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本棚とは、その人を映す鏡だ。
そう父から母から祖母から祖父から教わってきた僕だけど、その教えは何の役にも立たなかったようである。三人兄弟の次男である僕。上に兄、下に妹。齢は16、高校生。兄は大学生、妹は中学生。
「むふふふふふふふふふ」
目の前に広がる惨状を眺めながら、僕は大きく不敵な笑みをこぼした。惨状と言ったけど、それは一般人から見て。つまり、兄から見てのこと。妹や僕から見れば、兄弟三人の共同部屋の大きな本棚、その三分の二を埋め尽くし跋扈するのは、膨大な腐った本の数々。
一冊手に取れば、お気に入りの作家様の官能をくすぐる絵、文、ストーリー。どれをとってもなにものにも変えがたくて、だからこそ僕たちはそれを収集してる。
そう、僕たちは腐っているのだ。
どうしようもないくらいに。
梅雨が始まった。
雨が多く振るこの時期は、本の扱いに困る。どこかに本を持っていって読もうとすると、移動距離の分だけ本がぬれる可能性を加味した行動を取らなくてはならないし、そうでなくても湿気がすごい。本みたいな薄い紙の集合体だと、湿気に晒しただけで大分に恐ろしいことになることは想像に難くない。まぁ、大半の本は厚紙で出来ているから心配はないのだけれど、それでも「獣人探偵局ノワール」だとか、ちゃんとした文庫から発売されてるのは薄いし、新しく買おうにも再販がない可能性が高い。
梅雨は嫌いだけど、同時に好きだ。
だってだって、獣人たちが厚着しないし、塗れるのを嫌がる。塗れるのを嫌がるのって、なんだか軽いエロスをか感じない?ぬれるって言うのはまみれるとも読むから、○○塗れになるのを嫌がる、って、僕からしてみたらエロの塊なんだけどな。
さてさて、梅雨の開始時期は六月から七月が基本だ。何が言いたいかって言うと、僕の通う高校の授業がまだ継続していると言うこと。
今日はどの本を持っていこうかな。少し逡巡した後に、僕はハードな奴を選んで本様のブックカバーをかけて透明なブックカバーを重ねがけした後に本様の袋を戸棚から引っ張り出して学校鞄の中の本用スペースの中に突っ込んだ。
さて、電車だ。七時五十分に家を出る僕には、満員電車に鉢合わせる心配はあまりない。通勤ラッシュのピーク時間に家を出ないといけない兄さんが可哀想だなぁ。そう思えるほどには、僕は満員な電車が嫌いだ。特に梅雨だと、汗臭いおっさんとかは公害のレベルに達する。
中には豊満で濃厚で芳醇な香りを漂わせている獣人がいるから、のるのはやぶさかではない。だけど、それは大事な本を持っていないときの話。今日は大切な本を持っているから、本が汚れることになることだけは避けたい。
最近は、スリもはやってることだしね。
さて、学校に着きました。登校時間ギリギリという時間帯に登校している僕は、チャイムが鳴る三分くらい前に着席した。マイナーなキャラ、つまり陰キャラというレッテルを貼られている僕を気にする奴なんかいない。だけど、一番後ろの端と言う最高の場所を陣取っている僕には、友達がいないとしても楽しいことがあった。
…のだけれど。
端的に言うと、楽しいこととは腐本を読みふけること。先生が来るというハプニングにさえ即時対応できるほどの胆力があるなら、これは最高の時間つぶしになる。そう、つまらなすぎる数学の授業をスルーできるくらいには。
そして、だけれど、と言う言葉は、朝に準備したはずの本がなくなっているところから来たのだ。
慌てた。だけど静かに波風立てないように。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
口に出てた。先生の視線が怪訝なものになり、生徒が一斉にこちらを見る。両手を頭に支えたまま髪をわしゃわしゃとする僕を見て、生徒が一斉に大笑い。うるさいぞ、黙れ。
「きみ、どうしたのかね?」
あの先生、もーろくしているのか人の名前を覚えやしない。…。
「あの、ほ、本」
「本?」
あ、危ない危ない。先生の言葉をとぎられてなかったら本気で言っちゃう所だった。
「本が…なにかね?」
「…な、」
なんでもないです!と言い切ろうとした時だった。教室の扉が、乱雑に開かれたのは。
「…赤池、後で職員室着なさい」
「っせーな。黙って授業してろ老害。うっとおしいんだっつーの」
心底面倒くさそうに言い放つ赤い虎。赤池二和(あかいけふたかず)は、うちのクラスの鼻つまみ者だ。というのも、何故この高校に入れたかわからないほどの素行の悪さが目立ち、かつ暴力をいとわないと言う一面もあるから。そんなこんなで、入学してから三ヶ月、彼の立ち居地は、目立たない僕とは殆ど逆方向。「クラスにいて欲しくない人間」となった。
話題が僕から逸れたのをこれ善と座り、先生の視線から身を隠す。
流石は耄碌先生。「あれ、さきほど話してたのはどなたでしたっけ?」とか意味不明なことを言っている。
意味不明なことを言っている。
「おい、お前。後で屋上に来い」
意味がわからない。何だこいつは。なんなんだこの赤池は。
「…ひゃ、ひゃいっ!?なぜびょくが?」
噛み噛み。だけど意味は伝わったらしい。
「…話がある」
話?と当惑する僕を置いて、赤池はさっさと昼食前の授業の準備に取り掛かった。
…準備をするところを見ると、案外真面目なのかもしれない。
さて、雨だ。
屋上に来たのはいいものの、雨が降り注いでいる。いや、何と言うかバケツをひっくり返した感じで。
そして、その中で当人、赤池は座り込んでいた。
「お、来たか。こっちこい」
なんか言ってるこの人。
「いや、雨降って」
「あ?」
すいませんこわいですごめんなさい。
折り畳み傘を持ってきた自分を軽く褒めながら、僕は仕方なく土砂降りの雨の中を歩いた。
「それで、話ってなんですか?」
「お前、ホモか?」
いきなり何の話題でしょうか。わたくしわかりませんわ。
正直ぼけたかった。だけど、何か確信を持ったような目で見られると、本当に核心を掴んでいるのかと思うと。やはり思い浮かぶのは、今日なくした本だけ。
「ち、ちがいま」
「じゃあこれなんだよ」
目の前に無雑作に放り投げられたそれに、僕は唖然とした。
開いたページには、亀甲縛りにされた挙句に前をバイブで攻められ、後ろを張り方で攻め抜かれている獣人の絵。これを放るこの虎の目は、蔑みなどではなく、「いじめっ子」の色が浮かんでいた。
「…僕は腐ってるだけ」
「じゃあこれを言いふらしてもいいわけだ?」
何の問題もないよなぁ、お前はホモじゃないんだし、そう言う話が広がったって何の問題も発生しないよなぁ。とそう言葉を紡ぐと、赤池は濡れそぼった顔を左右に振った。
雨が飛んだしぶきの場所に後から後から水滴をくっつけて、その行為を無意味にさせる。
「それは、…こま」
「人に物を頼む時の態度か、それ」
「…っ。…黙って、いて、くだ、さい」
「そうか、じゃあ傘を俺に献上してずぶ濡れになれ」
何を言って、と目を剥く僕に、彼はこう付け加えた。
「何かをしてもらおうってのに、お前は何もしないのか?」
その言葉に半分向きになって、僕は赤池に傘を放り投げる。それを軽く受け取った赤池は、その傘をあろうことかフェンスから下へ投げ捨てた。
「…っ、なにすん」
それに抗議をしようとしたときのこと。
赤池の短いマズルの先端が、僕の唇と触れた。これは、アレだ。キス。
ぼうっとしていると、赤池の手が僕の後頭部に回って、がっしりと逃げられないように押さえつけられる。すると、赤池の舌が僕の口の中を蹂躙する。上の歯、下の歯、喉の入り口。
全てを舐められ、マーキングされたかのように赤池の感触だけが残る。
手を離された僕は、仰向けに倒れた。
ばちゃんと、コンクリートに溜まった雨水と制服とが嫌な音を立てる。これは大分ぬれた。
「これはまだ序の口だ。今日の帰り、お前の服乾かしてやるから、俺の家へ来い。これは命令だ。…いや、今から行くか」
しっとりとぬれた全てはそのままに、赤池は鼻息交じり、いや、興奮交じりでそう言った。
雨にぬれて物に吸い付くようになった制服の、赤池のズボンは、彼のいきり立った愚息にこびりつき、その大きさと、硬さをこれでもかと主張していた。
何をされるのか、腐っていなくてもわかるだろう。そうだ、僕は今から犯されるのだ。
嫌だ。そう言う気持ちはあったが、きっと雨に洗い流されたのだろう。
雨にぬれていると、何もかもがどうでもいいような感覚になってくるから。
…だけど、一つだけ言いたいことがあった。
「おい赤池!お前僕の大事な本をこんなにぬらして、どうしてくれるんだ!!この本はなぁ、もう手に入らない可能性が高い本なんだぞ!お前なんかが今更どうやって謝ったって遅いんだからな!!絶対許さないんだからな!!」
鼻息を荒くしながらそう吐き捨てると、僕は教室に向かって歩き出した。
ぬれて見る影もない本はしっかりと手に握り、それを鞄が塗れることなんていとわずに鞄に隠す。
後ろで更にいじめっ子のような笑顔を強めている赤池が、僕の背中についてきた。そして、僕を追い越す瞬間、僕にごく小さい声で耳打ちした。
「覚悟しとけよぉ?めちゃくちゃ痛いらしいから」
その言葉に震えた体をどうにか持ち直し、僕は強がりを言う。
「うるさいよ。そっちこそ中折れしないように気をつけるんだね」
そして、赤池は放課の終わりに昇降口集合とだけ言うと、塗れた体から雨の尾を引きながら、教室へと入っていった。
…それは、僕も同じか。
帰る準備が終わった。後は昇降口へ向かうだけ。
なんだろう、この気持ちは。こわい?いや、違う。楽しみ?そんなわけがない。なら…。
僕の思考は、昇降口にたどり着いた瞬間に消えた。いや、消されたのか?
赤い毛が近付いて来る。そして、僕の腕を無理矢理に引っ張って、玄関から出て行く。
雨は、しっかりと上がっていた。まるで、天気そのものが僕を馬鹿にするように。不幸なのは、お前だけなんだぞ、と言うように。或は、お前の幸せはそれだろう?と嘲るように。
玄関から出る瞬間、僕は赤池に手放されて無様に転がった。
僕は、これからどんな日常に晒されるのだろうか。この赤い虎の精奴隷に荷でもなって、一生尽くさなければならないのだろうか。
考えながら倒れたままになっていた僕。それを助け起こすと同時に、彼は毒のような笑みを浮かべながら僕を硬直させる言葉をいってのけたのだった。
「電車乗るときは鞄閉めといたほうがいいぜ?」と。
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