キケンなチケン

  都内の片隅にある古びたシェアハウス。そこに住む二人の女性が住んでいた。

  「ただいまー」

  篠山明日香(しのやま あすか)がドアを開ける。

  「おかえりー」

  同居人である細居美優(ほそい みゆ)が答える。大学卒業後、二人はそれぞれYouTuberを目指していたが、現実はそううまくいかず、アルバイトで生計を立てるのがやっとだった。

  「あー、どっかにいいバイトないかなぁ」

  明日香は独り言を言う。

  「ねぇ、これなんかどう?」

  美優がスマホを見せる。SNSの広告で「2泊3日の治験で報酬30万円!」と書かれている。

  「えっ、3日で30万円って日給で10万円じゃん!行こうよ」

  明日香は飛びつく

  「家賃を払っても20万円残るもんね」

  美優も考えに乗った。

  後日、明日香と美優は治験会場に向かった。すると一匹の犬が「ワン!ワン!」と二人を通せんぼするように吠えた。

  「何なの、この犬」

  「行こう行こう」

  二人は犬を気にせずに会場に入っていく。それが「警告」だったとは知らずに。

  「篠山さまと細居さまですね」

  スタッフが確認する。スタッフは治験を行うブースに案内する。今回の治験は記憶力を向上する薬の治験だった。二人は白衣に着替え、カプセル状の薬を飲み込む。説明によれば毎回の食事後に服用するらしい。その後二人は血液の採取や脳波の測定などを行った。

  「なんだか、これを飲んだら頭がよくなった気がするわ」

  明日香は美優に語り掛ける。実際に、記憶力のテストでは服用前に受けた時より点数が良かった。

  「えー、私はそうでもなかったな」

  美優はテスト結果に不本意のようだ。

  3日後、二人は30万円が振り込まれる前祝いとして高級焼き肉へ行った。

  [newpage]

  翌朝

  「う、うううん...」

  明日香は、朝起きると違和感を感じた。視界がぼやけ、色彩が淡く見えた。

  「昨日、飲みすぎたせいかな...」

  たしかに昨日、美優とビールやらマッコリやらを飲みすぎて家に帰るまでの記憶がおぼろげだった。

  一方、嗅覚が異常に鋭くなった。コートやバッグに付いた焼き肉の匂いが鼻を衝く。

  明日香はとりあえずテレビをつける。

  「明日香、ちょっとうるさいよ...」

  ぐっすり寝ていたはずの美優が目覚める。

  「えっ、音量13だよ?」

  明日香は画面を指さす。

  「そうなの?音量30ぐらいだと思ってた」

  最初は小さな違和感だった。明日香は嗅覚、美優は聴覚が敏感になった。

  「明日香、香水の匂いがきついよ」

  美優はバイトに出かける明日香に語り掛ける。

  「そう?そんなつけていないけどな」

  明日香は気づいていないようだ。そんな明日香も、通学する子供の騒ぎ声がいつもよりうるさく聞こえる。

  その日の夜。

  「ん、あれ...?」

  美優が違和感に気づく。鏡を見ると、産毛のような小さい毛が耳に生えている。触れるとなんだかチクチクする。

  「嘘、鼻が湿ってる!」

  明日香の鼻はやや湿り気を帯びていた。

  「疲れ目かなぁ...」

  美優は目の錯覚だと片づけた。

  二人はそのまま寝た。寝ているうちにも身体の変化は泊らなかった。明日香の鼻は黒ずみ、美優の耳は黒く短い毛が生えていた。

  翌日

  「噓でしょ...」

  明日香の鼻は黒ずみ、三角形から丸形に形を変えていた。

  「いいじゃん。かわいいし。マスクでごまかせばいいじゃん」

  そんな美優の耳は黒い毛で覆われ、丸形から先端がぴんと尖っていた

  「アニメに出てくる猫耳キャラみたいで私は好きだよ」

  美優は満足そうだ。結局、明日香はマスクをして出勤した。

  一方の美優は、シェアハウスでYouTube動画の案を練ろうとしていた。しかし、なかなかいい考えが浮かばない。まるで頭にもやがかかったようだ。新動画の案はいったん諦めて、すでに収録した動画の編集をしようとしたものの、何も考えられない。ただ画面の光がまぶしく、マウスを動かす手が勝手にフリーズする。なぜか、集中できない。頭がぼんやりとしてきた。自然とパソコンの画面は別のYouTube動画が映し出していた。

  「ただいまー」

  明日香がいつもより早く帰ってきた。

  「あれ、今日は早いね」

  美優が声をかける

  「マスクが取れちゃいそうになってさ」

  そう言って明日香がマスクを外すと、黒ずんだ鼻はより前へと突き出ていた。

  「これ、本当に戻るのかな...」

  明日香は心配そうにつぶやく。

  一方、美優の耳も鬼の角のようにピンと立っていた。

  [newpage]

  「おはようー」

  明日香が美優に挨拶する。明日香の鼻は黒く湿り、顎と共に前に突き出ていた。顎にはやや白い毛が髭のように生えていた。

  「どうしよう、こんな姿じゃ行けないよ」

  明日香は変わり果てた顔にため息をつく。

  「いいじゃん、この前貰った30万円があるし。アルバイト先には体調不良って伝えとけば」

  美優の耳は黒い体毛で覆われ、頭頂部にピンと立っていた。そして、明日香と同様に鼻が黒ずみつつあった。

  「ねぇー、このドッグフード買ってきてよ。なんだかおいしそうだし」

  何となくテレビを観ていると明日香はそう呟く。

  「はーい、今から買うよ」

  美優は何の違和感も感じずに買いに行く。踵が持ち上がり、足裏の接地面が狭くなる。指が短くなり、肉球が浮かび上がると、靴が次第にきつくなっていくのを感じた。

  「あのお姉さん、犬みたい!」

  「こらこら、そんなこと言わないの!」

  通りすがりの男子が美優を指さす。すかさず母親が注意する。

  コンビニに到着すると、美優は明日香が欲しがっていたドッグフードを購入した。

  「コスプレですか?似合ってますね」

  応対した男性店員が美優に声をかける。美優の顔はむっとする

  「...すみません...」

  男性店員は少し落ち込む。まるで注意された子犬のようだ。

  店を出ると、一匹のドーベルマンが外で待っていた

  「か、かっこいい...」

  いつの間にか美優は目を輝かせていた。身体を覆う黒い体毛に筋肉隆々な体。何もかもが魅力的に思える。美優の心臓の動悸が激しくなる。どうしても近づきたい、匂いを知りたい。その一心で美優は舌を出してドーベルマンをなめていた。ドーベルマンも美優の顔をなめ返す。

  「おい!何しているんだ!」

  戻ってきた飼い主が美優に注意する。美優は反射的に逃げ出す

  「私は一体何を...」

  美優の顔は、ドーベルマンに嘗められた部位から白い毛と黒い毛が産毛のように発毛し始めた。

  「これ美味しい~。美優も食べなよ」

  明日香はドッグフードをガツガツと食べる。ドッグフードを掴む手は白い毛が生え、半分ほど覆いつくしている。爪も黒い突起のようなものが生えている

  「じゃ、私も....」

  美優も躊躇いがちに食べる

  「おいしいー!」

  「でしょ!」

  「ア〇ゾンで買ってね」

  ドッグフードを満足げに食べる二人の顔にも変化が起きていた。明日香の鼻と顎は白い毛がゆっくりと生え、耳も茶色の毛が生え始めている。一方、美優の顔も、嘗められた箇所を中心に口周りに白い毛、頬に黒い毛が生え始めている。

  美優がスマホを操作するも鋭くなった爪で悪戦苦闘し、画面が割れてしまった。

  食べ終わった後、二人は何も手に付かず、ボーっとしていた。そして寝てしまった。

  [newpage]

  翌朝...

  「プップー!」

  車のクラクションの音で明日香と美優はビクッと目を覚ました。床が妙に心地よく、気づけば丸くなっていた。今までベッドで寝ていたのに、なぜかここが一番落ち着く。二人は顔の下半分が犬のようになっていた。明日香の口元は黒く、頬は茶色の毛で覆われていた。一方、美優は頬の下半分や口元は白い毛で覆われ、頬の上半分は黒い毛で覆われていた。顔の多くは産毛のような小さい毛がぽつぽつと生えている。

  「くっ...」

  美優はドアノブを開けるのに苦労する。爪は鋭く変わり、指は互いに密着しつつある。ドアの脇に、段ボールが置いてあった。段ボールを掴むのではなく、ショベルカーのように両手ですくって玄関まで運ぶ

  「ううっ...」

  玄関まで運んだはいいものの、途中で床に落下する。すかさず明日香が寄ってくる。明日香は鋭い棘のように変化した爪で段ボールを切り裂く。中からドッグフードの袋が出てきた。

  「ううっー!」

  明日香は口を使いつつ袋をかみ切る。明日香の犬歯は発達し、獣の牙に見える。

  「バサッ!」

  明日香が袋を勢い良く開けると中身が散乱する。明日香と美優は床に散乱したドッグフードを食べ始める。「床に落ちたものを食べてはいけない」というマナーはこの二人には通用しなかった。言葉を紡ぐのが面倒になった。返事をしようと口を開いても、自然と「ワン」という短い音が漏れる。そう、これで十分だった。

  美優は最初手を使って食べていたものの、掬ってもすぐこぼれるため、次第に口でそのまま食べるようになった。明日香に至っては最初から直接口から食べている。食べるたびに二人の身体が体毛に包まれていく。明日香の両腕や両脚には茶色の毛がゆっくりと生え、顔の上半分にも次第に生える。皮膚の奥からチクチクとしたかゆみが広がり、指先から産毛のようなものが伸び始める。それが瞬く間に密度を増し、白と茶のまだら模様を作りながら肌を覆い尽くしていった。美優の両腕の下半分は白い毛、上半分は黒い毛で覆われる。両足にも同じような変化が起きている。

  洗面台で美優が両脚で立とうとする。踵が地面に接しなくなり、二本足で立つのも苦労する。治験前と比べて、2/3ほど身長が縮んでいる。指が縮み、肉球が形成された両手で蛇口をひねる。出てきた水を美優は舌を使って飲む。まるで犬さながらだった。そして、顔に水を当て、ブルブルと振った。金髪の髪の毛はより短い茶色の毛に置き換わろうとしている。

  この日も何をする気力も起きなかった。ただ、食べて寝る。それだけだった。美優が腕を動かそうとしたが、関節がぎくしゃくし、肘の位置が後ろにずれ始める。思わず床に手をついてしまうが、四つん這いの方が楽に感じられた。

  二人が寝ている間も身体の変化は止まらなかった。二人の体格が次第に小さくなる。明日香の背中、腹部、首元と言った全身に茶色の毛が生える。両腕と両脚は短くなる。肘やふくらはぎは後ろ足に吸収される。金髪の髪の毛は抜け落ち、身体と同じく短い茶色の毛に置き換わる。一方、美優は、両腕、両脚、腹部には白い毛が、それ以外の部位には黒い毛がゆっくりと発毛し、覆いつくした。目元は黒い毛で覆われ、鼻筋と頭の中央部には白い毛が一本の線のように生えた。黒髪の髪の毛はより短い黒い体毛に置き換わった。

  そして明日香には茶色の、美優には黒い尻尾が臀部からするすると生えた。

  翌朝、明日香だったゴールデンレトリーバーが目覚めた。まだ、四足歩行に慣れていないのか、動きがおぼつかない。そして、美優だったボーダーコリーの顔をなめる。舌を動かすと、違和感があった。歯列が変わり、前歯が長く鋭くなっているのを感じる。舌は自然と前に垂れ、引っ込めようとしても収まらない。

  「シュッ!」

  ボーダーコリーは嫌そうな鳴き声を立てながらも、ゴールデンレトリーバーの顔をなめ返した

  [newpage]

  数日後、シェアハウスの管理人が部屋を訪れた。

  「おーい、明日香ちゃん、美優ちゃん、そろそろ家賃の支払いの話を……」

  マスターキーで扉を開けた管理人は絶句する。部屋は散らかり、食べ物や衣類、ゴミが散乱していた。そして、鼻を突くような異臭がする。

  「強盗でも入られたのかね?」

  冷蔵庫も開けっ放しだった。テレビはつけっぱなしだった

  「ワンっ!ウウウウウウ!!!!!!!」

  一匹のラブラドールレトリーバーが管理人に向かって吠える。一方、ボーダーコリーの方は尻尾を振っている。

  「どうして犬がいるんだ....」

  管理人は困惑する。しかし、その部屋に人間は管理人しかいなかった。唯一、明日香と美優が住んでいた証は、無残にも引きちぎられた衣類だった。

  完