嫌いだったよ、君を

  「⋯⋯俺、迷惑絶対かけるし。バカだから、お前のこと支えられないと思う。だから」

  「いいよ、どんな君でも好きだよ。だからさ⋯⋯ちゃんと、付き合おうよ」

  それは雪のハラハラと舞う卒業式だった。学生時代の間だけ、という期限を設けた二人の関係はついに終わりを迎えそうになった。それが僕にとってはとても許せないことで、引き留めたのが始まり。他の人には『ルームシェア』という話を通しながら、二人で暮らして早五年。二人で暮らすには少し狭い家での生活にも新鮮味がなくなってきた頃のこと。

  「⋯⋯ごめん、今日カレーにする予定だったんだけど。お肉買ってくるの忘れちゃったから、カップラーメンでいい?」

  会社から帰ってきて飛んでくるそんな言葉。昔はまあそこそこ可愛らしい面だと思っていたのだが、今ではそんな感情すら湧き上がらなくて。ただ、目の前のハスキー獣人に沸々と苛立ちが募るばかり。

  そんなことをぶつけようならまた面倒になることがわかりきっているので、表情筋が怒りの表情を作らないように表情筋を強張らせる。

  「⋯⋯うん、いいよ。メールくれたら玉ねぎくらい買ってきたのに」

  「あ! そうだよね、ごめんね⋯⋯」

  ハスキー獣人っていうのが元来そう言うものなのか、彼は昔から物事を覚えることとか要領というか、そういうものが苦手なようだった。ただ、持ち前のコミュニケーション能力で学生時代は人気者ではあったのだが、社会では通用しなかったようで。今では専業主夫として僕の家に住み着いている。

  まあ、もしも彼が働きたいと言っても僕は絶対に認めないのだが。

  「⋯⋯パートも探してみたいんだけど、そうすると家事がおざなりになっちゃうね」

  「いいよ。ただでさえ家事もできないんだし、そんなのやったら仕事も家事も両方ダメになるでしょ」

  ズルズルとカップラーメンを食べる。昔は好きだったこの味なのだが、コイツが馬鹿の一つ覚えのように同じ味ばかりを買ってくるものだからだいぶ前に飽きてしまったのだ。流石に何回か言ってはいるのだが、しばらくするとまた元通りの繰り返し。注意するのにも疲れ果てて、今では何も言うことはなくなった。

  「⋯⋯あの、悠君。今日」

  「ごめん、疲れてるからまたにしてくれる?」

  お風呂から上がって、疲れ果てた身体で蓮の相手をすることができるわけもなく。僕は布団に潜り込む。いつの間にか二つに別れていたベッドの片方。蓮に背を向けるようにして目を瞑った。

  「⋯⋯なんか、めっちゃ犬の匂いするんだけど」

  「あぁ、付き合ってるからね」

  「大丈夫なのかよ、それ」

  大きな狼の体に抱き寄せられる。そこに別に恋愛感情はない。ただ、都合よく会うことのできる相手というだけで。仕事という体で僕は時々いわゆるセフレとの行為をするために、家を空ける。連絡は特にしない。

  「なんでそいつとはしねぇの?」

  面倒な質問。それに対して僕は、いつものように嘘の理由を口から自然にこぼした。

  「面倒なんだよ、準備とか終わった後とか。アイツも粗チンだったらよかったのにね」

  「それって、おいお前⋯⋯」

  「ごめんごめん、普通に気持ちいいよ? だからそんな怖い顔して腰振らないでよ」

  不満そうな狼の頭を軽く撫でて、頬にキスをする。行為が終われば後腐れなくさようなら。昔はそんな関係を酷く軽蔑していたのだが、今となってはお互いにとって一番いい関係なんだと考えが変わっていた。

  「⋯⋯じゃあ、俺と付き合うのは?」

  「⋯⋯ないない、だってお前も付き合ってんでしょ? ほんとあのアプリ、クズしかいないなぁ」

  自虐的に呟くと、それに同意したように目の前の狼もクスリと笑う。人間、どうしようもない時には笑いが出てしまうものだ。こんな事実が明るみに出てしまったらきっと僕らは世間から糾弾されるのだろう。そもそも、こんな同性同士という関係というだけで非難されそうだが⋯⋯。

  そのバレるかバレないか、瀬戸際の美味しいところを中毒になってしまったように繰り返し求め続けてしまう。

  「あでも、地獄に堕ちてからはよろしくね」

  「⋯⋯クソみたいなプロポーズ」

  「プロポーズじゃないよ。ただの口約束」

  人差し指の先で、長いマズルに触れ、今度は自身の唇を指で触れる。特に意味はないのだけど、蓮にバレないように見た方とあるアダルトビデオでの仕草がどこか官能的で、好んで僕も真似をするようになった。

  面白いくらい効果があって、目の前の狼も本能の赴くまま腰を振る。少し激しいくらいが僕の好みだから、コイツの場合はこうしてあげるとちょうどいい。

  「じゃ、ホテル代割り勘ね」

  「なぁ、俺。⋯⋯別れたんだよ」

  身体を洗って、すぐにさようなら。それを拒むように狼が呟く。僕は何回も言ったはずだ。付き合うつもりはないと。

  「⋯⋯なんで? 僕は初めから言っていたよね、付き合うとかそういうのはないって」

  「⋯⋯だけど、あれだけ気持ちよさそうにして。俺の名前を呼んで、抱きしめて。本当は、俺のこと!」

  「そんなわけないじゃん。バカじゃないの? セックスの時にマグロだったら萎えるだろ。だからああやっていただけなんだけど」

  パクパクと口を金魚のように開閉する狼。正直、名前もあんまり覚えていない。どうやら本気で僕のことを好きになってしまったらしい彼は、アホらしいことに自身の恋人との関係を解消したとのこと。

  「⋯⋯じゃ、どうする? 最後にもう一回だけ、してあげよっか?」

  狼の履くボクサーパンツ。そこの、少し隆起したところを手でなぞる。すると、パブロフの犬のように涎のシミが円状にパンツに広がっていく。

  キスをして、ちょうどいいサイズのペニスの上に跨がる。さっきまで入っていたから、すんなりとそれは挿入できて、僕が上下に彼へ刺激を与えると彼は悔しそうな、それでも嬉しそうなわけのわからない表情で歯を食いしばりながら悶える。

  「これに懲りたら、浮気なんてやめた方がいいよ。こんな奴しかいないし。⋯⋯ま、もしかしたらまだ復縁できるかもしれないけど」

  まあ、無理だろうな。マッチングアプリで僕が声をかけたことで、コイツとコイツの恋人。二人を傷つけてしまった。少しだけ罪悪感を抱きながらも、今更僕にはどうすることもできないから、ただ目の前の雄を満足させるようなことばかりを繰り返した。

  「⋯⋯あ、消臭剤切らしてる」

  いつも使っている効果の強い消臭剤を切らしてしまったらしく、トリガーを引いてみてもプスプスと空気の音がなるばかり。仕方なくホテルに備え付けのチープな匂いのついた消臭剤をかける。

  このまま家に帰るわけにもいかないから、今日は多分ビジネスホテル泊まりだろう。

  『今日はカレーライス! 何時に帰ってくる?』

  そんな数時間前に届いていたらしいメッセージを今更確認する。ムードを壊さぬように、マナーモードにしていたからかまったく気づいていなかったが着信もいくつか入っていたらしい。ただ、情事の後で疲れていた僕は既読だけをつけてスマートフォンの電源を落とした。

  「なんで昨日帰ってこなかったの!? ずっと、待ってたのに⋯⋯!」

  「しょうがないだろ、忙しかったんだから。何、それなら仕事辞めたらいい? そしたらもう一緒に暮らせないけど」

  「⋯⋯それは嫌だ、だけど!」

  「働いてもいないんだから文句言わないでよ。こっちも疲れてんだよ。⋯⋯誰のせいだと」

  キャンキャンうるさい。誰がどうみても、僕は最低な人間なんだろう。それでも、すでに良心の呵責なんてものはまったくなくて、ただいつものルーティンのように蓮をいなす。

  「⋯⋯俺だって、この間仕事見つけたんだ! これでもう、対等だろ! だから、あんなこと、やめろよ」

  仕事。なんだよ、それ。お前なんかにそんなものできるわけ。しかし、彼の手に持っているものはアルバイトの仕事内容の説明書と支給された制服で。人不足だから誰でも良かったのだろうか。

  ⋯⋯ドヤ顔をしてそれを見せびらかす蓮。僕の許可なく働きだすなんて、許せない。僕の管理下にいない蓮など、もはや価値がないのだ。

  「そんなアルバイトごときで僕と対等なわけないでしょ、何言ってんの? てか、僕が仕事で疲れて帰ってきてるのに、家事もろくにせず仕事なんて探してたんだ」

  少し語気を強めて言うと、蓮は大きい図体のくせに萎縮して眉を下げる。表情がコロコロと変わるのはハスキー獣人の特徴なのだろう。

  「⋯⋯そんな、つもりじゃ。ただ、俺は⋯⋯」

  「前も言ったよね。お前はずっと家の中にいて家事だけしてればいいって。仕事なんかしてもどうせ世の中の迷惑にしかならないから、黙って僕の家に暮らしてろって」

  携帯電話でその店の電話番号を入れて、それを蓮に押し付ける。

  「断って? ほら、今この目の前で」

  泣きそうになっている蓮を睨みながら、しっかり仕事を断るまで監視を続ける。断ったのを確認して僕はすぐに携帯電話を取り上げ、通話をブチ切りした。電話越しの怒鳴り声が、少しだけ二人の部屋に漏れて聞こえたが、気にすることもなく。

  「⋯⋯なんでだよ、こんな。俺、俺、悠君のこと、支えられたらって、もっと頼りになれたらって思っただけなのに」

  「⋯⋯蓮」

  呼びかけてみても、一瞬恨んだような目を向けて。だけど怖いからなのか、いじけてしまったのか。顔を合わせないようにそっぽを向いてしまう。

  かわいい。とてもかわいい。不貞腐れる表情が、理不尽に怒られて震える大きな身体が、僕を怒らせてしまったことに対する恐怖で目に涙を浮かべる様子が、とても僕の加虐心を逆撫でする。

  「⋯⋯れーん」

  今度は、少し呼びかけるように、甘えるような声をして名前を呼んでみる。すると、ピクリと耳が動いて、尻尾が少しだけ揺れた。

  「れーん、ねえ、蓮ってば」

  「⋯⋯何」

  「えっち、しよ?」

  我ながら、狂っている。僕はいつからこんなおかしな道を歩んでいたのだろう。それでももう後戻りはできなくて、ただ前に進むことしかできない。

  「しない! もう騙されない! 本当に、俺のことどう思ってるのか、言ってくれないと」

  「れーん、ねえ⋯⋯だめ? 蓮の、おっきなおちんちんで、ぐちゃぐちゃにしてほしい」

  ズボン越しに、股間をさすってみると『騙されない』だなんて言う割にはしっかりと大きくなっていて、窮屈になってしまったそれを僕はゆっくりと取り出してみる。蓮の抵抗はなかった。

  「蓮の、おっきい⋯⋯」

  いきり立ったペニスは、彼の性格には似合わない凶悪な物。メスを狂わせてしまうようなそれは、僕にだけしか使われたことはない。

  「じゃ、ペロペロするね?」

  口を開けて、頭を動かしながら蓮のペニスに刺激を与える。しょっぱい先走りの味が、青臭い匂いが、クラクラとしてしまうくらいに僕の頭をピンク色に染め上げる。

  ジュルッズルルルルッ、ズポッ。

  わざとらしく音を立ててやると、蓮は僕の頭を引き剥がそうとする。それを拒むように今度は喉奥も使って刺激すると、本能には抗えないようで蓮は長い舌をダラリと垂らしながら快楽に身体を預けていた。

  「⋯⋯ゴム、つけたけど。挿れるよ?」

  あまりにも遅すぎる挿入。いくら言っても彼は激しく動こうとしない。彼との行為の時に僕が動くのは解釈違いだから、それはしたくない。獣みたいに、僕をめちゃくちゃにしてほしい。首や腕、身体全部に消えない牙の跡をつけて、血まみれになってしまいたいくらいなのに、蓮は決して僕を傷つけるような行為はしない。

  「⋯⋯もっと激しくして」

  「そんなことしたら、お尻裂けちゃうよ」

  「いいよ、してよ」

  それでも、彼は決してしてくれない。他のセフレは何も言わなくてもそうしてくれるのに、蓮だけは僕をめちゃくちゃにしてはくれない。

  「⋯⋯嫌いなの?」

  「⋯⋯違う! 好きだから、傷つけたくない」

  「傷つけてほしいんだけど、それでも?」

  「⋯⋯できない」

  腑抜けた返事に僕が呆れていると、恐る恐る腰が動き出す。どうやらいよいよやる気になったかと期待してみるも、ある一定以上の速度より早くは動かない。

  「⋯⋯気持ちいい?」

  大きな異物が僕を内側からペリペリと薄皮を捲るように抉っていく。少しだけ気持ちいい。

  「⋯⋯まあ、いいよ」

  そう言うと、嬉しそうに尻尾を振って笑みを浮かべる蓮。それが可愛らしくも思いつつ、少し憎らしくかった。

  腹部に入ったストレートパンチ。それで、僕は思わず給食で食べたものを嘔吐する。目の前にいるのは、ハスキーの獣人。僕を囲むように嫌な目を向ける取り巻きの生徒たち。

  「おい、金持ってきてねぇってどう言うことだよ?」

  「⋯⋯もう、ないです。お金、親からもらえなくて」

  「だったら、財布から盗んでこいよ!」

  もう一度お腹に、今度はキック。もう、吐けるものはなくて、痛みのあまりトイレの床でゴロゴロと転がって痛みをどうにか分散させようと息が上がる。

  「⋯⋯なんだぁ、悠? その生意気な顔は」

  かっこいい。⋯⋯鋭い獣の目。僕を見つめる蔑んだ表情。獣人特有のパワーに溢れる暴力。きっと、性器も僕よりずっと大きくて、僕を内側からぶっ壊してくれる。

  もちろん、彼はそんなケはないから実際にはありえないのだけど。

  中学の頃。僕は性に目覚めた。それは暴力を受けている途中で、そこから性癖が大きく捻じ曲がったような気がする。獣人は嫌いだ。だけど、かっこよくて、長いマズルが性的で、好きでもあった。僕の前じゃこんなにも凛々しいのに、仲間内で話す時には少し間抜けで、時折見せるニコッとしたハスキー特有の笑みが可愛かった。

  「⋯⋯きめぇんだよ。なんで笑ってんだよ」

  トイレの個室に押し込められて、ドアを乱暴に閉められる。いつか、この流れで、性の捌け口として個室で彼の性器を慰めたかったが、結局それは叶うことなく卒業の時がやってきてしまった。

  「ねえねえ! 隣の席だね、よろしく!」

  いきなり目の前にハスキー獣人の顔。しっかりトラウマになっているようで、思わず身体がビクッと跳ねてしまう。しかし、一度顔を見れば徐々に劣情が芽生え出す。

  「⋯⋯よろしく」

  ああ、だめだ。勃ってしまう。もしもこの場でこのことを彼に伝えたのなら、彼はどんな目を向けるのだろう。彼も、いじめっ子のアイツと同じように酷い目に合わせてくれるだろうか。

  「俺、蓮って言うんだ! 名前は?」

  「⋯⋯悠です」

  「そっか、じゃあ悠君よろしく!」

  言えるわけないな。それに言ったところで多分、彼は僕の望んだような行動をとってくれはしないだろう。アイツとは違った、おっとりしてそうな性格のようだ。そもそも嫌いなハスキー獣人に酷い扱いをされたいだなんて、我ながら頭がおかしいんだと心の中で溜息を吐く。

  ——反対に、憎きハスキー獣人を完全に支配できたのならどうなるのだろう?

  僕に散々なことをしてきたハスキー獣人を手懐けられたなら、どれほど気持ちがいいのだろう。侍らせられたなら、どれくらい気分が晴れるのだろう。

  「⋯⋯よろしく」

  そこから、僕の人生のレールは歪みきったのだろう。そして僕は、青い三年間を全て蓮と過ごした。一年生の三学期、告白をした。唐突のそれに、彼は優しいのか拒絶するでもなく、かと言って受け入れることもなく。高校卒業まで過ごしてみようと言う彼なりの折衷案を僕は飲み込んだ。

  「⋯⋯ダメだ。やっぱり、めちゃくちゃにしてもらわないと」

  蓮に抱かれて横になりながら小さく呟く。現状、蓮の生活は僕の家の家事にほとんどを費やしている。手の込んだ料理を、綺麗にしてくれた部屋を褒めることもなく当たり前だと言うように過ごす。そうすると、悲しそうな顔をしながらも僕に怒られるのが怖いから何も言えないのが、最高に気分がいい。

  彼に夕食を用意させた日にわざとセフレと会うようにして、家に帰らないのもまたいい。家の中、帰らない僕を待ちながら彼はどんな顔で待っているのだろう。まるで、従順なペットのように鼻を鳴らしながら待っているのだろうか。

  ⋯⋯それでも、蓮との性行為の時になると僕は中学の時のように酷い扱いをされたくなってしまう。従順なペットの反逆というシチュエーションが好きなのか、自身への罰を無意識のうちに求めているのか。

  ⋯⋯もともとの僕の性癖なのか。今ではもうよく分からないが、蓮の凶悪なペニスで僕をぐちゃぐちゃにしてほしくてたまらなくなる。首を大きな手で締め上げて、尻を思いっきり叩いて、腹を殴られたい。⋯⋯殺されてもいい。

  「⋯⋯浮気、はこの前試したし」

  結果というと、彼は少し怒りはしたものの僕を引き留めることはなく自身が引き下がる形で済ませようとした。それでは困るのだ。『お前の雄は俺だ』と僕を犯してもらわなくては。

  それなのに、彼は僕を捨てて関係を終わらせようとした。多分、彼はもう僕を引き留めるほどの好意を持ち合わせていない。⋯⋯当たり前だ。あんな酷いことばかりしていたのだから。

  「⋯⋯流石に無理、別れよう?」

  唐突に告げられる別れの宣告。引き止めようと腕を掴んでも、獣人の力に敵うわけもなくて優しく振り払われてしまう。最初から、気づいていた。いざとなれば僕には彼を引き留める力はない。多分、今までは蓮の優しさに漬け込んでいただけだ。

  「悠君、もう俺のこと多分好きじゃないでしょ。⋯⋯このまま続けてもいいことなんて何もないからさ」

  暗闇へ溶けていく蓮の背中。大きいはずのそれは面積を徐々に失っていき、ついには僕の目の前から消えてしまう。何回か見たこの光景。いつもは夢で、目を覚ませば自室なのだが、今回こそ現実なのかもしれない。

  こんな僕にそんな優しい行為をする意味が分からなくて、そのギャップを埋めるようにこんな夢をみるのだろうか。

  「⋯⋯悠君! 悠君!?」

  目を開けると、全裸のハスキー獣人。どうやら、夢を見ていたらしい。

  「⋯⋯蓮」

  思わず筋肉質な胸に抱きつく。完全に、僕の目の前からいなくなってしまったと思っていた。それは絶対に耐えられない。もう、多分人生で二度と彼のような僕の性壁にマッチする人はいない。

  あともう少し調教して、性行為の時に酷い仕打ちをしてくれるようになれば完璧というところまできた彼を、失ってしまったら僕は生きていく意味がなくなってしまう。

  「⋯⋯蓮、いなくならないで。嫌いにならないで」

  「何言ってんの、俺は悠君のこと好きだよ? いなくならないし、一緒だよ」

  それは本音? それとも、嘘? 僕自身がすでに嘘で塗り固められているから、相手の言葉が全て嘘に聞こえてしまって、何も信じられない。

  「⋯⋯ごめん、会社。行かないとだね」

  「大丈夫? ねぇ、休んだ方が⋯⋯」

  「大丈夫。休んだら、みんなが大変だし。でも、今日のご飯楽しみにしてるね」

  「⋯⋯本当? じゃ、今日はコロッケにするね! 悠君の好きなやつ!」

  「分かった。頑張ってくる」

  朝食を軽く済まして、家を出る。いつもより家を出る時間は遅いけど、余裕でまだ間に合うだろう。

  「⋯⋯虎さん、おっさんなのにがっつきすぎ」

  「兄ちゃん、エロすぎだろ。そういう仕事してんの?」

  「してないよ。ただ、エッチが好きなの。めちゃくちゃにされる、暴力みたいな」

  今朝の会話を忘れてしまったわけじゃない。一字一句覚えている。だけど、どうしようもなくクズな僕は優しくかけてくれた言葉すらも性欲を満たす材料にしてしまう。

  ⋯⋯正確にいうと、実際に彼が僕のことを好きなわけが冷静に考えるとないわけで。働きながら、浮ついた心を切り捨てるために僕はいつものマッチングアプリで一夜の関係を探した。あいつは優しいから、僕を捨てないだけ。そこに感情なんてものはない。余計に嫌われてしまう行為だとはわかっているけど、かと言って今更取り戻せそうなものでもないから、今日までこんなことを繰り返している。

  「⋯⋯でも、犬の匂い、すごいな」

  「付き合ってるからね〜」

  「おい! 大丈夫なのかよそれ!」

  「大丈夫大丈夫。消臭剤あるし」

  すると、目の前の虎は少し気まずそうな表情を見せる。

  「⋯⋯じゃあ、中出ししてもいいか?」

  たしか、プロフィールに『寝とりたい』とか書いてあったな。多分、そういう癖があるんだろう。

  「いいよ、いっぱいおっさんの種汁僕の中で出して? チクチク、すごい気持ちいい」

  猫科特有のペニスの棘は好きだ。どれだけ優しくしようとしても痛みを伴う。それが嫌だという人もいるが、僕はむしろ好ましい。

  だけど、見た目的にはハスキー獣人が一番好き。二番目に姿の近い狼獣人。それ以外は同率三位。つまり、今回の相手は可もなく不可もなく。この前の狼獣人は、行為は僕が指示を出せばほぼレイプみたいにしてくれたので良かったのだが、残念ながらあまりサイズがなかった。無論、もう二度と会うことはないのだが。

  「⋯⋯めっちゃ出たわ、ありがとな。スッキリした」

  「僕も最高だった」

  「ところで。ずっとスマホ振動してたけど」

  「ああ、多分彼氏。ご飯作ってもらったんだけど、無視してここ来ちゃった」

  「おい、流石にそれは。いや、プロフィールにああ書いてる俺が言うのもあれだけど」

  「いいんだよ。どうせ、彼も僕のことなんか好きなわけないんだし。もともと、ハスキー獣人嫌いだし」

  「なのに、第一希望はハスキーなのかよ」

  「うん。ハスキーが嫌いだから、ハスキー獣人を彼氏にして、相手に酷いことをしてんの。でも、エッチはめちゃくちゃにしてほしい。僕を、壊してしまうくらい」

  「頭おかしいんじゃねーの」

  「そんなの自分でも分かってるよ」

  コートを羽織って、ホテルの部屋を出る虎獣人。最後に振り返っておっさん臭い説教をひとつ。この歳の人というのはどうしてこうも人にくどくどと話をしたがるのだろうか。自身だって、褒められたような行為はしていないのに。

  「流石に家帰ってやれよ。多分、それでも付き合ってるってことはお前のこと少なからず嫌いじゃねぇだろ」

  「⋯⋯はーい」

  そんな心にも響かない、偽善だけの説教。ただ、なぜか今日は少しだけ蓮の顔を見たくなった。時計は午前一時を指している。明日休みだから、今日は少し張り切りすぎてしまった。

  ⋯⋯それを加味しても、今日はどうしても自分の家に帰りたかった。

  「⋯⋯しくじった。買い忘れてた」

  この前消臭剤を切らしていたのを確認していたのに、僕らしくないミスをしてしまう。仕方がない。何もしないよりはマシな、ホテルに備え付けの消臭剤を頭からかぶる。

  「甘ったるい」

  これだから僕は自分で持った消臭剤を使うんだ。こんな匂いはずっと残るわけではないのだが、流石にこのまま直帰したのならバレてしまうだろう。そしたら、今度こそ僕は捨てられてしまうかもしれない。

  そんなことは分かっている。それが嫌だから、僕は今まで彼にバレないようにこういった関係を持っていたつもりだ。⋯⋯わざとバラしてみたら、案の定僕は捨てられてしまいそうになった。当たり前だが。

  なぜ、今日はこんなにも会いたいんだろう。それは多分、もう僕自身が嫌になってしまったんだろう。朝、あれほど僕を包んでくれた温もり。朝だけじゃない。不器用ながらも彼はいつでも僕に対して、無償の愛を捧げてくれていた。

  それを僕は自分のために踏み躙ってばかり。それがとても気持ち良かったはずなのに、精神というのはいつの間にか蝕まれていて、限界にまで達していた。ただの自傷行為でしかったらしい。

  もしも、今までの生活を補償するならばどのくらいの損害賠償が請求されるのだろう? どうやって僕は、償えばいいのだろう? 他人の人生を支配する。今になって考えるとそれがいかに横暴で、最低で、どうやっても償うこともできないことということを理解する。

  ——もしも償えるのであれば、命でもなんでも捧げるだろう。

  「ただいま」

  玄関のドアを開ける。外から見た時に明かりがついていたのを確認したように、家の中は既に電球で照らされていて、それにも関わらず返事は返って来ない。

  でも、眠っているというわけではないらしい。こんな僕に対して返事を返す気にならないのだろう。それを気にすることもなく、いつものようにスーツを脱いで服掛けにかける。

  「⋯⋯ただいま」

  ダイニングのテーブルに突っ伏した蓮の姿を見ながら、もう一度つぶやく。机の上にはもうずっと前に作られたのだろうコロッケ。ラップに覆われている。部屋には揚げ物をした時特有の匂いがほんのり残っていて、お腹が鳴りそうになる。しかし、机の上に乗せられたコロッケに手を伸ばせそうな雰囲気ではない。

  「⋯⋯なんで帰ってこなかったの」

  「それは、し——」

  仕事。嘘をつくのに慣れてしまった僕は、今日もまた繰り返しそうになる。でも、それじゃあダメだろう。傷つきたくない、傷つけたくないから伝えたかった虚偽を喉奥に押し込んで、お互いのためにならない真実を告げる。

  「⋯⋯分かってたよ、ずっと前から。消臭剤使っても、バレバレだよ。一緒に住んでるんだから」

  「⋯⋯そう」

  傷つけないために使っていた消臭剤。それに効果なんてなくて、むしろ傷口に塩を塗っていたようなものだったのだろう。いや、傷つけたくなかったら最初からあんなことをしなければ良かったのだ。

  自分の醜さに吐き気がする。そんな自分に対して、最も重い刑罰は既に知っている。

  「ごめん。もう、別れようか。僕、こんなやつなんだ」

  沈黙が流れる。彼は僕に対して声を荒げるでもなく、冷静に机の上のコロッケを見つめるばかり。いつもの様にうるさく喚くのを覚悟していたが、意外だ。

  悪事を告白するたびに、密度のある罪が胸から抜けて、密度の軽い謎の感情が満ちていく。一つ一つ、曝け出していく度に高校時代からの美化された思い出が走馬灯の様に駆け巡っていく。もしも僕が彼に対して歪んだ感情を持っていなければ、これほど綺麗な思い出を僕は抱くことができたのだろう。

  「ハスキー獣人を侍らせたかった。人生を手の中に収めてみたかった。⋯⋯今まで、僕は蓮のことを嫌いだった」

  嫌いだったのは事実なのに、なぜだろう。今になって全く反対の感情が芽生えて、大きくなっていく。今更どうして、もう別れる直前なのに。

  やっぱり、別れたくない。でも、都合のいいことを言えるわけもないから溢れる涙を両手で抑える。

  胸ぐらを掴まれる。僕はこれからどうされるのだろう。ボコボコに殴られるのだろうか。それとも、首を絞められて殺されるのだろうか。それを恨む権利なんて僕にはないから、無抵抗のまま次の一手を待つ。

  蓮の表情は、ひどく僕を軽蔑した暗いものだった。

  ベッドに投げつけられて、逃げられることのない様に大きな身体にのしかかられる。昔、蓮がまだバイトをしていた頃に初めての給料で買ってくれたシャツは、大きな獣の両手で紙の様にビリビリと破られる。カラカラと飛び散ったボタンが地面を転がる音の中、蓮は僕のズボンを剥ぎ取って、自身の服も器用に素早く脱ぎ去る。

  僕がいつもねだっていた、暴力の様な性行為を意識させるその行動。彼は、僕を引き留めるためにこんなことをしてくれているのだろうか。それでも、今の僕にはあまり魅力的には映らなかった。

  「⋯⋯蓮、ごめん。いいよ、無理しなくて。⋯⋯もう、僕は」

  それでも止まることはなく、長い舌が僕の首筋を伝い、そこを今度は大きな牙が触れる。痛みが走り、心臓がバクバクと音を立てる。これは興奮じゃない、恐怖だ。

  「⋯⋯やめて、怖い。蓮!」

  咄嗟に出た拒絶。欲していたもののはずなのに、なぜ今日は拒否してしまったのだろう。その理由には心当たりがある。

  目の前のハスキー獣人が、好きになってしまったのだ。多分、真の意味では初めて。そんな相手に、愛のない行為をされるのが嫌なんだ。

  「蓮! やだっ、ごめんなさいっ! やめてっ!」

  「うるせぇよ! ずっと、こうされたかったって言ってた癖に」

  慣らすこともなく、押し付けられる蓮のペニス。少し前まで別の人のものが入っていたとはいえ、彼のを受け入れるにはまだ余裕が足りない。

  それなのに、僕の肩を鷲掴みにして腰を押し付ける。メリメリと音を立てる様に蓮は挿入を開始した。

  「いだいっ、いだっ痛いっ! 蓮! ぬいでっ、ぬいてっ!」

  「おら、気持ちいいんだろ? 無理やりされたかったんだろ? 他の野郎にもこうしてもらってたんだろ? お望み通り、そうしてやるよ⋯⋯!」

  中身の入っていないぬいぐるみにワタを詰めるかの様に、蓮は巨大なそのペニスを突き立てる。胃を直接刺激されるかの様に、前立腺と呼ばれるのだろう男性にしかない器官を押し潰される。

  「だっ、そんなっ、強くしちゃ⋯⋯」

  制止しようとしても、止まらない。むしろヒートアップする刺激で発音が妨害される。喉を大きな手で締め上げられて、呼吸ができなくて、目の前が暗くなっていく。頭がクラクラしてしまう。

  命の危機に子孫を残そうとすると言う話は、どうやら本当らしい。

  「⋯⋯こんなんでイクとかド変態だろ。きめぇんだよ」

  「あっ、あッ⋯⋯ハっ⋯⋯」

  身体に力が入らない。よだれが機能しなくなった顎から垂れて、首筋を伝う。ガクガクと痙攣する足と腰は、もうかなり前に抵抗をやめてしまっていた。

  「俺はまだイッてねーんだよ! おら、もっと締めろ!」

  太ももを叩かれる。ジンとした痛みと部屋に響いた音。それで正気を取り戻すも、その後に来るのはまた僕を快楽へと引き摺り込む行為。いつもの様に抱きしめながら、恥ずかしがった甘い言葉を吐く様なセックスではない、ただ自分のためだけの行為。

  求めていたものはこれだったはずなのに、いつの間にかまどろっこしいあの時間の温もりを僕は求めていた。

  「あー、出すぞ⋯⋯! テメェの中に出して、ガキ孕ませてやる!」

  そういえば、ゴムもなかったな。いつもは無理矢理にでもつけるのに。僕の名前なんて、一回も呼ばれなかった。いつも、うるさいくらいに呼んでくれるのに。⋯⋯抱き寄せても、くれなかったな。

  「⋯⋯イクッ!」

  ガクガクと腰を振る蓮。亀頭球とかそういうのが膨らんで、しばらくは射精が続くらしい。お腹が苦しくなるからと言っていつもはゴムに溜まっていた精液は、今日は僕の体内に入ってくるのが分かる。

  ピクピクと中で動くと、それが吐精の合図ということを今日初めて知った。その間も彼は僕の顔を見ることもなく、ただ本能のまま腰を時々振っては涎を僕の身体に落とした。

  「⋯⋯おい」

  射精が終わったのを見計らって、蓮は今まで僕の中にあったものをゆっくりと引き抜く。ドロリとした感触が、僕の体温を奪う様に外へと漏れ出す。

  「中に出したから、起きたら掻き出しとけよ。⋯⋯あとコロッケ、置いとくから。⋯⋯あっためて食えば」

  力が入らなくて、ベッドで仰向けになりながら彼の言葉を聞く。カチャカチャと鳴るベルトの音。どうやらつけるのに苦戦しているらしい。バサリ。布を羽織る音。しばらく部屋の中で、舌打ちをしながら。⋯⋯ボタンでもかけ違えたのだろうか? 部屋のドアが開いて、ゆっくりと廊下の軋む音がして。

  その一つ一つの音が、僕と彼との関係が終わるカウントダウンの秒針が刻む音の様に思えて。それを止めようと声を上げようとするも、部屋に立ち込めた鬱々しい空気と今まで自分が犯してきた罪の数々が口を塞ぐ。

  ——玄関のドアが閉じる音がした。

  目を覚ました僕はコロッケを食べる。電子レンジで温めもせず、冷たくてしんなりとしたものを。朝から食べるものじゃない。昨夜から何も口にしていない身体ではなおさら胃もたれしてしまいそうだ。

  それでも、無理矢理コロッケを口にする。塩っ気が多いのにも、一人で食べるには量が多いのにも文句を言いたかったが、それを言う相手ももういないからコロッケと一緒くたにして言葉を飲み込む。

  机の上には多分一緒に食べる予定だったから用意された食器。ふと、見上げると今までのが夢だったかの様に蓮の幻影が見えて。手に取ろうとすると消えてしまう。

  「⋯⋯さて」

  ネクタイを結ぶ。蓮がスーツと一緒に買ってきてくれた、大昔にもらったものを。スマートフォンをつけて、写真のアルバムを見る。蓮と二人で撮った写真の数々が、スワイプするたびに移り変わっていく。しばらくそうした後にそのスマートフォンで119に住所を伝える。

  椅子を蹴飛ばした瞬間、暗幕が降りた。