11話 くすぐり私刑を受けるイチ(2) よせあつめ外伝6

  イワンシコニアの町の南には飛竜山脈が東に果てしなく広がっている。

  その麓にイチは足を進めた。

  森林での活動を考え、装備を変えてある。

  具体的には肌の露出を極力抑える為にいつものショートパンツから生地の厚い皮のロングスカートに履き替えた。

  素直にズボンにすればよいと思われるかもしれないが、この時代の女冒険者は太もも周りの素肌が露出していれば露出しているほど脚さばきがよくなるという迷信を信じていた。

  イチは老人から教えてもらった小屋を目指す。

  このあたりの植生はバルティゴのものと違い針葉樹が主である。

  麓であっても飛竜山脈は足場が悪く、普通の装備であれば100m進むのも難儀しただろう。

  もしラージュリヴァが藪に逃げ込むような展開にでもなれば夏場の為雫で濡れた草木が生い茂り、藪に入れば露出した肌は葉や枝で切り裂かれる。

  その場合、装備の差は明確なアドバンテージになる。

  ____夏のイワンシコニアでよかった。

  懐中時計で時刻を確認すると既に19時を回っている。

  遅い時間に山に入るのは得策でなかったが、ラージュリヴァを逃したくない気持ちが勝ち、最悪日が暮れる事を覚悟した。

  夏場なら19時はまだ明るい。これはイワンシコニアが北にあるためだ。

  冬になればここらの地は寒波が襲い、ひとりの男を探すにしても下手をすれば命懸けになる。夜なら尚更だろう。

  ともかくイチは目的の炭焼き小屋が見えるところまで歩みを進めた。

  木々の間に潜み様子を窺うが少なくとも見える範囲に人の気配はない。

  ____うむぅ。

  しかも、イチは見た。

  小屋のドアに何か巨大な獣が爪でひっかいたような痕がある。

  しかも、本来あるはずの雨戸はなく、窓ガラスが割れ血の乾いた跡のような変色がある。

  ____念のため、ライフルを持ってきてよかったな。

  イチは肩に背負っていたカーペイト10式ライフルを手にし、いつでも発砲可能なようにボルトを操作し弾を込めた。

  余談であるが、バルティゴ連邦の銃器は天才カーペイト兄妹がその技術水準を革命的に進めた。

  同時代にまだ他国がレバーアクションライフルを使っていたのに対し、バルティゴ連邦では既にボルトアクションライフルの開発と量産に成功している。

  ボルトアクションライフルとレバーアクションでは使える弾の強弱が違う。

  大抵の獣であれば対処できるボルトアクションライフルの傑作をイチは用意していた。

  神経を張り詰めさせ、小屋の周囲から中を窺う。

  動く者の気配はないが、血の臭いが微かに残っている。

  中からの奇襲を考慮し、ライフルを腰だめに構える独自の姿勢でドアを少しだけ開き隙間を作る。

  常識であれば反動を受け止められない姿勢だが、イチの腕前があればこの構えでも初弾を確実に敵の急所に叩き込める。

  覚悟を決めると脚でドアを一気に開ける。

  しかし小屋の中から反応はなく冷静に中を窺うと脅威はないようであった。

  ____むぅ。

  小屋の中はなるほど、猟師が一時的に寝泊まりするために作られたのだろう。

  ベッドはないが獣の皮で作った寝具があり、石で囲んだ炉を中心にして暖を取りながら寝れるようになっている。

  どうやらごく最近使われた痕跡がある。

  しかしそれよりも注目すべきは床や壁に散った赤黒い染みだろう。

  血の跡である。

  ____やはり、熊か。

  イチはドアの爪痕、残った獣の臭い、そして犠牲者の身体が見当たらないことから熊の仕業であると判断した。

  この地方には鎧熊が生息している。

  鎧熊とは竜を除けば生態系の上位に立つ猛獣で、皮膚が鎧のように厚く固いことからその名前がついた。

  人を襲う事は稀なのだが、想像するにラージュリヴァは接触した時に対応を間違えたのだろう。

  鎧熊は執着心が強く、敵対した生物、一度手を出した食物には異常なまでに執心する。

  ____これで、ラージュリヴァの確保は難しくなったな。

  今頃ラージュリヴァはどこかで熊の餌になっているだろう。

  そうなるとラージュリヴァの死体はおろか、彼が死んだとわかる痕跡を持ち帰るのですら危険だ。

  なぜなら鎧熊にとってラージュリヴァは既に鎧熊のものになっているからであり、その一部だけでも取ろうものなら鎧熊はイチをどこまでも追いかけるだろう。

  ____熊撃ちなら、せめてもうひとり欲しいな。

  カーペイト10式なら鎧熊を仕留める事は可能である。

  しかし、鎧熊は脳を撃ち抜こうにも、心臓を撃ち抜こうにも分厚い皮膚が装甲のようになっており、熊撃ち猟師でも狙いを外し逆に食い殺されてしまう事が往々にしてある。

  イチはその危険性を聞いていたので、単身で熊と戦う事を恐れた。

  実際、現代でも鎧熊を駆除する場合、余程の熟練者以外は数人で猟犬を連れ山に入るのが通常である。

  もっとも、人の味を覚えた熊は繰り返し人を襲うので駆除しなければならないとは思っていただろう。

  ____ん?

  ふとイチが視線を床に落した時、何かが転がっているのに気が付いた。

  「これは……!」

  イチは思わず喜びに声を上げた。

  それは血に汚れていたが、依頼書にあった特徴と一致しており、血の汚れを拭ってみると間違いなく金時計である。

  ラージュリヴァが執着した金時計も獣にとっては無価値だったのだろう。

  「あるじゃないか! 金時計!」

  しゃがみ込んだままコートの隠しポケットにしまうイチ。その表情と声に興奮を隠せない。

  なにしろこれで労せず十分な賞金を得られるのだ。しかも銃弾を浪費せず済んだのもイチには嬉しい。

  まるで一発の銃弾で2羽の鴨を仕留めたようなものだ。

  そんな幸運のため、気が緩んでいたのだろう。

  やはりこの時のイチはまだまだ青い。

  「動かないでちょうだい」

  イチは背筋にゾクリとするものが走った。

  例の女冒険者3人だった。

  振り向かずとも銃を向けられている事はわかる。

  「なにかいいことでもあったみたいじゃん?」

  そう言う声はクースか。

  イチは下唇を吸った。こんな相手に接近を許すなど考えてもみなかった。

  「なんのつもりだ? 冒険者同士、危害を加えるのはご法度だぞ?」

  

  正面から撃ち合えばボルトアクションライフルでも3人を相手にすることなど朝飯前だが今は体勢が悪い。

  振り向いての撃ち合いになればどうなるかわからない。

  「危害? 人聞きが悪いわねえ。お友達として、何かいいことがあったのか聞いてるだけじゃない」

  グリムの声から不敵に笑う表情が想像できる。

  「友達になった覚えなどないが」

  イチは答えながら打開策を練る。

  「今からなればいいじゃないのよ」

  「悪いが、同じ冒険者の背中に銃を向けるような連中と仲良くしたいとは思わないね」

  恐らく、グリムたちには実際にイチと撃ち合うつもりはない。

  数の利を活かしてイチが自分たちの意に従うのを期待しているのだろう。

  冒険者が冒険者から目標を奪うことは推奨されてはいないが厳密に禁止されているわけじゃない。

  明確に禁止されているのは冒険者同士で物理的な危害を加えることだけだ。

  それ以外、冒険者同士で起きたトラブルはよほどのことがない限り当事者間での解決が原則となっている。

  「悲しいわ。けど、それならこっちにも考えがあるわよ」

  グリムの声色に攻撃の意志を感じ、イチは覚悟を決めた。

  「上手くいくと良い________なっ!」

  イチは即座に身体を回転させると振り向きざまにカーペイト10式ライフルをグリムに向けて投擲した。

  「あッ____!?」

  その流れの中で、3人が射殺するつもりで銃を構えていない事を瞬時に見て取り、自分の読みが外れていない事に内心ほくそ笑む。

  グリムの額にライフルの銃身が直撃し、その瞬間生まれた隙にイチは懐に飛び込み思いきり床に引き倒し無力化した。

  イチは体術に関しても同じ位の冒険者から抜きん出ている。

  イチの予想通り、青髪のクースも黒髪のコチョラータも銃の引き金を引くような事はしなかった。

  「あんたッッッッ!!」

  青髪のクースが怒りもあらわにイチに格闘戦を仕掛けてくる。

  やはりイチの観察通りクースは格闘に自信があるようで、銃を持っていない相手には引き金を引くより身体が先に動いたのだろう。その瞬発力はなかなかのものだ。

  しかしイチはクースの掴みかかろうとする腕を左手で引きずり込むようにして掴むとその勢いを活かして背負うように投げ倒した。

  リャン・ハックマンから見て盗んだ我流の護身術である。

  「あがッ!」

  クースは受け身も取れずに背中から叩きつけられ立ち上がれなくなった。

  「も、もう、ゆ、許さないよッ!!」

  最後に残ったコチョラータが諸手を突き出し向かってくるのを見てイチはニヤリと笑う。

  「お前に何ができる?」そうとでも言わんばかりにイチは構えた。増長している。

  イチはクースを投げ飛ばしたのと同じ動作でコチョラータの腕を掴んだ、………………が。

  「____ッ!?」

  イチはコチョラータの動きを流せず、気が付けば互いに両手を組み合わせて睨み合う形になる。

  ____こいつ、何らかの格闘術を齧っているのか?

  これがイチの慢心が悪く働いた結果である。

  コチョラータの外見と言動から勝手に格闘戦に不慣れなものと思い込んでいたのだ。

  「うっ、くくくくぐぐッ____」

  「ふんむぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

  その小さな身体にどのような膂力があるのか、イチはコチョラータの腕を組み伏せようとしたがその腕は震え徐々に徐々にコチョラータの腕力に従いはじめている。

  握りしめられた手に痛みを感じ冷や汗が額を伝う。

  「この………………くおおおおおおおッッッッ!!」

  「ふんむむむぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」

  全身に力を籠め、なんとか相手の体勢を崩せないか脚も使い努力するが気が付けば完全にコチョラータによって腕を下げられてしまい前腕に痛みが走る。

  「あッ____いつッッッ____!!」

  イチが痛みに顔を歪めた瞬間、

  「ふんむッッッッ!!!」

  「ぎゃんッ____!!」

  コチョラータはイチから手を離すと素晴らしい身のこなしでイチの身体を担ぎ上げそのまま背後に投げ落とした。

  これは撞木反りと言われる大日国に伝わる特殊な格闘術である。

  「どっせい!!」

  勝利の気合を入れるコチョラータ。

  イチは投げ飛ばされた痛みで立ち上がれず、気が付いた時には立ち直ったクースに左腕を、右腕をコチョラータに床に押し付けられ磔にされるように身動きを封じられてしまったのである。