星に刻む ―キミの知らない、ずっとしたかったこと―
「したいことリスト?」
聞き返すと、隣に立つヒトがそう、と頷く。長身の犬獣人型宇宙人。
場所は彼が働く船の甲板の上。今は一般客として、夜空の下でゆったりと。
「ここは有数のリゾート地だからな。働き詰めだった人が、人生を見つめ直すために作ったりするんだ」
「仕事に疲れちゃって、ここで本当にしたいことを見つける、ってこと?」
「まさに。ある程度の地位の人が多いんだけど……君にはまだ無縁だったかな」
「仕事は忙しいよ。もー今回も有給取るのホント大変でー……あっパブラシアさんのせいって意味じゃないよ」
「わかっているよ」
穏やかに笑う彼――パブラシアさん。
こちらの言いたいことはいつも大体察してくれる。オトナだ。
「パブラシアさんもそうなの?」
「どうだろう。少なくとも今は、仕事に忙殺されてはいないな。体は使うが」
軽く頭をかしげて顎のヒゲ部分をそっと撫でて、考えるポーズ。
「記憶のことで医者に診てもらったり……カウンセリングとか。そういう時に、よく出る話なんだよ」
「そうなんだ。したいこと見つけなさいって?」
「ああ。目的を見つけて、充足して生きれば、不安もなくなるとね」
「ふーん……、なんかピンとこないかも」
「ふふ、若さだな。いいことだよ」
したいこと。改めて考えてみると、結構叶っちゃったかもしれないし。
一緒に色々見て回って、バレンタインの贈り物もちゃんと渡せた。
パブラシアさんはすごく喜んでくれて、それだけで本当に来てよかった。
距離がぐっと近くなったのも勘違いじゃない、はず。
ただ数日間じゃさすがに短くて、明日にはもう帰らないといけない。
社会人は誰しも辛いのです。
「君は、苦労していないか」
「記憶のこと? うーん、時々日付すごく間違えたりするけど……あ、コンビニの使い方全然わかんなかったりした。でも今は平気。みんな助けてくれるし」
実際、ちょっと恥ずかしい思いをするくらいでそんなに苦労はなかった、かも。
でもパブラシアさんは、聞いた言葉を噛みしめるようにしっかり頷いてくれる。
「君の大変さは……、少しは、理解できているつもりだ」
「うん」
「困ったことがあったら、いつでも連絡してくれ。いつでもいいから」
なるほど理解。それが言いたかったパブラシアさん。
大切なことを伝えるために、ちょっとの回り道が必要なんだ。優しいから。
「ありがとう。パブラシアさん」
「こっちこそ、来てくれて本当にありがとう。嬉しかった。
――それで、ええと。この星を君に見せたかったんだよ」
「あ、したいことリストの話ってそのため?」
そう、と彼は照れくさそうに。でもちょっと胸を張って。
「これが今の私の、いちばんしたいこと」
[chapter:星に刻む
―キミの知らない、ずっとしたかったこと―]
「ほら、わかるかい。あっちを結ぶと――」
そして、二人で甲板の柵にもたれて空を見る。
頭上には溢れそうなほどの星、星、星。
さすがにオリエントシティではこれほどのものは見られない。[[rb:ムイラウカ > ここ]]は今の季節でも、薄い上着があれば寒くないくらいにも暖かい。
パブラシアさんは半袖だし――たまに触れる腕を無駄に意識しているのは、こっちだけ?
「それ、似たの知ってる。あ、でも地球の星座だ」
「ここの星座と地球のは、驚くほど似たものが多いんだよ」
「へー。なんでだろ」
「図形や動物の連想というものには、多くの類似性が見られるらしい。星座は、生き物の遺伝子に刻まれた共通の記憶みたいなもの……なのかもしれないな」
「記憶……」
吸い込まれそうな星空を見上げ、二人で思いを馳せて。
と、ふと思いついて、
「でもどうして、そんなに地球の星座にも詳しいの?」
「え゙っ。」
変な音をあげるパブラシアさん。なぜか激しく動揺したみたいに身体を揺らして。
「い、いやそれは、だから。君と、君の、君に、教えたく、て、ずっと勉強……」
「?」
「な、なんでもない」
最後のほう、全然聞こえなかった。
なんかモゴモゴしちゃってるパブラシアさんに、
「ごめん、オレまた変なこと言ったよね」
「いや、そうじゃない。ただ、私の押しが足りないというだけで……。
っ、もっと勇気を出せ私……」
「???」
ふと、甲板を超えた先の下、広がる真っ黒な海が目に入った。
そこは遠い星の光も映らず、ただ暗く。のっぺりとした虚空のような。
急に、わずかな眩暈と寒気を覚えて身体が震えた。
「どうした、寒いのか?」
「あ、ううん……夜の海って真っ暗だから……ちょっと、怖かっただけ。ごめん」
「夜の海は怖いよ。何も見えないし、真っ暗だ。おかしくない」
肩が温かくなる。大きな手の感覚。
隣を見上げれば――まっすぐにこちらを見守ってくれている、優しい瞳。
「大丈夫。今は私がいる。心配しなくていい。一緒にいよう」
「……うん」
普段は照れ屋なのに、そういうことは平気で言っちゃうパブラシアさん。
そっと身体を近付けると、優しく抱き寄せてくれた。本当にオトナ。
――そんな風に彼が分けてくれる温もりを、こっちも返せたらいいのに。
不意に、重低音が夜の[[rb:静寂 > しじま]]を揺らした。それは遠く長く、闇を裂いて。
「汽笛」
「うん。今夜最後の合図だ。この季節だけのサービスなんだよ」
「へー」
「見てごらん」
振り返れば、今いる船上庭園のライトアップが切り替わった。
明るかった照明が一転、落ち着いた光に。
「わ……えーっと、なんていうか……ムーディ?」
「そうだな。リゾート船ならではだ」
そして気付く。
よく見たら、いやよく見なくてもこの甲板、カップルしかいないのでは……。
あっちもこっちも……Oh……あそこのお二人、お口とお口を近づけて……。
と、すっと伸びてきた大きな手が視界を覆って、顔の向きを変えてくれた。
「そう、まじまじと見るものじゃあ、ないよ」
「……はい」
そういうところも、さすがオトナです。
ちょっぴり気まずい空気を払うように、ごほんと咳ばらいをするパブラシアさん。
「場所を、変えようか。あとは陸に下りるくらいなんだが」
「うん……いま、何時くらいだろ」
「もう少ししたら日付が変わるかな。も、もし疲れてるなら、そろそろかえ、帰る……か。部屋までおっ、おく、送、送る……けどウゥッ」
今度は送りたくなさがまろび出ています。
思わず笑って、肩の手に自分の手を置き返した。
――だってそんなの、こっちだって。
「もっと一緒にいたい」
少しだけ強くなる、彼の手の感触。
「明日の朝、辛くないか」
「平気。慣れてるし、寝ながら帰るし」
「若さだな」
「若さでカバー」
「うん」
「あと根性」
「それも重要だ。時には」
なぜか細切れの会話が重なる。
まだ、二人の間に少しだけある隙間を、埋めるためみたいに。
そして彼が先に立って導く。
「さあ、行こう」
◆◆◆
地面に足が着くと、ちょっと揺れるみたいな感覚があった。
思いのほか、船の揺れに慣れていたみたい。
「足元、気を付けてくれ」
船を離れて少し。丘の上に続く、手作りの階段を登っていく。
星明りしかない道。こちらは足元を確認しながらなのに比べ、来慣れているのかパブラシアさんはすいすいと進んで。
「パブラシアさんっ。早い」
「あっ、ああ。ごめん」
慌てて振り返る彼は、ちょっとだけ気が[[rb:逸 > はや]]っているみたいにも見える。
「手」
「え?」
「手、つないで」
「――――うん」
伸ばしてくれた手をぎゅっと握る。
大きい。あったかい。肉球、柔らかい。
さらに太くてしっかりした指が、こちらの指を包んでくれた。
……どさくさ紛れに言ってしまいました。したかったこと。
ほとんど叶ったなんて嘘だ。いくらでも出てくる。
でもその、指と指を絡めて、ってまではお願いしてなかったんだけども。
これって恋人繋ぎ……いやきっと知らないだろうな、パブラシアさんだし。
勝手な胸のドキドキが、あまりに激しくて、汗のにじむ手から伝わってしまうんじゃないかと心配になる。
でももしそうなら――何も言わなくても、伝わったらいいのに。全部。
◆◆◆
「すご……」
「あっちの灯台のほうが人気なんだけどね。こっちは現地の人でもあまり来ないかな。暗いから」
「パブラシアさんはよく来るんだ」
「ああ。星がよく見えるから」
たどり着いたのは、開けた高台の上の展望台。
他の人の姿も音もなく。緩やかな風だけが抜けて、視界の全てを星が満たす。
本当に触れられそうな気にさえなって、空いているほうの手を空に掲げてみたりする。
「飛び跳ねたら落ちてきそう」
「ジャラジャラって?」
「そう」
「それは面白い感想だ」
星を敷き詰めた満天。
それだけ。
それだけがここにあるすべて。
いまこの世界には、二人しかいない。
そっと、彼の名前を呼んだ。
大きな声を出したら、星がふるえて落ちてしまいそうだったから。
「パブラシアさん」
「なんだい」
「パブラシアさんも……不安になるとき、ある?」
少しだけ沈黙があってから。
囁くように彼も応える。
「あるよ」
「そっか」
「結構ある」
「うん」
そしてまた勝手に出てくる、したいこと。
伝えたいこと。
「大丈夫。今は、オレが一緒にいるから」
彼がはっとこちらを向いて――その表情が、少し揺れるのが見えた。
「その……オレじゃ、足りないかもしれないけど」
「そんなわけ……あるはずないだろう」
おずおずと、でも距離は自然に縮まって。
抱きしめ合った。強く。強く。
彼がすこし鼻を鳴らす。
「泣かさないで、くれよ」
「泣き虫パブラシアさん」
「やめないか……まったく、君は」
もっと強く。そうやって体温を分かち合う。
どんな[[rb:宇宙 > ソラ]]の寒さでも、きっと乗り越えられるように。
ずっとしたかったこと。また叶ってしまった。こんなにもたくさんの星の下で。
「ね、さっきの星座。もう一回教えて」
「――えっ。あ、ああ。いいよ」
ちょっと戸惑いつつも、胸に抱き寄せたまま、応じてくれるパブラシアさん。
……ごめん。ホントは、これもちょっと嘘なんだ。
星座のことを話すパブラシアさんが、見たかっただけ。
「ほら、あれが――」
天を指して語るその瞳は、少年のように輝いている。
語るうちに、自然と笑みが零れてくるのがすぐ近くで見える。犬歯、カワイイ。
本当にこの人、星が好きなんだ。
――本当に。そんな、この人のことが。
その横顔を前に、自然と体が動いていた。
彼の口元、毛色が変わるあたりに。
口を。
「っ……!」
目を丸くして、彼がこちらを見る。
顔以外固まってる。指だって空を向いたまま。
怒ったり……は絶対ないだろうけど、そこまでびっくりされるとさすがに罪悪感。
「アメリカンスターイル……ご、ごめん、うそ……」
引けそうになった腰は、でも下がらなかった。回された手に強く抱えられて。
彼がこちらにぐっと顔を近づけてくる。
「――また、先を越された」
「は、はい?」
「わっ、私が、私からしたかったんだ。手を繋ぐのも、キ、キスをするのも……」
「なにそれ」
思わず笑ってしまう。
「眉、への字になってるよ」
「……だって、くやしいんだ。君が、いつも先にしてしまうから」
「したいことあるなら、してよ、パブラシアさん」
「――うん」
そうして。今度はちゃんと、正面から。
……そう。いつだって、本当に大切なことの前には、回り道が必要で。
互いの存在を確かめ合う。何度も。
あまりに広い世界。吸い込まれそうな空。暗闇の中。
それでも二人が確かにここにいると、星に刻む。
「――――っ、」
同時に大きく息を吐きだして。おでこをすり合わせて。
逞しい首筋にぎゅっと抱きつけば、優しく抱きしめ返してくれて。
……どうして涙が出そうになっているのか、自分でもわからない。
「もっとはやく、すればよかった」
「こういうことに、早いも遅いも、ないよ」
「パブラシアさん、ホントに、オトナ」
「オトナぶっているだけだ。――ほら、こっちにおいで。座ろう」
「うん」
高台にひとつだけあるベンチに腰かけて。
パブラシアさんの首にぎゅっとしたまま、
「……もっとしたいこと、ある」
「教えてくれ」
「もっと、メッセージ」
「してくれ。いつだって、待ってるんだ」
「ごはんの写真とか」
「送ってくれ」
「会社行くときの景色とか」
「見たい」
「おはようとか、おやすみでも……?」
「っ――いい!!!」
「うわっびっくりした」
間近で急にくわっとするパブラシアさんにさすがにビビる。
急に頭を押さえる彼。
「えっ、また頭痛? だいじょうぶ?」
「いや……良すぎて、想像していたら、アタマがクラクラしてきた……」
「なにそれ!」
なにそれ二回目。
伏せた頭を抱えてあげると、腰に手が回された。お腹に感じる頭の重み。
彼が甘えるような音を出して、
「……なあ、君は、どうしてこんなに良くしてくれるんだ」
「……わかってるでしょ」
「聞きたいんだ」
「やだ。恥ずかしいから言わない」
「言ってくれ」
「言ーわーなーいー」
顔を上げて、ちょっと半眼でニラんでくるパブラシアさん。
……そんなカオしたって、簡単には言えないことだってあるのです。
「意地悪なんだな。……帰したく、なくなってしまうじゃないか」
「それ、言っちゃったら“帰っていい”ってこと?」
言うと、今度はきょとんとする。そしてまたすぐにお腹に顔をうずめてきた。
「そうなるか……じゃあ、言わなくていい」
「なにそれ!」
なにそれ三回目。このヒトもう、ほんとに……。
「あ――」
そして気付く。彼の指先が、シャツの下からそっと入って来て、おへそのあたりで小さな円を描く――。
「パブラシアさん……」
「……嫌か? 嫌なら、やめる」
「嫌じゃ、ない、けど。……やらしい」
「うん。私は、結構……」
そのままベンチに横たえられる。
いやでも、ここ、外なんだけど……。
「大丈夫。誰か来たら、すぐわかる」
「んん……」
オトナすぎる。
ぎこちなくも力を抜くと、彼が体重を乗せてきた。
身体を覆う獣毛の感触。大きな尻尾が太腿に絡まって。
指がもっと奥……やばい、変な声でる……。
耳元で、パブラシアさんの鼻息も荒い。
「私のことも、触ってくれ」
「……うん」
手を伸ばす。
ちょっと変わった形の耳も。
いつも少し跳ねている頭のてっぺんの毛も。
目の下に深い皴が一本刻まれた穏やかな顔も。
優しいところも、泣き虫なところも、それからちょっとやらしいところも。
――全部。
全部、好きだ。
「くすぐったいよ」
「パブラシアさん、いい匂いがする」
「何もつけてないよ」
「じゃあ、パブラシアさんの匂い」
「君は……。本当に」
体を起こしてこちらを見下ろす彼。瞳には、幾万の輝きが映っている。
その顔にはもう、迷いはない。
「寝不足は、我慢してくれよ。若さで」
◆◆◆
帰り道は、ゆっくり歩く。
来た時の速さの半分にも満たないくらいの速度で。
身体に残る温もりと、特別な時間を慈しむように。
……いやでもあの。さすがに恥ずかしいので。こっちそんなオトナじゃないので!
ずっと繋いだままだった手をブンブン振ってしまう。
「ん、どうした」
「なんでもないですー」
ただの照れ隠しです。
パブラシアさんはそんなこちらを見て穏やかに微笑んでいる。
くそう、オトナの余裕。
「パブラシアさんっ」
「なんだ?」
「内緒!」
なんだいそれ、と彼が笑う。
そしてまた温かな沈黙。船が見えてくるあたりになってから、そっと。
「したかったこと、またひとつ叶ってしまったな」
「え? ――展望台?」
「ううん。それとは別」
「……さっきみたいのすること?」
「そ、それは…………それも、ある、けど……ちがう」
「じゃあなに?」
「知りたいか」
「ええー? 教えてくれないの?」
「ふふ、仕返し」
「もー」
「嘘だよ。ごめん」
そして、照れくさそうな笑みが零れる。
「――君は、知らないかもしれないけど」
ずっと指を絡めたままの手。
それを掲げて見せて。
ほらこれ、と。
彼。
「恋人繋ぎ」
◆星に刻む
―キミの知らない、ずっとしたかったこと―
――了。