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「勝手にいなくなっちまったから結構探したんだぜ。ホント焦らすなよな……ってなんだそれ?」
後ろから地下に向かったはずの、気だるげそうなヤツの声が聞こえる。思わず振り返ると、そこには私服を着た三八が懐中電灯を片手に立っていた。ちゃんとボーダー柄のTシャツと短パンの姿をしている。雰囲気も先ほどの鬼気迫ったものとは違って、飄々としたいつもの感じだ。僕の手にあるヘッドフォンが気になっているようで、ライトをこちらに向けて[[rb:怪訝 > けげん]]な表情を浮かべている。
「それってなんかの部品か。どこで拾ったんだ?」
「拾ったもなにも、ザッパが渡してきた物じゃん」
「は? オレが渡した? つまらない冗談はよせって。オレはそんな物知らないっての」
まただ、まったく会話が噛み合わない。ついさっきまでの出来事のはずなのにおそろしく言い分がすれ違っている気がした。これも一芝居のうちかと思い、少し声を荒らげて追及しようとする。
「そっちこそからかうのは大概にしろよ、いちいち制服に着替えてまで脅かしたかったんだろ」
初めこそ三八は懐疑的な面持ちで軽くあしらおうとする態度を見せていたものの、制服のことを話すとみるみるうちに顔色を変えうろたえた。血の気が引いたとはいかないまでも余裕そうだった面構えが引きつって見える。しばしの静寂の後、それを破るようにポツリとヤツは小声で呟いた。
「どうして……、なんでイッサはオレが制服を着替えに持ってきていることを知ってるんだ?」
「なんでもどうしても、そりゃ自分の前に制服姿でザッパが現れたからだって」
「それは、いやソイツは……たぶんオレじゃない」
その一言は僕の頭から尻尾の先まで、全身の毛を逆立たせるのに十分な威力を持っていた。一体全体なにが起きたというんだ? 数分前の三八との一連のやり取りは生きている存在のそれだったはずなのに。あれが幽霊とでもいうのか。手の平は温かかったし、ちゃんと肉体として触れ合った感覚が残っている。でも思い返せば思い返すほど言動の不可解さが異常に映ったというのも事実といえば事実に思えた。つまりこの廃病院には三八が二人いて、それで……どういうことなんだ?
「ぷっ、ひひひ……なーんてな」
考えに行き詰まっていた僕へと、不意に小馬鹿にするようなへらへら声が投げかけられる。正面に目を戻すと、ヤツはしてやったりとばかりにほくそ笑んでいた。まさか、まさか……。
「全部ドッキリでしたと言ったら、イッサはどうする?」
「う、嘘だよね? まさかここまで仕掛けに騙されてたってなったら自分、恥ずかしくて死んじゃいそうになるんだけど……」
「それがなー。ありがたいことに見事引っかかってくれて、こちらとしては大助かりってわけさ」
「…………」
かまされた、再度してやられてしまった。おそらくこの廃病院の探検自体が大がかりなドッキリだったというのが実態なのだろう。全ては放課後にこの誘いを断らなかった自分への報いなのかもしれない。よくよく考えてみれば三八のことだ。廃病院の噂だってその場での即興の出まかせで、僕へ先入観を持たせるために仕組んだ罠みたいなものだったに違いない。それで自らはぐれたフリをして、制服に着替え一階に待機し僕を待ち構えていた。あとは思わせぶりなデタラメを一方的に言い放ち混乱させ、こんなヘッドフォンという小道具まで用意して退場した後たまたま探していて見つけたふうを装うためまた私服に着替え直したというのがことのあらましだろう。ロケーションの空気に呑まれ直感が鈍っていたということはあるものの、この小芝居に操られてしまったという現実が悔しくて仕方なかった。ああ、なんたる絶望。ここまでくると己の情けなさでロクに怒りを覚えることはなく、ただひたすらに悲しい。もはや恥ずかしさで紅潮するどころか、真っ白に[[rb:萎 > しな]]びきってその場にかがみ込んだ。
「そ、そんなにメソメソするなよ!! 一応、これはある意味サプライズでもあったんだって!」
ここまで落としておいて今更フォローするつもりなのか。ミジンコみたいなプライドをけちょんけちょんにへし折った張本人のくせして、生意気だ。
「ほら。そのヘッドフォン……みたいなの、よく似合ってんぞ。流石オレが悩んだだけあるな」
ヤツは僕の手に握られていたそれを取って、首にかけてみせた。確かにサイズ感はぴったりで、すぐに身体の一部としてなじんだ錯覚さえする。そういえばプレゼントだっていっていたような。サプライズってもしや、これを渡すためにあんな回りくどいことを仕掛けたとでもいうのか?
「このヘッドフォン、自分にくれるの?」
「ああくれるさくれるとも。幼なじみとはいえ日頃の感謝を伝えなきゃなーって思ってさ、特注でカッコいいのをメーカーにオーダーメイドして作ってもらったんだぜ! イッサに合うようにな」
「ふーん、そこまで計画していたんだ。じゃあさ、さっきずっと大好きだったって言ったのも日頃の感謝のうちってこと?」
その何気なく発した一言に反応して、三八は唐突に凍りついた。調子こいてベラベラ喋っていたままの状態で石になったみたいに、突如として固まってしまったのだ。客観的に見ると、どうやらなにかしらにショックを受けたらしい。もっとも何が原因なのか、皆目見当もつかないのだけど。
ややあって、なぜかヤツは顔を赤らめてモジモジしながら僕に尋ねてきた。
「お……オレっていつの間にそんなこと、言っていたっけ?」
「うん。すごくいい顔で大好きだった、って笑っていたよ」
「ッ……!!」
なんだか様子がおかしい。根っから余裕綽々だと思っていた三八が急に挙動不審になったというか、あからさまに恥ずかしそうな素振りを見せている。どうしたのか尋ね返そうとするのを遮ろうとしてか、落ち着きのない早口で噛みながらまくし立ててきた。
「あ、あれだかんな!! 決してそういう、その……つまるところいかがわしいアレじゃなくて!!!! いわゆる世間でいうところのなんやらかんやらというか……ああアレだ! いわゆる親愛なる友人に向けての好きって言葉であってそれ以外のただれたカンケーとかそういうのを望んでいるなんてことあるわけないから……、とにかく!! 誤解すんなよ!!」
「誤解もなにも、ザッパから言い出したことじゃんか」
「うるせぇ言ってくれるな!! オラ、とっとと行くぞコノヤロー!!!!」
「うわ、ちょっと引きずんないでってば!!」
ヤツは僕のYシャツの後ろ襟をひっつかんで階段を上がろうとする。真意がわからないのに納得する説明も与えてくれないまま場所を移してたまるかと必死に抵抗するもアホの馬鹿力は想像以上で、たちまちのうちに僕は引き上げられてしまう。このままどこへと向かうつもりなんだろうか。わけのわからない状況には変わりないものの三八の豹変具合がなんだか面白くて、もっといじってやりたいという気持ちが沸々とわき始めていた。
ステンドグラスはよく光を通す。この部屋を彩るそれも、また例外でない。理事長室と呼ばれていた書斎のような空間は半ば荒廃の気配を見せつつ、夕暮れの陽光が照ってどこか神秘的な[[rb:風情 > ふぜい]]を醸し出していた。ヤツは奥の棚を物色しているようで、僕は机に腰かけそれを見守っている。
「お宝とか機密資料とかあると思ったんだが、つまらない本しか置かれてねーな」
「たぶん、以前入った人なんかが全部持っていったんじゃない?」
「けーつまんねぇの。それはそうと、存外マシな場所だろ?」
「うん。この建物の中で一番明るいところだね」
枯れ果てた観葉植物には、人の手が入ることのないまま数年が経過したことを示す独特の[[rb:侘 > わび]]しさがあった。この廃病院が経営されていた頃の昔の面影は、ほんのすこしだけここに保たれている。それがなおさら、時間の流れの残酷さをまざまざと見せつけているかのように思わせた。
…………。
現在僕の頭の中には、ある一つの邪な考えがある。もしこのタイミングで絶交を切り出したら、三八はどんな表情を見せるだろうか。これは好奇心に駆られたある種の衝動だ。いや、魔が差しているという表現が今は正しいかもしれない。先ほどのリアクションといい、ヤツにも脇が甘い部分があることは確かだった。それが未だにどこなのかわからないものの、縁を切ると言い出すだけでだいぶ揺さぶりをかけることができるのは想像に難くない。なにせ僕に執着しているのはあちらの方なのだから。今日だけで二度三度も仕掛けてきた相手にこちらが一矢を報いたとしても、大した罪にはならないはずだ。ここは一度ギャフンといわせる必要があるし実際そうしてやりたい気持ちが僕の中で[[rb:滾 > たぎ]]っていた。一旦お灸を据えてやれば、多少は無茶苦茶な行動を改めて自重する可能性もあるに違いない。よし、ここはズバッとキッパリ言ってやろう。
ぶちまかす決心を固めた僕は本を漁っている三八に声をかけようとして、あれっと気が付いた。また知らないうちにいなくなっている。下を向いて企みを巡らす間に移動したんだろうか。いつも神出鬼没なヤツだなと思って正面を見回すも姿は見つからない。どこに行ったのかと感覚を研ぎ澄ますと、後ろから気配がする。身をよじって振り向こうとした瞬間、いきなりその気配の主に抱きつかれた。
「うわっ——ちょ」
「フー、フー……」
ヤツが僕の耳元に息を吹きかけてくる。温かい、というよりもはや熱い。三八の匂いがふわっと鼻元へと漂って、なんだかとても懐かしい気分にさせられる。突然の出来事に僕は思考停止して、されるがまま呆然と抱擁を受け入れてしまった。三八ってこんなにホカホカしてたんだ。男と男で恥ずかしいはずなのになぜだかすごく落ち着いている自分がいる。このまま眠ってしまってもいいぐらい心地良くて、でも……。
「暑い……暑苦しいってば!!」
流石の熱さに堪えかねて、身体をひねりやっこさんを払いのけた。季節は夏だ。冷房なんてない廃墟はただでさえ蒸し暑い空気が充満しているのに、毛むくじゃら同士が抱き合うなんて自殺行為でしかない。熱中症にでもなったらどうするんだ。ふり払った勢いで、三八は床に尻餅をついた。反射的に突き飛ばしてしまったことを謝るため駆け寄ると、頬を赤く染めトロンとした瞳でこちらを見つめている。荒い呼吸といい脱水症状が頭をよぎって、大丈夫か声をかけようとしたところで僕は押し倒された。なにがなんだかわからない中、視線を目の前に戻す。ヤツとの距離はほとんどないに等しい。気迫に圧されて身動きできずにじっと見上げていると、照れ臭そうに目線をそらしてこう呟いた。
「オレ……もう、我慢できない」
「我慢できないって、大丈夫なの?」
「全然大丈夫さ。……なあ。キスしても、いいか?」
「えっ」
キスって、僕と?
思考がまるで追いつかない。むしろ理解を拒もうとする僕すらいるような気がする。いつの間にガッチリと腕を握られ逃げられやしないこのシチュエーション。拒否する権利がとうに与えられていないのは明白だった。どうすればいいんだろうか。僕たち二人だけの一室。そこにこだまするのは、静かに息をする放心した一匹の黒猫と、肩で息をする飢えた一匹の白い狼の、非線形同期の呼吸音だけだった。
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