囚人虎おっさんは俺にご執心!

  がしゃん、と仰々しい音を立てて俺の入ってきた入り口が閉じられて、俺は部屋に独り立ち尽くした。

  足元はリノリウムの床、四畳ほどの小さなスペースに、左手にベッドと机、奥に洗面所とトイレが備え付けられただけの簡素で質素で殺風景な部屋だ。奥の窓には鉄格子が嵌められており、手を突っ込んで開けるのすら苦労しそうだ。いや、はめ殺しの窓でそもそも開かないのかもしれないけれど。

  「まるで刑務所みたいな部屋……」

  言い掛けて俺は頭を振る。

  いや。

  まるで、じゃない。

  俺は今まさに刑務所に収監されてしまっているのである。罪状は、とある人物の指を舐めてしまったこと。どう考えてもおかしい。無実の罪である。

  ……いや、確かに憧れの作家に出会えて俺が舞い上がってしまったことは認める。百歩譲って、指を舐めたことも認める。舐めたというかしゃぶったことも認める。前々から彼の指を舐めたいと思っていたことも事実だ。

  あの指から俺の大好きなキャラクターたちが生み出されたのだと思うと、俺の頭は真っ白になって、気付いたら作家の指をしゃぶっていたというのが正直なところだ。

  「でも逮捕はおかしくねえか!?せいぜい罰金刑じゃねえの!?」

  俺は鏡に映る灰色の囚人服を着たハイエナ獣人……自分自身に向かって声を張り上げるが、当然、姿見の中の俺はしょぼくれた顔をしたままである。

  はあ……。

  俺はため息をつく。こうしていてもしょうがない。

  机の上に目を向ければ、可愛らしい花柄の便箋とボールペンが置かれている。この部屋に備え付けらしい。

  これで反省の手紙でも書いて、減刑の嘆願でもしてもらえるようお願いしてみるか。

  俺が椅子に腰かけようとしたとき、

  「──おーい」

  入口……全面鉄格子となっている側から、声が聴こえた。

  見ると、正面の通路を挟んだ独居房の鉄格子の向こう側に立っているのは、大柄な虎獣人のおっさんだった。俺と同じ囚人服を着た、鋭い目つきと太い眉をした強面の虎である。その左目には斜めの傷痕があって彼の悪人面に拍車をかけており、通常なら丸まっている筈の尻尾の先端も、大昔にちぎれてしまったかのようにぼさぼさになっている。年のころは四十から五十代というところだろうか。

  どう見ても堅気には見えない。そんな風貌の虎だった。俺と同じく、囚人である。

  「……ハイエナくん。キミ、初めましてさん、やんな?こんにちは~」

  だが、その野太い声で発せられた関西訛りの言葉はどことなく愛嬌があった。

  「ああ、はい……初めまして、です。こ、こんにちは」

  虎のごく普通の挨拶に、場所を忘れてつい警戒心が薄れた俺は、何とも間抜けな挨拶を返してしまう。

  虎は俺の挨拶に気をよくしたのか、ニッと笑った。

  「キミ、えらく若いのになんで逮捕されたん?」

  いきなり答えにくい質問をしてくる。それとも、出身地でも尋ねるかのようにここではこれが普通の挨拶なのだろうか。

  「ええ。あの……、指を……その…」

  「詰めたん?ほえー若いのに気合入っとるなァ」

  虎は感心したような声でとんでもないことを言う。

  そんなわけあるか。

  「違いますよ!……いや、その……しゃぶったっていうか……」

  俺と虎の間に一瞬沈黙が落ちる。

  「……なんやそれ、ふふ」

  虎おっさんは小さく笑う。

  それは俺の方が聞きたいところである。指を舐めたごときで刑務所など、この国の司法制度と道徳観念は地に堕ちていると言っても過言ではない。

  だがそれをこの虎に言っても仕方がないことだった。俺は逆に質問してみることにした。

  「俺も分かりません。……おじさんはなんで捕まってるんですか?」

  「ワシ?ワシはね、ムラムラしてもうて、キミみたいなかわええ仔をちょっと襲っただけやねん」

  「襲った……?」

  不穏な響きに俺は眉を顰める。

  ムラムラ?かわええ仔?襲った?

  えーっと、それってつまり……。

  「おう。ざっと五十人くらい」

  「え?」

  虎おっさんに畳みかけるように言われて俺の思考が停止する。

  五十人。

  血の気が引いた。この虎、めちゃくちゃな犯罪者じゃねえか……!

  指を舐めただけの無実の俺は真っ青になる。

  だが虎は、そんな俺の引きつった顔をじいっと見つめて舌なめずりをした。

  「……キミもめっちゃかわええやんね……。……そや、今夜おっちゃんとこに遊びに来んか?ええこと教えたるで……」

  言いつつ、虎は自分の下半身をねっとりと撫で回し始める。

  虎の股間の棒状のソレが、灰色の囚人服を中から突き上げるように大きくなってきたことが、俺の目からでもはっきりわかった。

  う、嘘だろこのおっさん……!

  「か、看守さん!看守さーん!!」

  俺は思わず悲鳴を上げた。

  [chapter: 囚人虎おっさんは俺にご執心!  ]

  1

  「よっ!」

  「げっ」

  明くる日の朝食の時間である。大勢の囚人たちがたむろする食堂で俺の正面の席に座ったのは、例の虎おっさんだった。

  刑務所の朝は早い。俺は欠伸をしながらぼんやりと食事をとっていたので、虎の接近に気付かなかった。

  思わず身構える俺。

  「……何やその反応。おっちゃん傷つくわァ」

  心底傷ついたような顔でそんなことを言う強面虎。ちょっと可哀想になってしまった俺であるが、だが相手はとんでもない犯罪者である。絶対に油断しない。

  「や、まさか食堂に現れるとは……」

  「まあここは共同スペースやしね?当然ワシも使うで~」

  虎はそう言いつつ旨そうにみそ汁を啜る。

  話には聞いていたが、刑務所の中の食事は思っていたより美味しい。朝から三品もオカズが付いてくる。娑婆にいたころより栄養が摂れてしまうのではないだろうか。

  「やー、昨日は悪かったわ。来て早々言うことやなかったね」

  「……いや、来て早々じゃなくても言うことではないと思いますけど」

  俺はぼそりとそう言ったが、虎は気にしてないようだった。

  正面の虎おっさんは、少し腰を浮かせて俺の方に乗り出してくる。いきなり何かされるのではないかと俺の心臓が跳ね上がったが、さすがに刑務官たちの目があるここでは襲うことも出来ないだろうと、俺は努めて冷静さを装った。

  「何ですか」

  「ここなら鉄格子無しで話せるやん。やっぱキミとは直接話した方がええと思ってな……?」

  俺の耳元まで顔を寄せた虎おっさんは小さな声で囁く。

  その低い声に、何故かドキドキとしてしまった俺だが、無表情を作ったまま返事をする。

  「……何をですか」

  俺の言葉に、虎おっさんはニタリ、と笑って牙を剥く。

  いかにも好色そうな顔で。

  俺は内心溜め息をつきつつ、手元にあったみそ汁の椀に手を伸ばした。

  「そりゃもうキミとおっちゃんがいつスケベをするかって話を──あっちゃァ!?ええ!?みそ汁!?ちょ、ちょ、なんで逃げるん!?」

  俺は虎おっさんに向かってみそ汁をぶちまけると、脱兎の如くその場から逃げ出したのだった。

  *

  「……なー。ええ加減、おっちゃんの方を見てくれん?」

  俺も初めて体験することだが、受刑者は朝食を摂ると工場で刑務作業を行う。

  受刑者に規則正しい勤労生活を送らせることによって、心身の健康の維持と、勤労意欲の養成を図るんだとかなんとかかんとか。どうやらそんな目的があるらしい。

  俺は初めてこれを行うので、先輩の囚人(ってのもなんかすげえ言葉だな)に教わることになっていたのだが、そこにやって来たのが

  「やー。キミとはよう縁があるなあ!もしかしてワシらって赤い糸で結ばれとるのかもしれんね……。グフッ、グフフッ!」

  と、気持ち悪い含み笑いをしながら、のこのことやって来た例の虎おっさんだった。

  「ほんじゃ、ワシが手取り足取り腰取り、全身使って教えたるからな……?」

  などと怪しげなことをほざきながら早速教えてくれようとする虎おっさんのことを、俺は当然無視して自分でマニュアルを見ながら作業することにした。

  俺の担当は縫製作業である。ミシンを触るのなんて高校の家庭科の授業以来だが、まあなんとかなるだろう。

  そんなわけで、俺と虎おっさんは並んで作業を始めたのだが、互いに無言のままカタカタとミシンを踏んで約一時間。

  ついにしびれを切らしたように俺に話しかけてきたのが虎おっさんだった、というわけである。

  「……嫌です」

  俺のにべもない返事に、んがっ!と虎おっさんがダメージを受けた声が聴こえたが、俺は無視してそっちの方を見ないようにした。

  だが、さらに十分後。

  「……キミ、出身どこなん?」

  「……」

  黙りこくったままの俺に、虎おっさんは質問をし続ける作戦に変えたらしい。

  「……お仕事何しとったの?」

  「……」

  「ご家族はいらっしゃるのん?」

  「……」

  「ご趣味は?」

  「……」

  「恋人おる?」

  「……」

  「あ、あれや、好きな食いもん何?こっから出たらな、おっちゃんとメシ食いに行かん?奢るで~」

  「……」

  「おっちゃん、なんでも好きやねん。嫌いな食いもん無いからな、おかげでこんなに身体が大きくなってしもたけど!がはは!」

  「……」

  「せや!大きいと言えば、おっちゃんの地元にはむっちゃ大きいとんかつを出す定食屋があってなァ、大きさも凄いんやけど味もこらもう絶品さんでな、その隠し味に使われとるのがな、何やと思う?キミも聞いたらビックリやで、な、なんと──」

  俺の気を引こうとしているのか、朗らかな声でひたすらに喋り続ける虎おっさん。

  こっちは全く反応していないというのに、全く話題が途切れる気配が無い。

  ──こいつ、メンタルが強すぎる……!

  さすがは五十余名も手籠めにした(らしい)凶悪犯罪者である。無実の罪の俺には決して到達できない、至高の領域に彼の精神は達しているのかもしれない。

  そのまま虎おっさんはぺちゃくちゃと喋り、俺はひたすらにそれをシカトし続けた。

  「──なァんてことがあったんよ!笑ってまうやろー!がはは!」

  「ブフッ!」

  虎おっさん単独トークショーを聞き流したまま作業を続け、気付くとすでに十二時近く。

  あと少しで昼休憩というところで、俺はついに噴き出してしまった。

  「おっ!なんやキミ、やっと笑ってくれたやーん!」

  虎おっさんが嬉しそうに声を上げる。根負けした俺がちらりと目をやると、虎おっさんは満面の笑みで、本当に嬉しそうな顔をしていた。こんな強面とは程遠い顔をされてしまうと、俺の貞操を狙っている凶悪犯罪者だということを忘れてしまいそうになる。

  俺はつい、その笑顔にほだされかけそうになるが、

  「……」

  そこでタイミングよくチャイムが鳴ったため、俺は虎おっさんのことを無視したまま立ち上がった。

  だが、そこでちょうど立ち上がった虎おっさんは、がばりと俺に肩を組んで来た。

  「わっ!」

  驚いて声が漏れてしまう。

  急接近してきた虎おっさんの男臭い汗の匂いが、俺の鼻をくすぐった。

  「……なあなあ」

  虎おっさんは俺と肩を組んだまま、また俺の耳元に囁きかけて来る。

  こうされてはもう観念するしかない。俺はしぶしぶ返事をした。

  「……なんですか」

  「ワシと一緒にな、脱獄せえへん?」

  「え?」

  思わず俺は虎おっさんの顔を見た。ドヤァという得意気な顔で虎おっさんは笑う。

  「実はな、ワシには凄い計画があんねん……。それにキミも連れてったる。どや?」

  脱獄。

  話にはよく聞くが、本当にできるとはとても思えないし、やったとしても当然警察に追われる羽目になる。俺はそこまで刑務所にいる期間が長いわけではない。俺にとってはあまりメリットがあるとは思えなかった。

  っていうか。

  そもそも。

  「……その話、本当ですか…?」

  俺はジトっとした視線で虎おっさんの顔を見つめる。

  申し訳ないが、俺は全くといっていいほどこの凶悪犯を信じていなかった。

  「わーお。もしかしてワシ、めっちゃ疑われとる?ひどない?」

  「いや、そりゃそうでしょう。俺に信用される様なことしましたっけ」

  「昨日からキミに愛を囁きまくっとるやん?」

  「逆に怪しいっすわ」

  俺の言葉に、虎おっさんはきょろきょろと辺りを見回して何かを確認すると、再びニヤリと笑った。

  あの、大変にスケベそうな顔で。

  嫌な予感がした俺は、視線を落として虎おっさんの下半身を見る。

  「……じゃあそこまでキミが言うなら、こうしよか?ここじゃ看守さんの厳しい目もあってなんやし、まずそこのトイレに二人っきりで入ってな、そこで詳し~い話をしよか……それでどや……ゲヘヘのへ……おごぅっ!!!??」

  虎おっさんが明らかに下心丸出しの笑い方をした瞬間、俺はまたもやふくらみを増し始めていた虎おっさんの股間めがけて膝蹴りを食らわしてやった。

  ごりゅ、とちょっと嫌な感触がしたが仕方あるまい。俺の貞操の危機だったのだから。

  完璧な金的を食らった虎おっさんはヒキガエルのような声を上げながら、べしゃり、とその場に崩れ落ちる。

  「う、うごおぉぉぉおお~~!?な、なんで逃げる~ん!!?ちょ、ちょ、ちょっと待ってやぁ~~!!ぐぉおおおおお~~~!?」

  床に転がったまま、股間を押さえヒクヒクと痙攣しながらも俺に手を伸ばそうとしてくる虎おっさんを一瞥して、俺は食堂まで走って逃げて行ったのだった。

  *

  その日の、西日が窓から差し込む頃。

  刑務作業を終えた俺が自室に戻った数十分後、ガチャンと正面の独居房が閉まる音がした。股間に多大なダメージを受けて病院へと連れてかれていた虎おっさんが帰って来たらしい。

  俺に謝る気は無かったが、さすがにちょっとやりすぎたかなと申し訳ない気持ちもあって、ちらちらと机に座ったまま様子をうかがっていると、それに虎おっさんも気づいたらしく、のしのしと向こうの鉄格子の方まで歩いてきた。

  「んもー!キミのせいでホンマ死ぬかと思ったで!ワシの自慢のちんぽが使い物にならなくなったらどないすんねんこのドアホゥ!」

  鉄格子を掴んでいきなり罵倒してくる虎おっさん。まあ突然あんなことをされればそれもそうだろうが。さすがに怒ると怖い。左目の傷痕や剥き出しの牙は、さすがに大型肉食獣と言われるだけの迫力がある。

  だが、思ったより彼が元気そうでちょっと安心している俺もいた。

  俺はぺこりと頭を下げて彼の顔を見る。

  「いきなり暴力を振るったのは、本当にすみませんでした」

  俺が殊勝に頭を下げたのが意外だったのか、虎おっさんがきょとんとする。

  「……ま、まあキミがちゃんと謝るんなら、ワシやって許すんはやぶさかやないけど?うん?」

  虎おっさんはそう言って頭をがりがりと搔いた。

  なんだが照れているようなその仕草が可笑しかった。

  そうしている姿は、どうしても悪い人に思えなかった。そんなわけないのに。

  「……まあ、おっさんがしてきたことを考えると、使い物にならなくなった方が良かったかもしれないですけどね」

  つい、そんなからかうようなことを言ってしまった。

  「はあ!?なんてこと言うん!?キミ全然反省しとらんね!?」

  虎おっさんが目を剥く。

  「いやいや、おっさんこそ全然反省してないでしょ……なんの罪で自分が捕まったのか考えてくださいよ……」

  「いやいや。ワシは自分でも抑えきれない愛をみんなに振りまいただけやからね!……ちっとだけ強引だったかも知らんけど」

  「やかましいわ!」

  俺のツッコミに、虎おっさんがでへへ、と笑う。

  つられて俺もくすくすと笑ってしまった。

  不思議な人である。

  相手は凶悪犯だというのに、いつの間にか警戒心を解かれてしまっていた。それが危ないのかもしれないけれど。

  「……キミ、名前はなんていうの?」

  虎おっさんが尋ねて来る。ここでは囚人は番号で呼ばれるから、自分で名乗らない限り互いの名を知ることはできないのだ。

  「俺は……」

  一瞬、俺は躊躇した。果たして自分の名前を彼に名乗ってもいいものか。

  相手は本物の犯罪者である。安易に個人情報を晒すような真似をするのは果たして──。

  「ん!やっぱええわ!名乗んのやめとこ!」

  そんな俺の思惑を見透かしたかのように、虎おっさんは俺を制するように掌をこちらに向けた。

  「え」

  虚を突かれて呆気に取られた俺に、虎おっさんはにっこりと笑った。

  「こんなムショに入っとるおっちゃんに名乗るん、キミもちょっと嫌やろ?ええわええわ、名前なんか知らんでも何ともなるし。……将来キミとワシがここを出てな、それでもキミがどうしてもおっちゃんに会いたいって思うんなら……」

  俺は将来の自分を想像して冷静に突っ込む。

  「いやたぶん思わないでしょうけど」

  「そんな悲しいこと言わんといて!……そしたらな、その時に晴れて互いの名前を名乗ろうや」

  夕日の差し込む刑務所で、虎おっさんはそう言って笑った。

  あの好色そうないやらしい顔ではなく、それよりもずっと人懐っこそうな表情で。

  ──俺がしばらく忘れられなくなるような、少し寂し気な表情で。

  「……まだ起きとる?」

  「起きてますよ。なんですか?」

  「ワシのちんぽがホンマに使い物になるかどうか、一緒に試したくなーい?な?明日とかどや?」

  「……さっさと寝てくださいこのスケベ虎……」

  [newpage]

  2

  こうして、スケベな虎おっさんと共に俺のムショ生活が始まってしまったわけだが、虎おっさんは初日にあれだけやられたというのに全く懲りてないようで、ことある毎に俺に迫って来た。

  例えば、食事の時間に食堂に行けば

  「おはようさ~ん!」

  と絡んできては俺の食事を覗きこみ、

  「わー。キミってば精のつくもんばっかり食ってるやん。よっ!このスケベ!(お前が言うな)……なあ、そろそろ禁欲生活も限界やろ……?今晩、おっちゃんと一緒にそのムラムラ発散しよ……んごっ!?」

  などとふざけたことをのたまって、俺の拳を顎に喰らったり、

  刑務作業では俺のお目付け役なのをいいことに

  「あー!だめだめ!キミのやり方ぜーんぜんダメや!やり直し!」

  などと俺の縫製に難癖をつけ

  「げへへ……困ったなァ……おっちゃん、キミの作業にちっとも納得いかんわ……これじゃあノルマが終わらへんなァ……。もし、キミがおっちゃんのアレを咥えてくれたりなんかしちゃったら即OK出しちゃう…………あ、ちょ、待った。待って、金的はいかんて!ホンマに死ぬから!マジやて!んー!仕方あらへんな!特別!今日は合格にしたろ!!」

  などと無茶苦茶な要望を出しては、俺の怒りの表情を目にしてすぐにひっこめたり、

  余暇の時間、運動場に出た俺のことを手招きするので何かと思ったら、建物の陰でがばりと俺に組み付いてきて、

  「でっへっへ!つ~かま~えた~!もう逃がさへんで~!もうええやろ!な!おっちゃんと一つになろ!……そんなコワーイ顔せんでも大丈夫大丈夫……初めてやって、おっちゃんが優しく手ほどきしたるって…………ん?あれ?看守さん?なんでここに?……へ?このハイエナくんに呼ばれて?……あーなるほどねー。いやーお勤めごくろうさんです!!」

  と襲いかかったところを通りがかった看守によって邪魔されたり、

  

  そんなこんなで、かなり危ないところもあったが、俺はどうにか貞操を死守してムショ生活を送っていた。まあ看守の目があるのでそうそう簡単にはやられてしまうこともないのだが。

  だが虎おっさんも俺のことはあきらめてはいないようで。表面上では仲良くやりつつも、俺に襲い掛かるタイミングを今か今かと伺っている……本当に肉食獣のようなとんでもない虎おっさんなのであった。

  そんなある日の夜のことだった。

  

  *

  「ヒック……、グスッ……」

  深夜二時を回った頃だろうか。

  明らかにすすり泣いているような声が聞こえてきて、ぐっすりと寝ていたはずの俺は起こされてしまった。

  刑務所では、朝七時前には起きなければいけない。

  「全くこんな時間に……」

  眠気まなこをこすって時計を見つつ、俺はベッドから上半身だけ起こして耳をすます。

  驚いた。

  声が聴こえてくるのは俺の部屋の正面……虎おっさんの独居房だったからだ。

  ──あれだけメンタルの強い、殺しても死ななそうな虎おっさんが、泣いている?

  俺は半信半疑ながらも、おっさんが心配になってしまって鉄格子に歩み寄った。向こうの独居房の暗がりの中に、椅子に座ってうな垂れている大きな影が見えた。

  「何、泣いてるんですか?」

  俺の声に、虎おっさんがこちらに顔を向けたのがうっすらと見えた。だがその表情はよく分からない。

  虎おっさんがおもむろに口を開く。

  「……あ、明日……、ワシの刑が執行されんねん……」

  「えっ」

  そういえば今日の午後の刑務作業中、虎おっさんは看守に呼ばれてどこかへ行っていた。まさかその時にそれを告げられていたのか?

  だがまさか明日それを執行されるなんて突然すぎる。ていうかやっぱり重罪人過ぎるなこの虎おっさん……。

  「わ、ワシ……、し、し、しにたくないねん……っ」

  「……」

  虎おっさんの悲痛な声に、俺は黙ることしか出来なかった。

  なんといっても彼は凶悪犯罪者である。いくら俺に人懐っこい表情を見せようが、俺と楽しく会話をしようが、それは変えられない事実だ。虎おっさんが罪を犯した罰は受けなければならない。

  だが、それでも。

  虎おっさんが泣いている姿を見るのは、俺にとっても苦しかった。

  いつの間にか、彼に随分と情が移ってしまっていたらしい。

  しかし、俺は彼に何をしてあげられるのだろう?

  「……いや、しぬとしても、さ、最後に惚れた相手を抱きたいっちゅーか……」

  ん?今なんつったこのおっさん。

  俺は気付く。

  虎おっさんがチラチラと俺の様子を伺いながら喋っていることに。

  「ヒック……せ、せめて……しぬ前にかわええ仔を抱いて……グスッ……」

  一度見えてしまうととんだ大根役者である。

  虎おっさんがわざとらしい演技をしているのが、俺にははっきりとわかった。

  ──こんの野郎……見え透いた手を使いやがって……。

  「仕方ないですね……」

  俺が諦めたようにそう言うと、虎おっさんは嬉しそうな声を上げ、

  「おっ!?ええの!?」

  と鉄格子に飛びついてくる。

  ──ほらな!こういう奴なんだよ!やっぱ演技じゃねえか!

  俺は内心で叫び声を上げつつも、現実では静かに言葉を続けた。

  「罪を犯したんだから罰を受けるのは仕方ないですよね……」

  期待を裏切られた虎おっさんが、がくり、とずっこけるのがシルエットで見えた。

  「はァ!?なんてこと言うねん!鬼!悪魔!ワシは罪を犯したんやなくて自分の身体に正直になっただけやし!」

  ととんでもないことを叫んでいる。

  「最低じゃねえか!」

  俺のツッコミで、初めから演技がバレていたことを悟ったらしい。

  虎おっさんは残念そうに溜め息をつく。

  「ハア……、なんや……これで『同情引いて手籠めにしたろ!』作戦も失敗やな……」

  「やっぱりか」

  先程までだいぶ可哀想になりかけていた俺だったが、やっぱりこの虎おっさんには同情の余地なしと気を引き締めることにする。

  さすが五十人斬りをしただけのことはある。あの手この手で仕掛けて来る虎おっさんだったが、俺は彼のことがそこまで嫌いではなくなっていることに気付いていた。……気を抜けばどこかで本当に無理矢理抱かれてしまうかもしれない。

  ふと気づくと、虎おっさんがまた立ち上がってこっちをじいっと見ているのが分かった。

  「なんすか。おっさんの猿芝居はもう通じませんよ?」

  「やー、そらもうわかっとるし。だからな、もうこうするしかワシには残されてないねん……!」

  思いつめたようにそこまで言うと、虎おっさんはその場でがばっと土下座をした。

  「素直に言うわ!一発ヤらせてください!」

  見事な土下座を見せてくれた虎おっさんだったが、残念ながら俺はこう言うしかなかった。

  「くたばれ!」

  *

  「……いやね、キミ、ワシの昔の恋人に似とるっちゅーかね。でへへ」

  虎おっさんは、なぜか少し照れたような声でそう言った。

  なんだか眠れなくなってしまった俺は、虎おっさんと鉄格子越しにぽつりぽつりと話をした。本来ならこんな時間に話していると看守が飛んでくるのだが、幸運なことに何故か今夜はその気配が無かった。

  「そりゃあまたベタな設定ですね……」

  俺は溜め息をつく。

  たとえ俺が昔の恋人に似ているからって、無理矢理犯していい理由にはならないだろう。最も、虎おっさんの言うことなのでちっとも信じていないが。

  「あらァ?信じてくれへんの?」

  「自分のしてきたことを考えてくださいよ……。刑の執行も嘘だったじゃないですか」

  俺がそう言うと、虎おっさんは決まり悪そうに頭を掻いた。なはは、と小さく笑っている声も廊下に反響して聴こえてきた。

  「ま、ああ言うたらキミが同情してくれへんかなーってな!」

  「……ま、同情はしましたけど」

  「お?ホンマ!?じゃ、一発どう!?」

  また虎おっさんが期待に満ちた声を出す。根っから下半身と頭が直結してやがるなこの虎おっさんは……。

  俺はまた溜め息をつきつつ、

  「それとは話が別に決まってるじゃないですか」

  と言ってやった。だが、その溜め息は不快なものでは無かった。

  「このいけず!……キミはホンマに頭硬いなーおっちゃんのちんぽくらい硬いなー」

  と妙なことを言い出す。

  「変なもんと比べないでくださいよ」

  「なんなら比べてみよか?キミとワシの硬さ対決!」

  俺は苦笑する。

  「……話聞いてました?」

  「な?ええやろ?ちぃっと、先っちょだけでええから!」

  「それ、絶対信用できないですし」

  「まァ先っちょ許されたら後はガバーッと最後までいただくけどな!がはは!」

  虎おっさんが明るく笑う。それにつられて俺も笑う。

  鉄格子越しならば襲われる危険も無い。虎おっさんと笑い合うのは、そんなに悪い気はしない。

  窓からは月明かりが差し込む。

  

  悪くない夜だった。

  ……それが、俺が虎おっさんと刑務所で過ごす最後の夜になった。

  *

  翌日。

  

  俺と同じ囚人服ではなく、麻のシャツに紺色のスラックス、焦げ茶色のハンチング帽を被った虎おっさんを目にして、俺は絶句した。

  「え……?ど、どゆこと……?」

  目を丸くして言葉の出ない俺に、虎おっさんは少しだけ申し訳なさそうな顔をすると

  「すまんな。キミとおるのは楽しかったんやけど、ワシの方が早く出ることになってしもたわ」

  と言った。

  刑務所から出る。つまり。

  

  ──虎おっさんは、刑期を終えたのだ。

  「あっ、そ、そうなんすね!お、おめでとうございます!よかったですね!」

  俺は無理矢理笑顔を作った。

  何故かどんな顔をしていいかわからなかった。

  胸が苦しいのなんて嘘だと思いたかった。虎おっさんに会えなくなるのが辛いだなんて認めたくなかった。

  「一緒に娑婆に出て、キミの名前を教えてもらいたかったんやけど──」

  虎おっさんはそう言うと、一枚の封筒をとり出した。

  「──ここで聞くんはフェアやないからな。キミがここを出てくときにこれを渡してもらえるように信用できる刑務官に渡しとく。これにはおっちゃんの本名と連絡先が書いてあるから、その時にキミがどうしてもおっちゃんに会いたいって思うんなら……」

  俺は、以前虎おっさんとしたやり取りを思い出して冷静に突っ込む。

  「……いやたぶん思わないでしょうけど」

  「またそないに悲しいこと言わんといて!……そしたらな、その時には晴れて互いに自由の身で会おうや。な?」

  虎おっさんはそこまで言うと、俺に向かって右手を差し出してきた。

  「お別れのあくしゅや」

  少し寂しそうに、そう告げて。

  俺は鉄格子から右腕を突き出して、虎おっさんの手を握る。暖かくて、力強くて、ごつごつとした手だった。

  その感触がどうしてだか俺の胸を刺す。

  「んもー。なーに泣きそうな顔しとんねん?」

  おっさんは困ったような顔でそう言うと、ぐいっと俺の手を強く引いた。

  「べ、別に泣きそうになってなん、わわっ!?」

  強がりを言おうとした俺だったが、虎おっさんに引かれたせいでバランスを崩す。今度は虎おっさんが左手を鉄格子に突っ込み、その俺の頭を抱え込んだ。

  「……まァ、キミがおっちゃんに会いに来てくれたら、そん時はおっちゃんの自慢のちんぽで立派なメスにしたるからなァ、でっへっへ……!」

  耳元でそんなことを言われて頭に血が上った俺は、虎おっさんの手を振り払うとローブローでおっさんの股間を鉄格子越しに殴ってやった。

  「ごふぇっ!!??」

  咄嗟のことでさすがに反応できなかったらしい。

  いつかの膝蹴り程ではないが結構な手ごたえがあり、汚い悲鳴を上げた虎おっさんはよろよろと後ずさる。

  「ほ、ホンマキミ……!ワシのちんぽになんぞ恨みでもあるん……!?」

  その場でしゃがみ込み、涙目になってしまった虎おっさんは恨みがましく睨み付けて来るが、檻の中の俺はどこ吹く風である。

  「……そりゃ自分の胸に手を当てて聞いてくださいよ……」

  こうして大きな禍根を残しつつ、俺と虎おっさんはお別れすることになったのだった……。

  [newpage]

  3

  それからはあっという間だった。

  虎おっさんのいない平和なムショ生活はどうにも張り合いがなく、食事でも刑務でも余暇でも襲われる危険は当然ないし、夜中にすすり泣きで起こされることも無い。

  特に話し相手がいるわけでも無し、俺は模範囚として淡々と毎日を過ごしていたのだが……。

  「やっぱりか……」

  それを聞いた途端、俺は思わずそう呻いてしまった。

  指を舐めた程度で懲役なんておかしいと思ったのだ。

  虎おっさんとの別れから一ヶ月後、やりなおされた裁判で俺の無実は証明され、俺は大手を振って釈放されることになった。

  そしてその釈放当日。

  刑務所を門から出た俺は、後ろをついてきた熊獣人の刑務官に、黙ったままその宛名の無い封筒を押し付けられた。

  「えっと、これって……」

  俺は思わず熊を見たが、彼はもうさっさと歩いて刑務所の奥へ行ってしまった。

  業務上、俺と余計なことを話したりするのはまずいのかもしれない。

  まあいいか。

  わざわざ聞くまでも無い。これは虎おっさんから俺への手紙だ。

  思ったより分厚い。連絡先以外のことが色々書いてあるのかもしれない。立って読むのもなんだろう。

  柄にもなくドキドキしつつ、俺は近くに見つけた公園のベンチでその手紙を読むことにした。

  だが──

  *

  『前略 ハイエナくんへ

  やー!元気しとる?ワシや!キミの正面に捕まっとった虎のおっちゃんや!これを読んどるっちゅうことはあれやな、キミも晴れて自由の身ってことやな!まずは刑期終了おめでとさん!』

  まるで虎おっさんがそのまま喋っているかのような文面に、俺はくすくすと笑う。

  彼が先に出所したのはたった一ヶ月前だというのに、なんだか無性にその口調が懐かしかった。

  俺は先を読み進めていく。

  『ワシら、結局お互い名前を名乗れんかったなあ、まあ最後にワシの名前書いとくから、それ見て覚えてな。

  あっ、できたら飛ばし読みはやめて!せっかくやからね、おっちゃん色々書いとくから最後まで読んでほしいねん。

  ほな、えーと、何から書こうか。

  おっちゃんこういうの全然やったことないからね。めっちゃ緊張しとるの。

  んーそやね。

  ま、いきなりでなんやけどネタバレから行こか!

  キミがこれを読んどる頃、おっちゃんはもうこの世に居ません。』

  「──は?」

  下手くそな文字で書かれたその文章に俺の手が震える。

  「……嘘だろ?」

  俺はそう呟きつつ続きに目を向ける。

  『びっくりした?びっくりした?でへへ。もしこれでキミが泣いてくれたらおっちゃん嬉しいなー。

  ごめんな、今まで黙っとって。

  いやな、キミにはよう言われへんのやったけど、刑の執行の話はホンマやったんよ。つまり、昨日がワシの人生最後の夜だったちゅーわけ。

  やー、さっきは情けない姿見せてすまんなー。夜遅いのに話に付き合ってくれてありがと。キミとゆっくりアホな話できたおかげでだいぶ落ち着いたわ。

  なんつってもね、キミが昔の恋人に似とるっちゅーのも実はホンマなんや。でへへ。手紙にこんなん書くの、なんや照れてまうね。

  だからな、キミがワシの前の部屋に入ってきたときは、おっちゃんめっちゃビビったんやで?

  「あらー!?なんでアイツがここにおんのー!?」

  って思ったもん。

  それくらいキミとアイツ(あ、アイツってのはおっちゃんの元恋人のことな)はそっくりやねん。そのしょぼくれた顔も、時々見せる強気な態度も、かわええ顔して案外すぐに手が出ちゃうとこも、アイツが生き返ったんかと思うくらいや!ま、アイツはおっちゃんの地元のお墓で眠っとるから、そんなはず無いんやけどね。

  だからね、キミと話せておっちゃんむっちゃ嬉しかったんよ。思わず初日から夜のお誘いをかけてしもたもんね。やー、キミは最高にドン引きした顔しとったけどな!がはは!

  あと刑務作業の時な!

  キミは覚えとるかなー?初日、キミが完全におっちゃんシカトしとったやつ!あれなー、ワシがアイツと初めて出会った時もあんな感じでね、アイツ、ワシと全然喋ってくれんかったんよ。まあ最後にはおっちゃんの面白トークで笑わせたったけどな!

  だからキミにシカトされとんのがね、なんかもうむっちゃ懐かしくって、おっちゃんアイツに話しかけとった時みたいな気持ちでベラベラ喋ってしもうたわ!いやー楽しかったわアレ!キミはちっとも楽しくなかったやろうけどな、がはは!

  やー、めんごめんご。

  ホンマはね、おっちゃん、いつかキミのこと無理矢理に襲ったろ!とか思っとったんやけど。

  キミがアイツとめっちゃ似とって、ていうかねクリソツやねんホンマ。おっちゃんが金玉蹴られて病院から帰って来た時に頭下げられた時の顔とかね、もうホンマアイツそっくり。おっちゃんびっくりや。玉蹴りされた仕返しに絶対キミのこと犯したろ!って思いながら帰って来たんやけど、その気も削がれてまうくらい。

  はー。全く、ワシも焼きが回ったもんやな。

  その後もな、実は何べんもキミに襲い掛かるチャンスはあったんやけどな(グフフ、ちょっとゾクッとしたやろ?)、キミの近くまでいくとどうしてもアイツの影がちらついて、ドキドキしてもうて、おっちゃん最後までできんかったわ。はー悔しい!

  

  まあでもキミに出会えたのは、このろくでもないおっちゃんに神さんが最後にくれたプレゼントかなーなんて思ったりもしとる。

  おっちゃんな、アイツにずーっと会いたかったねん。

  アイツは若くして亡くなってしもうたからね。

  キミはもちろんアイツやないんやけど、それでもこうして出会えた。

  一緒にご飯食べて、一緒に仕事して、お話して、笑って、いたずらして、殴られたりもして、隣で寝て(鉄格子はあったけどな!)……おっちゃんにとっての長年の夢がちびっとだけ叶った、なんて思ったりもしとるんよ。

  (最後に抱きたかった……なんてのもあるけどな!まあそれはえっか!)

  だからホンマ、塀の外でキミにもう一回会いたかった。

  もっともっとキミと色々話したかった。

  飯も奢ったりしたかった。

  ホンマのキミの名前が知りたかった。

  まーでも初日にカッコつけてしもうたからなあ、おっちゃんから聞くのはさすがに野暮ってもんやからね。

  この手紙を読み終わったら、お空にでも向けて教えてくれたら嬉しいなあ。きっとキミの声はおっちゃんとこまで届くと思うもん。でへへ。

  さて、色々書いたけどこんなところかなあ。おっちゃん普段こんな文章とか全然書かんからね、読みにくいと思うねんけどホンマごめんな。ま、今さらやね!がはは!

  とにかく、キミと出会えてほんっとーに嬉しかったわ。ありがとさん。

  おっちゃんのことなんか思い出したくも無いと思っとったらごめんなさいやけど、もしそうやなかったら、たまーにでええから思い出してくれたら、おっちゃんすごく嬉しいなあ。なんて、ちょっとゼイタク言い過ぎかな?

  では、ハイエナくん。お元気で。

  なるべくこっちにはゆっくり来るようにな。急いでもなーんもええことないでー。

  虎のおっちゃん こと

  虎山大治郎より

  (とらやまだいじろう、って読むねん!結構かっこいいやろ?)

  追伸

  さっきな、キミとお別れの握手してきたわ。

  キミが泣きそうな顔してくれてホンマ嬉しかったで!でもちんぽ殴られた分はあの世から呪ったるからな!なーんてな!がはは!』

  ──ポロポロと俺の瞳から落ちた涙が便箋に落ちては吸い込まれていく。

  あの最後の夜を思い出す。

  あの時看守が俺とおっさんの会話を止めに来なかったのは、彼が刑執行の前日だったからなのだろうか。

  刑務官たちの、虎おっさんへのせめての餞。

  相手はあのろくでもない虎おっさんなのに。

  凶悪犯だって分かっているのに。

  ほんの数週間を共に過ごしただけなのに。

  俺の目からは涙が止まらなかった。

  (……ハイエナくん。キミ、初めましてさん、やんな?)

  強面の虎おっさんは、しかし初めて会った時から俺には優しかった。俺が、彼の昔の恋人に本当に似ていたからで。

  (もしかしてワシらって赤い糸で結ばれとるのかもしれんね)

  冗談めかして言っていたが、虎おっさんは俺と出会えたことが嬉しくて、半ば本気で言っていたのかもしれなくて。

  (大きいと言えば、おっちゃんの地元にはむっちゃ大きいとんかつを出す定食屋があってなァ、大きさも凄いんやけど味もこらもう絶品さんでな、その隠し味に使われとるのがな、何やと思う?──)

  俺がどんなにシカトしてもあれだけ楽しそうに喋っていたのは、恋人との初デートを思い出していたからで。

  (ま、まあキミがちゃんと謝るんなら、ワシやって許すんはやぶさかやないけど?うん?)

  俺が謝った後、虎おっさんがきょとんとした後すぐに許してくれたのは、俺と昔の恋人の面影を重ねていたからで

  (わ、ワシ……、し、し、しにたくないねん……っ)

  あの日、本当に虎おっさんは刑の執行を宣告されていたのだから、あの声は虎おっさんの本音で。

  (したらな、その時には晴れて互いに自由の身で会おうや。な?)

  自由の身なんて、虎おっさんには二度と無かったのに。

  どうしてそれをおくびにも出さずにあんなふうに笑えたんだろう。

  「……おっさん……」

  また会えると思っていたのに。またあの愛嬌のある笑顔を見られると思っていたのに。

  俺は、俺と恋人を重ねていた虎おっさんが可哀想で、彼に二度と会えないことが悲しくて、辛くて、しゃくりあげる様にして泣き続けた。

  *

  ずず、と泣き止んだ俺は鼻をすする。

  見上げれば、鰯雲が浮かんだ秋晴れの青空が広がっていた。

  きっとあの向こうに虎おっさんがいる。

  もしかしたら、大泣きしてしまった俺のことを見てにやにやと笑っているかもしれない。

  (なんやキミ、そんなにおっちゃんのこと好きだったん?嬉しいなあ)

  なんて言ったりして。

  俺は空に向けて自分の名を呟く。

  「一回くらい抱かれてやればよかったかな……。なんてな、へっ」

  俺の声が空の上まで届けばいいなと願いながら。ほんの少しだけ知り合った、虎のおっさんのことを想いながら──。

  「──ほー。キミ、そんな名前やったんか……。名前までかわええやんけ……!げっへっへっへ……!」

  後ろから聞き覚えのある声が聴こえてきて、俺は思わず振り向く。

  と同時に、後ろの植え込みがばさりと持ち上がり、その下に、にゅっと人の身体が生えているのが見えた。

  「ぎゃあああああああ!」

  それを見た俺は思わず悲鳴を上げる。

  植え込みの草を頭に括りつけカモフラージュした、大柄な獣人が背後に隠れていたことも衝撃だったが、それよりなにより。

  俺の目に映るその獣人。

  左目には斜めに傷が入り、太い眉毛と鋭い目つき。

  先端がちぎれた様な尻尾。

  別れるときに見たハンチング帽。

  四十代から五十代と思われるとデカい中年の虎獣人。

  間違いなく、虎おっさんがそこにはいた。

  「な、な、な……!?」

  腰を抜かした俺はその場にへたり込んで、あわあわと虎おっさんを指さすが、彼はニコニコと笑ってそんな俺を見つめる。

  「やー!まさかキミがそんな大泣きしてくれるとは思わんかったわー!キミ、そんなにおっちゃんのこと好きだったん?嬉しいなあ、でへへ!」

  俺が予想した通りのセリフを吐きつつ、虎おっさんは俺の膝に片手を入れ、もう片手を背中に当て、よっこらせと言ってひょいと俺を抱え上げた。俗に言うお姫様抱っこである。

  「ぞ、ぞ、ぞ、ゾンビ……!?」

  俺は抵抗することも出来ずに頭に浮かんだ言葉を口にするが、

  「ちゃうわいアホ!」

  と虎おっさんにぴしゃりと言われてしまう。

  「……キミ、鋭そうに見えて案外かわええとこあるなァ。私服で刑場まで行くなんて普通ないやろ」

  虎おっさんに言われてハッとする。

  そういえばあのお別れの日、虎おっさんは私服に着替えていた。

  つまりは。

  あれは刑の執行なんかではなく。

  「騙したんすか!?」

  「がはは!嘘も方便ってな!おかげさんでキミの本音が聞けたし!あの日は単にワシの出所日だっただけやで~!そっちがホンマにホンマ。あの熊の刑務官はワシの友達でな、今日はキミがこっちの公園に向かったて教えてもろて、隠れて待っとったちゅーわけ!」

  にこやかに笑う虎おっさんの顔を見て、ただでさえ腰が抜けている俺の身体からへなへなと力が抜ける。

  「最低だよ、ホントにアンタ……」

  お、俺の涙は何だったんだ……。

  水分と塩分を無駄にした……。

  「でもな、キミがおっちゃんの昔の恋人に似とるっちゅーのはホンマやし、キミと出会えてもの凄く嬉しかったんもホンマやで」

  ──は?

  俺が見上げると、真剣な目つきで俺を見つめる虎おっさんの顔がすぐこそにあった。

  その目に射すくめられて、俺は胸が高鳴るのを感じた。

  ……感じてしまった。

  「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」

  俺はそれを認めたくなくて、彼の腕の中でわたわたと暴れるが、虎おっさんは止まらない。

  「お願いします!こんなワシですが、おっちゃんと真剣に付き合ってください!」

  「や、や、そ、それは……!」

  俺は全身の被毛が逆立ち、かーっと頬が熱くなるのを感じるが、やっぱりそれを認めたくなかった。

  ──俺が、こんな中年の犯罪者虎おっさんに惚れてしまったなどとは!決して!

  そんな俺の様子に気付いたのか、虎おっさんはにやにやと笑う。

  あの、いかにもスケベそうな顔で。

  「ほーん……すぐに断らんっちゅーことは、キミもおっちゃんのこと満更でもないねんな……?」

  「いやいや!満更!めっちゃ満更ですから!!満更!!」

  パニックになった俺はよく分からない言葉を連呼してしまうが、虎おっさんはグフフと含み笑いをしただけだった。

  「やー、でもさっきキミ言うとったやん、まさかキミがこんなおっちゃんに抱かれてもいいって言うとは………おっちゃん感激でちんぽがもう涙流しとるんだわ……」

  虎おっさんに抱えられている俺の腰に何か硬いモノが当たって、俺は総毛立つ。

  「や!さっきのあれはですね!冗談っていうか!」

  「アカンで~、男に二言は無いんやで~」

  「う、ウソばっかのアンタが言うな!」

  「……ほな、お付き合い記念にラブホ行こっか?」

  「話聞いて!」

  「聞かん!」

  虎おっさんはニコニコしながら俺を抱えて幸せそうに歩いていく。

  俺は、あの時罪を犯しさえしなければこんなことには……!と後悔しつつ、しかし虎おっさんが生きていたことは嬉しかったし、胸が高鳴っているのもまた事実だった。

  「……あんな、これもホンマにホンマやと思ってほしいんやけど」

  虎おっさんがぼそりと呟く。

  「おっちゃん、もう完全に足洗ったんやで。これからはキミ一筋やねん。他の人にはぜーったい浮気せえへん!」

  驚いた俺が見上げると、虎おっさんは俺の方を見ていなかった。

  柄にもなく、真面目なことを言って照れているらしい。

  「……またそれも嘘じゃないんですか?」

  「や、今度はホンマにホンマやって!」

  俺がからかってやると、虎おっさんは慌てたように俺を見つめる。

  俺は、その彼の顔を見つめ返す。

  眉が太くて、左目には傷があって、強面で、しかし俺に惚れているという、愛嬌のある虎獣人の顔を。

  俺もまた惚れてしまったその顔を。

  「──じゃあ、もう一回だけ信じますからね」

  俺はそう言うと、虎おっさんの首に腕を回し口づけを交わした。

  彼に囚われるなら、そう悪くも無いかもしれないな、などと思いながら。