民衆の大半は物事を深く考えることができず、表面的な情報でコントロールできる。

  その事は宣伝担当でもあるカウフマンが一番理解していた。

  どのように事を運べば良いのか、カウフマンは思案に耽るが、それはカルマンの一言で中断せざるを得なかった。

  「処置は終わりました、では私はこれで失礼します」

  カルマンの声を聞き、カウフマンは姿勢を正すと深々とお辞儀をした。彼に釣られてルドルフもお辞儀をすると、拷問室を後にするカルマンの背中を見届けた。

  拷問室の扉が閉まり、カウフマンは顔を上げるとルドルフを見た。

  「…今後の動きはどうなりますか?」

  カウフマンの問いにルドルフは開口した。

  「オズボーン様は御子の御生誕を発表される。そこで異教徒による破壊工作があった事も発表し、各大陸にいるレシラム教徒に、反抗的な異教徒を捕まえるように宣伝するだろう」

  レシラム教と異教徒の対立による共倒れはカウフマンが望む事であるが、現状のパワーバランスではレシラム教が異教徒を制する可能性が高い。可能なら、レシラム教内部で対立を生み出し、体制を崩した状態で異教徒とぶつけ、より状況を混沌させる方が望ましい。

  そのためにもオズボーンの血を引くリラの子と巫女の子を神輿として、レシラム教内部の対立を煽りたいとカウフマンは考えていた。だが、リラの子と思われる赤子の死体は塔の下で潰れた状態で見つかり、必要な神輿が減ってしまった事にカウフマンは苛立ちを覚えた。

  (グレーテはレシラム教の内部争いを煽るためにリラの子を攫うことを望んだ…だが赤子が消えた以上、次はどう動くべきか…)

  脳裏にグレーテの顔を思い描いたカウフマンは、ふとグレーテの生み出した物を思い出した。内部に回転した溝を彫ったライフル銃、なぜグレーテが秘密裏にライフル銃を作成したのか、カウフマンは理解できずにいた。

  カウフマンの脳裏に教会の地下で、自身が試作したライフル銃を使った時を思い出した。マスケット銃とは異なり、正確に的を撃ち抜いたライフル銃は、まさに精密射撃に適していた。わざわざ安価かつ安易に制作できるマスケット銃ではなく、コストのかかるライフル銃をグレーテは秘密裏に作成した。

  (…何かを狙うため?)

  リラの赤子を攫う命令、秘密裏に作成されたライフル銃、レシラム教と異教徒の対立を望むグレーテとカウフマン、レシラム教の弱体化を望む時の守護者改めてディアルガ教徒達。

  それらが脳裏を過り、カウフマンはグレーテの狙いに気がついた。

  その思惑を理解したカウフマンは背筋を僅かに震わせると、視線をルドルフに向けた。

  「…オズボーン様はどこで御生誕の発表をしますか?」

  カウフマンの問いにルドルフは視線を扉に向けると、静かな声で答えた。

  「ワイワイタウンの広場だが…」

  その言葉を聞いたカウフマンは表情を強張らせると、小さく息を吐いた。そして拷問室の天井を見上げると、彼は全てを理解した。

  (間に合わない…)

  カウフマンはタバコを取り出すと、それに火を灯した。彼の視界の端でリラは恐怖に震えていたが、カウフマンは意に介さずにタバコを吸うと、煙を吐き出した。

  *

  調査団の長である牡のデンリュウ、団長は事務仕事を全て参謀である牝のクチート、ウルスラに押し付けると、自身はワイワイタウンの広場に来ていた。広場にはレシラム教の騎士団の姿があり、武装した兵士達が辺りを警備している。広場の中心には演台が置かれており、近くにはテントが設置されている。

  テントから距離を置いた位置に民衆が広がっており、その中に混ざり込んだ団長は演台とテント、そして昨晩の出来事からレシラム教の意図を理解した。

  「…なるほど、赤子の生誕の発表ですか」

  団長はポツリと呟くと、隣に立つ牡のライチュウ、ライラに視線を向けた。彼は白い布で覆われた眼を演台のある方に向けると、納得したように頷いていた。

  「赤子の生誕は記念日になる…そんな日にリラを死刑にするとも思えない…アイツを救う時間を稼げたと思いたいですね」

  ライラの呟きに団長は頷くと、視線をテントに向けた。ちょうど、テントの入り口が開き、護衛の兵士を引き連れたオズボーンが姿を現した。白い聖衣に身を包んだオズボーンは堂々とした足取りで広場を歩き、演台へと歩み寄った。

  広場の中にいるレシラム教徒達がオズボーンを讃える声をあげるが、オズボーンはそれを手で制すると広場を見渡した。

  その振る舞いを見た聴衆達が静かになるのを待ち、オズボーンはゆっくりと口を開いた。

  「此度は皆の参列、ご苦労である。既に知っている者も居ると思うが、我が妻が牡の子を出産した。母子共に健康である」

  オズボーンの声を聞いたレシラム教徒達は喜びの声をあげるが、オズボーンは手で制した。再度、群衆が静かになるのを待つと、オズボーンは重々しげな口調で語り出した。

  「だが、残念な知らせもある。昨晩、教会内に侵入者がいたが、兵士とレシラム教徒の赤子を殺害した」

  彼の言葉を聞いた団長とライラは怪訝そうな顔を浮かべた。確かにライラが教会に雷を落としたが、中に侵入はしていない。あくまでもリラが赤子を中から外へと送り出したのだ。

  「…まさか、赤子の死を利用する気ですか?」

  オズボーンの意図を見抜いた団長は震える声で呟き、それを聞いたライラは震える手で首から下げた黒い装飾品、ゼクロム教徒の証を握った。

  オズボーンの話が続く。

  「調査の結果、兵士と赤子を殺したのはレシラム教徒ではなく、異教徒であった。我が妻の出産日に異教徒が教会内に侵入し、殺害行為を犯したのだ」

  オズボーンはいったん話を切ると、声を低くして言葉を発した。

  「これは、赦されざる行為である。レシラム教とゼクロム教の希望の架け橋となる我が子の生誕の日に、異教徒は我が子に牙を剥こうとしたのだ」

  オズボーンの言葉を聞いた団長の表情が固まった。彼の隣に立つライラは「あぁ、そうきたか」と呟いていた。

  オズボーンは息を大きく吸うと、はっきりとした口調で言った。

  「これは我が子を狙った、レシラム教に対する宣戦布告である。即ち、暴力的かつ反抗的な異教徒を排除しろというレシラム様の御告げである」

  あまりに短絡的かつ繋がりのない演説、後世の者が聞いたら鼻で笑うような内容である。だが、広場にいるレシラム教徒達の心には深く広がり、誰もが跪き、オズボーンの言葉を聞いていた。

  この時、オズボーンは「レシラム教とゼクロム教徒に対する宣戦布告」と言わずに「レシラム教」とのみ言った。赤子はレシラム教とゼクロム教の血を継ぐが、オズボーンの魂胆としてはリラの赤子殺しの罪を異教徒に被せ、レシラム教のメンツを守りつつ、自身の妾であるリラとレシラム教に従わない異教徒を処分する事である。そのためにもレシラム教の一体感を誘発すべく、ゼクロム教の名前を使わなかった。

  跪く信者達を見渡したオズボーンはニヤリと笑い、言葉を続けた。

  「レシラム様の御子達よ、レシラム様の意思を継ぐ赤子に牙を剥く異教徒を殺せ!異教徒を排除しろ!異教徒はレシラム教の敵ぶぁっ」

  信者達を扇動すべく、オズボーンは大声で言葉を放っていたが、それは唐突な終わりを遂げた。聞き慣れない大きな音が広場に響いた直後、演台の上に立っていたオズボーンの胸元が真っ赤に染まり、大きな穴を開けた。彼の演説は中断され、オズボーンは真っ白な聖衣を赤く染めながら倒れ込み、広場は静寂に包まれた。

  護衛の兵士達や信者達は聞き慣れない大きな音に怯み、やがて彼らの視線は演台の下に倒れたオズボーンへと向けられた。石畳に倒れ込んだオズボーンは胸元に大きな穴を開けながらも、懸命に起きあがろうとした。

  直後、大きな音が響き、うつ伏せに倒れたオズボーンの頭が吹き飛んだ。

  石畳の溝に血と脳と脂肪が流れ込み、頭が潰れたオズボーンの身体が微かに震えていた。やがて震えはおさまり、広場に静寂が広がった。

  「…オズボーン様が…」

  演台の傍に立っていた兵士が呟いた。それを皮切りに信者達の悲鳴が広がり、兵士達はオズボーンの下へと駆け寄った。頭部が半分潰れ、胸に大穴が空いた姿からも、オズボーンが絶命しているのは明らかである。兵士達は信者が近づいてこないように武器を構えて牽制すると、犯人を探すべく、走り回っていた。

  その光景を見ていた団長とライラはパニックに陥った民衆の中を歩き抜けていた。ライラは周りのレシラム教徒達から見つからないようにゼクロム教徒の証を隠し、団長は顔を強張らせたまま、脚を動かしていた。

  「…今のは、いったい…」

  マスケット銃やライフル銃の存在を知らない団長の眼には、オズボーンの胸と頭が突然破裂したように見えた。聴覚と気配から状況を理解したライラもまた、団長に続き広場を抜けると調査団の拠点に向けて足を動かした。

  「…団長、これからどうなると思いますか?」

  ライラの問いに団長は戸惑うような表情を浮かべると、口を動かした。

  「オズボーンは異教徒を敵だと煽っている最中に殺された…レシラム教の信者や兵士達は、異教徒の仕業だと短絡的に考えるでしょうね」

  「…その先は異教徒に対する弾圧…」

  現状、考えられる最悪のシナリオを描いた団長の言葉を聞き、ライラも小さな声で答えた。直後、彼の脳裏にレシラム教の異端審問官となった相棒の顔が過った。

  レシラム教が異教徒に対する組織的な弾圧を行うとしたら、異端審問官も動く可能性がある。つまり、レシラム教の教会や教会の影響力のある街中ではない箇所で、リラと再開できる可能性がある。

  ライラはその事を理解すると、唇を固く噛み締めた。

  団長とライラの歩く道の脇ではレシラム教徒や街の住民達の姿があり、誰もが「異教徒を殺せ」「異教徒を捕えろ」「異教徒を排除しろ」と口々に唱えていた。

  信仰する宗教のトップを目の前で殺された信者や街の住民達は、既に暴徒になりつつあった。彼らの怒りのエネルギーの矛先が自分らに向けられる前に拠点へ戻ろうと、団長とライラは脚を早めに動かした。

  混乱に覆われつつあるワイワイタウンの街並みを見下ろす人物がいた。手にはライフル銃が握られており、人物の立つ建物の屋上からは、オズボーンが撃たれた広場がよく見えた。

  人物、いや牡のブラッキー、カルマンはニヤリと笑うと、手にしたライフルを分解しカバンの中に収納した。ペストの治療法の伝達と拷問されるリラを治療するため、という名目でレシラム教に接近したカルマンは当初の目的を果たすと、カバンを背負い屋上を後にした。

  通りに出たカルマンの目には、パニックに陥った人々の姿があり、互いに殴り合う者や店先から物を盗む者、近くにいた牝の住民を襲う牡の影など、混沌に包まれつつある。かつて、レシラム教の大司祭であるエンブオー、アイザックスが殺された際にも住民達はパニックに陥った。だが、今回殺されたのはレシラム教のトップであるオズボーンであり、その混沌具合はアイザックス殺害時よりも酷くなっている。

  その光景を見渡したカルマンはくすくすと笑い声を漏らすと、足早に通りを駆け抜けて、裏通りへと入った。

  カルマンの視界に見慣れた姿が映り込む。

  それはカルマンの部下であり、ディアルガ教を秘密裏に信奉している牡のバクフーン、カウフマンであった。カウフマンは襲ってきた強盗を生きたまま焼き払うと、その炎でタバコに火を点けた。裏通りに強盗の悲鳴が広がるが、周囲の者達はパニックに陥っており、誰も気にする者は居なかった。

  カウフマンはタバコの煙を吐き出すと、カルマンの顔を見ながら尋ねた。

  「望んだ状況を作り出せて、満足ですか?」

  カウフマンの問いにカルマンは低い笑い声を漏らすと、「あぁ」と返した。

  「予定ならばリラの赤子を誘拐した上で事に及ぶ筈だったが…リラ自身が赤子に手をかけてくれたおかげで早く話が進んで助かったよ」

  笑いながら話すカルマンの顔からは、穏やかな雰囲気は消えており、享楽に溺れる狂気の笑みを代わりに貼り付けていた。カルマンの表情を見たカウフマンは僅かに歯軋りすると、タバコを吸い、煙を吐き出した。

  後方から別の強盗がカウフマンを襲おうとしたが、カウフマンは自身の体毛に着火させると、強盗を焼き払った。

  裏通りに悲鳴が再度広がるが、カウフマンは意に介さずにカルマンを見た。

  「これでレシラム教と異教徒との戦争が始まります。今後は事前に取り決めたプランで進めますが、よろしいですか?」

  カウフマンの問いに対してカルマンは頷くと、辺りを見渡した。裏通りに居た人々は怒りのエネルギーを周囲の人や物にぶつけるために、散開していた。そのため、裏通りにはカルマンとカウフマン、そして焼き殺された強盗の死体のみがあった。

  それを確認した直後、カルマンの姿は歪み、そこには白い化け狐の姿があった。幻影を巧みに操るポケモン、牝のヒスイゾロアークは愉快そうにカラカラと笑い声をあげると、カウフマンの顔を見た。

  「あとは星の調査団の残党のカフカとグレーゴルを始末すれば、ディアルガ教の勝ちだ。時の歯車も集まっているから、未来の世界から残りの信者達をこの世界へと送り込め」

  元人間、いやグレーテと名乗ったヒスイゾロアークの指示を受け、カウフマンは頷いた。その顔はディアルガ教の親衛隊長である将校の顔となっており、冷たい眼差しでグレーテを見返した。

  「ヴィレムやフランツから報告が無い以上、あとはKの担当エリアである砂の大陸にカフカとグレーゴルは居るかもしれません…」

  「Kの報告を待ちます」と続けて話すと、カウフマンは教会へ向かって歩き出した。トップであるオズボーンが殺された以上、No.2であるカウフマンがレシラム教を暫定的に纏める必要があり、異教徒との戦争に向けた準備をする必要がある。

  その背中を見届けたグレーテは口角を上げ、目を細めると空を見上げた。

  「さぁ、早く顔を見せてくれ…永遠の兄妹、グレーゴルよ」

  *

  草の大陸、トレジャータウンにある港湾部の通りを牡のジュプトル、カフカは歩いていた。彼の隣には荷物を抱えた牡のヨノワール、フランツと彼の部下であるヤミラミ達の姿があり、彼らは新たな布地を販売すべく、港湾部の店舗や通行人に営業していた。

  また1人、輸送船事業を営む金持ちに布地を販売したカフカは、海から吹き込む潮風を全身で浴び、目を細めた。

  「…潮の香りが心地良いな」

  未来の世界のトレジャータウンは地獄と化し、港湾部には惨殺された住民の死体が転がっていた。水面は死体で覆われ、潮の香りは死と血の臭いで覆われていた。美味しい海産物や珍しい香辛料を取り扱う商店の軒先には死体が山積みとなり、死の広がる世界となっていた。

  そのような未来の光景を知っているカフカは眼前の光景に目を細めると、満足そうに息を深く吸った。カフカの鼻腔に塩の香りが広がり、カフカは穏やかな表情を浮かべた。

  ここ数日、時の守護者達の襲撃はなく、カフカやフランツ達は穏やかな日々を送っていた。仕事に励み、美味い酒と料理を堪能し、新たな布地を作成する。そのような日々にカフカとフランツ達は満足しており、穏やかな心で生活していた。

  今日も目標の売り上げに達した事により、カフカ達は港町のレストランで簡易な祝杯をあげようとしていた。

  「…あの店の海老料理が美味いと聞いた、海鮮スープとサラダもおすすめだそうだ」

  フランツは大きな手で港町の一角を指差すと、客から耳にした情報をカフカに伝えた。彼の提案にカフカは頷くと、ヤミラミ達にも尋ねた。

  「それなら…フランツのおすすめの店にするか?」

  ヤミラミ達は自分らにも気遣ってくれるカフカの言葉に嬉しそうな笑みを浮かべると、揃って首を縦に振った。彼らの反応を見たカフカは爽やかな笑みをみせると、レストランに向かって歩き出した。

  海から吹き込む風が、彼らの身体を包んだ。

  それにカフカ達は脚を止めると、視線を海に向けた。沖合の波は穏やかで、青空が広がっている。通りには住民達の姿があり、誰もが穏やかな表情で通り過ぎている。

  「…なぜ、未来の世界は荒廃したんだろうなぁ」

  それらを見渡したカフカの問いに、フランツは目を逸らした。ヤミラミ達も同じく目を逸らすと、辺りに沈黙が広がる。カフカの呟きは元時の守護者であるフランツ達に対する皮肉で無いことは、彼の性格からも明白である。彼の呟きは美しく平和な光景を目の当たりにして、思わず口から飛び出した言葉であった。

  それを知っているフランツは視線を戻すと、静かな声で話し出した。

  「…直接の原因ははっきりとしないが、レシラム教とゼクロム教の対立から虐殺が広がり、二つの宗教の力が弱まった時期にディアルガ教が台頭してきたからだな」

  「…」

  「私の知る限り、レシラム教とゼクロム教が直接衝突するような事件が起きたようだが…事件の内容に関しては不明だな」

  そう話したフランツは視線を沖の方に向けた。フランツの言う通り、レシラム教とゼクロム教の衝突により戦争状態になり、あちこちで焼き討ちや虐殺、暴動が広がった。そのため、図書館や教会など歴史的な事実を記録した資料の大半は失われ、一部の商会や民家で保管された記録のみが残っていた。

  フランツの言葉を聞いたカフカは「そうか」と呟くと、フランツと同じく視線を沖に向けた。

  沖の空に黒い点が見えた。

  それは大陸間を飛行するカイリュー達による高速便であった。多人数や大量の物資の運搬は海風を利用した帆船が主流であるが、自然エネルギーを使うため、天候や海の影響を受けやすい。そのため、少人数の移動ならば水タイプのポケモンによる移動が費用対効果に優れており、対してカイリューの高速便は非常に高級なものである。

  そのため、港町に接近してくる複数のカイリューの存在は珍しく、カフカ達の注目を引いていた。

  カイリューの高速便は背中に乗るか、或いはカイリュー達が吊り下げるゴンドラに乗るのが一般的である。カフカ達の視界に映るカイリュー達も、ゴンドラを吊り下げた者と背中に旅客を乗せた者がいた。

  「…これは珍しい。カイリュー便をあれだけ雇うとは…相当な金持ちだろうな」

  それを見たフランツの呟きにカフカは頷くと、港の外れに着陸するカイリュー達を見ていた。まずはゴンドラを吊り下げたカイリュー達が丁寧に着陸し、ゆっくりとゴンドラを地面に下ろした。続けて旅客を乗せたカイリュー達も丁寧に着陸すると、搭乗者達が港へと降り立った。

  ゴンドラから姿を現したのは、胸元に白い布を抱えた牝のマフォクシー、ヘレンである。彼女の腕の中にはリラが逃した赤子、エリスがいた。リラの下から牡のインテレオン、レオンがエリスを連れ出すと、エリスはレシラム教幹部であるエリースを通してヘレンへと託された。その後、エリースの支払いでカイリュー便を複数手配し、いち早く水の大陸から草の大陸へとヘレン達を移動させた。

  ヘレンはゴンドラから降りると大きく伸びをして、久しぶりの大地の硬さを味わっていた。その間、カイリュー達の背中から降りた旅客、牡のコジョンドに変幻した牝のゾロアーク、ニコルと牡のルカリオ、オズワルドはそれぞれの荷物を地面に下ろすと、高速便のリーダーであるカイリューの差し出した書面に任務完了のサインをしていた。

  「ご利用ありがとうございます。次回もお待ちしています」

  支払いの良い、太っ腹な客に当たり、リーダーのカイリューはご機嫌な口調でニコルとオズワルドに挨拶した。彼の言葉を聞いたニコルも礼を述べ、オズワルドは一礼した。

  無事に任務を終えたカイリュー達は、次の仕事に向かうべく、大きな羽を羽ばたかせ、空を舞った。カイリュー達の羽が生み出す風がニコル達を襲い、ニコルとオズワルドは目を細めた。

  カイリュー達が飛び去った直後、彼らの陰となっていたカフカとフランツの姿がオズワルドの視界に入り込んだ。

  距離を置いて対峙したカフカとオズワルド、互いの瞳に互いの姿が映り込む。

  カフカは驚きの表情を浮かべると、恐る恐るといった口調でオズワルドに声をかけた。

  「…まさか、グレーゴルか?」

  牡のリオル、いやルカリオを前にしたカフカは小さな声で尋ねた。ザングースのコールマン曰く、トレジャータウンにいる牡のルカリオはオズワルドという青年であるが、グレーゴルが身を隠すために偽名を使っている可能性も考えられた。

  カフカに名前を呼ばれたオズワルドは動きを止めると、表情を凍らせたまま、カフカを見返した。コジョンドに変幻しているニコルもまた、そんなオズワルドの反応に気がつき、視線をオズワルドが見つめる先、カフカとフランツ達へ向けた。

  オズワルドは身体を硬直させたまま、震える声を漏らした。

  「…カフカ?」

  

  オズワルドの脳裏に砂嵐が広がり、次々と記憶が思い出される。

  星の調査団と時の守護者。

  キモリのカフカ、セレビィのエミル、ラプラスのノア。

  ヨノワールのフランツと部下のヤミラミ達。

  バクフーンの将校、流刑地の処刑台と血塗られたトレジャータウンの街並み。

  そして、ディアルガ教の始祖たる闇のディアルガ。

  それらを思い出したオズワルドは、ヘレンとニコルに目もくれずに駆け出すと、彼らの下に向かった。オズワルドは破顔しており、嬉しそうな笑みを浮かべると、港を駆け抜け、カフカ達に駆け寄った。

  カフカは顔を強張らせたままであったが、フランツは接近してくるオズワルドの顔を見て、目を見開いた。

  走り続けるオズワルドは地面に転がる角棒を無意識に掴むと、そのままカフカに向かって角棒を振り下ろした。

  唐突なオズワルドの襲撃にカフカの反応が遅れたが、彼を守るようにフランツは握り拳を作ると、オズワルドの持つ角棒を殴り壊した。破壊された角棒の破片を視界の隅で捉えたオズワルドは、鋭い破片の一つを掴むとフランツに向かって突き出した。だが、ヤミラミ達が布地を広げ、オズワルドの視界を塞ぎ、フランツの身体に破片が突き刺さるのを防いだ。

  出会い頭の突然の襲撃にカフカの反応は遅れてしまったが、彼はすぐに我にかえると別の布地をオズワルドに向かって投げつけた。

  オズワルドは彼らの反撃を軽々と受け止めると、好戦的な目でカフカ達に襲い掛かろうとした。

  そこに、フランツの大声が響いた。

  「やめろ!K!!」

  オズワルド、いや時の守護者にして将校の子飼いのペットでもあるKは、狂気に満ちた笑みをフランツに向けると、目を細めながらフランツに襲い掛かろうとした。Kは両手の中にゴーストタイプの技、シャドーボールを編み出すと、それをフランツに叩き付けた。だが、カフカの編み出したエナジーボールが彼らの間に撃ち込まれ、小さな爆発を引き起こした。その勢いにフランツは仰け反るが、Kはクルクルと回転しながら地面を転がると、勢いを殺した。

  目の前に現れた時の守護者の幹部の存在にカフカの表情は強張ったままだが、視界の端に映る影の存在に気がついた。

  影、港を駆け抜けて近づいてくるコジョンド、いや変幻を解いたニコルはカフカの顔を見つめながら大声を上げた。

  「カフカ‼︎」

  初対面である筈の牝のゾロアーク、彼女の呼びかけを耳にしたカフカは、全てを理解した。

  「…グレーゴル?」