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第十三章 狂信の聖都 ―聖都に潜む闇― 1

  ベルーガ陥落から十日ほど経過したその日、カイルは聖都の門前に立っていた。

  聖都を囲む白壁は、夕暮れの光を受けて淡く輝いていた。

  だがその美しさとは裏腹に、聖都に近づけば近づくほどにその空気は冷たく張り詰めていく。

  聖都に入るための門の前まで来たカイルは、フードを深くかぶり、巡礼者の列に紛れて門へと歩みを進めた。周囲の人々はカイルと同じように、皆、灰色のローブをまとい目元を隠している。

  誰もが無言で歩き、一切話さない。

  カツンカツンという石畳を踏みしめる足音だけが響いていた。

  やがて辿り着いた巨大な門の前には、二人の修道騎士が立っていた。

  白い鎧に胸には金の十字紋。武装しているにも関わらず、彼らにはどこか僧侶のような落ち着きがあった。王都の騎士たちとは全く異なる雰囲気の修道騎士たちの前まで来ると、

  「巡礼の目的を告げよ」

  カイルに向けて、修道騎士の一人が低く、抑揚のない声で問いかけてきた。カイルは淡々と答える。

  「……祈りのために」

  「祈りのための巡礼ならば通れ。だが」

  修道騎士はカイルのフードの奥を覗き込むように視線を向ける。

  「もし貴様に少しでも邪念があれば、聖女マリア様の御心を曇らせることになる。お前に邪心はないか? そのようなものをこの先に通すわけにはいかぬぞ」

  騎士は手にした槍の切っ先をカイルに向けてそう言い放つ。その言葉は、柔らかいのに冷たく、まるで心を読んでいるかのような圧があった。

  「……邪念などない。ただ一心に祈るだけだ」

  「ここ聖都の中で邪念を抱けば、すぐさま処罰される。ここから先は聖女マリア様の神域。マリア様は貴様の全てを見ておられる。ここでは隠しごとは一切できぬ。ゆめゆめ忘れるな」

  「……わかった」

  修道騎士は静かに槍の切っ先をカイルから外し、静かに道を開く。

  その横を通り過ぎ、カイルは巨大な白い門をくぐる。その瞬間、空気が一変した。

  街の中は白い石造りの建物が整然と並び、道はどこまでも清潔だったが、そこに生活の匂いは一切なかった。王都やベルーガで見られた商人たちの活気ある声も、無邪気に遊ぶ子どもたちの楽しげな声も一切聞こえてこない。

  聞こえてくるのは信徒たちの祈りの声だけ。

  街の真ん中に走る道を行く巡礼者たちも、祈りの言葉だけを捧げている。親に手を引かれて歩く子どもでさえ、祈りの言葉を口にしながら歩いていた。

  そんな巡礼者たちに、建物の中にいる聖都の人々から視線が向けられる。その視線を受けながら、

  (……歓迎されていないな)

  カイルはそう感じ取った。

  聖都の住人たちの視線に敵意はない。だが明確な警戒があった。

  ある母親は、巡礼者たちを見るなり子どもの肩を抱き寄せ、別の老人は、巡礼者が通り過ぎると小声で祈りの言葉を唱えた。

  「彼らが聖女マリア様の御心を惑わしませんように」

  その言葉に、カイルはわずかに眉をひそめた。

  (聖女マリア……)

  聖都の中心にいる聖女。

  この聖都に住む人々の信仰の象徴であり、この街における絶対不可侵の存在。聖都の外にも多くの彼女の信徒がおり、王立騎士団にカイルが所属していたときも仲間の何人かが彼女を崇拝していた。

  彼女への強い信仰を表すように、聖都の壁には、彼女の肖像画がいくつも貼られており、左右で色の異なる眼をした、白い修道服を身にまとった金髪の少女が、肖像画の中で慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。

  (聖都の外から来た巡礼者は聖女を汚すかもしれない異分子、って感じか)

  聖都の外から来る巡礼者は自分たちとは異なり、穢れた存在である。

  巡礼者の持ち込んだ穢れが聖女マリアを汚してしまうのではないか、そう住民たちは思っているのだろう。

  彼らの冷たい目線を受けながら、カイルは苦虫をかみ潰したような表情を浮かべた。

  (ベルーガに負けず、だいぶ狂った街のようだな、ここは)

  しばらく進むと、巨大な建造物がカイルの視界に入る。

  白い石で造られた聖堂。天を突くような尖塔。外壁に作られた巨大なステンドグラスには、聖女マリアの姿が描かれている。

  大聖堂、と呼ばれる聖都の中心地。

  マリアにささげられる祈りの声が、大聖堂の奥から街全体に響いてくる。

  聖堂に近づいて行くと、入り口の前に白い石畳の広場があった。

  夕暮れの光を受けて淡く輝く広場には、その美しさとは裏腹に、空気が重く張り詰めていた。さらに大聖堂へ近づくと、大聖堂の入り口の前で信徒が円を描いて立っていた。

  全員が灰色のローブをまとい、顔を伏せ、胸の前で手を組んでいる。

  その中心に、ひとりの老人が引きずられるように連れてこられた。修道騎士が二人、その老人の両腕を掴んでいる。老人は震え、足がもつれ、何度も転びそうになっていた。

  [newpage]

  (……何だ?)

  カイルが足を止めた瞬間、広場にいた全員が同時に頭を垂れる。

  修道騎士の一人が、聖堂の巨大な扉に向かって声を張り上げた。

  「これより罪の告白を行う」

  その声は広場中に響き渡った。

  「あぁ、どうかお許しください……聖女マリア様」

  老人が震える声を上げるのを無視し、もう一人の修道騎士が巻物を広げ、そこに書かれた文字を淡々と読み上げ始めた。

  「罪人、エルド・ラミナ。お前は今日、マリア様にささげる祈りを三度も怠ったな。これは看過できぬ大罪である」

  修道騎士の言葉にカイルは思わず眉をひそめる。

  「妻が病気でその世話をするのに忙しく、祈れなかっただけなのです。マリア様への信仰が薄れたわけでは、決してございません。どうかお許しを、お許しを!」

  聖堂の扉に向かって叫ぶ老人の声を無視し、修道騎士は続ける。

  「さらに、貴様はマリア様の像を見上げる際、心が乱れ、昨夜に至ってはマリア様の夢を見なかった。そうだな?」

  カイルは思わず息を呑んだ。

  (そんなことが罪になるのか? めちゃくちゃすぎるぞ)

  修道騎士の言葉に老人は地面に膝をつき、震えながら叫ぶ。

  「違うのです! 夢を見ようと努力はしたのです! ですが……眠っても、眠っても。マリア様は夢に現れてはくれなかったのです。だから心が乱れただけで」

  修道騎士は老人の言葉を遮るように冷たく告げた。

  「それは貴様の信仰心が足りぬからだ! もはや言い訳は不要である……マリア様の御心に従え」

  その言葉を聞いた広場の信徒たちが、修道騎士と同じ言葉を唱和した。

  「御心に従え……御心に従え……御心に従え」

  その声を聞いたカイルは周囲を見渡す。

  この場にいる全員が、この老人を一切哀れんでいない。誰も修道騎士の言葉に疑問を抱いていない。ただ、淡々と目の前の儀式を見守っている。

  (……この街の人間はこれを正しいと思っているのか)

  老人は涙を流しながら、聖堂の扉に向かって叫んだ。

  「聖女マリア様、どうか……どうかお許しを! 私は深くあなた様を信仰しております。どうか、お許しください! マリア様」

  「これより、贖罪を行う」

  そう叫んだ修道騎士が老人の前に白い石の器をそっと置く。その器には透明な水が満たされており、夕日を浴びてきらびやかに輝いていた。

  老人はその器を震えながら見つめる。

  「……こ、これは」

  「これは『マリアの水』。貴様の罪を洗い流すためマリア様が特別に祈り、作ってくださった水だ。これを一気に飲み干せ。貴様が信心深ければ、マリア様が貴様の罪を洗い流して下さる」

  器に入った水を見てカイルは眉をひそめた。

  (ただの水ではないな。微量だが魔力を感じる)

  「あぁ、マリア様。どうか私の罪を洗い流してください」

  老人は涙をこぼしながらすぐさま目の前の器を持ち上げ、震える手で己の口元へ運んだ。老人が水をごくごくと飲み干した瞬間、

  「……っ……!」

  その表情が苦悶に歪む。老人は手にした器を落としばたりと地面に倒れ込む。

  「ぐっ、が……ぐあぁっ」

  そのまま七転八倒、石畳の上でもがき苦しみ出した。

  だがもがく老人の様子を見ても、広場にいた信徒たちは誰ひとり驚かないし、老人を助けようとはしなかった。ただじっと、老人の様子を見つめているだけだ。

  「かっ……はっ……う、あ……」

  やがて転げまわっていた老人が、ぴたりとその動きを停止させる。その様子を確認した修道騎士は、他の信徒たちに淡々と告げた。

  「マリア様の御心はこの者に死という形の贖罪を与えた。これがマリア様の御心である。皆もマリア様の御心に従え」

  その言葉を信徒たちが再び唱和する。

  「御心に従え、御心に従え、御心に従え」

  その言葉を聞いたカイルは思わず拳を握った。

  (……これは贖罪なんかじゃない。ただの断罪……処刑じゃないか)

  息絶えた老人は修道騎士二人に抱えられ、その場から静かに運び去られていく。その姿が見えなくなったとたん、再び、不気味な祈りの再び広場に満ちていった。

  まるで、何事もなかったかのように、信徒たちは一心に祈りを捧げている。カイルはその光景を、しばらく動けずに見つめていた。

  (……これが聖都)

  カイルは胸の奥に、冷たいものが沈んでいくのを感じた。

  (……この街は何かが壊れている)

  カイルは静かに息を吐く。

  (聖女マリア……お前はこの光景を見て何を思うんだ。いや、そもそもお前は何を見ているんだ?)

  そのときステンドグラスの奥から、誰かの視線を感じた。

  (……マリア、か?)

  [newpage]

  その視線の主は、聖堂の奥で祈りを捧げる聖女マリアだった。

  聖堂の奥。巨大なステンドグラスから差し込む光が白い床に淡く広がっている。その中心に、一人の少女が跪いていた。

  赤い右目と青い右目を持つ、金髪の聖女マリア。

  彼女は街中から聞こえてくる人々の祈りの声に耳を澄ませながら、広場で行われている儀式を静かに見つめていた。

  水の入った器を仰ぎ老人が倒れた瞬間、マリアの瞳に涙が浮かんだ。

  「あぁ……また、ひとり……」

  その声は震えていた。そこに悲しみと祈りと、純粋な慈愛が混ざっている。だがその涙の理由は、外界の常識とはまったく違っていた。

  「どうして……どうして……マリアの夢を見てくれなかったの……?」

  マリアは胸に手を当て苦しげに呟く。

  「マリアはこんなにも皆を愛しているのに……どうして……マリアを信じてくれないの?」

  老人が倒れたことをマリアは信心不足からの悲劇であると本気で思っていた。

  「あの人は罪が深かった……もっと、もっとマリアに祈っていれば、もっとマリアを信じてくれていれば、マリアの水はきっと受け入れてくれたのに……あぁ、なんて悲しいことでしょう」

  彼女は涙を拭い両手を組んだ。

  「あぁ、神よ、どうかお願いします……どうか皆がもっと、マリアを信じてくれますように。そして多くの人々がその罪から救われますように」

  その祈りは純粋だ。だが純粋すぎて狂気に近い。

  祈りを捧げ終えたマリアはそっと立ち上がり、聖堂の奥へと歩き出す。

  「もっと導かなくちゃ……皆が迷わないように。皆がマリアを愛せるように。それがみんなの幸せにつながるんだから……祈りましょう皆のために」

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