ある水族館の試み~人魚体験とクマノミクッキー~

  1

  「ねえ、大輔、この水族館に連れてってよー!いいでしょう~?」

  そう言いながら情報誌を見せてくる湊。何気なく大輔が、その中身を見ると(話題の水族館特集!ランキング形式で紹介!)と幾つもの写真が掲載されている。そんな大輔の逞しい体に椅子の後ろから湊が覗き込んでいる。甘い香りがふんわりと漂っている。

  「このTS水族館って所、水族館って普通、水槽の中の魚を見たり、イルカやアシカのショーを見たりするでしょ。ここの売りはね?」

  彼女が後ろからページを捲ると、そこに映っていたのは裸の女性・・の様に見えて、そうではない。貝殻で大事な所は隠している。

  しかし、その下半身は人のそれではない。青や赤の鱗で覆われた魚の物。ファンタジーアニメ等で見た事がある人魚という存在だ。

  「何だこれ?本当の人魚なのか?水の中の映像だよなあ、別に酸素ボンベとか背負っている訳じゃなさそうだし皆、平気なのか?」

  首を傾げる大輔。写真だから、ハッキリとは分からないが明らかに水中の景色が映っている。人魚が魚やイルカ等と触れ合っている写真だ。初めて見る光景に心も動くが少し身構える大輔。身体こそ逞しいが実は泳ぎは大の苦手で水遊びは禁忌と言っていい程だ。

  「この水族館を経営している会社なんだけどね。色々と水中の生き物の研究をしているのよ。それを人間に応用できないかという事もやっていて人間を人魚に短時間だけど変える事が出来るみたいなの。あと何だったかな?土産物で凄く熟れているのもあるのよ。」

  そういって次のページを捲ると、そこにあるのはカラフルな様々な土産物の写真。そこには(名物クマノミクッキー!男性が食べると偶に当たりが!)等と意味深な事が書かれてある。

  「当たりって何だよ。フグの毒みたいな奴では無さそうだけど?」

  「うーん、クマノミってアニメに出てきた事がある熱帯魚だったわよね?確か何か変わった特性を持っているって聞いた事があるけど?」

  スマホなどで調べれば直ぐに、それが何かは分かる今の世の中。しかし2人の興味は土産物のクッキーよりは人魚の方が大事だ。

  「大輔、カナヅチでしょ?大丈夫だって。ちゃんと水族館の職員が近くにいるからさ。ほら、この制服着ている人魚がそれじゃない?」

  「あ、ホントだ・・・うーん、制服着ている人魚って何かシュールだな。」

  制服を着てタブレットの様な物を見ながら客の人魚に何か説明している人魚の画像も映っている。何かあっても大丈夫なのだろう。

  「よし、次の休日にでも行ってみるか?」

  「やったー!」

  湊が喜びの余り、そのまま抱き着いて来る。そして、あっという間に休日がやってきた。デートで2人は噂の水族館に足を踏み入れた。

  2

  「うわっ、これは凄いなあ・・・」

  「普通の水族館としても大きいわねえ。」

  実際、とてつもなく大きな水槽の中には無数の魚が泳いでいる。魚だけでなく巨大なジンベエザメが2人の前を横切っていく。

  「成程、魚が住んでいる地域ごとに水槽が分けられているのか。」

  「そりゃ、そうでしょう。熱帯魚と北極や南極にいる様な魚と一緒の水槽に入れておけないでしょ?」

  ぐるぐると水族館の中を歩き回る2人。ラッコやイルカ、アシカなど海に住む哺乳類もいてショーでは子供が歓声を上げていた。

  「うわあ、凄い人だなあ、これが人魚体験を待っている人の行列か!」

  「約1時間待ちね・・・あれ?」

  注意書きの看板の前には多くの人が屯している。親から説明を受けて泣いている子供がいる様だ。2人で看板を覗いてみると

  「ああ、これって大人専用なんだ。うーん、人魚姫とかに憧れる女の子とかもいるだろうけど・・・子供だと燥いじゃうから難しいな。」

  「子供が一番こういうの喜ぶと思うんだけどね。私達は大丈夫だけど・・・あ、50歳以上の人も駄目なんだ。現実は厳しいわ。」

  子供だけでなく落胆している年配の人達もいる。確かに水中を動く訳だから体力が必要なのだろう。そして2人も行列に並ぶ。

  「漸く俺達の順番かあ・・・」

  「うーん、水族館が閉まるまで1時間ちょっとしかないわね。今日は、お試しぐらいしかできないかな。あっ、私達で今日は終了?」

  ブースの中に2人が入ると同時に(今日の人魚体験は締め切りです)という掲示が掲げられる。2人の後ろに並んでいた行列の中からは不満の声が上がる。水族館の職員が何か釈明の説明をしているのを横目に見ながら2人はブースの奥に進んでいく。

  (あっ、最後の方はカップルさんですね。じゃあ、男性の方は私と一緒に、こちらへ。女性の方は、この職員と向こうへどうぞ!)

  大学生の2人よりも若干年上だろう。若い男性についていくと更衣室らしい所にやってきた。ただ一つ、気になる所があった。

  「何ですか、これ?」

  そこにあったのは丸い穴。人一人がすっぽりと入る事が出来る様な大きさだ。そしてキラキラと光る水面が見えていたのだ。

  3

  (じゃあ、着替えましょうか!はい、どうぞ!)

  そういって職員が手渡してくれた物。青いキラキラとした鱗の様な物が散りばめられた魚の尾の様な物だ。手に取って伸ばして見るとゴムの様に伸び縮みする素材で出来ている。中はヌルヌルしていて匂いを嗅いでみると、やはり魚の様な生臭い匂いがする。

  (服は脱いで、そこのロッカーに閉まって下さいね。で、裸になって、この人魚の尾を足から履いていくと・・・・はい、この通りです。)

  先に裸になった職員が椅子に座って人魚の尾を腰まで引っ張り上げた、その時だった。男だった筈の職員の身体が、あっという間に変わって行く。青色の髪に青色の瞳、そして胸には大きな2つの膨らみ。腰には括れが出来て足の代わりに尾鰭がついていた。

  (さあ、早く着替えて下さい。お客さん、最後なので今日は海中の散歩ぐらいしかご案内できませんが。よいしょっと・・・)

  椅子から体を床に降ろすと両手で床を這って先程の穴の方へと移動する職員。壁の時計をみると、あまり時間は残っていない。

  服を脱いで裸になって椅子に腰かけて恐る恐る人魚の尾を履いていく大輔。足にヌメッとした感触を感じるが腰まで引き上げた。

  (!?)

  全身を何かゾクゾクとする様な感触が走り抜ける。髪の毛が一気に伸びる感触があり目の前を覆う。青色の綺麗な髪だ。

  そして胸が一気に膨らんでいく。職員のソレよりも大きなサイズ。思わず手で押さえると柔らかな感触を手に感じる事が出来た。

  (お客さん元の身体も大きかったから胸も大きいですね。うーん、お客さんのサイズに合う貝殻のブラはあるかな?あったあった!)

  そう言って職員が手渡してくれた物。貝殻で出来たブラだ。と言っても胸全体を覆う様な物ではなく大事な所を隠すだけの物だ。

  (いやー、良かった。これ以上大きかったら胸を隠して海の中に入って貰わないといけませんからね。じゃあ、行きましょうか?)

  あっという間に穴に飛び込んで水飛沫を上げて消えて行った職員。大輔も人魚の体になって床をはって穴を覗き込む。青く輝く水面、綺麗な事は分かるがカナヅチの為に飛び込む勇気が湧いてこない。すると職員が水面から浮かび上がって声を掛けてきた。

  (お客さん、カナヅチですね?大丈夫、怖いのは一瞬です。取り合えず水の中に行きましょう。僕を信じて下さい!)

  職員の甲高い女性特有の声が聞こえてくる。確かに、ここで辞める訳にもいかない。覚悟を決めて大輔も穴の中に飛び込んだ。

  4

  「うわああああ!・・・あれ、息が出来る?というか水の中で普通に会話できる?どういう事?」

  身体を覆う海水のひんやりとした感触。なのに息苦しさとは無縁で高くなった自分の声だけが響き渡っている。前に行こうと思うと勝手に尾鰭が動いている様だ。360度好きな様に動ける様だ。その自由度の高さに、すっかり魅了されてしまった大輔。

  「大輔!もう、来るの遅いよ!」

  海中を器用に泳いで近づいて来る一人の人魚。赤色の長い髪を揺らしながら目の前までやってきた。その目も髪同様に赤い。

  「あっ、湊じゃないか!」

  大輔も彼女の人魚の美しい姿に思わず声を挙げていた。その後ろから同じ様に職員の制服を着た赤い髪の人魚がやってきた。

  (さて、御二人ともお揃いですね。では人魚体験のスタートです!今日は時間が無いので水槽の中ですが午前中にお見えになった方々は網が貼ってありますが実際に海の中を自由に泳いで貰いました。御二人も次回は是非、早めにお越し下さいね!)

  挨拶の最中にも大輔と湊の周りを無数の魚が通り過ぎていく。2人に職員が魚の餌のような塊を渡して水槽の中を泳ぎだした。

  「うーん、餌付け体験をしろって事かな?」

  「そうみたいね。」

  2人揃って餌の塊を少しずつちぎり水に流すと魚が纏わりつく。その光景の凄さに圧倒されてしまう。すると湊が何かに気付いた。

  「あっ、子供が手を振っている!」

  「ハハハッ、ガラスを叩いているな。何か言っているみたいだけど何も聞こえないな。」

  女の子は手を振って笑っているし、男の子は掌でガラスを叩いている。水族館で一番大きな水槽。それぐらいではビクともしない。

  「そうか、色で男女が分かる様になっているんだ、青が男性で赤が女性って訳か。」

  「しかし、大輔。凄いプロポーションね。背も高いから凄く映えるわ。成程、股間は私と一緒か。この人の身体から魚の部分に変わっていく所ってどうなっているんだろうね?」

  ガラス越しに映る自分の姿。顔は男の時の面影が残っていてイマイチだが、それ以外は全て完璧。勿論、股間に男の物はない。

  (まあ、人魚なんだから、あったらおかしいよな?)

  (お客様、そろそろ時間です。では人の姿に戻りますので水から上がりますね。)

  職員が呼びに来てくれた。名残惜しいが初回にしては十分楽しむ事が出来た。2人は水面に向かって泳いでいくのだった。

  5

  (間もなく水族館の営業は終了いたします。またのご利用をお待ちしています。)

  館内に流れる蛍の光のBGM、人の姿に戻った大輔と湊は急いで土産物を取り扱う店の中で何かを探していた。

  「あーっ、やっぱり売り切れかあ。」

  湊が、あるポップの前で膝に手をついて落胆の表情を浮かべている。大輔も、そこに貼られてある貼り紙をみて顔を曇らせた。

  (クマノミクッキー売り切れです、申し訳ありません)と書かれてある。試食のプラスチックの箱の中にクッキーの粉があるだけだ。

  「何か書いてある・・何?男性は稀にクッキーを食べて女性になる事がありますが1日程で元に戻りますので御安心下さい!?」

  「あっ、思い出した!クマノミって熱帯魚いるでしょ。アニメとかで話題になった魚!雄の中で一番大きなのが雌になるのよ。」

  水族館を後にして帰りの車内、突然、素っ頓狂な声をあげた湊がクマノミの蘊蓄を語り出した。大輔も運転しながら聞いている。

  「当たりって書いてあったでしょ?一寸待っててね・・・あー、成程ね。背が高かったりガタイがいい男の人ほど女になりやすいそうよ。」

  スマホで何かを調べていた湊。流石に、その言葉を聞くと大輔も不安になってくる。

  「お前、俺に、そのクッキー食べさせる積りだろ!」

  「えーっ、いいじゃないの!別に元に戻れない訳じゃないんだし・・・それに、ひょっとしたら食べても何ともないかもしれないでしょ?」

  「お前、俺が女になる前提で話進めるんじゃねーよ。」

  思わずアクセルを踏む力が強くなってしまう大輔。でも、一度言い出したら聞かないのが湊だ。気が強いのは彼女の魅力の一つだが自分が女にされるとなると平静ではいられない。

  「もう、遅いもーん、ジャーン、次の休日の水族館のチケット購入しちゃった!今度は水族館が開くのと同時に行くんだからね!」

  「この野郎!」

  停車時にチラリと彼女のスマホの画面を覗いて思わず呻いてしまう。そこに映し出されていたのはチケット購入完了の通知だった。

  「今度のデート代は私が全部出すからさあ。人魚体験も悪くなかったでしょ?」

  「・・・・」

  確かにカナヅチの自分でも人魚の姿になれば水中を自由に動く事が出来る。そして、この前の体験は時間が短かった気もする。

  「ったく、しょうがない・・・嫌といっても俺を連れて行くんだろ?」

  「そう言う事よ、じゃあ来週も宜しくね。」

  そう言うと助手席で目を瞑ってしまう湊。直ぐに寝息を立て始める。そんな彼女の様子を見て微笑ましくも頭が痛い大輔だった。

  6

  (TS水族館、開館です!)

  日曜日の朝9時。そのアナウンスと同時にゲートを通り抜け多くの人がダッシュしている。その中には大輔と湊も含まれていた。

  「大輔、先に行って順番とっておいて!」

  やはり、こういう時は性別の差が出てしまう。遅れる湊の掛け声を背に受けながら大輔が先に人魚体験のブースに飛び込んだ。

  (はい、ここまでの方が最初の時間に体験して貰います。次の方は1時間後になりますので整理券を受け取りお待ち下さい。)

  大輔、少し遅れて湊が入った後に入り口の扉が閉められる。何とか間に合った事に2人で顔を見合せて笑顔が浮かんでくる。

  (また、これを着るのか・・・)

  職員から手渡された人魚の尾鰭。先に着替えていた男性が尾鰭をつけて人魚に変わって穴の中に次々に飛び込んでいく。

  年齢も体型も様々な大人の男性が一様に青い髪の美しい人魚に変わる。そして自分も尾鰭を足に嵌めると変化が始まった。

  尾鰭の中に入れた自分の両足が一つになるような妙な感覚。そして両胸が、ゆっくりと膨らんで2つの大きな膨らみへと変わる。

  目の前に青くて長い髪が垂れ下がり股間の膨らみも消えていく。鏡に映る自分の姿、女の顔だが美女で無いのが悔やまれる。

  (うーん、凄い体だな!)

  急に声を掛けられて振り向いた大輔。そこにいたのは同じ青い髪の人魚。しかし、自分と比べると胸も小さく体格も普通程だ。

  (さっき、君が着替えていた所を見ていたんだ。男の時の身体が凄いと人魚になっても凄いな。いや、本当に見惚れてしまう。)

  いきなり声を掛けられて思わず警戒してしまう大輔。同性とは言え自分の裸を見られていたとなると気分がいい物ではない。

  (私かい?何、本当の姿は40代後半のオッサンさ。来年は年齢制限に引っかかるから最後に人魚になってみたくてね。)

  笑顔で語る姿に思わず大輔もつられて微笑んでしまう。

  (大体の人はカップルや夫婦で来ているみたいだけど僕みたいな奴でも、ここでは夢の世界に行けるって訳さ、じゃあ、お先に!)

  職員に自分の一つ前の番号が呼ばれると、その人魚が穴の中に飛び込んでいく。暫らくの間、大輔が物思いに耽っていると

  (10番の方、どうぞ!)

  自分の番号が呼ばれる。そう、自分も本当は泳げない。でも人魚になれば夢を見れる訳だ。意を決して大輔も穴に飛び込んだ。

  7

  「うわっ、これは凄い!」

  「やっぱり水槽の中とは比べ物にならないわね。」

  元々、海に面して作られた水族館。網で仕切られてはいるが動けるスペースは圧倒的に広い。大輔も湊も感心しきりである。

  (職員がいますが決して網の外に出ないで下さい。流れも速いですし人を襲う魚もいます。では楽しい時間をお過ごし下さい!)

  職員の挨拶と共に人魚達が一斉に散っていく。赤と青の人魚が競う様に泳ぐ者もいればジンベエザメの下に潜りこんで泳ぐ者もいる。皆が思い思いの行動をとって楽しそうに泳いでいる。勿論、その中には青い髪の大輔と赤い髪の湊の姿も含まれていた。

  「大輔、イルカが何か喋っているよ!」

  「キュイキュイ言っているな。多分、コミュニケーションを取ろうとしているんだろうけど。」

  今、2人の傍を寄り添う様に何頭ものイルカが泳いでいる。鳴き声が喧しいが、どうやら自分達を歓迎している様にも思える。

  「アニメの人魚姫だと魚の言う事が分かるとかあるじゃない?もっと技術が発達したら、それも可能になるかもしれないわね。」

  イルカの頭を撫でながら湊が泳いでいる。一方で大輔はイルカに小突かれながら泳いでいる。性別が、どうやら分かるみたいだ。

  「そうだな、人魚になれる装置を開発している会社だからな。魚やイルカと会話出来たら、もっと楽しくなるだろうな。」

  3月の海という事で肌はヒンヤリしている。ここは熱帯の海ではないので本当なら、とても泳げる状況では無い。でも普通に泳げているという事に技術の進歩という物を改めて実感している。基本、海の中は綺麗で澄んでいる。それでも偶にゴミが漂っているのを見ると、あまり気分のいい物ではない。今、自分達が泳いでいる横で職員が、せっせとゴミを回収している姿が目に入ってきた。

  「私達が、しっかりしないとね。」

  「そうだな。」

  あっという間に楽しい時間は終わりを迎えてしまう。海から上がって元の人の姿に戻って2人は土産物屋に立ち寄っていた。

  「えーと、あったあった、クマノミクッキー!」

  カラフルなイラストが描かれたクッキーの缶を手に取って喜んでいる湊。お一人様一缶までと注意書きのポップが立てられている。

  2缶購入した2人は水族館を後にするのだった。

  8

  オレンジと焦げ茶色の2色のコントラスト。匂いを嗅いでみてもオレンジとチョコの甘い香りが鼻をくすぐってくる。クマノミを可愛らしくデフォルメしてある。

  「美味しいわよ、このクッキー。コーヒーでも紅茶で普通に合うわね。」

  大輔の目の前で湊がパクパクとクッキーを口に運んでいる。目の前の皿には手つかずのクッキーが数枚残っていた。

  「ちょっと早く食べてよ。大丈夫。明日も休みだから仮に女性にあんっても私がフォローしてあげる。男でしょ、さっさと食べて頂戴!」

  ニヤニヤ笑いながら湊が皿を目の前に差し出してくる。

  「お前、俺が女になるのを期待しているだろ!」

  普段は鈍い大輔も自分に何が求められているか察している。湊に避難の視線を送るが涼しい顔で彼女は紅茶を口に運ぶ。

  「だって面白いじゃない。人魚になった時の大輔、素敵だったよ。でも人魚になるのも尾鰭を身につけて短い時間だけでしょ?そんなに文句言うんだったら女性になったら今日は夜も一緒にいるから、ねっ?」

  上目遣いに大輔を見つめる湊。何度、この上目遣いからの無理難題に悩まされてきた事か。でも初めて夜を一緒に過ごすと言う言葉の誘惑も捨てがたい。

  「嘘じゃないだろうな?」

  「うん、約束は守るから。」

  その言葉を信じるしかない。恐る恐るクッキーを口の中にいれて、ゆっくり噛み締める。美味しい事は確かだが不安ばかりが頭をよぎる。全てクッキーを食べ終えて口の中に残っている物もコーヒーで喉の奥に流し込む。

  「どう?何か体に異常とかない?」

  湊が目を輝かせて大輔の顔を覗き込んでいた。

  「別に何も・・・!?」

  何気なく見た自分の腕。そこに生えていた短く黒い毛がハラハラと抜け落ちて自分の部屋の床を汚していた。

  「な、何だよ、これ!」

  思わず大きな声をあげてしまった大輔。その声も何時もの自分の声ではない。喉の奥に何か引っかかっている様な感じがしている。

  「えーっ!?まさか、大輔、本当に当たりなの?」

  湊の悲鳴に近い叫び声。

  「お前、俺が女になる方が良かったんじゃないのか?」

  その声も先程よりも更に高くなっている。気が付くと足元にも毛が抜け落ちていた。既に腕と足の肌はツルツルになっている。

  「だって本当に当たりだとは思わなかったんだもん!冗談のつもりだったのに!」

  泣き出してしまう湊、こっちが泣きたいぐらいだと言いたい所をグッと大輔。しかし無情にも変化は始まっていた。

  9

  「分かった、もう泣くなって。別に死ぬわけじゃないし女になっても元に戻るんだろ?」

  声の変化は漸く治まった様だ。しかし今の自分の声は湊よりも高く澄んだ物に変わっている。身体の変化も始まっている様だ。

  筋肉が柔らかい脂肪の置き換わって手足が細くなり色も白く変わっていく。腹筋も消えて無くなり二の腕や太腿は太さを増す。

  「大輔、髪が伸びているよ。」

  湊に指摘されて頭に手をやると既に肩に触れる程にまで伸びている。

  「髪の色は黒いままだな。」

  「そりゃ、そうでしょ。別に人魚になる訳じゃないんだから。」

  湊の顔に笑顔が戻った事に先ずはホッとする大輔。やはり何時もの自分を翻弄する様な調子じゃないと自分も落ち着かない。

  「ん?」

  履いていたズボンが下にずり落ちている。腰回りが細くなって代わりに尻が大きくなっている様だ。

  部屋にある鏡を見ると腰が括れている事がハッキリと分かる。そして鏡を見て気づいた事が、もう一つ。背が縮んでいる。元々185程あった筈なのに今は175ぐらいだろうか。目線が低くなって手の指も細く、しなやかで爪も女性のソレになっている。

  (胸が痒いな)

  思わずシャツの上からボリボリと掻いてしまう。掻いた所がプクッとシャツの上に突起が出来たと思ったら。そこを頂点として周りが膨らみだした。

  「あっ、胸が大きくなっていく・・・」

  湊が思わず口に手を当てて目を丸くしている。

  掻いていない片方の胸も同じ様に膨らみ始め、あっという間に大きな2つの膨らみが出来上がっていた。突起自体も大きくなっているしシャツの中を覗き込むと谷間が出来上がっているのも分かる。

  「一寸、大輔、ソレどうにかしてよ!」

  湊が顔を手で覆っている。顔を隠しているが真っ赤に頬を染めて指の隙間から、こっちをチラ見している様子が可愛く思える。

  (何もしていないのになあ?)

  ズボンの上からも股間の膨らみがハッキリと分かる。

  何時の間にか痛いほどに固く大きくなった男の証。このまま、これが続くと精が迸る予感がする。しかし出そうなのに出ないのだ。

  湊には言えないまま快感だけが蓄積されていく。それが我慢の限界に達した時だった。

  「ああ!」

  思わず変な声が出てしまう。何かが股の間で裂けた様な感覚。下着の中が濡れてしまった感覚が分かる。そして股間の膨らみが急速に小さくなってズボンがへこんでいく。

  「あれ?あれっ!?」

  思わず下着の中に手を突っ込んでみる。そこにある物が無い。生暖かい肉とヌルっとした粘液の感触。毛の中に平らな股間と、そこにある縦筋を触れる事しか出来ない。

  胸が膨らんで股間にあるべき物がない。

  「俺、女性になってしまったんだ。」

  呆然と呟く大輔を湊は、そっと抱きしめるのだった。

  10

  窓から朝の光が差し込んで部屋を照らしている。大輔の部屋のベッドの上で湊が大輔の胸に頭を預けている。大きな2つの膨らみが丁度クッションになっていた。

  「やっぱり男性に戻っていないねえ。」

  「まだクッキーを食べてから1日も経っていないからなあ。」

  ベッドから大輔が立ち上がり洗面所に行き洗顔し歯磨きする。鏡に映る自分の顔。人魚になった時よりも更に女性らしい顔になっている。男の時の面影など全く残っていない。凛とした美女の顔。言っちゃ悪いが湊よりも余程、美人でないかと思う位だ。

  「でも意外だったな。一晩一緒にいるって言われたから正直にいって、あっちの方を想像したんだけど何もなかったよなあ。」

  寝起きのボサボサの髪を湊が手入れしてくれる。初めての事なので自分では何をしていいのか分からない。女性は何時も、この作業を何気なくこなしている。慣れれば何て事は無いのだろうが今の大輔にとっては凄い事に思える。

  「何かで見た事あるのよね。女性になった元男性がHしちゃったら元に戻れなくなったって。・・・あれ?でも、それって男の人とHしたからかな?ひょっとして女性同士ならセーフだったかも。だったら襲っておけばよかった。」

  大輔の伸びた髪をブラシでとかしながら物騒な事を言っている。嫌な予感を感じた大輔が振り向いて湊をキッと睨みつける。

  「おい!絶対にしないからな。男に戻れないなんて笑い話にもならないからな。」

  「分かっているわよ、私も元に戻って貰わないと困るから。ん?一寸待ってね。ひょっとして髪が短くなっていく様な気がするけど?」

  「そんな筈は?」

  そこまで言った大輔の身体に違和感が走る。身体の節々が痛みギシギシと音がなる。

  「嘘でしょ!」

  湊の見ている前で背が伸びて逞しくなっていく。胸の膨らみは胸板に戻り股間は懐かしい感触が戻っていた。

  「元に戻れた!」

  そう叫ぶ声も低い野太い声。

  「良かったあ…」

  湊が心底ホっとした顔をしている。床には空になったクッキーの缶が転がっていた。

  11

  「湊、人魚体験の人魚の種類が増えるそうだぞ。」

  ネットで水族館のホームページを見ている2人。そこに映っていたのは青と赤の人魚に混じって海の中を自由に動き回る緑と黄の人魚の動画だった。

  「何々?・・・なーんだ、職員の人魚かあ。緑が男の職員の人魚で黄が女の職員の人魚ね・・・あ、それと子供用の人魚の尾鰭も

  開発中だってさ、水色が男の子で桃色が女の子の予定だってさ。あー、でも10歳から18歳までって年齢制限があるのね。」

  とは言え子供にも門戸が開かれるのは大きいだろう。もっと人魚体験をしてみたいと思う人が増えるのは間違いない。

  「熱帯魚エリア、氷の海エリア等、様々な海の中を体験できるように拡張工事中だって、暫くは人魚体験はお休みになるのか。」

  「いいんじゃないの。その為にクッキー買いだめしておいたんだから。」

  今、2人がいるのは湊の部屋。部屋の隅にはクマノミクッキーの缶が山積みになっている。この頃、デザートは、そればかりだ。

  「クッキーも色々種類が増えたわよねえ。最初はチョコとオレンジだけだったのにね。これはラムネとラズベリーのクッキーになってる。」

  湊の青と赤のコントラストの鮮やかなクッキー。大輔が食べているのは黄と緑。抹茶とバナナの味がするのが口の中で分かる。

  「あ、これは違う。食べても女にならない。結局、俺が女になるのは、ちゃんとクマノミの色をしているクッキーだけなんだな。」

  そう言ってオリジナルのクッキーに手を伸ばし口に入れる大輔。直ぐに髪の毛が伸びて胸が膨らみ体型が変わり股間の物が無くなる。あっという間に女性の姿になってしまっていた。最初は変身の時に時間がかかっていたが今は1分足らずで変化が完了する。

  男だった時の服を脱ぎ捨てて女物の服に袖を通す大輔。今は土日になれば女性になって過ごす事がルーティンになっていた。

  「うーん、やっぱり、この姿が一番しっくりくるわ。私、本当は女性に生まれた方が良かったんじゃないかしら?湊は、どう思う?」

  最近、女性になると口調迄自然に女性の物に変わっている。大輔が湊を見ると水族館のホームページをマジマジと眺めていた。

  (あれ、何かお腹が痛いな)

  腰の辺りが重い様な気がする。慌ててトイレに駆け込んで腰を下ろす。何かが違う様な感覚がして便器の中を覗き込んだ。

  (キャー!?)

  「大輔、クッキーの注意書きが更新されてる!稀に食べて女性のアレが来た場合、男性に戻れなくなるんだって!一寸まさか!」

  トイレの中から聞こえてきた悲鳴。扉をドンドンと湊が叩くと中から聞こえてきたのは

  「その、まさかよー!来ちゃったのよ、アレが!」

  嗚咽を漏らしながら聞こえてきた大輔の声。その声を聴いて湊が床に崩れ落ちる。衝撃でクッキーの山積みが崩れる音がした。