Ad
リビングに鎮座する二人掛けのソファに一人で凭れかかり、ぼうっとテレビを眺める。画面には何かのドラマの再放送が流れてるみたいだけど、続き物の作品を途中から見てしまってるもんだから内容はよく分かってない。正直内容にさほど興味もないから、「見る」というより「眺める」って感覚。
今日は土曜日で、学校は休みの日。入学してから数週間が経ち、高校生活にも少し慣れてきた頃だった。早速できた何人かの友達も、今頃は本格的に始まりだした部活動に精を出していることだろう。
部活動。俺も中学生だった頃は、毎週のように土日もサッカー部の練習に励んでいた。……だけど、高校生になった今の俺はと言えば。
「……暇だなあ」
ソファの背もたれに首を預け、天井を眺める。高校で俺が入った文化祭実行委員会――だいたい略して”文実”って呼ばれてる――は、秋に行われる文化祭の直前期以外は、特に土日に活動することもない。
中学時代は主に部活で土日を過ごしていた俺にとっては、それだとどうにも時間を持て余してしまって。
ルームメイトの晴は、結局どこの部活にも入らないらしい。中学の時も帰宅部だったし、休日は本でも読んでるって言ってたなあ。俺は読書とかあんま得意じゃないから、時間の潰し方の参考にはならなかったけど。
晴は、きっと今も自分の部屋で読書でもしてるんだと思う。さっき一緒に朝食を食べに行った後からは、部屋に籠りっきりみたいだし。
一緒に何かしたいところではあるけど、晴は本を読むのが好きみたいだし、あんまり邪魔するのも良くないよなあ。
……ってのは建前で。本当のところ、俺としてはこの退屈をすぐにでもどうにかしたかった。偶には何も予定がない日があってもいいけど、この調子じゃ週末は退屈三昧になっちゃいそうだし。
俺は惰性で点けていたテレビの電源を切り、ソファから立ち上がる。向かうのは、リビングから見て二つ並んだ部屋の右側、晴の部屋の扉の前。
「晴っ!」
俺は目の前の扉をノックし、この数週間ですっかり呼び慣れた名前を呼ぶ。そんな俺を、いつもの怪訝そうな仏頂面が扉を開いて出迎えるのは、それから間もなくのことであった。
*
よく晴れた日の、時刻はだいたい正午過ぎ。学校には制服で行くから着る機会の少ない私服に身を纏い、俺達は学校とは逆方面に向かって歩いていた。俺の右隣、少し見下ろした位置には、猫背でゆっくりと歩く晴の姿がある。
「お前が出かけようっつーから乗せられちまったけど、どっか行く当てでもあるのか」
「んー、こっちの方行けば色々店があるって聞いたんだけど……」
人を連れ出しておいてなんだけど、特に行先に当てがあるわけでもなかった。強いて言うなら、今後しばらく住むことになる土地を散歩してみたかった、ってのが理由の一つかも。
俺があまりの退屈さに痺れを切らして、こうして無計画に晴を誘って出かけてきた訳だけど、晴は存外乗り気でついてきてくれた。外出とかあんまり好きじゃなさそうなイメージがあったから、こうして付き合ってくれるのはなんだか嬉しい。
「……まあ、俺もいつかはこっちの方来てみたいと思ってたし」
晴はそう言うと、ほんの少し足を速める。なんだかんだ、晴も楽しみにしてくれてるのかな。……だとしたら、同じことを考えながら同じ時間を共有できてる気がして、嬉しいなあ。
そんなことを考えながら、俺も歩みを速くする。友達と遊びに出かけるのが久々なのもあって、胸の中で期待が大きく膨らんでいるような、そんな感覚があった。
俺達が地図アプリなんかとにらめっこしながら歩くこと、数分。どうやら無事に目的地に辿り着けたらしい。
「なんつーか、こう……」
「思ったより、ちゃんと色々あるね」
視界の開けた場所に出て俺達の目に飛び込んできたのは、ファミレスやカフェを始めとする飲食店や、カラオケやボウリングのような娯楽施設の数々。その有様はそこそこ栄えてる都市を彷彿とさせるほどで、この町は想像以上に商業施設が充実しているようだった。
「辺鄙な土地のくせして、無駄に栄えてんのな」
晴は、若干顔を引き攣らせて言う。多分だけど、ちょっと引いてるみたいだ。確かに目の前の光景は予想外のものだし、その気持ちも分かるけど……どちらかと言えば、俺は。
「晴、行こ!」
「ちょ、ま……っ!」
気づけば俺は晴の手を取り、人込みの中へ駆け出していた。
この町がここまで栄えているのは、俺だって不思議に思うけど。今は、この町でこれから数年生きていくこと……そして何より、今日晴と一緒に遊べることが楽しみで、なんだか浮足立ってしまっているみたいだ。
勢いよく飛び出したはいいものの、町の中心部は人で溢れていて。そんな中で走り回るなんてのは無茶な真似だったから、俺はすぐにゆっくりとした歩みへと切り替えた。
この人込みじゃスマホも見れないからよく分からないけど、なんとなく飲食店が多そうな方向へと進んでみる。
「おい、心……!」
「んー?」
「いつまで手、繋いでるんだ」
「あっ」
言われ、自分の右手の方を見やる。すると、俺の手がしっかりと晴の手をしっかりと握っているのが目に映って。晴の手が俺のよりも小さくて柔らかいもんだから、なんだか握り心地がよくてずっと掴んでしまっていたようだ。
「ごめん、なんかこう……握りたくなっちゃったから」
「……なんだよ、その理由」
握っていた手を離しながら、内心で「しまった」と思う。晴、スキンシップとかあんまり得意じゃないって言ってたしな。軽率な行動のせいで、晴に嫌な思いをさせちゃったかも。
俺は歩道の脇へ寄って立ち止まり、目線を晴の顔の方へと向ける。悪いことしちゃったし、もう一回ちゃんと謝った方がいいかなって、そう思ったから。
だけど、俺の視線が晴の顔を捉えた瞬間に味わったのは、どうにも奇妙な感覚で。
――別に、お前とならそこまで嫌じゃねえけど。
俺の頭の中で、晴の声が響く。でも、さっきから晴の口は動いたりなんかしてない。ちゃんと見てたから分かる。
……また、この感覚だ。こうやって、喋ってないはずの相手の声が聞こえるのは、これが初めてじゃない。この土地に来てから……もっと正確に言えば、俺が自分の”言の葉”の意味を調べてから、何度かこの感覚を味わっている。
――言の葉は人に本意を隠されてなほ 知らまほしかば歌ふべきもの されど努々忘るる勿れ あながちなれば過つるのみ
あの変な夢の中で告げられた、俺の”言の葉”。夜中までこの詩の解釈に悪戦苦闘してたお陰で翌日は寝不足だったけど、それを経てなんとなく分かった、俺の言の葉が持つ力。それは多分、きっと。
……俺はこの体質を使えば、相手が内に秘めてる本心を知ることができる。だけど、あまり無理に探ろうとしても上手くはいかない。概ねこんなもんだろうと、自分の中で納得した。
だとしたら、さっき聞こえた晴の声って。もし晴が、俺と手を繋ぐのも嫌じゃないって、そう思っていてくれているのなら……俺は。
「どうしたんだ、急に立ち止まって」
「あ、いや……あのさ」
晴が怪訝そうにこちらを見つめてくる。改めて口に出して伝えるのはちょっぴり気恥ずかしいけど……ちゃんと言わなきゃ、伝わらないしな。
「もし良かったらまた手繋ぎたいなー、なんて」
「……なんで今の流れでそうなるんだよ」
「え、いや、ほら。人も多いからはぐれないように……って感じでさ」
「……」
そう言うと、晴は仏頂面に輪をかけて黙り込んでしまった。あちゃー、やっぱり駄目だったか。はぐれないように、って理由も正直出まかせで、俺が繋いでたいだけってのが殆どだしなあ。
変なことを口走ってしまったのを謝ろうと、口を開こうとする。だけど、晴が周囲をキョロキョロと軽く見回したと思えば、その左手を俺の前に差し出してきて。
「へっ」
「……手、繋ぎたいんだろ。勝手にしろよ」
「……!」
ぶっきらぼうな言葉と共に差し出された手を、俺の右手でしっかりと握る。数分を隔てて再び握ったその手からは、心なしかさっきよりも強い温もりを感じた。
「ほら、行くぞ。腹も減ってきたし」
「……うん! 俺も腹減ったなー、何食べる?」
「そうだな、俺は――」
春の世朱町を、二人で歩く。とりとめのない会話を交わしながら、人の波に乗って。
……願わくば、これからもこうやって二人の時間を過ごしていきたい。人込みに紛れながら握る手の温もりの心地よさに、俺はそう思わずにはいられなかった。
*
「ごちそーさまでした」
結局、俺達は全国チェーンのファストフード店で昼食を食べることにした。あの後、人の流れに乗って道を進んでいった俺達は、飲食店が集中している地帯に辿り着いて。たくさん候補がある中でこの店を選んだのは、「ここがいい」と言った晴の希望。
「お前、相変わらず食うのはえーな」
「だいぶ腹減ってたしなあ。あ、別に晴は急いで食べなくていいからね」
俺の向かいの席に座る晴はサイドメニューのポテトを摘まみながら、注文したものを全て平らげた俺に向かって言った。
事実、俺は晴の頼んだセットと同じものに加えて何個かハンバーガーを追加で注文したのに先に食べ終わったから、食べるスピードは晴よりだいぶ速かったんだろう。
晴は食事中だし、無闇に話しかけるのもあまり良くないよな。手持無沙汰になった俺は、もそもそとポテトを食べている晴を横目に、ストローの入っていた紙袋を指に巻き付けて時間を潰していた。
「……それにしても」
「ん?」
晴はいつの間にかポテトを食べ終え、今度はハンバーガーの包みを手に持っていた。晴は目線を手元のハンバーガーに目を落としたまま、何事か口を開く。
「本当に良かったのか、お前の奢りで」
「ああ、いいんだよ。急に誘ったのは俺の方だし」
晴が言うように、今日の昼食の勘定は俺が持っていた。お会計するときも晴は「自分で払う」って少し食い下がってきたけど、俺が半ば強引に支払いを済ませたんだ。
「……ありがと」
「ん」
ハンバーガーをまじまじと見つめていた晴は、ちらりとだけこちらに視線を向けて礼を言う。素直なんだか不愛想なんだかよく分からない晴の態度がどうにもいじらしく、自然と俺の顔も綻んだ。
正直、この様子を見れただけでも奢った価値があるように感じるくらい、やけに気分が良くなってしまう。
そうやってニヤけてしまいそうなのを堪える俺を他所に、晴はハンバーガーに齧り付いていた。晴の口は俺よりも小さいからなんとなく想像はできたけど、晴がハンバーガーを齧った跡は俺のそれより随分小さいように見える。
それに、食事をしている晴をよく見てて気づいたけど……もぐもぐと食べ物を嚙んでる時、それに合わせてヒゲがゆさゆさと動いてる気がする。
これって、晴の癖なのかなあ。猫獣人の友達は他に何人かいるけど、皆がそうって訳じゃなかったし。
そんなことをぼんやり考えている俺の前でも、晴のヒゲは機嫌でもいいかのように、相変わらず揺れている。普段が仏頂面なだけに、晴のこういうところを見てると、なんだか。なんだかなあ――。
「……何見てんだよ」
「あ、いや、あはは」
――可愛いなって、そう思ってしまった。
晴に言ったら絶対怒るだろうなあ、これ。だから俺は、晴の文句も笑って誤魔化してみせた。
「――で、これからどうすんの」
トレーの上に乗った食べ物を全て食べ終えた晴は、小さく「ご馳走様」と呟いた後そう言った。晴からこの質問をされるのはなんとなく想像がついていたし、案は既に考えてある。
「この近くにカラオケがあるみたいだからさ、行ってみない?」
「カラオケ……」
晴は俺の言葉を反芻し、神妙な表情を浮かべる。この反応を見るに、もしかして。
「晴、行ったことない?」
俺が尋ねると、晴は返事代わりにこくんと頷いた。その表情はどこか不安げで、少なくとも俺の提案に乗り気なようには見えない。
自分で言っておいてなんだけど、晴がカラオケに行くことに対して渋い反応をするのは、なんとなく予想できていた。人前で歌うって、結構ハードル高いしなあ。
「……えっと、俺は別にどこか他の場所でも――」
「カラオケ、行ってみたい。……いい機会だし」
「えっ」
晴は俺の言葉を遮って、そう口にした。普段の晴からは想像のつかない言動に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「……いいの?」
「『いいの?』って、お前が提案したんだろ。それに……いや、なんでもない」
「へへ……ありがと」
「顔、ニヤけすぎだろ。何考えてんだ」
晴の言う通り、今の俺、相当ニヤけちゃってると思う。でも、それも晴のせいなんだよな。
晴はさっき言い淀んでたけどさ。俺の言の葉のお陰で、晴が何を言おうとしてたか分かっちゃったんだもん。こんなの、嬉しくて表情も緩んじゃうに決まってる。
――お前となら、行ってみたいって思えるし。
さっき、俺の頭の中にだけ響いてきた声を思い出す。晴が言いかけてやめた、俺に対しての本心。
……晴は、言葉にこそ出さないけれど。手を繋ぐのも、カラオケに行くのも、『俺とだから』って理由で了承してくれてる。
確かに、他人の考えてることを覗き見るのはあんまり趣味が良くないかもしれないけどさ。こうでもしないと、晴はそう簡単に本心を打ち明けてくれないと思うから。
「……変な奴」
こうやって一人でニヤけるくらい、許してほしいな。
*
昼食を取ったファストフード店を出てから、数十分。俺達は話していた通りカラオケに遊びに来て、今は案内された部屋の中にいた。街には人も多かったししばらく待つのも覚悟してたけど、俺達が案内されたのは受付をしてから十数分後のことだった。
案内された部屋は、内装だとか広さだとか、どれを取っても至って平々凡々。初めて来た店舗だというのに、どこか懐かしい感じさえする。
「結構久々だなあ、カラオケ来たの」
「……俺は何が何だか分からねえから、先に歌ってくれ」
「りょーかい!」
意気揚々とリモコンを操作する俺とは裏腹に、晴はなんだか居心地が悪そうだった。大丈夫かなあ、ちゃんと楽しめるといいんだけど。
でもまあ、とにかく俺が歌い始めない限り何も始まらない。一曲目に相応しそうな有名で明るい感じの曲を入れて、俺はマイクを持った。
やがて部屋中に響く音量で曲が流れ始め、俺は画面に表示される歌詞に合わせて喉を震わせる。やっぱり、好きな曲を思いっきり歌うのは楽しい。晴がやけに歌ってる俺のことをよく見てくるのが、ほんのちょっぴり気になるけど。
「……上手いな」
俺が歌い終わると、晴は俺の歌の感想を口にした。歌うのは苦手じゃないって自覚はあるけど、やっぱ少し照れるな。晴に言われると、なんだか特に。
「いやあ、歌い慣れてるだけだよ。晴は歌いたい曲決まった?」
「ん」
晴は短い返事をして、リモコンを操作する。画面に表示された曲名を見ると、どうやら一昔前に流行ったバンドの曲みたいで。俺たちの世代とはちょっと離れてるから、詳しくは分からないけど。
あれだけ自信なさげだった晴だけど、その歌は初めてとは思えないほど上手だった。音程もあまり外してないし、リズムにもちゃんと乗れている。……だけど一つだけ、なんだか惜しい感じが。
「……ちょっと緊張してる?」
「まあ……」
晴の歌声を聴くのは初めてだけど、どこか本調子ではない感じがひしひしと伝わってきた。
元々大きい声を出すのは苦手だって言ってたし、初めてなんだから勝手が分からないのも当然っちゃ当然だけど。せっかくセンスは良いのに、なんだかこう……すごく、勿体ない気がする。
「晴、ちょっと立ってみて」
「……? おう」
俺は晴にそうやって促し、近くへと寄った。
「よく言われてることだけどさ、歌うときはお腹から声出すのを意識するといいかも。ほら、この辺――」
余計なお節介だとは思いつつも、晴はもっと上手く歌えるはずなんじゃないかって、そう思ったから。だから、晴が歌いやすいようにコツを教えてみようと、晴のお腹を服の上から軽くさすったんだけど。
「ひゃっ、あ」
「えっ?」
――晴は、聞いたこともないような声を上げて、身体を強張らせた。見れば、耳も尻尾もピンと立てて、その顔はひどく紅潮している。
「大丈夫? 俺、何かしちゃった……?」
「な……」
何が起きたか未だによく分かってないから、俺は晴に問いかける。よく分かってないなりに何かマズいことをしてしまった自覚はあるから、できる限りの申し訳なさそうな声色を作りながら。
「んなとこ急に触んな、アホ……ッ!」
「へっ」
晴は真っ赤なままの顔で、俺を睨みつける。怒ってる……みたいだけど、いまいち状況が掴めない。俺、ちょっとお腹触っただけだよな。
俺が困惑のあまり言葉を紡げないでいると、晴が口を開く。
「……急に怒鳴って、悪い。でも、もうここだけは触るのやめろ。絶対に」
「あ、うん……」
急にしおらしい様子になって、晴はそう言った。今は落ち着いたみたいだけど……どうしたのかな。
お腹をさすった時の嬌声じみた声。紅潮した顔。そして……やけに恥ずかしげな様子の晴。
色々な状況を鑑みて、俺の頭脳は一つの結論を導き出した。導き出したところで止まればよかったんだけど、その答えが口から漏れ出ちゃったことと、思ったより晴の耳がよかったことが、何よりの問題だった。
「……性感帯?」
「……殺す!」
「あっ、ごめん! ごめんって!」
晴は、文字通り俺に嚙みつかんばかりの勢いで、再び俺を睨みつけてきた。ヤバい、完全に火に油注いじゃったな、これ。
……だけど、俺の注いだ油がしっかり引火してしまったってことは。
晴のお腹が性感帯、っての……図星だったのかな。だとしたら、だいぶ悪いことしちゃったなあ。
激昂する晴に対して平謝りを繰り返していると、いつの間にか晴は拗ねてそっぽを向いてしまっていた。全面的に俺が悪いってのは分かってるけど、どうにか機嫌を直してほしい。
「ほ、ほら……次、曲入れていいから。ね?」
「……ふん」
晴にリモコンを差し出すと、晴はぶっきらぼうな言葉と共にそれを受け取った。機嫌が悪いのは確かだけど、歌を歌うことに対しては前向きみたいで、ちょっとだけ安心する。
晴が今度入れた曲は、さっきと同じバンドのだけど幾らかアップテンポなやつ。俺からしたら、かなり曲の難易度が上がったように思うんだけど……。
「晴、だいぶ調子良くなったんじゃない? 今の曲、めっちゃ上手かったじゃん」
「誰かさんのお陰でな」
歌い終えた晴に向けてお世辞抜きの賛辞の言葉を贈ると、全力の皮肉で返されてしまった。そう言われると、俺としては返す言葉が無くなってしまう。
二曲目を見事に歌い切った今の晴は、言葉にはまだちょっと棘があるけど。その表情を見てみると……怒ってるというより、結構なドヤ顔をしている。歌って機嫌が直ったのかな。
「次、お前が入れろよ。採点で勝負してもいいぜ」
「いいねー、やる気じゃん。やるからには負けないからね!」
二人で交互に曲を入れては、その点数に一喜一憂する。入れた曲が互いに知ってるものだったら、その曲についての思い出を語り合う。そんな調子で過ごす数時間は、本当にあっという間に感じるほど、充実したものだった。
*
「……さすがに、喉いてえな」
「二人だけで結構な時間歌ったもんね……」
お互いに歌う体力も歌いたい曲のレパートリーも尽きちゃったもんだから、俺達はカラオケを出て帰路に就いていた。時刻は夕方で、道路は昼間より人が疎らになっている。
随分涼しくなった気温と時折吹き抜ける春風が、歌い疲れた体になんとも心地いい。
「夕飯にはまだ早い時間だし、今日はもう帰るか。結構疲れたしな」
「帰ったらさ、一緒に映画でも観ない? 面白いって評判のがあってさ――」
春の世朱町を、二人で歩く。今度は夕暮れの中を、これまた他愛のない話をしながら。
人込みもなくなって、手を繋ぐ口実はなくなってしまったけれど。
なんだか今は、昼間に同じ道を歩いた時よりも随分と心が満たされているような、そんな気がした。
Ad