AdAd
  
[戦場のフーガ if] 涙と笑顔のラプソディー

  全ては、あの日から始まった。

  ある日、家に届いた一通の手紙。

  その手紙を読んだ瞬間、母さんは泣き崩れながらも僕とフリタを優しく、それでいて力強く抱き締めてくれた。

  開戦前という事もあったし、何が起こったのかは容易に想像が出来た僕は、フリタの前でそれを口にしないように努めた。

  だが、"悪評千里を走る"と昔どこかの国の言葉として学んだ様に、その話による災いは僕や母さん、そして妹のフリタにも降り掛かった。

  「お母さん…お父さんは、しんじゃったの…?」

  その言葉を聞いた瞬間、母さんは凄く複雑そうな顔をしながらも、ぎこちない笑顔でそれを打ち消しながらフリタを抱き締めた。

  「大丈夫…大丈夫よ、フリタ。大丈夫よ…」

  「どういうこと…?ねぇ、お父さんは…?わたしがいい子にしてたら帰ってくるって言ってたのに、どうして帰ってこないの…?わたし、わるい子なの…?」

  そんな事ない、大丈夫よと繰り返す母さんと、少しずつ目尻に涙を浮かべながら何度も問い掛けるフリタ。

  その様子を物陰から眺めながら、僕は二人に気付かれぬようにそっと部屋へと戻った。

  [newpage]

  「なぁブリッツよぉ、お前の父ちゃん、ベルマンを裏切ったってな?」

  数日後、僕が学校へ登校し教室へ入ると、3人程のグループを組んだクラスメイトがニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら話しかけて来た。

  「…それが?」

  「フン、スカしやがって。裏切り者の癖によくも俺たちの前に姿を現せたよな?」

  「そうだ!裏切り者の癖に!」

  「お前なんかと一緒に居たら軍にみんな裏切り者と思われるんだよ!どっかいけ!」

  1人が喋ると、他の2人がそれに同調するかのようにこちらを非難してくる。

  それが少し滑稽に思えて、僕はフッと鼻で笑う。

  「あ?何笑ってんだよ!?」

  「いや、少し思い出し笑いをしただけさ」

  「あぁ!?強がんのも大概にしろよ!このッ!」

  3人組のリーダーと思われる少年が殴りかかってくるのに合わせて横に身を躱すと、少年は躱した先にある椅子に躓き、さらにその先にある机や椅子を巻き込みながら倒れ込む。

  流石にここまで大袈裟になるとは思ってなかった。

  教室にいた他のクラスメイトもその様子を見て一気にシン…と静まり返る。

  「えっと…大丈夫かい?」

  僕が気遣う様に声を掛けると、それをきっかけにするように、転んだ少年は転んだ状態のままわんわんと泣き始めた。

  「お、おい!?大丈夫かよ!」

  「誰か先生呼べ先生っ!ブリッツがケガさせやがった!!」

  「えっ」

  戸惑っているのも束の間、あれよあれよという間に僕は先生に呼び出され、説教を受けた。

  "裏切り者"という言葉を随所に織り交ぜられながら。

  [newpage]

  数ヶ月後。

  その内、僕とフリタは学校に行くことは無くなった。

  僕だけならまだ何とか耐えきれたかもしれない。

  けれど、毎朝僕の手を取り「早く行こうっ!」と楽しそうに学校へと僕を引っ張りながら歩いていたフリタは、いつの日にか、

  「行きたくない…お兄ちゃん、今日はもうお休みしよう…?」

  と玄関先でグズりだし、家から一歩も出なくなってしまった。

  何かあったのは間違いない。きっと妹も僕と同様か、それ以上の心無い仕打ちを沢山受けたのだろう。

  映る世界を見つめキラキラと輝いていた目には、今や微かに揺れ、暗い恐怖の色に染まっていた。

  そうして、僕はフリタと共に不登校になり、フリタに付き合いながら遊んであげたり、勉強を教えるようになった。

  …だが。

  『すみませーん!新聞社の者ですが!お宅の主人について何かお聞かせ願えませんでしょうかー!?』

  突如として、ドンドンドン、と激しく玄関のドアがノックされる音に、フリタはひっ、と声を上げて縮こまってしまう。

  「…大丈夫だよ、お兄ちゃんが傍に居るからね」

  そう言いながら、僕は妹を優しく抱きしめ、頭を撫でながら落ち着かせる。

  そうしていると、今度は母さんが僕とフリタを包む様に肩を抱きながら、

  「大丈夫、大丈夫よ2人共…暫くしたら居なくなると思うから…」

  そう言って包む手と声は何処か震えている様に感じられた。

  フリタもそれを感じたのか、静かに肩を震わせながら、ひっく、ひっく、と嗚咽を小さく漏らし始める。

  「怖い思いをさせてごめんね…ごめんね…」

  僕とフリタの背中を優しく擦りながら、母さんも少し肩を震わせる。

  (こんな事、いつまで続くんだろう…)

  ドンドン、と相も変わらず鳴り響く音と呼び掛ける声を何処か遠くに感じながら、僕は静かに時が過ぎるのを待った。

  [newpage]

  「じゃあ母さん、フリタ…行ってきます」

  そんな生活が半年ほど過ぎた頃。

  僕は、ベルマン軍へと入隊する為、家の前で家族へ最後の挨拶を行っていた。

  「ブリッツ…」

  「お兄ちゃん…!行かないでお兄ちゃん…っ!」

  「すまないフリタ…でもこうすれば、また前みたいに学校に行けるんだよ」

  「イヤ!お兄ちゃんがいない学校なんてわたし、行きたくないっ!」

  「ブリッツ…本当に行ってしまうの…?今ならまだきっと…」

  妹が涙を浮かべて駄々をこねる横で母さんも同じく目元に涙を溜めながら声を絞り出す。

  その様子に、僕はグッと奥歯を噛み締めた後、真っ直ぐ二人を見据えた。

  「ありがとう…母さん、フリタ。

  だけど、もう決めたんだ…父さんがいない今、前の様に過ごすにはこうするしかない」

  「ブリッツ…あぁ、ブリッツ…っ!」

  溜め込んでいた涙をボロボロと流しながら、母さんは顔を覆うようにして泣き始める。

  ─遡ること数日前。

  あの明るくも優しく、芯の強い母さんが笑わなくなり、憔悴した様子で父さんの写真を見ては啜り泣く毎日。

  フリタもまた、そんな日々に酷く追い詰められたのだろう。以前の様に外に出ることはおろか、部屋からほとんど出る事もなくなってしまった。

  (このままでは、いけない)

  全てが終わった様な家の中で1人、夕食のシリアルを食べ終わると、僕は母さんとフリタをダイニングにある4人掛けテーブルへと集まる様に、それぞれのドア越しに声を掛ける。

  そのまま、これから伝える事を考えて早鐘を打つ心臓に手を当てながら、僕は静かに息を整える。

  反対されるかもしれない…いや、間違いなく反対されるだろう。

  (それでも─)

  落ち着かせるように、ふうっ…と静かに息を吐き─2人が来るのを待つ。

  「…どうしたの?ブリッツ…どこか、痛むの…?」

  「…お兄ちゃん…」

  少しして、僕の向かいに泣き腫らした顔の母さんと、沈んだ表情のフリタが並んで座ったのを確認すると、僕はすうっ、と息を吸い、ふーっ…と静かに息を吐き出し─口を開く。

  

  「2人ともよく聞いて。僕は…」

  「─軍人になるよ。」

  ─現在─

  「いや…!いやぁっ…!お兄ちゃんが居なくなるなんていやあぁぁっ…!!」

  縋り付いて大声を上げて泣くフリタを頭を優しく撫でながら、僕は諭す様に言う。

  「大丈夫…絶対帰ってくるから。戦争が終わるまで、少しだけ待っててくれ」

  「いやぁ…!いやぁぁっ…!!」

  僕の言葉にまるで破裂したかのような声を上げて泣くフリタ。

  すると、母さんがあの時のようにそっと僕とフリタを抱き締める。

  「母さん…」

  「…ごめんね、お母さんがもっとしっかりしていれば、ブリッツ…あなたをこんな目に遭わせなくて済んだのに…」

  「…いいんだ、母さん…僕は平気だから」

  「…辛くなったら、何時でも戻ってきていいのよ。あなたはどんな時でも、何があっても、ずっと…お母さんの子よ」

  「…ありがとう、母さん」

  少し涙ぐんでそう答えると、母さんは小さく頷き、フリタを抱き抱えるようにして引き離した。

  「いや!離して!降ろしてお母さん!行かないでお兄ちゃぁん!!」

  抱き抱えられるフリタとそれを涙を流しながら抑える母さんに、僕は足を揃え、左腕を斜め下に振り払う様にピシッ、と敬礼をした。

  「それじゃあ、母さん、フリタ。…行ってきます」

  そうして踵を返す瞬間、泣きながらも、尚も必死に僕へと手を伸ばすフリタの姿がちらりと見え心ごと体が引っ張られそうになる。

  だが僕は、そんな躊躇したくなる気持ちを抑えながら、強めに一歩、一歩と前へと進み駐屯地へと歩き始めた。

  (いつか絶対に生きて帰ってくるから…だから待っていてくれ、2人共…)

  眼前の景色が少しだけ、潤んだ気がした。

  [newpage]

  ─2年後─

  ─捕虜収容所、食堂内─

  「─以上、経過報告であります!」

  「よし!各員、持ち場に着き次第、引き継ぎと共に業務開始!」

  「「「了解!」」」

  号令に合わせ全員が敬礼を取ると、軍人達はそれぞれの持ち場へと駆け足で向かっていく。

  僕もまた、それに倣うように駆け足で担当の場所へと向かう。

  森が入り雑るかのような荒地のど真ん中。

  周囲を木々と無機質なフェンスに囲まれたその収容所内で、僕は監視業務を言い渡されていた。

  「おい、ブリッツ!」

  「ハッ…なんでありましょう上等兵殿」

  向かう途中で兵士に呼び止められ、僕は振り返るのと同時に敬礼をしながら返事をする。

  「C-5からC-7までの区間だが、今日から俺は諸事情によりその担当区域を外れる。よってブリッツ、今日からお前が全て担当しろ」

  「ハッ…!引き継ぎの程は如何いたしますか?」

  「それくらい自分で考えたらどうだ?父親が我が祖国を裏切る程なんだ、さぞ頭も切れるのだろう?」

  「……ッ」

  ニヤニヤと下卑た表情で嫌味混じりの皮肉を言われるが、変に反抗する訳にも行かず、口を噤む。

  と。

  「黙っとらんで何とか言わんかァッ!!」

  「うッ…!」

  その怒号と共に、僕の身体は強い衝撃を受けて宙を舞い、金属製の地面へと右目の上辺りの額を擦るようにしながら叩きつけられる。

  「ッ…!!グッ…!!」

  擦った事による摩擦熱と、その時にどこか継ぎ目にぶつかり抉られたせいか、傷口が焼けるような痛みを覚えて咄嗟に手で抑える。

  痛みを堪えながら目を開くと、手にはべっとりと赤い鮮血が付着していた。

  ぽたり、ぽたり、と傷口から溢れる血を咄嗟に袖で抑えながら、何とか立ち上がろうする…が、自身の零した血を踏んでしまい、ずるり、と足を滑らせる。

  「あっ…!?…うぅっ…!」

  再び倒れ伏した僕を見て兵士は舌打ちをしながら、まるでサッカーボールのように何度も、何度も僕の身体へと蹴りを打ち込む。

  「裏切り者の血族が!二等兵以下の雑兵が!!一丁前にィ!!オラァッ!!」

  傷口の痛みと、全身に打ち込まれる衝撃からの鈍痛にひたすら耐える。

  ─これが、僕の毎日だった。

  …やがて、そうこうする内に満足したのか、

  「ふぅ…ったく気に入らんガキだ…兵士じゃなきゃ、今すぐにでも嬲り殺してやりたいくらいだ」

  そう言うと兵士はペッ、と僕に唾を吐きかけ…ふとさっきの傷跡を見つけると、今度は嘲笑うように、

  「フン、いい傷痕じゃないか!地面に付いた血は自分で拭き取れよ!」

  と言い放ち、やや上機嫌そうに立ち去っていった。

  [newpage]

  「………」

  失血と全身の鈍痛でフラフラしながら、僕はさっきの兵士から言われたC-5からC-7区間へと向かっていた。

  本当は先に医務室に向かおうともしたが、収容所のとある目的の関係か滅多に物資の補給がなされない事からか、重症以外は対応しないと門前払いされた。

  その割に、隙間から見えた物資は十分すぎるほど余っているようにも見えた気もするが。

  「…とりあえず、出来る範囲でなんとかしよう…」

  無理するなよ、と自分に言い聞かせながら、僕は額に浮いたイヤな脂汗を傷口に触れないように慎重に拭いつつ、中央司令部棟から収容所棟へと歩を進める。

  収容所の施設はそれぞれが独立した様に建設されている為か、収容所内の移動は基本外をそのまま歩く様な形での移動となっている。

  もちろん、そのまま逃げられる事のないよう、急拵えとはいえ周りはネズミ返しの付いた鉄柵で囲まれ、侵入も脱走も許さない造りだ。

  (まぁ、逃げた所で何も無いから逃げるヒトは居ないけど…)

  そんな事を考えている内に、目的の場所まで辿り着くと、僕は入口扉の横に付いたカードキーに自らのIDを触れさせて中へと入った。

  中は冷房が効いており、イヌヒトにとっては過ごしやすい環境に整えられている。

  反面、ネコヒトにとっては寒くてあまり動けない程らしいが…

  僕は施設に入るや否や、ふうっ…と息をつき、壁にもたれるようにして身体を休める。

  幸い最も離れている区間だ。僕に丸投げしている以上、あのイヌヒトの兵士がわざわざここまで見に来る事は滅多にないだろう。

  「…ぐッ…!」

  壁から身体を起こそうとすると、蹴られた横腹の部分と額の傷口が痛みを訴え、再び壁へと身を預ける。

  せめてゆっくり休みでもすれば、傷はともかく身体は何とかなるのだけど…

  「どうしよう…困ったな…」

  「…あの…?」

  ふと、か細いながらも透き通る様な声が聞こえ、僕は顔だけをそちらへと向ける。

  区間内は一面鉄板で覆われ、大人3人が並んで歩ける程の広さを持ち、その通路を挟み込むように横並びの格子状の牢屋が、次の区間までを隔てる扉まで続いている、よくある様な牢屋だった。

  そこの区間の半ば程。そこから1人のネコヒトの少女が、対角線上にいるこちらを呼ぶ様にして声を掛けていた。

  (…?なんだろう…?)

  そう思った僕は、誰も入っていない牢屋の格子を掴むようにしながら歩き、牢屋内の少女へと、身を屈める様に跪いた。

  「!やっぱり酷いケガ…!大丈、夫…?」

  「…君は?」

  「あ…その…わたし、シーナって言います…」

  一目見た印象は、とても綺麗な子だった。

  白く艶のある毛並みに、深く蒼い空のような髪と瞳。

  年齢は同じくらいだろうか。

  ネコヒトを模した様な手縫いのぬいぐるみを大切そうに抱き抱えた少女は、僕の顔を見るや否や本当に心配そうな顔をして僕の顔を覗き込んでいた。

  「シーナか…どうして僕に声を掛けたんだい?ベルマン兵なんかに話し掛けたらそれこそ、この傷より酷い事をされるかもしれないのに」

  「えっと…その、あなたがそんなケガしてるのをわたし、どうしても放っておけなくて…」

  「…大丈夫だよ。これくらいなんでもない」

  「でも…」

  「いいんだ」

  「…じゃあせめて、傷口だけでも少し手当させてもらえないかしら…?」

  「え…手当?」

  この子は何を言っているんだろう。

  ここには医療道具も何も無いのに。

  「ええ…少しじっとしてて」

  そう思っていると、シーナは自身の胸に両手を当てて何やら小さく呟く。

  すると、当てていた両手から黄緑色の光が溢れ出し始めた。

  「!?」

  突然の超常現象…というか光に戸惑っていると、シーナは両手をゆっくりと前に出し僕へと向けて放とうとする。

  「ま、待てっ!?何をするつもりだ…ぐッ…!」

  咄嗟に立ち上がり、銃が入ったホルスターに手をやるが、その動作で再び頭と全身に鈍痛が奔り、僕はそのまま蹲ってしまう。

  (しまった…!やっぱり直ぐに終わらせて立ち去るべき、だった…!)

  目の前の光が自身に向けて放たれる瞬間、僕は死を覚悟し、目を瞑った─

  ─が。

  「……?…あ…れ?」

  何も攻撃が来ない。

  それどころかむしろ、全身の痛みが少しずつ軽くなっていく。

  同時に、額の疼きが収まっていくのを感じ、僕は恐る恐る目を開ける。

  すると、さっきまでと変わらずシーナの放つ光が僕へと照射され─

  その光が柔らかく身を包むのと同時に、身体から痛みが引いていくのを確かに感じた。

  「これは…?」

  やがて全身から痛みがほとんど無くなったのと同時に、ドサリ、という音と共にシーナが倒れる。

  「あっ…!?シーナ!」

  鉄格子にしがみつく様にして近付くと、シーナは「はぁ…はぁ…」と息を切らしながらも、薄らと目を開けてこちらを見る。

  「シーナ、大丈夫かい!?」

  「ええ…ちょっと力を使いすぎただけ…でも良かった…元気になって…」

  チカラ…そういえば昔、聞いた事がある。

  ネコヒトは不思議な力を使って、科学では有り得ないほどの不思議な現象を引き起こす能力がある、と。

  しかしその力のせいで、ベルマンのネコヒトはカイザー皇帝が君臨した後、ネコヒトというだけで迫害され、まるでバケモノを見るかのように冷ややかな目で見られる様になった、とも…

  …でも。

  「…確かに元気にはなったけど、それでキミが倒れてたら、今度は僕が心配だよ」

  「あっ…それもそうね…フフッ…」

  初対面のはずなのに、仮にも敵の目の前で笑うシーナを見ていると、とても迫害するべきだとか、バケモノだとか、とてもそんな事を思う気はしない。

  むしろ、何故か不思議と…安心出来た。

  …傷を治してくれたからかもしれないが。

  「あ…そういえばまだ、あなたのお名前を聞いてなかったわね…?」

  息が整ったのか、シーナはゆっくりと身を起こしながら問い掛けてくる。

  「もしよかったら、聞いてもいいかしら…?」

  そう言って僕の顔を見つめるシーナに、僕はゆっくりと口を開く。

  「ブリッツ…ブリッツ・シュトゥルーデル、だよ」

  「ブリッツ…いいお名前ね」

  そう言って微笑むシーナに釣られて、僕も自然と頬が緩むのを感じた。

  それと同時に、だいぶ時間が経っていたのか、ジリリリリ、と巡回時間終了のベルが鳴り響く。

  「ねぇ、ブリッツ…また、会える?」

  ベルの音を聞いて、やや不安そうな彼女に対し、僕はゆっくりと、けれどしっかりと頷いた。

  [newpage]

  ─次の日─

  巡回作業開始に合わせて、再び僕がシーナのいる区間に行くと、彼女はぬいぐるみと遊んでいた。

  「ねぇ、ブルエット。今日はわたし、ブリッツに会えるかしら…?」

  そう言って、言葉は発さずに身振り手振りでぬいぐるみを動かして会話(?)する彼女に、僕は声を掛ける。

  「やぁ、シーナ」

  「あ…ブリッツ…!ごめんなさい気付かなくて…」

  声を掛けられた彼女は僕へと振り向くと、再びぬいぐるみを胸に大事そうに抱えるようにして向き直った。

  「ううん、僕もちょうど今来た所だから」

  「そう…?ならいいのだけれど…」

  「………」

  「………」

  そう言ったところで、会話が途切れてしまう。

  同年代の女子とはこれまで何度か会話はした事はあったが、それはイヌヒト同士の話だ。

  ネコヒトとは、男女含めて会話した事がない…シーナを除いて。

  (とりあえず…何を話そうか)

  「えっと…シーナ?」

  「ひゃっ…!?な、なにかしら…?」

  「あ…ごめん、驚かせてしまって」

  「い、いえ…わたしもその…ごめんなさい」

  「………」

  「………」

  再びの沈黙。

  話したくても、僕はそもそもおしゃべりな方では無い。

  特に軍人になってからは私語を慎むのが当たり前だったから、殊更に。

  (…どうしよう)

  そう思って顎に手を当てて考える─と。

  ふと、シーナの抱き抱えるぬいぐるみが目に入った。

  「…ねぇ、シーナ。君が抱いている、そのぬいぐるみは?」

  「えっ?あっ…この子の事?」

  「うん。ずっと大事にしてるみたいだけど…」

  そう尋ねると、シーナはぬいぐるみをこちらに向けるようにして抱き抱える。

  「えっと…この子はブルエット。お母さんが作ってくれた、わたしの大切なお友達なの」

  「ブルエットか…ならせっかくだし、挨拶してもいいかい?」

  「ええ、もちろんよ」

  「それじゃあ…こんにちは、ブルエット」

  「ふふ…ブルエット、この人はブリッツ。仲良くしてあげてね」

  そう言って、ぬいぐるみ─ブルエットに話し掛けるシーナ。

  その様子は、どこか…妹のフリタを連想させて─

  「フリタ…」

  「えっ?」

  「あっ、いや、つい妹を思い出してね…なんでもないよ」

  つい口に出てしまっていたらしい。

  咄嗟に取り繕いながら微笑むと、シーナは少し曇った顔をした。

  「…シーナ?」

  「妹さん…」

  そう呟くと、シーナは鉄格子越しにブリッツへと顔を近づけ、

  「ねぇブリッツ…ここの収容所に、私のお母さんやお姉ちゃんは居ないかしら…?」

  「えっ…お姉ちゃんとお母さん?」

  「ええ…ここの収容所に入れられるまでは一緒だったんだけど、この牢屋とは別の所に入れられたみたいで…」

  「なるほど、家族で…お父さんは?」

  「…お父さんは…」

  聞いてからしまった、と思った。

  「ここに…連れてこられる前に…ベルマンの人達に…ううっ…グスッ…」

  シーナはポツリ、とそう言うと、目尻から涙を溢れさせながら静かに泣き始めてしまった。

  その姿が、ふとかつてのフリタと重なる。

  父を喪い、母に抱きしめられたあの後、部屋で静かに泣いていた姿が。

  (…この娘も、ここに来るまでにどれだけの悲しみを背負ってきたのだろう…)

  僕は自身のポケットをまさぐり…ハンカチを取り出し、鉄格子の間から手を入れてシーナへと手渡す。

  「…ごめん、もっと考えて聞くべきだったね」

  「ううん…グス…私の方こそ、いきなり泣いてしまってごめんなさい…」

  ハンカチを受け取ったシーナはそれで涙を拭うと、受け取ったハンカチをじっと見つめながら、ぽつぽつと話し始めた。

  「…私のお父さんやお母さん、お姉ちゃんが襲われたのは、私のせいなの」

  「えっ?」

  僕が突然の答えに呆気に取られていると、シーナは持っていたハンカチを膝の上に置き、両の手のひらを見つめる。

  「私が、あんなチカラを持ってるから…お姉ちゃんもお母さんも、あのチカラを持ってたから…だからきっと、ここに連れてこられたの…」

  「あのチカラ…それは、昨日僕のキズを治してくれた、あの光の事かい?」

  「…ええ。あの時は、あなたが辛そうで痛そうで…気付いたら、あのチカラを使ってたの」

  「そうか…なら僕は昨日、キミに知らず知らずの内に無理をさせていたんだね…」

  「ううん、そんな事ない…むしろ、こんなチカラでもあなたの役に立てて…嬉しかった」

  そう言うと、シーナは泣き腫らした顔で僕を見つめて、ニコリ、と微笑んでくれた。

  その微笑みに微笑んで返すと、僕は立ち上がって、襟を整える。

  「…?ブリッツ、どこへ行くの…?」

  「巡回の続きさ。これでも僕はここの兵士だから、やらなきゃいけないことが沢山あるんだ」

  「あ…!ごめんなさい!私…あなたを引き留めてしまって…!」

  慌てて謝るシーナに、僕は静かに首を振って答える。

  「ううん、君のせいじゃない。僕がキミと話したかっただけだから」

  そう伝えて踵を返そうとする瞬間、どこかシーナの顔が曇った様な気がした僕は、足を止める。

  「それに…」

  「?」

  何か言いかけた事に首を傾げるシーナに、僕は、半身で軽く振り返る。

  「シーナのお母さんとお姉さんも、探さないといけないからね」

  「…!ブリッツ…!」

  「何か分かったら、またキミに伝えるよ」

  そう言って彼女へ微笑みかけると、僕は巡回を再開した。

  [newpage]

  ─同日、捕虜収容所内─

  「失礼致します!」

  ノックと共にドアが解放され、室内へと兵士が入室する。

  「御多忙の所失礼致します!ドクトル!…ドクトル?」

  入室し、敬礼をする兵士の目の前で、大柄な人影が慌てた様にバタバタと右往左往する。

  「な、ななななんだ貴様は!?入室の際には一度入って良いか確認をしろと言われなかったのか!?」

  ドクトルと呼ばれた人影は憤慨しながら、早口で兵士に捲したてる。

  「も、申し訳ございません!何分、こちらへ赴任してから日が浅く…!」

  「言い訳などいい!要件はなんだ!」

  ドクトル─ブルットヴルストは苛立ちを隠さないまま、部屋の中央にあるデスクの椅子へとドカリ、と腰を下ろし、デスクの脇にあるイヌヒトを模したようなマスクを着けながら兵士を睨みつける。

  「ハ…!先日行われました、ネコヒトの生体電池転用作業が完了致しましたので、明後日の捕虜選別における助言を頂きたいと思い…!」

  「…貴様、そんなくだらん事で私の部屋へと不躾な現れ方をしたのか?」

  ブルットヴルストが苛立たしげにデスクへと爪を立て、トットッ、と音を鳴らす様子を見た兵士は、再度敬礼する。

  「ハッ…!?いえッ!先の非礼についてはお詫び致します!ただ…」

  「ただ、なんだ!?」

  「…その、現在収容している捕虜の人数が少なくなってきている為、成人のみからエネルギーを抽出するのは難しいのではないかと、現場から言われまして…!」

  焦りながら報告をする兵士に対し、ブルットヴルストは更に怒り狂う─

  ─どころか、マスクの下で呆れたような表情を浮かべながらゆっくりと立ち上がる。

  「そうか…やはりな」

  意外な答えに、兵士は狼狽えながらも問い掛ける。

  「ドクトル…もしかして、予測されていたのですか?」

  「当然だ。私を誰だと思っている?」

  そう言うと、ブルットヴルストはデスクに投げ出されていた拳銃を手に取り、弾倉などをチェックし始める。

  「私は天才なのだ。そのような事態も当然見越してある…故に貴様からの報告もな」

  ブルットヴルストは懐から取り出した何かを装填しカシャンッ、と弾倉を拳銃へ収めると、兵士を睨む。

  「それ故に私には許せん。貴様の様な想定外は。私が下等で下衆で下賎なネコヒトだという事を、陰で嘲笑っていた様な貴様はな」

  「!?ドクトル、何を─」

  ブルットヴルストから拳銃向けられた兵士が後退りするのと同時に、拳銃の引き金が引かれ…ガァン!という銃声と共に兵士の胸が貫かれる。

  「ぐ、あっ…!?」

  その衝撃に兵士はその場に倒れるが、兵士は痛みに耐え悶えながらも、撃たれた自身の胸を抑えつつブルットブルストを睨みつける。

  急所は外れていたお陰か、出血量はそうでも無いようだ。

  ブルットヴルストはというと、まゆで兵士の様子を観察する様に冷ややかな目で睨みながら、再び椅子へと腰を下ろす。

  「ドクトル…ッ…!な、ぜ…!?」

  ハァ、ハァと身を起こそうとする兵士への問い掛けに答えることなく、ブルットヴルストはデスク上にあるメモへとペンを奔らせながらブツブツと何かを呟く。

  「─5秒経過。被験者の状態は特に変化なし。推定では更に約5秒後には─」

  「ドクト…ウッ…!?ぐあぁぁーーッ!!?」

  突如として、兵士の胸辺りが紫色へと染まり、そこから脈動するようにして兵士の身体が痙攣し始める。

  「ガッ、ああアアアァーーーッ!!!」

  「─10秒経過。被験者の状態に変化アリ。着弾地点の胸部を中心として、全身に急激な細胞分裂に伴う自己回復と細胞の壊死を確認─」

  兵士の横へといつの間にか移動したブルットヴルストは、至って平然とした表情で兵士の瞳孔などを覗くように確認していき─

  ─やがて約30分後。

  ドアがにコンコン、とノックがされるのを受け、ブルットヴルストは外していたマスクを慌てて着け直しながら、ドアへと声を掛ける。

  「…なんだ!」

  『ハッ!先ほどドクトルより招集を受けた者であります!入室の許可を頂けますでしょうか!?』

  「─いいだろう、入れ!」

  そう声が掛かると、兵士は刺激しない為なのかゆっくりと入室し、すぐさまブルットヴルストへと敬礼をする。

  「失礼致します!ドクトル!今後の捕虜の扱いについて変更があるとかで…」

  「そうだ!成人だけで生体電池の生成が賄えないならそう!子供を使え!年齢は問わん!!」

  「!?こ…子どもを…ですか…!?」

  兵士は、告げられたあまりにも非人道的な手段に、つい口を挟んでしまう。

  すると、ブルットヴルストは声を荒らげながらデスクを両の拳でドンッ、と叩いた。

  「同じことを二度言わせるな!良いな!?」

  「ハ……ハッ!ではその様に伝達致します…!」

  

  有無を言わせぬ雰囲気に兵士がより背筋を伸ばして敬礼すると、ブルットヴルストはフンッ、と鼻を鳴らし、再びデスクの書類へとペンを奔らせはじめ─ふと思い付いたように口を開いた。

  「ところでそう─貴様は掃除は得意な方か?」

  「は?まぁ、多少の範囲であれば…」

  「ならば丁度良い。そこに転がっている"ゴミを片付け"てくれ」

  「は?………ッ!!?」

  兵士が、ブルットヴルストが書類へと顔を向けたまま指さした方向を見やると。

  そこには、全身が紫色に染まった状態で、まるでボールの形へと身体を無理やり降りたたむかの様に、手足が変形した状態で丸まって絶命している兵士がいた。

  「ドクトル、これは─」

  「悪いが早急に片付けてくれ。そしてそいつに関する詮索や質問は一切受け付けん。これ以上天才である私の時間を浪費するなど、戦争犯罪に匹敵するレベルの愚行だからな」

  ブルットヴルストは、先刻の興味深々だった態度から一変して変死している兵士へと目を向けること無く、何事も無かったかのように再び書類へと目を通してはペンを動かす。

  「中々良いデータが取れた…この結果は存分に役立ててやろう…ハハハハハ!」

  狂気を纏ったその雰囲気に、有無を言わせぬ者を感じとった兵士は無言で敬礼をした後、小声で無線連絡をしながら"ゴミの片付け"の準備に取り掛かった。

  [newpage]

  ─翌日─

  ─収容所内 C-7区間─

  「…少し残っちゃったわね…大丈夫…?まだ痛んだりする…?」

  「あぁ、これくらいは平気だよ。訓練してたらケガすることなんて沢山あったし…傷痕なんて気にしないさ」

  鉄格子越しに、シーナの手が僕の額へと触れる。

  やはり牢屋は寒いのだろう。冷たくひんやりとした柔らかな手が、傷口に触れないように添えられる。

  でも、シーナはそんなことを気にする素振りもなく、むしろやや泣きそうな顔をしながら僕を見つめる。

  「でも…もう少し私が頑張れてれば、それも直せたかもしれないのに…ごめんなさい」

  「キミが謝る必要なんて無いよ。むしろ治してくれて感謝してる」

  「…ううん、私は…そんな…」

  物憂げに下を向いて否定するシーナに、僕は手を伸ばして肩に手を置く。

  「えっ?なに、ブリッツ…」

  「ところで…ひとつ聞いてくれ。一度しか言わないから」

  「?どうしたのブリッツ…?」

  真剣な表情だったのか、不安そうな顔をするシーナへ、僕はシーッ…と自分の口元に人差し指を立て、左右に誰も居ないことを確認する。

  「…今日の夜、ここから逃げよう」

  「逃げる…?逃げるって、でもどうして…!?」

  「それは─」

  [newpage]

  ─同日 数時間前─

  「─以上が本日の計画である!そして─看守班!」

  名目上この施設の看守長が言うと「ハッ!」という、威勢の良い返事と共に、兵士が一歩前へと歩み出る。

  「看守班は、明日の午前8時をもって今後捕虜の青少年に対しても生体電池に利用する事が決定した!これは開発部門との協議の結果である!」

  (生体電池を…子どもにまで…!?)

  驚くブリッツの耳に、さらに衝撃の言葉が届く。

  「A、Bブロックは本日!明日はC、Dブロック!今後は朝礼後、各2区画毎に捕虜を回収し、所定の場所まで連行する事!鍵は各々の担当者が持て!良いか!」

  「「「ハッ!」」」

  敬礼をしながら、ブリッツの顔には焦りが滲んでいた。

  明日。

  明日までにここから逃げさせねば。

  シーナが─

  (危ない…!!)

  [newpage]

  ─現在─

  「─ブリッツ…ねぇ、ブリッツ…?」

  僕が口を開けないでいると、シーナが覗き込むように顔を鉄格子に近付け、僕を見つめる。

  僕は、理由を言おうと口を開きかけ─

  (─言うべきだろうか。いや、この娘に伝えるに内容にしてはショックが強すぎる。仮に詳細を教えなくても、きっと勘づく─)

  ─そう考えて、口を噤んだ。

  「…どうしたの?」

  「…ごめん、ここでは言えない…でも外に出たら、ちゃんと伝えるから」

  「…分かったわ。でも…逃げられるかしら…?」

  不安そうな顔を浮かべるシーナ。

  正直、僕も良い方法やどうしたらいいとかそんな事は分からない。

  こことは違い、外はどこもかしこも兵士が巡回してるし、見つかる可能性だって十二分にある。

  でも。

  「大丈夫。僕がどうにかするから」

  そう言って、僕は精一杯、無理矢理に微笑んだ。

  [newpage]

  ─同日、深夜─

  辺りもすっかり寝静まった宿舎。

  (…よし)

  僕は、同室の兵士達に気付かれないよう、音を立てずにこっそりと抜け出すと、巡回の目が無いことを確認しながら、シーナのいる区間へと走った。

  本当は、体力を温存する為と怪しまれない様に歩いて向かいたかったが、そんな余裕も悠長にしている時間も無い。

  (…昼間のうちにワイヤーカッターも確認した。まずは彼女を牢屋から出して、ワイヤーカッターでフェンスを切って脱出。単純だしバレるけど、彼女が逃げ出せれば問題ない)

  そうして思考を巡らせているうちに、シーナの居る区間へと辿り着く。

  正面には見張りの兵士がいる為、僕は裏手へまわると予め用意しておいたワイヤーカッターを壁に立て掛け、それを足場にして通気口からダクト内へと侵入する。

  途端に、全く清掃されてないからか埃まみれな状態にむせそうになるのを堪えながら、僕はダクト内部を進み…見つけた出口の蓋から顔を半分出すようにしながら辺りを見回す。

  (ここは…)

  いつも見ている視点とは違う為、少々判断に迷ったが…どうやら、目的のC-7区間…シーナのいる区間らしかった。

  (よし…)

  僕は、ダクトの蓋を外側に押し出すようにして開けると、ダクトの下部にある看守用のデスクへと降り立ち、シーナのいる収監房へと向かう。

  幸い、外に警備を回しているからだろうか。内部にはほとんど監視がないようだった。

  (とはいえ、見つかれば懲罰確定。そしてシーナを助けることは出来なくなる…)

  そう思い、僕は壁に背をピッタリ付けるようにして進路を覗き込み確保しながら、彼女のいる収監房へと向かう。

  そうして数十分後。

  ようやくシーナの牢屋の前に辿り着いた僕は、牢屋の隅で縮こまっていたシーナへと小声で呼び掛ける。

  「シーナ…シーナ…!」

  「あ…!ブリッツ…!」

  冷房のせいなのか、シーナは身体を震わせながら歩み寄り、鉄格子の前に来る。

  「寒いんだね…でももう大丈夫だよ。今カギを…」

  そう言って、腰に吊り下げていた鍵を取ろうとすると、シーナは小声で制してきた。

  「待って…!お母さんとお姉ちゃんも一緒に…!」

  シーナは懇願する様に頼んできたが、僕は顔を俯かせながら伝える。

  「…君から教えられて探してみたんだけど…ごめん、僕の方では見つからなかったよ」

  「そう…そうなのね…捜してくれてありがとう、ブリッツ」

  「いや…僕の方こそ、期待に応えられなくてごめんよ。さぁ、外に…」

  そう言って、鍵を開けようとした時だった。

  「こんな夜中に中でなにやら物音がすると思えば…ブリッツ、貴様だったとはな」

  「!?」

  声のする方向へと顔を向けると、そこにはかつて僕を殴った兵士…上等兵が居た。

  「上等兵殿…!」

  「悪いが、後をつけて見させてもらっていた…随分ととんでもない事をやろうしていたな?」

  「くっ…!」

  跡をつけられていた事に気付けなかった事に歯噛みすると、上等兵は下卑た笑みを浮かべてこちらへと歩み寄ってくる。

  「まぁ、俺も鬼じゃあない…その鍵を渡してくれれば、この場は無かったことにしてやろう…」

  そうして僕の前へと来た上等兵は顔をグイッと眼前に近付ける。

  「最も、その後の貴様の待遇には保証できかねるがな」

  そう言うと、上等兵はそのまカギを要求するように手のひらを差し出しながら告げる。

  「さぁ…寄越せ」

  「…拒否します」

  「…なに?」

  「拒否します。彼女は僕が守る」

  ヒクヒクと口元を歪ませる上等兵に対して、僕は強く言い放った。

  「…このシッポにかけて!」

  その言葉を言った瞬間、上等兵の顔に青スジが浮かび上がり、思わず声を上げてしまいそうなほどに睨み付けてきた。

  「こ、の…裏切り者の分際で、よくも言っ…!!」

  「あぁ。よく言った少年」

  突如、上等兵の背後から見知らぬ声が聴こえたかと思った瞬間、ガシャアンッ!という音と共に、上等兵の身体が鉄格子に勢いよく叩きつけられた。

  「がっ…!!?」

  「っ!?」

  突然の出来事に言葉を失っていると、叩きつけられた上等兵は鼻血を噴き出しながら、まるで紙をはがすように鉄格子から離れ…その場に横たわった。

  どうやら気絶したらしい。

  すると、先程まで上等兵が立っていた所の後ろから、目深にフードを被った、黒い外套の人物が姿を現した。

  僕らの倍近くある背丈から見るに、恐らく成人だろう。肩幅に至っては、上等兵など可愛いものだった。

  「あ…えっ…!?」

  あまりの突然の展開に戸惑いを隠せないシーナの横で、僕はすぐさま腰のホルスターへと手をかけ、銃を突きつける。

  「っ…!お前は誰だ…!敵か…!?」

  すると、その人物はゆっくりと両手を上げ、降参のポーズを取る。

  「いや、味方だ…密命でな。君達を助ける様に言われている」

  低めの声からして、どうやらというかやはりというか…男性らしい。

  だが、顔はフードにすっぽりと覆われていて、イヌヒトなのかネコヒトなのかどうかも分からない。

  そんな相手に僕は跪くように銃を動かすと、その男は大人しく両手を上げたまま膝立ちの状態になった。

  その隙を縫うように、僕は牢屋のカギを開けると、シーナを引っ張るようにして背後に隠す。

  すると、外套の男が口を開いた。

  「先程も伝えたが、俺は君達の味方だ…ここを逃げ出すんだろう?」

  「…悪いけど、あなたが今起こした行動は十分に味方か怪しいレベルだ。その男から助けてもらったのは感謝するけど、格好と言い正直怪し過ぎる」

  「…至極真っ当な意見だな。だがこれも先程伝えたが─密命なんだ。僕に関する詳細は一切伝えられない」

  「…話が平行線だね。それじゃあ信用する事も─」

  そう言いかけた時だった。

  区画内から一斉にアラート音が鳴り響き、僕たちの視界を赤い光が覆い尽くした。

  「これは…!?」

  「…どうやら感付かれたらしいな。おそらく防犯カメラか何かで見られたんだろう」

  その音に対し、僕が立ち上がるのに合わせて、彼もまたゆっくりと立ち上がる。

  「動くな!」

  「お言葉だが、このままだと敵が集まってくるだろう。それで仲良くお縄につきたいというのなら、話は別だが」

  「っ…」

  しばらく思考をめぐらせた後、僕はホルスターに銃を戻した。

  それに合わせて、彼も降参のポーズを取りやめると、顎で示すように首を動かしながら「こっちだ」と言い、走っていく。

  僕もそれを追いかけるようにシーナの手を取ると、シーナは不安そうに顔を俯かせる。

  「シーナ、急がないと…」

  「でも…大丈夫?あの人、本当に信じていいのかしら…?」

  僕は彼女の手を引きながら、男の背を追いかけつつ答える。

  「…正直分からない。けど、今は緊急事態だ…信じるしかないよ」

  「…そうね、今は信じるしか…」

  そう答えながら僕は男の背を追いかける。

  男は僕達より先に走っていたが、常に僕達が追いつく時の道には、兵士達が伸びていた。

  どうやら、先行して敵を倒していってくれているらしい。

  倒れた兵士を踏まないように避けながら進んでいく、と…やがて施設の裏口に出た。

  「遅いぞ」

  そう言うと、男は僕が用意していたワイヤーカッターでフェンスを切り始める。

  辺りを見回すと、やはり見張りの兵がのびていた…どうやらこれも倒してくれていたらしい。

  「…ありがとう、助かった」

  僕がそう言うと、男は、

  「気にしなくていい。俺も君達の他に目的があったからな」

  と、こちらを振り向きもせず淡々と返した。

  「…ところで、どうして私達を助けに来てくれたの…?密命、って言ってたけどそれって…?」

  「…悪いが、それには答えられない。ただひとつ言えるなら…」

  その時だった。

  「居たぞ!フェンスの前だー!!」

  建物の壁から兵士達が飛び出し、こちらを見つけ叫んだ。

  どうやら見つかったらしい。

  「クッ…!もう…!」

  僕がホルスターに手を伸ばすのと同時に、カシャンッ!という音が響く。

  その音に振り返ると、外套の男が切ったフェンスを蹴り倒していた。

  丁度、僕らの背丈で通れそうな幅の穴が開いている。

  「開いたぞ!急げッ!」

  「分かった!シーナっ!」

  僕が男へ頷き、シーナの手を取ろうとした瞬間、ダダダダンッ!という銃声が鳴り響く。

  「危ないッ!!」

  「アーシャリヤ・オーリールーサ!」

  男が叫ぶのと同時に、シーナが僕の手を引くように飛び出して前に立ち唱えると、目の前に青白く輝く壁のようなものが出来上がる。

  その壁─シールドは弾丸をめり込む様に受け止めると、その場へパラパラと落とし、勢いを殺した。

  「シーナ!」

  僕が彼女の名を叫ぶと、シーナはチラリとこちらを見て、安堵したように微笑み…糸が切れるようにその場に倒れた。

  「シーナ!?シーナっ!!」

  すぐに身体を揺り起こすも、反応がない。

  呼吸はしている事から、辛うじて生きてはいるみたいだが…

  「防がれただと!?」

  「あのガキの呪術だ!もう一度撃てェ!」

  その声にハッとして顔を上げると、兵士達が再び銃を構えていた。

  (マズイ…今度は躱しきれないッ…!)

  僕は、咄嗟にシーナへと覆い被さる。

  それと同時に、再び銃声が鳴り響く。

  (ダメだ、もうッ─!!)

  僕は、着弾の痛みに耐えるべく全身をを強ばらせる─

  「………?」

  だが、いつまで経っても着弾は無かった。

  恐る恐る目を開けると、外套の男が僕達2人を守るかの様に、黄緑に光るシールドを展開していた。

  そのシールドは先程のシーナよりも大きく…まさに壁と言っていいほどの大きさと高さを持っていた。

  「!?これは…!?」

  「早くしろ!いつまで保つか分からないぞ!!」

  「でも…!」

  「俺の使命は君達を救う事…それが果たされれば何も問題は無い!」

  「クッ…!」

  僕は開いたフェンスとシーナ、そして男を振り返りながら逡巡し…

  「っ…!分かった!!」

  僕はシーナをおぶると、彼女にフェンスの切れ端がぶつからない様に慎重に通り抜け、男へと叫ぶ。

  「抜けた!あなたも一緒に─っ!?」

  そう叫んで、再び気付く。

  男の背丈では、どう屈んでもここは通れない。

  すなわち。

  「俺はいい!その子を守れ!横からも来るぞ!」

  「でも!」

  「誓ったんだろう!?シッポにかけて護ると!」

  「…!」

  「俺は大丈夫だ!走れ!ブリッツ!!」

  「………ッ!」

  僕は歯噛みすると、振り向かないように走る。

  せめて無事でいてほしいと、そう願いながら。

  [newpage]

  「─う…うん…?」

  「あ…!シーナ…!よかった…」

  「ブリッツ…?ここは…」

  シーナがゆっくりと目を開け、僕を見つめる。

  その事に安堵しながらも、僕は口元に人差し指を当て、静かにするように促す。

  そして、辺りを見回して敵が居ない事を確認すると…人差し指を下ろした。

  「…ここは見ての通り、洞窟の中だよ。僕達は今収容所から逃げてる真っ最中なんだ」

  「あ…道理で夜にしては変だと思ったわ、なんて…フフ…」

  彼女が笑うのに釣られて、僕も微笑む。

  よかった、元気そうだ。

  「あ…そういえば、あの人は…?」

  シーナへの問いかけに、僕は少し考えた後…首を振って答える。

  「…分からない。一緒に逃げたんだけど、無我夢中だったから途中ではぐれてしまって…」

  「そう…なの…」

  落ち込む彼女に、心の中で『嘘をついてごめん』と謝る。

  恐らく彼女の事だ。正直に伝えれば、きっと自分を責めて落ち込み、逃げるのを躊躇うだろう。

  そして何より─

  『誓ったんだろう!?シッポにかけて護ると!』

  そう、誓ったんだ。

  シッポにかけて─

  生命よりも大切にするという意味合いの言葉。

  国を隔てても、その意味は万国共通─らしい。

  それ故に、その意味も重い。

  だから─

  僕はシーナの手を包む様に握り、しっかりと見据えて、伝える。

  「大丈夫、キミは僕が守るよ…このシッポにかけて」

  「…うん、ありがとう、ブリッツ」

  ようやく彼女が笑顔を取り戻したのを見て微笑むと、僕は彼女の手を繋いで、洞窟の出口から様子を伺う。

  幸い、兵士が周囲に居る様子ないし、包囲されている様子も無い─今なら、なんとか行けそうだ。

  僕はシーナの顔を見て、彼女と共に頷くと洞窟を出る─

  が。

  「あっ─!」

  洞窟を出てすぐの所に、ピアノ線が張り巡らされていた。

  そしてそれは、踏み出そうとした僕とシーナの目の前にも、足元にも─

  カチッ。

  スイッチが入る様な音が響いたと思った瞬間、僕は咄嗟にシーナを抱き抱えるように庇い─

  直後、背中から吹き飛ばされる様に僕らの身体は洞窟から弾き出された。

  「うわあ…っ!?」

  「キャア…ッ!!」

  慣性の乗った僕とシーナの身体は、ボールの様に地面をゴロゴロと転がり…僕の身体を木の根元へとぶつけるようにして、ようやく静止した。

  「グハッ…!がっ…!」

  「あっ…!ブリッツ!私を庇って、そんな…!大丈夫っ!?」

  「はっ…あぁ…大丈夫…ちょっと身体を打っただけさ…」

  腕の中で、シーナが僕を心配そうに見つめるのに対して、僕は痛みを堪えながら微笑む。

  すると、先程の洞窟付近に差し掛かるように足音が聞こえ出した。

  「さっきの爆発音はここからか!?」

  「ああ、逃亡者用のトラップが作動したようだ。まだ近くにいるぞ!」

  そう言って、兵士達はこちらへと走ってくる。

  (マズイ…!)

  「シーナ…っ、先に行ってくれ、後で絶対追いつく、から…っ!」

  「ダメよブリッツ…!そんな身体で動いちゃ…!」

  全身に迸る鈍痛を堪えながら、僕は肩で息をしつつ、フラフラと立ち上がる。

  「フフ…僕はこう見えて、案外頑丈なんだ…だから、ちょっと休むだけ…絶対、追いつく、よ…」

  その言葉に、シーナはまだ何か言いたそうだったが…

  立ち上がって精一杯微笑む僕の顔を見て、泣きそうな表情で尋ねる。

  「…本当に、大丈夫…っ?」

  「あぁ…大丈夫…絶対だよ……行って…!」

  「………分かったわ…!」

  シーナは目尻に溜まった涙を拭うと、こちらを見て数歩後退りをし…そのまま、ブルエットを抱えるようにして走り出した。

  (これで大丈夫…)

  そう思い、彼女の背中へと微笑みかけると─僕はわざと音を立てながら痛む体を押して、シーナが行った方向とは別の方向へと走り出す。

  彼女を傷つけさせはしない。

  そして…故郷の家族も。

  みんな、僕が守るんだ。

  [newpage]

  「ブリッツ…大丈夫かしら…」

  夜。

  ブリッツが居たところとは反対の方角にある森。

  その中で、シーナは木の根元で寒さに耐えながら、縮こまるようにして羽織っているケープをより深く纏う。

  逃げ出したはいいが、食べ物もなく、寒さを凌ぐ場所も方法もない。

  「…お母さん…お姉ちゃん…」

  シーナの目に涙が浮かぶ。

  「お父さん…っ…」

  目を閉じると、家族との楽しかった思い出が次々に浮かんでは、ゆっくりと霞のように消えていく。

  シーナは、一筋の涙を頬に伝わせながら…家族の温もりとは真逆の寒さに、まるで引き込まれるように眠った。

  「…」

  そうして数時間が経っただろうか。

  シーナの傍らに、黒い影が座りこむ。

  影は、寝静まったシーナの顔を覗き込むように見ると、起こさない様にそっと抱き抱える。

  「…こんな所で寝ていたら、風邪をひくよ」

  影はシーナを抱き抱えたまま立ち上がると、夜の森へと歩を進めていく。

  「大丈夫、君をこのまま寂しいままで死なせたりはしない」

  その声音は、まるで兄が妹に囁くように優しいものだった。

  そして…影はシーナと共に、森の中へと姿を消した。

  [newpage]

  朝。

  朝日が木々の間から照らす様に射し込み、小鳥がさえずる。

  シーナは、その朝日とさえずりに起こされる様に、ゆっくりと目を開ける。

  「…ここは…?」

  そこは、シーナの記憶とは違う場所のように感じた。

  「確か、私…木の根元で寝ていたような…」

  シーナは記憶の糸を辿りながら思い出そうとする。

  確かに木の根元で寝ていた。だが、今は何故か…

  「でも、この落ち葉…まるでベッドみたい。ふかふか…」

  そうして、シーナがベッドに触れた時だった。

  ガサッ、ガサッ、と一定のリズムを刻みながら、落ち葉を踏む音が辺りに響く。

  それはそう、まるで─

  (足音…!ベルマン軍の追手が来たんだわ…!)

  シーナはブルエットを抱き抱えるとすぐさま立ち上がり、再び森の中を駆ける。

  するとその足音に気付いたのか、

  「足音だ!誰か居るぞ!!」

  と、足音の主…ベルマン軍の兵士が、他の兵士に声を掛ける。

  キュラララ…という履帯の音が響くのを見ると、戦車も同伴している様だ。

  「はぁっ…はぁっ…はぁっ…!!」

  しかし、シーナはそんなことを気にする余裕も無く、ただ無我夢中に森の中を走る。走る。走る。

  そして…

  「見つけたぞ!ネコヒトのガキだ!!」

  「ひっ…!?」

  まるで道のように拓けた一本道にシーナが飛び出ると同時に、兵士の声がすぐ後ろから響く。

  シーナはその声に驚き、勢い余ってその場に転んでしまった。

  「あっ…うっ…」

  シーナが痛みに蹲ると兵士達は走るのをやめ、ザッザッ、と足音を響かせながらシーナに近づく。

  「ったく、ちょこまかと逃げやがってガキが…」

  「っ…!」

  シーナは、兵士へのあまりの恐怖に怯えながら、ブルエットを抱き締めて縮こまる。

  そんなシーナに、兵士が手を掛けようとした時だった。

  「う、うわぁ!?なんだあれは!!」

  「でっ…デカいッ!!」

  突然、兵士達が怯えた様子で震えながら一点を見つめる。

  捕まえられる、と思っていたシーナは、手が掛けられない事に困惑し、恐る恐る兵士達の見ている方向を見る。

  するとそこには…

  「えっ…?」

  それはまるで山のように大きく、その側面には大砲や銃座を三対取り付けた、ベルマン軍の戦車よりも大きな巨大戦車…タラニスが居た。

  これは、有り得たかもしれない…そして、起こっていたかもしれない物語─

  完

AdAd