「ここが私たちの病院です」
病院内に通されたイチは感心した。
かつて貴族の私邸であったという院内は壁も床も一面が白く塗られ、隅々まで清掃が行き届いている。
それは院側の清潔な環境を保とうとする日々の努力の成果であろう。
「綺麗な病院だな」
「病院ですから。ガーク院長、掃除に厳しいんです」
どうも話しだけ聞いているとガーク院長は真っ当な人物に思えて仕方ない。
ちらほら見える職員は、人族も勿論多いがハーフエルフが多いことにも気づいた。
ハーフエルフは連邦では差別的な扱いを受ける事も多く、雇用の受け入れ先も他の種族より少ない。
セインをはじめ職員は皆穏やかに働いており、待遇は悪くなさそうだ。
「面会の準備が整い次第、お呼びしますね。しばらく応接室でお待ちください」
イチは応接室に通され、お茶を淹れて来ると言って給湯室に向かおうとしたセインをイチが引き留めた。
「面会までどのくらいかかりそうだ?」
現代とは時間の感覚が違う。面会など、待ち合わせがあっても時間設定はアバウトになる。
なにしろ現代と違い携帯電話なる便利すぎる道具は存在しない。
我々の生きる現代であれば待ち合わせ時間の調整はリアルタイムで行えるが、電報が普及するのさえまだ数カ月の時間を要する。遠方であればさもありなんだろう。
「そうですねえ。30分はかかるかなあ」
「それなら____」
院内を見回ってよいか、イチは聞いてみた。
するとセインはすんなりと「いいですよ」と答える。
まるで見られて困るものなどなさそうな返答にイチは拍子抜けした。
セインがその場を後にするとイチはポーチから懐中時計を取り出す。
16時10分。
時間を確認すると早速イチは院内を見回ることにした。
既に見取り図と情報は頭の中に叩き込んでいる。
今イチがいる場所は本棟であり、ここは主に受付や事務室、看護婦の詰め所や資料室など病院の運営を支える為の施設が集まっている。
4階建ての東棟と北棟が病棟で、北棟だけが少し離れた場所に作られているのが気になった。
____まずは北棟を見てみるか。
面会の時間まであまり余裕がない。
ひとまず実際の全体図だけでも把握しておく必要があった。
本棟を出て少し歩くと北棟に着いた。
本棟と同じく白く塗られた四角い建物で、外観だけ見ると病棟というよりも砦のように見える。
窓にはどれも鉄格子がはめられているが、これは患者が脱走しないための措置なのだろう。
今はあくまで面会の為にやってきた従妹という立場である。
イチは迷うことなく正面の入り口から中に入ろうとした。
しかし、
「お嬢さん、ここに何か用かね」
入り口に面するように作られた窓から守衛らしき男が声をかけてきた。老人といっていい年齢で小柄だが頑丈そうな体つきをしており、戦争経験のありそうな雰囲気を感じる。
「従兄の面会のために来たんだが、面会の時間まで待たされることになってな。それまで見学させてもらってるんだ」
「悪いがここは一般人は立ち入り禁止だ」
「立ち入り禁止?」
「そうだ」
守衛の男が言うには、北棟は行害者の中でも症状が重い者を入院させているので限られた者しか入れないようにしているらしい。
「危険な行害者もいるからな。万一脱走でもされたらかなわない」
「そう……か」
一旦イチは守衛に従うことにした。
別に調査を諦めたわけではない。
そもそもイチはノームのいった事を額面通りに受け取り、今日の調査だけでケリをつけるつもりはない。
ビジネットにとった宿に潜入用の装備をスーツケースに入れてある。
今は言うなれば事前偵察。
なにか不審があれば、機を見計らい夜影に乗じて院内に潜り込むつもりである。
引き返したイチはとりあえず東棟を調査することにした。
ここは一番広く大きな病棟で、4階建ての窓に鉄格子という組み合わせは変わらないが他の病棟よりもどこか和やかに見えた。
中に入ると丁度行害者たちが1階の作業所で軽作業をしているらしき場面を見る事ができた。
行害者たち看護婦に見守られながら缶詰の空き缶を手動式の機械で潰すという作業をしている。
機械といってもそれは酷く単純な仕掛けで、空き缶を装置の中央にセットしてレバーを押すとテコの原理で空き缶が潰れると言うものだ。
恐らく多くの行害者は自分が何をしているかもよくわかっていないのだろう。魚のように感情を感じさせない目でたどたどしく手を動かしている。
行害者が空き缶を潰す度につきそいの看護婦たちは優しく褒めてやる。
イチは自分でも説明できないやるせなさを感じ、他の階を見て回ることにしたが、やはり不審を感じるような場面は見つからなかった。
しかしその中でも気づきがある。
行害者、と言っても様々で、比較的軽度なものは殆ど健常者と変わらなく見える。
中にはベッドに拘束されボーっと天井を見ているものもいたが、これも看護婦に尋ねると自殺の恐れがあるので予防のためらしい。
その看護婦は拘束された患者の下の世話をしようとしている最中だが、特別嫌な顔はしていないようだった。
このヅィーコプカイン精神病院は19世紀、まだ医学が発達していない時代の病院らしく精神に病状を抱える者も社会生活を送るだけの知能が発達していない者も一緒くたに受け入れている。
それだけに、看護婦の苦労は計り知れない。
イチは看護婦たちに素直な敬意を抱いた。
時間が近づいたので応接室に戻る最中、本棟に戻る廊下でイチは再び先程のセインたちを見た。
どうやら花壇にいた行害者の女性が癇癪を起したのかその場にしゃがみ込み、大声で喚いている。
セインは後輩とふたりでビョインと呼ばれた女性を部屋に連れ戻そうとしている最中らしい。
「ビョインさん、着替えないとダメだよ? お部屋戻ろうよ」
「うううううんんん!! わああああああ!!」
「お着換えしないと、ね?」
「だあああああああああああああ!」
しかしセインが手を差し出した時、ビョインは振り払おうとしたためその爪がセインの肌をひっかいてしまった。
傷は深くはないが、赤い血がセインの腕に滲んでいる。
イチはセインの腕に引っかき傷が多い事に気づいた。
「血が出ちゃった。びっくりしちゃったね。ごめんねビョインさん」
しかしそれでもセインは顔色を変えずビョインに寄り添うのだ。
イチはまたどうしようもないやるせなさを感じ応接室に戻る事にした。
看護婦たちは異常なまでに優しく、行害者たちは不自由なく暮らせているのかもしれない。
だがイチはこの施設に、どうしても普段街で感じるような輝くものを感じられなかった。
それは魂のない人形遊びを繰り返すだけの空間に思えた。
もっともそれもイチの主観でしかないのだけれど。
____不正が、なければいいな。
そう考えてしまった自分に気づき、頭を振って意識を変える。
イチは冒険者である。
冒険者である自分に誇りをもっている。
冒険者として捜査に来ているのだから、感情を先行させ観察力が鈍る事は避けねばならない。
しかしそれでもイチにはどうしてもセインというハーフエルフの少女が不正に加担しているとは思えなかったのである。