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モフ好きガール×モフボーイ=ちょうあいされルートを開墾します!

  「はぁ……どうしよう。今日もモフが尊すぎて地球が滅亡して再生する」

  ミチルは手の中のモルモットを撫でながら、今世で通算100億回めのセリフを吐いた。友人のうんざり顔なんて知らないし、関係ない。モフスキーは今日も人類を代表して咆哮する。

  (1) この女ども、人外好きにつき

  穏やかに晴れた青空が広く澄み渡る見事な小春日和。優しい陽だまりが降り注ぐ小さな動物園は親子連れで賑わっている。動物園といっても全国に名を轟かせるような名物なんちゃらがいるわけでなく、芝生の上で小モフと触れ合えるのがメインのほのぼのとした動物公園だ。

  「ミチルのハーフアップ×黄色のニットワンピ×ワインレッドのバッグは『美女と野獣が大好きです、なんなら野獣最推しです、地球ありがとう』という主張コーデだと一目でわかるのが素晴らしいよ(一息)」

  「わぁ♡説明的セリフをありがとう!サクヤこそ!パンプスのバイソンがキリっとカッコよくて『人外CPならウロコ系が大好きですよろしくおねがいします』という主張が伝わるよ♡♡♡(一息)」

  オタク同士の140字以内での褒め合いはさておき、入場するやいなや、二人は真先に『ゲストコーナー』にダッシュした。

  「パカちゃーーーーん!!!」

  ミチルはほぼ親子だけの行列を飛び越えたいのをおさえて、モフを尊んでいる。

  「かわいい……かわいいよぉ……なにあの生命体?どうやって誕生したの?なにがどうしてどうなってこんな進化にたどりついたの?なんで?どうして?地球ありがとう。アルパカの可愛さによりこの星は百億回滅亡して百億回再生しました。やっぱり地球ありがとう」

  三十路前女が拝んでいるおぞましい絵面はさておき、今日も動物園は賑々しい。まだ未就学であろう小さな子供達は、おそるおそる触っては初めてのモフの感触にキャーと綿菓子のような声をあげ、親は我が子と動物を一緒に写真に撮ったりと『正しく』楽しんでいる。

  綿菓子のような子供たちに交じってアルパカ専用の行列に並ぶミチルはワクワク顔が隠し切れない。撮影係の咲耶はスマホのアプリを開いたり、一眼レフの電源をいれたりと、万全のスタンバイをしていた。

  「パカちゃーーーーん!!!」

  順番が来るとミチルはわしゃわしゃと目の前の動物を撫で付ける。会えて嬉しい、を全力で表現!昭和と言われても『ムツゴロウさん』としか言いようがない!

  「ふわー!もこーー!!」

  「ほら、写真撮るよ」

  「かわいいいいい!」

  「やかましい!おちつけ!」

  咲耶の被写体は撮っている方が幸せになってしまうのだから困ったものだ!

  *****************************

  ふれあい時間が終了し、今度は二人はふれあいコーナーでモルモットを撫でていた。

  「ありがとね、咲耶」

  「んー?」

  「実は最近落ち込んでてさ」

  「あぁ」

  「でも癒された!やっぱさぁ?好きなものがあるっていいね?モフって絶対マイナスイオン出てるし」

  「モフはいいよな」

  「うん」

  「だがな、モフを愛でる青年もまたいいぞ……」

  彼女の視線はオレンジ色のつなぎの作業着を着た飼育係の青年にロックオンされている。いつもなら青年×モフ♀から人外カプ語りを一緒に盛り上がってくれるミチルが、今日は元気がない。

  「はぁ。飼育員さん見てたら思い出しちゃった。ちょっと弱音言っていい?」

  「ん?」

  二人で売店横のベンチに腰掛けると、サクヤが自動販売機で買った甘いカフェオレを渡す。手のひらのあたたかさが優しくてほぉ、とため息が出た

  「ハム太って覚えてる?」

  「小学校でいきものがかりだった?」

  ハム太はミチルと咲耶と同様、いつもいきものがかりに立候補していた同級生。家の距離が二人より遠いにもかかわらず、いつも一番乗りで飼育小屋に居た。ウサギやモルモットだけでなく、ニワトリ、ザリガニ、水槽の魚。学校にいる生き物全てを可愛がっていた男の子。食事量、毛並み、毛ツヤ……些細なことまで大人顔負けのメモを書いていたことで担任を驚かせ、ミチルがシートン、ドリトルなんて単語を覚えたり、生き物が食べるから、と植物に詳しくならざるをえなかったのも彼の影響だった。ミチルがモフを愛でるのとは別の愛情のカタチを学んだものだ。

  そんな彼の『ハム太』なんてあだ名の由来は学校のハムスターの観察記録で賞をとったから。本名がハルタだった彼が自分から名乗っていたのもカッコよかった。

  「ちょっと前にハム太とFN(フェイス・ノート)で逢ったんだ?で、メッセしてみたの!高校は違ったけど、恋愛とかじゃなくってあいつのこと好きだったから」

  「モフ好きに悪人はいないしな」

  「そしたら……ハム太、小動物専門のクリニックに勤めたって話でーーーー」

  「へぇ!すごい!小学生のころから言ってたもんな!あいつのことだからきっと全力でモフ達を助けるだろうし!それはすごい!」

  「それでいろいろ嫉妬しちゃって」

  ミチルの目にじわじわと涙が浮かぶ。

  「えぇ?はぁ?なんで?いや、わからんでもないけどさ」

  「じゃあ、言い方、替えるよ?」

  「お?おう」

  「ハム太は『動物のお医者さん』になったんだよ!!」

  「はっ!まさかっ!」

  「そうだよ!あいつ!しかもH大だよ!?本人から聞いたからね!?ホントだから!!ハム●ルの真似かって聞いたらそうだって!本人は飼ってないけど職場にハスキー犬がいるらしいよ!?」

  「ぐはああああ!!」

  サクヤも胸に手を当ててよろめいている。ダメージを隠し切れないのか、よろけた数秒後にはベンチに伏せてしまった。

  「きっといつかは個人の動物医院を持つんでしょ?そんなの全動物好きの鑑だよね!?眩しすぎるよ!もぉあたし、モフ好きとか自称できないよぉ!!」

  「あいつに漫画貸したの私だったのに……ハムハムするとか……」

  彼女らの話している漫画とは、他社といえど説明するまでもない平成初期の伝説漫画のことだ。ハム●ルは例の動物漫画の主人公のことで、メイン舞台のH大は当時の読者なら憧れた大学だった。小学生の頃は「自分も行きたい」なんて言えたのに、高校生にもなれば現実を知る。「無理」と自分に言い聞かせたほろ苦い思い出もきっと日本中でよくあった話。サクヤもミチルも例外ではない。

  「それでここんとこ落ち込んでたの。勝手に嫉妬してるって解ってるよ?ぜーーーんぶハム太の努力の結果だよ!?だけど自分の人生と比べちゃってさ?」

  「いや、これはクルって」

  ここ数年は他人に劣等感を抱くこともなかったというのに!

  立派すぎる人間の後光は時に精神のアイアン・メイデン!!早い話、死ぬ。

  「あたしはモフが好きって言いながら自分のことしか考えてなかったよなーって。モフのためになーーーんもしてこなかったなって落ち込んじゃってさ?ここまで自分のことしか考えてない人生もどうよってなっちゃって……」

  「うんまぁ、おちつけ?それでもさ?あんたなりにモフを愛してきたからこそ、できるなにかがあるとは思うよ?」

  「そう‥…かなぁ?」

  「あんたがシロのこと吹っ切れてるなら犬カフェをつくるとか?それとか美女と野獣好きを発信するとか?」

  「いいのかな。そんなことで」

  「これまで好きなことしかしていなかったと反省しているなら、これからは好きなことで自分と他人も幸せになれることを探せばいいじゃないか。あんたの性癖でできることがあるだろう?」

  「サクヤぁ……好きぃ」

  涙がボロボロボロボロととまらない。よしよし、と咲耶が頭を撫でるのでミチルが「うわあああ」と声を出して泣いた。

  「ハルタの話聞いてさ?やっぱあたしも獣医になりたかった、とかいろんなのが爆発しかけちゃって!ついでにシロのことも思い出しちゃって!!」

  「うん」

  「あたしが獣医学部に進んでいたらシロが死ぬ前にもっとなにかできたかもとか。もう、いろんなのがぐっちゃぐちゃだったの」

  「だよな」

  「くやしいよぉ。なんで獣医になるのやめちゃったんだろ。なんで周りに無理って言われたの、真にウケちゃったんだろぉ」

  「ミチル……」

  「なんであたし、モフと関係ない会社に就職してんの!?会社に近くても犬(モフ)も飼えないアパートで生きる人生って生きてる意味あるの?なんで?もぉ自分でも意味わかんない!」

  サクヤにも痛いほどその気持ちはわかる。

  やらなかった後悔はずっと引きずる。

  好きなことをして生きるって?どうやって?

  今どきの生き方をする勇気や覚悟はいくらで売っているんだろう?

  ねぇ神様?

  今どきの生き方の切符って どうやったら手に入りますか?

  いくらで売ってますか?

  二人の心痛とは裏腹に、すみ渡る晴れた青空、ふりそそぐ陽だまり、秋冬色の芝生、子供たちのシャボン玉のように弾ける楽しそうな声。ポスターの加工写真のように綺麗で美しい風景――――に、大人の悲痛が溶ける!

  「きゃあああああああああああ!!!」

  「いゃあああああああああああ!!!!!!」

  「うわああああああ!!!」

  「はぁ!?」

  「なに!?」」

  先ほどまでゆったりまったりだった公園に、大きな白のワゴン車が猪のように荒々しく乗り込んできた!爆音を鳴らしながら暴走する車は芝生を右往左往しながら、あきらかに小さな子らを目掛けて突進してくる!自分の子供を抱きかかえた母親達がトイレや売店などの建物に逃げ出している!

  「うっそ」

  「ちょ!逃げるよ!ミチル!」

  ミチルとサクヤも売店の中に逃げようとしたときだった!幼女がモルモットのいるふれあい広場に向かって走り出したのだ!

  ギュルギュルと方向転換したワゴン車がモルモットを助けようとしている少女を狙う。悲鳴をあげながら追いかけていた母親は脚をもつれさせ転んでしまった!その場にいた誰もが恐怖と絶望の底で固まっていた。とき!

  「だああめぇぇぇぇぇぇぇえぇえええええええ!!!!!!!!」

  大きな怒声をあげたミチルがモルモットを抱きしめる少女を拾いあげ走ると、母親めがけてほおりなげた!

  ******************

  夕方のニュースでは通り魔犯人の逮捕と一人の女性の死亡が報道されたが、黄色のワンピースを着た彼女が少女を助けたことが譚(はな)されることはなかった。

  [newpage]

  

  (2)【もしも生まれ変われるならば】

  真白なまっしろな空間 なにもない 誰もいない

  右も左も前も後ろも上も下も 全部真っ白

  『犬飼ミチルさん』

  「は、はい?」

  ミチルは天を仰いで声に応えた。

  『ここがどこかわかりますか?』

  『先ほどまであなたはどこに居たのか覚えていますか?』

  「えぇとーーふれあいコーナーに……」

  『そこでなにがありました?』

  「モフ達とのふれあいコーナーに暴走車が突っ込んできて……子供をひこうとして……沢山の人が逃げてて。でもお母さんから離れたから子がいてーーそう!だからあたし、助けようとしてーーー」

  ミチルの声が次第にか細くなる。一緒にいたサクヤはいないし、今現在、ここは芝生でも動物公園でもないし、モフ達もいない。

  「もしかして……あたし、死にました?」

  『おや、受け入れが早い。大抵の人はここで気が狂うんですけどね?』

  「あの!私が助けたあの子は生きてますか?」

  『はい。怪我もなく、翌々日から幼稚園に通っていますよ』

  「よかった」

  ミチルの口から、はぁ、と安堵のため息が漏れる。

  (これであたしも死んだ甲斐がーーー)

  『それがですねぇ?あまりよくはないんです』

  「はい?」

  『実はあの子は件の暴走車に轢かれる『予定(うんめい)』だったんですよ』

  「え?」

  『安心してください。轢かれて入院はしますが、奇跡的に死ぬことは有りませんでした。壮絶なリハビリを経て、過度な運動ができない程度の肉体まで復帰します。彼女は自身の命が救われた経験から医学に献身する運命(シナリオ)だったのです』

  「え?え?」

  『彼女は小児外科医として沢山の命を救い、活躍します。また、日本だけでなく、海外にも彼女の名と共に志が知れ渡る。そして大きな財団の協力のもと、事故でハンディを背負う方々のための施設を作り上げるのです。すると今度は沢山の補助用コンピューターが開発されますね?当然のように、車椅子、義足の開発が日本で爆発的に進歩します。さらに日本全国でインフラ設備の助長、法の改定までもが見直されることとなりーー』

  「え!ちょwまっwwwストップストップストーーーーーーーップ!!」

  ミチルがぶんぶんと大きく手でバツを作って、いったん待ってコール!!

  「じゃあ、あたしって……無駄死に?」

  『そこまでは言いません。彼女には違う方法で壮絶な幼少期を送ってもらうことになった。それだけです』

  やっぱあたし無駄死にじゃん!

  「ま、マジかーーーーorz」

  『こちらも驚きましたよ。本来でしたらあなたも立ちすくんだまま動けない傍観者(モブ)の予定でしたから』

  「うん。まぁ、だよね?(モブって言っちゃうんだ)」

  『あなたがやったことは絶対に褒められたことではありません。が、あなたをこのまま昇天させるなと嘆願がきてしまいましてね』

  姿は見えないが、頭を抱えている様子が浮かぶ。(神様?も大変そうだ)

  『肉体的に滅したあなたを生きかえらせることはできません。ですから違う世界で生まれ変わってはどうでしょう?』

  「はぁーーーって!えぇ!?はぁ!?ドゥ!?ホゥ!??」

  寝耳に水。青天の霹靂。藪から棒。棚からぼた餅ーーは違うか。(他、なんかあったっけ?募集中)

  『どうです?』

  「はぁ!?なんで?いや、そりゃ嬉しいは嬉しいけど……」

  『生前、あなたのことを好いていた方々達から嘆願が来たのですよ。あなたがこれまで尊び、慈しんだ命達が「あなた」に生きて欲しいと願っている』

  「うそ!?」

  『本来、生まれ変わるなら記憶がないに限ります。ですが、今回はどうにもあなたの一風変わった趣味趣向が尊重されておりますのでね。で?どうです?それでもやりますか?』

  「やる!やりまする!!」

  『また答えがはやいですね』

  「あたし本当はやりたかったことがあったんです!それやれるまでは死ねないって心から思えたの!だから!」

  『わかりました』

  ぐるん!と天地がひっくり返り、立っていたはずの地面が天井、天井が足元にかわる。

  「え!?」

  ぐるん!と一回ひっくり返って。

  「はぁ!?」

  そしてもう一度!

  「ちょーーーーー!!!」

  また、もう一度!また!また!また!また!また!

  「ちょーーーーーーーおおおおおおおお!!!」

  まるで砂時計を何度も何度もひっくり返しているように、真っ白な世界が上下に反転を繰り返す。自分が立っているのかも座っているのかも、どちらが天でどちらが地面なのかもわからなくなる!

  ぐるんぐるんぐるんぐるん!!!

  あぁ、これって自分が攪拌されてる卵みたいなーーーー?

  スクランブルエッグになる直前ってこーゆー気持ち!?

  「うわあああああああああああ!!!」

  

  [newpage]

  (3)【目が覚めると そこは】

  視界に入ったのは真っ白な石造りにガラスのシャンデリアが生えた見覚えのない天井。窓からやわらかに降り注ぐ陽射しが眩しい。

  (あぁそうか。家じゃないんだ)

  しばらくぼぉっとしたあと、ゆっくりと上半身だけ起こし、両手を仰いでうーーんと背伸びをする。沢山眠ってカラダが固まっていたのか、筋が伸びて気持ち良い。次に肩甲骨を意識して肩をグルグルと回して気がついた。

  (か、肩こりがない!?)

  (も、もしやいっぱい寝た?)

  ぐ、ぱ、ぐ、ぱ、と指先を動かして、自分の肉体を確認しながら手の甲を見れば、確実に肌のシワが少なく、ハリがある!自分の手のひらを頬にあてると、以前よりずっとみずみずしいことがわかった。鏡がないが、わかる。肉体的に若返っている!!!

  記憶はそのままで肉体が若返るなんてーーーー!!

  やったぁ!!大チートじゃないか!!ありがたい!!

  自分が遊びに費やしていた十代と二十代の体力を今度こそフルに有効活用してみせる!!

  ミチルが拳を握りしめ、メラメラと野心に燃えていたとき、ガチャ、と部屋のノブが動き扉が開いた。

  *******************************

  「やぁ!目が覚めた!?」

  扉の向こうから現れたのはプラチナブロンドを通り越した白銀髪に笑顔が眩しく輝く男性だった!

  「おはよう、とでも言えば良いのかな?気分はどう?」

  ミチルのベッドの横の椅子に座って見つめてくる紫色の瞳が本物の宝石のように美しくて!見惚れてしまって声が出ない!

  (え、カラコンじゃないよね???)

  こちらの頬が緩んでしまうほど、愛らしく目映い笑顔に警戒や緊張なんて一瞬で吹き飛んでしまう!

  とはいえこちらもぼぉっとしている場合ではない。

  「ありがとうございます。気分はとてもいいです。えぇと、私はどれくらい眠っていましたか?」

  「一ヶ月くらいかな?でもそれは僕がキミを見つけてからなんだ。いつから倒れていたのかは正確にはわからない」

  「倒れていた?」

  「そう。この国の森の神木のもとでね」

  「神木……」

  (うーん。なかなかあの神様も凝った設定盛り込むなあ。

  てかよく野生動物に食べられずに済んだよね?せっかく生き返ってもクマに食われたら死んでたんじゃないの?ちょっと盛り込みの割に雑じゃない?)

  「てことは見ず知らずの私を拾ってくれたんですよね?ありがとうございます」

  ミチルがふかぶかと頭を下げると青年は首を振る。

  「実はキミのことは昔からこの国で語り継がれていたんだ?そして唄の通り、神木の傍で本当にキミが眠っていたんだ!僕はキミのことをしっていた。だから全くの見ず知らずとも思ってないんだよ」

  (え、ちょっと、テーマが壮大すぎなんですけど!聖女モノとか、魔法バトル系小説と間違えてない!?!)

  「僕はキミの目が覚めるのを待っていたんだ。なんて名前?どこの国から来たの?あそこにはどうやって来たの?食べ物ではなにが好き?」

  「えーと?犬飼ミチルです。日本国出身です。日本語しか喋れません。でもこの世界で通じてるのでラッキーと思ってます。その樹にはどうやって来たかは私もわからないんです、ごめんなさい。好きな食べ物はイチゴのショートケーキ♡って言いたいけど、正直お肉とお酒があれば生きていけます」

  「お酒は僕も兄さんたちも好きだよ。肉料理って?たとえば?」

  「焼肉一択でしょ」

  「ヤキニク?」

  「あ、ご存じない?」

  目の前の美青年にニンニクの説明をするのも気が引けるけれど、食べ物の話は重大だ!

  肉を焼くだけだが、そのタレが重要なのだと力を込めて話してみせると、目の前の青年は楽しそうに聞いてくれる。

  「よぉし、来週にでもシェフに作らせよう!あ、今日はまだダメだよ?胃に優しいものから食べないと。でもおかゆなんて僕だったら嫌だけどね?」

  「あたしも!」

  「それじゃあミルクと果物を用意しよう!僕の国は果物が美味しいからおススメするよ」

  「ちょ!ちょ――――っと、まって?」

  「?」

  「あたしはあなたの名前を知らないの。教えてくれる?」

  「遅くなってごめん。僕はベルク」

  彼は名乗るやいなや、部屋を出て行ってしまった!

  [newpage]

  とはいえその隙に頭を整頓しておこう。ミチルが部屋を見渡せば。

  なんて綺麗な部屋だろう。壁も天井も真っ白で手入れが行き届いている。天井から床までの大きな窓から差し込む陽射しのおかげで、調度品はないが幽閉城のような侘しさはない。高い天井には小さなシャンデリアが吊るされており、この家が経済的に恵まれていることを象徴している。

  (うーん、ちょっとヨーロッパぽいのかな?)

  あちこちに電気の気配が無い。日本ではない、全く別の世界にやってきたのだと、やっとで実感が追いついてきた。もう日本じゃない。ネットもない。なんでも相談できたサクヤにも会えない。

  自分で選んだのだ。呼ばれたのだ。嘆いてるヒマなんてない!!

  べちべちと頬を叩いていると、先ほどの青年が見ただけで絶対美味しいとわかる色艶の良い山盛りのフルーツとあたたかなミルクをワゴンに乗せてやってきた!毒林檎ほどの真っ赤な林檎、あちらの真っ赤なルビー色の柑橘類はブラッドオレンジだろうか?ワインの香りがする緑色の葡萄に、あっちはなんだろう?見たこともない原色カラフルな果物が山盛りで、これらが千●屋レベルの果物であることは理解できる!

  (ちょっと待って!?もしかして、ここ、ガチでお金持ちだったりする!?)

  神様のサービス?今のとこ、レビュー的には★★★★☆ですけど!!

  ミチルが水を飲む横で、ベルクはナイフでクルクルと林檎の皮を剥いてみせる。長く続く林檎の皮を見つめているうちに、林檎はいつのまにか四等分が十六等分にカットされた。器用にナイフを使いこなす狩猟民族の手捌きに見惚れていれば、唇の前に一口サイズの果実を差し出されて。あーん、と遠慮なしに指先のそれにパクついてみせると、シャリっと優しくも爽やかな甘みが口の中に拡がる。

  「ほひひい!」

  「よかった」

  ミチルが「今度はあっちも食べてみたい」と言えば、彼は嬉しそうに橙色の果実に斬り込みをいれだした。

  「お腹はいたくない?急に食べたりして」

  「うん!」

  「本当はリンゴをすり下ろしたものやオートミールが良いって頭ではわかってるんだけど……」

  「しゃきしゃきリンゴのほうが嬉しい。にしても美味しいね?このリンゴ」

  「父にも言ってやって。喜ぶから」

  飲み込みながらこくこく、とうなずいていると今度はブラッドオレンジのような赤い柑橘が唇に運ばれた。甘いのに酸味もあってーー地球の農家さん、ごめんなさい。これ、前の世界で食べたものより美味しいデス。

  「あとで僕の父上と母上と兄弟を紹介するよ。みんな待ちかねていたんだよ?千年のオトメだからじゃなくってさ?どんな子なんだろうって、ワクワクしてたんだから!ミチルのこともすぐに気にいるに決まってるよ」

  「ベルクは何人兄弟なの?」

  「四人」

  「何番目?」

  「三番目」

  幸せそうにオレンジにかじりつく彼を見れば納得がいく。打算なしに優しいのも、笑顔が魅力的なのも、これまでたくさん愛されてきた証拠だ。

  

  [newpage]

  【遺】

  「起きたと聞いたぞ!本当か?」

  「ジーマーで♪!?♪」

  「入りますよ!!」

  餌付けの最中などおかまいなし!どやどやとベルクには似ていない毛色の違う三匹が現れた!!

  「起きたのは本当だし、はいだし、三人ともとっくに部屋に入ってきてるじゃないか」

  ナプキンで手を拭くと、ミチルを隠すように紫色の服が立ちはだかった。こっそりと向こうをのぞくと、黒髪のツンツン頭、赤桃色の腰までのロングヘアの背の高い二人がいる。肩までの金髪を後ろでまとめている薄青色の瞳の少年はベルクより頭ひとつ小さい。

  (例のお兄さん?)

  会話は聞いていないフリをしていたのが、ツンツン頭がベルクの向こう側から覗き込んできた。

  「おい、人間。生きてるか」

  「兄さん!」

  「喋るのは構わないだろう」

  「言い方があるでしょう!人間なんて言い方。怖がらせてどうするんです!」

  への字形に唇を尖らせるベルクを横に、赤桃色の男性がするりと滑り込み、ミチルに目線を合わせた。

  「おっはよ★千年オトメさん♪」

  真紅の瞳を重ねながら手の甲にちゅ、と音をたてて、そのままミチルのあごがくい、と持ち上げられた。ミチルの頬が真っ赤に沸騰したのを見て、彼はにやりと意地悪そうに口角をあげる。

  (わーん!やられた!だってカッコいい!!!)

  「ローズ!!」

  悪びれもせず、あははと楽しそう。

  (性格悪ッ!あぁ、でも見た目がいいから許すぅ!!)

  「オトメの目が覚めたなら父上と母上のもとへ参りませんか。まだ起き抜けでしょうから今すぐとは言いませんが。急いだほうが良いかと思いますよ」

  入り口で立っていた金髪の少年が口を開いた。

  (弟くん?すごい綺麗!天使みたい!)

  「それは……そうなんだけど……」

  「なんです」

  「その……ミチルを驚かせないかと」

  「吾らが王君が恥とでも?」

  (は!?)

  「ちょ、ちょっと待って?」

  「?」

  「今、王、って聞こえたけど」

  「ええ。我々の父はこの国の王ですが?」

  「え?じゃあここお城?ベルクは、みんなは王子様ってこと?」

  「うん、そうだよ」

  「あなたまだそんなことも言ってなかったんですか!?」

  天使はガーゴイルに変身し、兄を睨んでいる。

  「そんなことより大切なことだってあるだろ!!彼女はこの国にきたばかりなんだよ!?ルーンは頭もいいし合理的で立派だ!でも感情ってものがわかってない!」

  「兄さんこそ伝えるべきことを伝えてもいないまま人間族を懐柔しようとしているじゃありませんか!」

  「そうじゃない!だけど『オトメは別の世界からやってくる』んだろ?まだ何も知らないのにこの国を嫌いになったらそれこそ――」

  「この国に住んでいたら嫌でも目にするんです。逃げても解決いたしませんよ」

  「ルーンは僕に対して厳しくない?」

  「現状を述べているだけです」

  「しっかりものの弟で嬉しいよ」

  「兄さんたちのおかげですね」

  (どちらが兄でどちらが弟だか)

  クスクスと笑うミチルを見て「ほら」とルーンが肩をすくめている。

  「すごく仲がいいのね」

  「そうかな?」

  「うらやましい。私、キョウダイがいなかったから」

  「そうなんだ」

  「他人のネガティブ発言がそんなにうれしいんですか。性格が悪い」

  「違う!ミチルのことを新たに知れた喜びだ!!」

  顔を真っ赤に染めながら、ベシン、ベシン、とフワフワの尾が勢い良く地面をを叩いている。

  「はぁ?」

  

  [newpage]

  【目が覚めると そこは モフの国でした】

  真っ白でフワフワのしっぽ+頭上にぴんと立つ三角の耳を見てミチルが大きな声を出したのがキッカケだった。

  「どういうこと?」

  「言うのが遅くなって、ごめん」

  ため息をつくと、絹糸のように美しかった白銀の髪がごわごわとした獣毛にかわり、全身を覆い出す。漫画やアニメの王子様のような紫色の瞳は鋭い黒点が増え、鼻先はぐんぐんと伸びて湿りを帯びた黒い鼻ずらに変わるとピンピンと数本の髭が生え、唇の端は顔の半分まで伸びた。先ほどまで優しく果物を扱っていた指先は毛深くも十倍以上の太さに変わり、真っ黒な鉤爪と肉球を仕舞い込んだのをミチルは見逃さなかった。

  

  驚いていないわけじゃない。

  だけど驚きすぎて信じられない時って 言葉が出ないのが普通じゃない?

  「ベルクは犬?狼なの?それとも人間?」

  先ほどの声とは違い、唸るような低い声が喉の奥から聞こえた。

  「この国の民は狼犬と人間の混血なんだ。普段は便利だから人間の姿形をしているけれど、こちらも本当の僕なんだよ」

  恐ろしげだった巨大オオカミの姿は消え、先ほどの白銀髪王子様が頭を掻いている。カミングアウトに緊張して視線をあわせられない仕草からはオオカミの獰猛さも恐ろしさも感じられない。

  「僕は落ちこぼれで、みんなみたいに安定して人間の姿を保てないんだよね。感情ですぐに耳や尾が出てしまいがちで……情けない話だけど」

  顔が天才×白ふわもこ尻尾耳って!最初からクライマックスじゃないですか!!!

  「ぐはぁ……っ!かっ……あぁあ!!??? 」

  「!?」

  「かわいいいいいいいいいいいいいい!!!!!はあああああああああ!?なんそれ!?えええ?はああ!?」

  イケメンがワンモフ耳尻尾装備とか!理想が生きてる?息してる?

  なにそれ千億回地球が滅して千億回再生するんですけど!?

  この世界の皆さんが狼犬の獣人ってなにそれご褒美?ボーナスステージ?fa?アーハン?オーケイ?オーライ?オーイエス!

  あぁ、神様ありがとうございます!レビューは★★★★★でも足りません!!

  歓喜の悲鳴を抑えようと必死過ぎて全身が震えているのだが、兄弟たちには恐怖で震えていると解釈されてしまったようだ。

  「ほらやっぱり………」

  「早い方が良いじゃないですか。あとから獣人姿を見せて嫌われるほうがダメージは大きいでしょう?」

  「僕としてはもう少し仲良くなってからーー」

  「親密度が増した後の方が傷は深いに決まっています。ましてや兄さんは嘘をつくことに長けてもいないのに」

  「うぐ……」

  はい論破。言い返せない兄の横でミチルが違う違うと手を振る。

  「あの、ごめんなさい。そうじゃないの。えっと、その、嬉しくって」

  「ほら……」

  「「「「はぁ?」」」」

  ミチルの反応に、ベルクだけでなく他三人まで耳と尾が出てしまっている!(ほら!しまってしまって!)

  「えぇ?だってかわいいじゃない?ベルクだけが尻尾が隠すのがヘタとか!嬉しいと尻尾ふっちゃって、悲しいと垂れ下がっちゃうとか?そんなのかわいいイヌじゃない?ただのかわいいの塊じゃない!!」

  「かわいいって……」

  「あ、ごめんなさい。褒め言葉なんだけど……失礼だったよね。えっと、オオカミもカッコよくて魅力的で素敵だよ?でもその犬のかわいさも最&高って言いたかったんだけど……」

  「そ、そうじゃなくて!!!!」

  獣人族の姿にショックを受け、恐れられ、言葉を失ったと解釈していたベルクにとっては、ミチルの返答こそまさに晴天の霹靂だ。

  (なんで?どうして?人間なのに?)

  (どうして僕を恐れない?)

  (どうして僕を馬鹿にしない?)

  

  [newpage]

  【神様はアフターサービスがエグい(褒め言葉)】

  人間族とも交流がある貴族や商人、王族にとって、獣人姿のコントーロールが下手なんて最大級の落ちこぼれだった。特にこの百年ほどは友好のためにも普段から人間姿をキープできることが最低限に求められるマナー。感情で耳や尾が出るなんて恥ずかしいと揶揄され、女性からは幻滅の対象だ!

  第三王子もそれなりに努力してきたのだが、常に完璧な人間姿を保ち続けることは苦手だった。「第一王子でなくてヨカッタヨカッタ」なんて言えるのは身内だけ。街へ出て失敗すれば「この国の恥」なんて笑い者。ましてや人間族の前で失敗でもしたら「気持ち悪い」「噛み殺される」なんて勝手な誤解が錯綜されがちだというのに!目の前の人間ときたらこの国でのコンプレックスをかわいいだの魅力的だのうっとりと褒めそやしている!

  「僕はこんなんだから、王族の恥だったんだけどーー」

  「は?なんで?耳と尾がでちゃうだけでしょ?」

  「だからそれが問題なんだ!こんな失敗をさらしたら普通の人間は――」

  「失敗ってwベルクがあたしに嚙みついたわけでもないのに?てかご褒美プレイじゃないの?」

  「そ、そうだけど、そうじゃなくて!!」

  「あたしはどっちかって言えば完璧な人間姿より今の方が好みなんだけどーーゴホンゴホン!!とにかく!たかがしっぽが隠せないくらいで国の恥ってなに!?それよりもあたしが起きるなりベルクが水をもってきてくれたことの方が大切じゃないの!?バカじゃない?」

  「ぼ、僕がおかしいって言うの!?」

  「は?そうでしょう?」

  もはやどうしてなんだってこの二人が喧嘩してるかもわからない。

  初めて見たリアクションについていけないルーンとフォルは口をポカンと立ち尽くし、ローズはあはははは!と楽しそうに拍手をしている!

  「オトメは最強だねぇ♪!♪我々の獣姿を見ても怖気つかないどころか、できそこないをかわいいだなんて!ありえないでしょ♪!♪」

  「え?あれ?変でした?」

  「いや?最高だよ♪この国の救世主なんて伝承もあながち嘘じゃないかもねぇ?」

  「は?今なんて?」

  「聞いていなかった?伝承では『オトメ』はこの世界の厄災を一掃するとかなんとかって?僕も詳しくは知らないんだけどさ♪」

  「誰が」

  「キミが」

  いやいや!伝説の聖女とかそんな高尚な展開、この小説に求められてないんで!

  どっちかってゆーと、この小説はうじうじうだうだ過去に引きずられてる系女子や性癖がちょっとアレな女子向けであって――

  「えーと?あたしは平々凡々なマチムスメAとしてそこらで働かせていただければそれいいので、ハイ」

  ぺこりと頭を下げ、くるりと回れ右をしようとしたが、首根っこが押さえられている。

  「お待ちなさい。町娘にはしませんよ。この王宮の客なんですから」

  (なんで睨まれなきゃいけないの!)

  「この国に伝わる伝承が具現化したのです。あなたの存在はあなたが思っている以上に大事(おおごと)なんですよ。王家の名誉もかかっています。客人とはいえそこまで勝手も自由もありません」

  「あたしがこの世界に来たのには理由があるの!悪いけどこの国の王子が邪魔するなら、あたし他の国に行くから!!」

  「理由とは?」

  「あたし、獣医になりたくってこの世界に来たんです!だからそんな救世主とか見せ物パンダとかやってるヒマはないの!!住み込みOkの仕事先を見つけなきゃだし、働きながら勉強してお医者さんの試験を受けなきゃいけなくて忙しいんだから――!!」

  (すごい!あたし!よくぞ言った!!前とは違う!ノーと言える日本人!!)

  へへん!と腰に手を当てて鼻息荒くしてみせたが、彼らはナニイッテンダと呆れ顔。

  「ではこの家に住みながらジュウイ?とやらを目指せばよいではないか」

  「だよねぇ?♪?」

  「へ?」

  「学校教育を受けることも歓待だと言えるのではないですか?人間が獣人族の大学校に通ってはならないという法律はありませんし」

  「この家に住んで学校通っていいってこと?」

  四人の王子が同時にこくりと頷いた。

  ラッキーすぎて倒れそうなんですけど!!

  あの神様、口は悪かったけどアフターサービスがエグいじゃない!(褒め言葉)

  神様レビュー、★★★★★キープです!!

  「ちょっと俺たちと一緒に外出したり、客人の人間族として紹介するくらいはあると思うけどさ?ま、宿代程度だと思って♪」

  「ではなおさら早急に父上に申し出たほうが良いでしょうね。大学校の手配もあるでしょうし」

  「わざわざ勉学のためにこの世界に来たって言ってなかった?」

  「そうだな。オトメが崇高な意識を掲げてこの国を訪れたと知れば父上も母上もお喜びになるだろう」

  「え、あの、それはちがくてーーはいいい?」

  ちょっとちょっとおかしくない?チートがすぎない?

  この人たち、大丈夫?理解ありすぎじゃない?

  ラッキーすぎて今度は不安になってくる。

  だってあたしは獣医になりたいって言っても笑われるレベルだったんだよ?

  「なんでそんな応援してくれるの?初対面だよ?どこの誰かもわからないんだよ?あたし、優しくされすぎじゃない?SDGsとかこの世界でも流行ってるの?ねぇみんな落ち着いて?」

  「なぜと言われても……」

  「うーん?」

  「客人とはこの国でのギフトと言われてきましたし。経済的に許せる程度にもてなすことは至極当然なんですよね?」

  「まぁまぁ?こんなこと気にしてたら生きていけないよ♪女の子は尽くされて当たり前だと思わなくっちゃ♪」

  四人の王子としてはミチルの質問こそ不思議そう。

  「えええ……」

  王子たちが盛り上がる横で、ミチルだけが置いてけぼり。

  

  [newpage]

  【謁見】

  ミチルと兄弟たちが話し込んでいたところ、ミチルのもとに、介添えを自称する女性が頭を下げてやってきた。年は五十前後だろうか。前髪をひっつめキリっとした目つきはいかにも仕事が出来そうだ。

  「お話は伺いました。お水をお持ちしましょうか?それともなにか――」

  「あ、大丈夫です。さっきベルクが水と一緒に沢山フルーツを持ってきてくれました♪この国のりんごやオレンジをいただいたところです♪」

  「まぁ!いきなり固形物を?申し訳ありません!もっと早く私共で粥や重湯を持ってくるところでしたのにーー!!」

  「いえ!あの!むしろ感謝してるんです!重湯より美味しい果物を食べるほうが幸せってベルクと笑っていたんです。その……失礼かもしれませんが、常識よりも大切なものを判断できるベルク王子は素敵だとすら思いましたよ?」

  出会ってすぐにベルクの長所を評価してみせたミチルに女中だけでなく、キョウダイ達の頬も緩んでいる。

  「どうだろう。身支度が整い次第、父上と母上に会って……」

  「フォルさま!」

  「ん?どうしーーー」

  女中が青ざめて部屋に入ってきた。ノックもなく、乱雑な仕草だが、理由は訊くまでもない。すぐに二メートル超えの獣人が入ってきたのだから!

  金色(こんじき)に艶めく毛皮に覆われた隆々とした体格に紺碧の軍服をまとった獣人は鋭い眼光でミチルを捕らえる。先ほどのベルクは可愛いなどとのたまったが、目の前のワーウルフはこの間までの人生で長年夢み続けていた推しそのものではないか!

  「ふひぃ……っ!!!!」

  悲鳴を殺していると、王子達が緊張した顔つきで頭を下げていることに気がついたのでミチルも慌てて一緒に頭を下げた。さきほどまでの和やかなものとはうって変わって、空気がピリピリと痛い。この世界に来たばかりのミチルでもミーハーな悲鳴をあげることは許されないことはわかる!

  「おもてをあげなさい」

  低く威厳のある声を真に受けてはならない。ミチルは薄目越しに兄弟、従者達が頭を上げるのを確認してから一番最後に頭を上げるとーー

  (ーーーーっ!!!!)

  今度は先ほどの国王の左に並んで真紅のドレスをまとった真っ白のワーウルフが並んでいるではないですか!

  (はぁ!?あれがお妃さまですか!?はぁ!?はぁ!?ほへぇ!?)

  毛艶や毛並みが美しすぎる!これまで見てきた犬や狼の写真集なんか焚書レベルだ!溢れる気品にひざまづくしかないし、むしろあの真っ青な瞳に睨まれたいし、踏まれたい。いやもういっそ腕を差し出して噛みつかれたい!!

  これまで興味の対象外だったミチルの中の四つ脚♀界の常識がいっきにアップデートする!!!

  (モフ♀はライバルだと思ってごめんなさい!勝てるわけないです!)

  頭の中では大好きな『謝肉祭』の「ライオン」が流れるが、冒頭のファンファーレは百回以上流しても足りないし、足りない。これ以上どうやって二人の荘厳さを伝えればいいだろう。脳内スクショが追いつかなくてオーバーヒートで倒れてしまえたらいいのに。

  (あぁ、そうか。これが仰げば尊死……)

  「父上?母上まで。どうしました?」

  ベルクがミチルをかばうように王とお妃との間にずい、と立つが、二人は笑っている。

  「お前が連れてきた『オトメ』が目を覚ましたと聞いたんだ。我々も会ってみたいじゃないか」

  「獣人の姿なんて怖がらせるからやめておいたらって言ったのですけどねーー」

  楽しそうな王サマにお妃サマはやれやれ、と呆れた様子。

  「そうですよ。まだこの国のことを説明してもいないのに――」

  「いえ!ご!ご褒美です!!尊くも素晴らしいお姿での歓迎、おありがとうございますぅ!!」

  (初めまして!ミチルと申します!)

  「「「「「「……?」」」」」」

  (あれ?なんかおかしい?)

  「うわあああああ!!間違えた!」

  (モノローグとセリフが逆だぁ!! )

  ひとりパニックなミチルにちょいちょい、とベルクが肩を叩く。

  「ミチルは父上も恐ろしくないの?」

  「へ?恐いってなにが?」

  「大抵の父上の姿を見た人間族は怖がって萎縮してしまうんだよ?父上は獣人であることを誇りにしているからこそ初対面はこの姿で振る舞いがちで。やめろって僕らも強く言えなくてーーーー」

  「うん、ごめんね。ベルクの中途半端な獣人も可愛かったんだけど、王様はベルクの百億倍カッコいいよね………尊すぎて地球が滅亡するけど今度こそ再生不可かも…ウッ死ぬ…」

  おぞましいほど会話が噛み合っていないが、供給過多で瀕死のミチルに周囲の視線なぞ気にする余裕はない。大好きな犬と人間の混血の獣人×映画の野獣のような気高い服装。簡単にメ●パニが解けるわけない。

  どうしよう、世界が滅びる、今から死ぬ、いやだ王様カッコいいから生きる、でもだめだ、死ぬしかない、と繰り返しており、誰とも会話が出来そうにない。とりま、周囲はミチルのゾンビ再生が終わるのを待ちましょうか。

  「この期に及んで父上が好みだと言うのかーー」

  「人妻を前にして、度胸があるなぁ♪」

  「獣姿に興奮する人間族もいるんですね。まだまだ僕の見識は浅かったようです」

  兄弟たちはこの世界の人間族では見たことのなかった性癖を見せつけられ、呆れを通り越している。

  「母上は非礼を怒らないのですか」

  「この国の王であり汝の番を称賛されて怒る阿呆がどこにいるのです」

  末弟が呆れつつも問えば雌ウルフで余裕で微笑む。その横でうひぃぃいいと悲鳴があがった。

  「お、お妃さまも素敵です!!あ、あの!お妃様は美し過ぎて直視できないんです!ごめんなさい。私は獣人♀も素敵だと知って困惑しております!どうか私に御二方を直視できる鋼の眼球をお与えください。あぁ、それでは王妃様が見れない!見たい!え!無理!!どうしよう!!」

  「お、落ち着いて、ミチル」

  「ベルクごめんなさい。あなたのこと可愛いって言ってたけど、王様はカッコいいし王妃様は美しくて、ちょっと情報が追いつかなくって……あぁ!」

  モフガチオタ勢を寛大だの寛容だのプラスに解釈する王子達には誰か『変態』という言葉を提供してくれればいいのに。

  「ほ……本当にミチルは我々の国を喜んでくれているんだね?」

  「はぁ?当たり前でしょ?」

  美男子のはずのベルクがミチルの両手を握りしめていることよりも、国王と王妃がミチルを見つめていることの方がショックが大きいらしい。がふぅ!と勝手に倒れている。

  「だ、大丈夫?」

  「じゃない。鼻血と耳血と口から血が発射する」

  「えぇ!?」

  「あの、お願いがあるの……あの二人に人間の姿になってもらえる?」

  「あぁ、そういう!!」

  御馳走も食べ過ぎれば毒だし、ログインボーナスも浴び過ぎれば死。ほどほどが一番、てことで?さてさて、二人が人間の姿になったことでようやっとまとも(?)なご対面ができたみたいです!

  [newpage]

  【い?医?異?移?猪?違!?】

  王たちへのご挨拶が終わったというのに、王子たちはまだ部屋を出て行こうとしない。あまつさえテーブルにミルクが用意され、お茶会になっている。

  「ところでミチルはジュウイを志していると言ったけれど、『ジュウイ』とはどういったものなんだい?♪初めて聞いたんだ♪会話の節々から医者を指すことはなんとなくわかったけれど♪」

  「えぇと、そのままよ?猫や犬とか、家で飼ってるペットや牛や豚のような家畜を診る動物のお医者さんのこと。私は特に犬のお医者さんになりたいと思っていたの」

  ミチルが拳を握ってメラメラと燃えているというのに、王子たちはブルーだ。

  「ふむ。それは……」

  「難しいかもしれませんね」

  「てかリーム―でしょ♪」

  「え?」

  「この国ではその『ペット』という概念が存在しない」

  「え?」

  「人間族の貴族の間では家畜ではない動物を養う習慣はあるみたいだけどね♪僕らの世界では文化として存在してないものねぇ♪」

  「やはり種族の違いでしょうか」

  「そもそも僕らが狼や犬の末裔だからなぁ」

  「え、じゃあもしかして犬って飼わない?あのかわいい生き物と共生していらっしゃらない?」

  フルボッコにミチルの声は泣きそうだが、フォルが容赦なく首を振る。

  「まず、犬という四つ脚の獣はこの大陸では存在していない。正確に言えば絶滅してしまったんだ。狼や犬の血をひいているのは我々獣人だけだ。そして『ねこ』なんて生き物も知らない」

  「もしペットっていえるとしたら鳥じゃない?♪」

  「それでも伝書用ですよ。娯楽として養うなんて習慣は例外でしょう。よほど人間族に興味がある者です」

  「え?じゃあ家畜を守るのは?イノシシや狐を仕留める最強の生物は?」

  「家畜を守る……」

  「「「「熊?(♪)」」」」

  「クマ……」

  「いない方がも多いんじゃないですか。大体の農家に守り人がいるでしょう」

  「え゛」

  「職業があるんだよ。契約主のために狼の姿で野生の動物と闘うんだ」

  そ、そうか。このひと達、狼の血もあるからいざとなったら変身できるし。生態系としても最恐なのか。にしてもパートナーがクマかぁ……。あれがモフっていったらコレジャナイ感フルゲージMAXで……。

  「家畜の診療という概念もあまりないな。家畜は死んだら終わりだ」

  「う、うーん。それじゃあ出産なんかは?」

  「そんなの農家の方がプロだよ♪上手く助けあってる♪下手に余所者が介入しない方がいい♪」

  「デスヨネ」

  あぁ、もう泣きそう。

  「ミチルがこの国で獣医になる、って言ってくれたことは嬉しかったけれど」

  「この世界にはそのような職業は存在しないのですよ」

  「そう……だよね(泣)」

  いきなり暗礁!いきなり挫折!?なにこれ神様の采配ミス?

  もぉ!神様レビュー★☆☆☆☆ですから!!

  

  [newpage]

  窓の外の灰色混じりの薄桃色の雲がじき夕刻だとつげている。高層ビルもコンク道路も見慣れた山もない。遠くの山端から闇がせまる。このお城は街中の高台に建てられたおかげで見下ろせる緑と石造りの街並のコントラストが絶妙。すてきなセンスの持ち主だ。

  「ミチル?」

  ぼぉっとしていたミチルの瞳を大きな濃紫の瞳が覗き込んできた。テーブルの上にはロウソクの用意がしてある。おそらく優しすぎる王子さまは早くから人間の心配をしにきたに違いない。

  「夕餉はどうする?疲れてない?父上も母上も揃うけど、無理はしないでほしいんだ。誰も強制しないから」

  「お腹は空いていないけど、顔だけでも出したほうがいいかな?って思ってはいたの。挨拶だけしたら部屋に戻ってもいい?」

  「もちろん」

  美しい白銀の彼はタンポポのように、ふんわり優しく笑う。

  「さっきはありがとう」

  「え?なにが?」

  「僕を馬鹿にしないでいてくれて。初めてだったよ。僕のコンプレックスをカワイイなんて笑い飛ばしてくれるコは」

  「ゴメンナサイ。あたし、だいぶ失礼をしました……」

  (勢いでバカって言っちゃったし)

  「違うよ!僕はキミに救われた!自分で自分を嫌いにならずに済んだ!本当に本当に救われたんだ!!ミチルは僕のためにこの国に来てくれたとすら思っているほどに!」

  「いやいや!あたしの性癖がアレなだけで!フツーの人間はあんなこと言わないから!」

  「だからだよ!ミチルがこの国に来てくれたことに心から感謝しているんだ!」

  (ありがとう)

  抱きしめられた耳元で聞こえる彼の声が潤んでいて。彼の魂のためにも、これ以上謙遜してはいけないとわかった。

  ああそうか

  あたしの性癖が役に立つって神様が言ってたのはこういうことかな?

  ねぇサクヤ?ただのモフオタでも、お医者さんじゃなくっても、役に立てることがあったよ。

  

  [newpage]

  3【教えてくれたコ】

  獣人世界にやってきて、なにやら歓迎されて、とチートモードを歩んでしまったけれど、「さっほいほい」と学校へ明日から行けるわけもない。この世界で生きるからには最低限の文化と歴史、マナー、ルール、教養も学ばなきゃいけないのだ!客人も案外ヒマではない。流行の異世界転生も、きっといちいち書かれていないだけで苦労してるんだろうなぁ。なんて勝手に仲間意識吹かしたりして?(言葉も通じないバトルな魔法世界だったら、生き残れる自信がない!)

  この国の歴史については数週間かけて王家の教育係が教えてくれた。人種間の争い、差別、問答無用で殺し合った血生臭い歴史、宗教の支配、絶対王政、流行病、科学の発展、経済の仕組みの発達。文明は違うけれど、どこの世界でも似たような歴史が繰り返されているのだと実感する。

  お城の外観や内装は以前の世界でいうロココ調で、厳かと言うよりはきらびやかで華やかでスマホがあればネットで自慢していた筈の美しさ。今のところ唯一支配の宗教観は見かけないが、この城での衛生観もヨーロッパに似ていると認識していた。

  (街中はどうなってるのかな)

  うず。うずうずうずうずうずずずずず!!

  湧きでる好奇心は止められない!ある休日、ミチルが「街へ行ってみたい」と言えば、ベルクからは「いいとも!」と某お昼番組のようなこたえが返った。あれよあれよと馬車が用意され、小さな冒険の出発だ。

  「どこに行きたい?」

  「まずはこの街。それから近郊。民や建物を見て見たいの」

  「うん」

  「ベルクの好きなパン屋さんやお肉屋さんを教えてくれてもいいのよ?」

  食いしん坊な異邦人の笑顔は太陽のように眩しい。

  「まかせて」

  ごとん、ごとん、と馬車の道中は案外揺れて、シートベルトもない路ではおしりごと浮いてしまうこともあった。絵本で憧れたようなロマンチックなものではないが、ミチルは石畳が揺れることを楽しんでいる。城から少し離れると広い畑がどこまでもつながっており、畑の向こうには大きな風車がいくつも見えた。美しい畑の向こうの集落はレンガの建物と赤い屋根で統一されており、絵本や作り物の世界のよう!ミチルがわぁ!と声を出していると、今度は水車がまわっているのが目に入った。そのすぐそばで女性と子供が作業をしており、犬の耳や尾が揺れている子供、手腕以外が獣の大人こそ普通で、『人間族』の姿をしている者こそ少ない。

  「ずっと人間の姿を維持し続けるお城の人達ってすごいのね」

  「街中や城近辺は人間族との交流があるから姿を保つ努力もするし、人間の手指の方が便利だからね」

  また馬車が走る。先ほどは郊外を走ってくれたが今度は街中を走っているようだ。舗装され、揺れが減っている。

  「降りてもいい?」

  「ああ」

  ベルクの声で馬車がとまり、戸を開けると、つん、と独特の臭いが鼻先を突いた。排泄物が普通に街中に捨てられていい世界。日本人であるミチルとしては顔をしかめてしまうが、あからさまな態度にならないよう、呼吸を整え、ドレスの裾をつまんでみせた。

  (昔の渋谷とか新宿西口の裏通りみたいな……いや、もっと臭いかも?)

  足元も気になるが、街中の観察もしなければ!

  街の中にはパン屋、八百屋、肉屋、靴屋、宝飾品店、その他の店が連なり往来も賑々しい。商店街があるのなら職人のギルドも形成されていそうだ。店先に立って大きな声で接客をする女性が笑顔であることが印象的だし、往来に活気があるのは見ているだけで嬉しい。街のあちこちで見かける小さな噴水がしゅわしゅわと水しぶきをあげており、水道網を文化へ昇華させる余裕があることが伺える。

  (もしかして文化系の劇場もあるのかな?)

  「あれはなに?」

  ミチルが町から解く外れた山の中の二つの白い建物を指さした。

  「病院だよ。昔、教会の横に建てられたんだ。だから今でもあそこに運ばれる人は最期を受け入れたヒト、っていうのかな?感染病でもう治る見込みのない人が過ごす場所だって言われてる」

  「言われてる?」

  「実は僕は行ったことがないんだ。その、恥ずかしい話だけど……言いなりで」

  「でもベルクは王子様でしょう?危険な場所に行っちゃいけないのはしょうがないじゃない!言いなりじゃないわよ!」

  「うん、ありがとう」

  あの白い建物から見えるこの国はどんな景色なんだろう?

  王子たちが入ってはいけない世界はすぐそばにあるのに、知ることすらできない。

  獣人の世界だろうと、どこだろうと世界は同じだ。残酷で容赦ない。

  [newpage]

  【ミチルのひとりごと】

  「どうしてミチルはジュウイ?動物専門の医師になりたかったの?」

  「え?」

  「言いたくなかったらいいんだ。人間族が人医ではなく動物の医師を目指すなんて初めて聞いたから」

  過去には虐げ、虐げられた血生臭い歴史があった。今では交流があっても、お互い油断できないのが現状だ。それだけにミチルのように自分の人生を違う人種に捧げたがる人間なんて奇妙奇天烈魔訶不思議出前迅速落書き無用な存在なのだろう。ただ、ミチルとしてはベルクの質問の態度があまりに純朴だったのがなんだか嬉しかった。まるで「どうしてケーキが好きなの?」なんて聞かれたみたいにあっけなくて。

  「昔ね、大好きなお友達が病気で死んじゃったの。シロって名前で。うちで飼っていた犬なんだけど、白くてフワフワですっごく優しいてかわいい犬でね?あたしには特別な存在だったんだ?大好きで大好きでいつも一緒だったの。こんなこと言うの恥ずかしいんだけど、実は昔、学校でちょっとだけイジメられていたことがあって」

  「うん」

  「下駄箱の靴がわざとひっくり返されていたり、プリントがもらえなかったり、声をかけても無視されたり程度だから大したことないんだけどね?でも歩いてるだけでクスクス笑われていたら、だんだん人と話すのが怖くなっちゃった。『笑われないように、嫌われないように、みんなに好かれなきゃ』って無理して笑ってたんだけど――今思うとそれが辛かったのかも」

  環境も生い立ちも、いろんなものが違うのに、ベルクにもその気持ちはなんだかわかる気がした。

  「でもね?シロにはそんなの関係なかったの。朝起きてからすぐにあたしに飛びついてくれた。あたしに生きてていいってパワーをくれたの。バカみたいだけどシロがいたから学校に行けたの。悲しいことがあってもシロには関係ない。遊べってボールをもってくる。こっちのことなんておかまいなしなの。でもそれで一緒に遊んでるうちに元気になれたんだよね?」

  「顔を舐めてくるから可愛いのにクサくって。ひっついてくるとあたしが泥だらけで毛だらけになっちゃって。泣いてても鼻水をなめるから笑っちゃって。散歩してたら嫌な気分なんてどっか行っちゃって。ズルイよね。あたしだけが優しくされてばっかりだった。でもね?そんないい子がある日、突然、死んじゃったの」

  ミチルの声音が変わった。はずむような明るい音符のような声から一転、雨雲が近づいたようように薄暗い。

  「朝起きてたら死んじゃってて。前の日まで元気だったから最初は信じられなかった。その時はめちゃくちゃ泣いたんだけどね?でも今でも上手く処理できてないんだ」

  心の雨がぽつりぽつりと窓ガラスでの頬を伝う。

  「たぶんだけど、シロが死んだ原因は大雨の後の感染症だった。当時は雨上がりの後の犬の散歩が危険って常識じゃなくって。何日もの大雨で家に閉じ込められてた犬はお散歩を喜ぶって、私も周囲も疑わなかったんだよね。私が無知なせいでーー私が獣医学部に進んでいればッて何度も何度もループしちゃって……」

  「年寄りだったから」「どうしようもなかった」「運命だった」何度言い聞かせただろう。それでも、何年たっても「私のせい」という自責はココロの奥底で溶けることはなかった。あの時に戻れたら、なんて想いは「たら」「れば」じゃ追いつかない。砂時計をひっくり返す幻想に囚われて時間だけが過ぎてゆく。

  「結局は個体の免疫力の問題だってわかってる。あたしが動物のお医者さんになったところでシロは必ず死ぬんだし、過去より未来を見なきゃって区切りをつけたんだけど――」

  「あきらめきれなかった?」

  こくり、とミチルがうなずくと、ベルクがよしよしと頭を撫でてくれる。

  「お医者さんになったところで死んだシロに会えるわけじゃないのにね?」

  「それでも彼のためになにかしたかったんだろ?」

  「ありがとうが言いたかったの」

  「……」

  「シロが死んでからかな?全世界のモフたちが一秒でも幸せな時間を過ごしてほしいってずっと夢見てたんだ?でもその方法がわからなくって、お金がないとか勇気がないのを言い訳にしてうだうだうじうじしてて――ってごめんね!?あたしひとりでめっちゃ語っちゃった!!!」

  一方的な自分語りが過ぎてしまった!!慌ててベルクに振りむくと、美しい紫の瞳がうるうる揺れて、今にも涙がこぼれそうになっている!

  「素敵な関係だったんだね」

  「あたしの片思いじゃないといいけど」

  「きっとシロもミチルのことが大好きだったに決まってる」

  「あたしのせいで死んだって怒ってないかな?嫌われてないかな」

  「そんなわけない。ミチルに会えて幸せだったはずだよ」

  「……うん」

  (私とボーイフレンドのことを笑わないでいてくれてありがとう)

  

  シロに自慢したいよ。こんな素敵な王子様がシロのこと、ホメてくれたよって。

  もしシロがベルクに会ったら ヤキモチをやくかな?

  それとも仲良くしてくれるかな?

  [newpage]

  うらうらとした日差しが馬車に差し込む。電車は大人のゆりかごとは言ったけれど、馬車もなかなか。電車や乗用車ほどの安定感はないにせよ、ベルクと肩を寄せ合いながら襲ってくる眠気は天使が運んできたものではなかろうか?なんてまったりしていると、突然、馬車が止まった。

  「どうした?」

  ベルクはミチルを庇うように自分の背後にかくまいながらも馬車の入り口に顔を寄せ、御者の返事を待っている。

  「王子。この先は行ってはなりません!八区より先で××病が流行っているそうです」

  「なんだって?今朝ほどまではそのような話は聞かなかったけれど?」

  感染症が流行りがちな土地はもっと南側だったはずだ。広大な湖があり、あたたかく鳥がよくやってくる地域。逆に王都は涼しいからこそ護られた土地だった。その中間の八区もそこそこ護られていた筈だったがーー。

  「さきほど八区で流行病からの死者が出たと伝令がきました。まだこの王都に病は届いていないようですし。ここで引き返しましょう。」

  ベルクが美味しいとおススメしていたパン屋はお預け。残念だったね、と馬車の旅は終わる筈だった。

  「ねぇ。それ、私だけでも行けませんか?」

  「なにをおっしゃってるんですか!」

  「でも!お願い!わたし、この国について知りたいの!だって人間族の私なら狼犬族の病気も大丈夫かもしれないじゃない!なにか役に立てることがあるかもしれないじゃない!?」

  「ミチルさまの心中はお察し致します!ですが!今!ご同行されているのが第三王子であることを承知ください!人間族のミチルさまは平気かもしれません!ですが王子に感染したら?いえ、それこそ王妃、王に辿り着いたら?」

  「それは……」

  「治療法も治療薬も万全ではないのです。王は民のものです。たとえあなたが格別の客人であろうと、王族を軽視していい理由ではありません」

  多少咳込んでも(死ななきゃ大丈夫)なんて軽率に言える相手じゃない。

  熱が出たからと言って(休むのも仕事だよ)が許されない。それが王だ。

  一般人の価値観の自分こそ場違いだ!!

  「ごめんなさい……私……」

  「あなたは私を残酷だととらえますか?」

  「いいえ」

  「理解に感謝いたします」

  自分とはまるで覚悟が違う従者の言葉が痛い。

  王のために誰かを見殺しにする覚悟。誰かの死を見過ごす覚悟。

  王都はそれらの上に立っている。

  解っていなかった自分の幼さに鼻の奥ががツンとする。

  馬車の向きが変わり、もと来た道を走り出す。また小さな旅の始まりだ。風に乗った教会の鐘がうっすらと聞こえる。ずっとずっと山の奥に黒い煙が登っている。

  (あの煙はーー)

  今のミチルには目を瞑り、手を合わせて祈ることしかできない。都合の良い理想だとしても、それでも。せめて燃やされるのが 眠ったあとでありますように。

  【決意】

  「ねぇベルク。あたし、この世界でやりたいことが決まったよ」

  「え?」

  「この世界の獣人医になる。大好きな犬の血を継いだあなたたちの役に立ちたい」

  ミチルの表情がさきほどとは違う。ずっとずっと強い。太陽が映り込んでいるからではなく、瞳の奥底が熱い。

  「私ね?きっと このために来たのよ」

  黒い煙の向こうでは太陽があかあかと燃えていた。

  

  [newpage]

  4【護ってくれる?】

  コンコンコン、とノックのあとにベルクが入ってきた。タイミングよくミルフィーユが鏡の前にミチルを立たせ、朝の支度が終わったところだった。

  「わぁ!」

  艶めく黒髪のハーフアップにはワンピース型の制服と同じ色の真っ白のリボンがよく映える。

  「ミチル!すごいよ!素敵だね!」

  億千万ドルの笑顔で褒められると、くすぐったいけれど、嬉しい。自分を拾ってくれたのが彼で本当に良かったと思う瞬間だ。

  「髪とお化粧はミルフィーユさんがやってくれたの。素敵でしょ?」

  「うん!」

  「リボンも!」

  「可愛いよ。それもミルフィが?」

  「結んでくれたのはね?選んだのは私。ほら、コレ、ベルクみたいじゃない?真っ白でキラキラしてキレイでしょ?これなら学校でも一緒にいるみたいじゃない?クラスは違うけど――」

  ベルクの頬、耳元まで真っ赤だ。ミチルも自分がなにを言ってるのか理解し、周回遅れで頬が熱くなる。

  「ご!ごめんなさい!キモチ悪かったよね!!」

  ミチルが慌てて髪につけたリボンを解こうとしたが

  「そうじゃないよ!」

  ベルクが慌てて両手首を掴んでそれを止めた。

  「つけていてよ。嬉しいから」

  耳元の彼の声、息のせいでどきどきする。

  「……うん」

  (シロみたいでしょって言えばよかった)

  でも、あの時、白色のリボンをみて浮かんだのはベルクだったんだもの。

  ドキドキするから手を離してほしい。嘘、離さないで。指先でもっと触れて。

  (ゴホン!)

  「ベルクさま、ミチルさま、そろそろお時間です」

  「「はいいい!!!」」

  ミルフィーユさんの咳で、二人の世界は強制終了!残念!!

  「ルーンさまとの馬車の相席はお辞めになりますか?」

  「そういうのはいいから!」

  にんまりと唇だけで微笑むミルフィーユの冗談とも本気とも受け取れる言葉を、頬を赤くしたベルクがかき消した。

  (あたしはいいんだけど)

  ************************

  中等部と高等部は隣だから一緒に行こうと言ったのは自分だったくせに、ベルクと二人きりが良かった、なんて自分がいる。頬が熱い。まだ心臓がドクドク言っている。彼の声を聞いた耳とおへそがくすぐったい。

  (そりゃさ?毎日一緒にいて?かわいがられてたら?

  好きになっちゃうに決まってるでしょ!?ちょろい?当たり前でしょうが!)

  (いやいや!あたしは獣人のお医者さんになりたいの!落ち着け!)

  頭の中で必死に日本の歴史の語呂合わせを唱えてはドキドキを打ち消してみせる。

  **************************

  「ミチルは歌い継がれた伝説の『オトメ』としてこの国に現れた。僕たち王族は人間族についての知識もあるし、キミの存在を前もって知っていたし、待ち望んでいた。だから歓迎もできた」

  「う、うん?」

  「出来る限りは僕がそばにいるし、ミチルを守る」

  「うん」

  「だけど残念ながら僕はミチルと同じクラスにはなれなくて。その……人間が獣人族の学校で学ぶなんて初めてのことだから」

  (護ってやれないんだ)

  しっぽと耳がしゅん垂れているベルクをミチルがよしよし、と撫でた。

  「ベルクが謝るところ、なくない?いじめてくる側は圧倒的に悪いけど、戦わない側も悪いのよ!?何かされたら私がヤメてと言い返せばいいの!でしょ?」

  腰に手を当てて不敵に微笑むミチルにベルクが目を丸くする。

  「強いんだね」

  「昔は泣いてばっかりだったから」

  涙を流すだけだったあの頃とは違う。

  この世界にはあたしを慰めてくれたシロはいない。

  だったら自分で立ち上がらなきゃ!蛇の牙は自分を護るためにあるんだから!

  [newpage]

  【王子様は『オウジサマ』】

  (人間だ)(本当だ)

  高等部に着き、馬車を降りるや否や、ざわざわひそひそと自分について話しているのが聞こえる。髪が黒いだの、小さいだの…見せ物じゃねーぞ!言いたいことがあるなら面と向かって言えや!!とは思うけれど、この世界では自分が「見せ物」なのは現実だし、こちらの学校に通いたいと申し出たのは自分なのだからこれくらいは覚悟しなきゃ!!!

  ちら、と左に並ぶ彼を見上げると、「王子様」はニコニコと手を振って民衆に笑顔を振る舞っていた。手を振り返された女学生や、遠巻きにベルクを見ていた男子学生は嬉しそうに頭を下げている。

  (王子様業も大変だ)

  ベルクが手を振っている間は動けないし喋れない。早い話が暇。かといって一人でスタスタ行くのもメンツを潰してしまうかもだし?

  生徒の中にはおはようございます、声を発す者、カッコいい!と遠巻きに声を出す者。ちらちらと眺めるだけの者と色々だ。街中でも学校でも、ベルクが好かれるのはわかる気がする。「愛され上手は愛し上手」の典型だ。きっと「イジメ」なんて無縁のヒトだろう。

  ベルクは自分のことを国の恥、とか落ちこぼれ、なんて言っていたけれど、こんな風に普段から愛想がよければ馬鹿にされない気もするよね。本人が無自覚なだけで。

  ゴーン、と大きな予鈴の音がミチルの思考を遮る。

  「ミチル!大変だ!このままだと遅刻する!」

  「職員室でしょ?ぎりぎり大丈夫じゃない?」

  「ごめん!僕が校舎を案内するって言ってたのに!」

  「ううん。今日は良いよ。また今度ね」

  人気者過ぎて遅刻しそうな王子様には職員室までの案内を頼むことにしておきましょう。

  [newpage]

  【職員室にて】

  「本当にひとりで大丈夫?」

  「大丈夫!」

  ベルクはあたしを華奢に見過ぎだ!そりゃああたしはメンタルがオリハルコンとまでは言わないけど、そこまでか弱くもないんです!

  ノックのあと職員室に入ると、ミチルを見るなり「やあ、おはよう」と声が聞こえた。方向には女生徒もいる。

  (あれが担任とクラス代表?)

  ミチルが手招きの先へ向かおうとしたとき!バターンと大きな音と速風に抜かれた。

  「先生!すみません!やっぱり僕も!その!」

  ベルクがミチルよりも先に担任のもとに向かってる。

  「ベルク……」

  「王子」

  担任はゆっくりと微笑んでみせた。

  「王族として、また、同校に通う先輩者として、監督責任を果たそうとするお姿は大変にご立派です。我が校の学生としても誉(ほまれ)ですよ。ですが。ここまで送り届けてくださりましたら保護者としての責任は終えてよろしいかと?どうぞ御自分のクラスにお戻りください」

  教師は、にこやか、かつ威厳に満ちた笑顔で『ハウス!』と言っている。

  (うーん!この教師、あたしより若そうなのに!立派!)

  ミチルが心の中で拍手している傍で、ベルクは(大丈夫?)と尻尾と耳を下げている。

  (大丈夫)声にする代わりに背伸びをしてヨシヨシ、と頭を撫ででみせると、ベルクからスン、と鼻でため息。

  「また、放課後ね」

  ミチルからの『あーとーで』が届いたようだ。ベルクは「放課後は教室に迎えに行くからね!」と言い残して出ていくと、職員室にはシィンとした静けさが戻った。

  「随分と懐かれているんだね。この国にきたのはつい先日だと伺っていたけれど?」

  「あたし犬にモテるんです。苗字、犬飼なんですよ」

  担任とクラス委員が吹き出す。王子を犬呼ばわりできるのはこの世界ではミチルだけだ。

  [newpage]

  教室に三人が入ると、ざわめきが収まり、おしゃべりをしていた生徒達は散り散りに自分達の席についた。

  (あれ、本当に人間?)

  (へー、人間て初めて見た)

  (見た目はあんまり変わらないんだね)

  (ちいさーい)

  (ほそーい)

  (あんなんでジャンプできるの?)

  (何食べるのかな)

  (噛んだら死んじゃいそう)

  隠す気もない聞えよがしな噂話。転入生が視線に屈したらその場でイジメがスタートするヤツ。狼犬人姿のままの者、顔だけが狼のままだったりと、みんながみんな人間の姿をキープしているわけじゃない。牙がむき出しなんて人間が見たら絶対悲鳴を上げるヤツ。ミチルも例外ではなく、びくびくおどおどーーしてるわけがなかった。ミチルの席は王道の転校生用席(窓際の一番後ろ)。主役のはずのミチルときたら座るなり胸の前で指を組んで神に感謝している。

  だって目の前にいるのは大好きな獣人!!

  (特に斜め前のふさふさしっぽぱたぱ太くん!(※ミチル命名)、可愛いが過ぎますよ!)

  担任やクラス代表のように人間の姿を保ち続けている優等生、こちらをちらちらと見ながら耳と尾でふさふさぱたぱたと好奇心を隠せない者、堂々と狼獣人の姿の者を見て、ミチルが笑顔にならずにいられようか?(反語)

  

  美女と野獣のヒロインに憧れた人生だったけど、ぶっちゃけ今はベルより幸せな自信がある!

  

  [newpage]

  【5.最初の一歩】

  (うーん、うーん、しかし)

  見た目は学生でも内面はアラサーだから?必要以上にベッタリもしないし、ぶっちゃけ話しかけてこなければまぁいっか?ほっとけ?って思うけど……

  (てか正直そっちのが楽で万々歳なんだけど。)

  集団生活をしているとそうもいかないのが学校ってヤツだ。ミチルが学校に通い出して一週間。いまだにクラスメイトとまともに喋れてない。別に落ち込んでもないし、寂しいとか恥ずかしいなんて言えるほど繊細でもない。が、自分がクラスでぼっちだと四人兄弟達に伝わるのは嫌だな、とどこかで思う。だから誰かと口をききたいのだけど――。遠巻きにミチルを見ている集団に(やほー⭐︎)なんて手を振ってみたのだが、そっぽをむかれてしまった(残念!)。

  (まともに会話もできないのはなぁ)

  ベルクに言えばそれこそ大袈裟に心配するのがわかってるから言いたくない。フォルも実は甘やかし属性だし心配性だからなぁ?ルーンはクールなフリして動揺するに決まってるからやっぱりこんな話は言わない方がいいだろうし。ローズなら世渡りが下手すぎって笑ってくれるかもしれないけど、彼がくれそうな腹黒アドバイスは役に立ちそうにないし。一緒にいないのに四兄弟が浮かんでしまうほど、こちらの生活に馴染んでしまっている。一人でくすくすと笑っていた時だった。

  「きゃあああああああ!!」

  廊下から女生徒の金切り声が聞こえたのだ。

  [newpage]

  今の声は廊下からだ!

  「ごめんなさい!!通して!!」

  どうして走ろうとするのか自分でもわからなかった。自分でなにができるかもわからないのに、脚が勝手に動く!150センチの低身長は170センチ越えの獣人族の波を間すり抜けやすく、ごめんなさい、すいませーん、と繰り返しながら人混みをすり抜けてみせた。視界が開けると廊下で女子生徒が倒れている!皆、遠巻きに見つめるだけ。どうしていいかわからないのはどんな世界でもきっと同じだ。

  「ちょっとごめんなさい!」

  屈んで駆け寄り、女子生徒の顔を覗き込む。黒い瞳はこちらを向いておらず、意識がない。小刻みに震えながらも開いた口は呼吸をしている。

  (てんかん?)

  犬にもてんかんがあるって大好きなワンブロガーさんの記事で読んだことがあった。素人判断で良いかわからないけれど、以前、職場で倒れたてんかんもちの人もこうだったから、確信してもいいんじゃないかしら?

  (えーっと?人間と同じように扱ってもいいのかな?)

  会社の研修で教わったことを思い出す。揺らさず、ゆっくりと仰向けに寝かしてあげて、首元の制服のリボンをしゅるりと外し、第一ボタンを外して。

  「毛布や大きめの布かーーそれか、低めの椅子か、台はありませんか?」

  ミチルの声に周囲がざわつくが、(何を言ってるんだ?)(なんで?)と自分を責める声ばかり。助けは期待はできそうにない。

  (落ち着けーー落ち着けーー)

  ミチルは、すぅ、はぁ、すぅ、はぁ、と呼吸を整えて、イライラを逃してみせた。

  (こんなときにスマホで撮影されたら泣くよね)今は確実に起きもしない事態が頭をよぎり

  (パニックだと脳が落ち着かせようと余計なことを考えるの?)などと薄目に自己分析をしていたときーー

  「あの!これはどうですか!?」

  誰かがカーテンを指すと同時に、ミチルが素早く立ち上がった。カーテンをビキビキビキぃ!!と勢い良く外して、厚めのそれをグルグルとまるく巻き込み、倒れていた女生徒の脚に滑り込ませて脚を高くしているうちに、声の主がもう一枚外してくれたのでそれをスカートを隠すように下半身に掛けてみせる。手伝ってくれる女生徒は自分より背丈はあるが、栗色のウェーブの髪のせいか愛らしく見える。

  「大丈夫なんですか」

  「たぶん。この手の発作は人間でもそっとしておくしかないからーー」

  犬と人間のてんかんについて調べたことがあったけれど、正体は脳波の乱れということしかわからなかった。本当に今の自分に出来ることなんてなにもないのだ。

  「あの!私、先生に言ってきます!!」

  「ありがとう!」

  栗色の彼女の足音が小さくなって、ようやっと周囲を見渡す余裕ができた。先ほどよりも人だかりは減ったが、今もまだ遠巻きに数人がこちらを見ている。

  (なら手伝ってくれればいいのに)

  口から出そうな罵声をこぼれそうな涙と一緒に飲み込んで、はぁ、とため息にかえてみせた。

  (期待しすぎだ)

  (いかんいかん)

  先程の栗毛の彼女が職員室から教員を連れてくるのが見えて、ホッとする。ゆっくりとこちらに向かう白髪まじりの教員はことの顛末を把握したようだった。

  「キミが?これを?」

  「すいません。学校の備品をーー」

  「いや、そうじゃないよ。脚より頭を低くするなんてよく知っていたね。それに一人でよく頑張った」

  「い、いえ。そちらの方にも手伝ってもらったんです!とても私ひとりじゃーー」

  「先生!ほとんどこの転入生さんがやったんですよ!」

  「うん、うん」

  えらい、立派だ、と言いながら教員がミチルの頭を撫で続けてくれるので全身があたたかくなってしまった。

  (あれ?犬にヨシヨシされてる?)

  「昼休みももう終わる。君たちは教室に戻りなさい」

  「あの、彼女をよろしくお願いいたします」

  ペコリと頭を下げながら、なおも生徒の安否を気遣う人間に、教員は微笑み返す。

  [newpage]

  「ミチルさん、でしたよね?」

  「え?は、はい」

  「私(わたくし)、オータム・マロンと申しますの。同じクラスなんです」

  「そうだったの!さっきはありがとう!」

  姿勢よく頭を下げる栗毛の彼女は瞳もくりくりと可愛らしい。指先まで整った仕草に上流の品性がのぞく。

  「いえ。ミチルさまのした功績に比べたら!もう、勇敢で果敢で!見惚れておりました!」

  「そ、そう?」

  「ええ。きっと他の学生だって!人間に対してのイメージは変わったと思いますわ!」

  「イメージっていうと……怖いとか?人間族との交易もあるって聞いたからもっと慣れているかと思ってた」

  「人間族と交流したことがある者は一部の特権階級だけです。この学校に通う生徒にとって人間はお伽話や神話、絵本の世界の生き物ですから」

  「そ、そうなの?」

  (だからベルクはやたら心配してたのかぁ!)

  「ええ。人間族の国は行ったら帰ってこれないとか、人間の奴隷にされて最後は殺されるとか、子供の頃に聞かされたイメージのままだと思います」

  「人間の方が弱いけどね?物理的な意味で」

  顔の前でがおー、と仕草すると、マロンがクスクス笑う。

  「廊下で倒れてる学生に向かって一番にミチルさまが駆け寄ったことだけが真実ですわ」

  「ありがとぉ!!マロンさんは優しいね!」

  「マロンとお呼びください♡」

  ゴーン、と鐘の音が昼休みの終わりを告げると、教室のお喋りが終わり、皆が席に座り出す。それじゃあね、とマロンは最前列右側の席に、ミチルは一番後ろについた。あちこちでふわふわの尻尾や三角の耳が見渡せる特等席だと喜べたのは先ほどまで。どんなに彼らが愛しくても、思っている以上に人間との壁は深い。そして、モフパラダイス★俺得ワールド★キタコレ★などと浮かれている場合じゃないことも痛感した。

  お城ではイージーモードだと楽観視していたけれど、あれはきっといろいろな歴史を乗り越えた上での「歓迎」で。

  『歴史』と書かれた教科書をバララ、とめくる。書かれている内容は城で習ったものとは違う。世界は学校の教科書では教えてくれないことだらけなのはどこの世界でも同じだ。窓から見える青い空に揺らめく樹々も、絵本のような可愛らしい街並みも、それらは沢山の血と涙の積み重ねということも。

  [newpage]

  「聞いたよ!ミチル!」

  「え?は?なにが?」

  学校の授業が終わったと同時に現れた王子様はミチルをぎゅう!と腕の中に閉じ込めて嬉しそうに笑う。

  「生徒を一人助けたんだって!?もう医者の夢を叶えたんだね!すごいよ!」

  「ちょ!?え?なにそれちょっと待って!?」

  「え?心臓が止まった生徒を生き返らせたってーー」

  「ちょwちがう!いろいろちがう!話が大きくなってる!!」

  「そうなの?」

  「あたしは応急措置をとっただけ!助けるもなにも!あたし程度の素人でも知ってることをやっただけでーー」

  「でもそれをやったのはミチルだけだったんだろう!?じゃあやっぱりすごいじゃないか!ミチルは本当に医者になるためにこの世界にやってきたんだね!」

  「だから話を聞いて!!」

  尻尾をパタつかせる王子と腕の中で真っ赤な顔で困ってるミチルは注目の的だ。マロンという救いの手が近づいてきたのでホッとしたのだがーー

  「王子。私(わたくし)は始終見ておりました。彼女は倒れる生徒目掛けて一番に駆けつけたんです。周囲に協力を求め、それでも動かぬ学生を責めもせず、一人で救助にあたったのです!」

  「ちょ、マロン?!」

  「ミチル様が違うとおっしゃるのなら私が証言いたしますわ!」

  「そうか!やっぱり!!」

  もっと聞かせろ!と、前のめりなニコニコ王子は腕の中のミチルを逃そうともしない。マロンがミチルの活躍を英雄譚のごとく語るのを嬉しそうに聞いている。

  「ところで王子?先ほど医者という言葉が聞こえて参りましたが?」

  「あぁ。ミチルは人間なのに獣人医なるためにこの国にやってきたんだよ。ね?」

  「まぁ!」

  そんな崇高な!?マロンが両頬に手を当てて感嘆している。今更ミチルが何を言おうと、この二人に届く由もない。マロンに協力してもらって、美しすぎる自分像を却下させてもらおうとしたのが逆効果だった。暴走機関車が二台になったらさらに加速してる。。。

  「そう、だから今日はミチルが獣医へ一歩踏みだした記念すべき日だったんだ」

  「まぁ!!私はそのような誉れ高き日に立ち会えたのですね!光栄ですわ!」

  「そうだね。僕はキミがうらやましい。本当はミチルを腕の中に閉じ込めていつも見つめていたいんだけどーー」

  ミチルの顎を捕らえる姿にクラス中の女生徒が頬を染めている。

  (誰か!ツッコミが不在すぎる!!!)

  「ねぇ!?あたしはそんな立派な人じゃない!落ち着いて!?」

  「落ち着いてるよ?」

  「いや、その、あたしはモフが大好きな変態だよ?おちついて?」

  「うん。だからこの国に来たんだよね?」

  「あたしはモフ達のために生きたいだけなの!モフ達のことしか考えたくないし、なんならモフのことだけ考えてお金を稼げたらいーなーしか考えていないからね!?お願いだからあたしを美化しないで!」

  「そんなに謙遜しなくてもいいのに」

  「ミチルさまはこの国のことをそんなに愛してくださっているのですね!?あぁ、本当に素晴らしい人間ですわ」

  「だろう?」

  「ちっがあああう!!!」

  だから!あたしは!モフ好き通り越してる性の癖が問題な痛いオタクなんですよ!!言わせんな恥ずかしい!!!二人してキラキラした瞳(め)でこっちみんな!!

  クラスメイトと喋れるようになったのは嬉しいけれど、マロンが知ってる私は私じゃない(泣)

  [newpage]

  【石像が建つ時、八割は盛られていると思うの】

  「聞いたぞ、ミチル。大した手柄だったそうだな」

  「学校から『名誉勲章を渡したい』だってさ♪」

  「過度な謙遜はかえって嫌味ですよ。賞賛は素直に受け取ってはいかがです」

  「だからなにが!!!」

  夕餉の前に王子達がドヤドヤとミチルの部屋にやってきた。(もう、すでに嫌な予感がする)

  「学校で生徒を助けたんだって?」

  「助けたのではなく、倒れてる人をラクにさせただけです!医療行為じゃありません!応急処置です。大したことなんてなにもしてません!」

  「中等部には死者を蘇生させたと伝わってきましたけど?」

  「はぁ!?」

  「まぁ、いーんじゃない♪?ハクがついて♪」

  「よくなーーーい!!」

  「すごいね!ミチル!」

  みんなの言うミチルはあたしじゃない。……あたしはそんな立派じゃない。

  「……ごめん。みんなが悪いわけじゃないの。でも、ちょっと一人にさせて」

  ?マークが頭に浮かんだまま、彼らを部屋から追い出して、窓越しの夕闇色に浮かぶ白月を見上げる。こんなときサクヤがいたら。相談出来たら。

  有り得ない「たら」「れば」は卒業するつもりだったのに、情けない。

  それでもいい。目の前にあのなんでもズバズバ言ってくれる親友が居たら?なんて言うだろう?

  「王子たちが何をどう言おうが、ミチルが今の生活を拒否する要素はどこにもないだろう」とか?

  一番「らしい」答えに笑うと、少し気が晴れた。

  獣医になったハム太のことうらやましいって思ってたらこの世界で人生やり直せるチャンスもらえちゃった。

  獣医になれるチャンスまでもらえちゃった。

  美女と野獣が大好きだったら、獣人ハーレムのお姫様ポジションになれちゃった。

  信じられないほどラッキーなハズなのに、なんであたしは泣いてるんだろう?

  大切にしてくれている皆を追い出して、一人ぼっちでこの部屋で泣いて……。

  なんで人生やり直せてないんだろう?

  悪いのはベルクじゃない。この家の王子達じゃない。

  自分で自分を肯定できない自分が大嫌いだ。

  期待に応えられない、期待しないでくれ、どうせ失敗するから!って最初からあきらめようとしてる。

  失敗していい理由を、挑戦しない理由探しをしてしまう。

  自分で自分を否定して 幸せになる努力から逃げて

  生まれ変わったのに、環境が変わったのに、あたしが変わってない。

  こんなの神様がくれた切符(チャンス)の無駄遣いじゃん。

  この世界に「あんたに獣医は無理」なんて言うひとはもういないのに

  この世界ではみんなが応援してくれてるのに

  あたしはいつまで逃げるの!?

  今度は誰のせいにするの!?

  もう逃げたくない!

  あたし 強くなりたい!強くなるの!

  

  ここでがんばるって 神様に約束したんだから!!

  ここでがんばらなきゃ!あたしこそ☆☆☆☆☆(サイテー)だ!

  [newpage]

  ミチルが部屋から出てくると、ベルクが待っていてくれた。尻尾と耳がしゅんと垂れている。

  「ごめん。……さっきは僕たちが気分を悪くさせたんだよね」

  「違う!違うの!!あたしが悪かったから……ごめんなさい」

  「どうして。僕らが騒ぎすぎたんだろ?って、フォル兄さんが」

  (いちいち自分の手柄にしないとこカッコイイよね?)

  ミチルからベルクの背中に腕を回し、ふぅ、と深呼吸をして見(まみ)えてみせる。

  「ごめんなさい。実はあたし、認められると緊張しちゃうの。嬉しいのに嫌って言っちゃうの」

  「?」

  「ベルクと会う前は自分のことバカって言ったり、『無理、できない』って言う方が褒められたの。そーゆー世界にいたの。だからこの国でも評価されると否定しなきゃってパニックになっちゃってーー」

  「どういうこと?」

  「ホントそうだよね?なんでだろうね?」

  怪訝に眉根を寄せるベルクを見ていたら、笑いが込み上げてきた。

  「この国では、ベルクもフォルもローズもルーンも、王様もお妃様も、仕えの人もみーんなあたしのことを認めてくれるのにね?こんな素敵な環境なのにあたしの内面が追いついてなかったんだよね?」

  「今まで迷惑だった?」

  「逆。あたしがゴメンなさい。ルーンの言ってた通り。過度な謙遜は失礼だった。てかルーンって本当に14歳?」

  「ルーンはフォル兄さんのクローンだから……」

  あはは!とミチルが笑うと、ベルクも微笑む。

  「ミチルは頑張りかたを間違えてただけだよ」

  「うん」

  「ミチルがこの家に来てくれて、僕も、兄さんも、ルーンも、父上も母上も喜んでる。居てくれるだけでいいんだよ?伝承のオトメなんかじゃなくっても、医者になってもならなくっても、僕らはミチルが好きだよ?嘘じゃない。言ったろ?僕は救われたって。何もしなくてもミチルは必要なんだ」

  「うん」

  「大丈夫だよ。みんながミチルを大好きだからね」

  「うん」

  あなたの一言にどんなに救われるかなんて知らないでしょう?

  ねぇ? ベルクはあたしのために居るんだよ?

  あたしこそ ベルクに会いに この世界にやってきたんだよ?

  

  [newpage]

  6【現実】

  朝ごはんを食べたら、制服に袖を通して、髪を綺麗にとかしてもらって、白いリボンを結ってもらう。最初は恥ずかしかったミルフィーユさんの「今日も素敵ですよ」という仕上げの言葉にも慣れてきた。嬉しくって朝から笑顔になれる魔法。こんな朝の迎え方を知らなかった。鏡の前で支度が終わった頃、ベルクとルーンが入ってくる。毎朝「今日もかわいいよ」と抱きついてくれるのが嬉しいし、慣れてくると、どこかでそれを望んでいる自分もいる。さぁ、言葉のゴハンでカラダがあたたかくなったら登校です!

  「おはよう!」

  「ーーーー」

  「おはよう!!」

  「ーーーー」

  「おはよう!!!」

  「ーーーー」

  教室で挨拶をしても、まだ返事はもらえない。でも気にしない。それでも自分から言えばいい。それしかできないもの!

  「おはようございます」

  「おはよぉ!」

  たったひとりでも、クラスメイトのマロンが笑ってくれるんだもの。そっちをみなきゃ!

  ********************************

  この世界はルネサンス以降のヨーロッパに近いからネットとスマホがないのはデフォルトとしても。移動のメインが馬車で、四輪自動車の開発にも至っていない。蒸気機関の発明もない。だから産業革命、エネルギー革命が起きてない。経済の仕組みはまだよく把握できていないけど、現代的な資本主義と言い切れるかどうか。でも科学はそれなりに進展してることはこの国のあちらこちらでみかける風車や水車が教えてくれた。むしろ風力や水力のエネルギーの有効活用はもしかしたらこちらの世界の方が進んでいるくらいかもしれない。

  どうしても衛生が気になるけれど、それは自分が令和を生きていた日本人だからだろうか?この世界には公衆浴場があるし、風呂を疎んじる宗教もみかけない。ある程度の免疫、公衆衛生への理解や概念はあるように感じるのだけど……。調和と規律、経済のアレコレ、科学を21世紀の世界と比べることなど無意味なんだろうか?

  この世界に私を必要としてくれた人はどんな人なんだろう?

  「わたし」のなにを必要としてくれたんだろう?

  考えても考えてもメリーゴーランドは堂々巡り。答えが出ない。

  「ミス・ミチル」

  「はい!」

  「つぎの問題文を読んでくれますか?」

  「はい!」

  ミチルを指した教師の眼鏡が鋭く光る。あわてて教科書に視線を落とすが、なにがなんやらわからない。

  「申し訳ありません。どこを読めばいいかわかりません。教えてください」

  「上の空だったようね?何か良いものでもあったかしら?」

  「私にとっては窓から見えるこの世界の全てが素敵ものですから」

  「?」

  教師としては嫌味のつもりだったのだが、思わぬミチルの返答に目を丸くしている。

  「綺麗な空気や、見たこともないほど青々とした樹々と山々、歴史のある重厚な建物は私がいた国では見ることができなかったモノばかりです。そんな素敵な国で自分が貢献できることはなにかと考えていました」

  「この国をお褒めいただきありがとう。さすが人間族からの留学生ね。国民としても誇らしいわ。でも今は授業中。同じくらいの熱意で授業に参加してくれる?」

  「はい……」

  「67ページ。私もあなたを魅了させる授業をしますからね」

  「はい!!」

  午後の授業でぼーっとしていたのはミチルだけではなかったらしい。たまたまミチルが槍玉にあがったが、他のクラスメイトにも教科書を開かせるためだったに過ぎない。教室のあちこちでパラパラ、と紙の擦れる音がする。

  [newpage]

  高校生は二度目だけど、「化学の試験で100点満点とれます★ウェーイ★」なんて死んでも言えない。

  むしろ(こんなの習ったっけ)なんて驚きの繰り返しだ。異世界だろうが花びらの数は同じでおそらく自然科学の法則がほぼ同じだと断言していいのに!理系授業を新鮮に感じているのはどういうことなの?逆にほとんど忘れているわたしの記憶すごくないですか?(とほほ)

  グループでは淡々と化学の実験作業が行われている。周囲は賑やかだが、ミチルのいるグループは静かだ。実験についてのミチルの発言は誰も疎かにしないし、むしろグループのメンバーは耳を傾けてくれる。にしても静か。暗い。十代特有のキャッキャウフフなはじける若さがない。

  (……あたしのせいか)

  はぁ。ためいきまじりに教科書をまとめて抱えていると、ポンポンと背中を叩かれた。振り向けば化学担任のリリィ女史。すらりと背が高く、腰まであるプラチナブロンドのポニーテールがサラサラきらきらと今日もお美しい。

  (犬にもいるよね、美形って)

  「ミス・ミチル。先週のあなたの化学のレポートはなかなかだったわよ」

  「ありがとうございます!」

  「聞いたんだけど、あなた、獣人の医師になりたいんですって?」

  「え、は、はい」

  「今の成績なら医学部は大丈夫だと思うわ?」

  「ありがとうございます!」

  「ただね?あなたより生きている年上からのアドバイス」

  「?」

  「医者の世界でもチームワークが必要よ?」

  「……」

  「あなたのレポートは『正しい』わ?実験中も注意深く観察しているし、よく考えてることも伝わる。細かな分析に120点をあげたくなることもある。でもね?他人と意見を交わしながら考えることも無駄ではないのよ?」

  (う゛)

  「人間のあなたにとっては『グループ学習』って憂鬱かもしれない。でも、それは社会に出ても同じよ」

  「はい……」

  「大丈夫。あなたならできるから」

  「はぁ……」

  にっこりと優雅に微笑んで先生のお説教は終了。孤立しているミチルの背中を押してくれるだけ、相当分別ある大人なのだろう。

  そうだよね!都合の良い展開を期待しすぎちゃいけないよね!

  美女と野獣の二人だって最初は警戒し合ってたんだから!

  話しかけることが怖いだなんて繊細なこと言ってるヒマはないでしょ!!

  ミチルは呼吸を整えると、オー!と握り拳を天にかかげたのだった。

  [newpage]

  次の日の化学の実験中。ガシャアアアンとビーカーやフラスコが割れる音と同時にきゃあああ!と女生徒の悲鳴が教室をつんざいた。学生の身分で皮膚を溶かすような薬品は使っていないが、グリンが悲鳴をあげたのは男子生徒にぶつかられ、熱湯を腕に浴びたからだ。

  「あつい!あつい!」

  グリンが犬の姿で叫んでいると、ミチルがすぐに彼女の腕を掴んで水道から流水をかける。

  「だいじょうぶ?痛くない?」

  「痛い!」

  「だよね?」

  「ヤケドは痛い!でも水が当たるのはもっと痛い!!」

  「うん、がんばれ!!」

  逃げようとするグリンの腕を掴んで蛇口の水を流し続ける。痛い!嫌だ!はなして!呻く声は無視して容赦なく水を浴びせ続ける。五分ほど経ってようやっと解放された。

  「ヤケドはしばらくは痛いかもだけど、大丈夫だと思うよ。不安なら医務室に行ってね」

  「助けてくれてありがとう。でも人間と喋っちゃいけないって言われてるから」

  「そうなの?誰に?」

  「お母さん。おばあちゃんにも。みんなからそう言われてるから」

  「へぇ」

  「……なに」

  「なにも?」

  ミチルとしては本当になにも思っていなかったのだが、グリンの方が噛みついてきた。

  「ホントは怒ってるんでしょ!せっかく助けてやったのに恩知らずって!でもしょうがないじゃない!だって人間は狼犬人族の敵なんだから!!四つ脚だったオオカミや犬を絶滅させたのは人間族だって聞いてきたんだから!」

  「簡単に人固定観念が解けないことは覚悟してるよ」

  「なによ!人間族にとって獣人はゴミなんでしょ!?あたし達を死ぬまで働かせて仕事ができなくなったら殴ったり蹴って殺すんでしょう?そうやってあたしたちの祖先は殺されたって聞いたんだから!」

  「じゃあこの国の狼犬人族が人間を殺していた歴史は知ってるの?」

  「え?」

  「確かに人間が獣人族を奴隷にした時代があった。けれど、獣人が見境なく奴隷にしたり人間を殺していた時代もあったのよ?殺人兵器としてオオカミや犬を使役していたこともあったの。それが絶滅の真相よ?」

  「うそ」

  「嘘なんかつかない。都合の悪い歴史は大抵蓋をされるもの。あなたが知らないことは割とフツーのことだよ」

  「でも!人間は悪いって!そう教わったもの!みんなそう言ってるもの!」

  ヒステリックな金切声がクラスの視線を集めだす。

  「ねぇ?目の前のあたしは、あなたを奴隷にしていないのよ?少なくともあたしはあなたを殴ったこともない。むしろあなたを助けたいと思った。できれば仲良くなりたいとも。目の前の現実をみてくれる?」

  「でも!あんた人間じゃん!仲良くできるわけないでしょ!?」

  「できるよ」

  「はぁ?」

  「人と犬は仲良しになれるよ。少なくともあたしは沢山の犬と仲良くしてきたの。だから犬や狼が大好きなの。あたしがこの国に来たのだって犬のお医者になりたかったからだもの。だからあたしたちーー」

  「無理!」

  ぷい、っと彼女は行ってしまった。

  (もっと上手く伝えられたら)

  わかっていても、ため息が漏れる。いくら自分の話を聞いてほしくっても、聞く気のないあちらにしたら価値観の押しつけだ。悔しさが闇となってミチルを包む。

  (もっと立ち回りが上手だったら)

  (もう、やめよう。このままだと自分を責めてしまう)

  (また自分のことを嫌いになってしまう)

  「頑張ったよね」なんて小さく声に出してみせる。

  (そうだよ。昔のあたしだったら逃げてた!喋ってすらなかったんだから!)

  ふぅ、ともう一度深呼吸をすれば、凍りついていたカラダが溶け、足元が見える。びしゃびしゃだ。片付けなきゃ。

  (よかった。こっちのビーカーは割れていない)

  雑巾を探していると、同じグループの男子生徒が拭き出した。

  「ありがとう!」

  ミチルの震える声に、黒い髪の青年は「僕は君に殴られたことないからさ」と返ってきた。「私も」なんて言いながら、茶色のベリーショートの女の子も手伝いだす。「一緒にされたくないよね」なんて赤茶色のくるくる巻き毛の男子生徒も笑いかけてくれる。

  「『みんな』なんて嘘ですからね!!真に受けないでくださいね!!」

  「マロン」

  「グリンは自信がないから周りを味方にしようとしてるんです!!バッカみたい!ミチルさまが助けてくれたというのに!獣人族があんなのだと思わないでくださいね!?」

  まるで自分のことのように怒ってくれるのを見てしまったら、怒れるワケ無いじゃない!!

  (言葉の通じない人はどこの世界にもいる)

  (あたしは振り回されてなんていられない!)

  (大切にしてくれる人を見ろ!)

  「実験の続きしよっか!」

  ミチルがグループのメンバーに笑いかけ、実験は再開された。グリンのおかげでクラスの子たちと仲良くなれたんだから結果オーライ☆かもね???

  [newpage]

  「ねぇベルク!」

  「どうしたの?」

  「今日ね?新しくクラスの何人かと喋れたの!マロン以外で!」

  「へぇ!よかったじゃない!」

  帰り路、二人きりになれたこともあって、思い切って今日の事件を話してみた。差別と暴言はなかなか辛かったけれど、ミチルとしてはそれ以上にクラスやグループの子と会話ができるようになったことが嬉しいことを笑報告する。

  「そうか。大変だったね」

  「んー、でもあたし落ち込んでもいないし!むしろ感謝してるし!」

  「そうなの?」

  「だってベルクも王様も、この家のみんなは親切で優しすぎるから。良い経験ができたって心から思えてるもの」

  「ミチルは強いね」

  「強くなれたの!あたしがこうなれたのはベルクのおかげだよ?ベルクがいつもあたしに優しくしてくれるから。いつも生きてていいって言ってくれたから!だから強くなれたんだよ!?本当にありがとう♡」

  「僕は誰よりもミチルを必要としているからね?」

  「うん♡」

  「いや、あの……僕はミチルを必要だし、必要とされたいんだ!そ今だけじゃなくて!あの、その、ずっと!ずっと一緒にいたいって意味で……!!」

  「ありがとう♡あたしもベルクとずっと仲良くしていきたいよ!」

  (まぁいいか)

  すれ違いははちみつ色の宙に溶けてしまって。馬車はガタガタと何事も無かったようにゆっくりと走る。眠ってしまいそうなほどゆらゆらの日差しに包まれていた時!つんのめるほどの急ブレーキが二人を起こした!

  「うわぁ!」

  「きゃあ!」

  「す!すみません!先ほど、なにか動物がーー!」

  誰にも怪我がなくてよかった、なんてベルクが笑う。誰にでも振る舞われる彼の優しさが切な苦しい。耐えきれず見つめていると、ベルクが気がついてくれた。

  「ミチル?大丈夫だった?」

  「ううん。ちょっとこわかった。だから……そばにいてくれる?」

  ベルクに腰元から抱き寄せられると心臓の音が重なる。

  ドキドキしているのは誰だろう?

  ドクンドクンという音は誰のものだろう?

  頬が熱い。もっと聞きたい、とミチルが彼の心臓に体重を預けると、互いの右手がゆっくりとツタのように絡まり合う。はぁ、と甘やかな彼の吐息が耳から全身を犯し、もっと触れたいとミチルが身体をひねって近づけば隙間があることを許さないとでも言うように、さらに抱き寄せられた。

  馬車の中でよかった。手を繋いでいるのが誰にも知られなくて済むから。

  帰り路でよかった。頬が赤いのを夕陽のせいにできるから。

  [newpage]

  緩・閑【ローズ】

  「や♪なにしてんの♪」

  「綺麗だなーって見ていたの」

  王宮の庭には綺麗な自慢の薔薇園がある。白い薔薇、桃色の薔薇、オレンジ、黄色、コーナー別にわけてあり、季節によって区画を愛でられるよう造られている。ミチルは一人でこのコーナーを訪れるのが好きだった。自由に街中を散策はできないが、朝、一人で大きな庭を散歩はできる。夜明けごろ、こっそりとミルクをあたためて朝日を浴びるのも楽しみの一つだった。

  宇宙が白みだし、朝日が昇り、世界が輝きだす。街が徐々に夜明けを迎える姿を見下ろせるのは城住まいならではだ。日本にいたときでは経験できなかった楽しみ。不満より感謝があふれる瞬間だ。

  「朝日よりミチルの方が綺麗だよ♪」

  「……そーゆーあからさまなお世辞は嫌い」

  「う゛」

  ローズはどこうとせず、ミチルの横に座る。

  「ベルクは一緒じゃないの」

  「別にいつも一緒ってわけじゃないもの」

  「へぇ?一緒に寝てるのに?一人で先に起きてる方がヤらしくない?」

  「はぁ!?ちょ、べつにそーゆーことしてないし!一緒に寝てるだけだし」

  「え?ジーマーで?」

  「!?」

  カマをかけられたことに気がつき、ローズの爪先にかかと落としが食らわされる。

  「☆★@!?@★☆」

  「さいってー!!」

  (でもちょっとスッキリ)

  「……でもなんでここ?」

  「あ、ごめん、あたしが邪魔してた?」

  ここはバラ園というからには、ローズにとって特別だったかもしれない。

  立ち上がろうとしたミチルの手をとめ、無言の圧にミチルが座り直した。

  「別に、いいよ」

  「ありがとう。あたしね、ここが大好きなの」

  「?」

  「ここにあるバラってあたしが住んでた近所のお家にも咲いていたのね?ピンクの薔薇がいつもきれいで、そこのお家の人が優しくって、そこのワンちゃんも可愛くってさ?」

  「へぇ」

  「ここに来るたびに思い出してたんだ。モモってなんかローズに似てるんだよねぇ?」

  「は?俺が?犬に?」

  (一応)俺、この国の王子様なんですけど!?ワンちゃん扱い!?

  「うん。モモって犬なのに人見知りが激しくって」

  「そーゆーのは気高いって言うんだよ」

  「あぁ、そうかも。きっとそれ。飼い主にはすっごいデレデレなのに、知らない人には尻尾をふらなかった。慣れてないと撫でさせもしないんだから!」

  「へぇ。悪くないな」

  「ね?ローズそっくりでしょ?」

  「ま、俺は尻尾降って媚び売ってるけどね?」

  「それは第二王子としての努力(生き方)でしょ。心の底から尻尾振ってないじゃない」

  「で?そのモモはミチルにも冷たかったの?」

  「ううん?あたしのことは好いてくれてたから♪あたし犬にはモテるからさ♪」

  「あ、そ」

  「郵便局員さんにも吠えるのに、あたしのこと好きでいてくれたんだよ?犬飼ってると犬に好かれやすくなるってあるんだけどね?モモがデレるのはちょっと嬉しかったよねぇ♡」

  「あ、そ。誇り高き犬もキミに陥落したんだ?」

  「うん。だからローズとどうやったら仲良くできるかな?って考えるときはここに来てた」

  「は?なんで?俺たち仲よしじゃない?」

  「そう?ローズはあたしのこと好きじゃないでしょ」

  「は?なんで!?」

  「ベルクをとられて寂しがってる」

  「いやいや。俺たち男兄弟よ?そーゆーオンナノコの理想とか、ナイナイ♪」

  まいったまいった。オンナノコはこれだから。男に夢見ちゃうんだから。

  「そう?じゃあ寂しくなったら呼んで?あたしでよければ一緒に居るから」

  「……なにいってんの?」

  ミチルは立ち上がって城に向かったが、ローズはそのまま朝日を浴びていた。

  さみしかったら呼んで

  あんなふうに見透かしてくる女は初めてだ!気分が悪い!それに犬と一緒にされるなんて!なんてぶしつけな女ーー。ピンク色の薔薇を睨んでいたローズが突然笑いだした!

  「あはは!」

  まいったな。

  「誰がモモだって?」

  もう、きみに会いたくなってる。

  [newpage]

  【緩・閑 フォル】

  「ねぇフォル?」

  「?」

  「この問題の解き方教えて?」

  数学の問題集を片手にミチルがフォルの部屋を訪れる。

  大きなテーブルではフォルが読書をしていたところで、ミチルはフォルが返事もしてないのにお構いなしに問題を開いた。

  「この問題なんだけどーー」

  「あぁこれならーー」

  「あ、こっちも」

  「ふむ」

  「それからこっちも」

  「……」

  **************************

  「あぁよかった!ありがとう!フォルはさすがだね!」

  読書の邪魔をしても怒らない!なんだかんだで年下に優しい長男属性!

  「ベルクに聞かなくてもよかったのか」

  「なんでベルク?」

  「いや、年も近いしーー」

  「ベルクは解けるけど教え方が上手くないから」

  「なるほど」

  腕を組み、フォルがうなずく。

  「ローズは……教わりたくない。なんとなく」

  「なるほど」

  それも正しい。勘は良いようだ。

  「ルーンは絶対教師にしたくない」

  「ルーンはミチルより年下でまだ高校数学を習ってないぞ」

  「でも絶対解けるでしょ?」

  「おそらくな」

  「だから!ルーンは年下らしく甘えさせてあげたいし!あたしがしっかりしないと!」

  「えらいな。お前は」

  フォルが頭をなでてきた。

  「にひ♡」

  おかえし、とミチルが頭をなでなでするとーー

  「……」

  フォルが頬を真っ赤にして固まっている。

  「あ!ごめんなさい!失礼だったよね!?」

  ベルクにやってることだったから当たり前にしてたけど!仮にも成人!ましてや第一王子サマに向かってやっていいことじゃなかった!!

  「いやそうじゃない。……そうじゃなくて……その……」

  (嬉しい)(もっと)なんて初めての感情を飲み込んでいると、ミチルがバタバタとテーブルの上をしまいだす。

  「ごめんね!読書の邪魔しちゃって!」

  「それはかまわないがーー」

  「ありがとう!やっぱりフォルに聞いてよかった!さっすが長男!完璧王子様!」

  「大げさだ」

  「……ごめんなさい。あたし、間違えた」

  「?」

  「完璧王子サマとか長男とか。フォルの背負ってるものを茶化しちゃダメだよね」

  「……」

  その長男さまはミチルが頭ヨシヨシするのを素直に受け入れている。

  「なんかフォルのツンツンの黒髪って知り合い思い出しちゃうなぁ」

  「ほぉ?」

  「近所にクロって柴犬が居てね?もーお!まっクロでかっこいいのにかわいくって!しかも毛並みがいいの♡ツンツンでごわごわしてて♡この毛質♡フォルそっくりだよぉ♡」

  「私は犬か……」

  「え?今も犬じゃないの?」

  「狼の末裔だ」

  頭をこつんと叩かれると、ミチルがおじゃましました!と出ていく。

  まだ頬が熱い。胸の奥が痛い。どうして泣きそうになっているんだろう。

  (フォルの背負ってるものを茶化しちゃダメだよね)

  あんなことを言う女は初めてだ。それから犬と同列に褒めてくるオンナも。

  [newpage]

  【緩・閑 ルーン】

  「ねぇルーン?」

  「なんです」

  「お姉ちゃんも行きたいなぁー♡」

  「誰が姉です。誰が」

  「え?あたし?」

  「……」

  「あ、なによぉ!あたしのどこが年上だとか、どこにお姉みがあるんだとか、あたしの方が妹っぽいとか思ってるんでしょ!」

  「なにも言ってません。まぁすべてあってますが」

  「ひどおおい!」

  「どうしたの」

  子犬の喧嘩をみかねてベルクとローズが仲裁に入ってきた。

  「ねぇ!ルーンがひどいのぉ!」

  「勝手に人を悪者にしないでくれますか。いえ、冤罪とはそのように起きることを学びましたよ」

  「どおどお。で?なにに怒ってるの」

  「今度ね?幼稚舎と小学部合同のイベントがあるんだけど」

  「あぁ。あるね」

  「そのイベントを中学部の三年生が手伝うからあたしも見学したいって言ったのに、ルーンが嫌がるの。あたし、保護者枠でなんとかって言ってるのに」

  「当たり前でしょうが!」

  「「……」」

  保護者枠は図々しいかも、なんて言葉は発せず、ローズとベルクが苦笑い。

  「ミチルの魂胆なんてわかってるんです!おおかた幼稚舎の児(こども)たちが見たいんでしょうが!」

  「だって!ちっちゃいモフのかたまりだよ!?そんなの見たいに決まってるじゃない!

  「あなたが変態じみた雄たけびをあげることも決まってるじゃないですか!恥を知りなさい!恥を!」

  「しょうがないじゃない!あんな狼要素もない、子犬モフが歩いてるんだよ?そんなの叫ぶでしょ?だってモフ天国なんだよ?ねぇ!?」

  「あなたの天国(つごう)なんて知りませんよ!子供たちはただ生きているだけです!あなたみたいな変態の視線を寄こせるわけがないでしょうが!」

  「おねがい!そこをなんとか!」

  「「……」」

  王子権限を使っても、国賓見学枠にしてはいけない気もする。国民のためにも。

  とはいえこの二人の喧々諤々は止まりそうにもない。ミチルもルーン相手にぎゃあぎゃあと喧嘩できるのだから大したものだ。温厚派のベルクはもちろん口から出まかせ番長のローズさえこの可愛くない末弟には口で勝てそうにないと言うのに。

  「なんだいったい」

  お兄様が帰ってくるなり兄弟げんか。うんざりしないよう、つとめているの、さすがです。

  「フォル!助けて!」

  「「あ!」」

  ミチルがフォルに抱き着くとか卑怯プレーで先制!

  「あたしがルーンの中学のイベントを見学したいって言ってるのに!ルーンがダメって!」

  「な!」

  (卑怯なり!)

  「見学ならいいではないか。なにを戸惑うことがある」

  「う゛」

  長男リスペクト、長男大好きな末弟としては、命令は絶対なのです。……なのです。

  「いえ、そのイベントは――」

  「ねぇ!あたしまだ付属幼稚舎に行ったこともないの!行ってもいい?」

  「ん?いいんじゃないのか?」

  「兄さん!」

  ((あーあー))

  フォルの見ていないところで、ミチルがルーンに舌出しちゃって。ルーンがまた本気で怒ってる。本気で14歳と喧嘩とかどうなのよ?でもね?

  ローズとベルクとしては今までの男兄弟の関係が少し変わっていることを楽しんでいた。別に不満があったわけじゃないが、ミチルの影響でフォルもルーンも心から笑って感情を吐き出せている。兄弟たちはミチルの前では王子の仮面を外せる。ただの男(ひとり)になれる。それにどれだけ救われているか。彼女が知らないだけで。

  「今まで兄さんはルーンに一番甘かったのに」

  「ミチルは上手いよねぇ♪甘え方がわかってる♪」

  「だよね」

  「あんなだとフォル兄さん、本気になっちゃうんじゃない?♪いいの?ベルクは♪」

  「は?」

  「弟がミチルを気に入ってるって知っててもさ?恋ってのは別だろ?♪」

  「……なにを」

  「俺だっていつ、なにをどうするかなんてわからないよ?♪ルーンだって、ね?」

  「……」

  「別にミチルはお前だけのものじゃないんだぜ?」

  低い声でローズが去り、三人の輪に入る。じゃあそのイベントに参加しようかな、なんて横入しようとしてはまたミチルをからかってキャンキャンキャン……。

  ベルクはその輪を遠巻きに眺めていた。馬車の中では当たり前のように手をつなげるのに。こんな時はどうやって声をかけたらいいんだろう。あぁ、声の出し方も話し方も忘れてしまったみたいだ。

  [newpage]

  「ルーン、ありがと♪」

  学校の帰りの馬車の中でミチルが笑いかける。今日の幼稚舎、小学部との合同イベントのことだった。もちろん変態と化すことは我慢していたが、かわいい子犬たちに囲まれ、ミチルは天国だったようだ。つやつやしている。

  「ごめんね?あたしが来るの嫌がっていたのに」

  「国賓としての品位を求めただけです。それなりにしていただければ別にーー」

  「うん♪ありがと♪」

  いつもならベルクとミチルが隣同士に座るのに、今日はベルクがいない。ミチルはルーンの隣に座ってひたすらお喋りをしていた。突然現れて、ずけずけと五月蠅いのに憎めない彼女(ひと)。兄弟たちに馴染んでしまった彼女(ひと)。歳は近いと言われてもどこか遠くて。甘えてくるかと思えば急に大人びてとらえどころがない。男兄弟たちは彼女に翻弄されっぱなしだ。ルーンもそう。普段の冷静さが保てず、彼女のことは嫌いではないが、どこかで許せないでいた。

  「ねぇルーンってどういう意味?」

  「どういうことです?」

  「ローズは薔薇、フォルは森って意味って聞いたの。ルーンは?」

  「……月(ルナ)です」

  「えぇ!?ピッタリ!すごい!誰!?名前つけたの!天才!?」

  「母上です。月はこの国では女の名前ですよ。天才どころかーー」

  「ルーンは自分の名前が嫌い?」

  「さぁ?嫌いという感情すら湧いていません」

  「そう……」

  「母は僕が金髪の絶世美女として育った夢を見たんだそうです。それで女の名前を用意してしまった。このとおりオトコが生まれたのでルナ(女名)ではなくルーン(男名)に切り替えたわけですが。どうぞ、笑いたければ笑っていいですよ」

  「素敵な名前ね?」

  「あなた聞いてました?なぐさめならーー」

  「だってお妃様はお腹にいたころからルーンが生まれるのを楽しみにされていたってことでしょう?それで名前通りの綺麗な金髪の子が生まれてくれたんだもの!お妃様は本当にうれしかったでしょうね!生まれた瞬間から親孝行したって!ルーン、それってすごくない?」

  「……」

  どうして月の女神の名前なのだと親を恨んだことはあったけれど

  どうして月の名前にこだわったのかなんて考えたこともなかった。

  「女の名前をつけた親を恨んだこともあったのですが――」

  心の澱が解ける。指先が温かい。どうして涙が出そうになるんだろう。

  ただ、自分の名前をゆるしただけなのに。

  自分の存在をゆるしただけなのに。

  「少しだけ自分のことを好きになれた気がしますね。それに――」

  兄たちがあなたを好いている理由が 少しだけ わかった気がします

  「そういえば、あたしも仲の良かったコが月の名前だったなぁ」

  「へぇ?」

  「アルって言ってね?アルテミスって月の神様の名前をもじったかわいいワンがいたの♪ルーンみたいに綺麗な金色の子犬だったのよ♪もぉ、かわいくって♡」

  「犬ですか……」

  「あたしからしたら犬と同列って最大級の賛辞なんだけど?」

  「僕もその仲間入りだと?」

  「そ♪」

  「……まぁいいです」

  「じゃあわしゃわしゃしていい?」

  「少しなら」

  「!」

  馬車の中に優しい陽だまりが揺れる。隣でミチルが黄金色の髪をみつあみにするとルーンはおとなしく身を任せていた。

  「あたしのこと、お姉ちゃんって呼んでもいいのよ?」

  「それはお断りいたします」

  [newpage]

  緩・閑 【束縛(リング)】

  きょうもきょうとて、ミチルとベルクは民衆のお勉強、という名の街デートをしていた。男兄弟と一緒じゃ食べないクレープやドリンクを食べ歩いては「今のって王子様?」「まさか」と民衆に通り過ぎられる。自分にとっては当たり前の街並、食べ物もミチルははしゃいでくれる。彼女がこの国を楽しんでいれば自分も嬉しい。歴史ある建物が素敵とため息をついてはツヤツヤのリンゴが美味しそうと笑う彼女。歩くだけで楽しいなんて言ったら王子失格かもしれないが、それでもいい。彼女と出会ってしまったら、堅苦しい王室向けのデートなんて、もう、できない。

  「ミチル?ほかにはなにか欲しいものはある?」

  「うーん、あんまりないかなぁ?」

  「そうなの?遠慮しないで言ってよ?」

  「じゃなくて。あたし、恵まれすぎてるから!美味しいご飯も柔らかいお布団もあって、お風呂には入れてるし、学校にも行かせてもらえてるし、服だって下着だってこまめに買ってもらえてるし――」

  彼女を笑顔にするのは自分でありたいんだ。

  キミを幸せにするのは僕だけでありたいんだ。

  叶えたいんだ。もっとワガママを言ってよ。男のワガママも解ってよ。

  「それにベルクのお小遣いは国民の税金よ?節約はしなくていいけど、感謝して丁寧につかわなきゃ!」

  「……」(しっかり者すぎる)

  キョウダイ、親、周囲の誰もがベルクがミチルを慕うのを止めないのはこんな姿を見るせいだ。

  「あ!見て見て!」

  ミチルが指さしたのは町一番の大きな宝飾店のショーウィンドウ。くいくいとベルクの腕を引いて見に行こうとしている。

  (オンナノコだなぁ)

  男兄弟では絶対になかったリアクションは新鮮で楽しい。

  (兄さんにこんな風にされても嫌がらせとしか思えないけど)

  「これってベルクの?あ、こっちはみんなのデザインじゃない?」

  ショーウィンドウに並ぶのは紺、深緑、深紅、濃紫、水色、の宝石に金縁のオーバールと、王妃様を連想せずにはいられない大きくて真っ赤な宝石に負けないほどゴージャスな細工の大ぶりの金色のネックレス。威風堂々と鎮座する様は、国民の前でみんなが整列しているみたい。

  「よくわかったね」

  「みんなのこと大好きだから!ねぇ、ここは王室御用達?」

  「うん。五百年ほど前から王家専属の宝飾を作っている老舗だよ」

  「みんなが並んでるみたいでかわいいね!」

  宝石たちを眺めなが笑う横で、ベルクの口はへの字と不服そう。

  「どうしたの」

  「ミチルがいない」

  「は?」

  自分のことを大切にしてくれているのはわかるが……。

  (バカ?)と単語を飲み込んでいる横で、ベルクが店内に入ってしまった!

  「えwちょ!」

  あわてて追いかければそこは――

  「王子様!!」

  「どうされました!?」

  「店先に来たからちょっと寄ったんだ。いつもありがとう」

  「こ、こちらこそ!!」

  キャー!別世界!!銀●のビルでもこんな空間、見たことない!ゆったりとひろくてひろすぎてひろーーーーい店内にはぽつりぽつりとガラスケースがおかれ、その中に宝石が飾ってある。売り物というよりは美術品のよう。等間隔にソファがあり、客はお喋りをしにこのお店にやってくるみたいだ。それがこの店の接客スタイルなのだろうが――。

  (あ、あたしの知ってるレベルのお店じゃない)

  ミチルが以前の世界で行ったことのある高級な宝飾店でさえ、もっと狭くて接客もがっついてたはずだ。ガラスカウンターをテーブルに会話するほどコンパクトだったあの時のことは覚えている!美女と野獣モチーフのマリッジリングを買いに行ってペアの二つともを女性サイズにしたこと!店員さんが詳しく触れてこない方がずっとおぞましかったことも!!(はい、開けてはいけない記憶の蓋、閉じまーす)

  「ベルクさま!御足労いただきまして!」

  上階から立派なスーツの男性が現れた。この店の主人だろうか? 気まぐれな王子の来店にも動じず堂々とした振る舞いは流石だ。

  「本日はどうされました?なにか手前共に不具合でも?」

  「突然ごめんね。おもてのショーウィンドウのことなんだけど」

  「はぁ?」

  「ミチルがウィンドウの宝石たちが僕たちだって気がついたんだ。この店は数百年、王族御用達だってことも話していてね」

  「左様でしたか。いたみいります」

  店主はミチルにもふかぶかと頭を下げる。が、ベルクが城でも見せないほど悲しげな表情を見せた。

  「でも、あそこにはミチルがいないだろ?」

  「?」

  「ベルク?なにいってるの?」

  「もう一度言うね?ショーウィンドウにミチルがいないんだ?」

  「!!」

  王子様の脅しスマイルにいろいろを察した店主と従業員たちが大慌てで分厚いカタログと既存の見本品が入ったトランクを持ち寄りだす!気がつけばミチルはいつのまにやらふかふかのソファに座り、手元にはあたたかいドリンクが用意されていた。

  (なにがどうしてこうなってるの?)

  「細かいことはまた今度、城でね?でもとにかく今すぐミチルになにか用意してくれる?ウィンドウに飾れるレベルのものを」

  「かしこまりました」

  「え?あ、あたしぃ?」

  「うん♡」

  王子さまはにっこりと微笑んで、手元のホットアップルサイダーに口づけた。

  「いや、ちょっと、待って?落ち着いて?あたしは居候だよ?」

  「ミチルこそ落ち着いて?それなりのもてなしが保証されるってルーンも言ってただろう?」

  「そうだけども!それとこれとは別――」

  「どうして?ミチルが僕のお気に入りということは、王族のお気に入りということだ。気に入った女にアクセサリの一つも買ってやれない王子が国の男たちの手本になれるとおもう?経済のためにも必要なんだよ?」

  「……」

  「それに遠慮して僕に恥をかかせちゃダメだよ?王家の恥は国民の恥だから」

  (あれ?あたしが間違ってるんだっけ?)

  「国賓さまは、なにか希望はありますか?」

  若めの女性店員がかしずいて目の前のワゴンにずらりとならんだネックレスから気に入ったものを選べ、と言っている。ミチルが黄色のワンピースを着ているせいだろうか?ミチルのイメージなのだろうか?ゴールドのアクセサリーが多めだ。確かにひとつひとつは素敵だが、宝飾がつきすぎて、あまりに派手でおおぶりすぎる。ごてごてと重たいし。

  「うーん、あたしはもっとシンプルなのがいいかなぁ」

  フツーの女性ならきゃあきゃあ言いそうな、まぶしくってまぶしすぎるゴージャスすぎる品々!なのに目の前のミチルのあまりの反応なし加減にベルクが不思議そう。

  「そうなの?どうして?」

  「え?だって、これっていかにもドレス向きじゃない?これじゃあ学校につけていけないじゃない」

  「?」

  「だってベルクからのプレゼントでしょ?アクセって『あなたのものです』ってずっと身につけるのがフツーじゃないの?こんなのじゃあ――――?きゃああああ!!!」

  (しまった!まちがえた!そういう意味じゃなかった!!)

  ミチルがあわてて両手で真っ赤になった顔を隠す。が、時すでに遅し。

  「「……」」

  店員とベルクはミチルの言わんとしたことが分かったようだ。

  ベルクはミチルが特別な国賓だとアピールしにやってきたというのに、ミチルはカップルのアクセ売り場にしていたなんて死んでも言えない!

  (あーあーあーあーあー!!やだもーーーーー!!!ちょっと!!時間!戻って!!)

  ベルクとしては今にも恥ずか死にそうなミチルをどうフォローしようか考えているのだが、店員は声を殺して楽しそう。

  「失礼いたしました。プライベートで来ていただいていることを我々が理解していなかった模様です」

  「大丈夫。僕こそ勘違いしていたみたい。公務用のものは城の方で頼むことにするよ」

  「かしこまりました」

  「そしてシンプルで学校に付けていけそうで、学生が買えそうな値段のものを頼むよ」

  「かしこまりました」

  二人が淡々としているのがツラい。いっそ笑ってくれた方がマシなのに。

  (王室御用達ショップに彼氏にアクセ買ってもらうノリで来てるとか。あたしほんとなにさま?)

  調子に乗りすぎた。ベルクに嫌われてる自覚がないからって。ベルクが優しいからって。

  告白されたわけでもないのに。あたしだけの片思いなのに。

  相手は王子サマなのに。あたしはただの人間なのに。

  あー、もう、自分で自分がイヤになる。泣きたい、逃げたい。

  「……ごめんなさい」

  「どうしてあやまるの?」

  「もう、なんかいろいろ。逃げたい」

  「逃げないでよ。それにこれじゃあ手がつなげない」

  ゆっくりと顔を隠していた手がほどかれると、指先がからめられてしまった。ミチルが逃げようとするのをダメと言わんばかりに強く絡められてしまい、離れることもできない。

  やめてよ。こんなの期待しちゃうから。

  こんなときどうしたらいいの?

  あたし、恋愛偏差値ゼロすぎてわからないよ。

  なんでモフオタだったんだろう。

  なんでフツーの恋愛経験ゼロなんだろう?

  「こんなとき、『フツーの』カップルは?どうやって待つの?」

  「……いじわる」

  ***************************************

  店員はこぶりかつシンプル、それでいて制服に合わせてもおかしくないゴールドのネックレスを用意してくれた。ミチルがかわいいと盛り上がる横でベルクが他にもなにやら細かくオーダーしている。店員が台座を下げようとしたころ、ミチルがふかふかのソファを降り、爪先だって店員を寄せた。

  「あの!!」

  「?」

  「ベルクの瞳とおなじ紫色の石をつけて欲しいの!できますか?」

  「もちろんです」

  真っ赤な顔の恋する瞳に、宝飾店の店員も種頷いてみせる。

  **********************************

  ミチルがソファに座ると、ベルクはニコニコとご機嫌だ。

  「ねぇ、ミチル。今日はこれをつけてよ」

  「?」

  ベルクが深紫色のチョーカーをミチルの首にセットする。まるで首輪のようで、束縛と支配欲に顔を真っ赤にしていると。

  「アクセサリーって僕のモノってアピールなんだろ?」

  「!」

  耳元の息に溶けそうなのに、王子さまは楽しそうに笑っているんだから、ずるい!

  ***************************************

  王子が選んだシンプルな金色のネックレスとは、数週間後には女性用プレゼントとして流行しだした。『学生でも買える値段』とベルクの言葉もちゃっかり流用されている。お妃様は自分のデザインの色違いをミチルの公務用にしようとして兄弟たちに止められていたりして。

  **************************************

  「ちょ、これ!作ったの、だれ!!」

  ミチルのワンピースやドレスは黄色で揃えられていたのに、仕立屋や街中ではどう勘違いされたのか?新作の中には紫色のワンピースたちが混ざっていた!

  [newpage]

  緩・閑 【茶・茶・茶】

  「おなクラおめー!」

  王宮の庭の東屋ではテーブルの上にたっぷりのお菓子が用意され、ミチルとマロンがプチピクニックもといお茶会もとい進級しても同じクラス★おめでとう会★を開催していた。新学期は来週からだが、春休み中に新学年のクラス発表の封書が届く。今日はミチルとマロンが同時に開封し、同じクラスだった奇跡にお祝いをしてたってワケ。ま、お喋りする口実があることは良いことだ♪

  マロンの持ってきてくれた甘いケーキ、前もって用意していたしょっぱめのサンドウィッチの永久運動が止まらない。男子禁制の食べまくり大会は女子だけの特権で、親友とも同じクラスでいられる幸せがさらにケーキを甘くさせる♪

  「やぁマロン」

  「ベルクさま!」

  東屋でのお茶会にベルクが一口サイズのケーキの盛り合わせをもってやってきた。同席するつもりはないが、ミチルの送迎にほぼ一年間毎日マロンと顔を合わせてきたのだ。恋人面で「今年も頼むよ」なんて微笑んでみせる。

  「ベルクさまは今年で最高学年です。いろいろと変化の年だと思います。やはりミチルさまの送迎はおやめに――」

  「やめると思う?僕が?」

  堂々の王子様スマイルで返事をすれば、マロンが「きゃー♡」なんて喜んでいる。

  「今年もベルクさまの愛でが拝見できますのね♡」

  「ねぇ、マロン、楽しんでない?てかマロンもベルクが好きならあたしは――」

  「なにをおっしゃるのです!私が好きなのはミチルさま!そのミチルさまがベルクさまに恋しているゆえ、ベルクさまを推すわけでーーこれはいうなればカプ推しであり――」

  「ちょ、ちょ!?ちょーーーーーー!!!」

  「僕の目の届かないことも多いと思うからさ?その時はマロンが護ってくれる?」

  「もちろんですわ!ふさわしくない虫は事前駆除!外様はおとといきやがれですわ!」

  今にもガシイイイン!と音が聞こえそうな握手。たゆとう穏やかな太陽がギラギラと熱い。どうしてだろう。マロンは美人でミチルよりもずっとベルクにふさわしいルックスなのに、この二人から男女の匂いがしないの……。

  「ミチルさま、こちらフォルさまからです」

  「ミチルさま、こちらはローズさまより――」

  「ミチルさま、こちらはルーンさまからーー」

  「はわわわわ」

  女中たちがやんややんやとお菓子だの花だのを運んでくる!どうやら兄弟たちは今日はマロンとのおしゃべり会だから男子禁制と言ったのを律儀に守ってくれたらしい。

  ピンク色の薔薇の花束、バラのジャム、バラのマカロン!ピンク祭りは送り主が誰かなんて聞かなくってもわかる。どう考えても女子二人で食べるサイズじゃないシンプルどっしりのリンゴのパイはおそらくフォルが取り寄せたものだし、プチサイズのケーキにチーズと甘いしょっぱいの合理的な盛り合わせはルーンだろう。

  「こんなの食べられるわけ……」

  あるんだけどさ?

  「愛されてますわね♡」

  「そんなおもしろいのかな?あたしが沢山食べるの」

  「……ミチルさま」

  「ミチル」

  「ふ?」

  あーん、に見せかけて、バク!ッとベルクが一口ずつ、ケーキやパイを摘んでいる。

  「あたしのぶん、なくなっちゃう!」

  マロンは見てるだけ。止めてくれない。

  [newpage]

  7【こいつらこれで】

  「ミスミチル。今日も図書館かい?」

  「はい!」

  「本当に君は学習が好きなんだね」

  「はい!お医者さんになるための一歩だと思うと、とても幸せなんです!!」

  失礼します!

  頭を下げて、沢山の分厚い本を両脇に抱えてミチルがパタパタと廊下を駆ける。その後を水筒だの弁当だのミチルの荷物だのを抱えたベルクが追いかける。一応立ち止まって目の前の教師に頭を下げはするが、彼にとってはミチルを追いかける方が優先だ! いつもと同じ、放課後の風景。高等学校の授業が終わったら、ミチルは隣接する大学敷地内の図書館に走り出す。一学年上のベルクがそれを追いかける。一年以上も続けば教師も生徒も見慣れた風景で、二人が走っているのに出くわしたら、人波が道を作るようになった。

  受験勉強なんておよそ十年ぶりの経験と道のりのけわしさに気が遠のくこともある。だけど、犬飼ミチルの人生での嫉妬や後悔を、この世界で見た真っ黒な煙を思い出せば、立ち止まってはいられない!

  人生をやり直したくって、どうしたらいいかわからず泣いていたあの頃とは違う!

  あれほど欲しかったチャンスの切符!絶対に無駄にできない!!

  神様にとってあたしが★★★★★(切符あげて良かった)にならなきゃ!

  ***************************

  「ミチル、はい」

  「うん、ありがとう」

  ベルクが手渡してくれた白湯とは言い難い、ぬるめの湯冷ましをぐい、と飲み干して、また過去の問題集にとりかかった。ミチルから一分一秒でも図書館にいたい、と王宮での夕餉を断ったのがきっかけだった。ミチルが夜遅くまで勉学に勤しむ姿を応援しつつも寂しがっていた男は、アイドルのマネージャーのようにあれこれと世話を焼き出したのだった。

  放っておくと飲食を忘れてしまうオモイビトのために、妨げにならない軽食を作らせて、放っておくと喉の渇きに気づかないオモイビトのために水筒を持ち歩き、放っておくと防寒を後回しにしてしまうオモイビトのためにブランケットを持ち歩く。受験勉強にいそしむミチルの邪魔にならないようにと、第三王子はこれまで真剣に取り組んでこなかった政治学や帝王学に身を入れるようになっていた。

  「ミチル、そろそろおなかがすいてない?」

  「んー、言われれば?」

  ほら、これだからほおっておけないんだ。

  休憩スペースに連れ出すと、眠くならない魔法のサンドイッチをベルクが用意して、ミチルがあーんと食べる。それから甘いミルクとクリームがたっぷりのポタージュを。もうひと口、もうひと口、と与えられてはミチルが美味しいと微笑む。オモイビトが笑顔になると鼻先がツン、と痛い。どうしてだろう。ミチルがいないときに食べていた絢爛豪華な晩餐会よりも、二人で食べる軽食のほうがずっとあたたかく美味しいんだ。

  「美味しいね」

  「おいしい♡」

  通常なら艶めき色恋わき立つハズの十代の学び舎での異色な二人。最初は笑われていた二人も、半年以上も経った今では誰もなにも言わない。二人が高等部を卒業しても、晴れて大学校に入学したあとも、二人だけのピクニックは続いた。

  

  [newpage]

  【二人ぼっち】

  ミチルが願えばわざとモフ姿をあらわにしてモフモフの抱き枕になってみせた。落ち込んで泣いていたときは、ぺろ、っと顔を舐めたら笑ってくれた。ときおりベルクが黙ったまま寄り添うと、ミチルは抱きしめてゆっくりとゆっくりと何度も何度も背中を撫でた。顔をすり合わせて、頬を寄せ合うだけのキスなのに、どうしてこんなに満ち足りて幸せなんだろう。

  「ねぇベルク?」

  「ん?」

  「私、幸せ」

  「うん、僕もだよ」

  「どうしてかな?ベルクといると安心するの。ドキドキもするけど、それだけじゃなくて」

  「うん、僕もだよ。離れたくない」

  「あたしも。ダイスキ」

  「僕もだよ」

  苦しいほど力いっぱい抱きしめあって、手を握って寄り添い眠るだけ。そんな夜が何千回と繰り返される。ただただ、指先だけで愛おしい存在に触れる。

  一緒に居られるだけで幸せだなんて

  こんな感情を知らなかった

  真剣なカオも、こちらだけを見つめて笑うカオも、自分に身を預けて眠りに堕ちるカオも、沢山触れ合ってうっとりとしたカオも。全てが全てが愛おしくて。誰にも見せたくない。目の前の愛おしい存在を自分だけのものにしたい。月夜を迎えるごとに切なさと独占欲がつのる。

  彼女は水面に浮かぶ月

  種族の違う華奢な存在は腕の中で閉じ込めるだけで精一杯。

  [newpage]

  【獣(けだもの)だもの】

  国のイベントにでるのも王子たちの公務だ。厳かな式典は王と王妃がメインだが、軍隊のパレードやらお祭り騒ぎは王子たちが歓迎される。本日は国軍による剣技のイベントにミチルも一緒に呼ばれていた。パレードの金管楽器がお祭り気分を盛り上げる。

  「そ、か。軍隊もあるんだよね」

  国を護るため、王族の血を護るため。灯を絶やさぬためを名目に、年に数回開催される武道会は学生や一般市民も参加できる国をあげたイベントだ。

  「剣技を競う大会のほかには剣舞もあるんだよ♪オンナノコがきれいでねー♪」

  「へー」

  「昔はホントに殺し合ってた血なまぐさいショーもあったみたいだけど、なんやかんやで今はもうちょっとぬるくなったってゆーか♪」

  隣に座るローズがパンフレット片手にあれこれと説明してくれる。

  「でもなんで軍隊でも『ショー』扱いなの?剣とか武力ってもっとそれなりにおごそかに扱われない?」

  「武器なんて人間族相手なら意味がないんだ」

  「なんで」

  「人間族がなにかしようと動く前には殺せてるからな」

  フォルとローズが普段は見せない犬歯を指さして笑っている。その鋭い武器は旧世界でいう八重歯、なんて可愛らしいものじゃない。

  そうだった。この人たち、もともとは犬で狼だった。噛みつかれたら人生終了だった。

  そっか。今のところ、よっぽどの生物兵器か核爆弾でも落とさない限り、人間族は勝てないのか。

  (余計なことを言って兄弟たちを本気で怒らせないようにしておこう)

  ミチルが密かに決意した頃、美しい金属の音が響き始めた。

  軍服に獣人姿の男性二人が大きな刀を振っては避け、と美しい型を魅せだす。二人型の演舞、一人の演舞。王の御前のための剣の舞があるのはどこの世界でも同じなのだ。今度はサービスだろうか?腹を出した女性たちが踊りだす奇妙な空間。命を産むものが殺しの道具で舞い、殺伐さが美を産む。つるつると操り、怪しくて艶やかな時間は獣だということを忘れさせる。

  「人間族由来の剣術を俺たちが扱うって意味不明?♪」

  「うん」

  「だよね♪たださ?歴史上に存在した人間族との友好や交流の証って思うと、不要な剣術も必要だろ?♪」

  血なまぐさい歴史だけじゃない。確実な互いの努力があった。

  一見、不要な文化こそ、未来のために必要。

  イベントや伝統はそれらを伝えてくれている。

  「やっぱり兄弟の中で剣術が一番巧いのはフォル?」

  「いや?」

  「じゃあルーン?まさか大穴でローズ?」

  「だと思う?♪」

  「え?だって――まさかぁ?」

  「そのまさか、だよ。本当に剣術が強いのはベルク♪」

  「うそぉ?」

  あんなにみんなに優しくて、誰かを傷つけるなんて一番向いていないのに?

  ミチルがさらにローズに聞こうとしていた時だった!わぁ!と歓声が起こり、ミチルの声が消える!その噂のベルクが中央で舞いはじめるとアイドルのコンートのように歓声が飛びかい、音楽が鳴ると静けさの幕が下りた。

  「わぁ……」

  一人で舞い、誰かと型を手合わせる姿にミチルも見惚れてしまう。振る舞いは艶やかなのに女性とも男性ともわからない。妖精?神様?この国の誕生を示しているのだろうか?剣を投げながら飛んだり跳ねたりと軽々とキャッチするたびに拍手が起こる!ミチルももちろん目を離すことができないでいた。

  音楽が変わり、低いおどろおどろしい音が歴史をほのめかす。襲い掛かる数人をなぎ倒す舞は王族が人間たちと闘い、民を護る姿だろうか?ショーだとわかっているのに、激しく刀剣がぶつかりあう音にひやひやする。けわしい表情もせつない表情も国民のため。兄歴代の王をベルクが演じる理由がわかる気がする。

  音楽が明るくなった。世界の夜明けだ!!また一人の舞に戻るが、最初の舞とは違い、希望がこめられているのが刀の動きでわかる。剣先(この国の未来)が太陽を示す。

  演舞が終わると爆発的な拍手が起こった!ミチルも手が止まらない!ベルクに向けてだけでなく、ただただ歴史を舞踏で表現するこの国がいとおしくてたまらなかった。それに普段は優しくってかわいいベルクの真剣な男性の表情はカッコよくって美しくって!この国の王子様なのだと思い知り、改めて胸の奥が痛む。

  「すごい……知らなかった。ベルクが剣技が得意って」

  「ミチルには知られないようにしていたからね♪」

  「なんで?」

  「そのへんはオトコゴコロ?察してやってよ♪」

  「でも、なんで?なんのために弱いフリなんてするの?」

  「第三王子だから?♪」

  「処世術ってこと?」

  「ご名答♪あいつは他人の心を動かす術をわかってる♪だから必要以上に強く魅せない努力に走ったんだよね♪」

  「……」

  「フォル兄さんは生まれながらに人の上に立つことが求められている。太陽は完璧でなくちゃならない。絶対王者でなくてはならない。だからまぁ、視線も手間暇も第一王子に注がれてきたよね?俺はもう気楽に自分のペースでいたんだけどさ?ベルクは逆だった。完全じゃないことで家臣に支えられる路を拓いたんだ♪」

  「護りたくなる王子サマってこと?」

  「王子なんていっても生存競争だから♪あいつの生き方に正解も不正解もないさ。ただ、これからはどうなんだろうって思うけどね?他人に勝ちを譲るのは今までならよかったろうけど――」

  「?」

  「勝ちを譲って、護りたいものを護れないのは、男として、王子としてどうなのってハナシじゃない?♪民の手本になれるのか、って」

  「手加減は相手に失礼だし、国民を護るためにはある程度の執着がないと信用を失うってこと?」

  「わお♪さすが♪呑み込みが良くて助かる♪」

  「さっきのベルクの演舞をみていればわかるよ」

  「じゃあ、ベルクを成長させるために、協力してくれる?♪」

  ミチルが返事をする前にローズが突然立ち上がってひらりと来賓席から武道ステージへ降りた。真紅のマントがあまりに美しく舞うので、まるで演舞がはじまるのかと誰もが黙って見つめている。

  [newpage]

  「なぁ、ベルク♪」

  「?」

  演舞が終わり、ステージを降りたばかりの弟を見下ろして兄さんはニコニコ笑顔だ。

  「久しぶりに一戦、やらないか?」

  「えぇ?ヤダよ!そんなの僕がすぐに負けるに―――」

  「だから本気でヤろうよ?そうだな?賞品はミチルってどう?」

  「はぁ!?」

  「ベルクが勝ったら俺は何にもしない。でも俺が勝ったらミチルは俺のもの♪好きにしていい♪これならどう?闘う気になった?」

  「なにを言って……」

  「そうだなぁ。ベルクの前でミチルと♡♡♡♪なーんてどお?あ、ミチルには許可はもらってるからさ♪安心してよ♪」

  「ふざけるな!」

  ベルクの拳がストレートに顔面に向けられた瞬間!ローズが倍の力で手首を握る。

  「だから。そーゆーのをやれ、って言ってんだよ」

  いつもなら国民を魅力する笑顔と真逆の低い脅し声にベルクがごくりと唾をのむ。基本、平和で穏便解決マンな第二・第三王子が喧嘩なんて周囲は信じられない。そう、だから――。

  「どう?ここでベルクが俺を殺しても罪にはならないよ?俺から喧嘩を売ったんだしさ?」

  「どうあっても?」

  「おまえの前でミチルが無体を晒してもいいとみなすぞ?」

  「――っ!」

  キィン、と音が鳴る。ベルクの剣が振り下ろされた!が、ローズの一回り細長い剣が歌うようにかばってみせる。国民たちはステージに釘付けだ。

  「ほら、みんな喜んでる。見ろよ。王子たちの決闘だ!みんなお待ちかねのショーじゃないか」

  「――っざけるな!」

  周囲に二人の会話は聞こえない。怒鳴り声の代わりにキィン!キィン!と二人の剣と剣が火花を散らす。獣人でさえ素早すぎる二人の動きを追いかけるのがやっとで、ミチルには何が何だかわからない。速すぎる動きに誰も止められない!審判もいない!こんなのとてもショーとは呼べない!!

  「ふざけているのはどっちだよ?いつも勝利を譲るの王子で国民が喜ぶとでも?」

  「それのなにが悪い!」

  「周囲をバカにするも大概にしろといってるんだ!」

  「どっちがだよ!僕が勝っても『王子だから』で終わりだろ!?どんなに尽くしてもまともな評価をされたと思われない!だったら最初から勝利なんて――」

  「それでミチルを失っても、か?」

  「どうしてミチルが関係するんだ!」

  「大アリだよ!お前みたいに逃げ癖がついたやつが惚れた女を護れるとでも思ってるのか?男は女を護るためにいるんだろ?ミチルを奪おうとした人間が現れた時、戦えるのかって言ってるんだ!?」

  「それは――――っ」

  キィン!とひときわ高い歌声が響いたところで二人は弾けるように距離を置いた。はぁ、はぁ、と互いに呼吸を整えだす。周囲は黙って見守るしかできず、ただただすさまじい二人の気迫は「兄弟のじゃれあい」なんてものじゃないことしか解らない。

  「なぁ?」

  「?」

  「これから先もミチルがこの国にいるなんて保証がどこにあるとでも思うんだ?譲り癖のあるお前にミチルが惚れぬくとでも思っているのか?」

  「そんなの誰にもわからない!」

  「うぬぼれるなよ?いざとなった時、護れる保証のない男に女が獲られると思うな」

  「ミチルは僕のものじゃーー」

  「そういうとこだって言ってるんだ!」

  大きく剣がふりおろされたが、ベルクは転がるように上手くかわしてみせた!が、容赦なく突くように剣先が降り注ぐので、ベルクはかがんだままローズの脚を蹴りはらい、よろめいた間に体勢を整える。

  「いい加減にしろよ!お前にミチルを幸せにできるわけないだろうが! 俺の方がずっとあのコを――――」

  「――――-っ!!」

  低い唸り声が聞こえたと同時にローズの視界からベルクが消えた。どこだ!?疑問に思う間もなく、かがんでいたベルクが柄頭でローズの顎を撃つ!

  「!!」

  白かった視界から戻り、頭を打って倒れたと気がついたときには狼犬化したベルクがはぁはぁと呼吸も荒々しく喉元に切先を当てていて――――。

  「参った」

  両手を振りふり、敗北宣言。ローズの笑顔にベルクの細長くなっていた黒点がゆっくりと丸くなった。

  「ベルク!」

  駆け寄ってきたミチルの声は聞こえるのに遠い。随分と心配そうにしている。

  (大丈夫だよ)

  そう言いたいのに声が出ない。

  「……ベルク?」

  「ばか、ミチルが迎えに来たんだろ。立てよ。つーかどけ。重い」

  「……」

  どけよ、とわざと乱暴にベルクを払い落とし立ち上がってみせるのだが、勝ったはずのベルクのほうが未だに呆然としている。顔色が悪いことをミチルも心配している。

  だって信じられなかった。あんな感情、初めてだった。誰かを殺そうとしたなんて。あんなものが自分の中にあったなんて未だに信じられない。

  狂気と凶器。荒々しい本能。一番仲の良い次男に向かってあんな殺意を向けた自分が信じられない。否、信じない。あれは自分じゃない

  (……っとに世話の焼けるヤツ)

  「ベルク。お前にブレーキがあるのはご立派だよ。お前のすべてが間違っているとは言わない。だけどな?お前は男だ。譲れないものだけは護ってみせろよ」

  「ローズ……」

  ミチルの肩をぽん、と叩き「頼むよ」とだけ言い残し、紅髪の王子が去る。

  **************

  「あ、怒ってる」

  「……この場をなんだと思っているんだ」

  来賓者席は約一名の怒りのオーラで真っ黒だ。今日のイベントが国防軍の見世物ショーだとわかっていても、まさか本物の斬りあいを見せつけられるとは誰も思ってもいなかった。ましてやゲスト扱いの次男と三男が本気で斬りつけあいだしもんだから、プログラムはめちゃくちゃですし。

  「ごめんごめん♪俺らのショーは終わったから♪安心して続きやってよ♪」

  司会者は咄嗟のアクシデントも派手なサービスとして会場を盛り上げようとしている。午後は人気の決闘も予定されているのだ。王子二人のサービスということでその場は強引に収められた。

  「ダメだった?」

  「余計な世話と言うんだ」

  弟がかわいいのはわかるさ。弟のブロックを外してあげたい気持ちも、同じ男として口を出したくなる気持ちも!!

  「だが公私混同をするな。なにより国民を不安にするんじゃない」

  「うん。けどさ?兵隊にハッパかけるにはよかったかなー?って」

  「ほう?」

  「王を護るべき軍にはベルクの強さを超えてもらわなきゃね♪」

  「……」

  第二王子の手段も択ばない策謀力には第一王子じゃ敵いません。

  「たださ?一個だけ誤算だったかな?♪」

  「なにが」

  「ミチルのこと♪ぶっちゃけ先に俺のとこに来ると思ってたから」

  「見向きもされなかったな」

  「俺のとこにきたらベルクの心配をしろって言うってやるもりだったんだけどねぇ♪」

  まっしぐらに駆けつけて?ベルクの手を握っちゃってさ?泣きそうになっちゃってさ?

  俺、何も言ってないのにフラれてんじゃん。

  「っとに、頭撃ったの俺だっての♪」

  「周囲を混乱させた代償だ」

  「ひっでぇ♪兄さんくらいは味方してよ♪」

  「そら、ルーンの出番だ」

  剣舞はルーンの出番。妖精のように美しく王子が舞う姿に皆が声を失っている間も、ミチルはベルクの指先を温めていた。

  [newpage]

  緩・閑【男子禁制】

  「久しぶりだね♪同じ大学でも全然あえないんだもん!」

  「えぇ。こうしてお招きいただけたことが本当に嬉しいです。ミチル様とお会いできなくなることも覚悟しておりましたから」

  「もう、やめてよぉ!マロンは唯一仲良くしてくれるコなんだから!」

  あたたかいミルクにバターたっぷりのクッキー。焼きたてのスコーンはまだあたたかく、クロテッドクリームが秒で溶けちゃう絶対美味しいヤツ!その横の銀皿にはピンクや黄色、白色のハート型のマカロンが可愛らしく並べられており、つまめるようになっている。メニューのすべてが甘くなりすぎないよう、しょっぱいものも用意してあります!一口サイズのビーフシチュー入りのパイにフライドポテト、お酒にもあうベーコンやソーセージまでスタンバイしている。女子二人の「お茶会」というよりは、朝昼おやつ兼夕ご飯?ちょっと好きな人には見せられない。でも今日はいいんです!だって仲良しの友人との久々のお喋りだから!

  ガラスで囲まれたサンルームでのお茶会はいつだって女の子の憧れ。テーブルの上のおやつを食べながら、新しい生活を話し合っては笑う。医学部の知り合いはできたけれど、お城に遊びに来てくれるのはマロンだけ。自分は国賓と言う名の居候なのに、良くも悪くも「特別扱い」はエスカレートしている。種族が理由ならともかく、地位で距離を置かれるのは寂しい。でもマロンはそんなことしない。自分を人間族として扱っても王族としては扱わない。だから会えばお喋りするし、お互いに行き来する、この世界で唯一の存在だ。それが何よりうれしい。

  「これ、美味しいね♡」

  「お口にあってよかったです♡ミチルさまの故郷のものも素晴らしいですわ♪私たちでは知りえない文化ですもの♪」

  マロンが用意してくれたたスイーツや軽食はどれも美味しい。マロンの家は貿易だか交易で髄分とお金持ちらしく、普通に住んでいるだけでは知ることのできない異文化を沢山とりいれている。お金持ちは心が広い、とはよく言ったものだ。好奇心旺盛で器の大きいおかげで彼女とこうしてお喋りができるのだから。ひとりぼっちにならずに済んでいるのだから!今の幸せは沢山の奇跡の積み重ねとしか言いようがない。

  「あー、久しぶりにホッとしたぁ。みんな優しいし気を使ってくれてるのはわかるけど、あからさまに距離を置かれていくのもさみしいんだよね」

  「ミチル様の傍にはいつもベルクさまがいらっしゃいますもの。王族のお気に入りだと皆が知っていますから、粗相もできません。下手に声もかけられないんです」

  マロンのフォローは完璧だ。事実がそうであろうがなかろうが、納得してしまう。

  「だといいんだけどね」

  「実感がありませんか?あれだけベルクさまに大切にされていらっしゃるのに」

  目の前の人間は甘いクッキーを随分と苦々しそうに食べている。

  「あたしね?この国に来る前は人間だけの世界に居たの」

  「ええ」

  「あたしの住んでいた世界には『美女と野獣』って物語があって。魔法で醜い獣にされちゃった王子様や召使たちが誰からも怖がられて避けられて森のお城で心を閉ざしていたんだけど、村の娘と恋をして、全部が好きって愛しあって最後はハッピーってハナシなのね?それにずっと憧れていたの。だって相手の全部が好きならオールオッケーじゃない?だからすごく憧れだった。主人公のオンナノコが」

  「ええ」

  ミチルらしい物語のチョイスだ。この国を愛する彼女のために書かれたと思うほど。

  「でもね?最近はなんだか違うって解ってきちゃった」

  「?」

  「だってさ?王子さまに恋するのがこんな苦しいって思わなかったの。ベルクはあたしだけに笑いかけてくれてるわけじゃないし、いざとなったらあたしより国民を大切にしなきゃいけないでしょう?本当は綺麗なお姫さまと会うのも嫌って言いそうになっちゃうときもある。ただの居候のあたしがナニッテンダって頭ではわかってるけど……」

  「ミチルさま……」

  「モフの王子さまに恋をするって憧れだったけど、実際は違うね?本物のお姫様を見ちゃうと自分が惨めで泣きたくなるし、好きでも言っちゃいけないって思うと苦しくって涙でちやうし――」

  「ミチルさまにとって障害とはベルクさまが王子であることだけですか?」

  「へ?う、うん」

  王子が狼犬獣であることなんて忘れてる。種族の違いなんて気にもしてない。これだからこの人は――――!

  「ミチルさま!それなら大丈夫ですわ。王子はミチルさましか見ておりませんもの!!」

  「そうかなぁ?」

  「ええ。私が王子でしたら絶対にミチルさまを泣かせませんのに。私がうんと甘やかしますのに」

  グーの拳を震えさせ、全身が毛でおおわれる。牙からグルグルと唸り声が漏れる!それほど怒ってくれている。

  「ありがとう。マロンもみんなも優しいのにね?あたし、贅沢になっちゃってた。ダメだね」

  ミチルがモフモフの毛皮に抱き着くと、マロンがゆっくりと人間の姿に落ち着く。

  「みんな気を使って人間の姿でいてくれてるっていうのに。あたしだけがワガママなんだから。あたしこそ成長しなくっちゃね!」

  「ミチルさまもやはり恐ろしいですか?狼犬の姿は」

  「あ、違うの。狼犬バージョンだとあたしが萌えて生きてられないから、やめてもらってるの」

  「はぁ?」

  「え!?だってかっこよくない?あたし、モフの中では犬が一番好きなのね?狼と犬のヒト型とか理想が歩いてるんだよ?そんなのこの星が消滅するレベルでまともに会話できなくない?」

  「……」

  「あたし、モフは男だけが好きだったんだけどね?この国に来てから新しい扉開いちゃって!もう、獣人♀も最高だよね――」

  マロンがどうして笑っているのか、ミチルにはわからない。

  ただ、みんなハッピーならオールオッケー?てなわけでミルクを飲んでみせた。

  (救われているのは我々だと どうやって彼女に説明できるだろう)

  [newpage]

  「ミチル、いいかな」

  「!!」

  返事をきくことなく無遠慮にドアが開かれローズがヤッホーと入ってくる。(女子会だって言っておいたのに!)

  あとからやってきたベルクがやめろよ、と眉をしかめているが、ローズはお構いなしにテーブルに同席しだす。

  「ミチルは俺たちにとっての妹みたいなもんだろ?兄貴は妹の友達にもあいさつしなきゃじゃん♪俺はミチルのお友達に滅多に会えないんだし♪」

  ローズはフレンドリーさが魅力だが、女子の連帯にはお邪魔虫だ。わかりやすく頬を膨らましているミチルのことを無視できるんだから、っとに!

  「こちらこそ挨拶が遅れまして申し訳ございません、第二王子。初めまして。オータム・マロンと申します」

  マロンはそんな野暮王子にドレスの裾を広げて頭を垂れてみせる。ミチルも教育してもらったが、生まれつきのお金持ちは違う。指先まで気品があり、女性でも見惚れてしまうほど。

  「は?オータム?って、あのオータム家!?」

  ローズが目を開いたのはエレガントなお辞儀だけではない。ミチルには見えないようにゆっくりと人差し指が唇にあてられ「シー」と言っている。振り返れば弟の瞳が「黙ってろ」と言っている。

  「えーと、マロン、だったね。美しい名だね」

  「ありがとうございます。父と母が喜びますわ♪」

  ローズがマロンと握手しながらベルクを睨むが、弟は知らん顔でいつもの王子様スマイル!

  「今日もミチルに会いに来てくれたんだね。ありがとう」

  「いいえ♪ミチルさまとお会いするのは私の、ひいては当家の喜びですわ♡」

  「マロンがミチルと仲良くしてくれることが王家にとってどれほどの感謝かわからない。勲章贈与に値するよ。」

  「まぁ♡私こそ光栄です♡」

  「それじゃあ、ごゆっくり」

  「えぇ。王子こそ♡」

  ベルクがローズの首根っこを捕まえて退室。ミチルが出て行けと言うまでもなかった。

  「ちょっと待て」

  「なに」

  「聞いてなかったぞ!オータム家の令嬢がどうして我が家にいるんだ!!」

  「ミチルの親友なんだ。しょうがないだろ?」

  「し…nう?はい?」

  「僕だって最初はまさか、だったよ。でも納得もいくんだ。彼女は人間族に対して警戒と偏見があまりになさ過ぎた。理解がありすぎるもの」

  「そりゃそうだろうな。オータム家といったら人間族と我々狼犬族と交易点で世界最大の運輸王なんだから」

  神話の時代かどうかは定かではないが、オータム家は人間族と狼犬族の諍いの時代から戦争のための武器や製造を生業に栄えた商家だった。異種族の戦争が落ち着いてからも交易、貿易、学問、異文化の共有点はすべてオータム家のもの。すべてを牛耳られる商家はこの国どころか狼犬世界一のお金持ち。オータム家の財産や権限を前にしたら一国の国家予算なんてアリの足跡程度!彼女に王子だからどうしたと言われればそれまでだ。

  「だからマロンもミチルが気に入ってるんだろ?お互い周囲に距離を置かれがちだから。」

  「ヤバ。俺、やらかしてない?あの二人のとこ割り込んじゃったよ!?」

  「オンナノコ達の会話ってのは男子禁制なんだからさ?邪魔するなら暗殺される覚悟もしなよ?」

  「ベルクに女心を教わる日が来るとはな……」

  女友達は 味方になれば最強。敵に回したら最恐の凶って?

  [newpage]

  8【隣・凛・鈴・リン】

  「隣の国に人間の医者がいるらしいな。人間なのに獣人相手の医師だそうだ」

  「え?ミチルみたいな?」

  「うむ」

  「なにそれ流行ってるの?♪」

  「これからは獣人国に住む変わりも――ゴホン、人間が増えるということでしょうか?」

  「へぇー、よっぽどのかわりもんだよね♪?」

  「いろいろと常識や情勢が変わることを覚悟しなければなりませんね」

  王子たちの常識を変えてくれた、どこぞの誰かさんといえば、あたたかいミルクにバターたっぷりのクロワッサンをザクザクとほおばっている。

  美味しい朝ごはんタイムに、フォルが聞きかじった情報をこぼしたのが始まりだった。

  「ミチルみたいな犬好きの人なのかな?」

  「医者になるくらいだろ?変態かもよ♪」

  「私も詳しくは聞いていないんだ。だが隣国はこの十年、二十年、確かに成長著しい。特にインフラについてはかなりの変化と発展を遂げている。しかも聞くところによると件の医師が相当関わっているらしい」

  「なんで今頃その医師が知られだしたの?」

  「どうやら政治への関与を終えたようだ。それで街中に医院を開業したのだとか」

  「ほへー!♪政治やってて今度は民間でって?♪ご立派!我が国の政治局は見習ってくれないかねぇ?♪」

  「老害に期待するだけ無駄ですよ」

  「近々私やローズも視察団として馳せ参じるつもりだがーー」

  ミチルの顔には既に「行きたい」と書いてある。

  「ミチルが興味あるなら僕と行ってみる?」

  「うん!行きたい!」

  「王都までは早くても五日はかかるんですよ?」

  「全然平気だよおぉ!」

  「二人で行くってことかい?」

  「兄さんたちと居たらミチルの見学にならないじゃないか」

  おい、そこの二人!

  (護衛付きとはいえ)二人っきりで旅行♡って意味、わかってんのか?

  男三人が目くばせしているのに、当の二人はそんなこと考えてもいないらしい。

  「馬車で数日はかかるから何日か学校を休むことになるけど、いい?」

  「うん、全然!とにかく会ってみたいの!いろいろ話も聞いてみたい!その人がどんな方法で診察しているのかとか、この世界での病理学や薬理学についてとか――」

  「よかったな、ベルクから逃げたいとかじゃなくって♪」

  「土産は甥や姪じゃなければいいですよ」

  「護衛には独身連中が多いんだ。人前であまり刺激しないように」

  キョウダイ同士の冗談も、今のミチルには届いていない。

  **************

  隣国への道中は時間はかかるが手間ヒマは案外少ない。友好関係が築かれている証拠だ!

  「王様と政治家サン達に感謝!だね!」

  「言ってあげて。喜ぶから」

  馬車が城から離れ、街並みも遠くなり、二日も走ると樹々の茂みや影が変わってきた。樹の高さは城の周辺のものの倍はある。ときどき鳥の声が聞こえるけれど、姿は見えない。伸びた樹々がつくりだす水たまりのような青空から届く光は少し。うっそうとした森だけど「赤ずきんの絵本の世界の森ってこんな?」なんてどこかで楽しめている自分もいる。紫の瞳がのぞきこむように笑いかけてきた。

  「降りてみる?」

  「いいの?」

  馬車が止まり、ゆっくりと降りると、澄んだ空気があちらからやってきた!ミチルが両手をぐーーーんと伸ばす横でベルクも伸びをしている。

  「きもちいいいいい!!!!」

  「僕も森の空気は好きだよ」

  「お城や町は臭うものね。慣れてきた自分もいるけど」

  「やっぱり無理してる?あの国で」

  「無理、とかじゃないよ。文化が違うだけなのに文句なんて言えないし。生活様式が似ているだけでも感謝だもの。もしかしてもっと暮らしにくい国で拾われてる可能性だってあったかもしれないんだから――」

  「ねぇ、ミチル。こちらの不手際は言っていいんだよ?それもミチルの権利なんだ」

  「うん、ありがとう」

  (でもお世話になってるのに、国が汚いとは言えないよねぇ?)

  (文化の違いって気もするし)

  (ただ、不衛生が過ぎると病気が心配ってだけで)

  衛生への観念が違う彼らに、世界でもトップクラスの清潔を誇る日本人の価値を押しつけていいかどうかはずっと悩みだった。

  ここには風呂や清潔を悪とする宗教はない。

  うまく言うことが出来たらも感染症の対策や病理解決に貢献できるんじゃないだろうか?

  でも科学的根拠を示す数値を出す方法もわからないのに、あたしなんかが言っていいの?まともに聞いてもらえるの?

  あたしが最初から話をしないのは「逃げ」?

  なにが正解なの?うまく伝えるにはどうしたらいいの?

  こんなとき 誰かに相談したくなる。

  

  ベルクの差し出す手に誘われるまま着いていけば森の中にぽっかりと開けた湖畔が迎えてくれた。静かな水面が陽の粒でキラキラと輝き、人の手が入っていない深みのある茂みが風にそよぐ姿すら美しい。

  「綺麗……」

  「だろ?みせたかったんだ」

  さわさわと風の音。擦れる緑の匂い。やさしい光の粒。まぶしく輝く水の音。

  きっとここにはニンフがいる。

  「このへんは僕らのとこより涼しいだろ?もっと先の北部は乳製品づくりが盛んでね。味はもちろん、種類も豊富なんだ!周辺の国々に輸出するほどなんだよ。この先のグリム地域のものは特に美味しいんだから」

  草花の香りが強いもの、夏製のもの、冬製のものとでは味が違うんだ、なんてベルクがウンチクを語り出すと、聞いているだけのミチルがうっとりとしている。

  「綺麗な景色より美味しいチーズのほうが元気でる?」

  「え?美味しいものって芸術品でしょ?一緒じゃない!」

  

  まったく! この王子さまってば!!

  あたしの悩みはわからなくっても

  あたしが悩んでいることは わかっちゃうんだから!

  [newpage]

  「誰だ!」

  従者の低い声と同時にベルクが紫色のマントでミチルを包み込んだ。

  「ごめんなさい」

  従者たちが王子をかばうように連なり立ち、銃を向け剣を抜き、警戒態勢をとった相手は10歳にならないほど年端も行かぬ幼い兄妹。従者は周辺を探索したが、どうやら罠ではなく、子供たちは本当にただただ偶然、こちらへ来たらしい。

  「親とはぐれたとか?」

  「それもちがうみたいだけど」

  ベルクも警戒が解けたのか、抱きしめていたミチルの体を自分からほどく。

  マントからミチルが現れると、少女はまん丸の目を輝かせて「おひめさま!」と大きな声をだした!髪の毛と同じ色の茶色のしっぽがぱたぱたと跳ねている。

  (ちっちゃい獣人だぁあ!んぎゃあああ!かわいいいいいい!!!)

  「おひめさま、はじめてみたあ」

  (あああああ!やばい!だめ!しゃべっちゃだめ!あたらしい扉が開かれる!)

  「おひめさま!?え?だれが!?」

  「ちがうの?」

  キラキラまなこの少女に『アタシはただの居候です』と言うのが正解だとは思えない。けど、あたしがお姫さまって言っちゃいけない気もする。その……色んな意味で。

  「そうだよ。彼女はこの国の城に住むお姫様だよ」

  「ドレス。きれい」

  「だろう?」

  少女はミチルのカナリアイエローのドレスワンピースにうっとりしており、ベルクもうなずいている。

  (あ!そういう!!)

  フリルのついたワンピースがドレスに見えれば『おひめさま』だ。さすがベルク!生粋の王子様!民のためのテンプレが完璧だ!

  「パパかママは?」

  「きょうかい。おいのりのときはこどもはあそんでなさいって」

  「こんなところに教会があるの?」

  お祈りこそ、教えるためには一緒にいなきゃじゃないの?

  てか人気のない森の奥深くで子供をほったらかして大丈夫なの?

  育児ってこーゆーもの?あたしが知らないだけ?

  「こっちだよ」

  少年と少女がミチルの手を引っ張ってミチルを連れて行こうとしている。行かない、なんて選択肢はなさそうだ。可愛らしい命令に「行こうか」とベルクが笑うと、四人の周囲を倍の数の従者が歩き出した。

  ベルクは「足元に気を付けて」なんてエスコートしようとするが、なんのなんの。ミチルが犬脚の子供たちにぴょんぴょことついていくので心配ご無用だった!

  「こっちこっち!」

  「もうちょっと!!」

  「本当にこんなとこに教会があるの?」

  「「うん!」」

  枝や茂みを踏み踏み、木の根っこを飛び越えて子供たちについていくとーーーー!!

  「これは……」

  ミチルの前にあったのはとっくに倒壊した廃墟。「教会らしき建物があったと推測される土地」だ。灰色の石造りの建物を苔が覆っており、過去に祭壇だったかもしれない場所は雨風にさらされてボロボロだ。その横にはわざと残すことを許されたように壁が建っている。その上部では三枚のステンドグラスがこの国の歴史を描いていた。ミチルは息をのみながら、ゆっくりとそのガラスに魅入る。

  左端の青い薔薇の窓ガラスは空?海?それとも知性?最右の赤紅の薔薇は血なまぐさい戦いの歴史?中央に輝く太陽色の薔薇の窓ガラスは?

  (未来?)

  この周辺を支配していた宗教がどんなものだったのかはわからない。だけどこの教会はきっと人を救った場所ということはわかる。

  信仰によって互いを救おうとした時代があったのだ。なんら変わらないのだ。

  ミチルがガラスに見とれていると、木々のざわめきのなかに、遠くから声が聞こえた。

  「ヘンゼル!」

  「グレーテル!」

  黒い服を着た夫婦がこちらに向かって走ってきた!

  「ぱぱ」

  「まま」

  「ごめんね!ごめんね!ママが間違ってた!ごめんね!」

  母親は真っ先に二人を抱きしめ泣き崩れた。三人を抱きしめた父親もずうずうと鼻をすすっている。

  「どうして?」

  「僕たちこそ勝手に戻ってきちゃった。ごめんなさい」

  「ごめんな!ゆるしてくれな!」

  「がんばるから!がんばるからああああ!!」

  悲鳴のように泣きじゃくる両親と腕の中の子供の会話は成立していない。傍らで見ていることしかできないミチルにも家族の状況は『なんとなく』察せていた。

  「随分と苦労されたんですね?」

  「はい……」

  ミチルが父親と思しき男性に声をかけると、目の前の彼は鼻水をすすり歯を食いしばっていた。臭う体臭、汚れた衣服、身体。あの絵本の夫婦もこんなだったろうか。

  「なにがあったのか、うかがってもよろしいですか」

  「いつも俺たちがつくったチーズや薬草を買ってくれる街が流行り病で壊滅状態になりました。どうしたものか悩んでいるうちに違う村でも飢饉が起きて。うちの村でも沢山の死人が出て……。農家ですからね。最初は食べ物もなんとかなっとったんですけども。家畜を売って、とうとう金が底をついて……もう、どうしようもなくなって……」

  闇色の瞳の彼らに何ができるだろう。

  「大丈夫」「元気出して」?「笑って」?「なんとかなる」?

  そんな残酷、言えるわけ、ない

  弱者は足腰の弱い高齢者でも寝食の保証された病人でもない。

  現場で働いている人々(かれら)だ。

  最前線で金を動かすために汗水流して働く彼らだ。

  それなのに 彼らは最強の弱者のために平気で殺される

  この国の現実(やみ)――――。

  「村では生きているまま焼かれた人もいましたか?」

  「うう!」

  「はい……」

  「ごめんなさい。苦しいかもしれませんが教えてください。病にかかった人の家には印が描かれましたか?」

  オトコが黙ってうなずいてくれただけでじゅうぶんだ。おそらく村は集団ヒステリーに呑まれてしまって言葉が通じない。正気な人間が消されてしまう狂った世界。そんなもの、生きたくないのは当たり前だ。

  「これを使ってください」

  ミチルは首から外した金のネックレスをふしくれだちガサガサの荒れた男の手の上に置いた。

  「これは純金でできています。珍しい宝石もついています。どうぞ売ってお金にしてください。数年ぶんは暮らしていけるお金になるはずです。」

  「え?」

  「王族の刻印も施されています。もし誰かに疑われることがあったらおっしゃってください。必ず城の者が証明します」

  「そんな……あの……」

  「今はこんなことしかできなくて……ごめんなさい……」

  ぽつり、と熱い涙ががさついた手におちる。男はそれに魅入っていた。

  「私は死ななくても良い命を救えるよう闘います!だから!待っていてください!!」

  「ひいさま……」

  「こちらも役に立たないかな」

  今度はベルクが胸元のオーバールを夫人に渡す。

  「このへんの土地で暮らすのが大変なら、違う街で商売を始めるのも良いと思うんだ。開業資金程度にはなるだろう?」

  宝飾の裏面の刻印を指さして安心しろ、と語ってみせた。

  「そんな……王子様……」

  「いいんですか?たまたま知り合った我々に……」

  「あなたたちなら、きっとうまく使ってくれると信じてますから」

  あぁあ!と泣き崩れる母親の背中を子供たちがさすっている。一家の父親はありがとうございます、ありがとうございます、と真っ赤な鼻をずぅずぅ、と音立てた。

  ********************

  「そうだ!ベルク!」

  「?」

  「彼らの村のチーズを城で買い取れないかしら?あの辺では売れなくっても、街中で、もしかしたら外国でなら売れるかもしれないじゃない?だって美味しいんでしょ?なにか方法があると思うの!」

  「それはーー」

  「経済を私が狂わせる?」

  「ちょっとまって。急なことだから」

  「そうだよね。ごめんね、いきなり無茶言って。あ、じゃあフォルに頼んでみる!」

  「兄さんに!?」

  「だってフォルならきっと良い案を思いついてくれそうじゃない?」

  ミチルの瞳の先に映るのは第三王子ではなく、しっかりものの第一王子。

  目の前の第三王子は見えていない。

  ミチルは現場に居合わせた二人の従者に農村へ行き、一台の馬車で可能な限りのチーズを持ち出すよう命じた。廃墟の磯場の上で書いたせいでガタガタでよれよれな文字で書かれたフォル宛の手紙も渡してくれ、と一人に言っている。優しいワガママに、従者たちは笑っていた。

  [newpage]

  馬車の中でベルクがずっと黙っている。らしくなさに胸がざわついて、正直つらい。

  「ベルク、ごめんなさい。国からいただいたネックレスを軽率にさしあげてしまって。私ってば無神経だった。気分を悪くさせたよね?ごめんなさい」

  ベルクが「違う!」と声を出した。その瞬間、犬の耳としっぽがピン!と跳ね上がる。

  「ミチル、違うよ!あんなことには怒っていない!違う!そうじゃない!そうじゃなくて……自分の不甲斐なさに落ち込んでいただけで……」

  歪んだ紫の瞳、苦しくもだえる白銀の眉根。それでも笑顔であろうとする第三王子は痛々しさを隠している。

  「実は僕は、こんな風に民と関わったことがなかったんだ」

  「うん」

  「病と経済がつながっていることを理解していなかった。それだけじゃない。そのーーもっと……もっと闇があった」

  「きっと神様がベルクに成長しなさいってあの四人をよこしてくれたのかもしれないね」

  「うん」

  ******************

  結局、その日のうちに広大な森をぬけることはできず、野営になってしまった。ベルクはいの一番に従者を労わることを忘れない。

  「ベルクも素敵なんだからね?」

  「え?」

  「従者への労いをいち早くできるのは兄弟でもベルクだけじゃない?それって才能だからね?」

  「……」

  馬車の中で肩を寄せ合い眠ることが苦でないのはあなたのおかげ。

  恐ろしいくらいの星の瞬きも、知らない星座も怖くない。

  [newpage]

  【春・貼・張・晴・ハル】

  馬車が走り出し、どれほど時間がたっただろう。森を抜け、ただのあぜ路が石畳になり、揺れが小さくなった。すれ違う馬車の数が増え、歩いている人も多い。街の景観を重視しているのか、建物は屋根と壁がレンガで統一されている。

  (かわいい!映画のセットみたい!)

  (それにすごい人だかり!)

  (サーカスが来ているみたいですよ!)

  いくら王都まで馬車で五日以上もかかる距離があるとはいえ、お互い隣接する国同士で、文化レベルや精度はさほど変わらないはず。だけど圧倒的に清潔度が違う!街中に排せつ物が落ちていないし、臭いも違う。ミチルが煙が出ている大きなドーム型の建物を指さした。

  「ねぇ、あれって公衆浴場?」

  「そうだね」

  「あっちも?」

  「きっと」

  「すごい……」

  ベルクの国にも公共浴場はあるが、数がその比でない。一目瞭然で清潔な街並みはおそらく下水網の発展の差だろうか?

  「建物が違うだけでシステムが江戸時代みたい。国は隣なのに。なんで?どうして?」

  揺れながらも紙の束にいろいろとメモしていると、ベルクが「あっちが噂の獣医が住んでいる区画だよ」と声をかける。

  ******************************

  通り過ぎる女子供の多いことといったら!ベルクとミチルも走り抜ける子供達にぶつからないよう、避けながら歩かなくてはならなかった!

  「活気があるのね」

  「うん、以前よりもずっとにぎやかだ。それに街のあちこちがとても綺麗になっている。前よりも水路が増えて噴水が多くなっているし臭いが……空気が違う」

  ミチルの影響を受けたのではなく、ベルク自身も息をのんでいる。自分の国の城や住んでいる町では往来はここまで綺麗ではない。それが当たり前だと思っていたけれど。この国も数年前まではそんな大差はなかったはずだ。でも。なのに。どうして?

  「あの、すいません」

  ベルクが女性二人組に人間族の医師について問うた。目の前に居るのが隣国の第三王子とも知らず、女性たちは随分と楽しそうに、誇らしげに、人間族についての話をはじめる。女性の話は長く、相槌を打ちながらも、ミチルの瞳はこの街のあちこちに釘付けだ。不衛生さを感じさせない食料品店。商店街は細かな路まで掃除が行き届いている。噴水の近くには持ち手のある木製のおけとひしゃくが置きっぱなしにされていて。

  (もしかして)

  「あの!話に割り込んですいません!もしかして、その人間の獣医はこまめに掃除をするよう言いませんでしたか?排泄は決まった場所で家の外で決まった場所にするようにとか、手を洗ったり、毎日風呂に入れ、なんて言ってませんでしたか!?」

  「えぇ、そうよ」

  「最初は驚いたけどねぇ?」

  「でもま、お風呂で喋るのもきもちいいしねぇ?」

  「手を洗うようになってからウチは下痢の回数が減ったわ!」

  「商店街では前よりネズミが出なくなったとか言ってなかったかしら?」

  「そうそう」

  「よかったわよねぇ」

  これで確信した。おそらくその医師は衛生を指導してる。感染症のリスクを知っている!つまりある程度の近代公衆衛生を知っている人だ!!

  生きている命を大切にできる人だ!

  「医師はあちらだって。どう?行ってみる?」

  「うん!」

  あぁ!ドキドキする!! なんて挨拶をすればいい?

  胸のどきどきとしたは指先の震えになって表れた。両手を胸に当ててすぅ、と息を吸って、ふぅ、と息を吐いて。そんなことを二度三度と繰り返しているとーーーー

  「あ、ちょうど出てくるところだ」

  ベルクが指差した先。真っ白なしっくい壁の建物の木のドアが開き、老婆が出てきたところだった。老婆は振り向きながら何度も何度も礼を言っている。

  「お大事にね」

  「うん、またおいでね」

  「うんうん、わかったよ。待ってるよ」

  その戸を支えていた人物が現れた。瞬間。

  「ハルターーーーーーああああああああ!!!!」

  大きな声と同時に勝手に脚が動きだしていた!

  「ミチル!?」

  ミチルが駆け寄り、医師がを受け止めてみせて。二人はどしーんとその場に倒れ込む!

  「なんで?どうして?どうやって?」

  「こっちがだよ!え?は?ミチル?だろ?だよな?なんで?ちょっと待って!?おま、若くね?」

  「そうだよ!ミチルだよ!ハルタは老けてんじゃんwwwなんで?」

  「こっちがだわ!なんだそれ!」

  涙を流しながら笑うなんて初めての経験で、どうしたらいいかわからない。

  「ミチルの知り合いだったの?」

  「うん!ハルタっていうの!あたしと同じ小学校で。いきものがかりで。あたしが獣医になりたいって思ったのもハルタの影響で――!」

  あああ!なにを言ったらいいかわかんない!

  「ほら、行っておいでよ。話したいことが沢山あったんだろ?」

  「いいの?」

  「もちろん」

  「そっちにもあがってもらうか?」

  ハルタが促すと、ベルクは首を振って辞退する。

  「いいよ。僕はしばらくこの街を散策してから馬車に戻る。だからどうか楽しんで」

  ニコニコと見送っていたというのに。二人が建物に消えた瞬間、ベルクの口角が下がった。

  どうしてだろう。ミチルが幸せなら自分も幸せだったのに。今はちっとも嬉しくない。失敗したマーマレードに溺れているみたいだ。

  [newpage]

  「ひとりぐらし?」

  「あぁ」

  「結婚は……してないよね」

  「おお。興味もなくはないがな」

  「美女と野獣の逆バージョンも良いと思うけど」

  「俺は動物のままが好きなんだ」

  小鍋の湯が沸くと、彼は瓶から薄茶色の茶葉をとりだし、蓋をした。スゥっと目の覚めるような香りが通り過ぎる。

  「この世界で人間と喋るのは初めてだ。それがまぁ、まさかミチルとは思わんかったけど」

  「こっちもだよ!ハルタ、白髪あるけど、こっち来て何年?」

  「よくわからんけど10年くらいじゃないか?細かくは覚えてない」

  「そうなの!?あたしはハルタとメッセしたすぐあとでこっちに来たよ?」

  「あれ、30だかそんくらいだったっけ。俺もそのちょっとあとくらいだったかな」

  「それで10年こっちで先輩だと……今40歳くらい?」

  「かな。そっちは若くなってんのな」

  「うん。あたしさ?実は死ぬ前に獣医になりたかったってすっごい後悔してたのね?そしたら人生やり直せるチャンスもらえたの。で、こっちで今は大学に行ってるんだ」

  「はぁ?チートじゃん」

  ハルタが出してくれたカップの液体にはほんのり色がついている。

  「ねぇ?これハーブティ?こんなの作れちゃうの?」

  「そらまぁな。あ、ミチルが飲んでたようなシャレたやつじゃねぇぞ?」

  口をつけた瞬間、花の香りが胃から全身に染み渡る。

  「これ、ハルタが作ったの?ひとりで?」

  「ん?うん。あ、文句は言うなよ?あくまで気分の問題だから」

  「てかハーブ育ててるとか女子力高くない?なんで詳しくなっちゃった?」

  「茶は副産物っつーか。獣人にも有効な漢方とかハーブがねーかなーっていろいろ試してたら増えたっつーか……」

  女子力高いなんて軽々しく言った自分をぶん殴りたい。

  窓の外では沢山の葉が揺れている。彼が増やしたものだろうか?。

  本当は会った瞬間、言いたいことが沢山あった。聞いてみたいことが沢山あった。でも、そんなものは飛んでいった。このお茶に生きていこうとした覚悟が詰め込まれてる。

  「この街はキレイだね」

  「ん?あー。な。映え?ってヤツだったけ?ぽいよな」

  「違うよ。キレイって清潔ってこと。あたしがお世話になってる国とは違う。もしかしてさ?これもハルタがやったの?」

  「インフラにゴーサインだしたのはこの国のお偉いさんだし、実際に着手したのは職人だぞ?俺は必ず起こる現実を言っただけだ。俺だけの手柄じゃねーよ」

  「自慢しないんだもんね。『そーゆーとこ』も含めてすごいなって思うよ」

  自分がひそかにあの国でやりたいと思っていたことを、既に実行してしまったハルタ。嫉妬なんて抱けるわけもない。

  「じつはさ?不衛生のせいで病気が流行ってるのが気になってたんだ。どうしたらいいんだろうって考えてたとこだったの!だからこの街のことぜったい真似するから!!」

  「病気はクスリじゃ解決できねぇからな。いいんじゃね?『予防医学』って概念があるかないかで住んでる世界が違うから」

  「でもどうやってここまでの街並にしたの?フツーできないよね?」

  「できるかどうかじゃねぇよ。やるしかなかっただけだ。そりゃまぁ最初はそれなりに苦労したぞ?問答無用で投獄されたし」

  「え゛」

  「ただあきらめなかった。国が民を殺すな、って何年も言ってきただけだ。で、江戸時代(世界一の都市)の出来上がりってわけ」

  「いやいや!苦労自慢とかもっとしてよ!」

  「んなもん時間の無駄だろ」

  「もぉーーーー!」

  

  ハルタはあたしみたいにうじうじ悩んでる時間を全部行動にしちゃう。

  あたしは学ぶためにここに来たんだ。

  「ハルタがこの世界に呼ばれた理由が分かった気がするよ」

  こんなに本気でモフたちの命を大切にできる人、いないもの

  「ハルタはどこまでもモフにとって大切な人間なんだね」

  あたしも そうなりたい

  [newpage]

  「で?さっきのツレは?」

  「ん?」

  「ギンパツの。あれがお前の住み込み先?」

  「ベルクのこと?そう。お城に済ませてもらってるの。なーんと!王子さまなんだよ♡」

  「は?」

  (オウジサマ?カレシのこと?こわっ!)

  ハルタが固まってる?そりゃそうだ。

  「こっちの王子さまがたまたまあたしを拾ってお城に住まわせてくれて。獣医になりたいっていったらお城のみんなが応援してくれたの。それで今こっちの大学に行けてるんだけど……あたしってそうとうラッキーだよね♪」

  「うん、まぁ、すごいわ」

  三行で説明する日本語力が。

  「ババァから若くなって?三食昼寝つきで?タダで学校行って?あげくに王子さまがカレシって?ギャグかよ!俺なんてこっち来るなり投獄されたんだぞ?男尊女卑こじれすぎだろ!」

  「ベルクは別にカレシじゃないし……あたしはともかく、ベルクに失礼ってゆーか……」

  真っ赤な顔でうつむくミチルに、ハルタがおかわりを注いだ。

  「俺、牽制されてんぞ?初対面なのに睨まれてるし」

  「手のかかる妹とか、世話をやきたいお姉ちゃんってカンジなんじゃない?ベルクって男兄弟だからそのぶんお姫さま扱いしてくれる?みたいな?」

  手もとのカップを握りしめながら、ミチルが黙ってしまった。

  『彼にとって【妹やお姉ちゃんくらい、かけがえのない存在】であって欲しい』

  『彼が自分をそれぐらい大好きであってほしい』

  自分が口にしたのは客観視にみせかけた願望だ。でも違う。本当は。

  彼が特別だ。彼が大好きだ。

  彼の優しい眼差しも、甘い囁きも、嬉しいときにパタパタ揺れるふあふあのしっぽも、ぜんぶぜんぶ自分のためであってほしい本。当は自分だけのオトコ(雄)でいてほしい

  

  でもそんなこと言えるわけがない

  この世界で人間との恋が許されるわけ、ない。

  あたしの恋がベルクの迷惑になっちゃうのは、嫌だ

  自分の奥底の蓋をこじ開けた代償で視界がにじむ。

  この世界で勉強をして獣医になる!なんて、海賊王を目指す主人公よろしく頑張ってきたのに。ベルクも欲しいとか。あたし、どれだけ欲しがりなんだろう。

  お茶は冷めてしまい、今度はシトラスの香りが強いものを注いでくれた。先ほどとは違う清涼感が頭をスッキリさせてくれる。

  「ミチルって名前は『満たす』だろ?他人より先に自分を幸せにしろって意味だろ?」

  「ほんとだ……」

  「だからま、さ?まずはてめーが幸せになれよ。話はそっからだ。医者になるとかインフラどうこうより、自分の頭をすっきりさせる方が優先だろ?」

  「・・・・・ありがとぉ」

  

  世界中であたしだけは ベルクが好きでもいいって 許してあげなきゃだよね

  「好きってしょうがないよね?悪いことじゃないよね?」

  「降ってくるもんに良いも悪いもねーだろ」

  目尻の涙を拭いていると、ゴンゴンゴンゴン、とノックの音がミチルの声を消した。

  「ミチル?ちょっといいーー」

  王子が最初に目撃したのは大切な存在の涙顔。紫水晶の黒点が鋭くなるには十分な理由だった。

  「なにをした!!!」

  「はあァああーーーーッ!?」

  どごぉおおん!と大きな音が脳に響き、真っ白な視界に稲妻が走った。グルルルルゥと轟く低い唸り声と共に、肩を掴んだ指がメリメリと爪が食い込む。痛さのあまり、ハルタからうあああ!と悲鳴が上ったが、そんなものお構いなしだ。

  「彼女になにをした」

  白銀の髪がゴワゴワと全身を覆いだし、三角の耳がむくれあがる。ハァハァと浅い呼吸のまま、尖った牙がハルタの喉元を狙いをさだめて――!!

  「待って!!!!」

  「!」

  「この人は悪い人じゃないの!なにもされてないから!あたしが勝手に泣いてただけだから!!!」

  毛深い腕を持ち上げると、ハルタの肩から痛みが引いた。視界が徐々にクリアになり、いつもの見慣れた天井が戻ってくる。自分を落ち着かせようとハルタはすぅ、はぁ、すぅ、はぁ、と深呼吸を繰り返す。

  (生きてる)

  絶対に血が出たと思ったし、腕は引きちぎれたと思ってたのに。

  (加減していたのか)

  顔をあげた視線の先では美しい白銀の王子様に戻ったベルクがしゅんとうなだれている。殺されかけたのは自分だというのに、こみ上げる笑いをおさえきれずワハハハハ、と笑ってしまっていた。

  「でもあたしを守ろうとしてくれたんだもんね?嬉しかったよ」

  ありがとう!ミチルがぎゅぅ!と抱きつけば、大きな白い尻尾がバタンバタンと上下に振れる。

  (妹か姉貴ぃ?)

  ハルタは喉元まででかかった言葉を飲み込んで立ち上がり、パンパン、とズボンのほこりを払う。でもま、「それ」は言っちゃいけない百年の約束ですから。

  「また来るね」

  馬車まで見送りに来てくれたハルタに別れを告げながら王子様が頭を下げまくる。

  「気ぃ付けてな。王子様なんだろ?」

  「ミチルのことは護ってみせますよ!」

  「ちげーよ、あんたが襲われないようにって意味」

  乱暴な口の利き方が許されるので従者が驚いている。「ばいばい」とミチルが言えば「もう来るな」とハルタが返した。ハグもキスもないあっさりとした別れにベルクの方から「いいの?」と問えば「いいの」と人間族は笑う。

  「ずっと言いたかった感謝が出来たから」

  [newpage]

  9【王子さまはイタズラがお好き♡】

  「公衆浴場を?」

  「そう」

  「公衆トイレ……ですか」

  「うん」

  フォルとローズに見て見て、と出した企画書をルーンも一緒に見ている。

  ハルタに教わりながら描いた「俺の考えた最強の公共施設」には、サウナや温泉、公衆トイレをつくることによる仕事の斡旋と隣接市場の発展まで書いてある。

  「手洗いが、ねぇ」

  「信じてもらえないでしょうけど、お願い」

  「信じないもなにも」

  フォルが肩をすくめ、ローズと顔を合わせてため息をつく。

  「納得がいったんだ。よくぞ言ってくれた」

  「は?」

  長兄次兄は疑いもせずに数枚の半紙を何度も目を通しながらうなずくだけ。ルーンが自分の出番かのようにミチルに向かって口を開いた。

  「昔、はるか東方から、こちらまで大流行した疫病があったんですよ。疫病自体は数百年、数十年に一度はおこります。そのたびに沢山の人族と獣人族が死に、戦争が起こりました」

  「……」

  「両者が両者とも神の怒りだ、と聞く耳を持たなかった。罪のない子供と女がむごたらしく殺されました。恥ずかしくて目をそむけたくなりますが、これも我が国の歴史です」

  「……」

  「そして今、またうっすらと得体のしれない病が流行りだしているのでは、と不穏な噂が起きていたのです。ある者は村の移住を繰り返し、またある者はこの国を出ていく。民の動きは管理できても意志までは我々にはどうしようもありません」

  フォルが力強い目でミチルを見据える。

  「隣国『トルティエ』はそんな動きが見えない。移民を受け入れても病人が増えないことが長年の謎ではあったんだ。だが、その理由もわからないままでな」

  「じゃあ!」

  「父上の耳にも届けるが、これはスピードの問題もある。我々兄弟が動いたほうが早そうだ」

  「そんなことできるの!?」

  「フツーならできるわけないじゃん。でも今回は違う。二人の功績がデカいんだ。国賓が、王族が動いたと判断されたからね」

  「我々なら施しなんて浅はかな行動しませんよ。だけどミチル。あなたが手紙をよこしたでしょう?」

  「うん」

  「それによって市場が、情勢も変わったんです」

  「え、そんな大げさな!!」

  「官僚たちを納得させるにはあれで十分だ。頭の固い保守派や老害には正論よりもお涙頂戴話に弱い」

  「三手先を読みすぎる我々にはできないことです。感謝いたします」

  三人の悪そうな顔。どうしてだろう。カッコいいのに。

  「……」

  えーと?わたしとベルクは褒められてるんだよね?

  「まずはトルティエで水道の工事技術を学んでくるんだな。どれくらいの者が集まるかはまだわからないが」

  「そして学者と技術者が戻ってきたら?工事現場では沢山の雇用が生まれるね?」

  「人が集まるところには市が建ちます。ここまできたら確実に経済の流れは変えられますよ。売り払った貴金属でもこの年までは生きていられるでしょう」

  ルーンとローズがミチルに向かって笑いかけている。

  「チーズ屋さん、開ける?」

  「繁盛するかどうかは彼ら次第ですがね」

  あのときはチーズの売り方なんて考えずに行動したけれど……

  すごい!!本当にフォルが、兄弟たちがなんとかしようとしてくれている!

  「じゃあ!もし、衛生がよくなれば、この国から病人が減れば、生きたまま焼かれる人も減る?」

  「ええ」

  「生きたまま売られる人も、ね♪」

  「ローズ!」

  フォルが怒鳴るとローズがべ、と舌をだした。

  「え?」

  「感染病発症者が焼かれているのも事実ですが、病人の隔離対策は名前だけですよ。もちろん本当に死者もいますけれど」

  「ど、どういうこと?」

  「隔離施設の正体は奴隷売買施設♪それからよろしくないクスリの実験先ってとこかな?」

  「そうだったの?」

  「名前だけですよ。金持ちの人間族相手に獣人を売るこの国の闇です」

  「え」

  「おじいちゃんたち、病人が減ったらヤバイよねぇ?隔離って名前の奴隷施設が維持できなくなっちゃう♪てわけで、老院がそのへんうまいことやって金を搾取してるんだよねぇ?そんでまーた経済を動かしちゃってるから我らが国王も強く言えないんだ。情けない話だけど♪」

  「……そうだったの」

  「キレイごとじゃ経済は回らないよ」

  「国王である父上が口をだせないのはおかしいでしょう」

  「いやいや、国王だから、だよ」

  ローズはルーンから目をそらすが、ローズのことを責められない。ミチルに代案は浮かばない。

  「金の循環に関しては何も言うまい。知恵者が金を稼ぐことは悪ではない。平等を履き違えてはいけない。だが、衛生がよくなれば病人の隔離差別と経済の循環はなんとかできるだろう。ミチルが言っていた目的だけでも果たそうじゃないか」

  ルーンとしては悔しそうだが、それでも兄たちの誠意を飲もうとしていた時だった。

  「ねぇ、それ、どっちもなんとかできないかな?」

  ベルクだけが納得しない。

  「「は!?」」

  「伝染病も、病理差別も、奴隷売買も――ー。獣人が獣人を殺す、そんな時代は終わってよくない?終わらせようよ?僕らの時代で」

  ベルクの紫の瞳が、声が低い。

  「ミチルが助けたいのは病人だけじゃない。この世界で焼かれた死体に涙して、心中しかけた親子に泣いていた。ミチルが治したいのは病人じゃないんだろ?この国の病気だろ?」

  「……まいったな」

  「言うからには?なにかいい案はあるの?」

  「ないよ」

  その場にいた全員が某コントのようにずっこけている。

  「いやいやいや」

  紫の瞳がローズに向かって微笑んだ。

  「兄さんたちの方が頭がいいもの。僕には策謀力はない。だから頼むしかない」

  「ただ、僕はこの兄弟で一番の落ちこぼれだ。バカにされることに一番慣れている」

  「バカだからあなどってもらいやすいし、バカだから油断させやすい。バカだから他人の話を聞くのが上手い」

  「僕は兄弟のなかで一番人の心をつかむのが上手い」

  「いつでも涙を流すことができる」

  「僕の言葉は人の心につけいりやすい」

  「コマとして役に立てる」

  ベルクの低い声にフォルがわかった、とうなずく。オトコになっちゃたね、とローズが笑う。

  「いつかは黙っていられないときがくるとは思っていましたが……」

  「なに。我々の時代に重なっただけだ」

  ルーンが緊張を隠さない横で、フォルとローズの年長組が覚悟を決め、頷いてみせた。

  「ミチルのおかげだよ」

  「え?」

  「あの森でチーズを買い占めると言って、兄さんを頼ったろ?情けないことに僕は嫉妬した。自分のレベルを棚上げしてね。けっこう落ち込んだんだ」

  「そうだったの?」

  「だけどわかったんだ。僕には僕にしかできないことをやればいい、って。三手先を読めないならコマになればいい。だろ?」

  いつもと違う

  「ねぇ、ミチル。もっと声に出してよ。僕らはキミのコマなんだ。遠慮しないで。キミの一言で僕らはもっと動ける」

  ハルタが言ってくれてた。声にしろ、って。そっちがあたしの努力だって。

  あたしになんもできなくっても、やれることがあるとしたらーー

  「おねがい。あたし、この国で生きているみんなを幸せにしたいの。泣いている人を減らしたいの。そのために来たの。この国を、助けて」

  「「「「わかった」」」」

  [newpage]

  「まずは留学生の確保だな」

  「建築学と技術者のほかに医学生も行った方がいいかもしれませんね」

  「並行して材料のルート確保もできそうだ」

  「市が建つのは時間の問題でしょうが、我々では限界があります」

  「金か?」

  「ええ。とくに問題は資金よりも運営です。我々は商(あきない)に関しては素人ですから」

  「うん。これはいっそ民間の商人を頼った方がいいね?それもうんと金持ちの」

  「ツテはあるのか?」

  「あるじゃない♪」

  ローズがミチルを指さすと、フォルが納得していた。

  「金持ちのお嬢さまってのはうんと賢いよ?自分の立場がわかってる」

  「なるほど」

  王政と老院、金の循環。獣人の世界にも同じ闇があって。犠牲の上に成立する命があって。必要悪を利用する立場が存在しては、それでも解決したい新世代があらわれる。どこの世界も、いつの時代も悪と正義はいつもいたちごっこ。終わることはない。

  「こちらには二人が森で民を助けたアドバンテージがある。連中を切り崩す路だ。ミチル、本当に感謝する」

  フォルが深々と頭を下げるので「やめてくれ」とミチルが起こそうとするが、頑として応じない。長兄の頑固者。焦げ茶色の毛並みの長兄は犬や狼よりも、誇り高きライオンを彷彿とさせる。

  「ルーン。しばらくはこちらに専念してもらうぞ」

  「また留学ですか?」

  「老院に下手に嗅ぎつかれず動くには、お前が一番都合がいい」

  「留学生が留年生になりそうだね♪」

  ローズがあははは、と楽しそうに笑う横でルーンもまんざらではなさそうに笑う。

  「ミチルの言っていた衛生について、もっと細かく調査して報告してくれ。おそらく説得できるだけの数字もあるだろう」

  「それなら私が行っても!」

  「ダメだ」

  「え?」

  「老院の干渉を防ぐにはある程度の権力者が行かないと。ルーンが留学生ながら国賓になれば、あちらの城や建物に堂々と出入りができる。こちらとのやりとりも建築学をメインだと言えば肝心な情報は老院へ流れにくい」

  「あぁ、そういう」

  すごい。国に帰ってからちょっと報告をしただけなのに!

  チーズを何とかして、とか泣きついただけだったのに!

  この人たちはなにも無駄にしない!

  傍で見ているだけで、心臓がドキドキする。

  

  「ベルクはどうするの?」

  「僕は収容所に行くよ。労いのチップでも撒いてこればいいんだろう?」

  「はぁ?」

  (え、やっぱりわけわかんない。なんで?どうして?)

  ベルクが兄弟たちに振り返ると三人は力強く頷いて微笑んでいる。

  「そうだ」

  「よくできました♪」

  「お願いいたします」

  己にできることをやれ、が合言葉のキョウダイ達。言葉にせずとも視線が合致している。

  「ねぇ、でも政治局?周囲にはなんていうの?」

  「ワガママ王子様たちがご乱心♪とでも言わせておけばいい♪」

  「えぇ?怒られないの?」

  「いまどき政治局なんか通せるか。言葉も通じない老害とまともにつきあってみろ。10年経っても通るわけない」

  「知ってる?権力を持っていない若造って侮られているうちが華なんだよ♪」

  「庭の薔薇の花を折る程度だと思わせますよ」

  「ミチルは僕らが父上と母上に花束を作る為に庭の花を折って、誰かに叱られると思う?」

  「……」

  どうしてだろう。イケメン四銃士って言われても良いはずの笑顔が怖い……。

  「私にできることは?」

  「そうだな。マロン嬢とお茶会でも開いてくれない?なるはやで♪」

  「それもできればあちらの家だと助かる」

  「いいけど……それだけ?」

  「そ♪ミチルがいつもおせわになっていますって俺らは手土産をもっていければいいから♪」

  「え?は?う?うん」

  緑、深紅、紫、濃紺の視線が重なりマントがひるがえると、風の妖精が走りすぎたように部屋の空気が変わった。

  

  [newpage]

  【秘密の お茶会】

  「ミチル様!!」

  「マロン!!急にごめんね!」

  昨日の今日だと言うのに、マロンは美しい庭で待っていてくれた。お城にも負けない美しく整えられた庭の東屋にはお菓子たちもスタンバイしている。

  「いいえ!わたくしがお役に立てるのですもの!それでローズ様たちは?」

  「あ、いまーーきたきた!」

  三人の王子たちの正装に、使用人たちのため息が聞こえてきそう。

  「マロン、このたびはありがとう♪」

  「いえ、私風情でお役に立てるのでしたら光栄ですわ♡」

  フォルやローズが頭を下げるのをマロンは堂々と受け止めて。

  「急くようで申し訳ない。お父上は――」

  「お言葉に甘えまして。応接室で待たせております」

  「それはよかった♪そうそう、これを」

  ローズは抱えきれないほどの薔薇の花束を手渡し、ルーンからの「差し入れ」と女子二人では食べきれないほどのおやつを部下に並べさせた。「痛み入る」とフォルが頭を下げるので「私は国民の義務を果たすだけです」とマロンが笑って王子たちを視線で招いてみせた。ミチルと仲良しの女学生ではなく、世界最大の商家の娘として。

  「ミチル様。お父様に王子たちを紹介して参ります。こちらでお待ちいただけますか?」

  「え、それじゃあ、あたしもーー!」

  「ミチルはだめー♪」

  「えぇ?なんで?」

  「いつも妹がおせわになっています、って保護者の挨拶とちょっとした世間話だから♪ミチルがいたら話がごちゃごちゃになっちゃう」

  「う……」

  皆がうなずいているのでミチルもおとなしく引き下がった。

  「またあとで来るから♪あ、そのソーセージとパン、俺らのぶんも残しておいてね!」

  「待ってて!」

  *************

  「王子!」

  父親は学友の保護者が送迎のついでに挨拶に来る、と聞かされていたのだ。まさか国の王子がぞろぞろと来るなんて知っていたら、のほほんと待ってなんぞいなかった。青ざめてこそいないが、冷静でいられるわけもない!

  「マロン!」

  「あたし、嘘はついていないもの」

  「~~~~~!!」

  親は眩暈がしそうだと言うのに、当の娘はちっとも悪びれてないんだから!

  「このたびは無礼をつかまつった。急を要するのと他人に漏れぬようにしたかったもので」

  「いえ、それは、もう――」

  第一王子が申し訳なさそうにするが、それは違うとマロンの父が首を振る。

  「おとうさま」

  「なんだ」

  「もし、王子たちが私を介する用があったらすべて『OK』にして頂戴」

  「?」

  「私はいまからミチルさまとお茶会ですの♡邪魔はしないでくださる?それとベルクさま?」

  「?」

  「わたくしも王子に負けないくらいミチルさまをお慕いしていましてよ?」

  「あ、ああ」

  テーブルの上ではベルクが用意させた犬でも飲めるハーブティーがキラキラほかほかと飲まれるのを待っている。

  *****************

  「なるほど。これなら民間でも運営できますね。それで?この×年後の国の買い取り予想価格は××億ということですがーー」

  「ええ。必ず軌道に乗ります。そこまでは我々の資金から捻出してかまわない。だが、それ以上、市場が巨大になれば目が行き届かなくなる。なにより我々は商いについての高等教育を受けていない。雇用された民のためにも泥船にするわけにはいかないんだ」

  「ふむ……」

  フォルが用意した『インフラのついでに市場(マーケット)を作って経済まわしちゃうもんねプロジェクト』(企画書やらうんぬんかんぬん)は見事なものだった。商いは畑が違うとは言うものの、第一王子の俯瞰力はなかなかだ。街中に人口を増やすリスクとその対処法まで用意してあるのだから、三流の商人よりは先読みの力もある。第二王子と第三王子は潤滑油か?子供だけでよくもまぁ、と言いたいところだが、この国の政治局があてにならないのも事実だ。少なくとも企画書では経済を回すために優遇されるべきは誰かを理解できている。今すぐやらなくてはならないことも。二十代の王子たちにしてはよくできていると言ってやりたいところだ。だが――。

  「もう少し、ですね」

  「――」

  ダメだった。

  「王子たちはご立派です。利益をここまで概算したのも素晴らしい。確かにこのプランなら我が会社が確実に儲かります。が、それだけでは意味がない」

  「というと?」

  「会社が儲かり、雇用をうめば民のためにもなる。金は循環する。それこそ王子たちにとって願ったりかなったりでしょう。だが必要なのはそれだけでしょうか?」

  「――――」

  「自分ヨシ、相手ヨシ、世間ヨシ、は経営の基本です。ですが既にそれなりの財をなしているオータム家にとっては、この程度のことはメリットにはならないのです」

  「それはーー」

  正論だ。それどころかデメリットですらある。甘かっただろうか。急きすぎていただろうか?だが今日も職を失って命を失う民がいるのに、悠長な計画なんて――。フォルもローズも言葉を失っている横でベルクがゆっくりとカップを置いた。

  「ではマロンを据えてください」

  「「「!?」」」

  「マロンをこの運営当主にしてください。経営を実践する場として、失敗をし学ぶ場にこの新事業を与えてください」

  「な!?」

  「おま、なに言ってんだ!」

  「――というと?」

  「簡単です。この市場を作るキッカケになったのも、病理学のためにインフラを提案したのも、困窮民を救いたいと一番願ったのも全てミチルです。あなたの娘が大好きな親友がこの国を憂いています。そんな親友の役に立ちたいと願う娘さんの気持ちも察してあげてください。父親として」

  「……ほう」

  「ミチルのためならマロンは喜んでこの市場を成長させるでしょう。大学校の座学よりも必要な経験を詰み、情報を得、結果を出します。そしてすべてをオータム家に還元するでしょう。マロンは聡明です。絶対にすべてを無駄にしない」

  「ベルク。いくらなんでもそれは――」

  ここに同席してない他所んちの娘さんをすでに運営主扱いって、王子さまでもやっていいことと悪いことがあるんじゃないの?

  ローズとフォルがだらだらと冷や汗を垂らしている。

  「最初に言ってたろ?マロンは『すべてOK』だって」

  「このこともお見通しだと言うのかい?」

  「そうだよ。最初からマロンは覚悟ができてたんだ。この会談をセッティングしてくれた時から、ね」

  「まさか」

  「なんだって……」

  「わかるよ。僕には。マロンの気持ちが」

  ゆっくりとベルクの視線がローズからマロンの父親に向けられた。

  「僕らはミチルのそばに居たくなる。彼女を笑顔にしたくなる。なぜかはわからないけれど彼女にはそんな魅力があるんだ」

  「「……」」

  フォルとローズも頷いている。

  「マロンも僕とは違う形で行動したがっている。だったらチャンスを与えることが僕らの役割じゃないの?」

  「……」

  「例えばミチルが先日隣国の医師から持ってきたこのハーブティ。今はミチルとマロンだけで共有している。だけど彼女が上手く利用すれば巨大な富を得る。だろう?」

  第三王子の持参金は原価にすれば数円だ。が、オータム家は新たな市場を独占できると、その権利をさしあげようと、その代わり援助をしろと笑顔で脅している。金と経験。第三王子は親が娘に与えたいものを見透かしている。

  第一・二王子とは違う視点の掌握力に、オータム家の当主はごくりと唾をのんだ。 先ほどまで強い立場だったのはオータム家側だった筈だ。だが今はどうだ?

  少なくともオータム氏は第三王子の瞳から視線が外せなくなっている。どうして本能的に怯えているのかわからないまま。蛇に飲み込まれるのを受け入れるしかないカエルのように。

  「どうでしょう?マロンの父君にとってもいい提案だと思うんだけど」

  「そう――だな……私が娘に与えられるものには限度がある。」

  父親の表情が変わった!(あと一息だ!)

  フォルとローズが心の中でガッツポーズをとっていた時!

  「僕は正直、兄さん達とは違う。民のためになんて行動できない」

  「ベルク!?」

  「なにをーー!?」

  (あのバカ!)(なんで今、それを言うんだ!!)

  「……」

  「僕の恋する女性がこの国の現状を憂いて泣くのなら、その理由を取り除きたい。それだけなんです。彼女が美味いチーズを食べたいと言ったら千里先まで買いに行くのと同じ。欲しいと言えばドレスやアクセサリーを買うのと同じだ。惚れた女を喜ばせたいだけの、ただの馬鹿な男です」

  「王子が惚れた女を喜ばせるために我々に協力しろと?」

  「はい」

  (終わった)

  ローズもフォルもげんなりしている。が、マロンの父親は豪快に笑いだした。

  「男が行動するのにそれ以上の理由が要るでしょうか」

  オータム家当主が書類にサインをしている!

  「では!」

  「えぇ。マーケットの運営が軌道に乗るまではマロンと我がグループから優秀な人材を寄こしましょう。それに建設事業も我がグループが応援いたします」

  「「ええ!?」」

  「『民のため』なんてしらじらしい言葉よりも、惚れた女を笑顔にしたいという言葉の方が、ずっとずっと染みました」

  「「ありがとうございます!!」」

  フォルとローズが深々と頭を下げている横で、ベルクは胸をはってオータム家の父の目を見据えている。オータム家当主が手を伸ばすと堂々と握り返してみせた。

  「それとこれは寄付ではなく投資です。この事業は三億を十年で三倍にできますか?」

  「三年で十倍にしてみせますよ」

  国がこちらの言い値で買いたくなるほど、ね?

  [newpage]

  「あー!ヒヤヒヤした!」

  「まぁ、なんとかなったんだ。よかったじゃないか」

  「いいや!やっぱ俺は無理!!」

  ローズは後ろから抱き着くようにベルクの首を絞め、もう片方の腕で拳をぐりぐりとこめかみに愛情と苛立ちを押しつけている。

  「痛い!痛い!」

  ベルクがギブしているが知るものか!ローズとフォルからしたらドロップキックやオーバーなんちゃらももオマケしてどつきたい気持ちでいっぱいだ!

  海千山千の商人相手にバカ正直な正攻法だなんて!無茶しやがって!

  「でもよくマロン嬢のことなんて出せたな」

  やっとで解放され、はぁ、と涙目のベルクにローズが褒めてみせる。

  「あの父親の唯一の弱点だったからね。ビジネスは誰かの隙(コンプレックス)を突くことが基本だろ?僕も弱点になるほど愛おしい存在を持つ者同士だからーーま、わかるんだよね?」

  「それ、ノロケだよな?」

  「痛いって!ちょっと!」

  やっぱりローズがぐりぐり攻撃。

  「とはいえ手柄だったのは違いない」

  それもきっと「ベルクじゃなければできないこと」だった。

  ミチルを介してマロンとある程度の信頼関係を育んでいたのは第三王子だけ。今日まで三人の友情に打算もなにもなかった。だからマロンも利用しろと言ってくれたのだ。

  「それじゃあ我が家のお姫様を迎えに行きますか♪気が抜けたら腹が減ってきたよ♪」

  「迎えが早いと追い返されないことを祈るしかないな」

  「一緒にお茶すればいいじゃない♪嫌われること覚悟でさ♪」

  「むぅ」

  「だから俺は最初に花束を用意したもんね♪嫌われたくないし♪」

  オンナキョウダイがいないって大変ね?

  ただの居候だった彼女はいつのまにやら王子たちのプリンセス。王子たちが嫌われたくなくていっぱいいっぱいだなんて、誰が信じる?

  三人が迎えに行けば、彼女の笑顔に『帰ろう』なんて誰も言えなくて。美味しい軽食タイムになってしまったのはしょうがないよね?

  [newpage]

  「お父様、ありがとうございました♡」

  「おまえはこうなることを知っていたのか?」

  「いいえ。なにも♪」

  「……」

  「だけど、王子たちがそろって国で最大の商家に会いたい、なんて言ったらなにか下心があるとは思えるでしょう?」

  「……」

  目の前のハーブティは先ほど王子たちと飲んだものとは違い、真っ赤で随分と酸っぱい。ミチルとマロンが昼間飲んだ茶はローズヒップティーというらしく、見た目も味も男よりも女性にウケがよさそうだ。

  「ねぇ、お父様?」

  「うん?」

  「私はミチルさまのおかげでずっと広い視野と価値観をもちました。どんな書物を読んでも、どんなに貴族の交流会に出ても得られない経験でしたの」

  「あぁ」

  「私も王子のようにミチルさまのためになにかしたいのです」

  「わたしはまだ数回しかお会いしていなかったが。彼女には周囲を動かす魅力があるんだろうね」

  「えぇ!」

  娘は人間族との平穏な交易よりもはるか先を見据えている。彼女の瞳に映る海はキラキラと眩しい。王子たちと同じ瞳だ。

  

  [newpage]

  10【プライド?なにそれおいしいの?】

  ベルクが収容所に通うようになって数ヵ月めのことだった。

  「あたしも収容所に行きたい」

  「うん」

  ベルクはミチルが言い出すことがわかっていたように優しく笑う。

  「それじゃあミチルの大学が休みに入る前に訪問しようか」

  「えぇ!?」

  (すぐにでも行きたい!今すぐ行かせろ!)

  ミチルの顔に書いてあるのに!

  「いい?僕らはあそこでなにが行われているいっさいを知らないフリをしなくちゃいけない。温室育ちの馬鹿王子はで隔離病棟には本当に病人しかいないと信じてるんだ。そして僕らは病気を信じている証拠に、訪所後はしばらく誰とも会わない日数を過ごさなきゃいけない。城から離れた屋敷で過ごすことも計算しなきゃいけないことも忘れないで?」

  頭をよしよしとなだめてくる仕草に自分の幼さが嫌になる。

  「ねぇ!ベルクは悔しくないの?」

  「なにが」

  「馬鹿にされに行くんだよ?ベルクはそんな……ちがうのに」

  兄弟で一番優しいのに!しっぽや耳が出ちゃうくらい!バカにされる筋合いなんてないじゃない!

  「兄さんたちが行ってみなよ。ローズはともかく、フォル兄さんとルーンなんて声はかけにくいし、下手すれば警戒される。それこそお終いだ。大切なのは老院の奴隷売買を根絶することだろ?そのためなら僕が馬鹿にされるとか、そんなことはどうでもいいんだよ」

  「……立派すぎるよ。ベルクは」

  「僕なんてまだまだださ。解放された人たちやこの国の未来がどうなるかをずっと考えてるけれど、いい案が浮かばないもの」

  「?」

  「これから数十年は国のあちこちで大規模工事が始まる。工事現場の横には市が建つ。沢山の仕事と雇用が生まれる。風俗店が設立される未来だって存在する」

  「……」

  「すると今度は出生差別の始まりだ。やっぱり民が民を攻撃する世界が生まれてしまう。今度はどうしたらいいんだろうね?そもそも僕のような身分の者が――」

  「それは違うよ!抱え過ぎちゃ……ダメだよ」

  「時々意識が遠くなるんだ。なんでこんなことしなきゃいけないんだって」

  「ベルク……」

  自分の発言や行動がこんなことになるとは思わなかった。

  誰も自分を責めない。それが辛い。

  いっそ「おまえのせいだ」となじってくれればいいのに。

  「でもさ?国をなんとかするためにミチルがきてくれたって考えてる」

  「へ?」

  「千年オトメはこの国を救うって唄はこの奴隷問題や貧困や流行病のことだろ?僕らにできることは伝承を実現させることだ。そのために、まずはあの収容所を解散させなきゃね」

  ミチルの震える指を包み込んでみせると、ベルクが優しく笑いかける。

  「ベルク、ちょっとかわったよね?」

  「成長したんだよ。本気で悔しかったから。ミチルに頼られる人間になりたかったからさ?」

  心臓がドキドキして五月蠅い。顔が赤くなってるに決まっているから見ないでほしい。

  「だからもう少し待ってて」

  ふわふわと夢心地の彼女を倒れさせまいと抱きしめる。ミチルの腕がしがみつくように背中に回される。

  「あたしも……待っていてほしい。ベルクにふさわしいヒトになりたいの」

  ベルクが頬につたう涙を唇で舐めとると、大好きだった真っ白の犬を思い出さずにはいられなくて。また一粒、ふた粒、ぽろぽろと涙がこぼれだす。そのたびに彼の唇が頬や瞼、まつげに触れて、それがまた涙のもとになる。ミチルの涙がとまっても、彼は触れるだけのキスを辞めない。

  繰り返されるキスの音と耳元で聞こえるはぁ、と艶っぽい吐息に眩暈がする。ミチルから腰を押しつけるように距離を近づければ、先ほどよりも力を込めて抱きしめられた。

  本当は溺れてしまいたい。

  あの綺麗な唇に触れられたい。

  あの指先で撫でられたい。

  あの歯で噛まれ、食べられてしまえればいいのに。

  行き場のない切なさをごまかすように、ベルクがミチルを力いっぱい抱きしめると、もっと、もっと、とミチルの腕にも力が入る。

  [newpage]

  11【己にできることを】

  兄弟たちが整えだしたインフラは確実に成果を出していた。公衆浴場は賑わい、一区画に一つは設けられた公衆トイレのおかげで往来は確実にきれいになっている。もちろん城にも変化はあった。ドレスの裾の汚れは確実に減っており、洗濯をすれば数回は確実に着られるし、ヒールは汚物を避けるためではなく「オシャレ」になりそうだ。仕事を失っていた人間は清掃員として街中で働きだしたり、新しくできた市場(マーケット)で働き始める者も増えた。

  隔離は解決にはならない。だけ、清潔にはできる。生活で病気は予防できる。インフラが整えば新たな雇用を生み出せる。仕事を産め、雇え。経済を動かせ。

  必ずできることがある。見つけろ、行動しろ。

  そこかしこから王子たちが語りかけているようだ。

  **************

  以前よりも清潔になった街並みをベルクとミチルを乗せた馬車が通る。これから収容所へ行って恒例の挨拶だ。

  「第三王子がお見えになった」

  「ありがたいと思え」

  人間の姿に耳や尾が垂れているもの、獣脚、マズルがむき出しの者、ほとんど狼犬姿の者。うつろな瞳が二人を迎えた。

  獣人達ははるか東方の人間国に奴隷として売られることが決まっている。「奴隷」といっても、かまど焚きや料理番ではあるまい。見世物で性奴隷にされることくらいミチルにも解っている。逃げられないよう薬漬けにされ、妊娠と中絶を繰り返し、廃人と化したら殺される。

  彼らはそれを知っているのに、誰も助けを乞わない。声に出しても無駄と悟っているでもない。声に出していいとすら知らないだけ。黙って出荷を待つだけ。

  ミチルは目の前のやせ細った少女の手を握ってみせた。

  (必ず助けるからね)

  吠え散らかしたい言葉を飲み込んで震えることしかできない。世間からしたら「オトメが病気の少女のために涙を流しておられる」なんてお涙頂戴シーン。国中が感動ものだ!

  「いつもありがとう」

  王子様は施設で働く男たちへのねぎらいの言葉も忘れない。もちろん彼は言葉だけでなく、「誠意」も添える。二月に一度は来所する二人は最初こそ訝しがられたが、数年もすれば馬鹿が金を運んでくると施設の者から待ち望まれるようになっていた。

  なんて世間知らずなバカな三男と国賓!

  出荷前の獣人を疫病感染者だと信じているんだから、おめでたい!

  ********

  次の訪問では前回よりも人が減ったような気がして、ミチルが職員に訪うた。

  「このあいだまで居た子は?えぇと、金色の髪が肩までくらいあって。琥珀色の瞳の女の子。10歳くらいの綺麗な――」

  「あれは死にました」

  「そう……」

  「ヤツも最後に王子様と姫ぃ(ひぃ)さまに会えて幸せだったでしょう。天国が楽しくて楽しくてたまらないハズですよ」

  ミチルが真相を知らないからと、職員は下品に笑う。吐瀉せぬよう踏ん張って立ってみせる彼女をベルクが支えた。周囲から見たら国賓さまが儚き命の消失に泣き、それを王子様が支えている、なんて感嘆される姿だ。

  ***********************

  「馬鹿な女だ!本気で騙されてる!」

  「神に祈りを、だとお!」

  「今頃ラリッて天国には行ってるがな!」

  「ちげぇねぇ!」

  売人らはギャッギャッと汚い歯を光らせて笑う。

  「あのバカ女。また次の子供を贔屓しては、その子が死んだと泣くんだ。結局誰でもいいんだよな?てめぇが目立つための材料だ」

  「泣くくらいなら自分が売られればいいのに」

  「人間族は人間族を買わねぇだろ」

  「ちげぇねぇ!」

  ぎゃはははははは!

  ローソクが数本灯された部屋では下品な男たちの笑い声が響いている。随分と酒もあいたようだ。瓶があちこちに転がっている。

  「あの王子この建物が本気で療養施設だと信じてやがる」

  「くるたびにひとり50万もらえるんだ?馬鹿だろう」

  「おいおい、王子さまは俺らに感謝しているんだぜ?バカじゃねぇ。むしろご立派だ」

  「そうだそうだ。俺らは商売してるだけだ」

  「いやいや生きているゴミを輸出してるんだぜ?むしろ良いことをしてるんだ」

  「だから金が降ってくるんだろ!」

  ギャハハハハハ!!!

  その部屋の隅で宴会にも混ざらず立っていた14・5歳ほどの少年がそろりそろりと部屋を出て行った。

  [newpage]

  【酔・陽・養・要】

  「もういっぱい」

  「もぅやめときな」

  「金はあるんだ」

  「金の問題じゃない。惰性で飲む酒ほど不味いものはない。美味いと感じられるようになってからまた来い」

  「ちぇ」

  カウンターでは少年がぐらんぐらんと揺れながら「ちくしょう」と声を荒げてはカウンターに突っ伏している。周囲から見ても完全な悪酔いだ。

  「荒れてるね」

  「ん?」

  銀髪の男が酒瓶片手に少年の隣に座った。カウンター越しに亭主が睨んでいるが、銀髪男はかまわず手酌で自分に酒を注いでいる。

  「いい飲みっぷりだと思っていたけど、やけ酒か?ウマくないだろ?」

  「余計なお世話だ」

  「そうさ。余計なお世話だ。どうだ?抱えてるモン吐いちまったら?」

  「あんたには関係ない」

  「あぁそうだ。関係ない。他人だ。だから言いやすい。だろ?」

  「……」

  「真面目で優しい奴ほど抱え込んじまう。悩みなんてのは赤の他人に言えってのが俺の持論だ」

  「あんた、いいやつだな」

  涙目になった少年の隣に座る紫色の瞳の男は、テーブルでゆっくり話を聞こうじゃないか、と促した。亭主はやれやれとため息をつきながらも、二人にチェイサーを運んでくれた。

  *************

  「そうか。一家の大黒柱として頑張っていたのか。あんた、相当な苦労人だったんだな!」

  「そんな大したことじゃない」

  「いーや、立派だ!俺がその年で母親と妹弟を養えたかって!自分を誇れよ」

  「はぁ……」

  「今までひとりでよく頑張った!で?良心の呵責に耐えきれなくなってきた?だろ?」

  「ばい〝」

  涙を流しながら、うおうおと遠吠えのように泣いている。

  「最初は金目当てだったんだ。父さんが死んで。母さんだけの稼ぎじゃ弟妹は養えない。せめて妹は学校に行かせてあげたかった。稼げるから、って仕事の内容を理解しないまま……」

  「キミの年齢なら疑われないからな。貿易港を出入りしていてもどこぞの商人の丁稚だと思うさ」

  「ようやっと自分がやってきたことを理解して……病人だと思っていたあの子が、自分の妹と同い年の子が、まさか、って知ってしまって……」

  「やめる、って発想はなかったのか?」

  「悩んだよ。やめようとした。本当はやめたいさ!!でも妹も弟も学校に行かせてあげたいんだ!俺は読み書きも計算もまともにできないから商人になれない!わかるか?一生金が稼げないんだよ」

  「……」

  「二人は俺みたいになっちゃいけない。だから……金が欲しかったんだ……」

  拳を震わせ涙を呑む彼の背中を銀髪男が撫でてる。

  「キミは優しすぎたんだな。自分を後回しにしてしまうほどに」

  「褒めすぎだよ」

  くい、っともう一杯酒を飲むが、喉越しが軽く先ほどよりもすっきりと甘い。(きっと自分では買わないいい酒だ)

  「そこで、だ。君や家族の命と生活を保障したうえで、交渉があるんだが」

  「はぁ?俺に?なんで?」

  自分にむかって命令ではなく、『交渉』なんて言葉。ありえない!

  「実はね、この国を変えようとする男たちはアランのように心優しい人間が奴隷収容所で働くのを待っていたんだ」

  アランは『待っていた』という言葉に心が跳ね上がってしまい、なぜ、名乗ってもいないのに、目の前の男が自分の名前を知っているかを疑問にもしなかった。

  『優しすぎる』『さすがだ』『君の家族は幸せだ』『すばらしいじゃないか』『これまでよくぞがんばった』。これまでに浴びたことのない肯定のシャワーが少年を酔わせる。アランは既にあって間もない男を信用し、崇敬していた。

  アランの人生で誰も彼の存在をこのように肯定されたことはなかった。彼にとって、自尊心をくすぐるそれは愛撫にもひとしかった。まるで男性器を優しく撫でられるように、彼の中で何かが立ち上がり、熱くなる。吐き出したくなる。心がほぐれ、高揚し、出会ったばかりの目の前の紫の瞳の男の言うことは全て正しいと思うのに時間はかからなかった。

  (こいつが悪い男なわけがない!)

  最低な職場の上司について話すたびに、彼は深くうなずいて、酒を注ぐ。少年はどんどんご機嫌になる。

  おお!話すとも!心の友よ!

  キミが欲しいものをあげるよ!だって僕らは友達だ!

  収容所は嘘だらけ!集まった金は老人たちのもの!

  金が欲しければ獣人の民を売ればいい!

  民が抵抗するなら人間族からクスリを買えばいい!

  魔法のクスリがあれば みんなハッピーなんだから!

  

  ***********************

  ひとしきり話を終えるとアランはテーブルの上ではぐうすう、と眠ってしまった。

  銀髪の男がカウンターの向こうにいるマスターに済まなかった、と頭を下げるが、マスターはボトルを拭き拭き許してくれる。少年の話は聞こえていなかったようだが、泣き吠えていたことでいろいろと察してくれたらしい。

  彼の話をメモした羊皮紙は数百枚。まとめるのは弟のほうが上手そうだ、なんて目を通しながら残った酒を飲んでいると――――銀髪男のテーブルの傍に濃紫色のマントの男がやってきた。

  「なにもベルクさま じきじきでなくても……こちらは気が気じゃありませんでしたよ」

  ベルクの従者の一人が聞えよがしに肩でため息をついている。

  説教になりそうな雰囲気に「のむ?」なんてベルクが笑って隣の椅子を引いてみせた。

  「でも今回ばかりは僕じゃないと」

  「……」

  「もうちょっと僕を信じてよ」

  「交渉のことではありません。こんな場末の酒場なんて素性も知れぬ輩のたまり場ですよ?いつ殺されるともわからないのに」

  「でも城にアランを呼んでみなよ?怖がって話すものも話せないだろ?フォル兄さん相手に密輸の話ができると思う?ルーン相手に貧しい生い立ちが話せると思う?」

  「…………」

  「僕しか適任者がいなかったろ?」

  金を撒いたのも、金の使い方を調査させ、泳がせたのもベルクだった。最年少でいかにも純朴そうなアランがターゲットになったのはすぐだった。臨時収入が入っても女遊びも煙草も酒も呑まない、博打にも行かない。真面目な彼にもきっといつか「そんな日」が来るはずだと睨み、「きっといつか」は今日、やっとで訪れた。

  「これからしばらく彼の一家を頼むよ。逆恨みする連中もやってくるだろうし」

  「はい」

  

  今の僕なら、君に手を差し伸べてもいいだろうか

  [newpage]

  【閑・緩】

  空前絶後のニュースに国じゅうが盛り上がる。国王や若手の政治局と対立にあった老院や政治局の人身売買、薬の密輸、横領……叩いてもいないのに埃が次から次へと出てくる。号外がばらまかれる都市近辺は毎日がスキャンダルで賑やかだ。広場では奴隷収容所の主要メンバーが見せしめとしてはりつけにされているらしいが、暗躍した兄弟たちの姿はそこにはない。

  街とは対極の静かな四男の部屋で、ミチルとルーンがチェスによく似たボードゲームをしており、ローズはミチルの味方をしながらお茶を飲んでいる。街の暴動のためしばらく外出を控えるよう命じられているフォルも一緒だ。

  「これを機にまともな政治局がつくられるといいのですが」

  「王様やフォルの権限で信用できる人だけで作れないの?」

  「我々王族は政治に関与しすぎてはいけませんから」

  「今回もだいぶ叱られたしねぇ?♪ま、政治局がトロクサイって言ったら許されたけど♪」

  「……そうだったの?」

  (ごめん。好き放題やってると思ってた)

  「あ、で。ねぇ?ベルクは?」

  そばにいたローズに聞くが、あちらが驚いている。

  「へ?♪一緒じゃなかったの?♪」

  「そうなの。昨日からいなくって」

  「まだやりのこしたことでもあったのでしょうか」

  「買い物かもよ♪」

  「ミチルを置いて?」

  「それなんだよねぇ?♪?」

  「ちょっと!?一緒にいないときだってありますから!」

  「「ふーん」」

  あぁ!悔しい!中身はとっくに20代後半なのに!

  好きな人のことでからかわれるのが嬉しいとか、少女漫画脳の自分が!

  

  ミチルが顔を真っ赤にしていようが、そんなのゲームには関係ない。ほら、ほら、見てないと!

  「チェック」

  「ああ!」

  はい、ルーンの勝ち。

  [newpage]

  【月・突・衝・撞・着き】

  「うわあああああ!!!」

  一太刀目で背中を斬りつけ、素早く二太刀めで目玉を刺せば霧雨が降った。真っ赤な血しぶきが顔に飛び散っているのに、男は笑っている。

  「ひぃいいッ!!」

  斬りつけられた商人は視界を奪われパニックになって叫ぶことしかできない。よろめいた脚に容赦なくもう一太刀。ずぶりと突き刺された剣先でそのまま肉を斬れば、世にも醜いケダモノが叫んだ。

  「うぎゃああああああ!!!」

  小太りの男がほぼ狼犬の姿で倒れたところを腹の上から踏みつけられる。じりじりとこすれる背中の斬り目が熱い!痛い!

  「うぎぃ!」

  斬りつけた男は笑っている。まるでこれからデザートを食べる子供のように楽しそうに。

  「だ、だれだ、金か?金ならーー」

  「あれ?

  僕が誰かわからない?」

  (じゃあ よく見えるようにしてあげるね)

  剣先にぐ、と力を入れて目玉をくりぬいてみせるとその中を覗き込み、「これで僕が誰かわかったかい?」なんて美しく笑ってみせた。目玉は持ち主の代わりにプルプルとゼリーのように震えている。足元の男の悲鳴なんて聞こえていない。

  小太りの男は目をえぐられ脚を斬られ、もう逃げられないことは明確なのにそれでもまだ手足を動かして生きようとしている。

  「ひぃ、ひぃ、ひぃ」

  (なんて耳障りなんだろう)

  剣を振り下ろして喉を突くが――思った以上に血が出ないのが残念だ。

  「――――――っ!!」

  そこで彼はその剣先を口の奥にねじ込んで喉の奥を、その先の肉をえぐってみせた。

  「~~~あがああああぁ!」

  なお手足をバタつかせる人形に「五月蠅いよ」と吐き捨て、喉を横に切り裂けば勢いよく血がほとばしり、ようやっと人形は静かになった。どうやら動くことをあきらめたようだ。声も出ない肉塊の上に足が乗る。思いっきり体重をかけ、ずぶり、ずぶりと剣先が突き刺される。

  「――――――――ッ!!!!!!!!!!!」

  悲鳴は聞こえなければ意味がない。喉、背中から腹、両腕、両脚、足の甲から裏、幾度も幾度も剣が往復しては貫通する。肉塊が穴だらけになり、血の海に溺れたころ、声なき悲鳴はやみ、ピクリとも動かなくなった。

  「あのね?奴隷の売買だけなら殺されることもなかったんだよ?死んだ方がマシ、と思わせる程度の拷問はあっただろうけど、きっと生きられた」

  「でもさ?あのコを馬鹿にするのは奴隷や薬を売るより罪が重いんだよね?あ、知らなかった?」

  「あのコを護るって約束したんだ。約束は守らなきゃ。だろう?」

  黙ったままの肉塊を崖から蹴おとし、しばらく水面をのぞいていると鳥や魚たちが群がるのが見えた。

  「へぇ。最期に役に立てたじゃないか」

  紫水晶の瞳が優しく弧を描く。ザァ、ザァ、と波打つ音は彼にとって喝采の拍手のよう。きっと血まみれの彼は称えられる。『襲い掛かってきた野蛮な商人と戦った勇敢な王子』として。

  [newpage]

  【変】

  数年が経ち、国は随分と見違えた。ミチルが訪れて不潔さに顔をしかめた国は今では跡形もない。厠や手洗い場が街の至る所に存在し、そこらに汚物が垂れ流される景色は普通ではなくなった。風呂は毎日入れるよう保証されているし、工事の範囲が広がるたびに市場がつくられ、町はにぎわっている。もちろん子供たちも働いているが、学校に通えるようになった子供は増えたようで、無邪気に遊んでいる姿も増えた。

  予防医学という概念も普及し、実際この国の病人による死者数が減っていると聞いたときは王子兄弟たちと一緒に喜んだものだ。もちろんミチルはハルタに吉報を送ったのだが、返事はあっさりとしており、それよりもっと重大なイベントに備えろと説教で〆られていたのだった。

  **************************

  ミチルが大学の図書館で勉強を終えたころ、ベルクが迎えに来る。ベルクはミチルより先に大学生を終了し、王子としての公務が増え、かつてのようにべったりと図書館に滞在することはなくなった。

  それでも二人きりで過ごす時間だけは守らなくてはならなかった。どんなときも。いつだって。夕ご飯が一緒に食べられなかったとしても、夜、眠る前にお喋りはできるもの。

  「図書館の入口にできた三色の薔薇のステンドグラスってベルクのアイディア?」

  「うん」

  「すっごく綺麗ね!休憩のたびに癒されてる」

  「ミチルのために作ったから。いつでも僕のこと思い出せるだろ?」

  「……///」

  真っ赤に固まるミチルをそっと優しく抱きしめて笑ってみせる。

  「緊張してる?」

  「今はしてない」

  「よかった」

  ミチルの指先が高い体温に包まれる。ゆっくりと預けられた体重をよしよしとあやしてみせれば、ミチルが誰にも見せたことのない弱弱しいため息をついた。

  「今度はミチルの番だね」

  「うん」

  国家試験は明日に迫る。ミチルがこの国を訪れて九年以上が経っていた。

  [newpage]

  11【試練×試験】

  「気をしっかりとな」

  「頑張って♪」

  「迎えに行くからね!」

  「健闘を祈ります」

  馬車の向かう先は国家試験会場。ミチルは先日、大学の卒業試験を終え、本日はこれから国家試験に挑むところ。四兄弟の過保護っぷりはエスカレートしており、たかだか試験の出発にまで見送りしている。

  「やっぱり僕も一緒に行くよ!」

  「もぉ、だいじょうぶ!ベルクが一緒だもの!」

  お守りの白いリボンを見せつけて、行ってきます!と笑顔で手を振って馬車に乗り込んでみせた。

  ラッキーなことに、今年度の国家試験会場はミチルの通っている大学だ。いつもより少し早く出ればいいくらいだし、勝手知ったる会場ならばリラックス度も違う。妙な度胸がついてしまい、窓の外の景色を眺めていたのだが、馬車が急に止まった!

  「どうしたの!?」

  「ミチルさま!大学校の敷地内にて火事が起きた模様です!」

  「えぇ!?」

  「一旦戻りましょう。試験会場へのく早馬を持たせますから!お城でお待ちくだーーミチルさま!?」

  ベルクがいない今、ミチルを止める人はいない。するりと馬車から飛び降りて、つんのめりながらも体勢をもどしてダッシュする!

  (だって!知っている人がいたら!?)

  大学の大きな門周辺の人だかりで現場は見えそうにない。「火事って!?どこが!?」と問えば、「あそこ。旧校舎」と答えが返ってきた。

  「へ?」

  「誰もいないんでしょ?」

  「なら良かったよ」

  「だいたいもう取り壊しって言われてたんだから丁度いいくらいだったんだよ」

  校舎の一部からのぼる煙もほんの少し。すぐにおさまるだろうと声が聞こえる。本校舎と距離があるから一緒に燃える心配もなさそうだ。ま、旧校舎は壊すことになるだろうけど、今日の試験会場は本校舎だっだし。

  「それより試験だよ。どうなるんだ」

  「だよな?」

  (たしかに)

  野次馬もミチルもお気楽になっていたところ――。

  「いるんです!」

  涙まじりに女学生が訴えている。興奮して耳やしっぽどころかマズルまで剝きだしだ!

  「は?」

  「友達のグリンが……!!あのなかに!いるんです!!!!」

  「はあぁああ!?!?!?!?」

  「なんで!?」

  「わかりません!ただ、今日、あそこに行くって聞いててーーあの子――さっきから見当たらなくってーーもしかしたらーー」

  心臓がどくどくする。誰かがいる、と聞いてしまったせいだろうか?

  火事の現場なんて見たことがなかった。「そーゆーの」はいつもネットの写真やテレビ越しで、他人事だったもの。

  さきほどまで小さかった炎が風のせいで大きくなった!縦に横に揺らめいて大きな悪魔が笑っているようだ。

  (怖い)

  だけど、いまここで純血の人間族は自分だけ。

  獣人族よりは自分の方が火に対してなにか行動ができるのでは?

  (逃げろ、行くな)

  (放っておけ!!!)

  (自分の命を大切にしろーーー!!)

  頭ではわかっているのに!

  「あたしが助けに行ってくる!!」

  ミチルの低い声に周囲の視線が集まった。

  【覚悟】

  「嘘だろ?」

  「行って誰もいなかったらどうすんだ?」

  「無駄死にだぞ!?」

  周囲の声は当然だ。誰だって行きたくなんかない。でもーーでも、本当にいたら?

  助かるかもしれない命を見殺しにするの?

  それであたし、医者になっていいの?

  誰かを見殺しにして、この先ずっと苦しむ人生を選ぶの?

  「それで、どこなの?グリンがいるのは!」

  指と声の震えを殺して、先ほどの女生徒の肩を掴む。

  【祈】

  「なにを言ってるんだ!

  「でも!助けなきゃ!」

  「バカか!キミが死んだらどうするんだ!キミは国賓だろう!?僕らはもちろん、王族が、ベルク王子が悲しむぞ!?それを考えーー」

  「あたしは一人でもモフを助けたいの!そのためにこの世界に来たんだから!」

  「でも!!」

  「ここで誰かを見殺しにして試験に行ける?もし試験をパスして医者になれたとしても一生トラウマになっちゃう!だからあたしは!あたしのために行くの!!あたしは中の子も助けてみせる!絶対にあたしも助かるから!!」

  周囲の手を振り払い、ミチルが旧校舎に走っていった。同じ学部の学生達ならば、ミチルが王族に溺愛されていることを知っている。ミチルが獣人医になるために人の数倍も努力をしてきたことも、人間だからと不条理で理不尽な差別に屈せず笑顔で接してきたことも。

  「――――」

  だから声を殺して。その場で数人の学生が祈るように手を組んだ。

  [newpage]

  馬車から王子たちが降りて、ミチルを探している。どうやら話を聞いて飛んできたようだ。ベルクが獣人医学部で見覚えのある生徒の集団を見つけると、ミチルはどこだと青い顔で訊いた。

  「ミチルは?」

  「校舎にいる生徒を助けにーー」

  「「「「なーーーーっ!?」」」」

  ほかの王子も青ざめている。

  「どうして止めなかった!!」

  「止めましたよ!だけど無理だったんです!わかるでしょう!」

  「ーーーーっ」

  それがミチルだ。それが彼女の行動力の源で魅力でーー

  だけど!なにも、いま、こんな!どうして!!!!

  「しょうがないよ。ミチルは本気でこの世界の獣人が好きなんだから。助けないまま目の前で死なせることができない。そーゆーコだよ」

  「「「……」」」

  「大丈夫だよ。ミチルは帰ってくる。そしてみんなに叱られて、遅刻して試験を受ける。だろ?」

  「「「……」」」

  ベルクが兄弟に言い聞かせるが、悲鳴を上げてくれた方がマシなほど、笑顔が痛々しい。

  もしその場にいたらミチルを絶対に引き留めた筈だ。

  でも自分が何を言っても、それでもミチルは火事場へ走ったかもしれない。

  だって、それこそが自分の好きなミチルだから。

  「大丈夫だよ。ミチルは絶対に戻ってくる」

  まだ校舎が全焼しているわけじゃない。大丈夫。必ずミチルは戻ってくる。

  乾いた叫びが空に溶ける。

  [newpage]

  【静】

  必要なのは冷静さだ。焦ると呼吸が浅くなり、酸素の消費量が増える。

  落ち着け。大丈夫。まだここは燃えていない。

  「だいじょうぶ」

  声にすることで自分を落ち着かせる。深呼吸をするごとに視界がクリアになるのがわかる。

  「だいじょうぶ」

  少女を無謀に助けようとしたときとは違う。

  今は帰りたい場所がある。生きて会いたい人がいる。

  過去からも現実からも逃げたがっていたあのときとは全く違う。

  (だから大丈夫)

  まずは一階の職員室を覗く。いない。それからその隣のトイレ。いない。今度はこちらだろうか?あるいはこちらの部屋?それともあっちーー唸り声と弱弱しい悲鳴が聞こえる!

  「いたーーーー!!」

  グリンが部屋の隅で怯えながらこちらをにらんでいる。衣服こそ着ているが、全身が獣毛に覆われており、息が荒い。

  (怯えさせちゃいけない)

  ミチルは深く息を吸って、吐いて。まずは自分自身に落ち着け、と呪文を唱えてみせる。

  「だいじょうぶだよ」

  笑顔をキープして、ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつにじり寄って。こちらを睨みつける瞳がギロリと鈍色に光るが、気にしない。

  「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

  ミチルが抱きしめようと最後の一歩と同時に両腕を差し出そうとしたときーーー

  「い゛だい゛!!!」

  瞬時に沸いた低い怒声に自分で驚いてしまった!肩から数十センチにも渡る長い釘をカラダの奥深くまで打ちこまれたような痛みが全身を貫き、怒りのまま叫びそうになる!!

  「ーーーーっ!!!!」)

  (耐えろ!堪えろ!!)

  グルル、と低い唸り声をあげながらも、左肩に深くめり込んだ牙を離す様子はない。

  「だいじょうぶだよ」

  「だいじょうぶ」

  「だいじょうぶ」

  背中に両腕をまわし、ゆっくり、ゆっくりと撫で付けて。

  「だいじょうぶ」

  「だいじょうぶ」

  「だいじょうぶ」

  優しく、優しく。子守唄を唄う母親のように。ゆりかごを揺らす鳥のように。耳元の唸り声、鼻息、荒い呼吸が少しずつーー少しずつおさまってきた。

  「ミ、ミチル!?」

  「グリン!気がついた?」

  「私ーーっ!?いや、なんであんたがーー」

  「火事なのにここにいるって聞いて」

  「火事?」

  「この旧校舎の四階でね?まだ大したことになってないからだいじょうぶ。でも時間の問題だから。早く逃げましょ?」

  「立てる?」とグリンを起こそうとしたとき、ギャン!!と悲鳴が響いた。彼女が足首を押さえてうずくまっている。

  「捻挫かしら…」

  いやいや。ここで素人診察している場合ではない!

  「じゃあ、肩におぶさってくれる?」

  「え?」

  「はやく!」

  「で、でもーー」

  「あなたは人間に助けられるのは不本意かもしれないけど!今ふたりで助かる道はこれしかないの!!!はやく!!!!」

  グリンの意志など無視して、無理やり背負ってみせると、彼女は素直に従った。ずしり、と肩にかかる重みは経験したことのある人間のそれとはまったく違う。想像よりずっと重たい。

  「外に出たら私から離れていいから。とにかく今は大人しくしていて!!!」

  「なんで?」

  「ん?」

  「どうして私を助けるのよ?私、あなたにひどいことを言ったのに」

  「うん」

  「あなた、天使?」

  「まさか。暴言や失言を許してはいないわよ」

  「ーーーー」

  「だけどあなたの命を助けない理由にならないでしょう?てか、こんな割り切りこそ、オオカミの方が得意そうだけど?」

  「皮肉?」

  「嫌味」

  グリンは黙って身を委ねる。ただ、抱き心地や体勢から緊張が解けたことが伝わった。

  [newpage]

  出会って数年も経つと言うのに、まともに会話を交わしてこなかった。嫌われていると知ってしまってからは、なおさら声がかけにくかった。

  でも、彼女が人間を嫌いでも、そんなもの、自分が彼女を嫌う理由にも、見殺しにする理由にもならない!!

  なによりハルタは「この壁」をきっととうに乗り越えてる。その上でこの世界で医院を開業してみせたのだ。自分よりもっとひどい目にあっていたかもしれないのに、それでも彼は獣人を赦し、救った!だったら自分だって――!!

  [newpage]

  大丈夫。外では皆が待ってる。あたしには待ってる人がいる!

  試験仲間が、王様が、お妃様が、フォル、ローズ、ルーンが!

  あたしを世界で一番大切にしてくれるベルクが待っている!

  あたしはもう命を粗末にしない!だから必ず帰ってみせる。

  部屋を出て、今度は廊下。未だ火の気はない。ここから外に出る玄関までは角を曲がる距離を加えても100メートル以上はある。重たい。だけど焦るな。呼吸を乱すとロクなことが起きない。はぁ、はぁ、と呼吸が荒くなりかけては足を止め、また一歩、踏みだしみせた。

  「待ってて。もう少しで着くから」

  「あんた怖くないの?」

  「私?怖いよ」

  「怖いのに来たの?バカなの?」

  「うん。バカかも。でもね?あなたを助けずに試験に向かっていたら私は一生後悔したから」

  「……」

  「あなたがこの校舎で死んだら、医者になっても一生自分をゆるせない道を歩んでた。だったらやることは一つでしょ?あなたを助けて試験に合格する。じゃない?」

  「試験!?今日、医師の国家試験だったの?」

  「私が医師試験を受けるって知っていたの?」

  「そりゃあ有名だもの!あんたはずっとキラキラしてたから!暇さえあればおべんきょして、王子様や特権階級に好かれて――」

  「勉強はしていたけど、好かれていた記憶はないよ?」

  「自覚がないだけでしょ。あんたみたいなキラキラ族、『みーんな』話しかけにくいわよ!」

  「嫌われてると思ってたから」

  「逆よ。『みんな』あんたがうらやましくてねたましいの。綺麗なモノは憧れるか引きずり下ろすしかない。だからみんな近づかないんだ」

  「そうだったの……」

  「なのにあたしなんかを助けるとか!バっカじゃない!?あたしなら死んでも別に――!!」

  「……」

  片側だけ開けておいた木製の玄関扉が「こっちだよ」と待っている。外から差し込む光が「がんばったね」なんて歓迎してくれる。

  (あと少し!あと少しだ!!)

  がんばれ、がんばれ!一歩、もう一歩と這うように血糊がひきずられる。

  [newpage]

  【失】

  ミチルが旧校舎の玄関から姿を表すや否や、救急隊、王族、沢山の人間が駆け寄る。救急隊の誰かにグリンを引き渡した瞬間!

  「よかった……」

  安心したせいか、全身の力が抜ける。膝をついたミチルにベルクが手を差し伸べたのだがチカラが入らず、コテン、と腕の中で倒れてしまった。

  「ミチル!!」

  「はれ?」

  緊張感が解けたせいだろうか。立てない。足に、手に力が入らない。

  「早く!医者を!」

  「あたしは大丈夫だよぉ?」

  「そんなわけないだろ!」

  「いつからこんな血を流してたんですか!!」

  自分を見下ろす兄弟たちに向けてへら、っと笑って見せたのだが、青白い顔色が、肩からだらだらと流れ続ける赤いそれが事態を誤魔化してはくれない。

  (さっき噛まれたときの……まだ血が止まってなかったんだ……)

  グリンを背負って歩いているときは気にもならなかった。だって痛くもなかったんだもの。が、高揚感が姿を消した瞬間。全身を氷風呂につけられたかのような寒さが襲い、身体がガクガクと震えだした。

  (あれ?)

  空の色が薄い。みんながぼやけてよく見えない。

  「あれ?あたし……ダメなのかな…?」

  「そんなこと言うな!言っちゃダメだ!!」

  ベルクの声が聞こえるのに。彼が見えない。仄暗い水底で水面がなびくのをみているような。遠い世界のできごとみたい。

  「必ず助かるから!」

  励ましているのはローズだろうか?

  でもこれ、確実な出血死。だってこの世界で輸血できない=詰みじゃない?

  試験当日に受験せずに死ぬってのがあたしらしいといえばあたしらしいってゆーか。

  「ミチル……」

  「ねぇ、シロ、泣かないで」

  口からすんなり出てきた名前にミチルの瞳が丸くなる。

  (そうかーーこの子はーー)

  「シローーーあなた…シロだったのね」

  大好きだった 私の王子様

  いつも優しくていつも肯定してくれた 私を嫌わなかった

  どんなに涙を流しても 泣いちゃダメって言わなかった

  泣いていたら 駆け寄ってくれた 慰めてくれた

  いっつもそばにくっついてきた あまえんぼさん

  あんなにも一緒にいたのに

  あんなにも大好きだったのに

  どうして気がつかなかったの

  「私、シロに会うためにこの国に来たんだね」

  「そうだよ!僕だって急に君と別れるなんて嫌だったんだ!だから神様が――」

  ぼたぼたあたたかなしずくがミチルの頬におちるなか、ミチルはヨシヨシとベルクの頬を撫でつける。

  「「「ミチル……」」」

  フォル、ローズ、ルーンの三人の声に色が混ざる。

  どうして気がつかなかったんだろう。

  (クロ、モモ、アル)

  みんなみんな、以前の世界でミチルが愛した動物達。飛びつかれてもよしよしと可愛がり、彼らに好かれていた自覚もあった。彼らとの別れは辛くて悲しくて苦しくてたくさんたくさん泣いたけれどーー

  「生きろって言ったのはみんなだったんだね。会いたいと願ってくれたのも、あたしを呼んでくれたのも。全部…全部――――」

  「もう、喋るな!ミチル!!!」

  「ベルク。あたしね?前の世界でもこの世界でもあなたに会えて幸せだったの。だからーーありがとう」

  「ミチル………」

  「だいすき」

  ありがとう

  [newpage]

  12【切符】

  真っ白の世界に制服姿のミチルが立っていた。振り向いても歩いても、真っ白。前も後ろも、すべて、すべてが真っ白だ。ここには建物はおろか木の一本も見えない。真っ白い世界だけ。

  「もしかして死んじゃった?」

  『死にました』

  「え゛!」

  『こっちが「え」ですよ!

  あなたは この世界で獣人医になるはずだったんですよ!それでこの世界の医学に貢献する運命だったんです!奴隷売買および薬の密輸組織の解体、インフラ設備まで貢献したでしょう?あんなことがもっと起こる予定だったんです!

  少なくともあの獣人の世界の科学と文明が進化するはずだったんです!

  なのになに勝手に死んでくれてるんですか!』

  「あ、はい……」

  すごい。同情はおろか慰めてもくれない。

  『まぁ、前回のような自暴自棄な人助けよりは百倍は成長したといえますが』

  「あ、そう♡」

  『それでも死んだんですよ。バカですか』

  「じゃあなに!?グリンを見捨てるべきだったの!?これから医学試験を受ける人間に獣人殺しになれって!?」

  『そうです』

  「な!?」

  『自利他利、という言葉をご存じない?自分の命を最優先できる者が他人を救えるという言葉があなたのいた世界にはあったんですが。「いただきます」という言葉もご存じない?』

  「でもそれじゃああたし試験どころじゃなかったかもしれない!もしかしたら一生のトラウマになってた!!」

  『そうです。それこそあなたにとっての試練だったのです』

  「はぁ!?」

  『試験と同時に恐怖と闘い、国家資格を取った後も自分を責めたでしょう。ヒトはそれでも生きなければなりません。それこそあなたにとって必要な経験だったんですよ。それなのに試験前に死ぬとか!自分の命をなんだと思ってるんです』

  ため息が聞こえる。神様も大変だ(デジャブ)。

  『まぁ、死んだというのは嘘ですよ。正確に言えば仮死状態なんです』

  「え」

  『あなたはあの国に必要でした。ですから眠ってもらっています。ほんの一ヶ月程度で済むことを感謝していただきたいものですね』

  「えぇ!?あたし!生きられるの!?またベルクに会えるの!???」

  『今回はあなたが死ぬと困る事案の方が多いですから。正直、あなた自身よりも、あなたが関わる人物が非常に重要なわけです。よってあなたに死なれたら困ると言っているんです』

  「あたしの命が尊く素晴らしいから生きなさい、とかそーゆー優しい言葉が降ってこないんですけど?」

  『当たり前ですよ。こっちは怒ってるんですから。自分の命を大切にするのは己自身です。クレクレ星人が他人への施しなど求めないでください』

  「う゛」

  『シロはあなたに会うために、この国の王子として生まれました。彼はまだその契約を果たせていません。 その運命をあなたに変えられたら困るんですよ。ったく』

  「え!?は!?ちょ!そこんとこくわしkーーーひゃああああああああ!!」

  ぐるん!ぐるん!

  足元から世界が回りだす!!二度目だけど、こんなの慣れっこない!気持ち悪い!!

  ビックリハウスに乗っているような、ボウルの中で泡立て器で攪拌されているような、さながらハンドブレンダーで作られるスムージーって、あああああ!!!

  ぐるんぐるんぐるんぐるぐるん!!!!!!

  回転は激しさと勢いを増し、大好きな人には絶対聞かれたくない野太い声が放たれる。

  「だあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」

  [newpage]

  13【しろ】

  目が覚めたとき視界に飛び込んだのは真っ白のふあふあだった。

  おおきな狼犬はずっと自分の目が覚めるのを待ってくれていたのだろうか?

  ずっと手を握って眠っていたのだろうか?

  (シロのときとおんなじだ)

  やっとで実感する。目の前に彼が居ることが、彼の体温や重みに触れることがどれだけ幸せなことか。

  どれだけ大切にしていなかったか、あぐらをかいてきたか。

  (ただいま)

  ミチルはゆっくりと起き上がって自分の隣で眠っている犬の頭をよしよし、となでると、紫の瞳が大きく見開かれた。

  「おはよ」

  「ミチル!?」

  跳ねるように飛び起き、大きな紫の瞳がうるうると震えだしている。

  あたしだけを見てくれる瞳。大好きしか言わない瞳。シロと同じ瞳。

  「ベルクだぁ…」

  ミチルが存在を確かめるように愛おしさを込めて髪をすき、頬に、喉に、肩に触れた。指先を絡め合わせ、頬同士をすり合わせると、ベルクの頬が赤く染まる。

  「み、ミチル?」

  「ねぇ?ベルク?あのね?私、ずっと言いたいことがあったの。ベルクが王子だからって言えなかったんだけどーー」

  (いいかな?いいよね?だって一番言いたかったことだったんだもん)

  「ま、待って。それなら僕から――!」

  「どうだ?ミチルの様子はーー」

  「「「「「!!!!!!!!!!」」」

  王子たちも日ごろから無作法だったわけではない。確かに今日はノックをしていなかった。それは本当に本当によくなかった。とはいえ、キョウダイ達にとってはミチルの目が覚めていないことが前提だったし、昨日の今日まで、ミチルは目の覚める保証のない生きた屍状態だったのだ。だからその……今日も「そう」だと思い込んでいた彼らにそこまで非はない。とフォローしてあげたい。

  

  だってさ?まさかその弟が恋慕う女が起きててさ?

  男女がベッドのうえでってさ……?

  その……想像することはひとつってゆーかさ?ねぇ?

  [newpage]

  「すまなかった。その…無礼を承知で言うが、私も軽率にミチルが眠っていると決めつけていてだな……」

  「いえ……その……あたしも……軽率でした」

  真っ赤な頬を両手で隠してうつむいてしまい、誰とも視線をあわせようとしない。

  ラブシーンに入ってこられたベルクがキレていたが、逆に病人のベッドでなにやってんだと兄弟たちからボコられたことは、今は横に置いておこう。

  「けど起きてくれてたから手間は省けたんじゃない?もともとミチルのことで来てたんだし♪」

  気まずい空気をローズが和やかに入れ替えてくれる。(さすが!)

  「あぁ。だが、いきなり起き抜けにそんな話も……」

  「アタマ固いなぁ?♪だからモテないんじゃないの?」

  「聞かせてよ!あたしなら大丈夫だから!」

  「ミチルが眠っている間に二回の国家師試験が終わりました。今年度は放棄とみなされましたが、また来年度の試験を受けてもよい、と文科省より伝達があったんです。そして試験に合格するまでミチルを見習い生として厚生省立の医学院に優待すると申し出たのですよ」

  「は?……どゆこと?」

  「はいはい。ちょっと説明足りてないよー?ミチルは起きたばっかだよー?♪」

  パンパン、とローズが手を叩いてルーンらしからぬヘタクソ説明にストップをかけている。

  「ミチルは医師国家試験の前に大学の卒業試験を受けたことは覚えてる?♪」

  「ええ」

  「おめでとう♪大学は無事卒業できてるよ♪」

  「そうなの!?よかった!」

  「卒業式はとうに終わっていますけどね。一年以上も眠っていたのですから」

  「うん」

  「で、学校関係者の大半はミチルが卒業式にも国家試験に来れなかった理由も知ってるんだよね?ミチルは悲運の人ってゆーか……そーゆー扱いなわけ♪」

  「現況のあなたは大学校を卒業して試験に受かっていない浪人生。今回は事情が事情でしたから、学校と国の教育機関側はぜひともあなたに試験を受けなおしてほしいと願っています」

  「多少は責任やら諸々を感じているんだろう」

  「学校の名誉だと思うけど?♪」

  「ローズ……」

  (怒ってくれてるのは嬉しいけど怖いよぉお)

  「でも?ただ、美談のヒロインのミチルが無事試験を受けました♪じゃあ国民サマが納得しないわけ♪」

  「え?なんで?火事に飛び込んだのは私なのに……」

  「もちろん貴方に非があります。ですが、世間的には相当な事件なんですよ」

  「人間族が獣人を助けたってのは近代史に残るレベルの事件なんだよねぇ?いちよ、この国にも人間族とはそれなりにドロッドロの歴史があったからさ?♪」

  「ミチルをなんとかしてやれって学生たちが黙ってなかったんだよ?沢山の嘆願書が集まったんだから!」

  「うそ……」

  「そこで学校より教育省より権力のある厚生省の出番ってワケ♪ミチルちゃんをムゲにしませんよーって誠意を国民さまに一般公開しだしたんだな?で?どする?」

  「とはいえ見習い生ですから給料はありませんしーー」

  「やる!やりたい!やります!」

  さっきまで意識を失っていたのは誰だ。ピンと挙手をして、ベッドの上で跳ねるよう、キラキラしている。

  「いや、その、お給料もらえないんですけど……生活費もお金も払えないんですけど……行ってもいい……デスカ?」

  つんつんと人差し指で上目にフォルや兄弟達の機嫌を伺えば(アホ)とため息をついてくれる。

  「その返事を医学院に届けて来るんだな」

  「一年以上も眠っていたんですからね。医学院に行くならリハビリを充分してからですよ」

  「ありがとう!!」

  [newpage]

  「よかったね。ミチルの頑張りをみんなが見てくれていたんだ」

  「そうなのかな?」

  「遅くまで図書館に通って勉強していた。わからないところはわかるまで教師たちに質問していた。ほかにもだよ。どんな目に遭っても笑っていただろう?それら全部が見られていたんだ」

  「要領の悪さは目立ちますし、三手先を考えているとは思えない行動はとても賢明とは言えませんがね」

  「うう……」

  「でもまぁ『あなたが獣人族の命を救いたがっている』ということは大いに伝わったと思いますよ」

  「そんでまた伝説のオトメとかなんとか騒ぐヤツもいるだろうねぇ♪」

  「え、あたし、そんなすごいヒトじゃない」

  「そんなすごいヒトなんだよ。だからみんなが助けようとしたんだ」

  「ですから正確には『ラッキー』ではないんですよ。『過去の積み重ねの結果』です。正当な自己評価をしてください」

  「ミチルはこの国に必要とされている自覚をもつんだな」

  キョウダイ達の言葉が一つ一つ、ゆっくりと紡がれるたび、そのたびに、ひとつぶひとつぶがぼたぼたとシーツにシミを作る。

  「あたし……ここに来て…よかったよぉ……ありがとぉ……」

  ぼたぼた涙とずるずるの鼻水だらけで顔はぐちゃぐちゃだし、そういえばすっぴんだし。でも、止まらないの。涙も、感謝の言葉も。

  「前はね?あたしなんて、いてもいなくてもいい透明人間だったの。自分で自分このことが大嫌いだったの」

  「でもね、今は違うよ?あたし、医者になりたいって頑張ってる自分のこととか大好きだし、この家でたくさん愛してもらったの!あたし、自分で自分のことを好きになる大切さを教えてもらったの!」

  「その、だから、あたし、みんなのおかげで幸せなの!みんなのことが大好き!ありがとう!!」

  大好きと言うのは少し恥ずかしかったけれど、ひとまわり大きいベルクが抱きしめてくれるから、ミチルは腕の中に隠れてしまえる。おかげで真っ赤なカオは見られずに済む。

  [newpage]

  14【ハル】

  ミチルが目覚めて少しだけ月日が流れて。リハビリを終えたら勉強しながら医学院に通ったり、時々はピクニックをしたり、お菓子を作ったり、隣の国へ出かけたり。無理のないよう、少しずつ生活を戻しているうちに、もう一度国家試験の季節が訪れた。この世界も年度の代わりは春。新緑はまだだけれど、道路の花が愛らしく咲き始め、薄色の桜の花が八部咲いて見事に美しい。

  この一週間、受験したミチルよりも兄弟達の方がソワソワしながら郵便局員の来訪を待っている。今や遅しと待ち疲れている彼らのケアの方が大変で、おかげでミチル自身がヤキモキするヒマもない!

  コンコンコンコン。四回のノックのあと、返事をすれば

  「ミチル」

  郵便物が届きましたよ、と王妃様が直々にお出ました!!

  「あぁ!?おありがとうございます!!」

  本日の王妃様は人間姿。ベルクと同じ白銀髪は夜会巻きにされ、デコルテラインが美しい真っ赤なドレスワンピースに、手元の郵便物よりも意識が飛んでしまいそう!

  (王妃様が王子達を美しく産んでくれたのってなにそれありがとうだし、あの王様の遺伝子を残したって宇宙レベルですごくない!?はぁ、洗剤セットかハムの詰め合わせを贈りたい。王妃様に感謝したい。しても足りない。ツラい)

  この世界で何億回と叫んだ魂の声を はぁ、と物憂げな溜息にかえると。

  「わたくしがいると通知が見づらいかしら?」

  王妃がいたたまれなさそうにうつむいている。ミチルの憂いを王妃は自分が邪魔だと解釈してしまったようだ。

  「ちちち違います!!ごめんなさい!王妃様が美しくて見惚れていただけです!!」

  ダイレクトなミチルの咆哮に王妃が目を丸くしているのはさておき、ペーパーナイフで封書を開いてみればーー

  「あ!合格です!合格しました!!」

  二文字を見て見て、と王妃に見せると、口角を上げ、微笑んでくれた。

  (はぁ……う、美しすぎる……)

  自分が国家試験に合格とか主役になって良い日なのにいろんなものがどうでもよくなった。王妃様はズルイ。

  「ミチルーーー!!!」

  兄弟の声だ。ノックもなく乱暴に扉を開けるなり、ゼェハァと肩で息を切らしている。

  「さっき、通知が、届いた、って……」

  「あ!うん!」

  「それで?」

  「どうだったんですか?」

  「うん!受かってた!」

  「うん、そっか……」

  「よかっ……」

  封書が届いたと聞いて、全力疾走してきたに違いない。自分たちのここ数日分の緊張感が解けたりして、全 員脱力。

  「みんな!?」

  「かあさんが…」

  「抜け駆けするから…」

  「こっちは一緒に見るつもりだったのに…♪」

  「言うな。実質最高権力者だぞ。死にたくないだろ」

  みんなもう二十歳を超えたってのに、未だに母親に頭が上がらないってね?

  「ミチル!合格おめでとう!」

  「ありがとう♡」

  「すごいなぁ。頑張ったねぇ。本当に医者ってなれるものなんだねぇ」

  「ありがとう♡」

  「たゆまぬ努力の賜物だな」

  「いやぁ…そんなこと…にゃはは…♡」

  「謙遜は高慢だと言ったのを覚えていないですか」

  「はい!素直に喜びます!」

  順々に通知書を見た王子たちが「おめでとう」を言ってくれるたびに、心がぽかぽかする。

  もう、あたしは落ちこぼれのミチルじゃない。

  うじうじしてたあたしじゃない。

  ハルタに嫉妬して泣いていたあたしじゃない。

  「ねぇ、ミチル。明日、大学の卒業式に行ってみない?♪」

  「へ?なんで?」

  自分が眠っているうちに卒業証書は発行されていたのだ。

  「なんでって。ミチルは参加していないでしょ?気分だけでも味わったら?」

  さっすがベルクとローズ!キザモテ男子二人組!発想が華やか!!

  「式には出られなくってもさ?卒業生にこっそり混じって教師に合格通知を見せるってのもアリじゃない?」

  「じゃあそうしようかな…いいのかな?」

  「「「「いいに行きまってるだろ(♪)(よ?)(でしょうが)」」」」

  [newpage]

  【キミだけの卒業式を】

  大学の卒業式はうららかな日差しのなか執り行われた。学校に桜の花はないけれど、おだやかで柔らかな陽だまりが注ぐ行事は日本を思い出させてくれる。ミチルはカナリアイエローのワンピースドレスに身を包んでみせた。ベルをイメージした服装にハーフアップの仕上げは相変わらずなあの白いリボン。本当はベルのようなドレスも着てみたかったけれど。

  (ま、卒業生じゃないからね!贅沢言わない!)

  そんなミチルの配慮など無視して王子達はガチ正装で挑んでる。こんなのミチルより保護者(おうじたち)の方が目立つじゃないか!

  (ば、ばかなの!?)

  フォルのダークグリーン、ローズの臙脂色、ベルクの濃紫色、ルーンの真っ白な軍服姿は眼福どころか、どこのギャルゲですかだし、こんなガチャ大当たり映像、心臓に悪いからやめてほしい。

  (そうだった、この人たちカッコいいんだっ!!)

  見目麗しい王子たちが礼装で揃っているということもあって、在校生や参列者はおろか、主役の卒業生までもがざわついている。

  (どこが「こっそり」よ!でもかっこいいもんね!?わかる!知ってる!)

  視線なんておかまいなしにベルクがこっちこっち、と大学のシンボルでもある千年樹のふもとに引っ張ってきた。祭典が行われる講堂とは真逆で静かな場所。

  「じゃあミチルも卒業式だね!」

  「へ?」

  「こーゆーときは兄さんの役割だから!♪よろしく!」

  ローズが一枚の紙を手渡してバトンタッチ★フォルもうん、と空咳で厳を漂わせようとしている。

  「ミチル」

  「は、はい」

  「××××年度、×月×日、××大学を卒業したことを証明する」

  フォルが卒業証書を渡してくれるので、頭を下げてうやうやしく受け取ると、おめでとう、と兄弟たちが拍手をしてくれる。恩師に合格通知を見せるなんて口実で。忙しいはずのみんなが自分のために時間を作ってくれたのだ。

  (うわぁ。ズルい。もぉ、だめ。本当にズルい。みんな、好き)

  卒業証書で涙まじりの顔を隠していると、ベルクが「帰ったらケーキが待ってるよ」なんてミチルが泣き止みそうな提案をしている。

  [newpage]

  「で?この先はどうする気なんですか」

  「うーん、やりたいことはいっぱいあるんだけどね?大ケガしてるモフちゃん助けてあげたいからそっち!もうね?モフ専用のERがあればそっち行きたいの!てかER作りたい!」

  「へぇ。開業じゃないの♪」

  「開業には経験が必要だ。すぐにはできまい」

  「ま、ようやっと一段落じゃありませんか。よかったですね、兄さん」

  「うん!本当におめでたいよね!あ、今夜はミチルの好きなメニューだって♡」

  「わーい♡」

  ベルクとミチルの能天気おめでたコンビに、三兄弟が某新喜劇のように滑りコケる。

  「「「……じゃなくて!!!!」」」」

  「これで気兼ねなく公的な婚姻関係を結べるのでないかと言ってるんです!」

  「弟になにを言わせてんの!」

  「夢を叶えてこれから働くミチルの気持ちを尊重したら、子供はもう少し後にした方がいいとは思うが。まぁそれは我々が決めることではなく二人で決めることだしなーー」

  「ぶっちゃベルクは兄さんみたいに世継ぎを産めって立場じゃないし♪そのへんミチルはお気楽に考えていいんじゃない?

  「な―――///」

  「ちょ!ちょっと!!」

  「なんだ」

  「なに」

  「なんですか」

  「あの。あたし達って婚約者って言っていいんですか?」

  「「「はぁ????」」」

  「だ、だって!ねぇ?」

  「……」

  頬を真っ赤に染めたミチルがオロオロと振り向いてベルクに同意を求めようとしたのだがーー目をそらされてしまった。

  「ミチル。あなた、本気で言ってるんですか?」

  「ひっ」

  普段は冷静なルーンからは聞いたことのない、ドスの効いた低い声にミチルの背筋が凍る。

  「ベルクは献身的すぎるほどお前のそばに居た。病めるときも健やかなる時も隣にいた。我々こそふたりは『そういう』関係だと思っていたが?」

  「だ!だって!!あたし達、キスくらいしかしてないのに!!」

  「「「……」」」

  「いやその……ハグはしてたけどしかもキスってほっぺた程度だし…その、いわゆる恋人かって言うと……ちょっと…」

  「「「……はぁ?」」」

  ミチルが真っ赤な顔で訴えているのに!王子たちはナニイッテンダコイツと呆れている。兄弟連中からしたら二人の進展具合など話の論点ではない。なんならそんなノロケを聞かされてどうしろというのだ。

  (むしろこれまで一緒のベッドで眠っていたのはなんだったのだと男として同情もしている)

  「逆に訊きますけど、ミチル。あなたはどう思っているんですか」

  「へ?」

  「兄さんはただの便利な道具だったと?」

  「ちがう!そんなこと言ってない!」

  「兄さんの想いを知っておきながら飼い殺したと?さぞ楽しかったでしょうね?惚れた女に翻弄される姿は」

  「ちょっと!さすがに今の言い方はキツいんじゃないの!?」

  「ふん!」

  (うわ!本当に ふん、って言った!)

  ルーンはつん、とそっぽを向いてしまった。

  「ミチル。真剣な問題なんだ。僕たち三人は二人が恋仲だと思っていた。だけどそうでないなら話は別だ。ミチルがベルクとの未来を拒絶するのなら、ベルクは他にパートナーを見つけなければならない。 君の返答一つでベルクの運命がかわることもわかってほしい。照れ隠しだのそんなのはどうでもいい。感情を抜きに話をしてくれないか」

  いつも明るいローズが諭すようなお兄さんの話し方。だからこそ真剣に言葉を選びたい。

  でも、なんと言葉を紡げば良いのか分からなくて。緊張して指先が、喉が震える。

  「だって!ベルクはモフの王子さまなんだよ?人間で、貴族でもないあたしが好きになっていい相手じゃないでしょ?あたしは礼儀作法もできないし、政治だって、社交界のマナーだってわかんないし、モフが好きすぎて変態だし……」

  「ミチル……」

  「あたしはベルクに会うためにこの国に来たんだよ?決まってるよ。ずっと一緒に居たいに決まってるじゃん!!」

  

  本当にいいのかな。本当にあたし、幸せになっていいのかな?

  「言ったろ?ミチルは僕に会うためにこの国に来たんだって」

  「もぉ!やめてよ!あたしがベルクのことを好きだと迷惑かけるから我慢してたのに!みんなのバカっ!!」

  「僕が不甲斐ないからミチルにふさわしくないのかと思ってーー」

  「そんなこと言ってない!そんなのあたしが決めることでしょ!?あたしがどれだけ泣いてたと思ってんのよ!!」

  「じゃあいうけど!こっちだって――」

  「はいはーい!我慢の自慢大会は二人きりでやってねー♪迷惑だよ♪」

  「「!!」」

  「ミチルを泣かせるなんてベルクも悪い男だねぇ♪どうする?今からでも俺に乗り換える?♪」

  「へ」

  「俺も王子様だし♪ベルクよりは気が利くし♪ミチルが望めばモモ(犬姿)にもなってあげられるけど♪」

  聞こえよがしにローズが耳元で笑うものだから、ベルクがひきはがすようにミチルを腕の中に閉じ込めた。

  「僕らの邪魔をするなら兄さんでも●すよ」

  「我慢してきたバカ同士、お似合いだ!おめでとう!」

  ローズが拍手をしていたら、周囲からも祝福の拍手が起こった!ミチルとベルクのことを知っていた同期生たちは集まってるし、なんなら二人を見守ってきたマロンなんて泣いてるし!!

  「え!?やだ、ちょっと!!」

  「僕が恥ずかしい?」

  「そうじゃなくって!だって!こんな!みんなの前でってーー!!」

  「僕は皆の前で恋人宣言できることが嬉しいけれど?」

  王子様スマイルに、ミチルの顔が真っ赤に染まる。

  (そうだった!ベルクのってカッコよかったんだった!)

  「言ったろ?シロとして生きていたころからミチルのことを大好きだって。ずっとずっとミチルは僕のものだって言いたかったんだから」

  (あぁ、美女と野獣のラストってどんなんだったっけ!?)

  ミチルが ぐい!とベルクの襟元をつかんで引き寄せれば――――!!

  「!!」

  先ほどよりももっと大きな拍手が二人を祝福した!

  【ハピエンルートは はじまりのおわり】

  「むかーし、むかし。ちょーーーーっとおかしなモフオタガールはモフの王子様に寵愛されて超愛しあいましたとさ♡」

  ちょうあいされハッピエンルート♪めでたしめでたし♪って?

  いえいえ。お伽話はこれからが始まり。

  ハピエンルートは愛のパワーでコンクリ舗装しなくちゃ、ね♪

  END

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