「...お姉ちゃんなんて、いなくなっちゃえばいいのに」
櫻井明子(さくらい あきこ)はベッドの上でそう呟いた。
遡ること一時間前...
「私、○○大学に行きたい」
姉の美紀(みき)が誇らしげに語る
「凄いじゃない!○○大学と言えば名門大学じゃない!」
母親が喜ぶ。
「でも、美紀は今まで一般受験の準備をしてたか?AO(自己推薦)だったらすぐじゃないのか?」
父親がいぶかしむ
「ううん、私、指定校推薦だから」
その言葉を聞いて黙っていた美紀が口を開く
「指定校推薦って....それってフェアじゃないよ」
指定校推薦とは、高校が特定の大学と協定を結び、成績が高い生徒を推薦入学させる制度だ。
「ん?指定校推薦のどこがいけないんだ?」
「指定校推薦はたしかに成績が高いと合格できないし、校長や学校長の推薦が必要だよ。でも、批判する人も多いよ」
「校長や学校長の推薦や日々の勉強だって重要だろう。どこがいけないんだ?」
「指定校推薦枠が大きいから、その分私たちのような一般入試やAO入試の枠が抑制されてるの。大学も定員数を一定程度確保したいし、高校も大学合格者実績を誇りたいから...」
指定校推薦に関する問題を解説していた明子の話を遮るように、父親が食卓をこぶしで叩く
「いい加減にしろ!どうせYouTubeで自称インフルエンサーがそれっぽく語っているだけだろ!自分が中学受験に失敗したからねたみたいだけなんじゃないか?」
父親は明子の痛いところを突く。明子は2年前に中学受験に失敗し、公立の中学校に通っていた。明子はその場にいるのが気まずくなり、席を立つ。その時だった。
「何と言われようと、美紀はお父さんの誇りだからな」
その時だけ、目に映る何もかもが止まった気がした。
「...何よ...私だって頑張っているのに...」
そう独り言を言いながら、明子はスマホをいじる。すると、「改変アプリ:リライト」という広告が出てくる。
「何このアプリ?」
興味本位で明子はインストールする。インストールが完了すると、明子はアプリを操作する。アプリの捜査に関する説明がなく、少し怪しそうだった。しばらく操作すると、「改変したい動物」と出てくる。タップすると、「犬」、「猫」、「兎」などがある。また、「改変したい動物」の下には「記憶改変」、「常識改変」などがある。早速試そうとするも、「被写体が表示されません」と表示される。
「そうか、対象が無いとできないんだ..」
明子は改変する対象を既に決めていた。
一方、隣の部屋で美紀はLINEで通話していた。
「昇太?今度試験が終わったら会えない?試験は全集中で行くからさ」
決して防音性に優れた部屋と言えないため、会話の内容はダダ漏れだった。
「(せいぜい、人間として最後の時間を楽しむといいわ)」
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翌朝...
「行ってきまーす!」
明子と美紀はそろって登校する。いつも通りの朝の...はずだった。
「アキ、どうしたの?」
明子は改変アプリを起動する美紀の方へスマホを向ける。続いて、「改変する動物:犬」、「犬:セントバーナード」をタップする。
「..あれ、なんか暑い...?」
美紀が制服をパタパタする。美紀の身体から汗と、そして微かに湯気が上がる。次の瞬間、両耳の奥に強烈な圧迫感が走った。
「うう、ううん....」
美紀は頭を抱えてうずくまった。髪の生え際がぴくりと動いたかと思うと、両側からもこもこと茶色の毛が生え、次第に丸く、厚く、柔らかく膨らんでいく。耳の位置も少し上へ移動する。両耳は薄く伸ばしたピザ生地のような形に変え、人間のものとは明らかに異なる。頭頂部に移動すると、両耳は上部が茶色、下部が黒色の毛で覆われ、垂れた犬の耳が完成する。
「……っ、あれ?」
美紀の声が低くなり、かすれて濁る。その時すでに鼻の形は変わりつつあり、鼻梁が縮み、先端が黒ずみながら湿り気を帯びていく。呼吸をするたびに、黒く、湿った鼻が前へ前へと移動し、犬の口吻を形成する。同時に、空気が生温かく鼻腔を満たし、地面の匂いや空気の湿度まで明確に感じ取れるようになっていた。
「ちょっと、明子!何やってんのよ!」
ここで、美紀は怒り始める。
「私に一体...何をしているの!?」
ここで、通りすがりのサラリーマンが怒声に気づき、明子に駆け寄ろうとする。明子はとっさに「常識改変」のアイコンをタップした。
「...可愛い”犬”ですね」
「何を言ってるの!?わ、私は犬じゃ...!?」
美紀の両手が変化する。
「バキバキっ!」
指がきしむ音を立てながら内側へと巻き込まれ、手のひらの奥に沈み込む。指が太く丸まると同時に、柔らかな肉球が掌に浮かぶ。手のひらが分厚くなる。爪は厚く黒ずみ、鋭さよりも地面を踏みしめる安定感を感じさせるものに変わる。皮膚の下では筋肉が脈動し、人間のものとは違う、がっしりとした骨格に再構築されていく。手首から先は完全に犬の前足と見まごう姿へと変貌し、ついに彼女はその手で地面に体を支えるしかなくなる。
変化は止まらない。制服のスカートがきしむほどに腰回りが膨れ上がり、背骨がぽきぽきと音を立てて湾曲する。顔と胸が次第に地面へと近づいていく。その胸も次第にしぼんでいき、下腹部に何個もの乳房が形成される。彼女の尾てい骨から太く長い尾が突き出した。ふさふさとした茶と白の毛に覆われ、ゆらりと揺れるその尾は、まさしくセントバーナード特有のものだった。
「美紀!あなたいい加減に...」
美紀は殴りかかろうとするも地面に躓く。足の骨格が急激に変形し、足先が地面を掻くように湾曲する。膝が逆関節へと折れ曲がり、太く力強い後肢が完成する頃には、彼女の全身は茶と白の厚い毛に覆われていた。
「ごめんね、お姉ちゃん。愛される存在は私だけでいいの」
明子がそう言った途端、美紀の顔に茶色と白の体毛が波紋のように広がり始める。頬と顎、鼻筋とおでこは白い毛、目元と言ったそれ以外は茶色の毛に侵食される。長い茶髪は地面に落下し、代わりに白い毛と茶色の毛が頭部を覆う。人間の表情は失われ、代わりに柔らかなセントバーナードの表情が浮かぶ。
「ハァ、ハァ、ハァ..」
舌が厚く長くなり、だらしなく口から出した。それでも彼女の目だけは、どこか名残惜しげに瞬いていた。
そこにいるのは地面に四つ足で立つ一匹のセントバーナードだった。
「ワン!ワン!」
美紀は明子に吠え始めた。人間の言葉を話せないものの「早く戻せ」、「こんな仕打ちは許さない」と怒っているのは明白だった。
「あー、もううるさいなぁ。犬は犬らしく尻尾を振ってればいいんだよ」
そう言って明子はアプリの「記憶改変」のアイコンを押す。「追記」と書かれた案に「櫻井美紀が最初から人間でなかったという前提にして」と書き込み、「承認」と表示される。
その時から、人間の「櫻井美紀」は消滅し、代わりにセントバーナードの「ミキ」が誕生した。
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数日後...
「ミキ、おはよう」
父親が語り掛ける。ミキは庭にある自分の犬小屋から脱け出しワンと吠える。
ふわりと垂れた耳、黒と白のまだら模様、モフモフとした体毛。そして、地面に立つ四肢。どう見ても犬だった。
「ミキ、ご飯だよ」
明子がミキにドッグフードが入った皿を渡す。ミキはガツガツと食べ始めた。
「ふふっ、ミキったら食いしん坊なんだから」
そう笑う明子の目は笑っていなかった。
「ミキ、そろそろ時間だよ!」
声の主は母親だった。リードと首輪を片手に、当然のようにミキの名前を呼ぶ。
「今日から新しい施設だって言ったでしょ? 今度はちゃんとした保護犬クラブで、同じ大型犬の仲間もいるって!」
ミキは母親に抱き抱えられ、車に乗せられた。
「(これもお姉ちゃんのおかげね)」
明子は犬小屋を見て思った。改変アプリを使うまで、櫻井家はマンションに住んでいた。しかし、今では一軒家に住み、ミキは庭に住んでいる。美紀は中学と高校も私立で、多額の受験費用をかけていた。人間としての美紀が「抹消」されたため、美紀にかけた費用も無かったものにされた。
「(お姉ちゃん、ありがとう)」
明子は誰にも気づかれぬよう微笑んだ。
一方、母親はミキを「保護犬クラブ」という施設に連れて行った。
広々とした庭に、さまざまな犬たちが遊んでいる。柴犬、ボーダーコリー、ラブラドール、グレートデーン…。それぞれ首輪をつけ、世話係の若いスタッフが笑顔で見守っていた。
「櫻井さん、いらっしゃい!」
白衣を着た若い男が駆け寄ってきた。母親の手には「登録カード」が握られていた。
名前:ミキ
犬種:セントバーナード
年齢:17ヶ月(相当)
性格:穏やかだが、たまに思い出したように吠えることがある
特技:穴掘り、ドア開け、しっぽ振りダンス
「ショウタくんも待ち遠しそうですよ」
職員がそう言って、ショウタと呼ぶ1匹のセントバーナードの指差す。ショウタは尻尾を振り、今にもミキと遊びそうだった。
[newpage]
「嘘...なんで...」
佐川信子(さがわ のぶこ)は震えていた。かつて自身が所属したアプリ開発会社がイタズラ半分で開発したアプリ「リライト」が実際に使われているとの情報が入ってきた。警察のサイバー犯罪課に務める知り合いアクセス履歴からインストールしたのは櫻井明子だと判明した。また、「改変アプリが世に出回っている」との都市伝説がネット掲示板を中心に広がっていた。
信子は明子に接触し、アプリについて訊き出そうとした。
「私たちが開発したアプリ、インストールしたでしょ?」
信子が尋ねるも、明子は黙ったままだ
「あのアプリが広がると誰かの人生が狂うかもしれない。もし持っているならすぐに消して!」
「...”誰かの人生が狂うかもしれない”?少なくとも私たちの人生は良くなりましたよ?」
ようやく明子が口を開く
「何ですって?」
「お姉ちゃんが最初からいなくなった分、我が家は裕福になった。マンションから一軒家に引っ越せたし、毎日の食事も添加物だらけの食品からオーガニック食品を食べられるようになった。お姉ちゃんだって幸せそうですよ?」
明子はフリスビーを追いかける美紀の動画を見せる
「そんな...詭弁じゃ....ワン!?」
信子の語尾がおかしくなる。明子の方を見ると、スマホを信子の方に向けていた。
「今すぐ、やめなさい...!」
明子が駆け寄ろうとするも、転んでしまう。その瞬間、足元に変化が起きる。ヒールを履いた足が内側から熱を帯び、足首の角度が人間ではありえない角度に曲がり出す。甲が盛り上がり、つま先は尖り、足の甲に分厚い毛皮が芽吹くように生えてくる。ブーツが軋みを上げて裂け、灰白色の毛が覗いた。
両脚が逆関節に変わり、二足歩行が難しくなる。
次に、手のひらが微かに震えた。
まるで中から皮膚が裏返ろうとするような感覚。いや、違う。骨格そのものが、何か別のものへと再構築されていくような異様な感覚だった。
「う、うそ……手が……!」
細く長かった指が急激に太く、短くなり、同時に先端が丸く厚く盛り上がる。爪は黒ずみ、鋭く硬質に変わりながら、指からむき出しになる。掌の皮膚はざらついた感触を帯びて膨らみ、肉球が形成されていく。両手が、まるで四足動物の前肢のように変化していくのを見つめながら、彼女はバランスを崩してしゃがみ込んだ。
「嫌ぁ、嫌わぁん..!」
信子は叫びながら、公園の地面を獣の爪でガリガリと搔き始める。
「このアプリ作ったんですよね?だったら”製造物責任”ってやつを取ってもらわないと困りますよ」
次に、信子の顔に異変が生じた。
鼻梁が丸く形を変えながら、前方へと伸び、感覚が鋭くなっていく。鼻腔が広がり、周囲の匂いが洪水のように流れ込んできた。食べ物の匂い、汗、金属、空気の湿度すら分かる。鼻先は黒く湿り気を帯び、シベリアンハスキー特有のシャープなマズルが形成されていく。
「っ、く……くるしわぁん……!」
耳がじんじんと熱くなり、次の瞬間ピンと立ち上がるように形を変える。丸みを帯びた人間の耳は消え失せ、頭頂部に鋭敏で三角形の狼耳が生え揃う。音の解像度が上がったかのように、遠くの微かな振動音や空気の揺れが脳内に響いてくる。
毛が生え揃いはじめたのは背中からだった。
細やかで厚く、ふわりと空気をはらんだ銀と黒の毛並みが波打つように広がっていく。背中には黒い毛が、腹部や四肢と言った他の部位には銀色の毛が波紋のように広がる。肩幅はぐっと広がり、腕は前肢へ、胸部から腹部にかけてのラインも一気に獣じみて肥大し、服は破れかけていた。
「ビリビリッ!」
体つきが良くなり、服がただの布切れと化す。
オレンジ色の髪の毛が消滅し、代わりに耳周りに黒い毛、それ以外の頭部に白い毛が生えそろう。
腰から突き出した骨がぐぐっと伸び、太くも柔らかい尾が生える。フサフサの尾は自然と振られ、意識とは関係なく感情を表し始めた。
最後に、全身のバランスが四足歩行へと適応するように変化し、信子は完全にシベリアンハスキーと見分けのつかない姿となった。
「ワンワン!」
信子が吠え始める。すると、明子は鞄からハンマーを取り出す。
「殺される」
信子が怯えたその時だった。
「ガシャン!」
液晶画面とプラスチックが割れる鈍い音がする。明子は何度も何度もスマホを叩き割り、液晶画面の破片が周りに火花のように飛び散る。やがてスマホは真っ二つに割れた。明子はさらにハンマーでスマホを叩き、やがて画面は粉々になった。
「私しかインストールしていないんですよね?だったらこれで十分じゃないですか。ちょうど新しいスマホも買うし」
明子はそう言って立ち去って行った。
翌日、保護犬センターが一匹のシベリアンハスキーを保護した。同じ保護犬センターのミキとは仲良くなったらしい
しかし、二匹とも改変アプリ「リライト」の被害者だと知る由もなかった。
完