視界が赤い。サウナじみた熱気が狭い部屋を支配している。空調は設定温度を無視してうなりを上げているが、室温は下がる気配を見せない。原因は明白だ。ベッドの上で苦悶の唸り声を上げている、分厚い筋肉の塊――熊獣人の少年が発する、異常な放射熱のせいだ。
そんな熱波のただ中、熱源である少年とは別に、場違いなほど涼やかな空気を纏う狼獣人の少年がひとり立っていた。
名を[[rb:大神怜 > おおかみ れい]]。月光を思わせる銀の毛並みは一分の乱れもなく、鋭く澄んだ瞳は周囲を静かに射抜いている。
彼はヒーロー候補生――数多の才能が競い合うヒーローの養成課程において、常に首位を譲らぬ存在だ。模擬戦、座学、実地訓練のいずれにおいても突出した能力を備え、教官たちは彼を高く評価し、同級生たちは憧憬と畏怖をない交ぜにした視線を向ける。
本来ならば氷雪のような冷静さを誇る狼獣人の少年。その資質は状況判断の速さ、感情を制御する精神力、ヒーローとして最適解を選び続ける理性へと昇華されていた。
次代を担う英雄候補の中でも、誰もが認める優等生。否、それ以上に模範として扱われる、それが怜という少年である。
だが、今の彼に普段の余裕など欠片も残っていない。視線は一点に釘付けになっている。ベッドの上の男の股間。そこに、サイズの合っていないボクサーパンツを突き破らんばかりに膨れ上がったモノが鎮座しているからだ。
同い年のどの男子よりも濃い茂みを割り、天を衝くようにそそり立つモノ。保健体育の授業で習った単なる“生殖器”と呼ぶには、あまりに凶悪すぎた。表面には、興奮によって浮き上がった血管が、太いミミズのように幾重にものたうち回り、ポンプのごとく血液を送り続けている。限界まで張り詰めた亀頭の先端からは、透明な蜜――カウパー腺液がとめどなく溢れ出し、パンツの生地にじわりと濃い染みを描いていた。
鼻を突くのは濃厚な雄のニオイ。本来なら顔をしかめるべき男臭さだというのに、怜の脳はなぜかそれを不快と認識しない。それどころか、ミントのような清潔な香りを纏う自身の体とは対極にある、圧倒的な雄の匂いに包まれ、どこか心地よささえ感じてしまっている。
パタン、と音がした。振り返るまでもない。自分の尻尾だ。銀色の毛並みに覆われた尻尾が主人の理性を裏切り、期待に震えて床を叩いているのだ。
(……必要な、処置をするだけだ)
怜は脳内で、誰に対するものでもない言い訳を早口で並べ立てた。このままでは、内側に溜まった異常なエネルギーが彼の体を焼き尽くしてしまう。だから、最も熱が集まっているこの場所を解放してやるしかないのだ。そうだ、これは医療行為。
思考は必死に理屈を捏ね上げている。だが――体は正直すぎた。じゅわり。舌の裏から、粘度の高い唾液がとめどなく湧き出してくる。飲み込んでも、飲み込んでも追いつかない。目の前の熱源に触れてみたいと本能が叫び、喉がカラカラに乾いていくのと同時に、口の中だけが溺れるように潤っていく。
怜は震える右手の指先を、熱を発する股間へと伸ばした。同時に、体を支えるために左手を少年の太ももへと置く。
――すごい。
掌に伝わるのは、岩盤のような大腿四頭筋の感触。分厚い脂肪と筋肉の鎧は、怜の細い指が沈み込むことを拒絶するほどの弾力を誇っている。自分だって鍛えているのに、この逞しさには到底敵わない。
ビクリ、と肉厚な太ももが跳ねた。怜の冷たい手が触れたことに、少年の筋肉が無意識に反応して波打ったのだ。その反応に呼応するように、怜は意を決して右手をモノへと這わせる。触れた瞬間、指の腹を焼くような高熱が走った。熱い。そして、脈動のひとつひとつが重い。掌の中に収めてもドクン、ドクンと暴れるそれは、少年らしいわんぱくさと、それでも確かにオスなのだという生命力に満ちていた。
怜は思わず口元を緩めてしまった。端から銀色の糸が一本、つう、と垂れる。この巨大な熱を、指で、唇で、喉の奥で感じたい――そんな背徳的な衝動が、冷静な仮面の下で完全に鎌首をもたげた。
「……ッ……頼む、なんとかしてくれ……」
熊獣人の少年がうわ言のように紡いだ情けない声が、怜をさらに前のめりにさせる。やれやれ、と観念した風を装って息を吐くと、ゆっくり唇を開く。いつも気丈に振る舞っている目の前の男子が、今は無防備に体を脱力させている。倒錯した状況に、怜はあろうことか、背筋がゾクゾクするような興奮と、嗜虐的な征服感を覚えていた。
高揚感のあまり、ゴクリと喉が鳴る。怜は熱に惹かれるように、ゆっくりと体を寄せた。むせ返るような雄の臭いが、意識を過去へと引きずり込んでいく。
――ことの始まりは、その日の朝に遡る。
午前八時。学院の地下に設けられた第三準備室は、すでに熱気と喧騒で飽和していた。数百平米はある広い室内には、数十名のヒーロー候補生たちがひしめき合っている。まだあどけなさの残る顔立ちや、変声期特有の不安定な話し声。体つきも未完成で、ひょろりと細長い者や、逆に幼児体型が抜けきらない者が混在している。
彼らは幅広い年齢層が所属するヒーロー養成学校において、予備課程・第一段階に属する、いわばヒーローの卵――まだ殻を被ったばかりの雛たちだ。
「おい、昨日の課題やったか?」
「また座学かよ、早くシミュレーター訓練させろっての」
彼らは一様に、量産型の訓練用スーツに袖を通しながら、他愛のない雑談に花を咲かせている。今日一日が、教室と安全な訓練場だけで終わることを疑いもしない、平和な日常風景。
だが、部屋の最奥。一般生徒用とは明らかに区画の異なる特待生専用エリアだけは、まるで別世界の緊張感に支配されていた。
怜は個人用ロッカーの鏡に映る自分を、検品作業のような無機質な眼差しで見つめ返していた。纏っているのは、アイスブルーを基調とした特注のヒーロースーツだ。市販品のボディスーツとは次元の違う特殊生体繊維で編まれたそれは、怜のしなやかな筋肉に合わせて自動的に収縮し、第二の皮膚のように銀色の体毛の上からフィットしている。
手首には多機能戦術デバイス搭載のアームガード。腰には衝撃吸収用の特殊ベルト。指先でグローブの締め具合を微調整し、軽く拳を握る。特殊繊維の擦れる微かな音が耳に心地よい。ぴったりと毛皮に吸い付くシワひとつないスーツ姿は、氷像のように美しく孤高だった。
周囲の候補生たちが、遠巻きにチラチラと視線を向ける。その目には憧れと、嫉妬と、住む世界が違う者への畏怖が入り混じっていた。無理もない話だ。同年代が教室で教科書を開いている間に、プロのヒーローと共に災害現場へ飛び込み、命を賭けることが許された『実地適性選抜』。変声期真っ只中の幼い少年ながら、怜はその特権階級に属する数少ない一人なのだ。
同年代の少年たちの喧騒には目もくれず、怜はデバイスのモニターを起動させ、本日のミッション概要を表示させる。まだ詳細は伏せられているが、現場への同行命令が出ている以上、遊びではない。そう意識すると短く息を吐き、鏡の中の涼し気な顔に向けて頷いた。今日も完璧だ。どこに出しても恥ずかしくない、模範的なヒーロー候補生の姿がそこにある。
「……んぐっ、くそっ、きっつ……! なんだこのスーツ、また縮んだんじゃねえか!?」
そんな静謐な空気を、間近で響く野太い唸り声が打ち砕く。怜は眉根を寄せ、辟易としたため息をこれ見よがしにこぼしてから、背後の騒音源へとゆっくり振り返った。そこでは熊獣人の少年が、最新鋭の科学技術との格闘戦を繰り広げていた。
[[rb:熊谷豪 > くまがい ごう]]。怜と並び、選抜入りを果たしている数少ないうちの一人だ。同級生である怜とはライバル関係にあたる。しかし、特注のはずのヒーロースーツの着こなしは対極にあった。
豪は深紅のスーツに身を包んでいるのだが、どう見ても生地の面積が足りていない。彼が体を捻るたびに、特殊繊維がミチミチミチッ、と断末魔のような悲鳴を上げる。本来なら豪の身体に合わせて仕立てられているはずのスーツは、限界まで引き伸ばされ、白く変色しかけている箇所さえあった。
規格外。その一言に尽きる。成長期特有のアンバランスさと言うには、あまりに暴力的な肉体質量だった。
「……朝から騒ぐな。また作り直すハメになるぞ」
「おっ、怜! いや見てくれよこれ、絶対におかしいだろ! 先週採寸し直したばっかだぞ? なんで腕通すだけでキツくなるんだよ!」
豪が不服そうに鼻を鳴らし、バシバシと自分の大胸筋を叩く。衝撃音すら重い。年齢不相応に分厚い脂肪と筋肉の鎧は、叩かれるたびにドスン、ドスンと低い音を返し、スーツ越しに熱気を巻き散らす。ただそこに居るだけで、周囲の気温を一度か二度は上げているであろう、圧倒的な熱量。怜は「やれやれ」と肩をすくめ、視線を逸らそうとした。だが、豪はそんな怜の態度を気にする様子もなく、焦ったように背中を向けた。
「なあ怜、ちょっと手ぇ貸してくれ。背中のファスナーが噛んじまって上がらねぇんだよ。このままだと出動できねぇ」
「……お前な。自分の管理くらい自分でできないのか」
文句を言いつつも、怜は拒絶しなかった。いや、できなかったと言うべきか。半ば呆れながら歩み寄り、豪の背後に立つ。
近い。距離が詰まった瞬間、豪の肉厚な体から発せられる熱気が、物理的な圧となって怜の被毛を打った。目の前に広がるのは、逆三角形を描く広大な背中だ。スーツの隙間から覗く褐色の毛皮は、早朝にもかかわらず汗で微かに蒸れ、照明を弾いて光っている。
怜はわざとらしく溜息をつき、ファスナーの金具に指をかけた。
「じっとしてろ。……おい、筋肉に力を入れるな。弾け飛ぶぞ」
「わーってるよ。でも勝手に硬くなっちまうんだよ!」
嘘ではないらしい。指先から伝わる感触は尋常ではない。まるでタイヤのゴムか、あるいは岩盤だ。怜は慎重に、しかし力を込めてファスナーを引き上げた。ジジジ、と鈍い音を立ててスライダーが登っていく。
作業の間、怜の顔は豪の背中に限りなく近づくことになる。むわっとした匂い。狭い距離感において、豪の体臭は濃密すぎた。熊獣人特有の土や樹皮を思わせる重たい体臭。同い年でも自分とは全く違うニオイ。
本来、潔癖なきらいがある怜にとって、他者の濃厚な匂いはストレス源でしかないはずだ。特に、朝の密閉された空間で嗅がされる男の匂いなど、顔をしかめて然るべきものだ。
――それなのに。
ファスナーを引き上げる手が無意識に遅くなる。怜の肩から、ふっと力が抜けた。息を止めるべき場面で肺は深く、貪欲にその空気を吸い込んでいた。脳の芯にまで熱気が伝わってくるような感覚。張り詰めていた神経が、不思議と解きほぐされていく心地よさ。まるで極寒の雪原で焚き火に当たっているような、抗いがたい安心感。
暑苦しい、不潔。頭ではそう考えているのに、怜は知らず知らずのうちに、豪の背中に自分の額を預けそうになり――ハッとして体を離した。
「……終わったぞ」
「おー、サンキュ! さっすが怜、器用だな!」
豪が勢いよく振り返る。咄嗟に目を逸らした怜の視線は自然と、下半身へと滑り落ちた。見てはいけない。そう思う理性に反して、目はそのシルエットを鮮明に焼き付けてしまう。
「特にここ! ここがキツすぎて足が開かねぇんだよ……!」
豪はまだ不満があるのか、苛立たしげに太ももの付け根あたりを乱暴に引っ張った。グッ、と生地が引き絞られる。限界まで張り詰めた股関節。そこには、隠しようのない重量感が閉じ込められていた。
今は戦闘態勢でもなければ、興奮しているわけでもない。だというのに、その膨らみは実際の重みすら想起させる重厚なラインを描いている。太ももの付け根にどっしりと収まるモノは、あまりにも堂々と存在感を放っていた。
(……こんなの付いてて、まともに走れるのか?)
ただ純粋に、物理的な疑問が浮かぶ。だが、それだけでは説明がつかない感覚が怜の喉を干上がらせた。窮屈そうに押し込められた体の一部。密着性の高いスーツ一枚隔てた先にある、熱を持った生身の質量。中身を想像しかけて、怜は慌てて思考を打ち切った。
ゴクリ、と唾を飲み込む。なぜか胸の奥がざわつく。不快感ではない。かといって、直視すべきものでもない。名状しがたい居心地の悪さと、下腹部に灯る微かな熱っぽさが、怜の体内を駆け巡る。
「おい怜! 聞いてんのかよ!」
不意に、目の前に大きな掌が振られた。思考の海に沈んでいた怜は、弾かれたように顔を上げた。豪が、あどけなさの残る丸い耳をピコピコと動かしながら、不思議そうに怜の顔を覗き込んでいる。屈託のない笑顔。自分に向けられる好意や対抗心に、微塵の邪気も含まれていない陽のオーラ。それがまた、怜には眩しく、同時に少しだけ恨めしい。
「……近い。暑苦しいんだよ、お前は」
怜は内心の矛盾を振り払うように、努めて冷淡な声を作り、豪の胸板を手で押し返した。手のひらに伝わる、岩盤のような硬さと、燃えるような体温。それだけで指先が火傷しそうだった。
「へっ、つれねーな。ま、見てろって! 今日の実習、絶対に俺の方が活躍してやるからな!」
「……はいはい。気合を入れすぎて、スーツを全壊させないように祈ってるよ」
「うっせ! 俺は成長期なんだよ! お前は細すぎ!」
豪はガシガシと頭をかき、ロッカーの扉を乱暴に閉めた。バンッ、という威勢のいい音が準備室に響き渡る。
「行くぞ怜! 教官待たせたら大目玉だ!」
「分かってる。先に行くな」
駆け出していく赤い背中。小刻みに揺れる丸い尻尾。歩くたびに太ももの筋肉に揉まれる股間の膨らみ。怜は一瞬だけ目で追ってしまい――そして、小さく首を振って歩き出した。
正午過ぎ。ビルの谷間を縫って射し込む陽光が、アスファルトをじりじりと焼いている。多くの会社員や買い物客が行き交うオフィス街の大通り。平和そのものの光景だが、その中にあからさまに浮いている一団があった。
先頭を行くのは、漆黒の毛並みと橙の斑模様を持つドーベルマンの獣人だ。研ぎ澄まされたナイフのような立ち姿。左胸には歴戦のプロヒーローである証、ゴールドランクのバッジが鈍い光を放っている。彼こそが特別実習担当の教官。当然、背後には二人の少年――大神怜と熊谷豪が付き従っていた。
「いいか、漫然と歩くな。群衆をただの壁と思うなよ」
教官の低い声が、雑踏のノイズを抜けて二人の耳に届く。彼は歩調を緩めることなく、すれ違う人々を水流のように滑らかに回避していく。
「視線は常に水平、かつ遠方だ。足元の空き缶に気を取られるな。不審な動き、あるいは不自然な静止をしている対象を、常にスキャンし続けろ」
「はいっ! 了解です!」
豪が訓練場と変わらぬ大声で応じる。その実直さは美点だが、今は少しばかり声がデカすぎる。数人の通行人が驚いた顔で振り返り、教官よりもずっと背丈の低いヒーロー候補生に目を丸くしていた。怜は小さくため息をつきつつ、意識を教官の背中へと向ける。
これは選ばれた者だけに許された実地研修だ。一言一句たりとも聞き逃すわけにはいかない。教官の足運び、視線の配り方、すべてを吸収し、自分の糧にする必要がある。思考はクリアだ。雑音を排し、任務遂行のために最適化されている――そのはずだったのに。どうしても隣の大きな気配が怜の集中力を削いでいく。怜は前を向いたまま、意識をほんの少しだけ隣へと割いてしまう。
豪はいつだってそうだった。周囲が怜を天才と崇め、遠巻きにする中で、この少年だけは土足でテリトリーに踏み込んでくる。次は負けねえ、俺を見ろと、暑苦しいほどのライバル心を隠そうともせず、物理的にも精神的にもゼロ距離で絡んでくる唯一の存在。本来なら、静寂を愛する怜にとって最大のノイズでしかないはずだ。これまでは「はいはい」と適当にあしらっていれば済む話だった。けれど、最近はどうだ。いつものように鬱陶しく絡んでくる距離感が、やけに怜の神経を逆撫でする――いや、胸をざわつかせるようになった。悪い意味ではない。
原因は分かっている。豪の成長だ。ここ数ヶ月で、豪の体は少年の枠組みを急速に突き破り始めている。声は低くなり、筋肉の密度は増し、スーツのサイズが追いつかないほど骨格が軋みを上げている。ただの騒がしい同期、いくら優秀とはいえ自分と同じ少年だったはずの存在が、無視できない男としての輪郭を帯びてきているのだ。
ちらり、と視線をやる。教官の言葉を聞き漏らすまいと、真剣な眼差しで周囲を巡回させている豪。太い首筋を、汗の雫が一筋、つうっと滑り落ちていくのが見えた。スーツの上からでも分かる、パンパンに張った筋肉の隆起。かつては呆れの対象でしかなかった過剰な熱量が、今はなぜか、怜の視線を吸い寄せて離さない。
(……脈拍、やや早めか。緊張しているんだな)
怜は冷静に分析したつもりだった。だが、視線は必要以上に長く豪の首筋に留まっていた。
ふわりと風が吹く。鼻先を掠めたのは、隣から漂う汗の匂いだ。本来なら不快なはずの蒸れた体臭。だが、怜にはそれが嫌ではない。むしろ、この騒がしい男が隣にいるという事実が、張り詰めた緊張感を和らげてくれる。無意識のうちに、怜は鼻をひくつかせ、匂いを確かめるように微かに息を吸い込んだ。
「……匂うな」
不意に、前を行く教官が足を止める。ボソリと呟かれた言葉に、怜の心臓が大きく跳ねた。
(――ッ!?)
バレた。一瞬で全身の毛が逆立つ感覚。訓練とはいえ任務中だというのに、汗の匂いを嗅いでいたことを見咎められたのか。なんて破廉恥な。しかも教官は犬種だ、鼻が利くに決まっている。
怜は顔から火が出る思いで、言い訳の言葉を喉まで出しかけた。
す、すみません、決して変な意味ではなく――!
「……妙に、甘ったるいような……」
え?
怜は瞬きをし、口をパクつかせた。教官の鋭い視線は、怜ではなく前方、通りの向こう側、雑踏の奥へと向けられている。勘違いだった。教官が察知したのは、豪の汗臭さでも怜の醜態でもなく、風に乗って運ばれてきた異臭の方だったのだ。
(……僕としたことが。気を引き締めなければ)
怜は誰にも悟られないよう、小さく安堵の息を吐き出し、瞬時に意識を切り替える。教官の言う通り、風が変わったのだ。飲食店や排気ガスの匂いに混じって、とろりと甘い、それでいて鼻の奥を刺すような化学的な刺激臭が漂ってきている。
「……なんだこれ」
「ああ……この先で何かが起きている」
豪も鼻をひくつかせ、表情を硬くする。先ほどまでの頼りなげな訓練生の顔つきは、もうどこにもなかった。教官の視線の先。雑踏の流れが不自然に淀んでいる場所がある。
鼻をつく甘ったるい化学臭は、現場に近づくにつれて、胃の腑を直接揺さぶるような悪臭へと変貌する。駅前のショッピングモールに併設された中央広場は、パニックの坩堝と化していた。
「キャアアアッ!」
「逃げろ、早く!」
自動ドアから雪崩を打って逃げ出してくる買い物客たち。悲鳴と怒号、そして非常警報のサイレンが不協和音となって響き渡る。平和な休日の風景が一瞬にして崩壊した光景。だが、怜の思考は冷徹なほどに冴え渡っていた。恐怖を感じるよりも先に、訓練された理性が状況を解析し始めているからだ。
「……教官。内部に熱源反応多数。建物の一階ロビー付近に集中しています」
「ああ、確認した。どうやらヴィランの残党が立てこもっているらしい」
教官が手元の戦術端末を操作し、鋭い牙を覗かせて唸る。ドーベルマンの獣人である彼の全身から、プロヒーローとしての圧倒的な威圧感が放たれた。毛並みの一本一本が殺気立っている。
「私は正面から突入し、内部で交戦中のヒーローと合流する。お前たちはこの広場で避難誘導を行え。逃げ遅れた客の安全確保と、万が一漏れ出してきたヴィランの迎撃が任務だ」
「了解!」
「いいか、あくまで候補生としての権限内だ。決して深追いはするな!」
短く吠えるような命令を残し、教官は黒い疾風となって建物の中へと飛び込んでいった。残されたのは、まだプロライセンスを持たない二人の少年のみ。広場に取り残された数名の市民が、不安げな視線を彼らに向けている。目立つヒーロースーツを着ているとはいえ、中身はまだ未成年の子供だ。そんな侮りを含んだ視線が毛皮を刺す。だが怯んでいる暇はない。怜は瞬時にデバイスのマップを展開し、最適解を弾き出した。
「豪、お前は正面入口の右手側を。瓦礫の撤去と、負傷者の搬送を頼む」
「おう、任せろ! 一人も怪我させねぇ!」
豪が力強く地面を蹴る。迷いのない背中を見て、怜の腹の底にも覚悟が据わった。二人は左右に散開し、混乱する群衆の中へと飛び込んだ。
「走らないでください! 建物から離れ、大通りへ!」
怜の声は、拡声器を使わずともよく通った。パニックに陥りかけた人々に、冷水を浴びせるような冷静な指示。しかし、恐怖に駆られた群衆は出口の一点に殺到し、今にも将棋倒しになりかけている。言葉だけでは止まらない。怜は即断した。候補生筆頭たらしめる特殊能力の行使を。
右手が薙ぐように振るわれる。瞬間、地面を走る白い霜が数本のラインを描き出すと、アスファルトから氷柱が規則正しく隆起し、群衆の間に物理的な仕切りを形成する。氷の柵によって強制的に動線を分断された人々は、互いに押し合うことができなくなり、自然と列を成して出口へと流れ始めた。微細な氷の造形による、交通整理。流れを取り戻した群衆を見送り、怜は次なる要救助者を探す。一方で、豪のサイドからは頼もしい声が響く。
「大丈夫だ、落ち着いて! じいちゃん、俺が肩貸すから!」
豪は逃げ遅れた高齢者を軽々と背負い、さらには転倒して泣いている子供を抱え上げながら、笑顔で避難ルートを確保していた。その姿に怜のようなスマートさはない。だが、彼の発する太陽のような熱量と、分厚い胸板の安心感が、恐怖に震える人々の心を解きほぐしているのが見て取れた。
(……相変わらず、豪はすぐ人に好かれるな)
怜は的確に人々を誘導しながら、視界の端で豪の働きを確認し、小さく息を吐いた。タイプは正反対。だからこそ現場では噛み合う。そうして、広場の人影がまばらになり、避難がおおむね完了したと判断した、その時だった。
ドォォォンッ!!
腹に響く重低音と共に、モールの正面ガラスが内側から砕け散った。舞い散る破片と煙幕の中、何かが飛び出してくる。人間ではない。それは、蛍光ピンク色をした粘着質な液体そのものだった。無論、ただの液体ではない。
蛍光ピンクの液体は地面に広がったかと思えば、うぞうぞと蠢き形を成す。不定形のゲル状ボディ。表面には気泡が不気味に浮かび上がり、甘い毒の香りを撒き散らしながら、這いずり回るように広場へ侵攻してきた。
『ギ、ギギ……ニ、ニゲ……ル……』
液体が人の形を模し、耳障りなノイズを発する。一体ではない。ヒーローたちから逃れるために分裂したのだろう、ちょうど三体のスライム状ヴィランが、逃げ遅れた人々を捕食しようと触手を伸ばした。
「――させるかよッ!」
ヴィランに対し、強く吠える豪もまた自身の能力のリミッターを解除した。ただ筋肉に力を込めるのとは訳が違う。全筋肉繊維の密度を一瞬で数倍に圧縮し、生体組織そのものを鋼鉄以上の硬度へと変質させる、物理法則を無視した強化能力だ。
ドウンッ!
空気を震わせる重い音と共に、豪の体積が一回り膨張する。太ももや上腕が丸々と太くなり、岩盤のごとき質量兵器へと変貌する。豪はその身を盾にして、迫りくるピンク色の触手を正面から受け止めた。バチィンッ!と重い音が響く。コンクリートすら砕く一撃を、豪は眉一つ動かさずに弾き返した。
「うおおらぁぁッ!」
剛腕が風を切り、液状の敵を殴り飛ばす。本来、流動体であるスライムに打撃は効きにくい。だが、豪の拳が生む圧倒的な衝撃波は、液体の粘性を無視して敵の核を直接揺さぶった。
一体目が弾け飛び、霧散する。残るは二体。敵が再生する隙を与えず、怜が動く。宙に指先を走らせる。豪とヴィランを繋ぐように足元の水分が凍結し、瞬く間に滑らかな氷のスロープが形成された。
「豪!」
「おうっ!」
豪が氷を蹴る。摩擦ゼロの氷上を滑走し、足元を凍らされ姿勢を崩したヴィランへと弾丸のように飛び込む。言葉はいらない。幾度となく繰り返したシミュレーション通りの連携。怜の氷が敵の自由を奪い、豪の拳がトドメを刺す。対照的な二つの才能が噛み合い、二体目も難なく撃破された。
(……いける。この程度なら、教官の手を借りるまでもない)
怜は冷静に戦況を分析し、勝利を確信しかけていた。だが計算の裏で、追い詰められた最後の一体が異様な脈動を始めた。
蛍光ピンクのゲル状ボディが突如として風船のように膨張する。想起されるのは、破裂。全方位への無差別攻撃だ。
怜の思考速度が加速する。毒性の粘液を高圧で噴射されれば広範囲が汚染される。氷壁で防ぐにしてもカバーしきれない。特に、爆心地のすぐ近く。腰を抜かしたサラリーマンが隠れている場所までは。届かない。間に合わない。怜の顔から血の気が引いた。
「――危ねえッ!」
理屈で考える怜よりも先に動いたのは、赤い影。豪だ。彼は防御態勢をとることもなく、無防備な背中を晒して、縮こまるサラリーマンの前に飛び出した――直後、ヴィランが弾ける。
ドパンッ!
水風船が破裂したような音と共に、高濃度の粘液が散弾のように全方位を、豪の背中を襲う。逃げ場のない距離。大量のピンク色の液体が豪の後頭部、首筋、そしてスーツの防護が薄い関節部分にべっとり張り付いた。だが、豪は揺るがない。剛体化した背中は鋼鉄の城壁となり、一滴の毒液も後ろの市民には通さなかった。
「――そこまでだ、下種がッ!」
一瞬の隙を見逃さず、怜の全身からかつてないほどの冷気が噴出する。周囲の気温が一気に氷点下へと急降下した。怜が右手を突き出すと同時に、巨大な氷柱が地面から突き出し、萎んだヴィランの核を封じ込める。完全凍結。氷の監獄の中で、ヴィランは悲鳴を上げる間もなく拘束された。
荒廃した広場に静寂が戻る。怜は氷を解くのも忘れ、仁王立ちする相棒のもとへと駆け寄った。
「豪! 大丈夫か!?」
いつもの冷静さはどこにもない。なりふり構わず豪の肩を掴み、顔を覗き込む。豪は背中をピンク色の粘液まみれにしながらも、平然とした顔で振り返った。
「おう、平気だ平気。ちょっとベタつくけど、痛みはねぇよ」
「無茶をするな! まともに浴びて……!」
「それより、あの人無事か? 怪我ねえかな」
豪は自分の汚れなど気にも留めず、背中を向けたサラリーマンを気遣っている。あまりの頑丈さと、お人好しすぎる態度に、怜は毒気を抜かれたように肩を落とした。
「……馬鹿。人の心配をしている場合か」
怜は震える手で豪の体を検分する。確かに外傷はない。出血も骨折もしていないようだ。豪の剛体化能力は、物理的な衝撃だけでなく、ある程度の化学的な侵食も防ぐらしい。だが、違和感があった。豪の顔や首に浴びせられた大量の粘液。その一部が生き物のように蠢き、スーツの繊維の隙間や露出した箇所から染み込んでいくように見えたのだ。せめて毛皮に付着したものを拭おうとした怜の手が触れる前に、液体はすぅっと揮発して消えていった。
「……なんだ、今の」
怜が訝しげに眉をひそめた時、ショッピングモールから教官が飛び出してきた。中の敵を制圧し終えたのだろう。状況を一瞥し、即座に現場の空気を読む。
残骸となった氷の壁。的確に確保された避難ルート。市民を守るように立ちはだかる豪の姿。教官は厳しい目で周囲を見回し、最後に粘液まみれの豪へと視線を落とした。
「……無茶をするなと言ったはずだ。自分の身を守れない者に、他人を守る資格はない」
「す、すみません……!」
豪が縮こまる。教官の鋭い眼光に射抜かれ、大きな体を小さくして項垂れた。重苦しい沈黙が落ちる。怜もまた、一瞬の判断に迷ってしまったことを恥じ、唇を噛んだ。ところが、教官はふっと表情を緩めた。大きな掌を豪の頭に乗せ、そのままワシワシと乱暴に撫でる。
「だが、よく守り切ったな。現場の痕跡を見れば分かる」
「え……?」
「お前たちの判断が市民を救ったんだ。胸を張れ」
突然の賞賛に、二人の少年は顔を見合わせる。教官はすぐに手を離し、プロの顔に戻って通信機で後処理の指示を出し始めた。
「……今回の件は報告書に書いておく。ただし、慢心はするなよ」
「はいッ!」
二人は声を揃えて敬礼した。安堵の空気が流れ、豪はいつものようにガハハと笑って立ち上がる。
「いやー、ビビったぜ! さすが教官、話が分かる!」
「全く……寿命が縮んだぞ」
豪の足取りはしっかりしており、顔色も悪くない。いつもの熱血馬鹿に戻っているように見える。だが、怜だけは拭いきれない不安を胸に残していた。スーツに吸い込まれていったあの粘液。そして何より、豪から漂う匂いが変質している。いつもの野性味ある汗の香りに、あの甘ったるい化学臭が微かに感じられてならないのだった。
「――スキャン完了。血中トキシン濃度、低下傾向。内分泌系の活性化による交感神経の過剰励起を確認。生命活動には支障なし」
天井から伸びた自律診断アームが、無機質な合成音声で告げた。緑色のレーザー光が収束し、ベッドの上に横たわる少年の体から離れていく。
「推奨処置、一晩の経過観察および冷却」
「……だ、そうだ。大事には至らなかったようだな」
腕組みをして診断を見守っていた教官が、安堵と呆れを含んだ息を吐く。場所は英雄学院中央棟の一角にある医務室。プロ仕様の再生治療器も完備されているが、現在の豪が寝かされているのは、カーテンで仕切られた一般的な処置用ベッド。そこでバツが悪そうに頭をかいているだけだ。
「へへ……すみません、教官。でもほら、言った通りピンピンしてますよ!」
「結果論だ。毒が遅効性の場合もある」
教官が釘を刺すが、豪はニカっと笑ってみせた。確かに顔色は悪くない。ただ、代謝が活性化しているせいか、黒々とした鼻が風呂上がりのように上気し、密度の高い毛皮はどことなく蒸れている。
ベッドの脇に立つ怜は、普段と何ら変わりないように見える豪の態度をじっと観察した。外傷はなく、本人も元気そうだ。だが、どこか視線が落ち着かないように見えるのは気のせいだろうか。
「大神、お前はもう寮に戻れ。もし長引きそうなら、着替えなんかは明日の朝にでも持って来てやれ」
「了解しました」
怜は教官に短く頭を下げてから、ベッドの上の相棒へと向き直った。
「……おい豪、何か必要なものはあるか?」
「いや、いいッ! 平気だから、怜も早く帰って休んでくれ!」
食い気味に返された言葉で、わずかに寄せられる眉。邪険にされたわけではないだろうが、妙に追い立てるような口調だった。
まあいい、と怜は思考を切り替える。本人が元気だと言うのなら、過保護になる必要もない。
「……じゃあ、また明日」
怜は短く告げ、教官と共に医務室を後にした。
夜。男子寮、怜の個室。余計なものが一切置かれていない、モデルルームのように整然とした部屋に、ページをめくる音だけが響く。
シャワーを浴びて清潔なスウェットに着替えた怜は、ベッドの上で端末の教科書を開いていた。だが視線は同じ行を何度も滑るばかりで、内容が全く頭に入ってこない。パタン、と端末を閉じる。深い溜め息が、静寂に溶けた。
「……落ち着かないな」
独り言が漏れる。豪の容態は安定していた。最新医療機器の診断精度に疑いの余地はない。理屈では分かっている。だが、昼間の光景がノイズとなって脳裏に明滅するのだ。豪の背中に吸い込まれていったピンク色の粘液。そして別れ際に見せた、かすかに上気した顔と、泳いでいた視線。何より、鼻孔の奥に残る記憶。既に自分の部屋の香りで上書きされたはずなのに、甘ったるい化学臭と、あの暑苦しい男のニオイが、感覚の奥底に棘のように刺さって抜けない。
(……様子を見に行くか)
時計を見る。消灯時間まであと二十分。今から行けばギリギリ戻ってこられる。
過剰な心配性だとは思う。だが、このモヤモヤを抱えたまま朝を迎えるよりは、一目見て安心する方が建設的だ。怜は自分にそう言い訳をして立ち上がり、音もなく部屋を出た。
深夜の校舎は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。廊下の非常灯が怜の銀色の毛並みを青白く照らす。足音を立てずに歩くのは狼獣人としての本能的なスキルだ。
医務室の前にたどり着く。ロックは掛かっていない。怜はそっとドアを開けて中へと滑り込んだ。ふわっと香る嗅ぎ慣れない消毒液の匂い。空調の低い駆動音。一番奥、豪が寝ているはずのベッドのカーテンは、隙間なく閉め切られている。
「……ッ、はぁ……くそ……」
足を止めた怜の耳がくぐもった音を拾う。衣擦れの音。シーツが激しく擦れる摩擦音。そして押し殺したような苦しげな吐息。
(うなされているのか?)
やはり毒の影響が出ているのではないか。心中の漠然とした不安が、確信めいた焦燥へと変わる。怜は足早にベッドへ近づき、声をかけた。
「豪? 起きてるか?」
「――ッ!?」
カーテンを静かに開けると、薄暗いブースの中、ベッドの上には奇妙な物体があった。タオルケットを頭からすっぽりと被り、巨大なダンゴムシのように丸まっている豪の姿だ。怜の声を聞いた瞬間、塊がビクリと大きく震え、さらに小さく縮こまった。
「……れ、怜か!? なんで戻ってきやがった!」
「声が聞こえた。具合が悪いなら先生を呼ぶぞ」
「く、来るな! 呼ぶな! 今すぐ出てけっ!」
タオルケットの中から響くのは必死な拒絶の叫び。だが、それはいつもの豪快な怒声ではない。涙声混じりの、どこか切羽詰まった懇願だった。
ただごとではない。高熱で意識が混濁しているのか、あるいは痛みに耐えているのか。放っておけるはずがない。
「馬鹿を言うな。顔を見せろ」
「やめろッ! 見るな! マジで、頼むからあっち行けぇッ!」
「暴れるな!」
怜はベッドに身を乗り出し、抵抗する豪の腕を上から抑え込んだ。布越しの体温は火傷しそうなほど熱い。嫌がる豪の力は、普段の怪力が嘘のように弱々しかった。そのまま強引にタオルケットを掴み、一気に剥ぎ取る。
「――っ、やめ、ろ……!」
露わになった光景に、怜の思考が停止した。そこにいたのは、重篤な患者でも、苦痛に嘆く負傷者でもなかった。汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにした、一人の男だった。ふてぶてしいほど快活な笑みを浮かべる精悍な顔立ちが、影も形も見られない。強気な瞳は潤み、行き場のない羞恥に濡れていた。そして何より怜の目を奪ったのは、彼の下半身だ。
貸与された薄手のスウェットパンツ。その股間部分が、物理的にあり得ないほど高く持ち上げられている。テントのように張り詰めた生地の下には、岩石のごとき硬度と質量を持った何かが、脈打ちながら鎮座していた。
「……っ、うぅ……見んなよ……っ!」
豪が腕で顔を覆い、情けなく体を縮めて震えている。
「こんなの……誰にも見せらんねぇ……っ、恥ずかしくて死ぬ……!」
怜は呆然と見下ろすことしかできなかった。状況を理解するまでに数秒のタイムラグがあった。
豪は苦しんでいたのではない。あの時に浴びたピンク色の粘液――おそらくは強力な催淫成分を含んだ毒素によって強制的に引き起こされた若いオス特有の生理現象と、たった一人で戦っていたのだ。
いつも俺を見ろと吠えていた、自信満々のライバル。暑苦しいほどの熱量で周囲を巻き込み、誰からも好かれる太陽のような男。そんな怜が知る熊谷豪の姿はここにはない。ただ己の股間の熱を制御できず、あろうことかライバルである怜にその無様な姿を晒してしまい、羞恥に震える年齢相応な一人の男子。そんな姿があまりにも無防備で、滑稽で。
――そして、怜の理性が理解を拒むほどに、扇情的だった。
(……なんだ、これ)
心臓がドクリと大きく跳ねた。心配も、焦燥も、一瞬で吹き飛んだ。代わりに胸の奥からせり上がってきたのは、名状しがたい戸惑いと、無視できない興味。
今すぐに教員を呼ぶか、あるいは見なかったことにして部屋を出てやるのが正解だろう。優等生の怜ならそうするはずだ。だが、足は痺れてしまったかのように動かせない。それどころか、視線はスウェットを突き破らんばかりに屹立するテントに釘付けになる。
一気に湿っぽくなった医務室の空気に、怜は喉が渇いていくのを感じた。いや、実際に密室の酸素濃度が極端に薄いのではないか。そう思わせるほどの高揚。医務室の空調は正常に稼働しているはず。だというのに、怜の呼吸は浅く、心臓は肋骨を内側から叩き割らんばかりに暴れている。原因は明白。目の前で恥辱に震える一人の男と、股間で異様な存在感を放つ膨らみのせいだ。
豪は顔を真っ赤にし、奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めていた。
「見んな……っ、頼むから、もうどっか行けよ……!」
喉の奥から絞り出された低い呻き声。
怜は大きく息を吸い込み、乱れかけた理性を強引に繋ぎ止める。動揺してはならない。自分は優等生だ。これは同期生を救うための緊急措置に過ぎない。自身にそう言い聞かせ、努めて冷静な仮面を貼り付ける。
「落ち着け。……聞くが、こういうのを……自分でやったことはあるのか」
あまりに直球な問いに、肩がビクリと跳ねる。視線が泳ぎ、赤面がいっそう濃くなる。
「ふ、風呂場とかで、たまに……触るくらいは……って、なんでそんなこと……」
豪はそこまで言ってから、ハッとしたように怜を睨み上げた。羞恥を怒りで誤魔化すように食って掛かる。
「お前はどうなんだよっ! いっつも澄ました顔してるけど、お前だって……!」
「……っ」
不意打ちの反撃に、怜は言葉を詰まらせた。あるに決まっている。年頃の健康な男子なら当然の生理現象だ。だが、それを豪の前で認めるのは死ぬほど恥ずかしい。パッと顔を背け、熱くなりかけた耳を隠すように早口で告げる。
「……知識としては、ある。成長期の男子における平均的な回数程度には、僕だって処理くらいはしている」
「お、お前みたいな奴でも、ちんこ触ってんのか……」
視線を逸らしながら、ボソボソと交わされる会話。“オナニー”という単語すら口にするのが憚られる、思春期特有の未熟さと気恥ずかしさが、重苦しい沈黙を作る。しかし、事態は待ってくれない。豪の股間は限界までスウェットの生地を引き絞り、今にも弾け飛びそうだ。怜は意を決して、ベッドの端に腰を下ろした。
「……手伝ってやる」
「は……? おま、正気か!? 男同士だぞ!?」
「放っておいて収まる保証はあるのか? 無理なら、今すぐ先生を呼ぶしかない」
「そ、それは……!」
「もし教官に見つかったらどう思う? 怒られはしないだろうが……誰にも見られたくないんだろ?」
怜はあくまで淡々と、合理的な風を装い、諭すように告げた。豪は言葉を詰まらせる。日頃、誰よりも意地っ張りの気がある豪にとって、こんな失態を見られるのは死に等しい屈辱だ。そんな心情に付け入り、声を潜めて最後のひと押し。
「僕なら、少なくとも他人には言いふらさない。……観念しろ」
豪の力がふっと抜けた。拒絶ではなく、諦めと羞恥に染まった瞳が潤んで揺れる。怜は震える指先を伸ばし、豪のスウェットのゴムに手をかけた。心臓が破裂しそうだ。見知った顔の男子の下着に手を入れるなど、正気の沙汰ではない。そういったじゃれ合いをする柄でもない。だが、見てみたい。触れてみたい。怜は背徳と興奮がない交ぜになった感情を押し殺し、ゆっくりと厚手の生地を引き下ろした。
ズルリ…。スウェットが膝まで落ち、豪の下半身を隠すものが薄い下着一枚だけになる。
「――ッ」
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露わになった光景に、怜は息を呑んだ。黒いボクサーパンツ。だが、豪の股間を収めるにはそのサイズは明らかに小さすぎた。股間のテントの大きさが、どう考えても子供のそれでは言い訳の利かないレベルになっているからだ。
透けそうなほど伸びた生地は限界まで引き絞られ、太すぎる肉棒の形をくっきりと浮き彫りにしている。それだけではない。特に張り詰めた亀頭の先端が濃い染みを作って、今にも張り裂けそうだった。
むわぁ…
スウェットを脱いだことで解放された熱気と共に、強烈なオトコの匂いが立ち昇る。いつもの汗臭さとは違う、蒸れた下半身特有の生臭さと、濃密なフェロモン。それが鼻腔を直撃し、怜の脳髄を揺さぶる。
(……うわ、すごい量だ。こんなになるまで我慢してたのか)
視覚と嗅覚への二重の暴力。怜は嫌悪感よりも先に、感動にも似た好奇心をもって、その濡れた股間をまじまじと観察してしまった。
「……っ、ふぅ……怜、手、冷てぇよ……」
無意識のうちに指先が触れていたらしい。怜の体温は人より低い。対する豪のモノは沸騰したヤカンに近い。湿った生地越しでも伝わる過度な温度差が、敏感になった股間には強烈な刺激となったようだ。
思考のスイッチが切り替わる。観察は終わりだ。中身を見なければ。怜は意を決し、じっとりと濡れたボクサーパンツの縁に指をかけ、一気に引き下ろした。
ボロンッ、と弾けるように亀頭が顔を出す。眼前に暴露されたのは、少年の未熟さと、雄の凶暴さが同居する矛盾の塊だった。まだ剥けきっていない皮が、張り詰めた亀頭を覆っている。隙間から覗く粘膜は、傷一つない新品同様の鮮やかな赤ピンク色。だが、威圧感は怜の知る同年代の少年や自分自身のモノを遥かに超えていた。浮き上がった血管の太さはロープに匹敵し、剛直な幹は怜の手首ほどもある。
(僕のと、全然違う……)
怜自身のスマートなモノとは比較にならない。グロテスクですらある圧倒的な生命力の塊に、つい見惚れてしまう。
「んくッ……!」
もはや思考すら介在せず、ごく自然に五本の指で握り込んでいた。
太い。本当に、自分のよりずっと大きい。掌に伝わるのは、表面の皮の滑らかさと、奥にある岩盤の硬度。ドクンドクンと脈打つ血液の奔流は、自分自身の鼓動の音と合わさって、生きている心臓を直接掴んでいる錯覚に陥らせる。
しゅっ…しゅっ…
怜はゆっくりと、手首のスナップを効かせて上下運動を開始した。湿った音が医務室の静寂を汚す。溢れ出た先走り汁が潤滑油となり、怜の冷たい手と豪の熱い肉棒をヌルヌルと繋いでいく。
「……どうだ、気持ちいいか?」
「っ、あ……ぅ……! 変な、感じだ……! 冷てぇけど……気持ちいい、かも……!」
怜が問いかけると、豪はシーツを強く握りしめ、首を反らして喘いだ。自分の手とは違う、不規則で冷ややかな刺激への驚き。他人に触れられることへの戸惑い。それらが豪の余裕を奪っていく。
太い首筋に血管が浮き、汗が噴き出す。怜の手の中で被った皮が上下し、敏感な亀頭が擦れるたびに、凶悪な肉棒がビクビクと跳ねる。
眼下で幼げに顔を歪める豪を見て、怜の背筋にゾクゾクするような電流が走った。
普段は自分より力が強く、快活に振る舞っている、あの豪が。今は自分の手のひら一つで翻弄され、こんなにも無防備な顔を晒してしまっている。豪を、自分が気持ちよくさせている。
怜の胸は奇妙な充足感で満たされる。同時に下腹部が熱く疼く。手の動きが自然と早くなる。カリの段差を親指で執拗に擦り上げ、敏感な裏筋を掌全体でねっとりと撫で上げる。
ぬちゅっ…ぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ…
「あッ、いい、ッ……! 怜、そこ……ッ!」
豪の反応が良い場所を探り当て、攻める。立ち上る湯気。鼻にまとわりつく粘着質な性臭。怜の口腔内で、唾液腺が爆発したように活動を始めた。じゅわり、と口の中が潤う。目の前で揺れる赤ピンク色の肉棒が、極上の餌に見えてくる。口に含みたい。張り詰めた亀頭を舌で転がし、味を確かめたい。強烈な衝動が脳裏をよぎるが、怜はギリギリのところで理性を保った。馬鹿なことを考えるな。手で抜くだけで十分だ。これ以上の接触など、友人としての一線を越えてしまう。
怜が逡巡を重ねている間に、限界は訪れた。拙い、しかし冷気による温度差を含んだ刺激は、催淫毒の効果によって感度が高まっていた豪には強烈すぎたのだ。
ビクンッ!と豪の太ももが大きく跳ね、腰が弓なりに浮く。
「ッ、わりぃ、怜……! もう、でるッ……離れろッ!」
切羽詰まった絶叫。怜の手の中で肉棒が膨張し、先端の尿道口がパクパクと開閉する。射精が来る。豪の、一番男らしい瞬間が。
怜の脳内を駆け巡ったのは、あまりにも冷静で、かつ致命的なほどに的外れな判断だった。
(ここで出されたら、ベッドが汚れてしまう)
ここは医務室だ。シーツを汚せば証拠が残る。床に撒き散らせば掃除が大変だ。一滴もこぼしてはならない。
潔癖な思考回路が、目の前の雄の種を摂取したいという隠された本能を覆い隠した。
怜は手を離すどころか、豪の股間へと身を乗り出す。自ら噴出を迎えに行くのだ。
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「っ、ま、て――!?」
豪の制止は間に合わない。怜は躊躇なく唇を開き、今まさに暴発しようとする亀頭を、ぱっくりと美味しそうに咥え込んだ――直後。
「――怜っ、ん、ぐ、ぅぅッ!」
怜は先端を咥えただけでは止めなかった。顎を限界まで開き、太すぎる杭を一気に喉の奥へと叩き込む。硬く張り詰めたカリが喉奥を擦り上げ、ズプズプと沈んでいく。
苦しい。それでも怜の本能は止まらない。涙目になりながらも、貪るように頭を押し下げ、ついに鼻先が豪の剛毛に覆われた下腹部へと完全に埋没した。
そこは、世界で最も雄臭い場所だった。ズボンの中で蒸れきった汗の野暮ったいニオイ。熱を持った皮膚から立ち昇る獣のニオイ。根元まで咥え込んだことで逃げ場を失った怜の顔面を、濃厚すぎる雄のフェロモンが爆撃した。
「あ、ぅ……ッ!?」
喉奥で強烈に締め付けられる亀頭。根元にかかる怜の熱い吐息。
豪の口から、魂が抜けるような間延びした喘ぎが漏れる。同時に、高圧洗浄機のような勢いで放たれた白濁液が、杭の先端から怜の喉へ向けて直接発射された。
ドピュッ! ビュルッ! ビュルルルルッ!
「ん、ぐぅッ……!?」
熱い。しかも尋常じゃなく濃い。ヒーロー候補生の中でも随一の健康優良児である豪の精液は、量も勢いも桁外れだった。
口腔内を一瞬で満たし、溢れ出してしまいそうになる熱量を、怜の喉は拒絶しなかった。ごくり、ごくり。喉仏が痙攣しながら第一波、第二波を飲み込む。舌に絡みつく独特の苦味とエグみ。本来なら吐き出すべき汚物の味が、鼻を犯す甘美な芳香と混ざり合い、怜の理性をドロドロに溶かしていく。
(……にがい、くさい、くるしい……けど、すごい………ッ)
目尻に生理的な涙が浮かぶ。息ができない。それでも怜は口を離さなかった。それどころか、もっと深く匂いを嗅ぎたいと欲するように、無意識に鼻先を豪の陰毛に擦り付けていた。
長い、永遠のような数十秒。ようやく肉棒の脈動が収まり、怜はプハッ、と大きく息を吐いて顔を上げた。
飲み込みきれなかった白い雫が糸を引いて、端正なマズルから垂れ落ちる。だが怜はそれを拭おうともせず、まだ鼻の奥にこびりついている豪の残り香を反芻するように、呆けた顔で荒い息を繰り返していた。
目の前では豪が、自分の股間に起きた初体験の快楽の余韻に言葉を失い、呆然と怜を捉えていた。
「お前……飲んだ、のか……? 俺の……その、あれを……」
「……汚れるのが嫌だっただけだ。床にぶちまけるわけにはいかないだろう」
怜は顔を背け、赤くなった耳を隠すように早口で言い訳を並べた。
口の中に残る鉄錆のような後味。喉から体内へと落ちていったドロドロの熱い塊。やってしまった、という後悔がないわけではない。だが、それ以上に飲み干してやったという奇妙な達成感が、怜の胸を満たしていた。
「これで終わっただろ。僕はもう帰る……さっさと寝ろ」
怜は努めてぶっきらぼうに告げ、豪のスウェットを上げようとした。
だが。
「……っ、ふぅー、ッ……くぅ……!」
豪の口から、熱に浮かされたような苦しげな吐息が漏れる。己の体の内側から湧き上がる異常な熱量に、歯を食いしばって耐えている。
「どうした。まだ足りないのか?」
「……いや、違う……なんか、熱い……! さっきより、熱くなってやがる……!」
異変は怜の目の前で起きた。射精して賢者タイムに入るはずの肉棒が、萎えるどころか再び鎌首をもたげ始めたのだ。
「はっ……はぁっ……!」
それどころではない。ドウンッ、と重苦しい脈動が見て取れる。先ほどまでは鮮やかな赤ピンク色だった肉棒が、見る見るうちに赤黒く変色していく。太い血管がミミズのようにのたうち回り、皮膚の質感はほどほどに柔らかい艶めかしさを捨て、岩盤のような密度を持った筋肉の塊へと変質していく。
豪の固有能力『剛体化』。本来なら全身の筋肉を守るために発動するはずの防御本能が、催淫毒と射精の快感をトリガーとして、あろうことか股間の一点に集中して暴走を開始したのだ。
「射精したのに、収まらないのか……?」
怜の目の前で、肉棒が育っていく。少年の未熟さを残していた皮さえもパツパツに張り詰め、怜よりも遥かにオトナの『雄』として完成された凶器へと変貌を遂げていく。
「な、んだこれ……! 硬くなって、戻らねぇ……!」
二人は絶句し、股間に鎮座する肉棒を見つめた。制御不能な肉体の暴走。怜の背筋に冷たい汗が伝う。
呼吸をするたびに肺が焼けるようだ。医務室の狭いブース内は、むせ返るような雄の熱気と、甘ったるい発情臭で飽和している。
怜は呆然と立ち尽くしていたが、やがて意を決したように、恐る恐る手を伸ばした。震える指先が、再び豪の股間へと触れる。
「……っ」
触れた瞬間に理解する。さっきまでとは、まるで違う。弾力のあるゴムのような質感は完全に消え失せていた。怜の掌にあるのは、高熱を帯びた鉄骨そのものだ。表面に浮き出た血管の凹凸すらも、まるで鋼鉄のワイヤーのように硬質化し、指の腹をゴリゴリと拒絶する。
怜は眉をひそめ、力を込めて握り込んだ。ギュッ、と握力を強める。普通なら相手が痛みを感じるほどの強さだ。だが、豪の肉棒は微動だにしない。へこみもしないし、たわみもしない。生物としての柔軟性が完全に失われている。
「……豪、痛くないか?」
「あ、ぁ……平気、だ……。痛くはねぇ……けど……」
豪がシーツを握りしめ首を振る。怜は手首を返し上下に扱こうと試みた。だが、動かない。皮の流動性すらも剛体化によって固定されてしまっている。怜の手のひらが金属質の表面を滑るだけで、内部への刺激がまったく伝わらないのだ。
怜は焦りを感じ始めた。もっと強く。もっと速く。手首が痛くなるほどの速度で擦り上げてみる。しかし豪の反応は鈍い。
「だ、ダメだ……硬くなりすぎて……足りねぇ……ッ」
豪が苦しげに呻く。快楽がないわけではないのだろう。ただ、暴走したエネルギーを解放するには、刺激が決定的に足りていない。ガチガチの勃起に隔てられた肉棒の芯まで、怜の指先が届いていないのだ。このままでは、出口を失った熱量が豪の内側で暴れ回り、彼を壊してしまうかもしれない。怜の手が止まる。
(手じゃダメだ)
冷徹な事実が突きつけられる。この暴走した質量兵器を受け止めるには、指などという細い接触面では話にならない。もっと面積が広く、強く締め付けられ、かつ、圧倒的な硬度を包み込めるほどの柔軟性を持った場所。そんな都合のいい部位が、どこにある。
怜の視線が、ふと自分の太ももへと落ちた。鍛え上げられているとはいえ、脂肪と筋肉が程よくつき、皮膚が柔らかい内もも。そこなら。
(……正気か、僕は)
脳内の理性が警鐘を鳴らす。だが、苦悶の声を漏らす豪を見ていると、躊躇している時間はなかった。何より、充満するフェロモンが怜の判断力を鈍らせ、より本能的な解決策へと誘導していく。
怜は大きく息を吐き出し、すぐ傍の棚に置かれたボトルに手を伸ばした。医療用ローション。冷たいプラスチックの感触が、熱せられた掌に心地よい。キャップを開ける乾いた音が静寂に響く。
「……豪。少し、我慢しろ」
「ふ、ぅっ……? なに、すんだ……?」
豪が虚ろな目で問いかけるが、怜は答えなかった。答えてしまえば、自分がこれからしようとしていることのあまりの破廉恥さに、足がすくんでしまいそうだったからだ。
怜は無言のまま、履いていたスウェットのズボンに手をかけ、躊躇なく引き下ろした。続けて、ボクサーパンツも脱ぎ捨てる。シュッと衣擦れの音がして、下半身が露わになった。冷房の効いた医務室内の空気が毛皮に触れると、頼りない感覚に怜は身震いした。
白銀の毛並みに覆われた太もも。普段は制服やスーツの下に隠されている、しなやかで引き締まった脚線。怜はボトルを逆さにし、内ももに向けてローションをたっぷりと垂らす。トロリとした透明な液体が、冷たさを伴って毛皮を濡らしていく。そうして、膝から股の付け根まで、念入りに塗り広げる。
「怜……? なに脱いで……」
豪の喉から、ひきつったような声が漏れた。いきなり下半身を露わにした怜の奇行に、熱に浮かされた目を限界まで見開いている。状況が飲み込めていないのだ。だが、怜は止まらない。
「なんで……そっちに……」
豪の視線が、怜の手元に吸い寄せられる。程よく鍛えられた柔軟な太ももを、怜自身の指が這い、粘液を塗り広げていく光景。その意味不明な、しかし妙に背徳的なビジュアルが、豪の混乱と興奮を同時に煽っていく。
「はぁ……ッ、はぁ……ッ、くぅ……」
豪の呼吸がいっそう荒くなり、胸板が激しく上下する。訳が分からないはずなのに、目の前の淫靡な儀式に魅入られ、なぜか目が離せないでいる。
ぬちゃ…ぬちゃ…
豪が固まっている間も、粘着質な音が卑猥に響く。準備は整った。怜はベッドに上がり、苦悶と困惑の表情を浮かべる豪の腰を跨ぐようにして膝をついた。
「おい……怜、おまえ……」
「黙ってろ。……暴れるなよ」
言い聞かせる声が震えているのが、怜自身にも分かった。自分の尻の肉が、豪の腹に乗る感触。見なくても分かる、岩のように硬く締まった頼もしい腹筋。そして、尻の割れ目のすぐ後ろに、あの凶悪な熱源がそびえ立っている。
怜は位置を慎重に調整する。自身の太ももの付け根――最も肉付きが良く、柔らかく、そして敏感な内ももの肉で、赤黒い剛直を捉え、左右から挟み込む。
「――ッ、…ぅ、ぁ……!?」
豪の喉から空気が抜けるような音が漏れた。対して、怜は息を呑む。
それはもう、生殖器と呼ぶにはあまりに無骨だった。限界まで勃起した豪のイチモツは、たわむことすら知らない鋼鉄の棒そのものだ。怜が太ももを閉じると、内ももの柔らかな肉が剛体に押し負け、その卑猥な形状に合わせてむにゅりと変形させられる。
怜は重心を安定させるため、豪の分厚い胸板に上半身を預け、抱きつくような体勢を取った。瞬間、世界がニオイで塗り潰される。
(……うわ、すごい)
ゼロ距離で包まれる、豪のむさ苦しい体臭。それは怜の記憶にある日向のような匂いとは決定的に違っていた。発情した若いオス特有の、鼻の奥の粘膜を焦がすような刺激臭。それに、脳を蕩けさせるような甘ったるい芳香が混じり合っている。言ってしまえば過剰な生体反応の悪臭だ。だというのに、怜の脳髄はこの期に及んでもそれを拒絶しなかった。それどころか、酸素の代わりに肺の奥深くまで吸い込みたいと渇望している。
「……始めるぞ」
ぬる……
怜は豪の耳元で囁き、股を浮かせて上下に揺すり始めた。途端に怜の目が見開かれ、とろりと潤んだ。
「っ、ぁ……硬い……」
普通の勃起ならあるはずの弾力が一切ない。怜が動くたびに、肉棒に巻き付く鋼鉄のワイヤーと化した血管が、内ももの柔肌を容赦なく押しのけ、神経をゴリゴリと直接撫で上げてくる。
ぬちゅ……ぐちゅぅ……
「ふっ、ぅ……豪っ……!」
「う、ぉ……っ、怜、やべぇ、これ……ッ!」
部屋に響くのは、ローションと汗が練り合わされる卑猥な水音だけだ。だが、怜の体感には、まったく別の感覚が響いていた。
怜が豪を挟んで刺激しているにもかかわらず、内ももの方が肉棒に押し負け、ぐにぐにと圧迫される。硬化した剛直が筋肉の芯を揉みしだくような感触。柔らかいモノでは絶対に味わえない、骨伝導のような重い振動が、腰から背骨を伝って脳天へと駆け抜ける。
あまりにも無骨な硬さ。その微動だにしない硬度こそが、怜の中のメス化スイッチを強引に連打してくる。
「っ、はぁ……っ、ん……!」
怜の口からとめどなく、意志に反して甘い喘ぎが漏れる。熱気と臭気にあてられ、頭がくらくらする。ただ本能のままに、硬いものを柔らかいもので包み、必死に擦り合わせる。密着した摩擦は、豪の暴走した神経にも確実に届いていた。
「ッく……! ちんこ、鉄みたいになってんのに、すげぇキモチイイ……ッ!」
豪の呼吸も荒くなる。言葉遣いから、理性のタガが外れていくのが分かる。
「ご、う……あっ!」
太い腕が反射的に怜の腰に回された。ガシッ、と無骨な指が白い尻肉を鷲掴みにする。痛いほどに食い込む指先。遠慮など欠片もない。既に羞恥も消え失せた。あるのは、目の前の獲物を逃がしたくないという、剥き出しの独占欲と捕食本能だけだ。
「っ、豪……痛い……!」
「うるせぇ……! もっと……こすってくれ……!」
豪が下から突き上げ、自ら腰を跳ねさせる。ドスンッ、ドスンッと制御の効かない暴走による突き上げは、怜の体を軽々と持ち上げるほどの威力だ。硬すぎる先端が恥骨を何度もノックし、内ももの肉を限界まで押し広げて暴れ回る。
突き上げを何度も繰り返すうちに、ザリザリとした剛毛が敏感な股間を擦り、鉄のような肉棒が太ももの形を変えるほど食い込む。抱き合う二人の体は、汗とローションでぬるぬると滑り、摩擦熱で溶け合い、一つの塊になった。
(……おかしくなる、僕も……溶かされる……!)
圧倒的な質量と熱量、そして匂いの奔流。怜は涙目になりながら、それでも太ももの力を緩めることができなかった。圧倒的な雄の硬さに、体が歓喜してしまっているからだ。
密着した状態で擦り付け合っていると、怜自身のモノもまた極限まで勃起し、痛いほどに張り詰めていた。内ももを擦られる摩擦熱。背後から迫る剛直の圧迫感。そして何より、全身を包み込む豪の匂い。それらすべてが、怜を発情させ、乱れさせる。
怜は無意識のうちに、自身の勃起したモノを豪の硬い腹筋に押し付け、擦り付けていた。ゴツゴツとした腹筋の溝に、初々しいピンク色の先端が引っかかり、擦れるたびに電流が走る。
「っ、あ、くぅ……! 豪……! すごい、熱い……!」
「怜……ッ! 怜の匂い……たまんねぇ……エロすぎ……ッ!」
互いの名前を呼び合い、求め合う。もう同級生だとか、ライバルだとか、そんな社会的立場はどうでもよかった。ただ、エロいことして気持ちよくなりたい。性に目覚めたての若いオスにはそれだけでよかった。
怜が最後の力を振り絞り、筋肉に力を込めて締め付け、激しく腰を振った。
ぬちゅぬちゅぬちゅッ!
剛体化した肉棒全体が揉み扱かれる激しい水音。
「く、ぅ……ッ! ダメだ、もう……ッ! で、るッ……でるッ!!」
豪が喉を反らせ、獣の咆哮を上げた。全身の筋肉が岩のように硬直し、怜の体を万力のごとく抱きすくめる。
ビクンッ!!
尻の筋肉が引き締まり、会陰がヒクヒクと切なげに痙攣する。腰はベッドから浮くほど大きく跳ね上がって、怜ごと持ち上げる。
「怜……ッ、でる、ぅ、おおおおぉぉぉッ!!」
ドクッ…ドクンッ…ドピュッ! ドピュウッ!!
何度かの脈動の後、ぱっくりと開いた先端の尿道口から、白濁した液体が間欠泉のように噴き出す。手で扱き出したのとは量も濃さも桁違いだ。ドピュッと吐き出された精液が医務室の空気に触れた瞬間、部屋全体が若いオスの青臭さに包まれてしまった。それが至近距離から、怜の太ももを、股間を、そして腹部までを勢いよく打ち据える。べちゃ、びちゃ、と音が聞こえるほどの放出量。
「あ、ぁ……!?」
熱いシャワーのような精液を浴びせられ、衝撃と熱量に当てられ――怜の意識も白く染まった。豪の腹筋に押し付けていた自身のモノが、ビクビクと脈打つ。怜の絶頂もまた、豪に引きずられるように訪れた。透明な液が、豪の汗ばんだ腹筋に吐き出され、二人の毛皮に染み渡る。
「んっ…はっ、あぁっ……すごい……!」
二人の体が痙攣して重なり合う。白濁にまみれた太もも。精液の独特なイカ臭さと、嗅ぎ慣れない医務室の匂い、そして二人の汗の匂いが充満する密室。荒い呼吸音だけが、いつまでも響いていた。
ベッドにボスンと腰を落として力尽きた豪の腕が、怜の背中に回されたままかすかに震える。怜もまた豪の太い首筋に顔を埋め、流れ落ちる汗のニオイに包まれながら、下肢でぬらつく精液の心地よい生暖かさに浸っていた。
「はーっ、はーっ……ふぅ……っ」
「…ん、ぅ……」
しばらくの間、ベッドの上には二人分の荒い息遣いが響いていた。そのうち、豪は天井を見上げたまま呆けたように呟く。
「……すげぇ、気持ちよかった……」
いつも通りの、飾り気のない豪らしい感想だった。
豪は荒い息をつきながら、怜の太ももに視線を落とす。自身が吐き出したおびただしい量の白濁が、流麗な銀色の毛並みにべっとりと張り付いている。そのまま恐る恐る手を伸ばし、粘液を指先ですくい取った。糸を引く粘り気と、火傷しそうなほどの体温。
「わりぃ……こんなに、出るなんて……」
「……ああ」
期待以上の雄性の発露を一身に受けた怜は、言葉少なに空返事で頷くことしかできない。豪は指を無意識のうちに自身の鼻先に近付け、クン、とニオイを嗅ぐ。
「すげぇニオイするな……俺ら」
「あ……マズイ。早く拭かないと、跡が残る」
二人は急速に現実に引き戻される。行為の余韻と、強烈な精液のニオイ。処理を終える頃には、二人の意識は泥のように沈み始めていた。
翌朝。カーテンの隙間から射し込む朝日で、怜は目を覚ました。小鳥のさえずり。遠くから聞こえる部活動の掛け声。英雄学院の朝は、いつだって爽やかで健康的だ。だが、怜の体は鉛のように重かった。睡眠不足のせいではない。脳の芯に焼き付いた記憶と、鼻の奥の残り香が、覚醒した瞬間から怜を昨夜の密室へと引き戻すからだ。
怜はノロノロと起き上がり、洗面台の鏡を見た。そこには、いつも通りの冷静沈着な優等生の顔がある。けれど唇に触れてみれば、あの熱い質量と喉を焼いた白濁の味が、幻覚となって蘇ってくる。
「……行くか」
怜は頭を振り、着替えを詰め込んだバッグを手に取った。豪が待っている。
医務室のドアを開ける足取りは、昨日よりもずっと重かった。中は既にカーテンが開け放たれ、明るい光に満ちている。ベッドの上、豪は上半身を起こし、ぼんやりと窓の外を眺めていた。怜の気配に気づき、ビクリと肩を震わせて振り返る。
「……れ、怜…………おはよう」
「……ああ、おはよう」
視線が交差したのは一瞬。二人は示し合わせたようにパッと目を逸らし、居心地の悪さに口ごもった。無理もない。この清潔なベッドの上で、数時間前まであんな痴態を晒し合っていたのだから。
(……思い出すな)
怜の脳裏に昨夜の記憶がフラッシュバックする。二人が果てた直後のことだ。いわゆる賢者タイム特有の静寂と、少しの気まずさが支配する中、二人は慌てて事後処理に追われた。怜の太ももや背中、そして豪の体を汚した大量の白濁液。それを備え付けのティッシュやタオルで拭い取る作業。栗の花の匂いが充満する中、二人は一言も喋らなかった。
ただ黙々と証拠を隠滅し、汚れたシーツをランドリー行きのカゴへ放り込み、逃げるように怜が部屋を出たあの瞬間。あの共犯めいた沈黙が、今の気まずさを形成している。
「……着替えとか、一応持ってきた」
「お、おう! サンキュ!」
怜がバッグを置くと、豪は必要以上に大きな声で礼を言った。その時、頭上のスピーカーから機械音声が響く。
「――再スキャン完了。体内毒素、完全排出を確認。全数値正常」
天井から伸びた自律診断アームが、緑色のレーザーを消灯させ、格納位置へと戻っていく。二人がアームを見届けると、いつの間にか教官が背後で腕組みをしていた。
「よし、これで訓練に参加できるな。……と言いたいところだが」
教官は釘を刺すように、鋭い視線を豪に向けた。
「数値は正常でも、体力の消耗が激しいはずだ。今日は実習を免除する。寮に戻って一日大人しく寝ていろ。いいな?」
「うっ……は、はい。了解ッス」
豪がバツが悪そうに頭をかく。“体力の消耗”という言葉に、怜は思わず咳き込みそうになった。
教官は何も知らない。豪の体力を削り取り、毒素を排出したのが誰なのか。どんな方法で抜いたのか。それは二人だけの秘密だ。
豪がカーテンの奥で着替えを済ませる。衣擦れの音が聞こえるたび、怜は想像してしまう。スウェットの下に隠された、豪に似合ったあの逞しい男性器を。昨夜はあんなに硬く、熱く暴れ回っていたモノが、今は少年の股間に大人しく収まっているという不思議。怜は熱くなりかけた頬を叩き、廊下へと出た。
それから、二人並んで男子寮への渡り廊下を歩く。朝の光が眩しい。すれ違う生徒たちが挨拶をしてくる。いつもの風景。いつもの通学路。だが、二人の間を流れる空気だけは、昨日までとは決定的に違っていた。
「……なぁ、怜」
「なんだ」
豪が歩きながら、ポツリと切り出す。視線は前を向いたままだ。
「昨日は……その、悪かったな。俺、わけ分かんなくて……お前に、あんなことさせちまって」
申し訳なさそうに垂れる熊獣人の丸い耳。豪は本気で思っているのだ。自分が無理やり怜を巻き込み、汚してしまったと。
純粋な罪悪感は、怜には少しきまりが悪い。確かにきっかけは豪の暴走だ。だが、途中からは怜自身の意志による行動に他ならなかった。最後には怜の方が夢中になって、豪の全てを飲み干してしまったのだから。
「……気にするな。緊急措置だと言っただろう」
「でもよぉ……」
「お前が無事なら、それでいい。……それに」
怜は言葉を切り、少しだけ歩調を緩めた。
「嫌なら、最初からしていない」
「え?」
豪が立ち止まり、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で振り返る。怜はそれ以上は何も言わず、早足で歩き出した。顔が熱い。これ以上の本音は、言葉にできない。
「お、おい! 待てよ怜!」
豪が慌てて追いかけてくる。ドスドスという重たい足音を聞きながら、怜は口元だけで微かに笑った。以前なら暑苦しいと敬遠していた距離感。だが今は、すぐ隣に豪の体温があることが、素直に心地よかった。鼻をかすめる匂いも、昨夜の濃厚な記憶とリンクして、怜の胸を甘く疼かせる。
他愛ないやりとりを交わしているうちに、男子寮のエントランスが見えてきた。ここで別れ、豪は自室での休養へ、怜は次の講義へと向かうことになる。
別れ際、豪がクルリと振り返った。その顔には、昨夜の弱々しさも、さっきまでの気まずさも消え、いつもの不敵な笑みが戻っていた。
「次は負けねぇからな!」
「……はいはい」
怜は呆れたように肩をすくめた。それが、昨日のヴィラン戦での借りを返すという意味なのか、それとも昨夜の一方的に世話になったことへのリベンジなのか。おそらく、豪自身も分かっていないだろう。
勢いよくきびすを返し、階段を駆け上がっていく豪。一人残された怜は、遠ざかる背中を、眩しいものを見るように細めた目で見つめていた。
広くて、分厚い背中。学院に入学したあの日、今よりもずっと幼かった頃から変わらない。誰よりも体が大きく、誰よりも声が大きく、太陽のように周りを惹きつけていた少年。賑わいの隅で氷のように冷え切っていた怜にとって、豪の姿は思い描く憧れのヒーローそのものだった。
その光に焼かれて消えてしまわないように。あるいは、その視界の端に映り込むために。自分ができることは、誰よりも冷たく、鋭く、ひたむきに研鑽を続けることだけだった。
怜は、ふと何気なしに自分の掌を見つめた。昨夜の感触。ずっと遠くにあった太陽が、昨夜初めて、自分の腕と脚の中で乱れ、助けを求めてきた。あの圧倒的な熱と、規格外の暴走を受け止められるのは、きっと自分しかいない。
怜は誰にも見られないようにポッと頬を染め、小さく呟く。声には隠しきれない愛着と、達成感が滲んでいた。
同世代のライバルであり、誰よりも手のかかる男。一度超えてしまった一線。その向こう側にあった熱の心地よさを、もう全身で覚えてしまっている。予感などではない。きっとまた、自分からあの熱に触れたくなる夜が来る。
氷結点下で閉ざされていた怜の世界に、消えない熱が灯った朝だった。
[newpage]
細部を維持したまま複数人を共存させる難しさに挫折
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