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ピチョン ピチョン
塗りたくられたような一面の深い闇にまばゆい光の線が二本、走っている。毛皮をかすめる空気はおそろしいほどに冷たく、熱気の[[rb:席巻 > せっけん]]している外との温度差に薄着で来たことを後悔する自分がいた。断続的な水の流れと滴りが同期するのに交じって、暗さをものともせぬ得体の知れない生物の走り回る音が耳に届く。この長くて閉塞感のあふれる[[rb:隘路 > あいろ]]はどこまで続くのだろう。僕たち五人一行は、そろそろ電池が切れそうなスマホに表示される宝の地図だけを手がかりにして、ただただ変わり映えしない岩壁の回廊をどうしようもなくひたすら歩いていた。
「はー、脚が疲れてやってらんねぇ。いつまで歩けばいいんだこりゃ?」
話は三十分前までさかのぼる。怨霊が[[rb:陸斗 > りくと]]の[[rb:身体 > からだ]]より抜け出したと思われるタイミングと同じくして[[rb:三八 > さんぱち]]が用水路のハシゴを登って現れた。[[rb:曰 > いわ]]く[[rb:余市 > よいち]]や[[rb:那仂 > なりき]]と一緒に上から光が降り注ぐ[[rb:鍾乳洞 > しょうにゅうどう]]内の絶景に興奮してはしゃいでいたのだけれど、僕と陸斗があまりに遅いことに気づいてなにをしているのか様子を見にきたらしい。だから互いに向かいあって一方が頭を抱え他方が見るからに意識を失ってうつむいている構図はそうとう怪しまれた。
ヤツがなぜか肝を潰したみたいな青い形相でこちらへ詰めよってくるのに対して、僕はといえばこの不可解極まる状況をいかに説明するべきかわからずオロオロとたじろぐばかりだ。ついさっき起きた奇怪な出来事をアレコレ取捨選択しようにも外気にゆだった大脳新皮質にそれができるわけもなく弁解じみたハッタリを繰り出そうとしたそのとき、予期せぬ人物が緊迫へと割りいってきた。
陸斗が目を覚ましたのだ。
あたかも長いうたた寝よりちょうど今戻ってきたかのごとくパチパチとまばたきをしフワーッと大きなあくびをかまして、しょぼくれたふうな顔つきで僕と三八を交互に見やってきた。明らかに自身がおかれている息が詰まりそうな現在の様相を理解していないみたいでひどくキョトンとしている。それが憶測ではなく確信に変わったのはつぎに発せられた言葉によるものに他ならない。
「あれ……[[rb:一朔 > いっさ]]さんに三八さん、探検はもう終えられたのですか?」
ヤツにとってこれが衝撃的だったかどうかはわからないけれど、僕にすればささやかな納得さえ置き去りにするくらいインパクトを有していた。つまるところあの一連の流れは演技でも夢幻でも白昼夢でもなんでもなく、怨霊と陸斗が入れ替わっていたのは事実だったのだ。それに伴ってあの対話は現実の出来事であったことが判明した。猫又に極小サイズの地獄に三八との因縁、くわえて仕舞際にいわれた謎の集団につけ狙われているという情報。全部が全部もしも本当なのだとしたら……そんな脳内がさながらがんじがらめとなっている僕にかまわずヤツはまくしたてる。
「まだ始まってすらいねーよ!! イッサとリクトが遅いからむかえにきたつもりだったんだが……お前ら、なにしていたんだ?」
いぶかしげにこちらへ視線を送ってくる三八はなにを考えてこうも怪しんでくるのかサッパリといっていいほどわからない。敏感になりすぎなのかもしれないもののどこか他意を感じるというか、あえて言葉を選ばないのであれば変な下心とやっかみすら感じられるというか。しかし空気を読むにはまだ頭が回りきっていない陸斗はその問いに対して寝ぼけまなこをこすりこう答えた。
「すみません疲れすぎて意識が飛んでいたみたいで、一朔さんが介抱してくださったらしいです」
「いやでもオレが登ってきたときには向かいあっていたぞ、ホントになんもなかったんだよな?」
己の予感が的中して、はたからするとヤツは[[rb:執拗 > しつよう]]なくらいに追及を始める。
「あー言っていませんでしたっけ。僕、立ったまま寝るのが特技なんですよ」
「……ッ、んじゃイッサは本当に介抱していたのか? ホントに介抱“だけ”なんだよな、な???」
この念押しようはいつぞやかで見覚えがあるものだった。たしか廃病院を探検した際にもこんなふうに目を泳がせてらしくもなくテンパっていたときがあったっけ。その理由が過去現在どちらにおいても皆目見当がつかないのは同じであるのだけど、一つ共通しているといえるのはいまだ謎のままなもう一人の三八といい陸斗に[[rb:憑 > つ]]く怨霊といい予想だにしない外的要因に弱いということだ。
「別になんもしていないよ。むしろザッパはなにを想像したの?」
「そ、それは……」
「ザッパがなに考えているか知らないけれどそう思えばいいんじゃない? 自分は気にしないよ」
以前ヤツに受けたヌカに[[rb:釘 > くぎ]]を打つような問答を軽い仕返しの気持ちを込め僕はそのまま再現してみせた。なぜならこうした状態に陥ると三八は普段やってのける高度な話術を封じられてなす[[rb:術 > すべ]]がなくなってしまうからだ。きっと第三者の視点でみればそうとうイジワルをしていると映るに違いない。けど正直いつも調子づいているヤツが明らかに参っているのを楽しいと感じている僕がいる。
「けっ。んじゃあ仕方がねぇ……、どりゃあ! これでも食らえ!!!」
「わっ?! ちょっとザッパいきなり飛びつかないでよ!!」
そんなあけすけにもほどがある[[rb:嗜虐 > しぎゃく]]心を見透かされたのだろうか、三八はこの暑さをいとわずに猛然と飛びかかり抱きついてきた。鍾乳洞にしばらく入っていたせいもあってか天然の涼気を身にまとっていて本当はイヤなはずなのにどこか心地よい。ひとしきり体をこすりつけてきたあと肩をひんづかみ抵抗する間さえ与えず向き直らせられ頬をポフッと寄せてヤツは高らかに宣言する。
「いいかリクト! イッサはオレのもんだからな! ぜってぇ渡したりしねぇぞ!!!」
(いや僕は誰のものでもないし向こうはめっちゃポカンとしているし)
遅れて頭を押しのけようとする手にガシッとロックをかけハイテンションに尻尾を振り回す三八。ああやっぱコイツは相変わらずアホだなと安心すると同時に陸斗に変な目で見られていやしないか不安になる。
だが事態は往々にして予想と想像の斜め上をゆくものだ。
「えっ? そう言い張らずとも皆さん知っていますよ」
「「え」」
「那仂さんはどうか知りませんけど……ほら、余市さんなんて特に三八さんが一朔さんへ片——」
むぎゅっ
三八は重要な部分が言い切られるまえにむんずと右手で陸斗の口をふさいでしまった。みるみるうちに青ざめてゆくネズミ獣人とは対照的にオオカミ獣人の白かった毛皮の奥は沸騰してしまったんじゃないかと感じてしまうくらいにおのずと真っ赤へ染め上がっていく。
「リクト——イッサの目の前でそれ以上いったらタダじゃおかねぇからな!!」
「ちょっと。ザッパが自分を“かたなんちゃら”と思っているっていったい——」
ガシッ
今度はもう片方の手で僕の首根っこをじかにひっつかんで言葉を制止させてくる。
「お前らあとで覚悟しておけ、さっさと油売ってねぇで鍾乳洞にカチ込むぜコラ!!!!」
「うわっ。も、もう離してってば……!!」
アホに引きずられ[[rb:涸 > か]]れ井戸みたいな鍾乳洞の入り口に向かう、まったくといっていいほど動きのない陸斗と首根っこをつかまれているせいでいつかの情景を想起してしまう僕。光の届かない暗闇の底に、はたして答えは待っているのだろうか。 “どうか陸斗を守ってやってくれ”。怨霊が最後に託したその言葉が、今なお僕のなかでリフレインとしてしたたかなる残響をもたらしていた。
そうして現在に至る。皆が降り立った地点におけるかつての動線は二手に分かれておりどちらの経路もその先はうかがい知れない。余市と那仂と合流してからは三八のスマホが示す地図を頼りに手描きの星印が記された場所を目指して探索を開始した。もっとも探検らしく移動の主たる手段は歩くこと以外に方法がないのだけれども。
「あの、一つ気がかりなのですが」
「どうした陸斗。小便を済ませる時間はたっぷりとあったはずだがまた催したのか?」
恐怖におびえているのかやたらかぼそい陸斗の声に交じって、余市の野太くも冗談めかした余裕ありげな声が洞窟内を反射する。
「いえ……ただ通路が二つに分岐していたのに迷わず一つを選ばれたので大丈夫なのかなと」
「案ずるな[[rb:乎弥擅 > をみゆずり]]陸斗、私と[[rb:筒木府 > つつきくら]]余市があらかじめ奥のほうを確認しておいたのだ! 一寸先は闇とはよくいわれるが所長である[[rb:鳥居越 > とりいこし]]那仂に臆するものなどなにもなかろう」
那仂は声も足音もひときわデカい。居るはずのない誰かに気づかれやしないか心配になる以上にこの状況ではなにかと心強いのはたしかだった。
「そう堂々といってのける割には俺にひっつき虫みたいにくっついて離れたがらなかったがな」
「なっ!? そ、それをいってくれるな筒木府余市よ……私はその探知能力を信用して先陣を切ってもらっただけであり決して怖いおそろしいなどといった感情に負けたわけではないのだからな!!」
「ああわかっているさ。頼んだぞ、 “所長さん”よ」
見ていないあいだに余市と那仂の[[rb:絆 > きずな]]はだいぶ深まったようだ。余市が那仂につかみかかった今朝こそがおかしかったのではないかと思えるほど仲がよくなっていた。
ふとこのパーティーの関係性について僕は歩きながら考えにふける。余市はあからさまに三八と那仂を[[rb:牽制 > けんせい]]しておりそのうえで那仂と抜群の相性を持つ。一方で陸斗は三八と那仂におどかされるかわいそうなポジションであるもののどちらかといえば三八との[[rb:噛 > か]]み合わせがとてもよい。ここであっと気がついてしまった。僕と足並みがそろう人物がこのメンツにはどこにもいないのだ。
そこは幼なじみの三八でいいじゃないかと意見があがるやもしれないけれど、僕とアホは真反対もいいところ。本来であればいがみ合う間柄なのである。あちらがなにか特別な感情を向けていたとしてもそれに応える義理はこれといってない。せいぜい僕は仲間うちで孤独感を背負いつつ皆の仲がうまく運ぶよう陰に徹する他ないといえよう。
「[[rb:骨躙 > ほねにじり]]一朔、下を向いていると危ないぞ」
「おい一朔。ここは階段だから気をつけろ」
ヤツと那仂が注意を呼びかけてきたタイミングは、違いはあれどもほとんど同時だった。湿った[[rb:鍾乳石 > しょうにゅうせき]]にまんまと足を滑らして石段をスッテンコロリン転げ落ちる黒猫。そこまで段数がなかったことが幸いして額を打ちつけた以外の痛みはたいしてないけれどこういう場合とにかく恥ずかしい。三八と余市の二人が持っている懐中電灯が僕を照らし出したのもジャストタイミングだ。
「はわわっ……一朔さん、大丈夫ですか?」
「諸君、誰かバンソウコウを持っていないかね?」
「それなら俺が所持している。消毒液と包帯もあるから三八、一朔のおでこへ貼って巻いてやれ」
「おうよ! お前らはちょっと休憩を挟んでいてくれ」
懐中電灯片手にアホはうつ伏せのまま動けない僕に近寄って余市より受け取った消毒液を額へと垂らす。
「いてっ」
「イッサの考え深いところは好きだけどあんま根詰めすぎるなよ、ネコ獣人なんだからあんくらい身をひるがえせばどうにかなったんじゃねぇか? デコを切っちゃいるがおおよそこれで問題ないだろう」
眉間の中央上がバンソウコウに覆われ白い包帯は頭を二周三周して巻かれた。消毒液がマズルをかすめてアルコール特有のツンとした臭いを残す。
「……ザッパは、なんでいつも自分に優しくしてくれるの」
「ん? どういうこった」
「他のみんなだってそうだ。自分とはてんで違うのに理解しようとしてくれるしときには見守ってくれる。自分がそんな大それた器じゃないと知っているのに優しくしてくれるのが不思議なんだ」
包帯がちぎられて頭の後方で結ばれた。三八はヘッドフォンを僕の肩にちゃんとかけ直したあとバンソウコウの箇所を固定するために手のひらで前頭部をギュッと包み込む。……ひどく懐かしい気持ちだ。暗く冷たい鍾乳洞でもヤツの漏らす吐息が白いのがハッキリと感じられる。
「ホントお前って考えすぎだよな……いいか、一度しかいわねぇから耳かっぽじってよく聞けよ? オレたちが共に行動できるのは、イッサがいるからなんだ。ちゃんちゃらチグハグじみた連中がこうして一緒に同じ目標に向かって進めるのも、イッサに[[rb:惹 > ひ]]きつけられて成り立っているからだと断言できる」
「でもザッパは僕を……ええっと、独り占めしたいとは思わないの?」
ピクッと三八の耳が跳ねたような気がした。その仕草をごまかそうとしてなのかウシシと不敵に笑い頭を[[rb:撫 > な]]でてくれる。
「ずいぶんとヒドい物言いをするよなイッサは。どんだけオレが我慢しているか理解したうえでの発言なのか? 今だってお前のデコにチューしたいくらいなのさ」
「したら怒るよ」
「わかっているっての。ただそのときじゃないだけだ」
アホはスクッと立ち上がり僕の手をとって肉球の感触をたしかめる。
「これで大丈夫だろ。さっ、探検を再開するぞ!」
「[[rb:夫婦 > めおと]]ごっこはすんだか? 一朔と三八」
“めおと”の響きにうつ伏せの姿勢から僕は跳ね起きた。きっと三八はまたしても顔を朱に染めているかもしれない。けれどそれ以上をさせまいとしてか、余市が口の前に指を立ててジェスチャーで沈黙をうながしてくる。
「悪いニュースだ。ここよりおそらく1キロ先に、人の[[rb:気配 > けはい]]が二名分する」
暗路はまだまだ続く。
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