鳴り子の儀:合縁

  ●

  振り抜いた拳は、驚いた表情を浮かべている虎獣人の頬にめり込んだ。巌のような重い肉体を強く揺らしたあと、よろめいた四十過ぎ程の虎獣人は膝をつく。

  そんな彼を見下ろす若者もまた、虎獣人だった。二人共柔道着に身を包んでいるが、その様子はとても柔道の組合などとは思えない。男は強く殴られたというのに素早く起き上がると、下手人である若者に牙を剥き出しにする。

  喧嘩、としか言えない剣呑とした空気が張り詰める。

  「……っ、剛……テメエ!」

  「っ、なん、だよッ!」

  その若者もかなりの恵体ではあるが、殴りつけるように胸ぐらを掴み返した虎と比べては見劣りする。長年柔道で鍛えた体は、ただ威圧感を備えているだけではない。その動かし方を十全に身に着けている。

  どう力を入れれば相手を制する事が適うのか。それを知り尽くしている――若者は体の重心を僅かにずらされて、袂を掴んだ拳が離されれば後ろに倒れ込んでしまう――そう危機を感じた本能によって、無意識にその拳に支えてもらうようにして両手で腕を掴んでしまう。

  無防備になる。

  殴られる。

  殴りつけた報復が、固く握られた拳が引かれている。

  それが叩きつけられたのなら、どれほどの激痛だろうか。苦みを帯びた痛みを予感した脳が震える。散る星に耐えるようにして思わず目を瞑る。

  だが、衝撃が彼を打ち据えることは無かった。

  「ッ、おわ……っ!?」

  痛みはなく――つまりその拳が振り下ろされる事はなく――若者は突き放されるように解放されていた。たたらを踏んだ後、若者は噴き上がる怒りのままに叫ぼうとした。相対する敵を威圧しようと、胸骨を押し広げ、喉を震わせようと。

  「悪い」

  怒号は轟かなかった。小さく吐き出された声に息を詰まらせた。

  殴りつけた箇所が熱を帯びているのか。顔に掌を押し付けた虎はその剛体を少し萎れさせるように、斜めに背を向けて項垂れていた。

  冷水を掛けられたように、怒りが鳴りを潜める。

  「……帰る」

  若者はそれだけ言うと、その場を去っていった。

  柔道場に一人残された虎獣人は、殴られた頬に手を当てながら畳を足裏で擦る。乾いた音が虚しく響く。

  虎獣人――伏寅・醍吾は、開けた胸元を合わせ直し黒い帯を引き締めた。

  燃えるような斜陽が窓から差し込んでくる。

  ヒグラシの声が、誰も残っていない柔道場にこだましていた。

  ●

  幼い頃から柔道場に通っていて、脂肪と筋肉を程よく纏ったガッシリとした体躯。健康体を示すようにくっきりと刻まれた縞模様。少し幼く見えるのは目の形からか、本人はそれを少しコンプレックスにしているのか目を細めて歩く癖がある。

  そんな虎獣人。

  浅虎・剛は、高校二年の男子高校生だ。

  受験勉強が始まる、とか、成人がどうの、とか。

  そういう変化の中にある一瞬の間隙。台風の目のようなその中では、この尾荷島に住む彼にとって――十七になる男子にとって、おおよその同年代とは違う悩みを持つことになる。

  鳴り子。

  この半島に伝わる、通過儀礼のような慣習。その相手となる『鳴親』を決めなければいけない。

  「おら、隙ありッ」

  「んがッ……いて、いてぇ!!」

  同じ境遇である黒柴を熱い地面に押し倒し、寝技を仕掛けながら剛の頭にはその悩みが常に付き纏っていた。まるで亡霊に取り憑かれたように離れて剥がれない。

  その儀式が何かは知っている――いや、知らされている。

  元々、十七になると鳴り子の儀というものに参加させられる事は既に認識していたが、その内容を伝えられたのはごく最近のことだった。

  時折、大人の男達からの言葉から予想はついていたが、まさかそれが本当だとは。神主から説明を受けた時には嫌悪感よりも呆れの方が先に来ていた。よくもまあ大真面目にそんな事をやってるもんだと。

  黒柴を解放した剛が制服に付いた土を叩きながら、随分と押し黙っている幼馴染を見下ろしていると、店の中から店主の熊獣人がひょっこりと顔を出した。

  「ああ、そうだ、剛! 明日、配達があるから夕方ごろ店番頼むよ」

  「あいよ、小遣い弾んでくれるんだろ?」

  「分かってるよ、がめついねえ」

  黒柴の目が、何かを思案するように駄菓子屋の店主――熊谷を見つめていた。いや、その視線は顔よりも随分下の方へと向けられている。

  熊谷を鳴親に。とでも考えているのだろう。だが、熊谷が今度こそ駄菓子屋の奥へと引っ込んでいった後、考え直すように黒柴は頭を振る。どうやら、黒柴のオメガネには適わなかったらしい。

  テコテコと竜人の竜堂が歩み寄ってきて黒柴の前にしゃがみ込む。

  「クロくん、大丈夫?」

  「大丈夫じゃねえよ。デブ虎は重いし、汗臭いし」

  「汗はお前だって変わんねえだろ?」

  学生鞄を肩に掛けて、剛は黒柴に手を差し伸ばした。「何が悲しくて汗だく同士で組み合わなきゃいけねえんだ」とやっかむ黒柴は、それでも、剛の手を掴んでいた。

  蝉時雨。

  陽光に掌を限界まで広げる木々の葉擦れがざわざわと胸騒ぎのように響いている。かもめの声が波音の隙間に聞こえた。

  夏。

  『鳴き子』は『鳴親』に抱かれる。

  空は、厭になる程晴れ晴れと澄み渡っている。

  ●

  「ただいま」

  剛は家の扉を開けると、夕暮れの仄暗さに包まれた玄関の灯りをつけながら小さく呟いた。引き戸を後ろ手に閉めた。

  脱いだ靴を足先で弄くるようにして揃えた後、玄関から続く廊下のすぐ横の台所に入った。ビーズカーテンを潜って台所のテーブルを回り込んで、冷蔵庫を開ける。

  足先に流れていく冷気が心地良い。

  薄暗い部屋の中、冷蔵庫から溢れるライトを少し眩しく感じながら、麦茶のポットを手に取った。

  洗い籠に置かれていた花柄のコップにそれを注いで冷蔵庫を閉めた後、一気に飲み干す。

  喉を通っていく冷たい麦茶が、籠もる熱を溜め込んでいる体を冷やしていく。

  「……今日、飯作っていってくれたのか」

  生姜焼きらしき肉と、わかめのサラダ。剛は、冷蔵庫を開けた時目に入った料理にそう呟いた。

  母が作っていってくれたのだろう。今日は遅いシフトだったか。

  この半島ではなく町のスーパーで働いている剛の母親は、大抵朝からのシフトに入っている。だが、時折少し遅めの出勤のときがある。そういう時だけ連絡船の最終便にも間に合わないので車で出勤していく、あのどうにか車一台すれ違う事が出来るか出来ないかの峠道を越えていくのだ。

  剛も何回か最終便を逃して歩いて帰ってきたこともあるが、急勾配が続く上に曲がりくねっているので運転経験がなくても楽な道なはずがない事くらいは理解できた。

  「いいのに、別に」

  いつもは剛が適当に夕飯を作って一人で食べているのだが、今日は朝に作ってくれたらしい。母の愛というものなのだろうか。せっかく遅い出勤なんだったら、少し休めばいいのに。そんな事を思いながらも、剛は空いた腹の催促に冷蔵庫を開けて、夕飯を取り出した。

  ラップが掛かった皿をレンジに入れてダイヤルを回す。

  ブブ、と低い振動音が響く。

  部屋の中が少しずつ暗くなっていくのが分かる。剛はレンジの前に立ったまま、先にわかめのサラダに箸を付けながらターンテーブルに載せられて回る生姜焼きを見つめていた。

  「鳴親か……」

  口に出して、失敗したと悟る。途端に、小気味良かったわかめの食感が億劫に変わった。

  自分でも意外な事に、抵抗感はさほどなかった。

  ただ、とっとと終わらせておきたいと思いながらも、手を付けられないでいた。面倒だと、そう思ってついつい先延ばしにして、すっかり夏が訪れてしまった。

  相談するような相手もいない。

  若干のだるさを感じながらわかめを噛み締める。チン、とレンジから電子音が響いて庫内の灯りが消えた。

  剛は心に残る課題を残したまま、レンジの扉を開いた。

  先に食事を済ませてしまおう、と。

  ●

  剛の朝は早い。

  この尾荷島という半島の中に学校は、小中合同の分校があるだけで高校はない。高校からは港から出る定期船に乗って町の高校に通うことになる。

  柔道部の朝練もある剛は、基本的に始発の定期船に乗る。ダイヤとしては始発と次発は朝、それから昼に二回と夕方、夜に一回、計六回の運行だ。朝の二本を逃せば、あとは山道を歩いて通学するしかない。

  夏ともなれば地獄だ。

  「行ってらっしゃい」

  「ん、行ってきます」

  ビーズカーテンから顔を覗かせる母の見送りを背に、剛はまだ夜の涼しさが残る外気に身を晒した。潮風が体を撫でて、髭が僅かにしんなりと垂れ下がる。じわりと被毛の下で汗が滲み始める感覚に、今日も暑くなりそうだと予感する。

  早起きには慣れたものだ。

  あくびをしながら港へと向かい、定期便の船長に挨拶しながら蒸す客室に入る。クーラーなんてものはないが大型の扇風機があり、そこそこに涼は取れる。

  自動販売機に小銭を突っ込んで落ちてきたペットボトルの蓋を捻る。観光客向けの船なら高く設定するのだろうが、空調が無いからという理由もあってか、この船内の自動販売機の値段はむしろかなり低い。 ペットボトルがワンコインだ。利用する殆どが剛のような学生だからという面も大きいのだろう。

  「頑張れなぁ」

  「はいよー」

  と顔馴染みになっている船長に挨拶を返して駅に向かう。電車に乗れば、暫くはまだ乗客も少ない涼しい車内で落ち着ける。思わず寝入ってしまいそうな快適さの中でどうにか学校の最寄りに降り立つと、そこからは歩きだ。流石に夜の涼しさも影を潜め、夏の容赦ない熱射が降り注いでくる。

  蝉が爆ぜるように、声を張り上げている。

  学校に着く。グラウンド側の校門から入り、野球部がウォーミングアップを始めているのを目の端で眺めながら、剛は校舎ではなく、少し離れた体育館へと向かった。

  ボールが跳ねる音。制汗剤とゴムとワックスの香り。

  フロアを利用しているのはバスケ部だろう。バッシュの甲高い摩擦音が絶え間なく響いている。フロアヘの引き戸をスルーして併設通路に入り、剛は柔道場へと向かった。

  柔道部の朝練は自由参加だ。終了時間は決まっているが、参加時間は問わない――ここらは、剛のように家が離れている生徒に考慮してなのだろう。

  更衣室で着替え、柔道場に入る。

  ビニール製の畳を素足で踏めば、畳の畝が肉球に吸い付いてくる。真面目に基礎練をする奴もいれば、時々駄弁りに来るだけの奴もいる。当然そこにいるのは、生徒ばかり。だが、その中に一人だけ、パイプ椅子に座る大人がいた。

  「ダイちゃん、おはよう」

  「おお、おはよう、剛。……あと俺を呼ぶ時は『伏寅さん』だ」

  持ち込んだ新聞を読んでいる虎獣人。首から提げている柔道着に似合わない外部関係者証には、伏寅・醍吾と記されている。

  四十代程の見た目をした彼はこの高校の柔道部の外部顧問で、そして、昔通っていた柔道教室の指導者でもあった。つまりは剛の昔馴染みとも言っていいだろう。

  剛はその時代のあだ名で呼んで、訂正されるのがいつもの流れだった。

  「遠いんだから、お前もたまには休んでもいいんだぞ」

  「別にいいだろ。てか、そうだ。今日、放課後部活休むから」

  「……バイトは原則禁止だぞ」

  剛は、じとりとした視線を向ける外部顧問に『お手伝い』と一文字ずつ発音して肩を竦める。そんな誤魔化しに外部顧問は嘆息した。

  何か問題でも起こさない限りは目を瞑ってくれるだろう。

  「……」

  「ん、どうかしたか?」

  「いや、なんでも」と剛は首を振った後、訝しげに見てくる虎の視線に誂うように返した。「……ダイちゃん太った?」

  効果は覿面だった。

  「よぉし、俺が組手の相手してやろう」

  「ちょ、っ、冗談冗談だってば、冗談!」

  新聞をパイプ椅子に置いた彼は、青筋を立てながら剛ににじり寄ってくる。熟練の柔道家にあっという間に足を取られた剛は腕を固められ床をバンバンと叩きながらも、どこか嬉しげに悲鳴を上げていた。

  ●

  朝練を終えた後は退屈な授業を受けて、昼飯を食べた後に、また授業を受ける。

  「そんじゃ、また明日な」

  「おっちゃんに迷惑かけんなよー」

  「俺がかけられる方だっての」

  いつもであれば、そこから定期船に間に合うように部活に参加するのだが、今日は駄菓子屋の手伝いの為にそのまま帰路につく。部活に入っていない黒柴と竜堂と合流して、とりとめもない話をしながら駄菓子屋で別れた。

  駄菓子屋は客が殆どいないらしく閑散としている。店番すら立っていない。剛が子供の時からこうなのだから今更驚くこともない。店から続く奥の扉を開ける、そこからは普通に熊谷の居住区だ。

  「おっちゃーん」

  当然土足で上がるわけにもいかず、膝を上げるようにして体を廊下へのり出して声を張り上げた。

  だが、返事は何も返ってこない。

  時代に即していない駄菓子屋を営む熊谷は、この半島の通販やらの代行業務やその他の副業で生計を立てていると言っていい。だからといって本業であるはずの店を放っといていいのかとも思うかも知れないが、剛にとってこの店はこういうものだから仕方がない。

  それに、こういう場合の対処にも慣れている。

  「たく、もう……」

  学生鞄をレジスターが放置してあるカウンターに投げ置くと、靴を脱いで上がり込んだ。どうせ居間でパソコン作業でもしているんだろう。

  「おっちゃん、配達――」

  剛は、居間の障子戸を開けて息を呑んだ。

  熊谷は予想通り居間にいた。別に倒れていた訳でもない、むしろ、元気そうだった――有り余るほど元気なのだろう。

  座卓に置いたゴツいゲーミングノートPC、その画面を食い入るように見つめている。

  熊の耳に差し込んだイヤホンからは、よほど大音量で流しているのだろう、甲高い女性の声と濡れた肉を叩くような音が漏れ出ている。

  画面の中では一糸纏わぬ犬獣人の女性が豊かな胸を揉みしだかれながら、太い雄の剛直を陰部に挿入されている姿が大写しにされていた。カメラは、雌に腰を振っている雄が持っているのだろう。剛直を突き入れる度に画面が上下に揺れて妙な臨場感があった。

  修正もかかっていないアダルトビデオ。

  編集前の元データを前に、熊谷は下半身に何も纏わないまま元気に熱り立つ雄茎を握りしめている。

  「……っ」

  理解した瞬間、ずん、と腰が震えるような感覚がした。

  忌避と興味が混ざって、目を背けたくとも背けられない。背骨の中に溶けた飴を流し込まれたような、そんなぞわぞわした感覚が剛の若い男子としての意識を逆撫でしていった。

  びくびくと脈打つそれはもう限界が近いのだろう。その絶頂を惜しんでか、熊谷の手はもどかしそうに屹立を撫でている。くちりと、こちらに気づいていない熊谷の手が先走りに音を立てる。

  「はい、終わり」

  その音に、剛ははっと我に返って、熊谷が食い入るように見つめているノートPCの画面を目の前で畳んだ。

  流石にそうなれば、その視線は剛へと向けられる。

  「何してんだよ、おっちゃん」

  「あれ、剛。学校はどうしたんだ?」

  「終わって帰ってきたんだよ。何時だと思ってんだよ」

  熊谷は不思議そうにパチクリと数回瞬きを繰り返した後、剛の言葉に壁に掛けてある時計を見て「もうこんな時間だったの!?」と驚きの声を上げる。

  「配達行くんだろ? ってか隠せよ、まずさあ」

  剛は、自らの恥部を隠しもしない熊谷に呆れた視線を向けた。当の本人はどこ吹く風といった様子で、太腿の後ろを指で掻きながらそのまま立ち上がる。

  興奮冷めやらぬ様子の屹立を見せつけるように剛と向かい合うと、すくい上げるように再びそれに手を添えた。

  「剛には今更だろ? オナニーだってボクが教えてあげたんだし」

  「いいから。店番しとくから、とっととズボン履いて配達行ってこいよ」

  「んー。そっか、残念」

  何が残念なのか。それは深く聞かずに剛は熊谷に背を向けながら、下着を巻き込んで裏返っているズボンを指し示す。

  「はいはい。まあ、剛は昔から懐いてくれてたけど、変な所で素直じゃないからさ」

  とようやく照れくさそうに笑いながら熊谷はスボンを手に取る。

  働いてくれる気になったらしい、と一息ついた剛は駄菓子屋へと出ていった。

  暑い。

  さっきまでは慣れて何も感じなかった蒸し暑さが、妙に肌にこびりついてくる。カウンターに座り、スラックスの中で主張してくる葛藤を押し殺しながら、店番がてら終わらせる予定の課題を取り出した。

  筆箱からシャープペンを取り出して、芯先を覗かせる。

  暑い。

  脳が茹だるようだ。扇風機のスイッチを入れて、ノートが捲られないよう抑えながら風を浴びる。

  「分かってるよ」

  剛は、シャープペンを持ったまま頭を抱えるようにして呟いた。

  『鳴親』を決める――親を決めろというのだ。

  望んで、親を決めろというのだ。

  「……」

  頭に浮かぶ顔は一つだけあった。

  ●

  「ダイちゃん、鳴り子って知ってる?」

  「祭りで使うやつだろ?」

  部活の終わりに、相談したいことがあると剛が声をかけたのは、外部顧問の醍吾だった。

  他に誰も残っていない柔道場で、そう話を切り出した剛に、急に何を、と不思議そうに数秒考えた伏虎は「いや」と何か思い至ったように表情を変え、それから十秒程食い入るように剛の目を覗き込んできた。

  剛のいう『鳴り子』の意味と、その問い掛けの意図。それを正しく彼は理解したらしい。あだ名を止めろといういつもの注意も忘れて、ゆっくりと言葉を吟味した後に醍吾は口を開く。

  「……本気で言ってるのか?」

  その戸惑う声色に、剛は誂うような笑いを返していた。

  「えー? ダイちゃん知ってたんだ、意外。やったことあんの?」

  「いや……まあ、そっちに住んでた友人伝てで概要だけはな」

  「ふうん、そっか」

  腕を組んだそう答えた醍吾に、剛はその視線から逃れるように床を見た。畳の目を足先でほじくるように弄る爪先を眺めている。

  他に誰もいない柔道場、そこで向かい合ったまま数分が過ぎていく。

  醍吾の吐息が、次第に膨らんでいくような錯覚。それに自分の息遣いがやかましく響いていないだろうかと、細くゆっくりと息をする。

  少し息苦しい。

  何か、冗談めいた話でもできればいいのに、何も頭に思い浮かんでは来ない。いや、思い浮かんでは来るのだが、その尽くが口から出すより前に剛の無意識が却下して形を成さずに消えていく。

  何分、そうしていただろうか。何十分――は経っていないはずだったが。

  「……暗くなってきたな」

  そんな声に柔道場の天井付近の覗き窓を見れば、空はすっかり夜の色に染まっていた。日の長い夏とはいえ、暮れ始めれば早い。

  「剛」

  名前を呼ばれて、びくりと肩を跳ねさせた。同じように窓を見上げていた醍吾は、いつの間にか剛を当惑のない目で見つめていた。

  ゆっくりと口を開く。マズルの中の舌と牙が蠢くのがスローモーションのように見えた。

  「船もう無いだろ、送ってく」

  そうして告げられたのは、そんな言葉だった。それは、剛が待っていた言葉でもなく、恐れていた言葉でもない。どちらでもない返答に、ほんの僅かな苛立ちを覚えながらも、剛はそれを呑み込んで頷いた。

  「え、……ん。うん……分かった。……山越えだぜ?」

  「知ってるよ」

  「そか」

  そら、着替えてこい。と顎をしゃくるように更衣室に促された剛は釈然としないまま更衣室に入り制服に着替える。柔道着を丸めてバッグに詰め込むと、湿った下着に帰ったらすぐシャワーでも浴びるかと考えながらワイシャツを羽織り、そしてそこで動きをとめた。

  ロッカーに額を押し付け、深くため息を吐く。

  「なんとか言えよな」

  煮えきらない。そんな態度に悪態を吐いた。一言誰にも聞かれない愚痴を呟いてから、剛は更衣室を出た。

  外に出ると、既に帰り支度を済ませた醍吾が駐車場から車を校門まで移動させていた。後部座席に荷物を置いて助手席に座る。懐かしい心地だ。

  「ダイちゃんの車、久々ー」

  「ガキの時は、ちょいちょい乗せてたからな」

  車が発進する。その振動に声を震わせながら、剛は数年前の記憶と変わらない車内に呟いた。小学生までが対象の柔道教室、そこの生徒だった時は、その指導員だった醍吾に時折港まで送っていってもらっていた。

  歩いていけない程の距離だったわけではないが、そうして乗せてもらえるのが妙に楽しかったのを覚えている。

  「で、なんで俺なんだ?」

  「……は?」

  唐突にそんな事を聞いてきたのは、剛が醍吾の車に乗って暫くしてからだった。

  「鳴り子の話したのだよ、なんで俺なんだ」

  「いや……、特に理由は、ねえけど」

  急に現実に引き戻されて、しどろもどろになる。

  特になにか考えがあったのかと言われれば、無い。ただ、頭に浮かんでいたのが醍吾だったというだけだ。

  「……まあ、昔から知ってるし」

  「そうか」

  醍吾はそう言うとまたそれ以上何も聞いてはこなくなった。

  曲がりくねった坂道を行き、灯りも疎らな峠を越えて家々の灯りがすぐそこに迫るまで、剛と醍吾は何も言葉を交わさないまま。それからも、剛の家を案内するだけの短い会話だけを端的に行うだけ。

  そんなドライブを少しだけして。

  醍吾の車は剛の家の前に着く。母はもう帰ってきているようで、家には灯りが点っていた。

  「……ありがと、ダイちゃん」

  「ああ」

  荷物を持った剛が運転席に座ったままの醍吾に躊躇いながら礼を言った。

  それを言ってしまえば、懐かしいこのドライブも終わってしまうのだろう。そう思うと、ただ、この時が終わってしまう事が無性に寂しく覚えてしまう。

  「剛」

  手を振って背を向けようとした剛を、醍吾の声が引き止めた。

  何か忘れ物でも――と訊こうとした剛に先んじるようにして、醍吾の声が追いかけてくる。

  「鳴り子ってのは、手続きやらあるんだろ」

  「え?」

  運転席の窓から他でもない剛に向けられた言葉は、過程を飛躍させた段階にこそ適した言葉だった。

  だから。

  その言葉の意味を理解するのに、たっぷりと三十秒は要した。

  それから、それを聞き違いじゃないかと疑うのに三十秒。その間、夜闇の中に浮かび上がるような、車内灯に照らされた虎の顔が剛をまっすぐに見つめていた。

  冗談、ではないのだと、理解した。

  「俺は神社に行けばいいのか?」

  嬉しさで胸が張り裂けそうだった。その喜びを知られるのが恥ずかしい気がして、剛はそれをどうにか抑えながら、ゆっくりと首を傾げる。

  醍吾の問い。

  それは鳴親を決めた後、鳴り子がどうすればいいのか、ということだ。

  「……さあ」

  「はあ?」

  思えば、どうすればいいのか聞いてない。そのことに気づいて正直に答えれば、醍吾の間の抜けた叫びが虫と波の音を押しのけ、夜に響いていった。

  ●

  空には雲一つない。

  容赦ない陽光も、ここまでくればもはや嫌気差す隙間すらない。それから数日、もはや清々しい程にカンカン照りの夏日が続いていった。

  「ほれ見ろ、やっぱり説明されてたんじゃねえか」

  「悪かったって! 仕方ねえだろ、んな儀式聞かされて。普通そっちに記憶全部持ってかれるだろ!」

  その次の日曜。醍吾は何も説明がなかったように思う、と主張していた剛と共に尾荷島の神社に訪れていた。神事なのだから神主に確認すればいいだろう、と取り次いでもらったのだが、そこで神主の鷹代が言うには、一度全て説明しているという当然の事実だった。

  神主は特に驚きもせず「まあ、そんなものですよ」と醍吾にも説明をしてくれたのだが。

  「ダイちゃんと神主さん、俺が待たされてる間何してたんだ?」

  説明の後、醍吾は一人社務所の奥に通されて、剛は待合でスマホを弄って待っていた。だが、その数十分後に戻ってきた醍吾が少しつかれた表情をしていたのが気になっていた。

  「……身体測定」

  醍吾は聞こえなかったように憮然と運転席に乗り込んでシートベルトを締めてから、ポツリと返答した。

  「身体測定……?」

  「はあ、できれば心の準備くらいさせてほしかったもんだけどな」

  「なんだよ、なあ。ダイちゃん教えてくれよ。気になる、何してたんだよ?」

  ぼやく醍吾の車に乗り込みながら尚も訊ねても返答は帰ってこず、「シートベルトつけろ」とあしらわれるだけだった。

  だが、その答えは数日後、剛に差し出されることになる。

  「なあなあ、ダイちゃん」

  醍吾の家に上がり込んでいる剛は、ソファに寝転がりながら腹の上でソレを転がしていた。

  球体が二つ並んでいる境目から仰け反るような棒状の突起が突き出している造形物。剛もよく知るものだ――とはいえ、よく知るそれとは形やら大きさは全く異なっている。

  有り体に言えばペニスを象った大人の玩具が、剛の腹の上にそびえ立っていた。

  「これってどれくらいリアル?」

  「……お前な」

  「結構、ダイちゃんってご立派じゃん。これあの時計ってもらったって事は神主さんの前で勃起させたって……あでっ!?」

  樹脂製のディルドを腹に自立させようと弄くり回していると、額を思いっきり叩かれてしまった。ついでにディルドも奪われて、醍吾の手の中に収まっている。

  やはり自分のそれに近いからか握り慣れてるのか、と誂おうと考えたが、次の一発は拳で飛んできそうな雰囲気がしたので、ぐっと堪えた。

  「お前分かってるか? これがお前のケツに入らねえといけねんだからな」

  「分かってるって、でも実際見るとなんか変にテンション上がっちゃってさぁ」

  剛はそう言いながらも、しかし、握った感覚に少し安堵を覚えていた。快便の時はそれより太いブツを出している場所なわけだから、アレくらいは全然イケるだろう、と。

  「待って、ダイちゃ……っ、指まだ……ん、ぐ……ぅッ」

  シャワールームとトイレを往復して腸内を洗浄した後、剛は少し前の自分の判断を恨んでいた。

  柔らかな大便とは違って、硬い雄の指はまるで別物だった。節くれだった関節が窄みを押し広げる度、腹の底がぽっかり穴が空いたような不安感と異物が逆流してくる不快感に息が詰まる。

  そこが本来モノが出ていく事だけを想定して作られているのだと、改めて考えさせられてしまう。

  「おい、まだ二本目だぞ」

  「うる、せぇ……ん、……っ。ダイちゃんだって、挿れられた事、ねえだろ……!」

  「ねえけどよ……」

  シャワールームの壁に手をついて、片尻を割り広げる剛。その本来の役割以上を知らない初な窄まりに醍吾のローションに塗れた指が沈み込んでいる。その全てが挿入されているわけでもなく、第二関節がその体内の境目に差し掛かっているところだ。

  それだけですら、剛は痛みを訴え、ぎゅうぎゅうと指を噛みちぎらんばかりに締め付けてくる。

  「先は長そうだな……間に合うのか?」

  呆れるような声を出す醍吾に反論する余裕すらなく、剛は苦痛に呻きあげるのだった。

  ●

  そんな不安しか感じない始まりからスタートした『奉納準備』ではあるが、力を抜いて醍吾の指を迎え入れるという事を覚えてからは、剛は徐々に痛み以上に快感を汲み取り始めるようになっていった。

  指だけであれば数分も待たず二本までは飲み込める程簡単に解れるようになり、ディルドでゆっくりと尻肉を拡げられながら、まだ幼さを残すように半ばまで皮に包まれている若茎を膨らませていくようになっていた。

  「ぁ……ん、っ……ぁあ……ッ」

  漏れる声も、始めのただ苦しそうな声とは全く違う。甘く快楽に熟れた声だ。

  「……っ」

  狭い浴室の中で、己の手で淫悦に身を捩る声が反響する。相手が雄だとしても、まだ盛りが衰えきってはいない醍吾を刺激するには十分過ぎる淫猥だ。

  平日も都合が合えば部活の後に、醍吾の家で剛の腸口を雄膣へと仕上げていく作業を繰り返す。

  「ダイちゃ……っ、ん、……ッ、ケツ、欲しい……っ」

  「……分かった」

  指三本を飲み込みながら痛み一つ示さず、挙げ句、もっと大きいものをと望む姿。それに欲情するなと言えるだろうか。

  ましてや、そうしなければ行けない理由すらあるこの状況で、醍吾は己の淫欲が膨れ上がっていくのを確かに感じていた。己のサイズと合わせて購入されたディルド。

  それを幼い頃から知っている教え子の尻がゆっくりと呑み込んでいく。

  複雑な思いだ。

  「ダイ、ちゃん……っ、……気持ち、いい……っ」

  剛が嬉しそうに名前を呼ぶ度、醍吾の胸中には感情が渦巻いていく。

  ローションがぐちゅりと音を立てながら床に滴る。ディルドを呑み込んでいる菊門から雫が溢れているのだ。その中に本物を突きこんでしまったなら、どれ程気持ちがいいだろう。

  思わずにはいられない。

  始めこそ、醍吾は服を着ていた。だが、濡れるからと服を脱ぎ、下着も脱ぐようになり。

  出来心から剛の若茎を扱き上げて、ディルドに犯されたまま絶頂することを覚えさせてから、剛はついに醍吾の持つ本物のそれへの興味を隠さなくなった。

  「はむ、……っ、んん、くぁ……」

  「……っ、剛……ッ、そこ、いいぞ……っ」

  剛の痴態に煽り立てられた剛直を咥えさせる。マズルの中、熱い粘膜に滲み出す先走りを染み込ませるように剛は醍吾の逸物にしゃぶりついていた。

  床に固定したディルドに膝を曲げて跨った剛のマズルへと醍吾は腰をゆっくりとグラインドさせていく。

  舌の動きに合わせて動かせば、剛は時折えづきながらも醍吾の反応を伺うように見上げてくる。その頭を撫でられれば、剛は満足したように目を細めて雄茎に奉仕する。

  ぶるり、と。

  醍吾の腰が震える。

  「……剛……っ、もう、……、おい、剛……ぉ、んっ」

  絶頂の前兆。こみ上げてくる射精感。高ぶる欲求に剛の名を呼ぶ。いつもなら、そこで口を離して醍吾が自分で扱き上げて精を放つのだが、今日は違った。

  「んん……っ」

  「離せ、剛……だめだ……お、おォッ!!」

  その迸りを生で感じたいと、剛が屹立を咥えたままに絶頂を待っていたのだ。雄の本能というのは止めようがない、一度火のついた導火線が簡単には消えないように、絶頂へと弾ける火花は止められないのだ。

  剛の舌先が早く欲しいとばかりに鈴口を舐める。その瞬間、醍吾の昂ぶりは弾けた。間一髪、マズルから引き抜いた赤らむ雄竿の先から白濁が迸り、剛の鼻先から額までを白く汚していった。

  「ダイちゃん、めっちゃ出たな」

  びくびくと数度脈打つ度に溢れる白濁の熱に剛は無邪気に笑う。彼の雄欲も同時に果てていたようで、広げた脚の間でまだ萎えていない若茎の先から、白い雫がぽたぽたと床に斑点を描いている。

  「……っ、はあ……はあ」

  「へへ、なあ。気持ちよくできたか?」

  「ん、ぁあ……そうだな」

  ぎりぎりまで堪えていたせいか、体力を使い果たしたように膝をついた醍吾の胸に、剛は嬉しそうに顔を埋めてくる。

  それを受け止めながら醍吾は、そんな剛を心配そうにみつめていた。

  そして、責めるような目を鏡の中の自分へと向ける。

  『鳴り子の儀』は問題ないだろう。

  だが、醍吾にとっての気がかりは、どうしようもなく胸の中に埋まったままだった。

  そして数日後。鳴り子の儀当日まで、一週間もなくなった頃。

  「剛、ちょっといいか?」

  部活が終わった後、いつものように同部の友人達と更衣室に向かおうとした剛を呼び止めた。

  いつもなら、部活の後適当な場所で待ち合わせして醍吾の家に向かう。だからどうしたのだろうかと不思議そうな顔をする剛に、暫く待っているように伝える。

  そして、他の部員が全員帰ったことを確認した醍吾は、腹を括るように深く息を吐いて、ゆっくりと噛み締めるように呟いた。

  ●

  「お前は、俺を父親代わりに見てるのかもしれねえが」

  やっぱり言っておいた方が良いと思ってな。と前置きして投げかけられた言葉は、剛の意識を一瞬にして真っ赤に染めていた。

  「俺はお前の親にはなれない」

  ●

  袋麺を開ける。

  台所に立って、水を注いだ小鍋を火にかけながらノンフライ麺を取り出す。

  鍋にそれを放りこんで袋の中に残った麺の欠片をそのままにゴミ箱に押し込むと、剛は移動させてきた椅子に腰を落ち着けた。

  『親にはなれない』

  醍吾の放った台詞が頭から離れない。

  そんな事は分かりきっている。分かりきっていた。

  鳴親、なんてものは、本当の親じゃない。神事だからってセックスするだけの間柄だ。

  分かっていたはずだった。

  だけど、醍吾にはっきりとそう言われて、剛は分からなくなった。

  父親が出来たみたいだった。

  物心ついた時から、醍吾には父親はいない。どうしたのか、聞いたことは一回だけある。その時の母の困ったような悲しいような表情を見て、子どもながらに聞いてはいけないのだと悟った。

  ただ、自分には父親はいないのだと、理解した。

  『親にはなれない』

  その言葉を聞いた瞬間に、止められなくなった。

  ガスの火で小鍋の中で沸騰する泡が膨れ上がっていく。止めなければいけない、そう思っても体は動かなかった。止め方も分かっている、難しい事でもない。

  ただ、起きる事を、起こそうとしている事を止めたいと思えなかった。

  剛が見てる前で、瞬く間に湯が溢れてコンロへと流れ落ちていく。吹きこぼれをセンサーが感知して、ピーッ、と甲高い警告音が響く。そうしてようやく剛はコンロのダイヤルを回した。

  ガスの火は、とっくの間に消えていた。

  ●

  それから、数日、剛は部活をサボった。

  調子が悪い、と顧問教師に告げてはいたが、連絡先を交換している醍吾からは何も連絡はなかった。音沙汰のなかったSNSアプリに動きがあったのは、鳴き子の儀の前日になってからだった。

  夕食を終えて、自室に返っても眠気が来ない。ただぼうっとベッドに横たわっていた時。

  もう行きたくもない。そう思っていた所に鳴った通知音。それに剛は寝転んでいたベッドから跳ね起きるようにして机の上のスマホを覗き込んだ。

  明日の予定についての簡単な再確認。

  ビジネス的な箇条書きのメッセージに、それでも、分かったと返事を送る。

  「なんだよ、もう」

  そんな自分に呆れながら、剛はそのまま寝入ることにした。

  ●

  「鳴親――伏寅・醍吾」

  神社の堂内。その一室。白装束に白面で姿を隠した白奉衆の視線を浴びながら、醍吾はゆっくりと頭を下げた。

  虎獣人特有の縞模様の肉体。腹側は白く、背中に向けて黒い縞を伸ばす濃い黄色の被毛に、鍛えられた肉体の凹凸が豊かに浮かんでいる。

  褌一つで恥じらいもなくまっすぐに前を向く視線は、さながら武士をも思わせる剛健さがある。

  「鳴り子――浅虎・剛」

  その傍ら、同じ虎獣人である剛は、醍吾には見劣りするものの成人と比較しても十分な程に成長をしている。些か醍吾よりも脂肪分が多いように見えるだろうが、それも若さゆえか。

  若々しい淡い黄色を身に纏う彼は、しかし醍吾とは違い、どこか不貞腐れたように醍吾には視線を向けようとしない。

  視線を感じるのは自分の態度のせいだろうとは気づきつつも、しかしそれを改める事もできないようだった。薬水を飲み干した鳴き子が、鳴親に鈴を結び付けられる段になっても、その態度は変わらない。

  薬水の効果もあり、この時点で褌の中で熱欲を漲らせている事が殆どなのだが、しかし、剛の褌はさほど変化を見せてはいなかった。

  まるで心此処にあらずといった風に、立ち上がった剛の前袋に、醍吾の指が触れても殆ど反応はなかった。ただ、億劫だと主張している目が、褌の前に跪いている虎獣人を見下ろしていた。

  「……剛」

  醍吾は、褌に浮かぶ成長途上の膨らみを撫でながら鳴き子の名を呼ぶ。

  「前にも言ったが、俺はお前の父親にはなれない」

  「……なんなんだよ、今更――」

  「いいから聞け」

  「は? ……ん、ぅ……っ」

  ぐり、と剛の中身の詰まった睾丸を持ち上げている醍吾が、その奥に指を這わせた。褌の締め込みを少しずらして直に、この数週間で雄を迎え入れる準備の整った蜜口を撫でる。

  それだけで、萎えていた若い肉茎がぴくりと鎌首をもたげ始めていく。褌の中で徐々に膨らんでいくのが目に見えて分かる。薬水の効果か、それとも、鳴き子の体に刻まれた快感の記憶がそうさせるのか。

  「俺はお前の家族にはなれないし、ましてや恋人にもなれない」

  醍吾は剛の菊座を愛でながら、その膨らみに舌を伸ばした。

  褌の白い布が唾液に濡れて、膨らんでいく茎の形を更にはっきりと浮かび上がらせていく。まだ皮に包まれている屹立、その太さも長さも詳らかにされながら、窮屈そうに虎の舌の上で堪えきれなかったようにビクリと脈打った。

  「……指導者と生徒なんて関係はもう一年程度で終わる。友人かと言われりゃ、それもしっくり来ねえ」

  「ん、ぁ……だから、何が言いたいん、っ、だって……」

  まるで吊るされた生肉を噛む野生動物のように熱茎を弄ばれながら、徐々に熱を帯び始めていく声で剛が膨らみに顔を薄める醍吾を睨み下ろした。

  「一番しっくりくる言い方は、結局『赤の他人』だ」

  唾液に濡れそぼる褌から舌を離した醍吾が立ち上がり向かい合う。剛は、醍吾を見上げた。

  昔から、剛は醍吾を見上げていた。彼が父だったのなら。と。

  でもそれは叶わないらしい。

  「ただ偶然、高校でもお前を教えることになった。縁があるとは思う、でも、なんだ、お前の鳴親になって良いって思ったのはそれだけじゃない」

  顎を指で掻きながら、数秒逡巡した後醍吾は言いづらそうに口を開いた。

  「お前と一緒だ――バツイチなんだ。子どももいない、作れないんだよ」

  だからだろうな。と醍吾は剛を胸に招き入れる。強く、抱きしめた。我が子を抱くようにでもなく、恋人を抱くようにでもなく。ただ、恩愛を持って。

  「俺はお前を支えたい」

  「……」

  「いいか?」

  胸に蹲る虎がこくりと頷く。それと同時に、彼が硬く締まっていた褌が解かれて、床に落とされた。

  ●

  結局、白奉衆には二人の間で何があったのかは分からないだろう。だが、抱擁を解いた後の和やかな雰囲気に儀式の進行に影響はないらしいと安堵した吐息が聞こえてきた。

  二人の虎獣人は、褌をも脱ぎ去り一糸纏わぬ姿を鏡に示していた。

  「……勃起押し付けながら言う事じゃねえだろ、もっとタイミングとかさ」

  「仕方ないだろ、お前キレてたし。俺も言いたいことまとまってなかったしよ」

  口喧嘩は止まず、それでも仲睦まじさを感じさせる。

  鈴のついた組紐を屹立の根本へと括る間も、剛は醍吾に身を任せていたのだから。鳴き子が許しなく絶頂へと至るのを防ぐ紐は睾丸と竿の根本を見た目よりも強く引き締める。その間も醍吾が盛りの只中で、解放されたいと脈を打つ肉竿を手綱のように握りしめていた。

  「この話は一旦終わりな。そろそろ、いいだろ?」

  「はぁ、勝手だよな。そういう、とこ……っ、ぁ……」

  話を切り上げた醍吾の手が、剛の手首を掴んで自らの熱へと誘う。硬く張り詰めた大人の剛直、その熱さを手に感じた瞬間、剛の体には電流が走った。

  それを思い、尻を拓き、自らの肉欲を慰めてきたのだ。

  「どうした、挿れられるの想像してイきそうにでもなったか?」

  「……ちげえ、なんだよそのセリフ、エロ親父かよ」

  違わなかった。実際、その瞬間感じたのは紛れもなく快感で、組紐を施されていなければ精を発してしまっていたかもしれない。これが薬水の影響なのか。それとも、醍吾との事前準備によって体がその熱を覚えてしまっていたのか。

  それは、どうでもいい。

  ただ、今は、別のことで頭がいっぱいになっていた。

  「コレ、……欲しい」

  「ああ」

  硬く熱り立った猛雄が快楽を得るための器官と化した腸壁を擦り上げる、その快感を知りたい。他の誰かであったなら嫌悪感を感じるだろうその行為も、醍吾が相手であるなら得られるのは快楽だという確信。

  その熱に醍醐も中てられているのか。薬水を飲んでいない彼の剛直も僅かばかりも萎える事なく、硬くそびえていた。使い込まれた色の雁首は高くはない。ただ、茎の中程に行けば行くほど膨らんでいるその圧力はまさしく槍の穂先を思わせる逸物だった。

  「ん、ぁ……っはぁ……」

  儀台の上で仰向けに寝転がった醍吾の屹立の上に、剛が跨っていた。

  「ゆっくりでいいからな」

  「……、ん、分か、てら……っ」

  ぐきゅりと剛の喉が音を立てる。

  初めて雄に貫かれるという快楽への期待と、僅かな恐怖。硬く反り立つ竿を後ろ手に握った剛は、その亀頭に菊座を合わせるとそのまま腰を下ろしていく。太く硬い亀頭の感触に、肉門が押し広げられる感触に思わず腰が引けてしまう。

  精油の香りが、脳の芯を痺れさせるようだった。

  「ん、ぁ……あ、挿入って……っ」

  醍吾の肉茎が剛の菊をゆっくりと押し開いていく。薬水の効果か。それとも、この数日で解されきったのか。剛の尻孔は抵抗なく醍吾を受け入れていく。

  それでもまだ半分も入ってはいない。だが、その太さが剛にはたまらなくて、思わず腰が震えてしまう。

  「……っ、ん……ッ」

  ディルドなどとは全く違う。生きた熱が自らの中に沈み込んでくる。その鮮明な感覚が襞の一つ一つから信号として放たれて、脊髄で渋滞を起こしているようだ。

  息が途切れる。

  快感が走り続けている。

  「どうした」

  「っ、なんでもねえ」

  「そうか?」

  強がりを見透かしたように笑う醍吾が、両手を剛へと伸ばす。快楽に耐えるように表情を歪ませる剛は、その手を拒むかと思った醍吾の予想に反して、素直に握り返していた。

  「……剛」

  指を交互に重ねるように、強く握り合う。

  彼らの手そのものが彼らを繋ぐ糸の結び目になるかのように硬く組み合わせ、そして名を呼んだ醍吾によって腕が引かれた。

  ぐん、と引力に誘われた剛の体が下方へと引きずり下ろされる。

  「ぴっ、ぁ、あッ……! ん、ぐあぁっ!」

  最も太い部分である半ばほどを通り過ぎた。あとは次第に細まっていく形状にそって根本までを呑み込んでいくばかりだ。

  そこにそう時間は掛からない。そのはずだった。

  だが、腕を引かれたその勢いのまま太く滾った肉茎が剛の襞を擦り上げながら最奥まで一気に貫いた。その瞬間、一際甲高い嬌声が迸り、跨る身体が強張り小さく痙攣する。

  「好きなのは奥の方だろ……ッ?」

  「ダイちゃ……ッ、ぁ……! んが、ぁあっ……ん、の……っ!」

  ビクンビクンと仰け反った剛の屹立が激しくバウンドする。先端からコポリと漏れる先走りの雫が醍吾の腹を汚した。だが、それだけでは終わらない。

  奥まで挿入された肉茎を更に奥へと潜り込ませんばかりに、醍吾の腰が跳ね上がったのだ。

  筋力によって為された無茶に、しかし、剛はむしろ挑戦的に牙を剥いた。

  「ンぉ……っ!?」

  「へ、へ……ッ! キツく握られるの、……ッ、ん、弱い、……ッん、だよなぁ!!」

  「は、ッ、この……ッ」

  剛の膝が、醍吾の鍛えられた胴体を押さえ込むように折り曲がる。自重に促された腰が更に深くへと潜り込んだ。それに呼応するかのように醍吾も腰を突き上げていた。

  まるで互いを殴り合うような粗暴さを感じさせる交接だった。透明だった精油が瞬く間に泡立っていく。堂に響く淫らな水音が、外に響いてしまうのではないかとすら思えてしまう。

  だが、乱暴なだけではない。

  「あッ! んぐ、っぉ……ッ!! おぐぅッ!?」

  ずちゅっと尻孔が擦れる度に剛の口からは淫らな声が漏れた。

  乱れた抽挿に合わせて互いの指を握る手に力が籠められる。まるでお互いの存在を確かめるように強く握り合ったまま、醍吾の腰が前後に揺れる度に剛は背を反らせた。

  「んふぁ、があ……ッ、っ」

  互いが互いを思いやり、その上で相手より優位に立ちたいとせめぎ合っている。醍吾の腰の上で剛が跳ねる度、その屹立からは糸のように粘る先走りが舞っていく。その殆どが醍吾の腹や胸に散っていくのを二人は何も気にしていない。

  気にする余裕もないのだろう。

  「……ダイ、ちゃん……っ、俺、……っもう」

  深く、深く突き立った剛直に犯される剛、それを為す醍吾もまた限界を迎え始めている。荒くなっていく呼吸。何かをこらえるように騎乗したまま前傾する剛は、絞り出すように声を絞り出していた。

  だが、醍吾は叱りつけるように彼の臀に強く杭を突き立てた。

  「は、ッ、ぁあ!!」

  「っ、なんだ、はっきり言わねえと分かんねえぞ……っ!」

  「……ぅ、ぁ……ッイキ、らい……っイぁ、せて……!」

  衝撃に体が浮くように剛は快楽に体を逃がす。目尻に涙を浮かべながら、ろれつが回りきらない口を動かしながら硬く手を握り締める。

  そうしていないと、自ら紐を解してしまいそうなのだろう。

  「ああ、良いぞ。思いっきりイくとこ神様に見てもらえ……っ」

  「……っ、ぁ……んん、ッ!」

  剛が組紐を解いた。と同時に白奉衆が盃を差し出す。

  数秒の間隙もないと見たのだろう。そして、その判断は正しいものだった。

  しなる余裕すらない程に硬く張り詰めた若茎が自由を得た瞬間に、ぎゅうと睾丸が竿に寄り添っていく。

  「そら、イけ……ッ!!」

  「ぁ……、ッ!?」

  醍吾が締め付ける雄膣を蹂躙するように、奥へと肉槍を突き立てる。

  その瞬間。剛の体に走ったのは、快感とも言えぬ絶頂だった。全身が重力から開放されたような、刹那の開放感。そして、一気に弾ける真っ白な凍えるような電雷が体の芯を貫いていた。

  衝撃が立て続けに二回、そしてその三回目で剛はようやくそれが射精している感覚なのだと、理解することが出来た。

  ぼびゅ、ぐびゅう、と盃に注がれていく白濁。

  それを眺めながら、自らの腹の中にも溢れんばかりの熱が満たされていくのを感じていた。遠く、麻痺したような感覚の中で、びくびくと震える醍吾の屹立。

  剛は、醍吾の体にもたれかかりながら、その耳元で囁いた。

  「……同時にイッた?」

  「いや、俺の方が後」

  「野暮だよなあ……そういうの」

  暫く二人の様子を見守っていた白奉衆が部屋を辞していく。残されたのは、直前まで睦み合っていた獣が二人。

  「じゃあ、次は一緒にイくか」

  臀の中でまだ物足りないと滾る剛直がビクリと震える。剛はそれを拒みはしなかった。

  ●

  「……なあ、ダイちゃん」

  部活終わり、剛は醍吾に話しかけていた。

  「何度も言ってるだろ、学校では『伏寅さん』な。どうした」

  「多分、これはダイちゃんの方が良いんじゃねえかって」

  いつも生意気な――鳴親になってから拍車がかかったように――剛にしてはしょぼくれた態度だ、と心の声が聞こえてくるような表情の醍吾は、その言葉に更に困惑を露にする。

  「『ダイちゃんに俺の鳴親になって欲しい』って、俺ちゃんと言ってなかったから」

  だから、……なんと言おうとしたのだったか。

  剛は少し考えてから、考えていた言葉を失念してしまった事に諦めて、伝えたかったことだけを伝えることにした。

  つまり。

  「まあ、なに……ありがと」

  そういうことだった。

  急に気恥ずかしくなって、それじゃ、とそれだけ言い残して去っていこうする。

  「待て待て」と捕まえて、醍吾は何故か負けたような顔をしながら頭を下げた。「俺を選んでくれて、ありがとな」

  「……」

  「なんだよ」

  「……いや……っ、はは。なにこのやり取り」

  醍吾の言葉に一瞬目を丸くした剛は、それから噴き出して笑う。このやり取りが可笑しかったのではない、嬉しかったのだ。

  「じゃ、お疲れ。『伏寅さん』」

  剛は初めて醍吾を名字で呼んで更衣室へと向かう。呼び方程度では変わらない絆があると、そう思えた。

  素直に、そう思えた。

  ヒグラシが鳴いている。

  空に散らばる雲が綺麗に燃えている。

  夜に染まる空に灯るそれは、温かな火のようだった。