※この記事は、『獨白日記』のネタ用です。三千字以上を目指してゐます
・『夜咄』 今一番更新したい。けど、トレンドがゲームなのでできない。ゲーム禁止中なので
・『人生ゲーム』→ゲーム禁止中だから、多分書けない。でも、以下のニディガネタは使へる
・『枕艸子2』=詠唱
・『電氣貓』=タイトルが大して面白くないから多分没で、『インターネッコ』に囘していくと思ふ
・『アホリズム』 引き続き三千字以上、五千字未満(SS)を目指す。短い文章は『猫』に投棄する事も考へた。然し目標は「九千話」なので、増やしていく
・『獨白日記』 五千字(短編)から徐々に増やしていきたい。先づは四日で「二萬字」(中編)、そして十六日で八萬字(長編)へ
・「コテン文學全集君」→『枕草子』『夢十夜』『今昔物語』「千夜五千話」
シェヘラザード(AI)→「ユタポン、エヴァに乘れ」「双葉杏を精神と時の部屋に」
・書け!小説塾 枝豆平八とパワーちやん、アライさん、めむちよ
ツイッターで、「見開き完結」てふ語を見た。
グーグルで調べたところ、通常の文庫本で「500〜800文字」だといふ。原稿用紙(四百文字)二枚以下だ。
二萬は四十頁、八萬は百三十三頁にもなる。
[chapter:今日の話題]
ニディガみたく、探さないとな。
[[jumpuri:攻略サイト > https://h1g.jp/needy_girl_overdose/?%E9%85%8D%E4%BF%A1%E3%83%8D%E3%82%BF%E5%85%A5%E6%89%8B%E6%96%B9%E6%B3%95%E4%B8%80%E8%A6%A7]]
フォロワー50人記念したいけどな……。
フォロイーが133人。
本垢?のフォロワーは、150人ゐる。
やるとしたら、200、250、300人記念だなあ。
因みにフォロイーは2k。
問題なのは、フォロワーを増やす方法が分からない事かも。
炎上を怖がつてちや駄目だね。
鍵、開けて行こー!
[chapter:レナトゥス・カルテシウスの、九箇月に及ぶ形而上學的省察と、その末に發見した眞理に就て]
「神の存在証明」、デカルトの方法論 第四部かな?(神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠、形而上學の基礎)
因みに形而上學はイマヌエル・カントによつて廃されました。
哲學の歷史を輕くさらつておかう。
プラトオンとアリストテレス、ヘレニズム時代やアウグスチノ(アウグスティヌス)とか。
近代の祖はデカルトだ。彼は大陸合理論に分類される。
そして、カント。三大批判と『單なる理性の限界としての宗教』、コペルニクス的転回等。
彼の後継にヘーゲルやアルトゥール・ショウペンハウエルがゐる。
後者は印度哲學に傾倒しました。
フリードリヒ・ニイチェ(d.1900)から、西洋哲學は現代思想と呼ばれる時代に入ります。「神は死んだ」「ニヒリズムの二世紀」などの概念が有名です。
日本: 伊勢流の神學の系譜や契沖、荷田春満、山崎闇斎。忽滑谷快天、中村元、鈴木大拙、西田幾多郎、井筒俊彦、ハサン中田考など。
二十世紀の哲學は焼け野原らし。
そしてフッサールの現象學の「共通了解」が眞理に一番近いとか。
でも、真理つてものは、天啓のクルアーンや唯一神たるアッラーとかではないのか?
現象學や共通了解とやらは、それに近いのか??
…
デカルトは、當(とう)時オランダのフラネケルにゐました。
そして、形而上學的真理の探究にのみ携はりたいと望んでゐた樣(やう)です。
ところが彼は、眞理探究と「正反對のことをしなければならないと考へ」ました。
「その後で、わたしの信念のなかにまつたく疑ひえない何かぎ殘るかどうかを見きはめねばならない、と考へた。」
「感覚が想像させるとほりのものは何も存在しない」
水槽の中の腦みたいですね。
既に三百八十六年前には考へられてゐたみたいです。
次に「推理をすべて偽として捨て去つた。」
最後に、「それまで自分の精神のなかに入つてゐたすべては、夢の幻想と同じやうに眞でないと假定」しました。
「しかしそのすぐ後で、次のことに氣がついた。すなはち、このやうにすべてを偽と考へやうとする間も、さう考へてゐるこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。」(四十六頁)
然し現在は、「自分」や「自我」も、外からの影響を受けて成立したものに過ぎないと考へられる樣(やう)になつて來(き)てゐる。
ここにおいて、近代哲學と現代思想は、出發地點の段階から完全に異なつてしまふとも言へやう。
或いは『やさしい神さまのお話』てふ一神教(タウハード)の書には、「自分なんて存在しない」てふ事が繰り返し説かれます。
それは、「眞の實在はアッラーのみ」てふ真理に立脚してゐます。
アッラーの「有れ」てふ命令によつて生み出され、又、「有るな」と一言命令されたら消えてしまふ樣な私達被造物は、アッラーに比べたら「存在してゐる」とはいへないほど「ちつぽけ」な存在だてふ事です。
「そして「わたしは考へる、だから私はゐる」といふこの眞理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といへども揺るがしえないほど堅固で確實なのを認め、この眞理。、求めてゐた哲學の第一原理とし」ました。
Je pense, donc je suis.
その後、ラテン語に翻譯された「コギト・エルゴ・スム(我惟フ、故ニ我在リ)」が人口に膾炙しました。
「續いてわたしは、わたしが疑つてゐること、したがつて私の存在はまつたく完全ではないことに反省を加へ、自分よりも完全である何かを考へることをわたしはいつたいどこから學んだのかを探究しやうと思つた。そしてそれは、現實にわたしより完全なある本性から學んだにちがひない、と明証的に知つた。」(四八頁)
「わたしは、現存する唯一の存在者ではなくて、他のいつそう完全な存在者が必ずなければならず、わたしはそれに依存し、わたしが持つすべてのものはそこから得たはずだ」(四九頁)
この世界には、私しか存在しないのではないか。
或いは、全ては「水槽の脳」が作り出した幻想ではないか。
そんな仮説が当時あつたとは思はないが、デカルトはそれを否定する考へに至る。
「もし世界に何らかの物體、あるいは知性的存在者(たとへば天使)、あるいは他の本性があつて、それらが完全無欠ではないとすれば、それらの存在は神の力に依存してゐるにちがひなく、さうなると神なしには一瞬間たりとも存續できない」(五〇〜五一頁)
[chapter:藤井七冠、敗北。]
[[jumpuri:元奨ヤスさんの解説動畫(YouTube) > https://www.youtube.com/watch?v=I4jlMf3JPMo]]
二十三日(金)、第九十四期棋聖[[rb:戰 > せん]] 五番勝負の第二局が行はれました。
先手は挑[[rb:戰 > せん]]者の佐々木七段。
後手が藤井聡太 棋聖でした。
[[rb:戰 > せん]]型は、佐々木七段が得意としてゐる相掛りに。
一分將(しよう)棋を制したのは、先手の佐々木七段でした。
これで、一勝一敗になりました。
次[[rb:囘 > かい]]は第三局、[[rb:來 > らい]]月三日に静岡[[rb:縣 > けん]]沼津市で行はれます。
[chapter:高尚な趣味]
「[[jumpuri:文燈 > https://buntou.jp/writing/blog-thema]]」さんより。
プロ級の趣味なんて、殆ど皆んな無いよね?
ハイカルチュア(高雅文化)、または上位文化とも。
そもそも文化とは何か。人類が生み出したものであり、學問や藝術等が含まれるといふ。
皇族や貴族が嗜んできたもの。禮樂や藝道とも。
美術(彫刻、繪畫、建築)
漢詩、和歌 懐風藻と勅撰漢詩集、正續萬葉、三大集、新古今集、あとは源氏物語も。
能
雅樂 蘭陵王しか知らない。
有職とか 黄櫨染御袍
國學(国語学、国文学、国史学、歌学、国法学とか)
儒学・漢學
洋學(哲学、地理学、歴史学、宗教学)
數學
囲碁将棋
書道
香道
今は大衆文化の時代であり、マンガやアニメなど。
私はゲームとYouTube、相撲も好きだ。
[chapter:明日の話題]
賣日新聞に「今日の話題」つてのがあつたけど、變(へん)態記事や、WBPCを報道しないのが嫌だから、アクセスしない。
因みに、「アシタノワダイ」を見たら、全部漫[[rb:畫 > が]]動[[rb:畫 > が]]になつてた。
・上岡龍太郎[[rb:傳 > でん]]説 誰向けなんだ……。
・婚活パーティースタッフ 誰向けなんだ。
・インテル3800億[[rb:圓 > えん]]の赤字 おつさん臭いな。
・自動車教習所の教官
・蜂蜜工場
因みに日経の「あすへの話題」という連載は以下。
・漫[[rb:畫 > が]]家
・祇園祭 大[[rb:學 > がく]]教授
・AI人形の恐怖 小説家
・追悼 翻[[rb:譯 > やく]]家
・社[[rb:會 > かい]] サントリー社長
・北斎先生 俳優
・漫[[rb:畫 > が]]家
・[[rb:學 > がく]]問 教授
・犬の病[[rb:氣 > き]] 小説家
・翻[[rb:譯 > やく]]家