第十一章 女王の遊戯 ―無邪気な獣の末路― 4

  カイルが必至の攻防を繰り広げる森の外れ。

  エレンは木陰に身を潜め、魔力感知の術式を展開していた。

  視界には淡い光の粒が漂っている。それは魔力の流れを可視化したものであった。

  「……来ましたわ。ナハト女王の魔力……!」

  潜影は完璧な隠蔽を誇る。だが、動き出す瞬間だけ魔力が揺らぐ。

  エレンはその一瞬を待っていた。

  「今度は本気でいくからね。ちゃんと逃げてね。じゃないと……お兄ちゃん、死んじゃうよ?」

  その声は、楽しげで、無邪気で、そして残酷だった。

  カイルがその場で転倒し、地面に手をつく。

  「くっ……!」

  「あはっ! ドジだなぁ」

  それを見たナハトの声がいっそう弾む。地面に手をついたカイルに、鋭い爪を立てたナハトの手が伸びる。

  「はい、つかまえ……」

  その瞬間、空気が震えた。

  ナハト女王の使用しいていた潜影の膜が一瞬、揺らぐ。

  「揺らぎ、確認……!」

  遠い場所のエレンの瞳が大きく見開かれる。

  「リンドお姉様、右後方三歩! 今ですわ!!」

  その声は、リンドから直接カイルの脳内に届いた。カイルは反射的に身をひねる。直後、

  「そこだぁぁぁっ!」

  リンドが木陰から飛びだしてきた。

  剣を抜き、エレンの指示した座標へ一直線に踏み込む。剣が空を裂く。

  金属を打つような音が響き、何かが弾かれた。

  「きゃっ……!」

  幼い悲鳴。その瞬間、ナハト女王の姿がカイルの目の前に現れる。

  小さな体。ふわふわの髪。大きな瞳。

  そして、その腕には銀の腕輪、宝具『潜影』が見えた。

  「今だ!」

  カイルは地面を蹴り、ナハト女王に飛びついた。

  「えっ?」

  ナハト女王が驚いたように目を見開く。

  その腕に、カイルの手が触れた。銀の腕輪にナハト自身がつけた傷からしみ出したカイルの血が落ちる。瞬間、腕輪が黒紫色に染まり始めた。

  「な、なにこれ……?」

  その様子を見ていたナハトの声が震える。自身の周囲の潜影の膜が崩れ、霧のように消えていく。

  エレンが叫ぶ。

  「成功ですわ、カイル様!」

  リンドも息を吐く。

  「やった、ご主人様!」

  ナハトは色が変わっていく腕輪を見つめながら唇をわなわなと震わせる。

  「やだ……やだ……これ、ボクの……ボクの大切なおもちゃなのに……」

  とても幼い声。だが、その奥には怒りと恐怖が混じっていた。

  「元に戻してよ! これ、戻してよ! ボクはただ遊んでただけなんだよ!」

  ナハト女王の叫びは幼子の叫びそのものだった。

  大切なおもちゃを取り上げられ、困惑し、泣き叫ぶ幼子。だがそんな幼子のナハトが行ってきた遊びが、どれほど多くの獣人を傷つけてきたかカイルは知っている。

  「……もう遊びは終わりだ、ナハト」

  そうカイルが言い放った直後、

  「ナハト女王……いや、クソガキ」

  ザルガが背後の木陰からその巨体を表した。その声にナハトが振り返る。

  「ザルガ……? どうしてここにいるの?」

  「お前の遊びはもう終わりだ。いや、お前自身も、もう終わりだぜ」

  「ど、どういうこと? 何を言って」

  「お前の宮殿はすでに俺の軍が制圧した。お前の配下の半獣人たちも全員拘束し、強制労働させられていた獣人たちも全員解放した。まもなく、宮殿に雪崩を打って押し寄せるだろう……これは革命だ。お前は王位を失った。もう、お前は女王ですらない。女王でなくなったお前に、国民たちがどんな風な仕打ちをするのか。今から楽しみだ。なぁ……ナハト」

  己の股間を大きく膨らませながらそう言い放ったザルガに、ナハトは身体をぶるぶると震えさせる。

  その股間からは黄色い液体が零れ落ち、地面に水たまりを作っていく。

  「やだ……やだよ……!」

  その様子を見ていたカイルの右目に、潜影の魔術によって隠されていたナハトの情報が明示される。

  [i:【対象:ナハト・ミネルヴァ】

  【紋章:野獣の誇り(モンストロ)/色彩 銀色】

  【深層心理詳細:強烈な自己承認欲求を確認。対象には幼少期に体験した親からの育児放棄(ネグレクト)を起因とする、他者からの注目を集めたい、自分を見てもらいたいという強い願望あり。また幼少期、大勢の前で親に折檻された経験から、その深層心理では、大勢の人間に視られながら自分を辱められたいという欲望が派生している】

  ]

  「……くくく。ようやく見えたぞ、ナハト。お前の内なる願望が……その願望をしっかり叶えてやる」

  狩る側から狩られる側へと転落し、恐怖で身体を震わせるナハトをカイルはじっと見つめながらそう呟いた。