カントー地方ヤマブキシティの中心街にある特別行政区、霞ヶ関にあるホテルのカフェに、シドの姿があった。時刻は20時過ぎ、霞ヶ関のビル群の灯りが煌々と輝いており、カフェの窓からシドを照らしている。眼下の通りには帰宅中の会社員の姿が数多くあり、遠くの繁華街ではネオン看板の光が夜空を照らしている。シドの左隣に座る雌のルカリオ、エコーの右耳の付け根で揺れる花飾りをビルの灯りが照らしており、彼女は眩しそうに目を細めながらホットチョコレートを飲んでいた。
尾行を撒き、空港から宿泊先のホテルに移動したシドとハンサムはそれぞれの部屋に荷物を置くと、ハンサムは「三佐に会ってくる」とだけ言い、霞ヶ関のビル群へと姿を消した。その間、シドは部屋で捜査情報やポイントθに関する資料を整理していたが、やがて疲労と集中力が限界を迎え、ホテルのカフェで一息ついていた。
エコーの揺れる尾が生み出す微風が、シドの頬に当たる。
嬉しそうにホットチョコレートに口をつける彼女を見下ろすと、彼女の両耳の間を指先で掻いた。シドの指の感覚にエコーは目を細めると、両耳を横に倒し、嬉しそうに笑みを浮かべている。そんなエコーの頭を掻きながら、シドは余暇時間を過ごしていたが、それは唐突に終わりを告げた。
カフェの入り口から店内に入ってきたハンサムの姿を見たシドは、アイスコーヒーのグラスから口を離すと、近づいてくる彼を見た。夜とはいえ、真夏の霞ヶ関を歩き回ったハンサムの額には汗が浮かんでおり、ハンカチで汗を拭きながら、シドの右隣に腰掛けた。カフェの店員は何も言わずに冷たいおしぼりとミネラルウォーターの入ったグラスを用意すると、「サービスです」と短く言い、ハンサムの前に置いた。彼は店員に礼を述べると、ネクタイを緩めながら口を開いた。
「まったく、この街は暑すぎるな…」
「まさにコンクリートジャングルだな」と続けたハンサムは、店員にスパークリングウォーターとナッツを注文すると、おしぼりで首元を拭いた。続けて氷の浮かぶミネラルウォーターに口をつけると、夏の暑さで汗まみれになった身体を冷やしていた。彼はミネラルウォーターを飲み干すと、空のグラスをテーブルに置いた。
ハンサムの言葉にシドは苦笑いをこぼすと、エアコンの効いたカフェの環境に感謝しつつ口を開いた。
「本部も暑いですが、日本はもっと暑いですよね」
国際警察本部のある街の光景を思い出し、シドは目を細めた。ちょうど、店員がスパークリングウォーターとナッツを運んできて、ハンサムの前に置いた。炭酸ガスの効いた冷たい水を飲みつつ、ハンサムはナッツを口に含んだ。それとスパークリングウォーターを胃の奥に流し込んだハンサムは、「残念な知らせだ」と口を開いた。ハンサムの言葉を聞いたシドは、彼の方を見た。
「三佐に会いに行ったが、別件の仕事で会えなかった…しばらくは忙しいようなので、連絡はこれになるな」
ハンサムはそう説明すると、ダッシュボードに入っていたスマートフォンをテーブルの上に置いた。安物のスマートフォンの中には電話番号が登録されておらず、非通知での着信履歴しか記録されていない。もっとも、警察などの捜査機関にかかれば、非通知の着信履歴から相手を特定可能である。しかし、番号を特定したところで情報部の人間を追跡できるとは思えない。
シドはスマートフォンの真っ暗な画面から目を逸らすと、ハンサムに尋ねた。
「では、今後はどう動きますか?」
シドの問いに汗を拭き終わったハンサムは、再度スパークリングウォーターを飲むと、口を開いた。
「予定通りだ。明日は日本側の代表者との会議だ」
「あそこでな」と続けて言ったハンサムは、窓から見える建物を指差した。皇居やビル群を抜ける風が吹き込む、広大な敷地の建物、ヤマブキシティの中心街の一等地に建てられたポケモンレンジャー極東本部を指差した。敷地内にはヘリポートや噴水、遊歩道などがあり、本部の建物自体は赤煉瓦で作られている。元々は官公庁舎の1つをポケモンレンジャーが買い取り、極東本部として運用していた。
夜でも施設内のあちこちにライトが付けられており、敷地を囲う高いフェンスには防犯カメラやセンサー類が設置されている。ちょっとした城砦のような建物を見たシドは、少し緊張した表情でアイスコーヒーのグラスを傾けた。
口内に香り豊かな、冷たい液体が流れ込み、シドの心を落ち着かせる。
そんなシドを見たハンサムは「落ち着きなさい」と言うと、スパークリングウォーターを飲み干した。
「あくまでも外国の犯罪組織に対する協力態勢のための協議、が目的だ。明日、我々が踏み込んだとして、いきなり襲ってくることはないだろう」
冗談なのか、本気なのか。ハンサムの言葉を聞いたシドは苦笑いを浮かべると、極東本部に目を向けた。外国公館や在日米軍基地などと同様に、ポケモンレンジャーの施設は警察などの司法の手が入りにくい状況になっている。ポケモンレンジャーの後援者や友好的な政治家、企業が多く、レンジャー側に有利になるようにサポートしている。
彼らが裏で何をしているのかは、警察でも把握できていない。そのような組織の本部に、シドとハンサムは足を踏み入れる事になる。
いまだに硬い表情のシドを見たハンサムは、彼の手元にある資料に目を向けた。そこにはシドが見つけたテロ組織の使うポケモンと彼らに投与されていたワクチンのロット番号、そしてポイントθに関する情報が記載されている。それらを見たハンサムは周りを見回し、怪しい人影がないことを確認してから、声を抑えながら話した。
「なにかわかった事は?」
ハンサムの問いにシドは頷くと、資料の一部を指差した。
「テロ組織の運用していたポケモンですが、全てにワクチンが投与されていた訳ではありません。その中の極一部のポケモンに投与しており、それらのロット番号はポイントθで研究開発されていた物です」
「…ワクチンの効能は?」
「不明です。投与されたポケモンは全てポケモンレンジャーが射殺か確保しており、死体も彼らが回収しサンプル採集も困難でしょう…」
シドの言葉を聞いたハンサムは、低い声で唸った。
「ワクチン開発者か研究員…関係者を抑える必要があるな」
彼の言葉にシドは首を左右に振ると、資料を捲った。
「残念ながら、ポイントθの研究責任者やスタッフに関する情報は国際警察にもありません…全体の責任者はこの男です」
シドの指が紙面に写る赤髪に赤い目の青年、ポケモンレンジャー教官のコウサカを指差した。鋭い眼光の青年の顔写真の下には、彼の経歴に関する情報が記載されており、それを見たハンサムは目を丸めた。
「カントージョウト、ホウエンのジムバッジを制覇…ポケモンリーグにも挑戦記録があるのか」
「ですが、リーグの本戦まで進めそうになりましたが…表向きは辞退しています」
シドの返事を聞いたハンサムは「表向き?」と疑問の声を漏らした。シドは頷くと、声を潜めて答えた。
「…実際は会場内で他トレーナーへの暴行事件と性的暴力事件を起こしていたそうです」
ハンサムはシドの説明を聞き、「なに?」と呟くと、コウサカの顔を見た。一見すると好青年な凄腕トレーナーであるが、シドの差し出した資料には大会会場に設置されていた防犯カメラの映像がプリントされていた。そこには犯行時の映像が残されており、それとコウサカの顔写真を見比べたハンサムは口を開いた。
「暴力的な人員を責任者として採用、か…そんな人間でないと務まらないポイントθ…」
怪訝そうな表情でコウサカの顔を見ると、ハンサムは顎を撫でた。シドも頷くと、資料の別の項目を指差した。そこには大量の数字が記されており、それを見たハンサムはシドの顔を見て、説明を求めた。
シドはゆっくりと口を開いた。
「ポケモンレンジャーが公開している会計記録です。この内、ポケモンレンジャー側から民間企業とNPOにコンサルティング料として、数百万円単位で支払われています。この企業とNPOの理事に複数名の政府関係者と国会議員の名前もありました」
彼の説明を聞いたハンサムは「伏魔殿だな」と呟くと、シドから資料を受け取り、それらに目を通していた。
「まずは明日の会議を済ませる、並行してポイントθの実態調査とワクチンの目的…可能なら開発者の特定と身柄の確保をしていこう」
ハンサムの指示を受け、シドは頷いた。ふと、シドの目にポイントθの研究グループに関する名前の欄が映り込んだ。そこには幾つかの黒塗りの人名に混じり、目を引く部分があった。
NDLと記された記号と数字、同じNDLという単語をポイントθに関する会計記録でも幾度も見たことがあった。
それらと黒塗りの研究員達の名前を見たシドは、自身のスマートフォンを取り出すと、国会図書館のデータベースへとアクセスした。更にその奥、データベースの中にある各大学が行なっている研究データや論文のエリアにアクセスすると、検索欄に記号を打ち込んだ。
数秒後、一つの論文が表示された。
「…遺伝暗号を内包したmRNAを投与し、細胞内ミトコンドリア並びにシナプスの増強を促す研究。ウイルス感染による擬似的な抗体形成システムの応用について」
論文のテーマを読んだシドは、記されている人名を見て、目を見開いた。
「…ティターニア・ノーマン、遺伝学ウイルス学博士」
シドの目は見開き、画面を凝視している。論文に記載されている名前は、かつて守り抜く事を誓った相手であり、初恋の相手でもある。重傷を負い、養護施設に引き取られた少女の名前、その事実にシドは硬直し、ハンサムとエコーは気づかずにいた。
テーブル上のグラスから氷の音が鳴った。
*
私が目を覚ました時、白い空間のベッドに横になっていた。
ベッドの横には点滴台があり、大きめの点滴袋の更に上に逆さになった褐色の瓶が付いている。瓶から伸びる管は点滴袋の液体と混ざり、私の腕へと流れ込んでいる。ぼんやりとした視界と思考で現状を把握しようとするが、処理落ちした私の頭はスムーズに稼働せず、ぼんやりと天井を見ていた。
お腹の上に何かを感じた。
動けない私は眼球のみを下に向けると、私のお腹の上に乗るゾロアの姿があった。ゾロアは私の視線に気がつくと、嬉しそうに鳴き、私の顔を舐めてきた。
私はなぜ、ここに居るのか。
最後に覚えている記憶は、雪だるまの陰に隠れていた事だ。その際に激しい衝撃を覚え、気がついたらベッドに寝ていた。
視界の端に影が動く。
そこにはエコーとは違う、青いポケモンが居る。青いポケモンは鋭い眼光で私を見下ろすと、扉を開けて廊下に居る人影を招き入れた。人影の一つは、黒髪の男の子の父親だった。彼は涙目で私に歩み寄ると、私の頭を撫でた。彼の傍にはエコーを胸に抱いた黒髪の男の子も立っており、私を見ていた。
彼らが何かを言うが、私には理解できない。
ふと、廊下へと消える人影を追う青いポケモンの背中が見えた。青いポケモンは肩越しに私を一瞥すると、人影を追って消えていった。
目が覚めた。
寝心地の悪いソファーの上で意識を取り戻した銀髪に褐色の肌、蒼い瞳の女性、ティトは身体を起こすと、ガンガンと痛む頭を抱えながら辺りを見渡した。薄暗い室内には大量の本や資料が散乱しており、デスク上ではパソコンのモニターが光を放ち、ファンの駆動音が微かに響いている。天井のエアコンからは温度の調整された空気が室内に流れ込み、乾燥させている。喉の奥に痛みを感じたティトは、ソファーから立ち上がり、デスク上に置いてあるオレンジジュースのパックを手に取ると、それを飲み干した。
ふと、デスク上のカレンダーに目が向いた。
「…今日、誕生日だ」
日付を見たティトは独り言を漏らすと、デスクの椅子に腰掛けた。そして無意識に首から下げたネックレス、その先端に付いている玩具の指輪を弄ると、溜息を漏らした。
14歳の誕生日を迎えたティトの背後を影が動く。
影、色違いのゾロアークであるジーンはティトの頭を撫でると、『おはよう』とテレパスで伝えた。ティトはジーンの手を触ると、椅子を回転させて振り返った。
「おはよう」
薄暗い中、ティトは笑みを見せるが、それは弱々しい物であった。ジーンはティトの笑みを見るとため息をこぼし、彼女の頭を軽く叩いた。
『誕生日くらい、子どもらしく振る舞えよ』
彼の言葉を聞いたティトは弱々しい笑みを見せるが、ジーンの爪が彼女の頬を優しく抓った。その感覚にティトはくすぐったそうに身を捩らせるが、ジーンはそのまま擽り続ける。
薄暗い室内にティトの笑い声が小さく響き、やがて笑い疲れたティトは息を吐き出した。子供のように笑う姿を見たジーンは安心したようにため息をこぼすと、窓辺に歩み寄り、カーテンを開けた。
窓から光が差し込み、室内を照らす。
『ハッピーバースデー…』
光の眩しさに目を細めたティトに向かって、ジーンは言った。彼の祝福にティトは恥ずかしそうに俯くと、「ありがとう」と小声で言った。そんなティトを優しい眼差しで見つめたジーンは、窓の外に目を向けた。
そこには、山間部に作られた施設の光景が広がっている。
カントー地方とジョウト地方の合間、自然豊かな山間部に建設されたポケモンレンジャーの施設であるポイントθの研究棟の一室、そこがティトとジーンに割り当てられた部屋である。研究棟には他の研究員の私室や各種実験室があり、併設してある訓練棟にはポケモンレンジャーの新人隊員や教官達が勤めている。
朝のランニングをしているのか、訓練棟のグランドからは複数人の掛け声が聞こえてきた。それを聞きながら、ジーンはティトに問うた。
『ここに来て、何年になったんだ?』
「…孤児院が2年だったか、6年くらいね」
ティトはそう答えると、壁にかけてある写真に目を向けた。そこにはポケモンレンジャーが運営している孤児院での集合写真が飾られており、両親と祖母を亡くしたティトの姿も写っていた。写真の中のティトの首には白い包帯が巻かれており、彼女の目は淀み切っている。そんな彼女の足下には色違いのゾロアが写っている。
病院で意識を取り戻したティトは、事件の概要を説明され泣き崩れた。そこで記憶が途切れ、次に覚えていたのは孤児院での記憶であった。ポケモンレンジャーが運営しているだけあり、ポケモンと触れ合える施設であった。そこで教育を受けたティトは、8歳という年齢で専門教育を履修し、ポケモンレンジャーからヘッドハンティングされた。
ティトの得意分野は遺伝子とウイルス学であった。
これは亡き両親、そして祖母が得意としていた分野でもあり、身近に関連書籍や専門書が溢れており、幼少期から触れていたティトは、瞬く間に芽を出した。基礎教育、高等教育、専門教育を修め、知識量は大人にも優っていた。
そして、ポイントθの研究棟に配置されてから、ティトの研究員生活が始まった。研究チームの面々は8歳の子供が配置された事に戸惑いを隠せず、しかし上からの命令である以上、ティトを受け入れた。実験とレポートの作成を繰り返す毎日であり、多くの研究員は疲れていた。
しかし、ティトは違った。
黒髪の男の子とした約束、そして家族を奪った犯人への怒りとその理由を知りたかった。それらを達成するには、何もできない子供ではいられない。大人に負けない知能や力、資金力が必要になる。そのためにもティトは研究員として成果を出し、行動する必要があった。
この頃になるとジーンもゾロアからゾロアークに進化したが、姿が変わっても中身は変わらなかった。進化と同時にテレパスを使えるようになり、彼の言葉はティトの心の支えとなった。
誕生日でも研究は止まらない。
随分と身長の伸びたティトは白衣を羽織り、IDカードを首から下げた。そしてパソコンの電源を消すと、ジーンと共に部屋を出て、ロックをかけた。そして研究棟の中にある研究室に移動すると、IDカードを翳して室内に入った。
「おはようございます」
ティトの挨拶に対して、室内に居た数人の研究員が顔を上げて手を振った。実験のために完徹した彼らの顔は、まるでホラー映画のゾンビのようである。彼らの合間を歩いて行ったティトは、自身のデスクに腰掛けるとパソコンを起動した。その間、ジーンはティトのためにグラスを取り出して、冷蔵庫のジュースを注いだ。
ジーンは無言でグラスをティトのデスクに置いた。愛想が無いわけではない、テレパスが使える事が周りに知られると、研究対象として見られたり好奇の目を向けられるからだ。故にジーンはティトと2人きりの時のみ、テレパスを使うようにしている。
ティトはジーンからグラスを受け取り、「ありがとう」と言うと、パソコンの画面に目を向けた。
画面には実験中のデータと論文が表示されている。
【遺伝暗号を内包したmRNAを投与し、細胞内ミトコンドリア並びにシナプスの増強を促す研究。ウイルス感染による擬似的な抗体形成システムの応用について】
ティトの研究テーマであった。遺伝学の本を読んでいたティトは、細胞の発生のメカニズムや転写などの生理学的な知識にも長けており、それを自身の武器としていた。そして、研究棟に配属されてから4年目、ティトはミトコンドリアDNAの減弱因子と分解因子を発見した。それは研究員達の興味を引いたが、それより上の総務や管理職は興味を持たなかった。その1年後、ティトは2つの因子から増強因子を導き出し、その研究を行っていた。
この頃になると、ある程度の発表が可能なレベルまで研究は達していた。
だが、ティトは満足しなかった。次に彼女が目をつけたのは細胞内でミトコンドリアを増強させる方法だが、これは遺伝情報の伝達【メッセンジャー】と翻訳【トランスファー】を行うRNAに注目した。mRNA内部に増強因子を取り込み、それを細胞内で移動翻訳させてミトコンドリアの増強を図る方法だ。加えて、特定の神経や臓器で発現させる方法にもティトは着目していた。
それがウイルス感染を利用した方法だ。
生き物の特定の臓器や細胞がウイルスに感染し免疫を獲得する。このシステムを応用したのがワクチンであり、減弱化したウイルスに感染させる事で免疫を事前に獲得するのだ。ティトは、このシステムを利用しワクチン内に増強因子を取り込み、それをワクチンの流れで細胞に取り込ませようとしたのだ。
この仮説のための実験が、行われていたのだ。
ティトのデスクに置かれているパソコンのモニター上に、隣室の実験室で管理されているポケモン達の姿が映っていた。どのポケモンもタグを付けられており、数日前にティトが作成したワクチンを投与されていた。見た目は通常のポケモンとなんら変わらないが、実験室内にいる研究助手が注射器でポケモンの血と細胞を採取し、データ解析へ回すまでは何とも言えない。
その光景を見ていたティトの背中に、声がかけられた。
「研究は進んでいるのか?」
そこに立っていたのは、50歳くらいの白髪混じりの黒髪の男だった。猫背に無精髭、縁無しの眼鏡をかけた男、研究グループのリーダーであるクチナシ博士の姿があった。クチナシの目はパソコンの画面に向けられており、その問いにティトは小さく首を振った。
「サンプルを採取し検査と分析しないとなんとも…そろそろ成功したいところですが…」
曖昧な返事をするティト、彼女の立てた論理は仮説であり、ミトコンドリアの増強因子は発見したが、細胞内での賦活方法と実際の生物の細胞への投与方法が判明していない。これらが曖昧なままでは、研究として成立しない。既にティトの実験は幾度もなく失敗しており、その事を知っているクチナシは「ふぅん」と空返事をした。
クチナシはティトの銀色の髪をポンポンと撫でると、「頑張れや」と言って歩き去った。まるで娘のように扱ってくるクチナシに対して、ティトは微妙な表情を浮かべた。上司であり管理職でもあるが、父親のように接してくる理由が理解できなかったのだ。
ティトはジーンに声をかけると、研究室を後にした。
その小さな背中を見送ったクチナシは、自身のデスクに置いてある写真立てを撫でると、大きく欠伸をした。見るからに意欲もやる気もない博士の振る舞いをみせるが、研究員達は我関せずといった雰囲気のまま、自分達の仕事に励んでいた。
研究室の電子ロックが開く音が聞こえた。
クチナシが研究室の入り口に目を向けると、そこには赤髪に赤い瞳の青年、コウサカが立っていた。ポケモンレンジャー教官兼ポイントθの管理者を務めるコウサカの姿を見た研究員達は、そろって立ち上がると姿勢を正した。だが、クチナシは顔色ひとつ変えずに欠伸をすると、彼に向かって「おはよう」と声をかけた。
研究室を闊歩するコウサカはクチナシのデスクの側に立つと、彼に声をかけた。
「博士、実験の方はうまく行っているんですか?」
焦りの入り混じった声でコウサカは尋ねるが、クチナシはいつもと変わらぬ雰囲気のまま返事をした。
「いくつかの実験を並行しているよ、君らの関心を引く実験内容かの保証はできないがね」
彼の返事を聞いたコウサカは舌打ちをすると、忌々しそうな声を漏らした。
「…本部への報告時期も近い、そろそろ結果を出して頂かないと研究費の打ち切りを検討する必要もありますが」
「そうすると、本部へ報告できる物自体が無くなるが、良いのかね?」
コウサカは圧を加えるが、クチナシは飄々とした態度で聞き返した。彼の指摘にコウサカは口を閉ざすと、苦い表情を浮かべた。
管理者であるコウサカは、己の無能さを露呈し、クチナシを睨みつけていた。
自身の発言で自らの面子に泥を塗ったコウサカの顔を見上げたクチナシは「まぁ、落ち着きなさい」と彼に言った。そして、自身のデスクに置いてある書類、ティトの仮説を記したそれをコウサカに手渡すと、続けて言った。
「うちのチームの研究員が試している仮説だ」
彼から書類を受け取ったコウサカは怪訝そうな表情で
書類に目を通すと、「ミトコンドリアとシナプス?」と不思議そうに呟いた。それは生理学や化学の知識のない人間にとって、当たり前の反応である。彼の反応を見たクチナシはデスクに置いてあったお茶を一口飲むと、続けて説明した。
「わかりやすく言うと…生物のエネルギー増加と反射能力を上げる実験だな」
クチナシの説明を聞いたコウサカは、閉口したまま書類を見ていた。彼の顔から視線を外したクチナシは、椅子の背もたれに体重を預けながら口を動かした。
「仮に、この実験が成功した場合…免疫系のや体力の向上、身体機能の向上が期待できるな」
その言葉を聞いたコウサカは少し考え込むと、やがてクチナシを見下ろしながら尋ねた。
「例えば…ポケモンの遺伝子や戦闘能力を改変する事は可能ですか?」
コウサカの質問に対し、クチナシは「あ?」と疑問の声を漏らした。コウサカは冷静な表情のまま、後ろに控える部下からモンスターボールを受け取ると、それを彼に渡した。赤と白のボールを受け取ったクチナシは、不思議そうにそれとコウサカの顔を見比べた。
コウサカは硬く噛んだ唇を、ゆっくりと開いた。
「…本部主導です。このポケモンの戦闘能力の強化とリージョンフォーム進化の実験です」
本部主導、という説明を聞いたクチナシは「興味ない」と一蹴しようとしたが、コウサカの目を見て、言うのをやめた。
コウサカの目には、恐怖の色が浮かんでいた。
人生の経験からそれを見抜いたクチナシは、何も言わずにモンスターボールを受け取ると、それをじっと見た。ボール内には雌のヒノアラシが入っており、それを見たクチナシは溜息を漏らした。
「悪いが、ポケモンの育成は専門外だ。他の研究員に任せるが、異論はないか?」
クチナシの問いにコウサカは頷くと、部下を引き連れて研究室を後にした。その背中を見送ったクチナシは、デスクにモンスターボールを置き、タバコとライターを手に取ると、先ほどのコウサカの目を思い出した。
まるで、なにかに怯えているのか、あるいはなにか脅されているのか。
「…まぁ、私には関係ないが」
そう呟いたクチナシはタバコを咥えようとするが、女性研究員から「吸うなら喫煙所に行ってください」と指摘され、彼は肩を竦めた。
*
研究室を後にしたティトはジーンを引き連れて、敷地内にある屋外訓練場へと足を運んだ。そこには休憩用のベンチが設置されており、原っぱにはポケモンを連れた隊員達が座り込み、束の間の休息を取っていた。彼らを遠目に見たティトはジーンと共にベンチに腰掛けると、空を見上げた。
「…良い天気」
昨晩の豪雨が止み、今は青空が広がっている。ポイントθはカントージョウトの境界付近の山間部付近にあり、近くの街まではハイウェイを使い、1時間ほどかかる。緊急時に備えたヘリポートと輸送ヘリもあるが、もっぱらの移動手段は車かポケモンに依存する環境にある。故に娯楽も少なく、訓練場に所属する隊員の中には風紀の乱れた者もおり、管理者はその対応に四苦八苦していると聞く。そのためなのか、レンジャー教官では手に負えない隊員達の教育のために、外部から人を招く事もある。
本日も同様であり、訓練場からはポケモンレンジャー隊員以外の声が聞こえていた。ティトが視線を向けると、通常隊員のオレンジ色の制服とは異なる青と白の迷彩柄の制服を着た実戦部隊の隊員達、彼らに圧のある声をかけているのは緑と黒と茶の迷彩服を着た自衛官達である。ポケモンバトルの訓練だけでは不足、腐った根性を叩き直すためにも、自衛官達による本物の訓練を受けさせられているレンジャー隊員達は、誰もが悲鳴をあげていた。
その光景を遠目で見ていたティトは自身が研究員であることに感謝しつつ、内心は「ご愁傷様」とレンジャー隊員達に同情の眼差しを向けた。汗だくになりながらグラウンドを走っている集団の最後尾の隊員が躓き、転けていた。
「ちょっといいかい?お嬢ちゃん」
ベンチに座り、レンジャー隊員達を眺めていたティトの背中に若い男性の声がかけられた。肩越しにティトが振り返ると、そこには青と白の迷彩服を着たレンジャー隊員の姿があった。まだ年若い男性隊員と連れの男性隊員はニヤニヤとした表情でベンチに腰掛けるティトを見下ろすと、視線をティトの顔から身体へと向けた。彼らの視線の意図を見抜いたティトは、侮蔑の眼差しを彼らに向けると「なにか?」と敵意のある声色で応えた。そんなティトの反応を見た隊員達はティトの近くに歩み寄ると、歪んだ唇を動かした。
「実は鬼士官の訓練で制服が汚れてしまってね…よかったらキミの部屋で洗濯させてくれないか?」
男の言葉とその意味に対して、ジーンは静かに睨みつけると両手の爪を僅かに揺らした。ティトはそんなジーンを片手で制すると、歩いてきた隊員達を見上げて声を出した。
「それはそれは、訓練お疲れ様です…ですが、私の部屋に洗濯機がないので、宿舎のランドリーを使ってください」
暗に「関わるな、立ち去れ」と意思表示するティトの顔を見た隊員は、舌舐めずりすると彼女の隣に腰掛けた。彼の視線はティトの横顔から胸元を走り、それを肌で感じたティトは嫌悪感で身震いした。しかし、それを見せまいとし、口を硬く締めると、横目で隊員を睨みつけた。
氷のように冷たいティトの視線に、何かを感じた隊員は楽しそうに口角を歪めた。
「なら、ランドリーの場所まで案内してくれないか?」
隊員はそう言いながらティトの肩に手を回し、耳元で囁くように言った。そんな隊員の振る舞いに対してジーンの目は『殺す』と意思表示しているが、施設内での余計なトラブルを避けたいティトは彼を制しながら、どう切り抜けるか頭を回転させていた。
「ちょっと失礼」
女性の声が聞こえた。ティトが視線を向けると、そこには深緑色の制服を着た40代くらいの女性士官の姿があり、胸には勲章がついている。ナンパを邪魔された隊員達は不機嫌な目を彼女に向けるが、肩章から高級士官であることを理解し、顔色を変えた。
「ランドリーの場所がわからないなら、私が案内しましょうか?」
黒髪の中年女性士官の質問を受け、隊員達は目を泳がせると少しずつ後退りした。
ティトの視界を黒い影が通過した。
影、四つ足の獣のようなポケモン、ヘルガーは隊員達の後方に回り込むと、逃げられないように唸り声をあげていた。顔色を真っ青にする隊員達とは真反対に、女性士官はほうれい線をあげると、笑顔のまま口を開いた。
「女の子を口説くほど余裕があるなら、まだ扱きがいがありそうね」
目を細めて笑う女性士官の言葉に、隊員達は小さな悲鳴をあげた。彼らの後方にいるヘルガーが僅かに唸り、彼らの背筋を凍らせた。
女性士官は笑顔のまま訓練場を指差すと、張りのある声で命じた。
「訓練場を20周走ってきなさい、その後は訓練場にいる部下の命令通りに演習に参加しなさい」
士官の命令を受けた隊員達は慌てて敬礼すると、逃げるように足を動かした。その背中に向かって女性士官は「駆け足‼︎」と声を張り、彼らを訓練場へと追いやった。瞬く間に状況を変えた女性士官の存在に、ティトとジーンは目を丸くさせるが、対する女性士官とヘルガーは落ち着いた雰囲気のまま、歩み寄ってきた。
「ごめんなさいね、もっと厳しく目を光らせるべきだったわ」
女性士官はティトの隣に腰掛け、士官の足元にヘルガーも座った。女性士官は柔和な笑みを浮かべたまま、ティトに手を差し出すと「アズキナシです」と自己紹介した。
女性士官、アズキナシ一佐の手と顔を見比べたティトは、戸惑うような口調で「研究員のティターニアです」と応えると、彼女の手を握り返した。ティトの返事を聞いたアズキナシ一佐は黒い目を丸めると、ティトの顔を見ながら口を開いた。
「変わった名前だけど、国外の生まれかしら?」
アズキナシ一佐の問いにティトは頷くと「イッシュ地方の出身です」と返した。彼女の返答を聞いたアズキナシは笑顔のままティトの手を強く握ると、彼女の顔を正面から見た。
「イッシュなら仕事で渡った事があるわ!確か…ヒウンシティでの会議だったわね」
黒い髪に柔和な笑み、母性を感じさせる振る舞いにティトは戸惑いの表情を浮かべるが、アズキナシ一佐はティトの手を握ったまま、嬉しそうに目を細めた。
「あの時は忙しくて観光できなかったわ…次回はプライベートで行きたいものね」
そう話したアズキナシ一佐は「あなたも仕事中かしら?」とティトに尋ねた。その質問にティトは首肯すると、アズキナシ一佐は困ったような表情で溜息をこぼした。
「困ったものよね、男の子がやんちゃなのは仕方ないけど…場と節度を守ってほしいものだわ」
困り顔で頬に手を当てると、アズキナシ一佐は母親のような顔で言った。その姿を見たティトは、記憶の奥底に沈んでいた母親の記憶が微かに甦り、目頭が僅かに熱くなる感覚を覚えた。アズキナシ一佐に涙を見られないようにティトは空を見上げると、至極落ち着いた声色で返事をした。
「ありがとうございます、助かりました」
ティトの感謝の言葉に「気にしないで」とアズキナシ一佐は返すと、懐からタバコを取り出した。彼女は目でティトに尋ねると、それにティトは頷いてみせた。アズキナシ一佐はタバコを一本咥えると、ライターで火を点けた。
一佐はタバコの煙を吐き出すと、空に線を描いた。
タバコの匂いが微かに広がり、一佐の足元に座るヘルガーは微かに鼻を鳴らした。それを見た一佐は片手でヘルガーの頭を撫でると、警戒心と共に睨みつけてくるジーンを見て笑った。
「言っておくけど、あんな連中と私を一緒にしないで欲しいわ」
一佐の言葉を聞いたジーンは睨み続けたままであったが、一佐の足元にいるヘルガーの放つ圧を感じ、睨むのをやめた。ジーンもそこそこ鍛えているが、それでもアズキナシ一佐の連れるヘルガーの実力を見抜き、余計なトラブルを起こさぬ様に手を引いたのだ。
相当な実力者かつ一佐という階級からも、アズキナシの言葉に相違はなかった。
アズキナシ一佐はタバコの煙を吐き出すと、訓練場を走る集団に目を向けた。最後尾には先程の隊員2名の姿もあり、彼らの近くには一佐の部下の姿もあり、レンジャー隊員達を厳しく鍛えている。彼女の目は冷徹に隊員達を捉えており、冷めた表情のまま、ティトに話しかけた。
「それにしても、レンジャーの戦闘部隊の実力がこんな物とは…私の部下の方が遥かに強いわよ」
そう呟いた一佐は「悪く思わないでね」と続けて言うと、タバコの灰をベンチ横の灰皿に捨てた。そんな一佐に向かってティトは首を振ると、静かに話した。
「ポケモンレンジャーに対しては思い入れがないので、気にしてません」
ティトの返事を聞いたアズキナシ一佐は目を丸くさせると、不思議そうに彼女の顔を見返した。そしてタバコを吸うと、煙を吐き出して問うた。
「それなら…なぜティトちゃんはレンジャーにいるの?見たところ未成年のようだし…大学を目指すのはどう?」
その問いにティトは首を振ると、疲れた目で訓練場を見ると口を開いた。
「事件で家族を失い、身寄りもお金も住む場所もありません…生きるためにここにいるんです」
「でも、その年齢で研究員になれるのなら…大学で専門教育を受けるべきだわ」
アズキナシ一佐の言葉を聞いたティトは「ありがとうございます」と返すと、疲れた目のまま続けて言った。
「…叶うのなら、初恋の男の子にまた会いたいです」
そう呟くと、ティトは首元のネックレスを触った。その先端にある玩具の指輪を触り、記憶に残る黒髪の男の子のことを思い出した。年相応の女の子のように初恋の相手を思う姿を見て、アズキナシ一佐は自身の若い頃を思い出していた。
そして、灰皿にタバコを捨てるとティトに向かって微笑みかけた。
「初恋とは素敵な思い出ね、私も今でも覚えているわ」
そう言うとアズキナシ一佐は腕時計を一瞥し、言葉を紡いだ。
「ティトちゃんのやりたい事が見つかって良かったわ。ただ…」
一佐は言葉を濁すと、ティトに目を向けた。彼女の視線に気がついたティトとジーンは不思議そうに一佐を見返すと、話の続きを待った。
一佐はベンチから立ち上がると、制服の首元を正しながら言った。
「今のティトちゃんはまさしく研究員といった格好ね。ただ、初恋の人に会いたいのなら、それなりの格好をしないといけないわ」
そう言うと一佐は手帳を取り出し、そこに電話番号を書き記した。その紙をティトに手渡すと、彼女の頭を撫でながら言った。
「私の番号よ、しばらくは訓練指導のためにここに滞在しているから、空き時間にでも顔を見せてちょうだい」
「化粧やオシャレについて教えてあげる」とウインクをしながら言うと、一佐とヘルガーは訓練場の方に向かって歩き出した。その背中を見送ったティトとジーンは、やがて紙面に記された番号を見ると戸惑いの表情を浮かべていた。
『…どうする?』
沈黙を破ったのはジーンだった。彼の問いかけにティトは困り顔で番号を見ると、口を開いた。
「悪い人ではなさそうだし…お茶をするのも良いかもね」
そう呟くティトの口角が緩んでいることを、ジーンは見逃さなかった。家族を失い、多忙な毎日を送る彼女の心境を見抜いているジーンは、安心したように息を吐くと、小さくなるアズキナシ一佐の背中を見送った。
*
ティト達と別れたアズキナシ一佐は訓練場に続く道を歩きながら小型通信機を取り出すと、チャンネルを調整し耳に当てた。数秒間の雑音の後、通信機に向かってアズキナシ一佐は言葉を発した。
「私よ。今の状況は?」
アズキナシ一佐の呼びかけに対して通信機から低い男性の声が聞こえた。
【予定通りに遂行しています、レンジャー側の会計資料を分析した結果、関係のある企業とNPOをピックアップし、彼らの資金の流れを解析しました】
「もちろん、合法な手段よね?」
アズキナシ一佐の質問に対して、三佐は即座に【解析の手段は合法です】と返した。
【あくまでポケモンレンジャーと企業NPOが公開している会計情報と銀行を介した資金の流れ、役員のリストから合法の範囲内で集めた情報です。ですが、より詳細な資金使用用途や移動した物資、ポケモンのリストなどに関する情報も集めていますが、こちらに関しては一部非合法な部分もあります】
「詳しく説明して」
歩きながらアズキナシ一佐は三佐に指示すると、訓練場に居る部下に「もっと扱いてやれ」とハンドサインを送った。部下は即座に敬礼すると、疲れ果てて地面に座り込んでいるレンジャー隊員達に向かって声を張り上げていた。
【レンジャー内部に潜入させている部下からの情報です。物的証拠と資金の流れ、取引の明細、証言など抑えていますが…工作員の持ち出したものであり、出所を問われると…】
「こちらも無傷というわけにはいかないわね…」
そう呟いたアズキナシは訓練場を見渡せる場所に設営されたテントに歩み寄る。テントの下にはポイントθやポケモンレンジャーの関係者、教育のために派遣された幹部自衛官の姿があり、彼らは揃って訓練場の方を見ている。
アズキナシ一佐はテントの端で立ち止まると、周囲から聞こえない程度の声量で話を続けた。
「まぁ…弱みは握れるだけ握った方が良いわね。万が一の取引の際に、こちらが優位に立てるわ」
一佐はそう呟きながらタバコを取り出すと、口に咥えた。そしてライターを探そうとポケットに手を入れた。
【その事で報告があります。工作員の持ち出した情報の中に、ポイントθにて行われている研究に関するものがありました】
三佐の報告を聞いたアズキナシ一佐の手が止まり、意識を通信機へ集中させた。彼女の後ろに続くヘルガーは立ち止まった一佐の脚に擦り寄ると、甘えるように声をあげた。
ヘルガーの頭を撫でたアズキナシ一佐は「詳しく説明してちょうだい」と要請した。
【詳しい内容は不明ですが、工作員の掴んだ情報によると、生体実験に関する研究のようです。会計情報からもポイントθには大金が投じられているのは確認済みです】
「大金と研究、ね…」
アズキナシ一佐の脳裏にティトの顔が浮かんだ。まだ子供といえる年齢の彼女がそのプロジェクトに関係しているかは不明だが、ポイントθの研究員である以上、コンタクトを取り続ける価値はある。その事を理解したアズキナシ一佐は取り出したライターでタバコに火を点けると、小さな声で呟いた。
「当たりを引いたかも…」
彼女の呟きに対して【もう一度よろしいですか?】と三佐の質問が来たが、アズキナシ一佐はそれを制してタバコの煙を吐き出した。そしてヘルガーの頭を撫でると、続けて命令を下した。
「あなたは引き継ぎポケモンレンジャーの資金の流れとシンパの洗い出し、それと研究内容の調査をしてちょうだい」
【どこまで探りますか?】
三佐の問いに対してアズキナシ一佐は降格を歪めると、ヘルガーの顔を撫でながら口を動かした。
「可能なら関係者のリストアップと籠絡できそうな研究員の確認を…生体実験を本当に行なっているのなら、彼らの尻を蹴り上げてオムツをしめてあげましょう」
そう命ずるとアズキナシ一佐はにやりと笑った。
「この国を守るのは我々であり、ポケモンレンジャーではないと。思い上がった連中に教えてあげましょう」
彼女の言葉に合わせてヘルガーが遠吠えを響かせた。
ジーン『化粧とかファッションとか、わかるのか?』
ティト「…研究が忙しいのよ」