鳴り子の儀 黒柴、前日譚

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  ジイジイ、と蝉の大合唱が森の奥から響き渡ってくる。薄い半袖のワイシャツ、夏制服が汗ばんだ毛肌に張り付いてくる。ただでさえ薄いシャツに自分の黒毛が浮かび上がるのには特に何も思わないけれど、毛と布が一緒に張り付いてくる窮屈さは中々に耐え難い。

  とはいえ、今、その三角耳を苛立たせているのは、そんな夏の風物詩にではなかった。

  「おっちゃーん、お金呑まれたぜー」

  眩い日射しも真っ青な程、自動販売機を睨みつける柴犬の少年、黒柴・和真は、駄菓子屋の引き戸を開けた中へ、でかい身体に似合うでかい声量で叫ぶ虎獣人の声を聞きながら、ため息を付いた。

  「こいつ、俺の時だけいっつも、いっつも……ッ」

  「クロはかわいーから、自販機にも舐められちゃって、大変だなあ?」

  グリグリと頭を撫でてくる虎の腕を振り払って、睨みあげた。中学生と言われても信じてしまうだろう体格の黒柴に反し、浅虎は私服ならば大人だと言っても通じるだろう。

  ジョギング、筋トレ、と体作りも勉学と同様に絶やさずしているのに、一向に思春期特有の超成長期が訪れない黒柴は、浅虎の子供扱いに毛を逆立てた。

  「噛むぞ、デブ虎」

  「半分筋肉ですぅー」

  半分は脂肪じゃねえか、と飛びかかる黒柴に、虎――浅虎・剛はひょいとそれを躱して、おちょくるのをやめない。摘めばマシュマロじみた柔らさの脂肪に包まれている、張りのある曲線の輪郭からはあまり想像出来ない、柔道部仕込みの俊敏さが黒柴を翻弄する。

  「……クロ坊と剛は変わんないねえ」

  そんな二人を見ながら、いそいそと駄菓子屋から出てきた熊の主人は、そこにいたもう一人の高校生に眉尻を下げた。そこにいるのは竜人――竜堂・瑞樹だった。体躯は浅虎よりも大きく、制服を押し上げる筋肉は巌の如き頑強さを見せつけている。年齢と種族柄、脂肪も殆ど付かない彼は幼さを残す二人と比べると、どちらかと言えば高校生であることを疑われるような外見をしている。

  「あ、熊谷さん、ごめんなさい……お金、渡しておきますね」

  だが性格は、この三人の中では最も温和なものであった。

  この小さな島の高校生は、三人で全て。あとの子供と言えば、中学生が二人と小学生が黒柴の弟を含めた五人だけ。見事に過疎化、少子化が進む田舎町だ。高校へも本島へ船と電車を乗り継いでいく。

  夏は毎日汗だくになるのも仕方ないと諦めている。

  「いいよいいよ、君らくらいの年頃は元気が一番」

  甚平姿でからからと笑う熊谷はそう呟いてから「そう言えば」と何か思い出したように、首を傾げて竜堂を見上げた。

  「そろそろ、『鳴親』を決めなきゃいけないんだろ? 大丈夫かい?」

  「あ、はい……、僕は、その、もう」

  うろうろと視線を彷徨わせる竜堂に、熊谷はそうかそうかと満足げに頷く。

  「直前まで決めずに慌てる子が少なくないからねえ、それは何よりだ」

  キミがそれだけ早く決めたのは意外だったけどねえ。熊谷は軽く笑って駄菓子の奥に戻っていく。

  黒柴は浅虎を追うのを止めて、閉まる扉を見つめる。内緒話というつもりもなかったのだろうその会話は、走り回っていた黒柴の耳にも届いていた。

  「おら、隙ありッ」

  「んがッ……いて、いてぇ!!」

  立ち止まった所へ追いついた浅虎に寝技を掛けられ叫びながらも、黒柴の頭の中はその『鳴り子』の事でいっぱいだった。

  ●

  暑い夜だった。じめじめと湿る夜の空気を、森の静けさが緩和してくれるような、夏の夜。神社の堂。閉じられた木の雨戸の隙間越しに、暗がりから隠れ見た、あの光景。

  当時、黒柴には「兄ちゃん」と慕う狼獣人がいた。毛色も黒に近く、まるで兄弟みたいだと言われて、黒柴も彼に「弟だ」と構ってもらえるのが嬉しかった。

  父が、神社の手伝いと言って出かけた後。隠れてお祭りに行くのだと勝手に思い込んで、家を抜け出したあの夜。暑い夜だった。見つかると怒られるという焦燥感と非日常感に、喉がひたすら渇いていたのを覚えている。

  雄狼が、父に犯されていた。

  憧れだった雄狼が、何人もの人に見られながら尻を穿たれていた。

  台に寝た父の熱り立つ肉棒に跨っていたのだ。その緩んだ褌の側から伸び上がる、浅黒く色づいた若茎を、天井を突かんばかりに張り詰めさせた狼。一緒に風呂に入ったこともある。だが、彼の陰茎がそのような形をしていた事はなかった。皮は、はち切れんばかりに張り詰めて光沢をすら見せている。木の根のようにのたうつ表面の血管が、まるで別の生き物のように見えた。

  その根本に縛られた紐に揺れる鈴が、ちりちりと澄んだ音を発している。

  野太く、それでいて甘えるような声は、まるでいつもの彼とは別人のようで、それでも彼の声に違いなかった。狼の腕を背中側へと引っ張り、黒柴の父が深く腰を突き上げる度、激しく揺れるその先端の割れ目から透明な糸を吐き散らす。

  不思議な甘いような苦いような香りが漂う明るい室内を、森辺の暗がりから見ていた幼少期の黒柴は、恐怖を覚えながらも、何故か泣き出すこともなく、食い入るようにそれを見つめていた。

  白覆面で顔を覆った数人が静かに、その結合を見守っている。

  「いく……ッ、も、う゛……っ、俺ッ」

  狼が叫ぶように泣いた。舌を垂らし、唾液を牙から滴らせ、夢を見ているような瞳で己の赤く膨らみ、皮が剥け上がった果実を見つめる雄。

  堪える声に、白覆面が滑るように動き出す。

  その時、『いく』といった意味を理解は出来なかったが、その苦しそうな声の中、喜んでいる響きに酷く胸が締め付けられた。目が離せない。白覆面が盃を透明な液体を零す肉竿に宛てがう。漏れる透明な液体と狼の嬌声。突き上げる速度も増し、黒柴は茎の根元に垂れ下がっていた袋が収縮する動きをはっきりと見ていた。

  次の瞬間、白い迸りが溢れた。

  びゅぐ、ッ! と盃を跳ねて覆面に染みを作る勢いで飛び出した白濁。その鈴口から溢れ出る白濁が盃に吐き出される様子が、脳裏に焼き付いていた。

  ●

  「っ、ぁ……んくッ」

  黒柴は、一心不乱に屹立した獣欲を擦り上げる。焼き付いた光景を反芻して青い快感を貪る。ベッドに仰向けに転がって、眩しい蛍光灯を遮るように片手を瞼の上に置いて、ヌチュ、クチュ……ッ、と響く音をあの時の感覚に同期させていく。

  エアコンを消した蒸し暑い室内で、体の中心に澱り固まっていく白む痺れに溶け込んでいくように。そして、限界まで抑え込んだそれを一気に開放する。

  イク。そう叫ぶ狼が自分の上で踊っている、そんな夢想が弾ける。

  「あ、……っぅ、は、っ……は……ッぁ、あッ――ん、ぐッ!」

  半ば程皮を被ったままの漲りから跳ねた液体が、腹の白い毛に飛び散った。ひくひくと脈動を続けながら萎んでいくそれを見つめた黒柴は荒い息を整えながら、自分の毛が汚れるのも構わず、根本から握るように中に残る種を絞り出す。

  「はあ、……ん、ぁ、はあ……、拭かないと」

  黒柴は、枕元に置いたティッシュを何枚か引き出して後処理を済ませる。丸めたティッシュをゴミ箱に投じながら、脱ぎ捨てたトランクスと、やりかけで開きっぱなしの参考書を置いた机を見つめる。

  あの時。

  兄ちゃんがしていたあれが『鳴り子』だと知ったのはいつだったか覚えていない。ひょんな事から気付きを得て、繋がって理解したんだと思う。精液の臭いが鼻に突く、拭いただけの毛はまだ湿って束になっている。

  この島に伝わる男子の成人儀式。昔は元服の際に行っていた儀式が今では、十七歳の、早めの成人式のような慣習に成り代わっている。その詳細は、説明されてはいないし、大っぴらに話す大人もいない。だが、それでも十七歳に近づくにつれ、誰かから伝え聞く話などから大体の内容を察する事は出来る。

  きっと浅虎や竜堂も、気付いているだろう。

  『鳴親』に種をもらい『鳴り子』は自分の子種を神様に奉納する。信仰がどう、とかそういう難しい話は知らないけれど、そういうものだということは理解できた。

  鳴親を決める、というのは。

  「……、はあ」

  誰に抱いてもらうのかを決めるということなのだ。

  黒柴は下着を履くこともせず、ただ眩しい天井に腕を翳してため息を吐いていた。

  ●

  結局、黒柴は鳴親を決めあぐねていた。

  毎日のようにあの光景を自慰に使っている。忌避感が無いと言えば嘘になるが、それでも「そういうしきたりだから仕方ない」程度には受け入れてはいる。だというのに、相手を決めるという事に一切手を付けられないのはどうしてだろうか。

  そんなことを考えながら、黒柴は休日の昼間、暑い日差しの中を歩いていた。目指すは竜堂の家。一緒に勉強をするという名目で遊ぼうという魂胆だ。なんでも新作人気ゲームの予約を勝ち取れたとの事で、本来はウキウキの気分のはずなのだが、心につかえている悩みで無邪気にはいられないでいた。

  時に竜堂の家は、酒屋をやっている。表に酒屋、裏手側が自宅の玄関。なので黒柴は、裏手に回ってインターホンを押していた。

  ただ、その間も考えるのは日に日に迫る鳴り子の事だ。

  「なんだ、随分悩んでるな」

  そうして、ぼうっと玄関先に立っていた黒柴のインターホンに顔を覗かせたのは、竜堂によく似た顔の竜人。いや竜堂が少し老け込めばそっくりになるだろう男性だった。

  「黒柴のとこの坊主だろ?」

  家側のインターホンが鳴るから、瑞樹の宅配でも届いたかと思ったぜ。と言う彼は、竜堂父だ。瑞樹よりも更に硬そうな肉体。酒屋は滅茶苦茶肉体労働。と竜堂もいっていたが、半袖のシャツに酒屋の前掛けをしている彼の鍛えられた体を見れば、そうなのだろうと思える説得力があった。

  「あ、はい……えっと、瑞樹くんはいませんか?」

  と聞くと、竜堂父は不思議そうに首を傾げた。

  「んー? あいつ、明日友達が来るからっつって、本土まで買い物出かけたぞ?」

  「え……明日?」

  帰ってきた返事に、サーッと血の気が引いていくのを感じた。そういえば、今日買ってくるから明日にしよう、と話をしていた気がする。

  「なんだ、あいつ約束すっぽかしたか?」

  「ああ、いやいやいや!」

  自分が曜日を間違えていたことを伝えると、そうかそうか、と竜堂父はぐい、と親指を屋内に向けて、入りな、とジェスチャーする。

  「え、でも……」

  「まあまあ、暑いだろ? どうせこの時間客なんか来ねえし」

  断ろうとした黒柴に、竜堂父は、にかりと笑い、黒柴がぼうっとしていた理由を見事に言い当ててみせた。

  「その時期の悩みつったら、まあ、経験者だからな」

  リビングに通され、黒柴は見慣れたその空間に、友達の父親と二人という状況に始めて訪れたような錯覚を覚えていた。

  「まあ、瑞樹はさっさと決めちまいやがったからなあ」

  内気だから、俺が方々に頭下げる事になるかとも、覚悟してたんだがな。と肩を竦めて笑う竜堂父は、その細めた目でじっと黒柴を見つめて、静かに言った。

  「見ちまったからだろ?」

  「え……」

  「まあ、座りな」

  とんとんとソファを叩いたその口元に笑みが浮かぶ。今更座らないのもおかしいか、と促されるまま隣に座った黒柴に、竜堂父は冷えた麦茶を置いてくれた。

  そして自分の前には、日本酒の瓶。仕事中では、と聞こうとも思ったが、止めた。それよりも、黒柴が鳴り子を見たことがある、というのを知っている理由の方が、大事だったからだ。

  「毎度、宴会みたいな事やるからな。鳴り子がある度、酒卸してんだ。ああ、もちろん鳴り子抜きでな」

  その道中で、黒柴が逃げるように帰っていくのを見たのだという。

  「んなこた、今までクロくんだけだけどな。まあ、ピンと来たっていうかな」

  竜堂父はとくとくとコップに酒を注ぎながら話をする。クロくん、というのは竜堂の呼び方だ。自分の話を彼にしているんだな、という妙な恥ずかしさが込み上げる。と同時に。

  「……もしかして、僕が来る前から飲んでました?」

  エアコンでよく冷えたリビング。結露に濡れたテーブル。顔には出ないが、見知っている彼よりも饒舌な竜堂父。状況証拠が定まりすぎていて、堪えきれず聞いてしまった。

  「味見だよ、商品の。で……実際どうなんだ? 鳴親決め」

  「う……」

  黒柴は、思わず見つめ返された竜堂父から目を逸らす。コウコウとエアコンの音がやけに響く。かいた汗がじんわりと冷やされていくのが分かる。難航している、というのは簡単だ。簡単だけれども、それを口に出すのは、何故か憚られた。何かが喉につっかえている。

  その時、手持ち無沙汰に膝を擦っていた黒柴の手を包む何かがあった。

  竜堂父の手。硬く大きな、少し弾力のある、竜人の手。

  「俺ってのはどうだ?」

  黒柴は、目を瞬かせて一度は目をそらした竜堂父の目を見つめ返していた。

  「俺は、クロくんのヒミツを知ってる」

  だから、丁度いいんじゃないか? そう告げるその瞳に、黒柴は見覚えがあった。あの時、神社で見た、狼の潤んだ瞳。あの湿った夏の夜の熱気を孕んだ、眩しい光。

  「あ……、っ」

  動けなくなった。その目に囚われて。その目に自分が映っているのだと気付いて。汗に濡れたシャツの中に太い指が滑り込んでくる。手を包んでいた方の手が、黒柴の尻をゆっくりと大きく撫でる。びくりと跳ねる黒柴に、大丈夫と、熱気を纏わせた目で竜堂父は言った。

  「ここは、鳴り子の時だ」

  入り口に挨拶するだけ。そんな言い方をして、黒柴の服を脱がしていく。ハーフパンツのファスナーを下ろして、トランクスを持ち上げるそれを摘むように刺激する。他人に触られる、そんな未知の感覚に力が抜けていく黒柴に、竜堂父は前掛けを外す。

  「はは、すくすく育つ。やっぱ若えなあ」

  竜堂に聞いたことがある。竜人の多くは、スリットの周囲の柔らかい鱗に布がこすれるのが嫌で、あまり下着を履かないのだと。黒柴は、いつか、なんでノーパンなんだと問い掛けた時に、弁解するように言っていたのを思い出していた。

  股下が深いズボンのファスナーが下ろされる。薄く色づいた柔らかな腔筋が晒される。それを自ら慰めるように指を挿入しながら、竜堂父は黒柴のトランクスに鼻を埋める。

  「ぁ、ッ……ふ」

  黒柴は、それを拒みはしなかった。