「バカヤロウ!」
洞窟の狭い通路の中、イチの声と打擲の音が響いた。
「あっ!」
イチの平手をくらったアニスはよろめいて洞窟の壁に身体をぶつけた。
この通路は狭すぎてダンジョンスクイの兵隊が根付くには適していない。こういう狭隘な場所では触手の利点を活かせないからだ。
「どうするんだ!? さっきの煙幕弾は君の家族を連れ帰る為に用意したものだったんだぞ!」
「ごめんなさい。僕、あまりにも遅かったから、心配で」
アニスはぶたれた頬を手で押さえながら涙を流して謝った。
自分の軽率な行動が取り消しの着かない結果を招きつつあるのに気づいたのだろう。
アニスの先走りがダディスとスエッタの命はおろか、イチまで危険に晒している。
しかしこれはアニスだけの責任とも言えない。
事前にイチが自分のとる行動をしっかりと説明していれば避けられたかもしれない事態であった。
イチもその事に気が付いたのだろう。
「……殴ってすまない。私が悪かった」
そう言ってもアニスは泣き止まず、しゃくり声をあげていたのでイチは少年を安心させるために少年の頭を撫でてやった。
「泣くな。冒険者はこういう時泣かない。次に何をするか考えるんだ」
そう言うイチではあったが、実際途方に暮れている。
ダディスとスエッタを見つけたとしてもアニスの身の安全を確保しながら洞窟を脱出するのは困難を極める。
装備も消費してしまった。
こうなってはどうにかアニスだけでも連れて依頼を放棄する事も考慮しなければならない。
しかしそれだってアニスを守って戻れる保証もないのだ。
_____くそ。今何時だ?
懐中時計を開くと時刻は19時を過ぎている。
先ほどの一帯を通り抜けるまでに2時間以上かかるとして、一度アニスを連れてなんとか洞窟の外に出て再度挑むとしても、日の出を前に戻ってこれる可能性は薄い。
_____だめだ。少年だけでも連れて出る以外の選択肢がない。
イチが苦渋の決断を下そうとした時だった。
「誰か……、そこにいるのか?」
通路の奥から男の声がした。
「お父さん!」
その声はアニスの父ダディスであった。
◆
ダディスはイチ達がいた通路の窪みから少し先の、身をひそめるのに丁度良い窪みに壁を背にして座っていた。
胸にはまだ小さい末娘のスエッタを抱いている。
スエッタはよほど恐ろしい目に遭ったのか言葉を発せずアニスとイチを怯え切った目で見て震え、ダディスにしがみついていた。
「よく……、無事だったな」
ダディスを見つけたイチはまず感嘆の声をあげた。
なにしろダディスは身体中の至る所に傷を作り、応急手当で巻いた止血帯からは血がにじみ出ている。
顔色は青ざめており、呼気も荒い。
「無事とも言えないがな……、救出隊は……?」
「……私だけだ」
「………………そうか。よく息子を連れて、ここまで来れた。大したもんだ」
ダディスはくたびれたような笑みを浮かべると直後に苦しそうに喘いだ。
「大丈夫か?」
「前向きな返事は出来んな。それより息子と娘を連れて出てくれ。俺は俺でなんとかしてみる」
「それに関しても前向きな返事はしずらいな」
イチは改めてダディスを観察した。
身長は180を超えた筋肉質な巨漢で、齢40に近いとの事だが衰えを感じない。装備はジーンズにシャツという軽装だが、後ろ腰にバックパックを吊り下げたガンベルトを巻き、右手には大型の鉈を握っている。
「それだけの装備でどうやってここまで来れたんだ?」
イチの疑問ももっともだ。
ダディスの装備で先ほどの触手が意識外の暗闇から飛んでくるあの地帯を突破できるとは思えない。
「賭けになったが……わざとダンジョンスクイに捕まってな。うまくすると娘が捕らわれてる最奥まで行けると思ってな。賭けには勝ったが、その分このザマだ」
「一度女王に捕らえられたのか!?」
「薬屋なんでね、口の中に、自分で調合した薬を仕込んでおいた。これを吹き出せば、一時的にだが奴らの動きを無力化できる……」
「それにしたって……」
イチは改めて驚嘆した。
イチも過去にダンジョンスクイに捕らわれて自力で生還した冒険者の話は聞いたことがない。
しかしその代償は大きかったようで、致命傷こそないようだが血を流しすぎている。すぐにどうにかなりはしないだろうが、それでも適切な治療を受けなければじわじわと命が尽きてゆくだろう。
「カーペイトか」
ふと、イチはダディスのガンベルトにぶら下がった回転式拳銃に意識を向けた。旧式のカーペイト5式ではあるが、イチの15式と同じ5号拳銃弾を使用する。見たところガンベルトには弾丸もビッチリ30発ほど巻かれている。
どうやらダディスは2丁拳銃を使うらしく、右と左にそれぞれ挿していた。
「悪いが、お喋りしている時間があるなら子供たちを連れてでてくれないか? あんたひとりだけ来たって事は、ギルドがどういう判断を下したか想像できる。時間を無駄にするな」
ダディスは強い口調でイチを咎めた。
最早自分の生命を念頭に置いていないのだろう。
「イチさん……」
アニスは不安そうな顔をしてイチを見ていた。
当然父親を置いていきたいわけがないが、それでも彼は先ほど自分の無力さを思い知ったばかりである。
「悪いが私だけであなたの子供をふたり連れてここから脱出するのは不可能だ」
「…………そうか。ここまで来てもらってすまない。君だけでも逃げてくれ」
ダディスの腕の中でスエッタが震えながら一層強く父親にしがみついた。アニスはそんな妹を見て絶望的な気持ちになった。
ダディスはより深刻に状況を捉えている。
「誰がひとりで逃げるなんて言った? 4人でこの洞窟を出る」
イチの言葉を聞いたダディスは一瞬目を大きく開いたが、苦笑すると首を横に振り、腰のカーペイト5式を右手で抜くと銃口を向けた。
「小娘の世迷い事に付き合っていられる状況じゃない。既に自決の覚悟はある。それともここで一緒に死ぬか?」
ダディスは万一脱出に失敗した場合、息子も娘も酷く辛い最期を迎える事を知っている。
現に、彼の娘のスエッタはダディスに助けられるまで女王に捕まり、幼体が狩りと繁殖を覚えるための練習台として嬲られていた。もしずっとスエッタが捕らわれ続けていたら初潮を迎えるまで生かされて死ぬよりも辛い目に遭ったのは間違いない。
彼の言葉の通り、既にダディスには子供と心中をはかる覚悟ができている。
その場に部外者はいてほしくなかったのだろう。
ダディスの目は険しい。
しかし、
「勘違いするな。あなたも一緒にここから脱出するんだ。あなたの協力があれば可能性がある」
「馬鹿な。不可能だ」
「私は冒険者だ。不可能かどうかは自分で決める」
ダディスはその言葉を聞いて目の前の少女を改めて見た。
とてもではないが単身でダンジョンスクイと渡り合えるような体躯ではない。
だが、そんな少女がここまで傷も追わず、どういうわけか息子を連れてやってきたのだ。
ダディスが冒険者をやっていた時もこんな少女は見た事がなかった。
そしてなにより、少女の青い瞳に不屈の輝きを感じ、それは今この暗い洞窟の中でかつてダディスが若い時に憧れたとある冒険者と同じ輝きをしていた。
「わかった。プランを聞かせてくれ。それで判断する」
時刻は19時半を回っていた。
日の出までにはまだ時間があるが、それでもこれからの苦難を考えると残された時間があるとは、言えない。