恋ヶ窪徒然

  Introduction

  あの日、僕はまだ幼かったから、あの人に嫌われているかも知れないことを、解ろうともしていなかった。まだともに居られるなどというくらいに自己暗示を掛けてさえいた僕は、浅はかで愚かだった、そうに違いない。違和感なら、あった。それでも、僕はあの人を、心底から欲して止まなかったのだ。

  何故他人に嫌われる、そう嘆いてばかりの日々、そこに希望などなかった。他人に振り回されてばかりで、思えば畜生には違いなかった僕。でも敢えて云うなら、他人同士のこと、互いに罵り合うくらいの距離感が普通かも知れない、それだけ、本当にそうだ、確かにそう思っていたーー。

  国分寺駅で西武国分寺線に乗り換えてひと駅。街中の小ぢんまりとした駅舎が、徒歩のスピード感で徐々に遠ざかっていく。

  直後、僕のフォーカスが至近の軽自動車を捉えた。運転しているのは、あの人に違いはない。隣の青年と談笑をしている。青年というのは、たぶんあれは通っている学校の後輩であろう。見覚えがある。それは愉しそうだった。僕は正直、恨めしかった。

  *****

  家に帰ると、母の小言が待ち構えていた。予定調和のことだが、うんざりもするものだ。今にして思えばそれは、この一家が幸福だった頃の日常のひとコマに過ぎなかった。でもあの頃はまだ幼かったから、有り難みを解ることさえ、放棄していたのだ。

  「またこんなに遅くまで遊んで!お前はウチの大黒柱になるの!判っているなら、少しは反省なさい」

  別に実家は福祉受給中などではなかったが、片親ではあり、高校を卒業次第働いて家計を助ける、そういうことになっていた。

  僕は現実逃避を繰り返すことで、どうにか己の人格を、体裁よく整えることができていた。

  食事を摂る。無言の食卓。ジャーの白飯を一合ちょうど食べ切ってから、僕は明日の授業までに終えなければならない課題がひとつあることを思い出し、自転車で同級の織田の家へと向かった。

  織田は背丈は160cmにも届かないくらいのものだったが、ニカっと笑った時のはにかんだ笑顔が憧れのあの人にも似ていて、正直タイプだった。そういうことは、負い目として残る性分なので、この頃はあまり連まなかったが、今夜は仕方ない。彼奴は勉強がよくできるのだ。

  難しいことは解りたくもなかったから、僕は織田のことも考えるのを止めることにした、これも予定調和には違いない。インターホンを鳴らすと、ハーパン姿の織田がバーアイスを咥えたままで、応対してくれた。よかった、案の定、乳首が浮いている。奥底で眠っていた期待通りの展開。雑な類の雄に過ぎない僕の胸が、否応なしに高まる。パツンパツンのライムグリーンの上下が、頭痛がするほど、目に眩い。足元をまん丸の猫が二匹、這い回る。一匹は茶トラだった。もう一匹はグレーの毛並みの、何だったか、そう、アメリカンショートヘア!

  一時間後。僕等は、課題もそこそこに、全裸で抱き合っていた。内心ではこうしたことも、期待ならしていたかも知れない。僕は初めてのことだったのだが、織田はそうでもないようだった。あの童顔なら、無理もないか。

  織田はベッドに横たわったまま、煙草を燻らし始めた。まだ早いのではと思ったが、口には出さずに、飲み込んだ。勇み足の正義感は、失敗の元なのである。それは、弁えているつもりだった。

  「なぁ」

  タブレットを触り始めた織田が、空いた手を添えて煙草を咥えたまま、器用に尋ねる。正面から見詰められて、僕は息を呑んだ。やはり、その顔はあの人に似ていた。

  今から三年前の、中三の春。僕は出会い系アプリで、あの人と知り合った。あの人は、その名を裕太と云う。裕太さんは当時、見る限り僕に対してだけは概ね優しかった。勘違いならよかったのだ。けれどもそういうわけでもなさそうで、免疫のなかった僕は忽ち恋に堕ちることとなる。

  裕太さんは愛らしい人で、地元の多摩のガス会社で働く、まだ新入りの社会人一年生だった。太鼓腹が自慢で、特技は絵描きという、そういう柔らかな雰囲気の好青年。初めては彼の部屋で、貫かれてのことだった。

  「俺、バッチいの嫌いだからさ。頼むからちゃんと洗ってよね」

  そんなことをツンケン云われて、胸が押し潰されそうだったのを憶えている。抱かれていて、思いの外小さな裕太さんのそれが健気に当たっているのを感じて、僕は嗚咽していた。そんな夜、ふたりで居たのに、実は独りぼっちでもあった、不幸の芽は既にあったのだ。

  その頃から、僕は夜な夜な小説を書き始めた。生活感とは凡そ無縁な悩みの、それは捌け口ともなっていたのだ。

  裕太さんは、男癖はそれは悪かった。何人もの男と代わる代わる寝ていたようだったが、彼氏で居られているわけでもなかったあの頃の自分には何を云う資格もなかった、それはそうだ。

  横恋慕の片想いの終焉は、突如訪れた。

  「お前のことは可哀想だと思っていたから、会ってやっていた。だけども、もう疲れたし鬱陶しいから、ウチに来るのは止めてくれないか?」

  ストレートな言い草、返す言葉もなかった。溢れる涙、去り行く軽自動車。深緑のその軽は、高みから僕を見下ろすかのように、僕を置き去りにして、嘲(あざけ)るようでもあった。

  後輩には、借りがあった。かつてのある日、放課後の学校の廊下で、ふたりきり。向かい合う。後輩は校内の誰かを好いていたようだったが、僕にはそれは、見当も付かなかった。焦(じれ)ったそうに後輩はひと言、“先輩には裕太さんよりも織田先輩がお似合いですから!”、それだけ。後輩は僕と織田との仲を裏で取り持ってくれていたのだった。後輩の想い人が僕だと知ったのは、それからだいぶ後のことである。その後輩が裕太さんを寝取ったのだから、それは痛み分けといったところだったかも知れない。

  母が、この頃より毎晩のように随分と、しんどそうにしていた。胃が痛いのだという。母は夜はスナック務め、どうせ飲み過ぎなのだと思い、気にも留めなかった。僕と母は、一家ふたりの母子家庭である。僕は不覚にも、その身体から発せられていたSOSを、見逃してしまっていた、ただひとりの身内だというのにだ。

  母は末期癌だと、のちに判った。子供孝行だったのか、高校を卒業したばかりの春に、誰にも弱みを明かすことなく、安らかな顔で旅立ってしまった。僕は地団駄を踏んだ。

  僕は高校を出ると公務員試験に合格して、清掃事務所で働き始めた。織田は裕太さんと同じガス会社に就職。この時から、嫌な予感はしていた。

  高校を卒業してからは、僕は織田の部屋で寝泊まりをすることが多かった。そこで、見てはいけないものを見てしまう。ある夜、織田は自室で裕太さんに貫かれて、些か気色ばんでいるようにも窺えた。無理矢理だったのは、一部始終を見て、解っていた。織田の部屋から帰るタイミングを逸して、僕はずっとクローゼットに潜んでいたのだ。嫌がってくれていて、助かった。僕は織田にはやはり好かれているようだったわけで、それは嬉しかった。

  織田とは幼い頃からの馴染みの仲であり、その下の名は廣木(ひろき)と云う。こちらが油断してうたた寝などしているとちょっかいを出してくるような、そんなところもある、ごくありふれたお調子者である。

  織田は根っからのウケ体質だったが、結構な強がりで、僕の前では常に、タチのように振る舞うのだった。その実、少し身体を愛撫してやるだけで顔をくしゃくしゃにするところもあり、それはチャームポイントだとちゃんと思えたりもしていたのだ。

  チェストに一葉の写真が飾られていた。思い出のひとコマ、それはよくあるポートレートで、春前の麗らかな陽射しの下で、澄み切った青空をバックに、それは愛らしく写っていて、見ている僕も度々気分がよかったものだ。

  織田の父母は芸能の片隅で身を立てており、今日日(きょうび)の折、息子の性には寛大であった。その家は昔から代々この恋ヶ窪に在り、門扉の立派な数寄屋造りで、幼い頃には羨ましくもあったものだ。地主の家柄でもあり、国分寺にはその祖父の所有するアパートが幾つも在るのだとか、少年時代の織田は時折、鼻に掛けていた。

  織田は、サスペンダーがよく似合う。オーバーオール姿も板に付いており、何にせよ愛くるしいキャラクターの持ち主とも云えた。小学校の頃は虐められることも度々だったが、その度に僕がサンドバッグ代わりになってやったものだ。それもまた、今となっては懐かしい思い出。

  閑話休題。

  「なぁ」

  それはいつかのデジャヴ。

  いつもの情景、事後にそう声を掛けられて、僕は織田改め廣木の全裸を、翻って視界の端(はた)に収めた。

  「俺のこと、好きか?」

  問われて、答えるまでもなく、僕は黙って頷く。アルコールの回った僕等は、ほんのり甘く長い口付けで、互いの気持ちを確かめ合った。

  「んじゃ、も一度抱いちゃるけん、歯食い縛れや」

  ピストン運動が続く。成り行きで、僕はどういうわけだか廣木に、手玉に取られていた。果てる時、耳元で“ずっと愛してる”そんな譫言のような台詞を囁かれて、僕は生まれて初めてSEXでトコロテンというものを体感するのだった。

  体重計に乗る。また少し太った。ちょっとだけ嬉しい。そんな自分が恥ずかしくもあり、何とも云えず悩ましい、そういう気分でもあった。ささやかな喜びと哀愁とが綯交ぜになったような、そんな何処か面映い心持ち。

  ある夜、ベッドの隅で、廣木が蹲って、泣きじゃくっていた。訊くと、子供が欲しいらしい。僕は腹を括った。

  「なら、作ればいいじゃないか!お前のことなら、ずっと待っているから、僕は大丈夫!」

  結局廣木は、何処からかビアンの子を連れて来て、籍を入れるのだった。所謂友情結婚という奴である。廣木は僕ともその直後に養子縁組をしており、別にふたりの仲が壊れるわけではなかったのだ。様々な心配事が取り越し苦労に終わって、僕は正直、ホッとしていた。

  ビアンの子は、五年の間に、三人の子供を産んだ。皆男であり、その内のひとりを、廣木が引き取って育てることとなった。面食らったのは僕だ。僕も育児に参加する成り行きとなったからである。

  雪也と名付けられた廣木の子は、人懐っこくて甘ったるい、父親によく似た人たらしになった。僕は雪也の全部を見て来たから、無事に彼とも家族になることができた、それは素直に嬉しいこと。恋ヶ窪には、骨を埋(うず)めるつもりでいる。先日、廣木の祖父から譲られた更地に、一戸建てを建てた。自分たちで建てた家、三人で住むのだ。まだまだこれから、頑張るしかない。きっと十年後には皆、いい背中をしているに違いないから、これでいい。

  Conclusion

  日記を付け始めた。家族としての日々の記憶が無事に思い出となって昇華するようにと、慮(おもんぱか)ってのことだ。趣味の一環として、小説もぼちぼち書いている。下手の横好きではあるが、書くことは好きなのだった。

  ーーなぁ、廣木。僕は、お前が大好きだよ。だからひとつだけ。お前はまだまだ青二才、僕だってそうだ。だから、親として人間として、お前の大事な一粒種(ひとつぶだね)とともに、時間をたっぷりあげて成長するんだ。

  約束ならするから、僕も頑張るから、お前も頑張れ!

  生きていてくれて、今日もありがとうーー。

  枕元に、そんな走り書きを認(したた)めて、添えておいた。今朝も空が高い。ひとりで庭先にでると、ツンとした空気感に涙腺が緩む。後からやって来た廣木がカーディガンを持って来てくれて、僕は温もりを改めて感じた。

  一歩また一歩と、僕等は歩みを止めずに進んで行く。誰にも見せない顔も、廣木になら見せよう。互いがそういう心構えでいることは、もう僕等は知っていたから、何も怖いことなど、有りはしなかった。大丈夫、まだ行けるよーー抱き締め合って絆されて、僕等のほんのちっぽけな想いも、息子のために、まだちょいとばかりは、役に立ちそうだったから。何だっていい、ひとつ負けないことを作れるように、後はそれを端緒として、頑張ればいい。言い訳なんか要らない、僕等とその子供だ、きっと上手くやるに違いない。そう信じているから、だから、皆んな、愛しているーー。

  庭先のノースポールの絨毯が緑と純白の入り混じった彩りを見せてくれる日中、僕等は、恋人として家族として、幸せの只中にあった。

  居場所なんて、ひとつあればそれでいい。そう思って過去を振り返って、今、まさに冬の終わり、もうすぐ春爛漫、そんな季節だったことを思い出して、少しだけ泣いた。

  生きて行く上での孤独も幸せも、皆ここにはあるから、まだ戦える。人生とはもっとほろ苦いものだともう知っていたから、油断なら捨ててしまえばいい。いつでも世界の藻屑となって消える覚悟なら持っているから、だからまだこの世界を愛して居られる。何処までなら、ふたり手を取り合いながら、進めるだろうか?

  夜明けの時、すべてが騒めき出す前の、残り僅かな、ほんのささやかな静寂。まだともに居られることに心底からの感謝をして、このメモの結びとする。

  了