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道中

  ガッシャーン!

  「ヒャーハッハッハッ!!!」

  おかしくて仕方がないような狂った笑い声をヤツは身をよじるようにあげている。全身を打ったのか痛い。ひたすら痛くて飛んでいた意識が醒めた。脳みそがぐわんぐわん揺れて疼く感覚と俗にいわれる頭上でお星さまがキラキラ光る現象が同時に襲ってくる。視界がまるでままならない、僕はどこまで突き飛ばされたのだろう。悲鳴をあげる背中の筋肉に力を込めて、一旦目を閉じ仰向けの姿勢から起き上がろうとした。パサッ。顔に何かが当たってこすれる音がする。おもむろに瞳を開くと、目の前にはピンぼけした緑色の葉っぱがあった。どうやら僕は、植え込みに頭から落ちたらしい。打撲ぎみで痺れてうまく動かない腕を使ってどうにか抜け出す。すり傷はたいしたことがなさそうなものの打ち身のせいで体はガッタガタだ。体勢を変えようとするたび鋭い痛みが走って変な声をあげそうになった。三八はどこだ。なんでこっちに突っ込んできたんだろうか。やっとのこと立ち上がって、その姿を探す。

  「……」

  先ほどまで笑い転げていたような様子と一変して無表情のまま虚空を見上げ、仰向けで固まっているアホが道路を挟んで反対側にいた。三八は打ちどころが悪くてその場から動けないんじゃないかと考え、無理して駆け寄る。

  「ねぇザッパ、しっかりしてよ」

  「なあ、さ」

  僕には[[rb:一瞥 > いちべつ]]もくれず、何事もなかったように三八はすくっと上半身を起こして続けた。

  「イッサにぶつかったらきっと面白いと思ったんだけど、存外つまらなくて痛いだけだったわ」

  そのセリフの意味を飲み込むのにやや時間がかかったものの、すぐにマグマみたいな怒りが己の中でフツフツ煮えたぎってゆくのを感じた。野郎は目の前で平然として頭をポリポリかいている。

  「でさ、廃墟のこ——」

  「……てめぇ」

  気づけば僕は、痛むのも気にせず三八の胸ぐらをつかんでいた。当の本人はかなり驚いたのか、ひどく呆然としている。これ以上手が出ないよう必死に感情をコントロールして、なにをいうべきなのか言葉に迷う。

  「お前さっき追突したのもふざけ半分でだったってわけ? そろそろいい加減にしてくれない?」

  「もしかして怒って」

  「見ればわかんだろ」

  ここで初めてヤツは申し訳なさそうな表情をして目線をそらした。尻尾を丸めているのは、僕が無意識のうちに威嚇のポーズをとっているからなのか。耳を伏せ牙を剥いて低くうなり声をあげる黒猫は迫力に欠けていても、その怒気は十分に相手へと伝わることだろう。三八は自己弁護じみた申し立てを、ポツリとつぶやいた。

  「イッサなら、大丈夫だと思ったんだよ」

  「なにが大丈夫だっての」

  根拠にとぼしい言い逃れはこりごりだ。もし車が走ってきたらどうしたんだ、とこれ以上の釈明を許さんばかりに追及しようとしたところでヤツは悪びれることなく次なる言い訳を重ねてきた。

  「廃団地から落ちたときだってなんだかんだ助かったろ。だからこんぐらい平気だと思ってさ」

  これが的確さを欠いた言い分なのはわかっている。もちろん誰が聞いたってそう感じるはずだ。けれどなぜか、毒気を抜かれてしまいなにも言い返せない自分がいた。スタッと翻し覆いかぶさるのをやめて、植え込みに放りっぱなしにしていたカバンを拾いに背を向ける。

  「おーい、怒ってんのか怒ってないのかハッキリしろよー」

  「うるさい、どうでもよくなったってだけ。早く案内して」

  やはり三八の前で怒ると、どうしてかいつも辛抱ならない。強い西日が照りつける道路に人影はなく、車も全く通っていなかった。人っ子一人いないはずなのにどうにも恥ずかしい理由は、僕にはわからない。ただ改めて三八と縁を切りたいと強く思ったのも、また事実のようだった。

  「——でさソイツったら教室中にワックスぶち撒けちゃって、教師に怒られてやんの」

  「ふーん。いわゆるドジっ子ってやつか」

  「しかも教師のほうも足元が不注意で、ズルッとすっ転んで全身ワックスまみれってわけ」

  「……さぞかし落とすのが大変だったろうね」

  どうでもいい学校でのことをくっちゃべりながら、駅からかれこれ三十分ほど僕らは歩き続けていた。そんな遠くないぞといわれていたものの、図書室にカバンの中の教科書類を置いていくのを忘れていたので地味にキツい道のりになりつつある。そんな一方ヤツはといえばコーンポタージュ色と白のボーダーのTシャツと黒の短パンに、リュックサックを背負い手にはさっきのスケボーとスマホとかなり身軽そうだ。なんでスケボーなんか持ってきたのか尋ねると、本人曰く

  「そりゃあ、イッサをびっくりさせたかったから」

  とのことだから救いようがない。これから廃墟に挑むってのに軽装備というのは少なからず心配なポイントでもあった。まあ制服姿のままついてきた僕がいえたもんではないのだけど。

  あたりの風景はポツポツと住宅が立ち並ぶところから木々が生い茂る小さな林に様相を変えつつあった。しばらくして『関係者以外立入禁止』と定番の九文字が書かれた朽ちかけの標識と虎柄のロープで道が通せんぼされていたものの気には留めず、潜るなり[[rb:跨 > また]]ぐなりして先へ急ぐ。

  「そういえば」

  ふと、あの時のことが思い起こされる。三八はナビの画面から目を離してこちらを見てきた。

  「廃団地のときもこんな感じで立ち入り禁止の看板があったよね。ここみたいにロープじゃなくてバリケードでふさがれていたけどさ」

  「お、懐かしいな。あんときのオレらってヤンチャ盛りだったよなー」

  「……ここでそれいう? これからやろうとしていること自体ヤンチャの極みだと思うんだけど」

  真夏の林の中はかまびすしい虫の声がこだまして、かえって風の通り抜ける音だけが耳に残る。三八が家から持ってきたという虫除けスプレーで体全体を徹底的にガードしているため、蚊やアブが寄ってくる心配はない。森林特有のにおいが、舗装が荒れ始めた道なりにつれ濃くなってくる。

  「しっかし、イッサが屋上に行こうと言い出したときはホント驚いたぜ」

  「うん? どういうこと?」

  廃団地の屋上でのバカ騒ぎが脳裏で再生された。そして、その果てに落ちてしまったことも。

  「だって普通ならあんな仰々しい鉄柵があるとわかった時点でソッコー尻尾巻いて帰るだろうに。大きな札付きの朱塗りだなんて、見るからになんかしら“いる”ことはわかるじゃん」

  (お札なんてあったっけ)

  屋上に行ったまでの記憶を今一度振り返ってみる。僕の中では鉄格子は赤く錆びていた覚えしかない。そのことを三八に伝えようとする前に、僕はいきなり冷や水を浴びせられた。

  「しかもオレが尻込みしているのも気にせずイッサはお札をビリビリに破り捨ててどデカい錠前も爪をおっ立てて壊しちまうもんだから、こいつ相変わらずやべぇんだなって思ったもんよ」

  「……え」

  お札を破り捨てる? 錠前を素手で壊す???

  あからさまに僕の体験した内容と三八が体験した内容の間に、[[rb:齟齬 > そご]]が生じていた。あまりのことに足を止めて、ヤツを問いただそうとする。

  「あのさ、自分の中では十三番目の鍵で錠前が壊れたことになっているんだけど……」

  「いやー? 覚えている限りではそもそも十三個目のカギなんて欠番だった記憶しかないな」

  「……」

  おかしい。なんでこうも食い違うのか。僕の記憶が間違っているのか三八の記憶が間違っているのか、それは現時点ではわからない。ただ得体の知れないなにかが起きたことは確かなようだ。

  「そう悩んでいてもラチが明かないぜ。三年前のことだから覚え違いがあっても無理はないって」

  「わかっているけど、でも……」

  「さあさあ、もうちょっとでお目当ての廃墟に着くぞ。覚悟はできてるかー?」

  「ああもう、ちょっと待ってよ!!」

  三八は歩みをサクサク進めて、置いてけぼりになるまいと僕は走った。廃団地での一件と今回の廃墟探検は全く関係がないのに、記憶の齟齬について変に想像が及んでしまい勝手に心細くなる。夕刻の始まりを告げるふとしたひぐらしの鳴き声が、嫌味ったらしく残響をもたらしてきた。

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