十二話

  翌日、朱焔城の大広間。

  吹き抜けの天井から降り注ぐ朝陽が、磨き上げられた床に複雑な影を落としている。今後の見通しを立てるために招集されたのは、ウォルカたちだけではなかった。

  「昨日の戦いでもう知っているとは思うけれど、こちらはジャックくん。マーテル島の竜神、青竜ネピス様の神使だ。そしてこちらは、かいぞ……船乗りの、アルティリオくん」

  サクラの紹介に、側近のサコンが「こほん」とわざとらしい咳払いを挟む。彼らが海賊であることは最早揺るぎない事実だが、それを今さら指摘するような野暮な者はここには居なかった。

  気を取り直したように、サクラが卓上の地図を指し示す。

  「まずは、現状を整理しよう。

  現在、アリオスくんの祖国リュゴニアは、教会によって乗っ取られた状態にある。その影響で聖なる竜脈は枯渇寸前。そして言わずもがな、教会の本部があるマーテル島の竜脈も危機に晒されている訳だ。これらを助けるには、教会と正面から事を構える他ない」

  サクラの言葉に、アルティリオがぴくりと眉を上げ口を開いた。

  「教会を敵に回すってことは、『開花の秘術』を捨てるってことだろ? そうなれば、民は子孫を残せなくなる。……国を救って、種族が滅んじゃあ元も子もねぇんじゃねぇか?」

  大陸の男なら誰もが行き着く、生存本能に根ざした切実な懸念。

  だが、サクラは空色の瞳を鋭く光らせて断じた。

  「いいや。そもそも教会が『開花の秘術』を独占するという仕組みそのものが、歪なんだよ。

  本来、世界は男と女が手を取り合い、繁栄していくようにできている。現にホムラサキはそれで上手くいっているだろう?」

  サクラの声が、凛として広間に響く。

  「それを教会は『穢れ』という偽りの教えで男女を分断し、女を囲い、洗脳することで、自分たちが繁栄の根幹を握る独占体制を築き上げたんだ。

  教会を廃し、囚われた女たちを解放する。それこそが、大陸が本来の生命力を取り戻す唯一の道。

  ……だが、それには僕たちやヴェルガルドの力だけでは足りない。大陸全体の理解と、協力が不可欠だ」

  広間が、冷や水を浴びせられたような沈黙に包まれる。その静寂を破ったのは、鼻を鳴らしたジャックだった。

  「別に今すぐネピスが死ぬ気配はねえし、俺たちには関係なくねえか? リュゴニアが教会とどうなろうが、他所の国では開花の秘術は受けれるだろ」

  その軽薄な言い様にいきり立ったのは、ティーガの肩に留まっていたリューゴだ。

  「なにをー!? それが竜神の神使たる者の言葉か!! 大体あやつは何をしておる! 己の竜脈の危機だと言うのにこの場に顔も見せず――」

  「あいつは昨日、久しぶりに竜の姿であちこち飛び回ったとかでへばってるよ」

  面倒臭そうに応じるジャックと、リューゴの口を慌てて塞ぐティーガ。

  騒がしくなりかけた場を鎮めたのは、ウォルカの静かな声だった。

  「竜脈は世界中で繋がっていると聞く。リュゴニアだけでなく、マーテル島まで枯渇寸前となると、どの国にもそれなりの影響があるのではないか?」

  「ウォルカくんの言うとおりだ。ホムラサキのように完結できているならともかく、大陸は一蓮托生だろうね」

  サクラが同意すると、ウォルカは流れるような動作でジャックへ視線を向けた。その瞳は澄んでいながらも、相手の思惑を探るようだった。

  「そこで、だ。――アルティリオくん。アリオスくんたちが次なる助力を求めるべき国に、心当たりはないか?」

  サクラに唐突に尋ねられたアルティリオは、僅かに驚いたように隻眼を見開いた。そして、彼は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てる。

  「……こいつらが協力が得られるかはともかく。俺たちは、この後カルテスに向かうつもりだが……」

  「おい、アル……!」

  「カルテス……共和国か!」

  声を上げたのはアリオスだ。

  リュゴニアの南東、険しい山々と蛮族に阻まれ国交こそ途絶えているが、『自由』を尊ぶ国。

  ジャックが「俺達には大事な商談があるっつーのに……」と難色を示すと、ウォルカが徐に、ティーガの肩からリューゴをひっ掴んだ。

  「……お前達に、利があれば良いのだろう」

  そして、感情の読めない無表情のまま、無造作にリューゴを上下に激しく振り始めた。

  「リューゴ、出せ」

  「あばばばば、やめんか!竜使いが荒いぞ!?」

  リューゴの羽の隙間から、ジャラジャラと重厚な音を立てて金貨が溢れ出す。その眩い輝きに、ジャックの目の色が変わった。

  「……話はまとまりそうだね」

  サクラがくすりと笑えば、アリオスは勇ましく頷いた。

  「カルテスへ向かい、必ずや助力を取り付けて参ります!」

  「万事が上手くやれなくても良い。けれども、対話はしてきておくれ」

  サクラの締めの言葉に、広間の緊張がふっと解ける。

  ジャックは溢れた金貨を素早く掻き集めると、船の準備のために機嫌良く退出していく。

  サクラたちが昨夜の残党処理や保護した女たちの扱いに協議を移す中、ティーガは腕を組み、壁に背を預けてウォルカの背中をじっと見つめていた。

  (……あいつ、あんなにやる気だったか?)

  ティーガが感じたのは、ほんの小さな「ズレ」だ。

  顔も、声も、自分に向ける視線も、いつものウォルカだ。けれど、その内側に、今までなかった前向きさのようなものがある。

  「……ウォルカ」

  ティーガの呼びかけに、ウォルカがゆっくりと振り返る。

  「どうした、ティーガ」

  微笑んで返してくるが、やはりその瞳の奥には、どこか一点を凝視し続けているような揺るぎなさがあった。ティーガにはそれが何なのかまでは分からない。ただ、なんとなく。「元気になって良かった」と素直に喜ぶには、少しだけ、何かが引っかかるのだ。

  「いや……。お前、今日は一段とやる気だなと思ってよ」

  「そうか? ……大きな目的ができたからな。アリオスの教育係として、俺にできることをやらなければと思っただけだ」

  ウォルカはそう言って、極めて自然な動作でティーガの肩に手を置いた。

  その掌は温かく、吸い付くように馴染む。指先が微かに、ティーガの厚い毛並みを愛しむように、その存在を確かめるように動いた。

  (……ま、やる気があるのは良いことだよな。こっちも、気を引き締めねえと)

  ティーガは自分の中の小さな違和感を無理やり納得させ、おおらかに笑ってウォルカの背を叩き返した。

  その腰元では、あの金色の宝石飾りが朝陽を弾いて鈍く光っていた。

  ―――

  数刻後。ホムラサキの港には、黒塗りの海賊船ブラッディジャガー号が赤い旗をはためかせていた。

  船上では喧騒が飛び交い、荒くれ者たちが手際よく物資を積み込んでいる。

  「お忘れ物はありませんか、殿下。ホムラサキの工芸品には面白いものが沢山ありましたぞ」

  「確か、あの『夢幻筒』というのは……買っても良かったかな……」

  アリオスとシグルドは相変わらずの緊張感の無だ。

  その傍らで、ウォルカは無言で水平線を見つめていた。大陸側から吹き付ける湿った風が、彼の髪を乱す。『自由』の国カルテス。教会を倒すための、新たな一歩がそこにある。

  そこへ、ゆったりとした足音が石畳を叩いて近づいてきた。

  「やあ、皆さん。出港準備は順調かな?」

  現れたのは、この島を統べるサクラ。そして、その隣には愛らしい巫女装束を旅用に仕立て直したその愛娘――ヒナタが、緊張に身を固めつつも真っ直ぐに立っていた。

  「サクラ様!お見送りありがとうございます!」

  アリオスがにこやかに声をかけると、サクラは愛娘の肩に優しく手を置き、悪戯っぽく瞳を細めた。

  「それもあるけれど、一つ提案があってね。……このヒナタを、ぜひ君たちの旅に同行させてくれ」

  「えっ、ヒナタさんを!? ……でも、彼女は大事なお姫様なのに……!」

  驚きの声を上げるアリオス。後ろに控えるサコンも未だ納得できていなさそうに顔をしかめている。

  「彼女たっての希望なんだ。僕達は、しばらくはあの教会の者達で手一杯で動けそうにない。君たちの昨夜の恩義に報いるためにも、ヒナタが是非付いていきたいと」

  ヒナタの『神力』は必ず君たちの助けになるはずだ。どうかな?」

  サクラの言葉に、ヒナタが静かに一歩前へ出た。その小さな掌には清らかな光の粒子、そして分厚い手帳が強く握られていた。

  「アリオス様。わたくしはまだ未熟ではありますが――必ずや、皆様のお力になってみせます。どうか、同行をお許しくださいませ」

  その瞳には島を背負う者としての強い意志が宿っていた。

  ウォルカはヒナタが手に纏う柔らかな光を一瞥し、アリオスへと頷く。

  「……魔法に対抗できる者が加わるのは、我々としてもありがたい。アリオス、要請を受けましょう」

  「っ、分かりました!ヒナタさんは、僕が必ず無事にホムラサキへお返しします!」

  「……ありがとう、くれぐれも頼むよ」

  ヒナタが海賊船へ上がるのを見届けて、サクラが微笑む。

  「ヴェルガルドにはサコンを遣わせて君達の状況を説明しておく。安心して行っておいで」

  「わ、私がですか!?」

  突然の任命にサコンは尻尾をこれでもかと膨らませた。

  「野郎ども、錨を上げろ!バカンスは終わりだ!西へ向かうぞ!」

  アルティリオの号令が港に響き渡り、巨大な帆が風を孕んで膨らむ。

  船がゆっくりと岸を離れていく。

  目指すは、野望と自由が渦巻く混沌の地、カルテス共和国。

  世界の運命を乗せた黒船は、太陽が照らす水平線の向こう側へと突き進んでいくのだった。