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【skeb】境界線の向こうへ

  最近、あの頃の夢をよく見る。

  幼いながらに物事の分別がつくようになってきた頃。

  何もかも未熟な自分がもどかしくて、どうにかして背伸びがしたかった頃。

  俺が憧れたのは、離れた町に住む爺ちゃんだった。

  郊外に門を構えた古い屋敷に、婆ちゃんと二人暮らし。

  背丈こそあの頃の俺とそう変わらないけれど、好んで着ていた甚平の袖から覗く腕は逞しい。

  体つきも細いように見えて厚みがあり、抱きすくめられると木漏れ日のように温かかったのを覚えている。

  立派な髭を蓄えた精悍な顔つきが、こちらを見るなりこぼれるような笑顔に変わるのが好きだった。

  

  ある朝に早起きすると、越中褌一つで竹刀を構え、素振りをしているところに出くわすことがあった。

  朝の澄んだ空気を裂く研ぎ澄まされた一閃。テレビで見た時代劇の主役のような、堂に入った剣さばき。

  齢六十を過ぎた老爺のそれとは思えぬ引き締まった肉体を見るにつけ、やけに昂った心臓が脈を打つ。

  思わず声をかけてみると、爺ちゃんは「恥ずかしいところを見られた」と頭を掻いた。

  困ったように、でもどこか嬉しそうにはにかむその顔が、今でもずっと忘れられない。

  あの時抱いた幼気なときめきが、俺の中でいつまでも燻っている。

  俺は爺ちゃんに夢中だった。

  爺ちゃんのことなら何でも知りたかったし、爺ちゃんのすることならなんでも真似をした。

  使い古しの褌を締めさせてもらい、重たい竹刀を何度も振った。

  苦手な漬物も頑張って食べ、昼はワイドショーを見ながら寝転がり、同じ床で眠りに就いた。

  けれど、一つだけ真似してはいけないことがあった。

  爺ちゃんが日がな一日書き作っていた、お札のようなもの。

  白い長方形の紙に赤い文字が刻まれたその姿だけは、断じて見様見真似で作ってはならない決まりだった。

  一度試しに作ってみた時には、雷が落ちたような大目玉を喰らい、これでもかと大泣きさせられた。

  その後、生半可な気持ちで作るものではない、これは皆を守るためのものだから、と優しく諭された。

  今でも、あのお札が何を意味するものだったのかはわからない。問い質すこともできなかった。

  ――そのあと、爺ちゃんはおよそ十年にわたり行方をくらましていたのだから。

  表向きは、親族ですら面会謝絶されるほどの重い病にかかっていたことになっている。

  二年かそこら経つうちはまだ納得できていた。

  けれど、視野が広がれば広がるほど、実の孫に病名すら知らされない状況の異様さが気にかかった。

  後ろめたそうに話題を逸らす態度を訝しがるあまり、両親と本気で険悪になった時期さえあったほどだ。

  そんな爺ちゃんがようやく戻ってきたのは、つい数か月前。

  大学への進学を間近に控え、通学のための下宿先を探している頃のことだった。

  奇しくもキャンパスに程近い爺ちゃんの家に、無理を言って下宿させてもらったのが一か月前。

  久しぶりに会えた爺ちゃんと、またあの頃みたいに話したい。

  そしてあわよくば、この十年間胸に渦巻き続けた疑問や謎をそれとなく尋ねてみたい。

  そんな思いで始めた、雄二人の同居生活……だったんだけど……

  この時はまだ、思いもよらなかったんだ。

  まさか俺と爺ちゃんの関係が、あんなところまで行きついてしまうなんて。

  ※

  早起きが日課になったのは、単位を取りやすい授業が一限に集中しているからばかりではない。二人きりで暮らすには広すぎる木造住宅の片隅で、俺――[[rb:安部 史規 > やすべ ふみのり]]は今日もせっせと朝食作りに勤しんでいる。米を炊いて、魚を焼いて、冷凍食品の副菜とインスタントの味噌汁を添える。一人暮らしならばついカップ麺に頼り切りになってしまうところを、ここまで(手抜きだけど)手の込んだ食卓にするのは、この家のもう一人の住人のためだ。

  「おはよう、爺ちゃん」

  「……おう」

  気だるげな欠伸をこぼしながら歩いてくる小柄な甚平姿に、台所から声をかける。もう何度裏切られたかも知れない期待の向こう側、重たげにマズルをもたげる老爺の口吻から聞こえてくるのは、いつも通りの素っ気ない返事。ダイニングの机にゆったりとした足取りで近付き、椅子に座るまでの一部始終を、俺はフライパンの上でちりちりと音を立てる目玉焼きと交互に眺めた。窓辺に差し込む爽やかな朝日に照らされながらも、どこかくすんだ黄茶色の毛皮を見るにつけ、寄る辺のないため息が零れる。

  俺の爺ちゃん――安部 [[rb:春明 > はるあき]]。

  約十年にわたる不可解な失踪から戻ってきた爺ちゃんは、まるで別人のように険しい顔をしていた。

  豹変の理由はいくつも思い当たる。不在のうちに婆ちゃんが亡くなり、その死に目にすら会えなかったことはもちろん悔やんでいるだろうし、そもそも十年も親族と引き離されていたのに、戻ってきてすぐさま元通りになるはずもない。

  それでも、記憶の中の爺ちゃんとかけ離れた冷淡さは、俺の毎日に影を落とし続けている。一年次に取得すべき単位の選定、バイト先の検討、そして学業と仕事の妨げにならない程度のサークル活動――目まぐるしく続く大学生活の嵐でも吹き消しきれない、重苦しい翳り。どうにか紛らわす手がかりを探して、今日もままならない雑談を回す。

  「それで、その何年も留年してる先輩ってのがまたすごくってさ。なんでも下宿先のアパートが……」

  端から端まで伸ばした腕の長さほどもないような小さな机が、爺ちゃんと向き合う時に限ってはやけに大きく見えてならない。必死に頭の中を手繰っては口走る世間話は、放り出したお手玉のように卓上に沈んで消えてゆく。

  おおよそ賑わいと無縁の、静かな食卓。引っ越してきてから向こう一か月、埃を被ったようなこの光景にもすっかり慣れっこになってしまった。それでも、黙りきりになることだけはどうしても避けたくて、いつもこうして俺ばかり他愛のない雑談に興じている。反応どころか、頷き一つ返ってきたことはないけれど。

  卓上に視線を落とし、黙々と箸を口に運ぶ爺ちゃんは、まずこちらの話に耳を傾けてくれているのかどうかも怪しい。必要最低限の会話はできるし、授業やバイトの時間は把握してくれているから、認知機能に衰えがあるとも考えられない。そうなってくると、やっぱり意図的に無視されているんだろうか。

  「あ、醬油そっちに置いちゃった。今戻すから……」

  気もそぞろに皿を空けているうち、いつの間にか醤油を机の端に置いてしまっていた。慌てて戻そうとしたけれど、爺ちゃんはそれを拒むように左手を伸ばす。小さな体を強引に乗り出し、上半身を大きく倒して――

  まずい、と思った時にはもう遅かった。お椀が机に転げる呆気ない音と共に、なみなみと注がれていた味噌汁が零れ、机上に大きな水溜まりを作る。

  「覆水盆に返らず」という言葉は、まさに今のために用意されていたのではないかと思うほどの大洪水。爺ちゃんの脇を濡らすどころか、机の縁を滝のように流れて太腿から足元にまであふれてゆくベージュの濁流を前にして、俺は思わず頭上の耳を大きく立てた。座席から飛び跳ねて、びしょ濡れの爺ちゃんに駆け寄る。

  「大丈夫、火傷とかしてない? 今拭くから……」

  「触るな!」

  唐竹を割るような大声が、鼓膜をつんざく。

  この一か月、気の抜けたような嗄れ声しか発してこなかったはずの爺ちゃんが、久方ぶりに発した怒号。

  それは紛れもなく、幼い日に聞いた厳しい叱り声と同じもので。

  「――着替えてくる」

  「う、うん。ごめん、爺ちゃん」

  全身の毛が丸ごと下を向く感覚に押し潰されて、俺は鹿威しよろしく頭を下げた。動転に震える手で机を拭いながら、小さくなってゆく背を廊下の向こうまで見送ると、喉奥につかえていた息が一気に溢れてくる。

  「……はぁ……」

  昔はあんな風じゃなかった。

  言っても仕方ないことだとわかってはいるけれど、どうしてもそう思わずにはいられない。幼い頃に憧れ、親しんだ温かく逞しい面影は、今の冷たく褪めきった爺ちゃんからはほとんど消え去ったように見える。

  とはいえ、何もかも全てが変わってしまったわけでもないらしい。昔からの好物のプリンを冷蔵庫に忍ばせておくと、翌朝には必ず綺麗に消え失せているし、俺がいない昼の間にケーブルテレビで時代劇を見ているだろうことも、リモコンの配置や情報誌のページの捲れでなんとなく察せられる。トレードマークの甚平も変わらず似合っているし、伸びる腕脚は幾分痩せたとはいえ筋肉質で眩しい。

  何より、ふとした瞬間に見せる横顔。

  犬獣人特有の三角錐を描く顔貌、鼻髭の一本まで澄み切ったあの凛々しさ。

  苦しみを押し込めながら、それでも濁り切ることのない瞳の輝きが、胸に焼き付いて離れない。

  (爺ちゃん……それでも、俺は……)

  胸の奥に唱えかけた一言を胸にしまって、俺は空っぽの食器に諸手を重ねる。寂寞にしぼんだ胸の奥にうっすらと浮かび上がった想いは、日々のルーティンに押し退けられ、心の隅へと追いやられていった。

  ※

  その日の夜。

  客間の一つを借り受けた自室の布団で、俺は暗い天井から切り取られた長方形をぼんやりと眺めていた。

  寝る前にスマホを見ると睡眠の質が云々と言われて久しいが、そうはいっても一度身に染みついた習慣は抜けないもの。世のうら若き男子のご多分に漏れず、俺も寝る前には掌の中に映し出されるおかずでひと抜きするのが日課になっている。種族によっては日に五、六発は出さないと落ち着かないなんて話も聞くが、幸い俺たちのようなイヌ科はそこまで絶倫というわけではない。発情期でもない限り、一発打ち上げれば十分だ。

  凝視する画面の中で躍動するのは、配信サービスで厳選したお気に入りの一本。俺が生まれる前から雄同士の映像作品を撮り続けている老舗の手による、ごく普通のゲイビデオだ。大柄な若者を、引き締まった細身の老人が自らの肉体へ誘い、さながら筆おろしのように性戯を手解きする歳の差もの。犬獣人同士、毛並みの色合いまで親族のようにそっくりな二人が舌を絡め、ふさふさの尻尾を寄せ合って交わるその姿は、俺の中に巣食う邪な欲望をありありと照らし出す。

  自惚れかもしれない、という前置きこそ必要ではあるが、鍛え上げた筋肉の上にうっすらと脂肪が乗った攻め役の肉体は、大学受験を機に野球部をやめて軽く太り気味の俺によく似ている。一方、歳相応に萎びたようでいて、その実芯が入った質実な肉体をした受け役の老人は、俺の妄想の中で微笑む理想の人――爺ちゃんにそっくりだ。だからこそ、これほどまでに興奮を煽る。

  「――ッ、ふう……ッ、はぁ、はぁ…………爺ちゃん……ッ」

  実の祖父に孫が懸想することの業の深さは、十分承知しているつもりだ。性別にかかわりなく婚姻を結べるようになって久しい世の中では、雄同士が睦み合うことそのものは最早禁忌でも何でもない。しかし、流石に親族同士、ましてや歳の差も大きく離れているとあれば話は別だ。白日の下に晒すのは勿論のこと、誰かに打ち明けることさえ憚られる秘中の秘。自分でも何度拭い去ろうと思ったかしれないが、強く刻み込まれた憧憬と慕情は呪いのように俺を蝕み、一向に離れようとはしない。何せ、精通の際に脳裏に浮かんでいた幻影さえも、かつて共に湯船に浸かった際に見た祖父の裸体そのものだったのだから。

  竿を握り締めた掌に、脈打つ血潮がひっきりなしに打ち付ける。画面の中の二人に叶わぬ恋慕を仮託しながら、何度も何度も手筒を上下させた。先端から垂れ落ちてくる先走りの汁が指先に絡み、淫猥な水音を立てるその度に、記憶の中にしかない祖父の逸物への夢想が水風船のように膨らむ。

  幼い自分にやや勝る程度の小さな体にはそぐわない、あまりにも仰々しすぎる太竿。勃ち上がってもいないのに太腿の中ほどまで伸び上がり、網に包んだ蜜柑のようにぶら下がる双球と並んで豊かに揺れていたあの業物に、俺は戯れで一度だけ触れたことがある。ちょうど下品なアニメが流行っていた頃で、その中に出てくる「ちんこタッチ」を試してみたかったのだ。

  しかし、入浴中に隙を見計らって祖父のそれに触れた時、俺は思わず縮み上がった。ふてぶてしい、と称してなお足りないほどの存在感は、着衣越しに握る級友の性器などとは比べ物にならない。まだ箸もまともに握れない指先に突かれたところでひと揺れもしない重量。先端まで剥け切って赤々と膨れた亀頭のあまりの生々しさに、涙まで流しそうになったことを覚えている。やめなさいと小突く拳の痛みに、むしろ安堵してしまうほどだった。

  小さな体に秘められた、圧倒的な雄の象徴。

  朗らかな笑顔の奥に確かに息づく、原始の息吹。

  あの逸物に触れた瞬間から、俺はますます爺ちゃんの虜になってしまった。抜け出せない泥濘の深みで、叶わぬ想いに身を焦がす日々。およそ十年にわたる別離が、右手を動かす慕情のピストンに磨きをかける。

  いっそ伝えてしまえばと、踏ん切りをつけようとした夜もあった。けれど、様変わりしてしまった爺ちゃんの態度が、高く分厚い壁となって立ち塞がっている。昔の爺ちゃんならば、おどけて誤魔化せば許してもらえたかもしれない。だが、今の爺ちゃんには冗談の一つも通用しそうにないのだ。

  拒絶されるのが怖い。

  今の爺ちゃんとの距離が壊れてしまうのが、怖い。

  だからこうして、今日も自分を慰めるだけ。

  それで満足してしまえば、何も案じることはない。

  「ん……ッ! く、ぅうッ…………ふぅ、ふぅ…………」

  勢いだけは無駄にある白濁の迸りが、胸下にまで飛沫を広げる。毛皮にべっとりと絡みついた精塊をちり紙で拭いながら、俺は深い溜息を漏らした。そよぐ吐息は弱々しく、心の空にかかった靄は晴れない。

  「はぁ……」

  絶頂がもたらす快楽はほんの一瞬で過ぎ去って、あとには肩にのしかかるような虚しさと、一抹の罪悪感だけが残る。たとえ思いが届かないとしても、それでも傍にいられればと思って始めた同居生活なのに、こんな時ばかりはどこか後悔が過ってならない。大学卒業までの残り四年弱、この恋心を押し殺したまま、冷えきった毎日を過ごすのだろうかと考えると、鼻先がしゅんと湿ってしまう。

  せめて、塞ぎ込んだ心を解きほぐすきっかけはないものか。一人勝手に悩んでもどうしようもないことを考えているうちに、忍び寄る眠気に包まれて、布団を被る暇もないまま意識を落とした。

  ドアをわずかに閉め損ねていたことに気付いたのは、翌朝のこと。

  そのドアの前から廊下へ向けて、何かが滴ったような跡を見つけたのも、同じ朝のこと。

  でも、それらが何を意味しているのかまでは、この時の俺にはわからなかった。

  ――想像することさえ、できなかった。

  ※

  一月以上も経っておきながら、雪解けの一つも迎えられないのは流石に心苦しい。何か突破口を開かねばと一計を案じて、俺は少しアプローチを変えてみることにした。大学やバイト先での出来事、時事ニュース等を基盤にしていた雑談の内容を一新する。より共感を得られる内容で、少しでも口を開きやすくするのだ。

  題して、『共通の思い出で郷愁を刺激しちゃおう作戦』。

  ――ネーミングセンスのなさには目を瞑ってほしい。昔からどうもこういうのは苦手だ。

  「今日授業が空いて暇だったから、この辺りを歩いてみたんだけど、見慣れないコンビニがあってさ。あそこって、昔噂になってた幽霊屋敷の跡地だよね」

  今晩のお題は、俺が八歳くらいの頃の記憶から。

  夢に見る頃とちょうど同年代ほど、俺の世界のすべてが爺ちゃんだけを中心に回っていた頃の話だ。

  「覚えてる? お盆に帰った時、近所の仔からその噂を聞いちゃってさ。夜一人でトイレにも行けないでいたら、爺ちゃんが『儂が退治してやるから安心しろ』って言ってくれて」

  努めて拵えた明るい声で、跳ねるように語ってみても、爺ちゃんはこちらを一顧だにしない。夕食のカレーを黙々とすくい、口に運んでは咀嚼するだけ。

  だが、こっちだってその程度の無視には(悲しいことに)慣れっこだ。負けじと熱を入れて、手繰った記憶を語り続ける。

  「それから急に噂が流れなくなって、建物自体もなんか憑き物が落ちた感じっていうか、なんでか知らないけど、怖くなくなったんだよね」

  少々の記憶違いはあるかもしれないが、大筋に誤りはない。肝試しと称して屋敷に入った近所の子供たちは、頭に膨れ上がったたんこぶ以外一切の生傷なく帰ってきたし、夕方に近くを通りすがるときの独特の圧迫感、尋常ならざる気配のようなものがさっぱりと消え失せてしまったのは、紛れもない事実だ。

  幼心に、何かあったのではないかと思いはした。今となってはその理由を確かめる術もなく、屋敷はとうに取り壊されてしまった――ただ、それだけの話。まだ現実と空想の境目が曖昧だった頃の、微笑ましい回想。

  一頻り語り終えると、食卓に一瞬の沈黙が流れる。普段なら、そのまま真冬のような冷たさに覆われてゆくだけの時間。だが、今日に限っては、ほんの少しだけ様子が違っていた。

  「……それがどうした」

  爺ちゃんの方から、反応があった。ひどくぶっきらぼうで、取り付く島もないような声色ではあるけれど、確かにこちらに問いかけてきている。ただそれだけのことが、小躍りしたくなるほど嬉しくて、俺ははにかむ顔を隠しもせずに返事を告げた。

  「いや、別に。ただ……あの時の爺ちゃん、カッコよかったなぁって」

  まさか、本当に爺ちゃんが憑き物落としをしたなんて信じているわけではない。それでもあの時、任せろと言わんばかりに袖を捲り、力こぶの浮かんだ二の腕を触らせてくれた時に感じたときめきは、今も色褪せることなく胸の中に佇んでいる。言い知れぬ不安に襲われているとき、たとえ根拠はなくとも『大丈夫だ』と言い切ってくれる。ただそれだけで、幼い俺には爺ちゃんの姿がまるでヒーローのように見えたのだ。

  そのヒーローが、俺の瞳の中でふと目を伏せた。照れ臭そうにしているようにも、気まずさを堪えているようにもとれる流し目。凍り付いていたように思われた爺ちゃんが、ようやく見せたかすかな揺れに促されて、心臓がにわかに脈打つ。

  喜色満面で見つめる俺の胸の内を知ってか知らずか、爺ちゃんは突然残り少ないカレーを掻き込み始めた。何かに急かされるようにスプーンを動かし、喉につかえるのではないかと心配するほどの速さで平らげると、傍らに置いたお茶をらっぱ飲み。呆気に取られる俺を尻目に、厳かに手を合わせた。

  「……ご馳走様」

  「お粗末様でした。お風呂湧いてるよ」

  何を思ってかはさておいて、爺ちゃんの挙動に変化があったのは嬉しい。普段より速足で脱衣所へ向けて去ってゆく背中を見送りながら、二掬いほどを残した自分の皿に手を付けた。いつも通り、一般的な市販のルーを溶かしただけの、ごく普通のカレーライス。それなのに、先程までより数段味が上がったように思えるのは何故だろう。中辛と称しつつやや甘めの味も、安物の硬い肉も、煮崩れしたじゃがいもでさえも、舌の上で踊っているかのように感じられる。

  一朝一夕ですべての問題が解決するわけはない。それでも、一歩前に進めたならば、そこから何歩でも前へ歩み出してゆける道が開ける。もう初夏も近いというのに肌寒かった爺ちゃんとの日々に、ようやく春の兆しが訪れた。一つずつ思い出を重ねて、もっと心を開いてもらえるように、これからも頑張ろう――二人分の大皿を洗い上げながら、そう胸に誓った矢先。

  風呂場の方角から、鈍く濁った重低音が鳴り響いた。

  まるで、弔いを告げる鐘の音のように。

  ※

  流しの蛇口を締めもせず、一目散に浴室へと走る。

  脳裏に過るのは、最悪の可能性。いくら足腰のしっかりした爺ちゃんとはいえ、病み上がりかつ年老いた身体では、些細なアクシデントが一大事につながりかねない。万が一、頭を打ってでもいたら――血の気が引くような予測が、普段の数倍の速度で駆け巡る思考の流れに数多浮かび上がり、張り裂けそうな胸の鼓動を余計に逸らせる。古びた床板が軋むのも構わず、俺は廊下を駆け抜けた。ダイニングからそう離れてはいないはずの風呂場までの道のりが、今日に限ってはやけに長い。

  「爺ちゃん! 大丈夫!? 転んだの!?」

  脱衣所の入り口に差し掛かった段階で、もう叫ばずにはいられなかった。脱ぎっぱなしの甚平が散乱した浴室前に踏み入ると、摺りガラスの扉越しに室内へ視線を向ける。しかし、モザイク状に歪んだ中の様子は、外からでは窺い知ることはできない。この期に及んでなお邪魔をする良識をどうにか取っ払うと、俺は勢いよくドアノブに手をかけた。

  「爺ちゃん、立てる? 今開けるから――」

  「待て、史規っ、入るなっ! 史規っ!!」

  慌てふためく爺ちゃんの叫び声にも動じずに、扉を思い切り押し開ける。湯気が漂うタイル張りの浴室へ向けて身を乗り出した先には、洗い場に背中から倒れた爺ちゃんの姿があった。どうやら腰を打ち付けてしまったらしいが、それにしては姿勢がおかしい。立ち上がれずに蹲ったまま、なぜか両手で股座に垢すりを押し付けているのが、やけに気にかかる。

  「やっぱり転んでる……ほら、腰持ってあげるから。手どけて」

  「止めろ! 出ていけっ、じ、自分で……自分で、立てるっ」

  そう言いながらも、爺ちゃんは頑なに自分の足で立とうとしない。尺取虫のように足を動かしては、滑る床面に阻まれてじたばたと藻掻くばかり。しかも、股間を押さえる手をまるで放そうとしないのだ。

  傍目には非合理的にしか見えないその挙動を見るにつけ、どうにも苛立ちが募ってたまらなかった。可能な限り爺ちゃんの都合を斟酌しようと努めながらも、どこかで押し殺しきれずにいたわだかまりが、堰を切ったように溢れてくる。栗色の毛皮を逆立て、半ば強引に浴室に踏み入りながら、俺はいつになく語気を強めた。

  「こんな時まで強がらないでよ! ほら……持ち上げるから」

  「よせっ! 手っ、手をっ、どけるなぁ……っ」

  脇から腕を差し入れ、爺ちゃんの小さな身体を持ち上げようとしたその時だった。

  わがままを訴える子供のように全身を振り乱す濡れた身体から、垢すりの粗い布地がはらりと落ちる。まず爺ちゃんを立ち上がらせることにのみ集中していた俺は、その向こう側から現れ出た下腹部に漂う一抹の違和感に、一拍置いて気付いた。

  「――えっ?」

  ない。

  爺ちゃんの股間に堂々とぶら下がっていたはずの”もの”が、ない。

  俺の心に宿る憧憬の絶対的なシンボルとして聳え立っていたはずの――雄竿が、ないのだ。

  「爺ちゃん、それ……どう、して……?」

  ぐらぐらと揺れる視界の中、毛皮の上にさらに濃く覆い被さった陰毛から微かにまろび出た肉色の裂け目が、俺の背筋を慄かせる。あるべきはずのものがない、というだけではない。本来であればそこにないはずのものが、爺ちゃんの股座で確かに息衝いている。古くは二枚貝にたとえられたという肉襞の連なりと、上部に小さく突き出した突起。爬虫類に見られる収納式のスリットとも、鳥類の総排出腔とも異なるその形状は、紛れもなく雌の性器そのものだった。常識では到底説明のつかない事態を前に、思考が凍り付いたように動きを止める。祖父の腰を持ち上げたまま、見開いた目を乾かせるばかりだった俺を現実に引き戻したのは、どこからともなく聞こえてくるささやかな嗚咽だった。

  「――くぅ……っ、う、うう……っ」

  泣いている。

  涙どころか泣き言一つ溢したことのない爺ちゃんが、丸い瞳を爛々と潤ませている。

  眦に雫を溜め、滴り落ちないように懸命に堪えるその姿が、俺の胸を千々に引き裂いた。厚い尻肉に寄せた掌から伝わる震えをそのままにしておけなくて、自分の服が濡れるのも構わずに小さな体を抱き寄せる。

  巡る疑問の嵐は止まない。

  けれど今だけは、図らずも自分が引き出してしまったこの哀しみを鎮めるのが先決だった。

  ※

  

  「……さっきは、ごめん」

  身体を拭いて着替えた爺ちゃんを机の向こうに迎えて、俺はゆっくりと頭を下げた。理由はどうあれ、あれほど必死になって隠し通そうとしていた秘密を暴いてしまったのは、明らかにこちらの落ち度だ。泣き腫らした瞼を薄く開き、悲しげに俯く爺ちゃんに向けて、一心に詫びる。

  幸いにも打ち付けた腰は多少痛む程度でなんともないようだったが、最早それは議題の中心にはなかった。空っぽの食卓に漂う如何ともしがたい淀んだ空気を生み出しているのは、二人の間に横たわる信じがたい現実。見てしまった以上、もう知らぬ存ぜぬのままでは済ませられない。刺激しないように言葉を選びながら、どうにか順序立てて会話を切り出す。

  「言いにくい……かも、しれないけど、教えてほしい。”あれ”について」

  言い終えるや否や、机の向こうの肩が小さく震えた。固く閉ざされた唇の端が微かに歪み、項垂れた首がますます角度を深める。何事か言い出そうとする仕草ばかりが延々と続く、もどかしい沈黙。堰を切ったように溢れ出す疑問が、その間隙を無理矢理に埋めてゆく。

  「爺ちゃんが毎日つらそうにしてたのと、関係あるの? 病気のこととも……?」

  自分でも気付かないうちに、俺は食卓に大きく身を乗り出してしまっていた。この一か月余り――いや、会えずにいた十年にわたって積み重なった問いのすべてが、灼けるような熱と共に喉奥から溢れ出る。

  一拍を置いて、ただでさえ小柄な体をますます縮めていた爺ちゃんがようやく顔を上げた。俺を見据える視線は、何やら覚悟を決めたように据わっている。

  「――長い話じゃ。お前には聞かせたくなかった話でもある」

  浴室で取り乱していた時とはまるで異なる声色が、不意に耳朶を打った。淡々とした愁いを帯びながらも、確かに伝えたい想いが感じられる厳かな音韻に、生唾を呑んで相対する。

  「古くから、人の想いは力を宿すと云われてきた。とりわけ、烈しい怨みを抱いて死んでいった者の強い無念は、現世を生きる者にまで累を及ぼす恐ろしい力を有すると」

  急に饒舌になった爺ちゃんを、俺は目を丸くして見つめた。同居を始めてからの冷えきった顔とも、記憶の中で微笑む優しい顔とも違う、三つ目の顔。眉を吊り上げ、尖らせた眼差しでこちらを見つめながら語るその姿と、怪談の枕話のようなおどろおどろしい言葉の響きに脅かされて、つんのめるように言葉を差し挟む。

  「呪いとか、祟りとかってやつ? でもそんなの、ただの迷信で……」

  「――否」

  俺の反論を遮って、爺ちゃんはずっしりと首を横に振った。わざと軽く設えた口調を、たった一言で弾き返す剛毅な振る舞い。大仰でなく、それでいて深刻さを帯びた否定の挙動が、毛皮の下の肌を粟立たせる。

  「呪いも、祟りも、未だこの世に多くこびりついておる。故に、儂のような者が要る」

  胡散臭い心霊もののテレビか、流行りの連載漫画の中でしか聞いたことのないような台詞が、確かに鼓膜に響いた。一笑に付すにはあまりに重く、実感を帯びた低い声。ありえない、と叫ぶ頭の中の常識が、跡形もなく霧散してゆく。

  「我が安部の家は、先祖代々呪霊の類を祓う[[rb:呪 > まじな]]い師の家系。この儂も十年前までは現役の呪い師であった。お前の父は次男坊故家業を継がず、その息子のお前にも知らせずにきたが……」

  そこまで一息に言い放ってから、爺ちゃんはほんの僅かに首を傾げた。すぐには呑み込めない事実を矢継ぎ早に叩き込まれるこちらを気遣っているのか、あるいは試しているのか。

  「――疑うか?」

  半信半疑だ、と言い出したくなる気持ちを堪えて、俺は首を大きく縦に振った。

  「爺ちゃんの言うことなら、信じるよ。嘘をつくようなタイミングじゃないし」

  そう答えたところで、ふと気付く。

  長い話になるとは言われたが、それにしても遠回りが過ぎてはいないか。

  「それで、その呪い師の家系が爺ちゃんの……」

  次に来る形容を決めあぐねて、俺はまごまごと口を動かした。やれこの言い方は生々しすぎる、やれその言葉では文学的すぎて伝わらないかもしれない――などと、言い淀む一瞬のうちに思考を巡らせて導き出した回答が、頬を内側から熱くさせる。どうしようもない気恥ずかしさにもんどり打ちそうになりながら、ぎこちなく口を動かした。

  「……ち、ちんちんと、何の関係が?」

  自分が幼い頃ですらまともに口にしたことがないような、稚気じみた俗称。耳障りよく、伝わりやすくと意図して発した語句が、対面の爺ちゃんにとっては少々可笑しかったらしい。一瞬和らぎかけた表情が、すぐさま厳しく引き締まったものに変わると、またも予想だにしない回答が返ってきた。

  「あれは呪いの産物なのじゃ。儂が祓わんとした強大なる呪霊が遺した侵蝕の証」

  時折唸るような息を発しながら、爺ちゃんはなおも語る。眉間に皺を寄せ、苦虫を嚙み潰したように呻くその表情に、爺ちゃんの小さな胸の奥に渦巻く昏い感情を感じ取って、俺は黙り込んだまま目を伏せた。

  まさかそんな、と反駁したい気持ちを、つい先程目にしたばかりの光景が阻む。爺ちゃんの股間には、確かに雌の性器そのものが備わっていた。現代の医学による性別適合では、あそこまで精巧な外性器を作り出すことは不可能なはずだ。となれば、爺ちゃんが語るオカルトじみた理屈の方が、よほど腑に落ちる。どんなに現実味のない話でも、その証拠たる異変の妙を思えば、信じないという選択肢はとても選べない。

  「あ奴は儂の身体を乗っ取り、生前の己と同じ雌に作り替えて受肉しようとした。すんでのところで同志に救われ、呪霊は祓われたが――身体を元に戻す術は、長い年月をかけても、ついぞ見つからなんだ」

  血に塗れた無念の頁を一枚ずつ捲るように、爺ちゃんは深い息で言葉を区切りながら語り続ける。一つ、また一つと明かされてゆく事実を頭の中で並べ替えた時、俺の中であらゆる疑問の答えが一つに結び付いた。

  爺ちゃんが、ある日突然俺たちの前から姿を消した理由。

  帰ってきた爺ちゃんが、どうしても掃えない翳りを纏っていた理由。

  爺ちゃんが、頑なに俺に身体を触らせなかった理由。

  すべては、爺ちゃんが身を挺して隠し通してきた使命に所以するものだったのだ。

  「――お前には、知られたくなかった。呪いのことも、身体のことも」

  切実な思いを打ち明けた爺ちゃんの鼻先が、にわかに湿り気を帯びる。夜の闇に比べてなお黒いその色合いに滲む光の照り返しに、自分が取り返しのつかないことをしてしまったと改めて悟った。

  どうして察してあげられなかったのだろう。

  苦悶を示す合図は、共に過ごす日常の中にいくらでも見え隠れしていたというのに。

  「安部の者にあるまじき、見るも無様な敗北の印。こんな、情けない身体……」

  肩を竦め、組んだ両腕で自らを抱き締めながら、爺ちゃんは萎びた花のように顔をひそめる。己を慰めるようにも、罰するようにも見える痛ましい姿。長きにわたって自責に囚われ、ままならない身体を呪い続けてきたであろう心の内をその姿に感じ取って、俺は机の下で拳を握り締めた。己の無思慮と無力に軋む指先を掌に食い込ませながら、徐に立ち上がる。

  「そんなことないよ」

  がたん、と揺れた椅子の足の音につられるように、爺ちゃんが顔を上げた。再び涙に潤みつつあるその瞳を真っ直ぐに見据えて、湧き上がる素直な気持ちを声にする。

  「どんな身体でも、爺ちゃんは爺ちゃんだよ」

  本人は決してそうは思わないだろうと、自分でもわかってはいる。だからこそ、今の爺ちゃんを肯定できるのは、血を分けた孫とはいえ他人である俺しかいない。そう信じて、ひたすらに言葉を紡ぐ。

  「きっと、辛かったよね。婆ちゃんもいなくて、身近に話せる相手もいなくて」

  そこまで伝えたところで、爺ちゃんは唇をきつく引き絞り、静かに顔を伏せた。これまでより一層強い悔恨の念が、互いの間に漂う空気を通じてひしひしと伝わってくる。

  「……知った風な口を利くでないわ。生まれ持ったものを失う苦しみが、お前にわかるものか」

  傾いた額から目許に影が落ち、二人の間に再び寒風が吹いた。机を挟んだ二人の間に立ちふさがるのは、冷たく暗い拒絶の檻。それでも、立ち止まるわけにはいかない。

  「そりゃ、わからないよ。わからないけど……苦しいなら、少しでも支えになりたい」

  飾り立てるフレーズの一つも思いつかないまま、がむしゃらに喉奥から絞り出す。ここまでくれば、もうこちらも隠し立てはしない――いや、できない。胸の中の全てを、心のままに叩きつけるよりほかに、この断絶を超える手立てはないのだから。

  「爺ちゃんのためだったら俺、なんだってする。だって爺ちゃんは――」

  少しだけこちらを覗き見た眼差しを逃がさず、もう一度真正面から向かい合う。

  そして、俺の胸の最も深いところ――心の芯でいつまでも燃え続ける想いを、たった一言告げる。

  「俺の、大切な人だから」

  直後、幾度目とも知れない沈黙が俺たちを包み込む。だがそれは、決して険悪なものではなかった。日ごとに綻ぶ蕾を見守る春の日のような、温もりに満ちた静かな時間。豊かに色付いたその一時を過ぎた時、爺ちゃんの表情はまるで別人のように様変わりしていた。

  「や、……やめとくれ、史規」

  たじろいだような声を上げる爺ちゃんの頬は、いつの間にか真っ赤に色付いている。髭の一本ずつまで動揺に震わせ、見開いた眼を白黒させるその姿は、いつか爺ちゃんの逸物を触った際の自分の慌てぶりにもよく似ていた。不意に胸の奥に忍び込み、心臓を鷲掴みにするような衝撃に出会った時、浮かべずにはいられない恍惚の表情――そう。恋に落ちる瞬間の顔だ。

  「そ、そのような眼差しで射貫かれては、儂…………雌に、なってしまう……っ」

  しかし、爺ちゃんのそれはいささか度が過ぎていた。ただでさえ涙に潤んでいた瞳はますます蕩け切って、ひそめた両肩は悪寒でも走ったようにがたがたと震えている。荒い息遣いは、机を隔てた向こう側に立つ俺の耳にまで容易く届くほど激しい。対して、一際上擦った声色は、弱々しく震え切っていた。

  「爺ちゃん……? どうしたの、大丈夫?」

  あからさまに様子がおかしい。もどかしげな身体の揺らぎに合わせてぱたぱたと揺れる耳がなんとも可愛い――などと、悦に入って観察している場合ではない。慌てて駆け寄り肩を抱き寄せると、机の下に隠れていた両手の行方が明らかになった。

  「ん……っ、う、ふぅ……っ」

  そわそわと蠢く十本の指が向かう先は、下穿きに包まれた股座。

  その奥でひくひくと疼いているであろう、雌の縦割れ。

  湧き起こる興奮を懸命に抑え込もうとするように、毛皮の奥から脂汗を滴らせ、躊躇いがちに股間を弄る。爺ちゃんが初めて見せる淫らな姿に、俺は思わず鼻腔を膨らませた。

  「こ、これも……呪い、なんじゃ」

  激しくなるばかりの息遣いの合間を縫って、爺ちゃんは必死に訴えかける。風邪でも引いたのではないかと錯覚するほどの熱い身体が、俺の腕の中でさらにその熱を増してゆく。

  「奴は、乗っ取った肉の身体で自らの分け身を作ろうとしておった。つまり――雌にした儂に、赤仔を生ませようとしたんじゃ」

  あまりにも倒錯した言葉の羅列に、俺は眩みそうになる額を空いた右手で押さえた。だが、今更呪いの内容にあれこれと驚いている場合ではない。どうにか呑み下そうと心を強く持ち、続く音韻を耳朶に受け止める。

  「そのために、儂が自ずから雄を求めるよう細工をした。狂おしく仔種を欲するようにな……」

  「えっと、要するに……発情期のひどいやつ、みたいな?」

  我ながらあまりにざっくりとした要約だが、爺ちゃんが素直に頷く辺りあながち間違ってもいないらしい。もっとも、イヌ科の発情期は年に一、二度ほどしか訪れない上、薬で抑えられる程度のものでしかない。一方、ただ胸を昂らせただけで息も絶え絶えになるほどの欲情に襲われる呪いの威力は、『ひどい』などという形容ではとても足りない。

  「血の繋がったお前が相手なら、歯止めが利くかと思ったが……ご覧の有様じゃ」

  こんなものを抱え込んで、今日まで爺ちゃんは生きてきたのか。胸を過るやりきれない思いに、奥歯をきつく噛み締める。今にも溶け出しそうに煮え滾る熱が、肩に回した左腕に纏わりついて離れない。

  「ち、近頃なぞは……夜な夜なお前の部屋に通って、せんずりを盗み見ながら……指で……」

  苦々しい痛みと共に染み出てくる慙愧は、恥じらいを湛えて放たれた告白と共に頂点に達した。真っ赤に染まった爺ちゃんの頬に揺れる触毛のしな垂れた姿が、無言のうちに俺を責め立てる。理不尽に身を苛む呪いに尊厳を奪われた爺ちゃんの悲愴に満ちた独白が、心の奥深くにまで爪を立てて食い込んでゆく。

  「情けない……老いらくの身で、実の孫に…………股を、濡らす、など……っ」

  いったい何をやっているんだ。

  こんなに近くで、こんなに苦しんでいた爺ちゃんに、何もしてやれないで、俺は――

  「――ふ、史規っ!?」

  肩にかけた左腕を強く引き寄せて、俺は爺ちゃんを胸の内に深く抱き上げた。すかさず右腕を腰に添え、中空に浮かび上がった小さな身体を固定すると、首横に据わったマズルから動転した声が聞こえてくる。

  「やめい、史規……っ、そんな……っ」

  「大丈夫だよ。俺も、同じだから」

  今こうして想いを告げることが、本当に正しい選択なのかどうかはわからない。

  けれど、憧れと恋に瞳を濁らせ、大切な人の抱える苦しみに向き合えなかった俺には、これしかできない。

  「俺も――爺ちゃんが好きなんだ」

  そう告げた瞬間から、全身を伝う震えが少しずつ和らいでいく。折れていた三角形の耳が少しずつ持ち上がり、絶え間ない喘ぎと涙に咽ぶ声がおさまると、爺ちゃんは上体ごと首を起こして俺と向かい合った。

  「昔からずっとこうしたかった。ただ爺ちゃんの傍にいられたら、って思ってたけど、本当は……」

  濡れた瞳に映る俺の顔は、自分で思っていたよりずっと清々しい。胸の閊えが取れたような心持ちのまま、次々と浮かび上がる言葉をすらすらと口に出した。一つも途切れることなく紡がれる告白が、驚きに毛羽立った爺ちゃんの体毛をすり抜けて、肌の奥へと染み込んでゆく。

  「血の繋がった同士でおかしいとは思う。だけど、俺たちの気持ちが一緒なら、この先に進みたい」

  「……お、お前が……儂を、抱きたいだけじゃろうっ」

  「そうだよ、俺は爺ちゃんを抱きたい。爺ちゃんが求めてくれるなら、すぐにでも」

  押し殺してきた濁った感情も、何の躊躇いもなく打ち明けた。爺ちゃんの秘密を図らずも暴いてしまった俺もまた、隠し通してきたこの胸の奥の真実を打ち明けなければならないと、そう感じたから。

  「誰にも許されなくたっていい。爺ちゃんが許してくれるなら、それだけでいい」

  血の繋がり。歳の隔たり。そして何より――親愛の対象たる親族と、肉欲を伴う愛を結ぶという禁忌。何重にも引かれた境界線を越えて、俺たちの身体は引き寄せ合ってゆく。背中に回った腕に少しずつ力が籠るそのたびに、ぴんと立った耳の先にまで電流が走り、二枚の肌を隔てて触れ合った心臓が鼓動を共鳴させる。

  爺ちゃんは何も言わない。

  ただ、俺の伝える想いを受け止めてくれている。

  そしてその答えは、寄り添う身体が何よりも雄弁に語っていた。

  「それで爺ちゃんが喜んでくれるなら、俺……」

  ひくひくと上下する鼻先が、にわかに近づく。熱烈な視線を交わせば交わすほど、なけなしの理性の箍が外れ、種族の祖たる四足の獣のそれに似た猛烈な性臭が漂い始める。互いの耳元には生温い息が漂い、断続的に繰り返される喘ぎの調べが欲情を煽り立てる。寄り添う肌に触れ合う毛並みの一本さえも感じ取れるほど研ぎ澄まされた感覚の中で、たった一つ満たされない五感の残りが、俺たちの口から長い舌を垂らさせた。

  「史、規……」

  「……爺ちゃん……」

  互いのマズルを大きく上下に開き、互い違いに組み合わせて、貪るように舌を吸い合う。交えた舌先を浸すのは、甘いとも苦いとも形容しがたい、爛熟した雄の味わい。ほのかに香る饐えた加齢臭に酔い痴れ、背と腰を持ち上げた両腕で細い身体を抱き潰すと、少し苦しげに呻く声が耳を擽り、鼓膜に響く血の迸りをますます加速させた。

  二人を隔てるものはもう何もない。歯止めの利かない夜が、これから始まる。

  ※

  ダイニングに程近い物置同然の空室に雪崩れ込むと、すでに立っていられないほど上気しきった爺ちゃんを畳張りの床に下ろす。押入れの奥から引っ張り出した古い敷布団を広げ、その上に甚平姿の老爺を寝かすと、蝶々結びの紐を静かに引き抜いた。

  「……触るよ」

  はだけた布地からまろび出た、小ぶりながらも迫り出した筋肉質な胸。およそ雌に変えられた者のそれとは思えない硬質な膨らみにそっと手を添えると、爺ちゃんは微かに身体を揺らして応えた。黄茶色の毛皮を掻き分け、素肌に直接触れるように指を滑らせた途端、抑えきれない呻きが一つ漏れ出す。

  「――んっ」

  まだ小さな、けれど確かな興奮の証。ビデオと又聞きの知識だけでいきなり本番に挑む俺にとっては、この微かな一声が何よりも嬉しくてたまらない。脳天へ突き抜ける高揚感をどうにか乗りこなし、身体の下に横たわる大切な人の身体を優しく撫で擦る。

  「んぅ、あっ……あ、ん……っ、うぅ……」

  指先に意識を集中させ、弦楽器を爪弾くように慎重に表皮を撫ぜてゆくと、わずかに開いた口吻から一段と上ずった喘ぎが漏れ始めた。恐る恐る胸板に突き立てた指先に伝わるのは、油脂に乏しい乾いた感触。そのまま胸筋をなぞると、時折引っかかる皺の窪みが、五十は離れた歳の差を否が応でも意識させる。

  「爺ちゃん、気持ちいい……?」

  「……訊くな……っ」

  ふと見上げて尋ねてみれば、恥じらいに燃える真っ赤な頬。祭囃子に揺れる提灯のように煌々と照りながら、息を荒げて身悶える爺ちゃんの顔があまりに愛らしくて、つい悪戯してしまいたくなる。

  「俺も初めてだから、心配なんだ……ちゃんと感じてもらえてるのかなって」

  自らの経験不足を棚に上げた詰問。困ったように目を泳がせながら、なおも答えようとしないいじらしい爺ちゃんのそっぽを向いた横顔に、駄目押しの一言を投げる。

  「――恥ずかしいなら、いいけど……」

  少々あざとすぎたか、との心配は呆気なく杞憂に終わった。むず痒そうに悶える口吻の端から、消え入るようなか細い声が吐息に紛れて流れてくる。

  「…………良い」

  辛うじて聞き取れたのは、その一言だけ。もう一度、と合図するように耳を折って首を傾げると、喉を鳴らす唸り声が眼下から響き渡る。それに続けて、震える唇に、先程よりわずかに音量を増した声が宿った。

  「気持ち、良い、から……その、まま……続けとくれ……っ」

  語句の一つ一つを喉の奥から吐き出すような、途切れ途切れの言葉の羅列が、かえって俺の興奮を煽る。鼻の奥に抜けてゆく愉悦にほくそ笑むと、俺は止めていた両手による愛撫を再開した。

  「う……っ、ん、ふっ……んぁ、あ……あぁ……んっ」

  露わになった上半身を隈なくなぞればなぞるほど、少しずつ音量を増す甘い声が鼓膜をそわそわと擽る。熱に浮かされた半開きの眼差しでこちらを見つめてくる爺ちゃんの姿、いわば第四の顔とでも呼ぶべき媚態。いやらしい、という形容がこれ以上ないほど似合う艶やかな肢体のうねりに煽られて、俺は部屋着にしていたスウェットの上下を強引に脱ぎ捨てた。爺ちゃんの視線が、詰め物でもしたように膨らんだ立体縫製のボクサーブリーフに集中する。

  「爺ちゃん……っ」

  毛皮と諸肌をまとめて晒す昂奮に駆り立てられて、俺は爺ちゃんが身に纏う甚平の下衣にまで手をかけた。細い両脚から一息に布地を抜き取り、股座へ向かう内側の毛皮が白く染まった太腿を一息に割り開くと、越中褌に覆われた股座が曝け出される。

  前袋から染み出し、前垂れにまで染みを広げる愛液の源にある、爺ちゃんの縦割れ。浴室で一度垣間見たとはいえ、いざこうして布越しに見据えてみると、そこに在るべき膨らみがないという事実にどうも実感が湧いてこない。そぼ濡れた前垂れを捲り上げれば、あの日夢見た体躯に似合わぬ大業物が、今も悠々とぶら下がっているのではないか――そんな疑念さえ湧いて出てくる始末だ。

  もちろん、爺ちゃんを想う俺の気持ちに嘘はない。どんな身体でも愛していると言い切ったからには、今すぐにでも薄布の向こうに鎮座する雌穴と対面しなければならない。だが、いざこうして膨らみのない晒布を前にすると、何故か踏ん切りのつかない自分がいる。

  「はぁ、はぁ……ッ、はぁ……はぁ……」

  わざわざ暴き立てた股座に一触れもしないまま、俺は爺ちゃんの細く引き締まった腿に掌を添わせた。ごわついた薄い毛並みの向こう側、張りの薄らいだ肌に指を沈みこませると、欲情に湿った息が数多宵闇に融けてゆく。鼠径部に指を挟み入れ、腰骨までをじわじわとなぞり上げながらも、その先へ進めない優柔不断な手つき。しばらく躊躇いの時が続くと、流石の爺ちゃんもその不自然さに気付いたらしい。

  「んっ……んぅ、っ……ぁ…………?」

  いつまで経っても与えられない陰部への刺激に痺れを切らしてか、爺ちゃんはゆっくりと上体を起こした。不意の出来事にふと顔を上げた俺の腕に、伸ばした片手をそっと添える。

  「心配はいらん」

  今宵初めての、爺ちゃんからの接触。幼い俺を優しく見守ってくれたものと寸分違わぬ柔らかな眼差しは、先程までの悦楽に酔い乱れた爺ちゃんとはまるでかけ離れたものに変わっている。

  「……爺ちゃん」

  呟くや否や、爺ちゃんの手が俺の腕を自らの股座へと導いた。

  布越しに初めて触れる、雌の外性器。これからの人生で、一度も触れるはずのなかった柔肉の連なり。

  「乱暴に扱っていい場所でもないが、かといってそうヤワでもない」

  そこまで聞いてようやく、爺ちゃんには雌の性器を触った経験があることに思い至る。今は亡き婆ちゃんと過ごしたであろう、温かな交わりの記憶。その残照をもとに、爺ちゃんは俺を導こうとしているのだ。

  「お前さんが思うように、優しくすればよい」

  いつになく穏やかな笑顔のまま頷く爺ちゃんの言葉が、俺の中でぬかるんでいた躊躇いを跳ね飛ばした。濡れそぼつ前垂れを捲り上げると、前袋に克明に浮かび上がった細長い楕円の輪郭を指先でなぞる。

  「あ、ん……っ」

  濡れて張り付く晒布が、俺の指先に軽く纏わりつき、滲み出す愛液が指と布地の間に銀糸を結んで流れた。上半身を撫で擦った時とは趣を異とした、腹の底から湧き上がるような喘ぎ。少女のように上擦ったその嬌声が、年嵩を重ねた爺ちゃんの口から溢れていることそのものが、俺の脳髄を沸々と沸騰させてゆく。

  「んんぅ……っ、ふっ、あっ……んお、ほぉっ、おおぉ……っ」

  「すごい……こんな、びしょびしょで……」

  両手を重ね、ますます増やした指先で陰唇を弄ると、湧き水のように込み上げる透明な液汁が褌を濡らす。乾いた部位が見当たらないほど愛液に塗れた前袋には、縦に大きく裂けた雌穴の入り口が、大陰唇の膨らみや陰毛も露わにくっきりと浮かび上がっていた。小陰唇の襞を緩やかに擦り、膣の入り口に布ごと指の先端を差し入れる度に、布団に横たわる爺ちゃんの身体が俎上の魚のようにびくびくと跳ねる。液汁の侵食にくすんだ白い布の向こうで、息をするように蠢く肉色の秘裂――その姿を拝みたいという願望が、俺の中で少しずつ鎌首をもたげ始める。

  「褌、ずらしてもいいよね」

  「……そ、それは……っ」

  顔を真っ赤にして恥じらいながらも、強く拒まず言い淀む爺ちゃんの態度を、俺は肯定と捉えて動いた。前袋の上下を掴み、引き戸を開けるように横に滑らせると、蒸れた股座が放つ饐えた臭いが周囲を包み込む。思わず鼻を塞ぎそうになる刺激臭をどうにか堪えて、俺はようやく姿を現した本尊――爺ちゃんの股座に生み出された雌の象徴を、しげしげと眺めて拝んだ。

  「うわぁ……」

  晒布に張りつく毛の量からなんとなく察しがついてはいたが、爺ちゃんの雌穴を包む陰毛は、まるでうっそうと茂る森のように黒々と生え茂っている。うっすらと見え隠れする薄桃色の秘裂を守るように生え揃った黒い森を、見開いた眼で凝視していると、不意に爺ちゃんが切実な懇願の声を上げた。

  「まじまじと見んでくれ……毛ばかり生えて、その……は、恥ずかしい……っ」

  掲げた右腕で目許を覆い、今にも火が出そうなほどに頬を赤らめたその姿が、俺の中に渦巻く欲望の嵐をますます大きく膨れ上がらせる。矢も楯もたまらず、俺は眼前で滑り気を帯びて光る肉穴にむしゃぶりついた。ジャングルのように生い茂った陰毛を掻き分け、はみ出した襞に舌を這わせて愛液をこそぎ取ると、まろやかな中にどこか酸味を帯びた独特の味わいが舌先に絡みついてくる。

  「い、いかんっ! そんなところ、舐め……ん、はぁぁっ!」

  慌てて制止する爺ちゃんの声は、途中から淫欲に絡め取られて喘ぎに堕ちた。その間に俺は舌先で膣の内壁を啄み、小陰唇を隅から隅まで舐め回して、湧き出す雫を淫猥な水音と共に啜り上げる。クレバスの頂で控えめに主張する陰核にも、啄むような接吻を一つ。それだけで、爺ちゃんは背中を仰け反らせて悶え狂った。

  「あぁん……っ、あっ、はぁっ、んあぁ……っ、ふ……史規ぃ……っ」

  俺の名を呼ぶ爺ちゃんの声にも、甘やかな色合いが混ざり出して久しい。押し寄せる快楽の乱打の中で、やっとの思いで紡いだのであろうその響きが、たまらなく愛おしく思えて、俺は股座から離した顔面を爺ちゃんの胸に滑り込ませた。母の胸に縋る赤子のように頬擦りをしながら、昂る想いの丈を口にする。

  「爺ちゃん……可愛いよ、爺ちゃん……」

  「こ、こんな爺が……可愛いはず、ない、じゃろうが……っ」

  そう突っぱねる言葉とは裏腹に、爺ちゃんの顔はすっかり上気しきっている。耳までも真っ赤に染め上げたまま、ちらちらとこちらへ視線を向ける何気ない仕草が、俺をこれでもかと煽り立ててゆく。

  「俺も、興奮してきちゃった……」

  おもむろに立ち上がり、ボクサーブリーフを下ろすと、バネ細工のように勢いよく飛び出した俺の愚息が高々と空を目掛けて勃ち上がった。ひっきりなしに股座へ殺到する血液に促されて、今までにないほどの硬さを宿した肉棒は、五百ミリペットボトルにやや勝るほどの威容を最大限に発揮して佇んでいる。包皮が剥け切り、柘榴のような色合いに膨れ上がった亀頭から漂う雄の臭いに惹かれるように、爺ちゃんが俺の足元に縋りついてきた。

  「……爺ちゃん?」

  「――ち、違うんじゃ。これは、呪いが……呪いのせいで、こんな……っ」

  言い訳じみた文句を呟きながら、爺ちゃんはマズルを大きく上下に開き、待ち構えるように悠然と佇む俺の肉棒を真っ向から飲み込んだ。生まれてこの方婆ちゃん一筋、雄となど当然交わったことのないはずの爺ちゃんの舌捌きは、何故か俺の弱点をことごとく正確に見抜き、長く伸ばした舌を絡めて思い切り弄び始める。

  「ん、ふぅ……ッ、おッ、んぅ……ッ、あ……ッ、あああ……ッ」

  「はぁ、はぁ……孫の……っ、孫の、ちんぽ……ちんぽぉ……っ」

  恍惚の表情で繰り返す爺ちゃんの瞳には、蕩け切った光が宿っている。刻み付けられた呪いに従い、雄の精をひたすらに求め悶える愛欲の化身。呪いのせいばかりとはとても思えない乱れぶりに引っ張られて、俺もずるずると近親相姦の深みへと嵌まってゆく。

  「じ、爺ちゃん……ッ、すごい……気持ち、いいよ……ッ」

  「ふ、史規……史規ぃ……っ」

  互いの汁に濡れた唇で、互いの名を呼び合いながら、何度も何度も接吻をする。敷布の海に漂う身体は全身隈なく発情の色に染まり、俺の股座で堂々と振れ回る逸物が自らを治める鞘を求めて嘶いている。そしてそれは、縦割れに豊潤な愛液を滴らせた爺ちゃんも同じで。

  「頼む……わ、儂の……お……おめこに、お前さんのちんぽを……」

  聞き慣れない呼び名――きっと、爺ちゃんと婆ちゃんが青春を過ごしたような古い時代に使われていたのであろうその響きが、どういうわけか欲情の炎によく乾いた薪をくべる。ますます滾る胸の鼓動に促されて、俺は張り詰めた肉棒をぐっと握り締める。

  この時、避妊具の存在はすっかり頭から抜け落ちていた。念願かなって一つになるその瞬間に、ほんの僅かたりとて隔てるものがあってはならないと、無意識のうちに拒んだ結果だろうか。

  「――わかった。いくよ、爺ちゃん……!」

  空気を極限まで注入されたボールのように張り詰めた亀頭が、愛液にぬめる膣口に身を沈めてゆく。まずは先端だけ、などという行儀のよい作法はもうどこかへ弾け飛んでしまっていた。瓜を破る感触さえもわからないまま、深い穴の奥の奥まで一気に刺し貫く。

  「何だ、これ……ッ、中が、きついのに、ふわふわしてて……ッ」

  「ふっ、史規ぃっ! 史規のっ、孫のちんぽがっ、儂のぉ……儂の[[rb:膣内 > なか]]にぃっ!」

  言葉に出した通り、爺ちゃんの肉穴は固く握り締めるような重圧と、柔らかく包み込むような感触を併せ持っていた。腰を振り乱しても容易く抜け落ちることのない安定感と、雁首や裏筋を確実に刺激する襞の連なりが、これまで手慰みに使ってきたオナホールなどとは比べ物にならないほどの快楽を脳髄に送り込んでゆく。

  「あんっ、んぅっ、おっ、んお……っおぉっ」

  一方の爺ちゃんも、これまで見たことがないような顔で快楽を享受していた。零れ出す嬌声は次第に濁り、雄叫びとも喘ぎとも取れない不規則な声の羅列と共に、全身の筋肉を隆起させながら千々に乱れ舞う。

  やがて、そんな爺ちゃんの身体の芯から、何かがせり上がってくる。

  「おっ、おっ、おぉ……っ、何じゃっ、何か来る……っ、んんんうぅぅっ!」

  「爺ちゃん……! ひょっとして、イってるの……?」

  「わ……っ、わか……らん……っ」

  どこかで聞き及んだ話に寄ると、雌の絶頂は雄の射精に伴う一瞬の快楽とは異なり、水面に広がる波のようにじわじわと広がり、幾度も寄せては返すものなのだという。雄の身に生まれた俺には、それがどのような感覚なのか想像もつかない。晩年に差し掛かって突如雌にされてしまった爺ちゃんも、また同じく。

  「が……っ、からっ、だが……っ、ひくひく、して……ぇっ」

  体中を隈なく浸す快楽の極致に、爺ちゃんは痙攣のように小刻みに震えて応じた。一度、また一度と繰り返す絶頂の度、股座の締め付けはますます強くなり、胸の頂に佇む肉蕾はさらに大きく膨れ上がる。瑞々しく主張するその艶やかな姿に、たまらず両手で乳首を摘み上げると、今宵一番の絶叫が部屋一面に響き渡った。

  「あ……っ、いかんっ、史規っ、突かれながらっ、乳首はっ、駄目ぇ…………っ!」

  痴れ切った爺ちゃんの淫らな声と共に、膨らみ切った乳首の先端から白い液体が勢いよく飛び出した。指先を擦り合わせる度に溢れ出し、互いの毛皮を汚してゆく薄い汁。それを放出する度に、爺ちゃんは我を忘れたかのように叫ぶ。

  「おっ、ほおっ、んおぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

  「ひょっとして……母乳!? 爺ちゃん! これも呪いの影響なの!?」

  「おほぉぉぉっ、お、んおっ、ふおぉぉぉぉぉっ! んほぉぉぉぉぉぉっ!」

  叫びながら問いかけてみても、最早返事は返ってくる気配がない。雄の胸から母乳を噴き出し、股座の雌穴からは愛液を垂れ流しながら悶え狂う爺ちゃんの淫らな姿は、既に射精寸前にまで陥っていた俺にとどめを刺すのには十分すぎるほどだった。

  「爺ちゃん、俺もそろそろイくよ、爺ちゃんの中に出すよ……ッ」

  「ええぞ、ええぞ史規っ、儂の、儂の中に……っ、お前の、仔種を……っ」

  恍惚の中で発せられた懇願の一言と共に、爺ちゃんの中が激しく収縮する。その動きに搾り取られて、俺の逸物が一息に爆ぜた。

  「んぅッ、ああぁぁぁぁぁッ!! あッ、あぁッ、んああぁぁぁぁぁぁッ!!」

  何度も何度も、膣口から零れるほどに続く白濁の奔流。

  その流れがようやく収まった頃、爺ちゃんは俺にしがみつきながら、必死の形相で強請ってきた。

  「ふ、史規ぃ……儂、孕みたい……史規の、仔種で、孕みたいんじゃ……」

  「じ……爺ちゃん……ッ!!」

  それからのことは、あまり覚えていない。夜が明けるまで幾度も交わり、幾度も精を吐き出したことだけは確かなのだが、一部始終はまるで夢の中のように靄がかかっている。

  けれど、眠りに落ちるその瞬間まで、爺ちゃんと固く手を結び合っていたことだけは覚えている。

  最高に幸せな、二人だけの瞬間だった。

  ※

  精魂尽き果てるまで粘膜を擦り付け合った、その翌朝。

  すっかり眠りこくってしまった俺が慌てて起き出した時、台所にはすでに味噌汁の香ばしい匂いが充満していた。てきぱきと進む朝餉の支度の主は、どこから取り出したのか、サイズぴったりのエプロンを身に着けた爺ちゃん――というところまでなら微笑ましい話なのだが、何故かエプロンの下は白い越中褌一丁だった。揺れる尻尾の下で、昨晩の染みも生々しいままの薄布一つに包まれた円やかな尻を見つめていると、早朝だというのに何やら催してしまいそうになる。

  とはいえ、こんなところで盛り出すわけにもいかないのが学生のつらいところ。なんせ、今日はよりにもよって一限から授業だ。爺ちゃんとセックスしていたので遅れました、などとレポートに書けるはずもない。

  「お前さんにしては珍しく、朝日が昇ってもぐっすり眠っているようだったのでな」

  「ごめんね、気遣わせちゃって。あとは俺が作るよ」

  「いや、ここは儂に任せとくれ。ささやかだが――昨日たんまり注いでもらった礼じゃ」

  昨日の交わりでくたびれたのか、時折腰を擦りながら白飯をよそう爺ちゃんの背中は、その背丈よりもずっと大きく広がって見える。昨日までのぎこちない間柄の二人には決して訪れなかったであろう幸せな朝に、俺は声を軽く弾ませた。

  「じゃあ、夕飯は俺が作るよ。プリンも買ってくるからさ」

  「それはいい。ありがとう、史規」

  「――こちらこそ、ありがとう。爺ちゃん」

  食器を手放した隙を見計らって、俺は爺ちゃんを背中から抱きすくめた。腕の中に伝わる温もりが、心と体の奥深くで結ばれた二人の繋がりを、言葉よりも雄弁に物語っている。

  不意に表情を和らげた爺ちゃんにつられて、思わず俺も顔をほころばせる。和らいだ雰囲気の後押しを受けて、昨晩ふと覚えた疑問を尋ねてみることにした。

  「ところで昨日『孕みたい』とか言ってたけど……実際、爺ちゃんは妊娠ってできるの?」

  「わからん。調べによると子宮も卵巣もあるようじゃが、なにせ月のものが来ないものでな」

  中学範囲の理科の授業を思い出しながら、俺は爺ちゃんの腹をエプロン越しに擦る。常識の範囲内で考えるならば、月経がない、つまり閉経後の雌の身体に新しい命が宿ることはありえない。少し丸みを帯びた腹に今詰まっているのは、勿論子宮に包まれた赤子ではなく、ただの脂肪だ。

  「でも、呪いでできた雌の身体なら、ひょっとして……」

  だが、そもそも爺ちゃんの身に起こった変化は、科学では説明のつかない神秘の産物だ。雌化が進んでいないはずの乳首から母乳が噴き出したことさえある。となれば、俺と爺ちゃんの間に新しい命が宿ることなどないと、果たして誰が言いきれるだろうか。何気ない問いが急に重たく思えてきて、背筋が少し寒くなる。

  「――万が一本当に孕んだら、史規にはしっかり責任を取ってもらわねばのう?」

  珍しく冗談めかして笑う爺ちゃんにつられて、俺も苦笑交じりに微笑んだ。何せ一寸先も見えない今日の世の中である。『責任を取る』べきその日の到来に備えて、せめて自分だけでなく、家族も養えるような稼ぎの見込める職に就かねば――と早くも意気込みながら、押し潰してしまえそうなほど小さな爺ちゃんの体を包み込む両腕により一層の力を籠める。

  境界線を踏み越えて、新しい関係を結び直した俺と爺ちゃんが、これからどうなるのかはわからない。けれど、こうして心身を重ね合える二人なら――どんな未来でもきっと歩いてゆける。股座の下でばたばたと嬉しそうに揺れる爺ちゃんの尻尾に太腿の裏を思い切りはたかれながら、俺は心からそう思った。

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