第7章:貧民街の義賊、そしてスキンシップ過剰な獣人の加入
薄暗く、泥とゴミの匂いが混じる最貧民街(スラム)の入り口。
挑発に乗り、俺たちは意を決して迷路のような路地裏の奥へと足を踏み入れた。
「待ちなさいよこの泥棒猫ぉぉぉっ!!」
ギルドでの報酬未払いという屈辱に加え、全財産(とパンツ)を奪われたことで、ついにフィーナがキレた。
彼女は魔力で生み出した風に乗り、加速しながら怒涛の勢いで叫ぶ。
その十数メートル先。
屋根から屋根へと身軽に飛び移りながら逃げる、猫耳と尻尾を持つ小柄な獣人の少女の後ろ姿があった。
「にゃはははっ! どんくさいお兄さんたちには、絶対に捕まらないにゃー!」
少女は振り返りながら、あっかんべーと舌を出して挑発してくる。
身の軽さはスラムで鍛え抜かれた一級品だ。しかし、こちらも負けていない。
「このザコ剣士! あんたは前に回って退路を塞ぎなさいよ!」
「誰がザコ剣士ですか、この露出狂スケベエルフ! 指示されなくてもわかってます!」
互いに口汚く罵り合いながらも、セリアとフィーナの動きは完璧に連動していた。
「逃がさないわよ! 【小さき風の刃(ウィンド・カッター)】!」
フィーナが放った不可視の刃が、少女の走る先の瓦屋根をピンポイントで切り裂き、足場を崩す。
「にゃあっ!?」
バランスを崩して路地へと落下する獣人の少女。
そこへ、先回りしていたセリアが立ちはだかり、剣を突きつけ獣人の少女の動きを止める。
「今度こそ本当にチェックメイトです。」
「にゃうっ!?」
前後を完全に挟まれ、逃げ場を失った少女。
彼女は木材で組み上げられた粗末な小屋を背に、果敢にもこちらを猫のように「シャーッ!」と威嚇してくる。
だが、フィーナが全身からオーラを立ち昇らせ、本気の呪文詠唱を始めたのを見た少女は劣勢を悟り、態度が急にしおらしくなった。
「……ねえ、お兄さん。お金は、もう返せないにゃ」
「は? 盗んですぐだろうが。どこかに隠してるんだろ?」
「……これに使ったにゃ」
少女が指さした先。背後のボロボロの小屋の扉が内側から開き、そこから何人もの小さな子供たち——彼女と同じ特徴を持つ獣人の孤児たちや、人間の薄汚れた子供たちが、怯えたようにこちらを覗き込んでいた。
そしてその手には、焼きたての大きなパンや、干し肉が大事そうに抱えられている。
俺と、セリアと、フィーナは、思わず言葉を失った。
「私、一人でこの子たちを育ててるにゃ。だから……」
少女は、俺の前にひざまずき、頭を深々と下げようとした。
——だが、その時だった。
「待てや、よそ者。その娘に手ぇ出すんじゃねえ」
「クロエをいじめるな!」
「クロエは私たちの英雄よ! 私たちが全力で守るわ!」
ぞろぞろ、ぞろぞろと。
周囲のあばら家や路地裏の影から、スラムの住人たちが一斉に姿を現したのだ。
病身の老人、傷だらけの男、やせ細った女たち。彼らは手に手に壊れた農具や木の棒を持ち、俺たちを取り囲むようにして獣人の少女を庇った。
「にゃっ……みんな、だめにゃ! この人たちは冒険者にゃ! 勝てないから相手にしちゃだめにゃ!」
「うるせえ! 俺たちゃクロエの盗んできた金で何度も命を救われてるんだ! ここで引き下がっちゃあ、スラムの住人の名折れだ!」
俺の【バックエンド・アイ】が、彼らのステータス群を解析する。
……なるほど。完全な『義賊』というわけか。
クロエと呼ばれたこの獣人の少女は、ただのスリではない。スラムで生きる弱い者たちを束ね、養うために、身の危険を冒して裕福な者から金を掠め取っていたのだ。俺たち冒険者も、クロエから見たら裕福そうに見えるんだろうな。(実態は今日の宿代すらない底辺冒険者なんだが)
路地裏の風が、先ほどよりも少しだけ冷たく感じられた。
沈黙する俺。
そして。
「仕方な……」
「な、なんて気の毒な……っ! 決して許されることではないけれど、こんな幼い弟たちや、スラムの皆を養うために、罪を犯してまで……うぅっ」
「……泥棒は悪いことだけど、これじゃあ悪党を懲らしめるどころか、私たちが悪者みたいじゃない……」
なぜか、一番被害を受けた俺(ノーパン)を差し置いて、実害を受けていないセリアとフィーナが涙ぐみ、完全に同情し始めていたのだった。
(……おいセリア、お前さっきまで「汚らわしい泥棒猫」みたいな目で見下してたよね? 情緒どうなってんの?)
「そうよタイチ。エルフの誇りにかけて、あの可哀想な子供たちを見捨てるなんて許さないわ。あんた、男でしょ! なんとか知恵を絞って稼ぎなさいよ!」
「えっ、ちょっと待て。これ俺が悪者なの? 俺、ただパンツと非常用の金貨パクられただけの可哀想な被害者だよな? なあ? ちょっとこれ、理不尽じゃね?」
俺は完全にアウェーな状況(バグったヘイト管理)の前に、盛大にため息をついた。
もういい。どうせ、こういう時は何言っても無駄なのだ。エンジニア時代に、理判尽な仕様変更を押し付けられた時と同じ。上が決めた(ヒロインたちが同情した)要件定義は、下っ端(俺)が飲むしかない。
「……はぁ。わかった、わかったよ。金貨3枚はくれてやる」
「……え?」
クロエが、信じられないというように目を丸くして俺を見上げた。
周囲の住人たちも、拍子抜けしたように構えていた棒を下ろす。
「盗まれた俺が言うのもなんだが、その金貨は……まあ、俺からの『寄付』ってことにしてやる。だから、もうスリなんて危ない真似はすんなよ。次にやったら、本当に衛兵に突き出すからな」
そう言って俺は、しゃがみこんでクロエの頭をポンと撫でた。
その瞬間。
ピクンッ!!
クロエの猫耳が、レーダーのように激しく反応した。
そして、彼女の瞳孔が開き、顔をみるみるうちに真っ赤にして、フンスフンスと荒い鼻息を吐き始めたのだ。
「お、お兄さん……。今の、な、なんにゃ……?」
「ん? なにが?」
「頭撫でられた瞬間、お兄さんの手から、すんごく……すんごく美味しそうな、あったかーい魔力(マナ)の匂いが……うにゃあああああんっ!!」
「うおっ!?」
次の瞬間、クロエは俺の胸元に弾丸のような速度でダイブしてきた。
そのまま両手両足で俺の体にガッチリと抱き着き、顔をスリスリと激しく擦り付けてくる。
そればかりか、チロチロと長い舌を出して、俺の首元やら頬やらを、猫のようにペロペロと舐め始めたのだ。
「お兄さん、だーいすきっ! かっこいい! 優しい! 懐深い! そしてマナが最高に美味しいにゃぁぁっ!」
「ちょ、まっ、やめろ! くすぐったい! バインバイン当たってる! お前チビのくせになんでそこだけ妙に育って……っ!」
どうやら獣人の鋭い感覚には、隠しきれずに漏れ出ている俺の【マナ・テザリング】の波長が、強烈なマタタビのように作用するらしい。
先ほどまでの凄腕の盗人のキリッとした顔はどこへやら、完全にマナの中毒の性癖に目覚めたクロエは、息をするように俺の全身を舐め回し、匂いを嗅ぎまくっている。
「にゃはぁ……お兄さんの匂い、落ち着くにゃぁ……下の方からも……もっと濃くて、いい匂いがするにゃ……」
クロエが首から胸へ、そしてさらに下、おへそを通って——俺の股間(ノーパン状態のズボンの上)へと信じられない速度で移動し、ズボン越しに顔を押し付けてスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。
「っ!? ば、ばかやろぉぉっ!! パンツはいてないんだからダイレクトに……いや、やめろって!!」
俺が防衛ラインを突破される直前。
背後から、二つの恐るべき殺気が膨れ上がった。
「「ちょっと、その汚い泥棒猫」」
「……えっ?」
「にゃ?」
ドスッ!!!!
バキッ!!!!
セリアの鋼鉄のガントレットによる正拳突きと。
フィーナの魔力を込めたエルフ式裏拳が。
同時に、寸分違わずクロエの左右の頬にクリーンヒットした。
「にゃべらぁっ!?」
哀れクロエは、俺から引き剥がされるようにして吹っ飛び、路地裏のゴミの山へと頭から突っ込んでいった。
「タイチさんの『アレ』を舐めていいのは……じゃなくて! 破廉恥です! 不潔です! まさに泥棒猫ですねっ!」
「そうよ! あんたみたいな発情期真っ盛りの野良猫が、まだ純潔童貞のタイチに軽々しく触るんじゃないわよ!」
「お前ら、助けてくれたのはありがたいが、俺の尊厳を貶めるような発言が混ざってないか!?」
ゴミ山から『にゃあぁぁ……星が見えるにゃぁ……』と目を回すクロエ。
こうして。
金はなくなり、パンツはなくなり、代わりに一番スキンシップの激しい厄介な獣人に懐かれてしまった。
その日の夕方。
全財産を失った俺たち三人は、見知らぬ街の広場で『大道芸人の真似事』をして、なんとかその日の日銭を稼ぐ羽目になっていた。
「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! こちらのエルフのお姉さんが、大爆発——じゃなかった、見事な魔法の光のショーをお見せしますよ!」
「な、なんで私がこんな見世物に……っ! ええい、ヤケよ! 【高貴なる極光(オーロラ・イリュージョン)】!」
フィーナが無駄に高度で派手な光魔法を打ち上げ、セリアが呪いのビキニアーマー姿で剣舞(物理)を披露し、俺が客引きと集金をする。
なんとも惨めな(しかしある意味で異世界ライフらしい)労働の末、俺たちはなんとか硬貨を数枚かき集めることに成功した。
だが、そのはした金で泊まれたのは、窓もなく、隙間風が吹き込み、ベッドにはシラミやノミが跳ね回る、スラム街に近いこの街一番の安宿だった。
「ひぐっ……お肌が、お肌がチクチクしますぅ……」
「信じられない……エルフの私がこんな不潔な部屋で寝るなんて……。タイチ、早く魔力を寄越して消毒しなさいよ……」
結局、一晩中痒みと寒さに耐えながら、俺は両側から抱き着いてくる二人(暖と魔力目的)の対応に追われ、一睡もできなかった。
そして翌朝。
「……ふぁぁ〜あ。痒い。最悪の夜だったな」
俺たちは、あちこちポリポリと体を掻きながら、どんよりとした顔で安宿の扉を開けた。
これからまたギルドに行って、日銭を稼ぐための安い依頼でも探さなければならない。
——だが。
宿の目の前には、朝日を背にして立つ、小柄なシルエットがあった。
「にゃはっ! おはよう、お兄さんたち!」
そこには、使い込まれたダガーを腰に差し、動きやすそうなシーフの衣装に身を包んだ、完全な『旅装束』のクロエが立っていた。
背中には、自分よりも大きなリュックサックを背負っている。
「……お前、クロエ? なんでここに」
「そんなの決まってるにゃ!」
クロエはポンと跳躍し、俺の目の前に着地するや否や、またしても俺の腹のあたりにボフッと抱き着いてきた。
そして、鼻をクンクンと鳴らし、至福の表情を浮かべる。
「すぅ〜〜っ……はぁぁ……やっぱり、お兄さんの股間のマナの匂い、最高に落ち着くにゃん。すっかりお気に入りになっちゃったにゃ」
「朝からなんてこと言ってんだお前は! ていうかそこ嗅ぐな!」
俺の抗議を笑顔でスルーし、クロエはセリアとフィーナに向かってピースサインを作った。
「アジトの子供たちは、スラムのみんなが協力して面倒見てくれることになったにゃ。だから私、恩返し……と、美味しいマナのために、お兄さんたちの『冒険』についていくことにしたにゃ!」
「「はぁぁぁぁっ!?」」
セリアとフィーナの、今日一番の大きな驚きと嫉妬まじりの叫びが、朝の街に響き渡った。
過労死から始まった異世界生活。
絶対に働かない、と心に固く誓ったはずだったが。
どうやら俺についてくる「厄介な美少女(デバッグ対象)」の数は、また一つ増えてしまったようだった。