ライカンスロープ 1巻 1話

  野性の下では、他者の命を奪う行為は珍しいことではない。

  狩り。雌の取り合い。縄張り争い。

  どんな命も、殺害を避けては通れない。

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

  満月が生える深夜の森。

  月光は星々と共に下界を照らす。人工の光が届かない場所では、天然の光が目立つ。

  そんな夜空に1台の輸送ヘリが現れた。森を叩き起こすような騒音を上げ、月光より眩しいライトを光らせて。

  操縦席には操縦士と副操縦士が、後部には武装した兵士5人の姿があった。夜間の戦闘なので、全員黒ずくめだ。

  (いよいよだな)

  右側の端の席に座る兵士は、まだ青年だった。

  防弾ベスト、鉄板入りブーツ、右腰の拳銃。左腰の手榴弾、左胸部のナイフ。一見珍しくない兵装だが、不可解な点が3つあった。

  青年は、刃渡り60センチほどの日本刀を抱えていた。加えて、青年が被っているフルフェイスのヘルメットは、鼻と口の部位が大きく前方に突き出ていた。最後に、腰のやや下の辺りから、飴色の毛に追われた50センチほどの尻尾が出ている。

  (やば。喉渇いてきた)

  青年は口内に溜まった唾を飲み込んだ。緊張しつつも、僅かに高揚していた。

  導かれ、歩き続け、ようやく長いレールの出発点に立った。部活の試合でも、期末テストでも、こんな心境にはならなかった。

  「瀞(せい)」

  「ん?」

  右から声を掛けられた。緊張を溶かす、柔和な女性の声だ。

  首を捩じると、ほぼ同じ兵装に身を包んだ兵士の姿が。青年と比べると体は小さく、尻尾を包む体毛は白い。手にした武器は刀ではなく、小型の自動小銃だ。

  「大丈夫?震えているけど」

  「え?」

  言われるまで気づかなかった。

  「いや、怖いとかじゃねえから。適度な緊張感というか、その、武者震いだよ」

  恥じらいつつ頭を回転させ、適した言葉を探し出した瀞は、胸を張って答えた。

  すると、正面の席からヤジが飛んできた。

  「いや、めっちゃ怖がってるし」

  そう言って笑うのは、瀞の正面に座る青年だ。体は女性よりも小柄で細く、ヘルメットの出っ張りは小さい。尻尾は長く、黄に黒点の斑模様だ。日本刀も小銃も持っていないが、左右の腰にはやや刃渡りが長いコンバットナイフがあった。

  「うるせえな。怖くねえよ」

  「説得力ねーよ」

  「武者震いっつったろ」

  「嘘つけ」

  「嘘じゃねえ。ちょっと緊張してただけだっての」

  「僕ちん怖いワン」

  「うっせえ。学力試験Dランク男」

  「それ今関係ねーし!お前こそCランクじゃん」

  言い合いを始めた二人。女性兵士が止めようとするよりも早く、瀞の左隣から静止の命令が下された。

  「瀞。風丸(かぜまる)。止めろ」

  声を荒げている訳でもないが、その太い声は、瀞と、風丸という小柄な兵士を止めた。

  命令を下したのは、5人の中で最も大柄な兵士だった。ヘルメットの形状は風丸のものに近く、長い尻尾は虎のような黄金色と黒の縞模様だ。

  瀞と同じく日本刀を手にしているが、刃渡りは80センチと長く反りも深い。

  「はいっ!」

  「さーせん!」

  2人は同時に謝罪した。

  「談笑自体は悪くない。過度な緊張は危険だからな。だが、緊張感が全く無いのも問題がある。真剣さが足りん」

  「すいません、和虎(かずとら)隊長」

  頭を下げる二人の部下に、和虎は続けた。

  「怖がることは、悪いことじゃない。俺も怖い。だが、これが俺たちの務めだ。怖いから嫌だとか、甘えは許されない」

  「ですよね」

  瀞はうつむき、自身の中の恐怖を認めた。鼓動が高鳴る原因の一つには、紛れもなく恐怖が混じっていた。

  そんな瀞に、和虎は言った。

  「安心しろ。俺が誰も死なせない」

  ヘルメット越しに、目が合った気がした。

  「はい!」

  根拠のない約束だが、瀞を鼓舞するには十分な一言だ。

  「んだよ、やっぱ怖がってたじゃん。和虎隊長が言ったら、簡単に認めやがって」

  「和虎隊長と違って、お前の発言はむかつくからな。人を馬鹿にしてやがる」

  「してねーよ」

  「してるだろ。滲み出てるんだよ、悪意が!大体、お前は大丈夫なのかよ」

  「オレは割と余裕」

  「本当かよ。不安でしかねえ」

  言い合う二人。和虎はもう何も言わなかった。

  (しっかし、あの人は、何も言わねえな)

  瀞はふと、風丸の隣に座る男に目を向けた。

  自分よりも背は高く、縹色の尾、五人の中で最も出っ張りが大きいヘルメット。手にしたライフル。何より目を引くのは、背中から生えた大きな翼。

  「副隊長、起きてますか?」

  腕を組み、ヘリが出動した時から姿勢をずっと変えない仲間に、瀞は声をかけた。

  「不要な確認はするな」

  素っ気ない返答。予測できたとは言え、快いものではない。

  (起きてる、でいいだろ!大丈夫なのかよ、この人。訓練ではいつもお世話になってるし、大丈夫とは思うけど。まぁ、和虎隊長がいるから大丈夫だよな)

  「瀞」

  「ん」

  隊長への信頼で不安を消した瀞に、女性が話しかけてきた。

  「もう大丈夫?」

  「ああ。ありがとな。空(そら)こそ、平気なのか?」

  「うん。不安がないって言ったら、嘘になるけど。でも、和虎隊長もいるし、副隊長もいるし、この銃もあるから」

  空は、手にした小銃を掲げて見せた。宝物を自慢するかのように。

  「まさか、本当に許可が下りるとは思わなかったなぁ。SG552、すごいでしょ」

  瀞は、数日前の苦い記憶を思い出した。

  渡されたライフルを抱きしめ、飛び跳ねて喜ぶ空は、プレゼントをもらった子供のようだった。そして、銃なんか変えたって同じだろ、と冷めた口調で言った自分に対し、延々と銃器の解説を始めた空は、子を叱る母のようだった。

  「着いたぞ」

  「え?」

  不意に、和虎が言った。同時に、ヘリの動きが変わる。どうやら、移動を止めてホバリングしているようだ。

  「じゃあ、今から」

  「戦闘だ。賢士(けんし)」

  和虎は応えつつ立ち上がり、副隊長の名を呼んだ。ほぼ同時に、副隊長である賢士は立ち上がり、ヘリの側面のハッチを開いた。そして手にした小銃――――空のSG552とはちがい、こちらは89式小銃―――を構えて下方に銃口を向けた。

  和虎が反対側のハッチを開くと、空も立って和虎の隣へ行き、ライフルを下界に向けた。

  (え、ちょ、マジで、もう?実戦?やばい!どうでもいい会話してる場合じゃなかった!)

  「瀞、風丸、どちらから行く?」

  和虎の問いに瀞は答えられない。

  「行きまっす」

  そんな瀞をよそに、風丸が立ち上がった。

  「すぐ下に、敵、いるわけじゃないんすよね」

  「ああ。戦闘区域から少し離れている。それに、BATの機動隊も下に控えている」

  「そんじゃ」

  短いやり取りの後、風丸はヘリから飛び降りた。ロープもパラシュートもつけずに。

  「あっ。お、俺も行きます」

  年下に後れるものかと自身に言い聞かせ、瀞は立ち上がった。

  「瀞」

  「は、はい」

  下界へと向かう瀞の肩を、和虎が掴んだ。

  「お前は今から何をする?」

  「か、怪物を、ぶっ倒します」

  「そうだ。自分のやるべきことを忘れるな」

  「分かりました」

  「よし。行け!」

  和虎の激励が胸を叩く。

  瀞は一度深呼吸すると、戦場への一歩を踏み出した。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――

  日没間際の大都会。

  立ち並ぶビルは側面から日光を受け、長い影を伸ばしている。影に覆われた建物は看板に光を灯し、一足早く夜を迎えていた。

  そんな光景を、高級車の中からぽかんと眺める少年がいた。卒業を目前に控えた、学生服姿の中学生である。大都会の光景は、田舎育ちの彼にとっては全てが規格外であり、全てが珍しく見える。

  やがて彼を乗せた車は、一際高いビルの地下駐車場へと入っていった。

  (すっげ。東京は違うな。大分の比じゃねえよ)

  自身が知る最大の都会よりもスケールが大きい街並みに感心しつつ、少年は運転手に従い車から降りた。

  (でも、どうして、こんな場所に?)

  導かれるままに、駐車場を通り、エレベーターに乗り、清潔感のあるビルの中を進んでいく。いい匂い、綺麗、高価、と、漠然とした感想を抱きながら、少年は考えていた。なぜ自分はここにいるのか、と。

  卒業式の練習中に職員室に呼び出され、スーツ姿の壮年男性に連れ出され、東京都にやってきた。足を踏み入れたのは、今回が初めてだった。何故呼び出されたかは不明のままだ。

  (俺、何も、悪いことしてないよな。まさか、すっげえレアな病原菌持ってるとか?人体実験されるのか?拉致されるんじゃないのか?いや、もうされてる!?いやいや、ひょっとすると、選ばれた戦士とかだったりしてな。超能力とか持ってる体質だったりして)

  連れてこられた理由については、漫画やゲームの影響で非現実的なものばかり浮かんでしまう。不安だけでなく、妄想を楽しむ気持ちもあった。

  「この部屋の中に入ってください」

  突如、運転手がドアの前で止まった。談話室と、ドアに取り付けられた札には書いてある。

  「あ、はい」

  少年はドアを開けた。

  さほど広くない個室だ。中央にはテーブル、それを挟んで向かい合うソファー。隅には流し台とポット、食器が入った棚や小型冷蔵庫まである。学校の校長室に似ていた。

  部屋には先客がいた。ソファーに腰かけた、スーツ姿の若い男性が一人。

  「初めまして」

  男は微笑み、立ち上がって少年へと近づいてきた。

  「あ、どうも、こんにちは」

  少年も挨拶を返しつつ、部屋に入った。背後でドアが閉まる音がする。少年は振り返らず男の方を向いていた。

  「緒方丈一(おがたじょういち)です」

  丈一と名乗った男は、右手を差し出してきた。

  「あ、犬神瀞(いぬがみせい)って言います」

  自己紹介されたと気付いた少年――――瀞は、丈一の握手に応じた。

  「うん、本人で間違いないね」

  「はい。よろしくお願いします」

  「とりあえず、座ろうか」

  「はい」

  丈一に促され、瀞はソファーに座った。丈一と向かい合う形で。

  「とりあえず、何か飲もうか。何がいい?」

  「ああ、いや、大丈夫です」

  「遠慮しなくていいから。長くなるし」

  「はぁ」

  丈一は、にっこりと微笑みかけてくる。お堅い感じは無い。それでも緊張がすぐに解けるわけではない。

  「あ、手伝いますから」

  「いいって」

  身を乗り出した丈一に肩を押されて、立ち上がろうとした瀞は仕方なく座った。

  立ち上がった丈一は冷蔵庫の方へと向かう。

  「コーヒーより、ジュースがいいな」

  「あ、コーヒーでも大丈夫です」

  「本当に?砂糖もミルクもないよ」

  「あー、やっぱり、ジュースでお願いします」

  「オッケー」

  やがて丈一は、オレンジジュースが入ったガラスのコップを2つ手にして戻ってきた。

  「ありがとうございます」

  「どういたしまして。ま、そんなに緊張しなくてもいいから」

  「はい」

  「でも、しちゃうよな。急にこんなところに連れてこられて。まだ何も説明されてないでしょ」

  「はい」

  「しょうがないとはいえ、このやり方、なんとかならないかなぁ。俺の時もそうだったし」

  「そうなんですか」

  「ああ。大体、説明係に俺を使うっていうのもなぁ。ほんと、上の人達は勝手っていうか、もうちょっと俺たちのこと考えてほしいな」

  「はぁ」

  「ま、そんな愚痴、君に言っても仕方がないか。ごめんね、いきなりこんな話して」

  「いえ」

  丈一は、気さくに話しかけてくる。瀞は緊張のため相槌を返すことしかできなかった。

  すると丈一はジューズを一口飲み、想定外の話を出してきた。

  「漫画とか、読む?」

  「ええ、少しは」

  話題に驚きつつも、瀞は頷いた。

  「どんなの?」

  「まぁ、有名なやつとか」

  「犬士ヒムカ、分かる?」

  「あ、分かります!読んでます!めっちゃ好きです」

  「あれ面白いよな」

  「はい!」

  共通の話題。そのきっかけひとつで二人は打ち解けていった。

  「え、東京って、チャンネルそんなに多いんですか!?」

  「大分が少ないだけだよ。金曜ロードショーやってないんだな」

  「あ、家はケーブルのおかげで観れます」

  「え、”おじい”って、怖いって意味なの?おじいさん、じゃなくて?」

  「はい。通じないんですね」

  「だって、方言だから」

  「方言って知りませんでした」

  「温泉かぁ。最近、入ってないな」

  「うちの近所、普通にありますよ。毎週入ってる人とかもいますし」

  「お金あるんだな」

  「350円だし」

  「やっす!」

  ――――――――――――――――――――――――――――――

  瀞がヘリから飛び降りた地点は、森林地帯に立つ山の麓だ。そこには、迷彩柄の戦闘服を着て小銃で武装した兵士達の姿があった。瀞たちと違い、ヘルメットはフルフェイスではなく、尻尾もない。

  麓には装甲車や大型トラックも停まっており、点灯したライトは山の方に向けられていた。迷彩柄の戦闘服を着た兵士たちは、山を完全に取り囲んでいる。その包囲網の内側、山に一歩でも入ったら、もうそこは戦場だ。

  (マジで始まるって、おい。やばい、やばいよ、丈一さん!!)

  「瀞、離れないようにしよう」

  隣にいる空が、優しく話しかけてくる。

  「ああ、そうだな」

  「一人になったら、死ぬよな、多分。気を付けねーと」

  風丸は、もうからかってこない。

  「ああ、気を付けないとな」

  瀞は頷き、山を見上げる。何の変哲のない山が、魔境であるかの様に見えた。

  「07部隊、突入してください!」

  装甲車の付近に立つ兵士が、周囲に轟く大声を張り上げた。

  「集まれ!」

  トラックの脇で司令官と会話をしていた和虎が大声を発し、部下たちが集まる。

  「4月12日、午前0時27分。隊長、工藤和虎(くどうかずとら)、副隊長、日鷹賢士(ひだかけんし)、犬神瀞、鹿山空(かやまそら)、知多風丸(ちたかぜまる)、以上07部隊5名、現場に入ります」

  司令官が無線に告げた。

  和虎は、腰の太刀を抜き放った。銀色に輝く刃が、車のライトを浴びてギラリと光った。

  風丸もナイフを抜く。左右の手に1本ずつ、二刀流だ。

  空はライフルの安全装置を解除し、薬室と弾倉の確認をする。

  賢士もライフルの確認をして、胸のロザリオを取り出し祈りを捧げている。

  瀞も刀の柄を握りしめた。

  (頼むぜ)

  ゆっくりと抜く。この戦闘で自身の命を委ねる存在に、心の中で祈りながら。

  「打ち合わせ通りに行く。賢士、頼むぞ」

  「了解」

  和虎が、前に出る。恐れながらも、瀞は和虎の背中を追った。

  (いつまでも考えてたってしょうがねえ!もう行くしかねえんだ!)

  和虎を信じ、大きな背中と縞模様の尻尾を追う。

  その後ろを風丸が、そして空が続く。最後尾に賢士がついた。

  5人の兵士は、戦場に足を踏み入れた。

  山を登り始めて10分が経過した。

  傾斜は緩やかだが、木の根や石で地面は凹凸が多く、草木が生い茂り非常に歩き辛い。そんな山道を、瀞達は警戒しつつ歩き続けていたが。

  (静かだな。すぐに襲われると思ってたのに)

  瀞は心の中で首を傾げた。何も起きないため、緊張感は徐々に減少しつつある。

  「和虎隊長。本当に、この山にいるんですか?」

  そんな瀞の心を代弁するかのように、背後から風丸の疑問が飛んできた。

  「情報によると、間違いないらしい」

  和虎は足を止めずに返した。

  「間違いとかじゃ?」

  「ありえない話ではない。だがその場合でも、俺たちが確かめる必要がある」

  「何体でしたっけ?」

  「目撃情報では、5体だ」

  「この広い山の中で、たった5体を、オレたちだけで探すんですか?」

  「文句を言うな」

  「はいっす。瀞、何の臭いも感じないのか?」

  風丸に話しかけられた瀞は、首を横に振る。

  「全然。ただ、ヘルメット脱いだら、もっと分かるかも」

  「いらねーよな、やっぱり。こんなとこ、人いねーし」

  「ああ。和虎隊長、ヘルメット脱いでも・・・・・・」

  その時、ある臭いが瀞の鼻を撫でた。過去に嗅いできた、どの動植物とも違う、独特の臭気だ。

  「隊長!待ってください!臭いが!」

  瀞は前を歩く和虎を呼び止めた。和虎が、そして他の隊員たちが足を止めた。

  「どこだ?」

  「こっちです!」

  瀞は、臭いが流れてきた方向へと歩き出した。和虎の右前方からだ。

  和虎を追い越し、瀞は臭いを追った。

  進んでいくと、踏まれた雑草や折れた枝が見つかった。何者かがここを歩いた証拠だ。

  恐怖心と緊張感が再燃する。同時に、達成感を得られた。俺が見つけてやったぞ、と。

  「隊長、俺が先頭を・・・・・・」

  「瀞!!」

  和虎は瀞を突き飛ばした。

  ドンッ!!

  ギンッ!!

  森から銃弾が飛来してきた。和虎が太刀でそれを防ぐ。

  タンッ!!

  「ギャン!!」

  後方で賢士が引き金を引く。瀞を狙った標的を仕留めたらしく、断末魔が飛んだ。

  何が起こったか。瀞がそれを理解する時間は無かった。

  刹那の攻防の直後、四方八方から銃撃が襲い掛かってきた。銃声が鼓膜を叩き、マズルフラッシュが目に刺さる。数秒前の静けさが嘘のようだ。

  (え、ちょ、何で銃が!?)

  瀞は倒れたまま動けなかった。唐突に始まった銃撃戦に対応できない。

  和虎を見ると、太刀を振り銃撃を防いでいる。

  近づけそうにないので風丸がいた方向を見る。ナイフを両手に、姿勢を低くして銃撃の出どころへと突っ込んでいく背中が見えた。

  「待てよ!!風丸!!」

  叫びは聞こえない。風丸は見えなくなった。

  瀞は平伏したまま動き始めた。頭上を飛び交う銃弾が当たらないよう祈りながら。

  「あちっ!」

  左肩を銃弾が掠めた。かすっただけだが、混乱を倍増させるには十分な一撃だった。

  (やばい!一旦逃げねえと!)

  この場から逃げるため、瀞は起き上がる。すると、正面から人影が近づいてきた。銃を持っている。敵だ。

  (殺される!!)

  瀞は方向転換し駆けだした。幸い被弾しなかった。

  数分後。

  短時間だがかなりの距離を移動し、銃撃の渦から大きく離れることに成功した。

  「うおっ!!」

  木の根に躓いてしまった。速度が出ていた分、大きくバランスを崩してしまう。不運にも転倒した先は急斜面で半ば崖のようになっており、瀞はそこを転がり落ちてしまった。混乱した精神状態では草木に捕まることさえできず、坂の下まで落下する。

  「いつっ!」

  起き上がり左肩を撫でる。銃弾は服を掠めただけだったようで、怪我はない。

  自身が無傷であることを知った瀞は、中腰になって周囲を見渡す。人影はない。気配も、臭いもない。

  (危なかった。いきなりあんなの無理だろ。5体以上いたぞ、多分。銃まで持ってやがる。でも、無事でよかっ・・・・・・)

  安堵しかけた瀞は、強い自責の念にかられた。

  (よくねえ!!何やってんだ!!)

  仲間を置き去りにして逃げた自分を叱責し、瀞は銃撃が聞こえる場所へ戻ろうとする。

  だが。

  「んっ!」

  鼻が再び、臭いを掴んだ。先ほど嗅いだものと、近い臭いだ。その臭いの持ち主が、周囲に潜んでいる。

  (邪魔だな、これ)

  瀞は邪魔なヘルメットを脱いだ。

  露になった頭部は、“人”から大きく逸脱したものだった。

  飴色の体毛に覆われ、マズルは前方に飛び出し、大きな口からは牙が見え、三角形の耳がピンと立つ。

  それは人でなく、犬の顔だった。人の骨格を持ちながら犬の頭部を持ち、全身に飴色の体毛を纏い、尻尾まで生やしている。それが、今の瀞の肉体だ。

  (やっぱり、近い!)

  犬の鼻は、ヘルメットに邪魔されることなく機能を発揮することができた。瀞は臭いの発信源である暗闇を睨む。

  いた。樹木の付近に、金色に輝く二つの光がある。

  (一対一だ。戦うか?)

  行くか、退くか。

  瀞が悩んでいると、暗闇の中で光が増えていく。ぽつぽつと火が灯っていき、10個にまで増えた。

  (ちょ、5体は、多い・・・・・・)

  瀞は光に背を向け走り出した。

  『ヴォオオオオオオオオオオッ!!』

  直後、背後で地鳴りのような唸り声が聞こえた。振り返ると、金色の目を持つ獣が追いかけてくる。

  骨格は狼に近いが、容姿はまるで異なる。大きく裂けた口、不揃いの牙。表皮が所々で破れて露出してしまうほど発達した筋肉。悪魔に取りつかれたような、凶悪な野獣だ。

  5体の野獣は唸りながら瀞に迫る。

  瀞は逃げた。“狩られる恐怖”によって目覚めた本能が、生きるために逃げろと命じた。

  木々を避け、草を踏み、暗い森を駆け抜ける。

  (撒いたかな?)

  野獣の唸りが聞こえなくなったため、瀞は振り返った。遠方に、野獣を1体確認できた。

  脚はこちらの方が速いらしい。また、野獣の速度にも個体差があるらしく、まだ追い付いていないものもいる。

  (いける!?)

  勝機が見えた途端、本能が別の命令を下した。反撃せよ、と。

  瀞は体を反転させ、下段の構えを取る。

  最も足が速い野獣が跳びかかってきた。

  口が大きく開き、真っ赤な口内と鋭い牙が見えた。

  既に体勢を整えていた瀞は、負けじと自身の牙を振るう。

  瀞は左前方に踏み込みつつ、切り上げた。

  (切った!)

  白刃は、宙にいる野獣の胴体を両断する。

  2体目の野獣が、右足を狙ってきた。

  右手で握った刀を打ち下ろし、脳を割る。

  3体目の野獣は、背後から跳びかかってきた。

  サイドステップで躱し、胴体に刀を振り下ろし背骨を断つ。

  4体目と5体目は、左右から同時に襲い掛かってきた。

  瀞は左からくる野獣へ自ら走り、野獣の右側を通りつつ切り上げで仕留める。

  (あと1体!)

  瀞は体勢を整え周囲を見渡したが、最後の野獣の姿が見えない。

  (どこだ?木の陰か!?)

  ガリッ

  頭上で微かに音がした。

  (木に登って、上から!)

  見上げると、迫りくる野獣と目が合った。

  突き出た2本の前足の先には、ナイフのような爪がある。

  「ぜっ!!」

  瀞はしゃがみつつ、野獣へ突きを放った。

  切っ先は狙い通り、口内に入り内臓を貫く。

  命を絶たれた野獣は、地面に激突した。

  (刀!急げ!)

  瀞は野獣の死体に駆け寄り、口から生えた柄を握り、苦労しつつも刀を引き抜いた。そして、周囲を見渡す。

  (敵は、いないか?増えてないか? ・・・・・・大丈夫だな)

  前後左右を見渡すだけでなく、樹上も見渡すが敵の姿はない。あるのは、自分が仕留めた野獣の残骸だけだった。

  (これ、俺が、やったんだよな)

  野獣は皆、地に伏して血を流している。両断した野獣からは臓腑まで零れていた。凄惨な死体を見ていると、勝利の余韻に浸る気分にはなれなかった。

  (今はそんなこと、どうでもいいだろ。早くみんなと合流しよう)

  瀞は刀の血のりを拭きとり、再び周囲を見渡した。

  (俺だって、戦力になるってことは分かったしな)

  数分前にはなかった、僅かな自信を胸に秘め、瀞は仲間たちの下へ走り出した。心の中で、恩師に報告しながら。

  (丈一さん、俺、多分、いけそうです)

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――

  個室にて、机を挟んで向かい合う瀞と丈一。

  丈一は渇いた喉を潤すためにオレンジジュースを飲み、瀞はぽかんとした顔でその様子を見ていた。

  「聞いてた?今の話」

  「は、はい。一応」

  「理解できた?」

  「いや、そのぉ」

  「だよなぁ。いきなり理解しろって言われても、無理だよなぁ。原稿も、難しい言葉とか、専門用語とか多いし。子供向けじゃないよ」

  丈一は、瀞をからかうように笑っている。

  瀞は、別にそれを不快に思わず、丈一が言ったことについてひたすら考えていた。

  「しょうがない。もうちょっと分かりやすく話すよ」

  丈一は背もたれに体を預け、再び話し始めた。

  「BAT。俺たちが所属する組織の名前だ。Beast Assault Teamの略称だよ。速い話、特殊部隊だよ。国公認で、公には発表されない、秘密の部隊なんだよね」

  「は、はぁ」

  「対象は、主にキメラ。人の手には負えない、化け物だよ」

  「へ、へえ」

  「それを、俺たちがやっつけるんだよ。人に知られないように、獣人に変身して。怪物が相手だから、こっちも怪物になるしかないんだよ」

  「ほぉぉ」

  「ってなわけだよ。うん。分かった?」

  「はい、まぁ、大体」

  簡略化かれた解説により分かりやすくなったが、まだ説明不足な個所がある。

  「あ、じゃあさ、質問に答える形式で行こうか。詳しく聞きたいことを言ってよ」

  「わ、分かりました」

  楽し気に話す丈一に、瀞は遠慮なく質問することにした。

  「とりあえず、BATっていう組織なんですね、丈一さんがいるのは」

  「そう。キメラ専門の、ね」

  「そのキメラっていうのが、分からいないんですけど。化け物って言われても」

  丈一の顔から笑みが消えた。

  「映画とか漫画に出てくるような奴を想像してくれていい。動物の比じゃないほど凶悪な生き物だよ。突然変異の類じゃ説明できない。明らかに、人が作ったものだ」

  「そんな生き物、いるんですか?」

  丈一の変化に驚きつつ、瀞は聞いてみた。

  「ああ」

  「写真とか、あります?」

  「ないんだよなぁ。超が付くほどの極秘事項で、キメラに関するデータは持ち出し厳禁だから」

  「そうですか」

  「あ、送ってもらおうかな」

  丈一はスマートフォンを取り出し、操作し始めた。

  「ちょっと待って。送ってもらう。百聞は一見に如かずだ」

  「え、でも、いいんですか?」

  「とりあえず聞いてみるよ・・・・・・オッケーだって。基準がよく分からんね。はい」

  丈一はスマートフォンを差し出した。画面が瀞の視界に入る。

  「いっ!?」

  画面に映った映像人のようなものを見た瞬間、瀞は大きくのけ反った。

  それは一目で“普通”でないことがよく分かる。こげ茶色に変色した皮膚。痩せて細長い胴体。肘から手首までが大きく膨らんだ腕。膝関節が逆に折れ曲がっている脚。そして、縦長に開いた口と青白く光る眼。

  「本当に、化け物ですね」

  「ああ」

  丈一は、画面を操作して次々との映像を見せた。

  「こっちもひどいですね」

  映画や本で見た恐竜のような怪物や、人のような顔をした四足歩行の獣。黒い体毛を纏った芋虫のような生物。

  どれも今まで一度も見たことがない、異形の生物だった。しかし、技術が進歩した現代では、こんな映像は簡単に作れるのではないか、という疑いも生じてしまう。

  「ちなみに、過去から伝わる妖怪とか都市伝説とかの正体は、キメラだって唱える研究員もいるらしいよ。案外、未確認生物発見とかのバラエティ番組で取り扱ってる映像には、本物が混ざってるかもね」

  丈一は瀞のリアクションが面白かったのか、にやにや笑っている。

  そんな丈一に、瀞は次の疑問をぶつけた。

  「本物を直に見たこと、あるんですか?」

  「うん」

  「えっ!?本当に!?」

  「だって、一番最初に見せたやつ、仕留めたことあるし」

  「え、じゃあ、丈一さん、って、隊員なんですか?」

  「まぁね」

  兵士である丈一に対し、新たな質問が生まれる。

  「そういえば、獣人になるとか、言ってましたけど」

  話の中で不明だった点。それはキメラと、“獣人”についてだ。

  「ああ、獣人のことね」

  丈一は瀞をまっすぐ見据えて言った。

  「それじゃあ、俺たちのことについて、詳しく教えてあげよう」

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――

  頭上を無数の弾丸が飛び交い、銃声が全身を叩く。

  (どうしよう!どうしよう!)

  07部隊の紅一点、空はホフクの姿勢のまま動けなくなっていた。移動や反撃など対処法は訓練で教えられたはずだが、被弾の恐怖により思考が止まり次の行動に移れない。

  「あっ」

  視界の隅に動きがあった。ナイフを両手に持った仲間が、森の中へと突き進んでいく。

  「風丸!待って!」

  ホフクのまま叫ぶが、声は銃声でかき消された。風丸は一人、闇に消えた。

  (隊長は?)

  和虎に風丸の危機を報告するため、空は這って移動した。

  すると、今度は瀞の姿が見えた。風丸と同様に森の奥へと向かっていく。

  「瀞!止まって!」

  空は立ち上がり、中腰の姿勢で瀞に駆け寄った。しかし、瀞は空の方を見ると、一目散に森の奥へ駆け出してしまった。

  「だめ!行かないで!!」

  叫んでも瀞の耳には届かない。空は、両足に力を込めた。

  脚は私の方が速い。すぐに追いつけるはず。

  だが、空は身構えた姿勢のまま固まった。

  (え、何、これ?)

  体の左側面が冷気に襲われた。冷水を浴びせられたかのような感覚だ。

  空は、突如襲った謎の感覚の正体を悟った。

  首を左に捩じり、目を凝らす。

  木の陰から、銃口が突き出ている。

  こっちを向いている銃口が。

  タァン!

  銃声とともに頭部に衝撃が走り、空は転倒した。

  (生きてる!)

  空は咄嗟に後方に跳び首を捩じった。銃弾は流線型のヘルメットを掠めるも、空は無傷だった。しかしヘルメットにはひびが入り、前方が見えない。空はすぐにヘルメットを脱いだ。

  「ぷはっ」

  露出した頭部は、人のものではなかった。突出した鼻と口、雪のように白く柔い体毛、頭部に生えた小さな2本の角。ニホンカモシカの頭部である。

  「あっ!」

  その表情は、驚愕で染まった。眼前に迫る、異形の怪物の姿を見て。

  骨格は、自分と同じく人のもの。しかし、四肢は不自然に伸びており、頭部も縦に長く、顔も醜悪な巨人だ。大きく振り上げられた左手には、弾が切れた自動小銃が握られている。

  (撃たないとやられる!!)

  空は襲い来る怪物の胴体へライフルの銃口を向け、引き金を引いた。

  習練により無駄がなく、速く正確な射撃だ。

  ライフル弾を腹部に受け、怪物の動きが止まる。

  空は頭部に狙いを変えて再度撃つ。

  頭部に被弾し崩れ落ちる巨人。その背後から次々と新たな巨人たちが現れた。

  形態は似ているが、どれもやや異なっている。足が長く手が短いもの、頭部が異様に大きく前傾姿勢で突っ込んでくるものなど、様々だ。

  目を背けたくなる醜悪さだが、空は目を逸らさず、巨人たちを精密な射撃で倒してゆく。

  訓練通りの動きだった。

  そして、残る1体、足が短く歩みが遅い巨人へと銃口を向ける。だが。

  (んっ!また!?)

  今度は背筋に寒気が走る。振り返ると、腕が太い怪物がこん棒のような木の枝を振り上げていた。

  空は右に跳ぶ。直後、巨人がこん棒を振り下ろし、空がいた場所の地面が抉れた。

  (近い!)

  空は巨人の胴体へ、右脚で回し蹴りを打ち込んだ。

  カモシカの脚力で放たれるため威力は凄まじく、巨人の体が“く”の字に折れる。

  すかさず左脚で、頭部へ回し蹴りを打つ。脳を破壊された巨人は、吹き飛び倒れた。

  空は銃を構え、残った脚が短い巨人へ銃口を向ける。

  まだ距離は離れていた。だが、長い腕を振り上げている。

  「あっ」

  短足の巨人の後方に、自動小銃を構えた巨人の姿があった。

  空は右後方に跳びつつ、引き金を引いた。

  同時に、巨人も引き金を引く。

  「グアッ!」

  空の銃撃は、自動小銃を構えた巨人の頭部を撃ち抜く。

  一方、巨人の銃撃は空には当たらず、間にいた短足の巨人の背中に当たった。

  全ての巨人が倒れたことを確認した空は、木の陰に隠れ、手早くSG552のマガジンを交換し、周囲を見渡した。

  「ウ・・・・・・」

  両耳が異質な音を拾った。空は音源へ銃口を向けた。

  弱々しい呻き声。それを発したのは、味方の銃撃で倒れた短足の怪物だった。

  (まだ生きてるなんて)

  空は銃口を向け巨人に近づいた。うつ伏せで倒れており、背中には3発の銃創がある。

  (とどめを刺さないと)

  銃口を頭部に向けると、巨人と目が合った。醜悪な顔をくしゃくしゃに歪めさせて、空を見つめてくる。

  思わず目を背けた。すると、先ほど空に蹴り殺された巨人が視界に入った。脚にはまだ、蹴った時の感触が残っている。

  再び目を背けたが、同じだ。どこを見ても、自分が殺した巨人の姿が視界に入ってしまう。

  「フッ」

  短足の巨人が、笑ったような声を出した。

  視線を向けると、右腕を振り上げている。

  空は後方に跳んだ。

  巨人が腕を振るう。巨人は肩の関節を外したため、腕は空の想像以上に伸びた。

  「うっ!」

  右腕が空の首を掴む。空は転倒した。

  空はライフルを巨人に向ける。しかし巨人の左手に右腕を掴まれ、ライフルを落とした。

  「ぐっ!」

  巨人が力を込め、空の首が閉まり呼吸が止まる。

  空は左手でハンドガンを抜こうとしたが、右腰に差しているため抜けない。

  「あ・・・・・・」

  意識が混濁する。

  「ウオオッ!!」

  突如、巨人が叫んだ。両腕が切り落とされたのだ。

  切ったのは、虎の頭部を持つ大柄な獣人―――――隊長の和虎だ。黄色に黒い縞模様が入った毛並みは、返り血で赤く染まっている。

  和虎は長刀を軽々と振るい、巨人の両腕を断ち、頭部を割ってとどめを刺した。

  「空、大丈夫か!?」

  和虎は空に駆け寄り、首を掴む巨人の手を引き離した。

  「だい、じょうぶ、です・・・・・・ありがとうございます、和虎隊長」

  空の無事を確認した和虎は、SG552を拾い空に渡す。

  「無事で良かった。しかも、戦えているようだな」

  「は、はい」

  巨人の死体を見渡し、和虎は満足げに頷いた。

  「瀞は?」

  「それが、森の奥に走っていくところは見たんですが」

  「方向は?」

  「確か、ここから北西です」

  「よし。風丸は賢士が追っている。俺たちは瀞を追うぞ。俺の後に続け」

  「分かりました」

  和虎は立ち上がり、北西の方角を睨み太刀の血のりを払う。その背中が、空にはとても大きく見えた。大柄だから、それだけではないだろう。

  空は和虎の背後に付き、ライフルの薬室の確認をした。準備完了だ。

  「空」

  「はい」

  「仲間を助けたかったら、敵は迷わず撃て。いいな」

  「は、はい」

  「よし。行くぞ」

  和虎は迷わず闇に進んでいく。空はその後を追った。

  次はもう躊躇わない。そう心に決めて。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――

  丈一は、自身の胸に手を当てて話し出した。

  「獣に人、と書いて獣人。西洋の昔話に出たりするだろ、伝説上の生き物で、人と獣を交えたかのような生物のこと。それが、俺たち」

  「狼男、みたいな感じですか?」

  「そう、まさにあれ。最も、魔法とかで生まれた生き物じゃない。科学的な話だ」

  丈一は真顔で語り始めた。

  「キメラについて徹底的に研究して得た技術さ。特定の人間に、ある種のウイルスみたいなものを投与するんだ。するとその人は、獣の姿の能力を得た、獣人になるんだ。運動神経はもちろん、視力や嗅覚、聴覚も発達し、人間よりも遥かに優れた能力を身に着けることが出来る」

  丈一は誇らしげに笑って続けた。

  「獣人になって、俺たちはキメラを狩るんだ。あんな危険な生物、野放しにはできないからな」

  あんな生き物が“日常”に侵入して来る思うと、ぞっとする。

  「でも、丈一さんの見た目は完全に人間ですけど」

  「今は人間の姿だから」

  「戻れるんですか?」

  「そりゃそうだよ。じゃなきゃ、もう2度と人前に出られないじゃん。獣人のまま街中に出たら、大変なことになるよ」

  「今は、獣人になれますか?」

  恐る恐る聞いてみるが、丈一は首を横に振った。

  「いや、BATの施設に行って、薬を投与しないとなれないんだ。1時間くらい時間をかける必要がある。戻る時も同じだよ」

  「人間の状態では、獣の力は発揮できないんですか?」

  「もちろん。だからキメラと戦うときは、絶対に変身していくのさ。キメラ相手に、人じゃ荷が重い。だからこそ、俺たちが必要なんだ」

  丈一は一旦言葉を止め、ジュースを飲んだ。それを見て、瀞も自分の喉がカラカラになっていることに気付き、同じようにジュースを飲む。

  「獣人抜きでも勝てないことはないけど、苦労するだろうな。ヘリや戦車を使えば倒せるだろうけど、キメラが出るたびに空爆とか砲撃とかするわけにはいかないし。周囲への被害とか、出動までの時間とか、そういう問題が出てくる。何より、乗り物は人目に付く」

  「人目に付いたら、悪いんですか?」

  「悪いよ。キメラの存在は、極秘事項だから。瀞君もキメラのことは知らなかっただろ」

  「でも、どうして?」

  「あんな生物がいると分かったら、社会が混乱するかもしれないから、という理由らしい。あと、悪用する輩も出てくる危険性もある」

  「なるほど」

  「だからこっそり倒さないといけないんだよ。そんな時、強い歩兵である獣人が活躍するってわけだ。重火器はいらない。小火器や刀剣で戦えるからね。公表すべきって意見もあるんだけど。実際、一般市民がキメラに殺された事例はある」

  「ほ、本当ですか?」

  「ああ。政府の隠蔽は完璧だから、バレてないけど」

  丈一の話の真実味と重みが増した気がした。

  「尚更言った方がいいんじゃないですか?気を付けるように呼び掛けるとか」

  「どう気を付けるの?キメラが出るかもしれないから注意しましょうって?」

  「え、いや、その」

  「天災と同じなんだよ。いや、対策ができない分、天災よりタチが悪い」

  丈一の目つきが鋭くなった。

  「いや、人災、だな。さっきも言ったように、キメラはおそらく人が作っている。生物兵器を使ったテロだ」

  「テロって、日本で、ですか」

  「そう」

  テロ。海外のニュースではよく耳にするが、国内では馴染みのない単語だった。

  「もう、国民全員獣人にしちゃったらいいんじゃないですか?強くなるんでしょ」

  「はははっ!いい考えだけど、さっきも言ったろ。特定の人間じゃないとなれないんだよ」

  「ああ、そっか」

  「獣人になれる人間は、本当に少ないんだよ。現在の隊員数、50ちょっとだよ」

  「そんなに少ないんですか。日本の人口って1億余裕で超えてるでしょ。」

  「本当に、激レアなんだよ。1つの部隊が4,5人で構成されていて、広範囲を担当している現状だ」

  「そんな人数で、守れるんですか?」

  「出動件数は少ないから、なんとかなってる。でも、いつどこに出るか分からない。それに、ある日突然、大量発生する可能性だってゼロじゃないからなぁ。兵士不足に悩まされているよ」

  瀞の胸中には、徐々に不安が充満していった。

  キメラと獣人のことが事実であることを前提に考えると、この国は重大な危機に晒されていると思っていいだろう。

  そんな瀞に、身を乗り出した丈一が告げた。

  「だからこそ、獣人の素質がある人間を、こうしてスカウトしてるんだよ」

  「え? ・・・・・・ええっ!俺!?」

  「そう」

  「俺が、その、獣人になれるんですか!?」

  「ああ。その素質を持つ、数少ない人間だ」

  「何で、いつそんなこと調べたんですか!?」

  「今まで生きてきて、何回健康診断を受けたか数えてる?調べる機会なんて、腐るほどあるよ」

  「そう、です、か・・・・・・」

  「どこにでもいる中学生をここに呼び寄せ、極秘事項を教えた理由がこれだ。君は獣人になれる。だから、BATの一員となり、一人の獣人兵士としてキメラ討伐のため戦ってほしい」

  「い、いきなりそんなこと言われても」

  「すぐには返答できないよな。ま、選択はできるよ。なるか、ならないか。選ぶのは君だ」

  「断れるんですか?」

  「まぁね」

  「でも、色々と極秘なこと、知っちゃいましたけど・・・・・・消されたりしませんか?」

  「映画の見すぎだよ。口止め料払ってさよなら、さ。ま、もし話したら、どうなるか分からないけど」

  「い!?」

  「冗談だって!でも、話を知ってしまった人は、BATのスタッフになる人が多いかな。隊員とか研究員以外にも、仕事はたくさんあるから。1つの組織なわけだし」

  「そうですか」

  「進路が決まってなかったら、BATのスタッフ、っていうのもありだよ。ただ・・・・・・」

  丈一は、瀞の目を真っすぐに見据え、不敵な笑みで言う。

  「正直な話、なってほしいけど。何度も言うけど、獣人になれる人は少ない」

  瀞は唾を飲み込んだ。丈一の視線と言葉に圧倒され、緊張が一気に増していく。

  「獣人になったら、獣に変身して怪物と戦う人生を歩むことになる。かなり辛い道を歩くことになるよ。正に、獣道だ。でも、俺はこの道を選んでよかったと思っているよ」

  丈一の表情が再び変わった。その笑顔に、一抹の優しさが入り込んだ気がする。

  「傲慢かもしれないが、選ばれた存在だから。俺が獣人になれるということには、意味があると思うんだ。だからこそ、俺は獣人になることを選んだ」

  「そうですか・・・・・・」

  しばし黙ってうつむいた瀞は、ジュースを飲む丈一に尋ねた。

  「丈一さん、獣人になっても、戻れるんですよね」

  「ああ」

  「で、基本的な仕事内容は、兵士としてキメラと戦うこと」

  「うん。大半は訓練だけど」

  「家には帰れますか?」

  「回数は少ないけどね。自衛隊みたいに住み込みになるから。でも休みには帰られるよ」

  「家族には、なんて説明すればいいんですかね」

  「自衛隊とか、警察の対テロ部隊とか、政府高官のSPとか。嘘をつくことになるな」

  「それはちょっと、嫌ですね」

  「でも、守るためだよ」

  「守るため、か」

  「キメラを狩ることは、人々を守ることになるんだよ。奴らは、凶悪犯と同じなんだから」

  「ですね・・・・・・丈一さん」

  「何?」

  瀞は、先ほどされたように、丈一を真っすぐに見据えて言った。

  「俺は、今から、獣人になれますか?」

  兵士になると決めたわけではない。だが、もっと知りたかった。

  丈一は驚くことなく笑った。瀞の言葉を予知していたかのように。

  「なりたいなら、ついてきてくれ」

  丈一は、瀞に右手を差し出した。瀞は迷わずその手を握り返した。

  ―――――――――――――――――――――――――――――――――

  森の一角に、木が無く平地に近い場所がある。そこを格好の戦場として戦う兵士がいた。

  「ギャン!!」

  また一つ、狼のような野獣が倒れた。既に10体以上の亡骸が平地に転がっている。

  「おら、来いよ」

  平地の中心で野獣を挑発しているのは、風丸だ。黄色に黒い斑点がはいった毛並みの頭部は、チーターの頭部である。刀も銃も装備にはなく、両手のナイフのみで戦っている。

  敵陣に飛び込んだ風丸は巨人たちを数体倒し、その後発見した野獣を追いかけているうちに味方とはぐれてしまった。しかし引き返さず、偶然見つけた平地で戦うことを選んだ。ここなら自身の能力を存分に発揮できると確信して。

  「カッ!」

  野獣が風丸へ跳ぶ。前足の爪が届いたと思われたが、既に風丸は野獣の側面にいた。

  風丸が野獣の首にナイフを刺せば、それで戦いは終わる。

  (意外と楽勝だな)

  チーターは速度に特化した動物だ。単純な足の速さだけでなくフットワークは軽快で、空間把握能力や動体視力も高い。近接戦闘に必要な能力を全て備えている。その能力を活かせば、野獣の群れだろうが、銃で武装した巨人だろうが、難なく倒すことができた。

  「ガアアアア!!!」

  他の野獣たちが一斉に風丸へ突っ込むが、結果は同じだ。

  風丸は前後左右へ跳び、すり抜け、かい潜り、キメラの突進を躱し続けた。

  すれ違う際に、野獣の首へナイフを打ち込みながら。

  風丸の体が赤く染まるたびに、キメラの死体は増えていった。

  闘牛を翻弄するマタドールと化した風丸に、初陣の緊張は既に無かった。

  残る野獣の数は少ない。すぐに全滅させられる。

  そう思ったが。

  (あれ?)

  キメラの爪が左腕に掠った。わずかに避けそこなったのだ。

  反撃のナイフを振るうが、踏み込みが浅く仕留め切れなかった。

  違和感を覚え、野獣から距離を取る。

  (ん?あれ?え?)

  足を止めた瞬間、体が重くなった気がした。しかも息苦しい。

  野獣たちが襲ってくる。

  風丸は地を蹴る。スピードは明らかに落ちていた。

  原因はスタミナ切れだ。チーターは持久力が低く、風丸も同様の欠点を抱えている。

  無論、風丸もそれは理解しており、その上でまだ余裕があると思っていた。

  (まだそんなに動いてないだろ?まだ10分は動けるはずだ!)

  風丸は本物の爪牙を恐れ、必要以上に動き、距離を取るようにしていた。加えて、恐怖や緊張感といった精神的重圧は、訓練と実戦では比較できないほどに差がある。

  戦いが優勢なので気づけなかったが、風丸は心身ともに消耗していた。

  「いって!」

  野獣の爪が両手両足を切り裂く。風丸は痛みのあまり跪き、ナイフを落とした。

  正面から、野獣が跳びかかってくる。鬱憤を晴らすかのように、口を大きく開けて。

  迫りくる牙。舌。滴る唾液。それらがはっきりと見えた。

  (うそ・・・・・・)

  野獣に押し倒された。牙が顔に刺さる。野獣が口を閉じれば、顔の肉を削り落とされる。

  「あああああああ!!」

  風丸は恐怖のあまり叫んだ。しかし、野獣は動かない。

  (あれ?こいつ、死んでねーか?)

  風丸を押し倒す直前に、野獣は命を落としていた。

  直後、風丸に群がる野獣たちがパタパタと倒れていった。断末魔も血しぶきもなく、遅れてくる銃声とともに。

  残った野獣たちは森へ走る。しかし逃げきれず、全ての野獣は平地で撃ち抜かれた。

  平地から300メートルほど離れた岩山の上。89式小銃を膝射の姿勢で構え平地を見下ろしているのは、翼と嘴を有する鷹の獣人、副隊長の賢士だ。鷹の視力を活かした狙撃を得意としている。

  賢士はスコープを付けていない89式小銃のマガジンを交換すると、翼を広げ岩山から飛び降り、風丸の下へ向かった。

  (副隊長。オレ、今はこんな状態だけど、ちゃんとキメラを10体以上倒したんだぜ)

  そんなことを考えながら、風丸は滑空してくる賢士を眺めていた。