AdAd
  
404号室

  「あの、もうかなり歩いているのですけど……アオイさんのお宅ってどこにあるのですか?」

  そろそろチャイムが夕方を知らせる時刻に差しかかろうとしている。夏の日暮れは思ったよりも早く、一日中遊んでコンガリとすっかり毛焼けした小学生の集団が僕たち四人を追い越してゆく。

  「今日はたくさん歩いて大変だったよね、あともうちょっとだから安心して」

  普段こんなに複数の公共交通機関を利用することのない僕と三八はすでに疲労の色を隠せないでいた。行きで使った路線をひたすら折り返し空港の第一ターミナルから畔渡まで戻ってきたはいいものの、有料特急ですこし仮眠をとったぐらいでほとんど休憩をはさんでいない。体からくる疲れ以上に、都内の喧騒にもまれて人疲れしたというほうが今は正しいのかもしれなかった。

  「着いたよ、ここが私のお家!」

  駅の東口から十分程度歩いたくらいか、アオイさんはとある建物の前で足を止める。獣人二匹は第三の獣人と一人の女性に率いられ、いつの間にか人込みを抜けてお世辞にもキレイとはいえないアパートがそこかしこに乱立する地帯へとたどり着いていた。怪しいテナントをかかげる雑居ビルがひしめく線路沿いは、人間の女性が一人暮らしをするのに適しているとは到底思えない。ヤツも僕とほとんど同じ印象を受けたらしく、外観からして複雑に入り組んだ建築をしばし見上げながら本当にアオイさんはここで住んでいるのだろうか、というようなあからさまに釈然としない面持ちを浮かべていた。

  「……なんか、ずいぶんとヘンピなとこに住んでいるんだな」

  「そうかな? 逆にこういう場所じゃなきゃ安心して暮らせないんだ、それじゃ入るよ〜」

  雰囲気からして奇怪な建物の群れを目の当たりにし困惑する僕ら二人とは裏腹に、余市とアオイさんはさも日常であるみたいにごく自然な素振りでエントランスへ吸い込まれていく。僕と三八は互いの不安と疑念を濃くした瞳を見合わせてからこの先になにが待ち受けていても対応できるようひときわ注意を強くして、やけに古めかしいガラス造りのドアに手をかけた。

  内部は複数の棟が歪な形で接続されていて、増改築がなされた学校でもないのに階段を上下して渡り廊下をいくつか経由することが主たる移動の手段らしい。エレベーターは設けられておらず、当たり前のごとく物件の住民と[[rb:思 > おぼ]]しき人物とすれ違うことはなかった。獣っ子一人とて見かけない進行は整然としない密集住宅という環境とミスマッチして、かえってもの寂しさを訴えてくる。

  「お、あったあった。この部屋に戻るのも久しぶりだなー」

  アパートの最奥部らしき地帯に入り込んだくらいで、再度アオイさんは立ち止まった。キャリーバッグを代わりに持っている余市と距離をおいて付いてきた僕たちもそれに続き歩みを止める。

  “404”という番号が割り振られた空間、僕ら一行はやっと最後の目的地に到着したみたいだ。

  しかし何かおかしい、直感がそう訴えかけてきた。通常404号室というのは不動産においては忌み嫌われる数字ということもあって、403号室と405号室に挟まれて欠番になっていることも多いと聞いたことがある。雑居ビルなどでは例外として存在するのだろうか?

  そんなことに僕が頭を回転させている間にもアオイさんはポケットから鍵を取り出し解錠して、ドアノブを回しゆっくり扉を開く。ほの暗い入り口から内情をうかがい知ろうとすることは無理に近く、感覚を研ぎ澄ましても現時点では特に怪しいものを捉えることはなかった。

  「さ、遠慮しないで入って入って! 余市は荷物を玄関に置いてもらって大丈夫だよ」

  「ああ。わかった」

  ……考えすぎか。とりあえず入らないことにはなんらわからないままの状況なので、アオイさんを先頭に荷物を抱えた余市、相変わらず納得ならぬような顔をしている三八、疑心暗鬼に駆られる僕の順で、もはやオカルティックな先入観しかない404号室へと足を踏み入れた。

  「お、お邪魔しまーす……」

  「……邪魔するぜ」

  見わたす限りの[[rb:伽藍堂 > がらんどう]]。そうとしか表現しようのないワンルームが、眼前に広がっている。否、ガランどころか物がなに一つ置かれていない。エアコンがなければ照明もなく、トイレがなければ洗面台もなかった。採光用なのか唯一窓だけがポツンと存在していて、カーテンはなく静かに西日を取り込んで部屋の中をオレンジに染め上げている。夏の蒸した外気が充満してひどく暑苦しい。

  「なんだか、まるで引っ越し先の内見にきたみたいな気分です」

  あまりに生活感の“せ”の字もないスペースに呆然として、思わず心の声が漏れた。ドラマなどで観たことのあるありきたりなシーンが、おもむろに脳内で再生される。

  「確かにこんな何もない部屋を見ればそう感じるほうが普通だよね、一朔くんはアパートに住んでいるの? それともマンション?」

  「いえ……田舎暮らしなので一軒家です」

  「へー、田舎も楽しそうでいいな〜。……ちょっと待っててね」

  そういうとアオイさんは部屋の中央へスタスタと移動して、唐突に中指をパチンと鳴らしたかと思えばなにやらボソボソとこなれた調子でつぶやき始める。

  「海のキュウリ、かすかなゴロゴロ、すばらしい岩、歯痛で悩むうぐいす——」

  ??? 呪文なのか合言葉なのか、これといい規則性の見出せない単語の羅列が詠唱されてゆく。

  ゴゴゴゴ ガチャガチャ シュルルルン!

  それはものの数秒にして起こった。まず窓がどこからともなく降りてきたカーテンによって覆い隠される。次にさっきまでワンルームだった部屋がミシミシと音を立てて、面積が増大し始めた。途端に床や壁や天井から家具一式が飛び出し、お風呂場や台所がみるみるうちに形成されていく。トドメとばかりに照明と冷房と換気扇のスイッチが稼働し、一連の変動はピタリと収まった。

  なんということでしょう。誰か引っ越してくる前のような空室、それはまたたく間に様相を改めモダンな空気漂う1LDKへと変化したのだった。

  「はいはーい、お待たせしました!」

  ……。

  (いやいやいや、絶対おかしいでしょ)

  心の中でのツッコミが追いつかない。劇的ビフォーなんとかじゃないんだから、というかたった指パッチン一つと呪文か合言葉で空間全体が変わるなんてアニメかCGの世界だ。まさしく魔法にかけられたかのようにさえ錯覚するが、確かに僕たちは現実にいる。現実には魔法は存在しない、だとしたらこれは一体なんだ? 急に心細くなって横に立つヤツの様子をチラッとうかがう。

  「……は?」

  いつもならいけしゃあしゃあとしている三八も、今しがた目撃してしまった一部始終への反応に困っているらしかった。そりゃ当然のリアクションだ。僕だって一中学生なりにこれまで得てきた知識を総動員して何が起きたのか分析を試みてはいるものの、手がかりがつかめない上アオイさんと余市がさながら普通であるように平常を保っている様がひどく恐ろしいように感じられた。

  ただもしこれが科学による現象と仮定したならば、一般が知り得る範疇を大きく超えたものだという予感がする。アストラル・アークマトンの技術の一部を持ち帰ってこの部屋に施したシナリオが真っ先に浮かんだ。

  「一朔くんと三八くん、大丈夫?」

  「お嬢様」

  へ?

  一人白熱した頭に、突如として氷水をぶっかけられる。余市の攻撃的な低音の響きとは異なる、紳士然とした優しい声色だ。ダイニングキッチンからする。今度はなんなのだろう?

  「お帰りなさいませ、お嬢様。ご無沙汰しております、お変わりありませんか」

  「セバスちゃん! お久しぶりー、元気してた?」

  「ええ。しばらく眠ってましたので電力があり余っております」

  ややくぐもって聞こえるが声質は明らかに人間の男性を感じさせるものだった。電力……というワードから察するに電気会社の方か。でもやたら親しげというか、 “せばすちゃん”とは。

  「紹介するね。これが私の執事、セバスちゃんだよ〜」

  キッチンにいる人影が僕らの前に歩み寄り、その姿を現す。

  「お二方、[[rb:僭越 > せんえつ]]ながらお初にお目にかかります。私、長年アオイ様の執事を務めさせて頂いております“セバスちゃん”と申します。余市様とご学友でいらっしゃるようですね」

  もはや偏見を地でいっているとしか考えられない腰の低さと、見事に着こなされた執事服。右に装着された片眼鏡がよく似合う白髪の老人が、特有のポーズで深々とおじぎをする。ああようやくマトモな人が出てきてくれたと思ったのも束の間、一点だけおかしなことに気づいてしまった。

  「ええと……アオイさん。セバスちゃんさんは、どうして透けているのですか?」

  そう。変なネーミングに気を取られる以前に、理解の及ばない事象は目の前ですでにありありと示されていた。人間の老紳士の身体を貫通して、向こうがはっきりと見える。そして浮いている。

  「あーそれはね、セバスちゃんは執事は執事でも立体ホログラムの執事なんだ。面白いでしょ〜」

  アオイさんはなんら問題があるでもないふるまいで、どこか得意げに答えた。立体ホログラム。空中に光を照射してそこにあたかも物体が実在するみたいに演出することのできる技術だと聞いたことがある。だがそれをするためにはスクリーンになる対象が必要となるが、近くにディスプレイはおろか光源らしきものさえ見当たらなかった。なによりこのホログラムは、明確に意思を持って応対しているようにしか考えられない。いくらオーバーテクノロジーといえど、現代でここまでの芸当は不可能なのではないだろうか。率直に自分の想像力の限界を認める他なかった。

  「それじゃセバスちゃん、アイスティー四人分をよろしくね!」

  「かしこまりました。おおせの通りに」

  家具やその他諸々が埋め込まれた広さの可変する一室。本物の人間らしき行動をとる立体映像。しかも映像のはずが平然と現実の物体に干渉している。……もうお腹いっぱいだ。

  「おい、ここなんか絶対やべぇって」

  ずっと沈黙していたヤツが僕へコソコソと耳打ちをしてくる。見れば表情からして動揺が隠せていなかった。僕も、はたからすればそう変わりない顔をしているに違いない。正直廃病院がかわいく思えるほどの恐怖をその身に味わいつつあった。かなりマズい状態だ、なんとかしなければ。

  「ねぇザッパ。一つ提案があるんだ」

  僕も同じく余市やアオイさんたちに聞かれまいと声を押し殺して話す。

  「なんだ? イッサ」

  「隙を突いて逃げよう。確実ではないけれど、なんとか逃げ切れるはず」

  幸い余市とアオイさんは荷ほどきやらお土産に夢中で僕らに目を向けていないし、セバスちゃんなる執事はキッチンにいて作業をしているため視界には入っていないはずだ。

  三八は了解したことを言葉にはせずに、アイコンタクトで伝えてくる。一人だけで抜け出すのはおそらく難しい、しかし僕とヤツは理不尽な爆発から生還したバディでもあった。やってやろう。

  そんな、目は口ほどに物言うを繰り返している時だった。突然大人数が階段を駆け上がるような足音が、下階からけたたましく響いてくる。さっきといいなんなんだと、水を差されてしまう。

  「来たわね」

  アオイさんは確信したと同時に、ウンザリしているみたいな口ぶりだ。とっくのとうに警戒態勢へ入っている余市とは対照的にオロオロと戸惑う僕ら二人を見て、ハッとなにか勘付いたらしい。

  「あれ、余市。もしかして一朔くんと三八くんに、まだあのこと話していないの?」

  あのこと。ふと、用心棒の件がここにきて一切言及されていない事実に気が付いてしまった。

  「ああすまない。すっかり忘れていた」

  「もー、肝心なこと忘れちゃ困るよ〜」

  余市はどうやら伝えるべきことを忘れていたみたいだ。一方アオイさんはとてもあっけらかんとした様子でこちらに視線を送る。次の一言に、僕たちは頭をぶん殴られたのだった。

  「私、実は賞金首で国際指名手配されているんだ」

  「「……はぁ!?」」

AdAd