大相撲一月場所 十四日目
序ノ口
١١:١١ころ
◯あんりゆうかいーそが⚫︎
四勝同士、星の潰し合ひ。
◎きようのさとーだいしやま⚫︎ 三勝三敗同士、勝てば勝ち越し
⚫︎さちのやまーたらなみ◯ ザンバラ髪のさちのやまは、勝てば勝ち越し。
序二段
١١:٢٣
◯おほくにやまーしようりゆうどう⚫︎
◎だいばしようーこうが● 投
●だいてんしようーだてのうみ◎
◎ふじむさしーことむなかた
١١:٣٧、本日初の物言ひ。審議の結果は行司軍配通り。
⚫︎わかとざくらーあんざくら◎ 櫻が勝つ
◎ちよつるぎーれおんまる⚫︎ 突き落としと叩き込みの違ひが分からん。→決まり手は、肩透かしが取られました。
だてのもりーちよろうざん◎ 寄り切りか
◎たかくらやまーもり
●まつがしまーたかす◎ 押し出し
◎だいてんしんーあさあづま
◎おほあたりーくろかげ
軍配は東方。物言ひがついた。結果は軍配通り。
ゆめのふじーはまだやま
あさゆうほうーまつぎ
さはやかーほんま
◎とうきりゆうーそうが
こうあまみーしまぶくろ◎
さとうーりゆうせいおう
三段目
١٢:٣٦
⚫︎かんりゆうーしんやしき◎(序二段١枚目) 勝てば勝ち越し 首投げかな→上手投でした
きよのはな勝ち越し
だいりんざん勝ち越し 送り出しになるのか? 押し出しか?→送り出しでした。
はくおうなだ勝ち越し 決まり手はすくひ投げが取られた。
けんゆう勝ち越し
ごうしまる勝ち越し
えびすまる勝ち越し
わうき勝ち越し
あきとば不戦勝で勝ち越し
幕下二段目
١٣:٣٨
◎きよだーとちのぼり⚫︎
ひなたりゆう勝ち越し
つるばやし勝ち越し
ほうかほう勝ち越し
あさのわか勝ち越し
おほやまとうみ勝ち越し
とくのむさし勝ち越し
十枚目土俵入り
西方 先導は木村隆男さん
東方 木村幸三郎さん
幕下上位五番の取組
◎こうとくざんーふかゐ⚫︎
⚫︎ほくてんかいーきたゞいち◎ 北が勝つ 投→下手投げ
幕下十枚目
١٤:٤٥
⚫︎天空海ーきたはりま◎(幕下二枚目、三勝三敗)
きたはりま勝ち越し!
尊富士關、十二勝二敗。この時點で十枚目優勝が決まつた。
中入り
幕内土俵入り ١٥:٤٣
西方 先導は木村秋治郎
東方 木村最之助
東方より横綱・照ノ富士關 土俵入り
露拂ひ 翠富士
太刀持 熱海富士
行司 ٣٨代木村庄之助
幕内の取組
(前半戰)
(十枚目三枚目)⚫︎狼雅ー遠藤◯(前頭十三枚目)
幕内後半戰
翔猿ー平戸海◯
⚫︎正代ー宇良◯ 決まり手はとつたりとの事。
□照ノ富士ー豐昇龍■ 豊昇龍關 休場の爲、照ノ富士關 不戦勝。١٢勝٢敗に。
金峰山ー大榮翔
⚫︎霧島ー琴ノ若◯ 結びの一番
弓取式 聡ノ富士さん
大相撲センター試験
當代の木村庄之助は、今場所に٤١代式守伊之助から昇進。١١月場所に定年を迎へるらしく、٥場所限りとなる。行司の定年は٦٥歳で親方と同じ。親方は申請すれば٧٠歳まで延長出来るが、行司にそれは無いらし。
平成以降の昇進で最も在位が長かつたのは、٦年と١場所(٣٧場所)かな。
初代木村庄之助は、寛永年間か。眞田伊豆守家臣とされる。
٤代が史實の初代。
١٢代が١٨٥٣年٢月場所まで。
この年の٧月、ペルリが浦賀に出現した。
١٣代が同年١١月場所から١٤年勤めた。在位中に明治維新があつた。
١٧代の在位中に大正になつた。
١٩代の時に昭和になつた。
٢٧代の時に平成になつた。٢٨代以降は平成中に昇進した事になる。
當代が令和最初の昇進である。
木村玉之助
若しかしたら前も書いたかも知れない。大坂相撲の立行司の名跡だ。
١٧٨٦年٨月に初代木村槌之助が改名。
٦代槌之助も٥代玉之助を襲名した。
١٠代の時に、東京の相撲協會と合併。第٣位の立行司とされた。
١٣代の時に副立行司に降格。١٩٦٠年の停年制の導入とともに副立行司も廃止に。前年に停年退職した١٣代を最後に、٦٥年間襲名されてゐない。
千秋樂 是より三役 予想
小結 宇良ー大の里 矢が貰へる
關脇 琴ノ若ー大榮翔 弦が貰へる
大關 照ノ富士ー霧島 弓取式
新入幕でザンバラ頭の大の里關がこれより三役を取つたら面白い。
しかし貫目的には、一枚目の若元春(元關脇・九勝四敗)の方が先である。
江戸から戰前までの京相撲と京都相撲連盟(アマチュア)は違ふ。
同樣に興行の女相撲と、女子相撲(アマチュア)も違ふ。
京相撲も女相撲も共に消滅した。幕府が無くなり、時代の荒波に呑まれて消えたのだ。
大坂相撲は東京に吸収され、大相撲となつて生き長らえてゐるのかも知れない。行事や親方の名跡は消えた。
京相撲の台灣巡業に、大關・相生が同行したがで客死したといふ。
大坂相撲では、幕末期に中頭・熊川熊次郎が壬生浪士組に切られて亡くなつてゐる。しかし手打ちが発生し、京相撲と大坂相撲が共同で京都興業を行つた。
中頭といふのを初めて目にしたが、關脇の事であるらし。
節會相撲の最手(ほて)・最手脇(ほてわき)が元となつてゐる。さういふ意味では、横綱より大関が古く、大関より関脇の方が名前が古いかも知れない。但し、最手が後の大関(横綱)である。