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こころはる 第一話

  「……はぁ」

  見知らぬ土地へ向かう乗り慣れない電車の中で、俺は本日何度目か分からないため息を吐く。車窓から見える快晴の空、家を出るときに感じた春の陽気とは裏腹に、俺の心境は複雑であった。

  こんな気分になっている原因は他でもなく、この電車の行き着く先。

  ふと、手元に置いたパンフレットを見る。表紙を飾るのは、校舎と思しき真白い建物の写真と、その下に明朝体で書かれた「国立[[rb:世朱 > よあけ]]大学附属高等学校」の文字。

  この電車は、この高校――在校生からは世朱高校と呼ばれているらしい――の最寄り駅を終点として走っている。そして俺、[[rb:山南晴 > やまなみはる]]は、この春から世朱高校の新入生となる。

  始めは、この高校への進学にも乗り気であった。中学の担任から唐突に「お前に高校の推薦が届いている」と言われたときは驚いたが。

  詳しく見てみれば、全寮制で寮の設備も高校のものとは思えないほど整っており、寮特有の厳しいルールもない。それでいて学費と寮生活の費用を合わせても格安の値段で、もはや都合が良すぎて怪しんでしまうほどであった。

  地元からは離れてしまうことになるが、特に土地や友達への未練もない俺にとって、迷う余地などなかった。――ただ一つの、大きな懸念点を除いて。

  パンフレットをめくり、何度も読んだ「学生寮について」のページを見る。そこには、部屋の間取りや寮に備えられた設備が書かれていた。各部屋にはシャワーやトイレ、キッチン、各種家電まで備えられており、寮というよりかは質のいいアパートを思い起こすほどである。

  そんな好条件に、俺はきっと浮かれていたのだろう。次のページに小さく記載された注を見て、がっくりと項垂れる。

  『――一人部屋を希望される際は別途申請をしてください。基本的には二人で一部屋となります。』

  「はあぁ…………」

  注の内容を噛みしめ、ひと際大きなため息を吐く。俺はつい最近までこの注に気づいていなかったため、当然一人部屋の申請などしていない。つまり、俺はこれから初対面の奴と一つ屋根の下で暮らさなきゃいけないってわけだ。

  申請したからと言って数に限りのある一人部屋を使えたかは分からないが、そもそも注に気づいていなかった自分への後悔と情けなさといったら相当なもので、入寮を前にして鬱々とした気分に苛まれる。

  遠く離れた土地の、知り合いのいない高校に通うこと自体に抵抗はなかった。中学に友達と言えるような存在がいなかった俺にとっては、地元の高校も見知らぬ土地の高校もさして変わりないように思えたからだ。

  しかし、寮の相部屋で暮らさなければいけないとなると話は別である。今までの人生で人並みのコミュニケーションを経験してこなかった俺にとって、初対面の相手との共同生活なんてハードルが高すぎる。もしも相手が、いかにも「自分友達多いです」風のいわゆる「陽キャ」だとしたら、なんて考えるだけで胃が痛い。

  正直、不安なことは挙げ出したらきりがないほどにあるのだが、頭の中でうだうだと文句を垂れていても仕方がない。俺は、電車が目的地に着くまでの残り数十分は目を閉じてやり過ごすことにした。

  *

  「――やっぱ、俺ダメかも……」

  電車が学校の最寄り駅に到着するや否や、俺は駅のトイレに駆け込んでいた。緊張からか、電車が駅に着く数分前から俺は腹痛に見舞われていたせいだ。おかげで余計なことは考えなくて済んだものの、こんな調子では先が思いやられる。

  用を済ませてトイレを出る。あとは、いざ寮へ向かうのみ。事前に伝えられた情報によると、入学式は明日に控え、今日は入寮式と軽いオリエンテーションがあるだけのようだ。

  ……まだ、入寮式までにはいくらか時間がある。それまでの間、まずは受付で各種案内や制服の学ラン、部屋の鍵を受け取り、一旦自分の部屋に荷物を置いてもいいことになっている。

  緊張を噛みしめながら、一歩一歩寮へと歩みを進める。駅から学校・寮まではほど近く、迷うという心配が要らないのは幸いだった。

  かなり時間に余裕をもって来たからか疎らにしか人が見当たらないが、ついに寮へ辿り着く。意を決して中へ入ると、「事務」の名札を下げた鹿獣人の女性に声をかけられた。

  「おはようございます。新入生の方でいらっしゃいますか? 」

  「は、はい」

  ……完璧に声裏返った。恥ずかしさから目を逸らす俺を意に介さない様子で、事務の女性は手続きを進める。

  「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

  「山南晴です。山に南で、山南」

  「山南君ですね。こちらがお部屋の鍵と、諸々の案内……そして、学生証と制服になります。入寮式までに時間がありますので、お部屋でお休みになってください」

  「分かりました、ありがとうございます」

  事務の女性はにこやかに笑って俺を見送った後、また別の作業に取り掛かる。思ったよりあっさりとした手続きだったが、その他の詳細はまた後で聞かされる……ってことだろうか。

  *

  「ええと、214号室は……っと」

  受付で部屋の鍵を受け取った俺は、一緒に受け取った寮の地図をもとに自分の部屋を探していた。どうやらこの寮は西棟、中央棟、東棟の三つに分かれているらしい。それで、俺の部屋は西棟二階の214号室。

  俺にとっては関係のないことだが、地図によると少し離れた場所に女子寮があるらしい。この高校は表面上は男女共学だが、男女で使う校舎も寮も違うので、実質的な男女別学になっているみたいだ。

  「……あった」

  そうこうしている間に、”214”の札が掛かった部屋を見つけた。

  自分がこれから暮らしていく部屋を前に、多少なりとも興奮する。間取りや内装はパンフレットで確認したが、自分の目で見るとなるとまた違った感覚がある。

  まあきっと、これだけ早くに来たのだからルームメイトもまだ到着していないだろう。受付の女性が言っていたように、俺は相手が来るまでは部屋で一人ゆっくり休んでいればいい。

  そんな俺の計画は、ドアを開いた瞬間に打ち砕かれる。

  「……え?」

  玄関にしっかりと認められたのは、自分のものではない、赤くてスポーティな靴。その靴の存在が意味することはつまり――。

  「え、うそっ、早いなあ! はじめまして!」

  「お、おう……」

  脳が理解するのとどちらが先か、俺は先に到着していた犬獣人――もとい「ルームメイト」に声をかけられる。

  「へえ、猫獣人なんだ。名前は? どこ出身なの? ……ってあれ、もしかして」

  駆け寄ってくるなりまくし立てられ返答に困っていると、急にぐいと顔を覗き込まれる。なんなんだ本当に。つーか、顔近いって……!

  「やっぱり! さっき電車で見た子だ。俺も同じ車両乗ってたんだけど……分かる?」

  「いや、ごめん……ずっと考えごとしてたから」

  「そっか、確かになんか難しい顔してたもんね」

  難しい顔とはなんだ、と少し腹が立ったが、それよりも……ずっと見られてたのか、電車の中で悶々とする俺。そのことに気づいて、いくらか恥じらいを覚える。

  多分、こいつの方は俺がトイレに籠っている間に手続きを済ませて、この部屋に着いていたのだろう。

  「俺、[[rb:椙山心 > すぎやまこころ]]。木偏に日が二つの方の椙で椙山。君は?」

  「……晴。山に南で、山南晴」

  さっきの受付の時よろしく自己紹介するが、いくらか不愛想な返事になってしまった。正直言って、懸念していた苦手なタイプだ。きっと、この後も質問責めに――。

  「そっか。よろしくね、晴……くん。きっと疲れてると思うし、部屋の中で休む? 二部屋あったから、好きな方選んでいいよ」

  「えっ」

  「ん?」

  「いや……ありがとう。正直休みたかったから、助かる……」

  「あはは、どういたしまして」

  予想とは異なり、上手いこと気を配られたことに面食らってしまったが、内心安堵する。こいつ、思ったより悪い奴じゃないのかも。

  「じゃあ……俺はこっちの部屋でいいか?」

  「ん、分かった。内装もほとんど同じだったしね」

  というわけで、俺が向かって右、椙山が向かって左の部屋を使うことになった。右を選んだ理由は特にない。直感だ、直感。

  この寮の二人部屋は、入ってすぐ右にトイレと浴室。その先にキッチンとリビングダイニング――そこそこ広いうえにソファとテレビまであるのには驚いた――があり、その奥に二人分の部屋、という間取りだった。

  以前から知ってはいたものの、やはり高校の寮にしては快適すぎる環境に少々わくわくする。

  「じゃあ、また後でな」

  「うん。またね」

  軽く会話を交わした後に、自分の部屋へと入る。中にはベッドやクローゼット、勉強机、本棚が備えられており、いかにも学生の部屋といった感じだ。

  

  引っ提げてきた重い荷物を置いて、ベッドへと寝転がる。肉体的にも精神的にも疲弊していたため、ようやく一息つけてほっとする。すると、昨夜は緊張してあまり眠れなかったのもあり、眠気までも襲ってきて。

  ……隣の部屋からは、ゴソゴソと物音が聞こえてくる。きっと、椙山が荷解きでもしているのだろう。

  多分、椙山は良い奴だ。少なくとも……俺が今まで関わってきた連中よりは、ずっと。

  ひとまずは、不安はある程度払拭されたかな。なんて思いながら、俺の意識は微睡みの中へと吸い込まれていった。

  *

  気づけば、俺は見慣れた校門の前にいた。まだ少し肌寒い気温に疎らな人……そっか、俺、中学に登校しに来てるのか。

  校門を通り抜けて校舎に入り、自分の教室へ入る。既に数名は教室にいるようだが、挨拶はしない。

  席に座り時計を見ると、朝のホームルームまでにはまだ時間があることに気づく。読書でもしようと思い本を開くが、なぜだか今日はやたら眠気が残っていた。

  仕方なく本を閉じて、机に突っ伏す。チャイムが鳴るまで、少し眠ろうと思った。

  「……晴くん」

  遠くからぼんやりと、俺の名前を呼ばれている気がする。この中学校に俺に話しかけるような奴はいないから……気のせいだとは思うが。

  「晴くん」

  段々と、俺を呼ぶ声に輪郭が帯びてくる。気のせいじゃないのか、などと思いながら身体を起こそうとするも、金縛りに遭ったようにぴくりとも動けない。なんなんだ、これ。なんで動けないんだ。

  「――晴くん!」

  ついにはっきりと声が聞こえたその刹那、唐突に肩を揺さぶられるような感覚を覚えて俺は――。

  「おわっ!?」

  ガバっと勢いよく上体を起こす。すると目の前には、俺を呼ぶ声の主がおり。

  「ああ、やっと起きた……おはよ、晴くん」

  「お、おはよ……う? 」

  ひとまず返事はするものの、寝起きの脳ではいまいち理解が追い付かない。 どういう状況なんだ、今。

  「もうすぐ入寮式の時間だから声かけたんだけど、なかなか返事がないから起こしに来たんだ。勝手に部屋入っちゃってごめんね」

  「あ、そうか……ごめん、ありがとな」

  あのまま寝ちまってたのか、俺。初めて来た部屋で早速爆睡かますなんて、あまりに無防備すぎる。それに、初対面の奴に寝顔まで見られて……。

  「晴……くんって、結構面白いんだね。割と頑張って起こそうとしたんだけど、なかなか起きなかったよ」

  「……うるせ」

  ニヤニヤ顔で揶揄われて正直腹が立つも、起こしてくれた手前強くは言い返せず、小声で悪態づく。

  「じゃ、入寮式行こっか。俺も制服に着替えてくるね」

  そう言って、椙山は俺の部屋を出ていく。

  「はあ……」

  椙山が扉を閉めたのを確認し、しばらくぶりのため息を吐く。どうしちまったんだ、今日の俺は。緊張が続いてるのか、はたまた新生活に浮かれているのか。いつもの自分じゃないみたいだ。

  そのせいで初対面の奴の前で失態を晒し、挙句それを揶揄われる始末。同年代の奴と話すことさえ久しぶりな俺は、なんとも言えぬむず痒さを味わわされる羽目となった。

  ……でも。

  「俺も、着替えるか……」

  ……でも、こういうのもいいかなと、ほんの少しだけ、思ってしまう自分がいた。

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