老人と狼、最果ても共に

  ヒメカの能力は後天的で、最初からある能力ではなく、付随されたという──。

  「随分と昔の話になりますが、エアスト王国内に絶滅危惧種の動物保護機関があったんです。そこで動物を保護しているだけなら良かったんですが、所属していた機関が、密漁バイヤーと裏で繋がってましてね。密漁バイヤー達は保護した動物を別の列島に売買してたんです。動物実験と称して、私のような物を掛け合わせて作り出して、コネクションにしてたんです」

  「そうでしたか。しかしどうして、急にそんな話を?」

  「あきらさんが今まで疑問に感じていたかもしれないと思いまして……。だって、変でしょ? いきなり少女が、大人になったりしたら」

  「まぁ変というより、不思議でしたが。別に変だとは思いませんでしたよ。そういう物だと、受け入れてましたよ」

  ヒメカの話で、ヴォルフが口にした話を理解する。

  ──きっと、苦労されたんだの……。

  「エアスト王国は元々、狙われてました。度重なる自然災害とエアスト王のシステムがなければ、住人全てが、コネクションにされるところでした」

  「ヒメカさん、ここのヌル列島は安全地帯です。隠して生きていく必要なんてないですよ」

  しかしヒメカの表情は固いままで、続きを口にする。

  「そう思いたいんですけどね……。最近、喋るカラスが飛んできたのが少し気になって……。もし、その実験が続いていたらと思うと怖くて……」

  黄金郷にも喋る七面鳥やカラスがいた。そして最近、黒い喋るカラスが一羽、迷い飛んできた。

  そのカラスは、どこから来たのだろうか?

  ──そうえいば、カラスの記憶は飛んでいたの。それに……。

  カラスとヒメカの件で、ふと思い起こす。

  「最近飛んできたカラスは、仕事を見つけたと言ってました。何でも賭けレースの仕事だそうです。もしかしたらそこに、なにかあるやもしれませんな」

  「そうなんですね。あきらさん、その……頼んでもいいかしら?」

  「ええ、勿論」

  「ありがとう、あきらさん」

  ヒメカはそう言って、買い出しに出掛ける。

  ヒメカの話を訊いた後、ふと思い出す。戦時中、ワシが運んでいた荷の中身だ。

  運んでいる途中で小包が放り出され、中の物が散らばった。ガラス瓶に入ったオレンジ色の液体は、エアスト王国を侵略する物だと言っていた。

  ──まさかな……。

  「あきら、何か思い当たることでもあったのか?」

  「ああ、随分と昔を思い出しての。戦時中、まだワシが若かった頃に運ばされていた、瓶に入った液体は何だったのかと、思うてな……」

  「その液体が、ヒメカやヒロに関わる物かもしれないのか?」

  「ああ。だがそうなると、随分と昔からの話になる……。そういえば、お前さんが喋るのは……」

  「俺は最初からだ。後天的じゃない」

  「そうか」

  「あきら、さっきの話のレースの場所はどこなんだ?」

  「確か、カラスがメモ書きを寄越してくれたよ。今いる場所より南に行ったところだな。散歩ついでに寄ってみるかね?」

  「うん、けれど歩きよりも、たまにはサイドカーに乗りたいな」

  「そうか、それで行こうかの」

  久々にサイドカーを出して、ヴォルフと乗り合わせて出発する。

  ちなみにサイドカーはクローネ島に置き去りにしてきたが、艦長の計らいで態々クローネ島からヌル列島に運んでくれただけでなく、メンテナンスもしてくれたので、ビンテージのサイドカーは今も快調に動いている。

  ヴォルフを隣に乗せていると、旅をしていた頃に戻る。出会いもあり、別れもあった旅だ。繋がった縁での生活は、飽きのこない生活だ。

  「あきら、もしかしてあそこか? 沢山の鳥がいるぞ」

  ヴォルフの視線の先には、鳥籠と共に多くの人が集まっている。サーカス小屋のような場所で、各所でレースが行われている。しかも行われているのはレースだけではなく、鳥の売買だ。鳥籠に入った鳥を受け取り、現金が交換されている。

  「ここで売買もされているようだの……」

  「あきら、右方向を見てみて」

  ヴォルフに言われて右を向けば、テント外でもレースが行われている。鳥の足に小さな木製の枷がつけられ、遠くに飛ばないようになっている。

  ──これじゃまるで、奴隷だの。

  「あ、あきらさん! 来てくれたんだね!」

  パタパタと黒いカラスが飛んでくる。迷い込んできたカラスだ。

  「散歩がてら、寄ったんじゃ。お前さん、仕事は順調かね?」

  「うん、順調だよ! 最近はスカウトもしてるんだ。人語も喋れるけど、鳥との対話もできるからね」

  カラスは得意気に話す。

  「ふむ、営業をしているのか。凄いの」

  適材適所なのだろう。だがその裏に、不穏な者達が動いているとあれば見過ごせない。このカラスも今は待遇がいいかもしれんが、不要となれば、切り捨てられる。

  「カラスよ、訊きたいことがあるんじゃが、ここの雇い主はどこにいるかね?」

  「今はここにはいないよ。今日は新しい競技の為の準備があるって言って、朝から港に行ったよ」

  「そうかね」

  「あきらさん、レースを見てくかい?」

  「いや、また今度、じっくり見るとしよう。それじゃカラス、またな」

  カラスの情報を得て、今度は港に向かう。

  ༓࿇༓

  港には沢山の船が滞留していた。その中で一際大きく豪奢な船、豪華客船がある。全長二百メートルは楽にありそうだ。

  「でっかい船じゃの……」

  「おや、あきらさん」

  話し掛けてきたのは、クローネ島に渡る際、貨物船を手配し、忍び込ませてくれた艦長だ。

  もっとも健也のツテがあったから潜り込めたのだが。ついでにシージャックの際にも、お礼を言ってきた艦長である。

  とまれ、この艦長には何度かお世話になっている。

  「いつぞやは助かりました。それにサイドカーまでも運んでくれて、ありがとう御座います」

  「いえいえ、それが私の仕事ですから。それより今日は、どうされたんですか?」

  「いやなに、散歩ついでに船を見に来たんじゃ。家でボーッとしてるだけじゃ、ボケるだけでの」

  「なるほど」

  「ところで艦長さん。あの一際大きい、豪華客船はなんですか?」

  「ああ、あの豪華客船ですか。先週からこの港に滞在してましてね。お偉いさん達が頻繁に出入りしてますよ」

  「そうですか」

  「あきらさんも、気になる感じですか?」

  「いや、まぁ……うん、そうじゃの。あんたなら、話してもいいかの」

  喋るカラスが飛んできたことと、賭けレースの話を艦長に打ち明ける。すると艦長は、「なるほど」ど頷き口を開く。

  「あの船にはお偉いさん方が頻繁に出入りしてますし、実のところ私もあきらさんと同じく、怪しく不穏だと思っていたのですよ……って、こんなことを言ってはいけませんが、長年の勘というやつですか。何分、生きていた年数が長いもんですからねぇ」

  艦長はにこやかに話す。

  「ははっ。大戦時代を経験してれば自ずとそうなりますな」

  「ですねぇ。なにかと疑ってしまいますね」

  「艦長さん、ワシは今からあの船を調べようと思っているのです。どうにもきな臭い感じがしましてね、艦長さんやこの港には極力迷惑を掛けないようにしますんで……」

  「あきらさん」

  不意に話を遮られる。艦長を見遣れば、至極真面目で、険しい顔つきだ。

  ──これは、ダメ出しかの……?

  戦禍を体験した者ならばイケると思ったが、流石にダメか……と、諦めた刹那──

  「面白そうですね! 早速、乗り込みましょう! ちょうどあの船に届け物があったんですよ。あきらさん、是非とも私と一緒に参りましょう」

  と、艦長自らが誘う。しかも乗り気だ。

  「えっ、いいんですか……?」

  「ええ、勿論。それに私が着ているこの服も、二着ありますからね」

  おまけに変装も完璧にして乗り込むつもりだ。

  「良かったな、あきら」

  ヴォルフが告げると、艦長はヴォルフに視線を移して口にする。

  「そうだ、この狼さんは、ペットとして連れていきましょう。そうすれば、より話しやすい状況になって、色々聞き出せるかもしれませんよ」

  機転が利きすぎる艦長に、頭が上がらない。

  それから一旦船から離れ、艦長が用意してくれた服に着替えてから豪華客船に向かう。

  ドレスコードは完全に艦長と同じ制服姿で完璧だ。

  「何で俺まで……」

  ヴォルフも飼われているペットに見えるように軽くブラッシングされ、首元にはリボンを付けられている。疑われないようにする為もあるが、注意を引くためもある。

  「さぁ、行きましょう」

  にこやかに話す艦長の手にはアタッシュケースが一つある。そしてワシの手には、何とも高そうな杖が一本。

  「艦長さん、あんたが持ってるそのアタッシュケース、やけに頑丈そうだの」

  「流石はあきらさん、シージャックされた際に乗客を助けただけありますね。このアタッシュケースは防弾仕様のアタッシュケースでして、ちなみにこの船の滞在許可証が入ってます。お渡しする予定になっているんでね。あきらさんが持っている杖には、隠しカメラが付いてますよ」

  「艦長さん、あんた一体……」

  「ははっ。この仕事を長年していると、不足の事態はつきものですからね」

  艦長は明るく笑い、「さっ、敵地に出陣です」と、軽い足取りで豪華客船に入っていく。

  ༓࿇༓

  船内はそこかしこにシルクの絨毯が引かれている。軽いボディチェックもあったが、艦長がいたので軽めで済んだ。艦長の信頼は抜群だ。

  「あっさり入れましたな」

  「ですね。いやはや、ワクワクしてきましたよ。若かりし頃に、敵の艦隊を撃墜させた以来ですかねぇ」

  等と、さらりと昔を語る。血の気が多い感じには見えないが、 普段、穏やかな人ほど──というのもある。

  ──こういうタイプは、怒らせてはいかんタイプだの。

  と、思っている内に、船内のパーティ会場に着く。

  扉を開けば、煌びやかな白い螺旋階段が左右に分かれて配置されており、その中心でオーケストラがいて演奏を奏でている。そこでレセプションのダンスが披露されたり、軽食とカクテルが振る舞われている。

  ──ここにあの賭けレースの主催者がいるんじゃろうが……。

  「あきらさん、あちらのソファに腰掛けている方が、この船の所有者ですよ」

  艦長に言われてみれば、ソファにどっしりと座る青年が見える。

  ──見た目は、普通じゃの。

  豪華な船を所有しているので、もっと年がいっているかと思えば、意外にも若く、背もすらりとした好青年だ。

  「デイトレやらもしてるそうで、最近流行りの実業家ですよ。名前はオルガ・レブルテさんです」

  艦長は少し皮肉混じりに告げる。にこやかだが、内心は毒舌のオンバレードなのかもしれない。そして艦長は躊躇いなく、オルガが座るテーブルへと近づいていく。

  「こんにちは」

  艦長が穏やかに挨拶をすると、オルガも艦長と視線を合わせる。青年の濃いブルーの瞳は、まるでこの大海原のように青く、飲み込まれそうな色合いをしている。

  「こんにちは、そしてようこそ。オルガです」

  青年は立ち上がると、艦長に近づきサッと握手を求める。握手をしたあと、艦長は早速、本題に入り、アタッシュケースを開ける。

  「オルガさん、こちらが滞在の書類になります。必要な物は全て揃っております」

  「ありがとう御座います。助かります」

  青年はにこやかに返す。

  ──ふむ。今のところ、変な感じはしないの……

  艦長とのやり取りを眺める中、

  「あら、かわいい。このこ、狼さん?」

  不意に女性から声が掛かる。オルガの隣に座っていた女性がワシの側にやってきた。白いチャイナドレスに身を包んだ東洋人で、髪はお団子頭にまとめている。

  「ええ、狼です。長年ペットとして連れ添ってましてね」

  そう説明すると女性は、「まぁ」と微笑み、「触ってもいいかしら?」と訊く。

  ヴォルフに軽く視線を向ければ、ヴォルフは女性の傍に近づくと、自ら撫でられに向かう姿勢を取り、頭を垂れる。

  「とってもおりこうさんね。言葉が通じるのかしら?」

  女性はそう言って、そっとヴォルフに手を伸ばす。

  「触り心地もとても良いこと。私もペットにしたいわ」

  と、にこやかに笑う。直に艦長とオルガの話は終わり、話題はヴォルフに移る。

  「へぇ、狼をペットにしてるんですか。いいですねぇ」

  オルガはにこやかに話す。警戒はしていないようだ。話すなら今だと、口を開く。

  「ワシは珍しい、稀少なペットを飼うのが好きでしてね。稀少な動物はおりますかな?」

  「なるほど……それでしたら、うってつけがありますよ!」

  オルガは早速、スマホ端末を取り出して電話を掛ける。

  「ベルゼ、ちょっとこっちに来てくれ。今、パーティ会場にいる」

  それから数分、紫のスーツを着た男が会場に現れる。

  黒髪短髪、年は五十を越えているだろう、中肉中背の浅黒い肌をした男だ。

  「何だ、どうした?」

  「ベルゼなら稀少の動物のツテがあるだろう? この方、ええと……」

  「あきらだ」

  「あきらさんが稀少の動物を探しているそうだ。何かないかい?」

  「ほぅ」

  それからベルゼはヴォルフの傍に屈み、検分していく。

  「見事な狼ですね。しかも珍しい大きさと毛並みだ」

  「ありがとう」

  一応礼を言えば、ベルゼは口にする。

  「うちは最高品質の動物をコレクトしてましてね。今から取引するんですが、一緒に見ませんか? ここで取引をするので、お時間があれば是非」

  と、早速誘われる。ベルゼは一切警戒してない。これもドレスコードと、艦長のお陰だ。

  「ありがとう。それじゃあ見させてください」

  ༓࿇༓

  パーティ会場を抜けて、船の奥の船室に案内される。そこでは何やら怪しいゲージと、艦長が持っているようなアタッシュケースが置いてある。

  「うちは稀少で新種な動物を取引してましてね──とはいえ、これは表には出せない物なんですが」

  ベルゼはそう告げると、ゲージに掛けられた布を取り払う。そこには見たこともない、不思議な生物が入れられていた。

  「珍しいですね。これは、何ですか?」

  「実験により作られた動物です。かつて大戦があった際、その大戦時を利用して密輸ルートを確保してきましてね。ついでに新薬で不思議な動物を作ってるんですよ」

  ──いきなりとんでもないの……

  「そうですか。それは楽しみですね」

  場の空気に合わせ、心にもない称賛をする。

  ──動物をオモチャにして、何が楽しいのか。

  すると今度は艦長が話に加わる。

  「ベルゼさん、この新薬はいつからあるんですか?」

  「さぁて、いつでしたかね……。大戦時代からと訊きますよ。一昔前は、鹿やサイや象のツノ、毛皮等が主流でしたが、今は奇抜な動物をコネクションにする層が増えてきましたね。その層の為に、力を入れてますよ」

  ベルゼはにこやかに話し、続きを紡ぐ。

  「もし気に入った動物があれば、すぐにお渡しできますよ」

  「そうですねぇ……。どれも珍しくて良い動物ですが、その新薬ができる過程に興味がありますな」

  「新薬の過程は企業秘密なんですが──いいでしょう。特別におみせましょう。明日のこの時間にまた港に来ていただければ、その場所にお連れします」

  「何だね、この島にあるのかね?」

  「ええ。この島で研究してますよ」

  「そうですか、それではまた明日、見学させてください」

  そこで話は終わり、ベルゼとは一旦分かれ、再びパーティ会場に戻る。

  「あきらさん、一息つきませんか?」

  艦長に誘われ、カクテルを一つもらう。喉を潤す為に流し込んで息をつけば、艦長が口を開く。

  「いやはや、とんでもない話が訊けましたね。まさか、長年住むこのヌル列島でとは……盲点です。全く気づきませんでしたよ」

  「同じくです」

  この地域で怪しい取引に、怪しい新薬。知らないままにしておけばいいが、どうにも気になってしまう。

  「艦長さん、随分と昔の話になるんですがね、ワシは大戦中に荷を運んでいたんですよ。その荷を運んでいる途中に梱包がほどけて、荷の中身を見たんですが、さっき見たのと全く一緒だったんです」

  「おや、そうでしたか……」

  ほどけた荷の中身は、とんでもない薬だった。今の時代のニーズに合わせた物になっているなら、尚更、放っておけない。ヒメカやヒロのような者達が排出されるなら、尚更だ。

  「さて艦長さん、早速、作戦を立てましょう」

  明日の作戦会議が始まる。

  ༓࿇༓

  翌日、ヴォルフと共に港に行けば、ベルゼが待っていた。

  「こっちです」

  ベルゼの船に乗り込んで出航し、一時間でヌル列島の離れ孤島に着く。そこは自然豊かな場所で、閑散としている。

  ──こんな場所があったとは、知らなんだ。

  砂浜をヴォルフと共に歩いて数十分、鉄骨剥き出しの施設が見えてくる。

  「どうぞお入りください」

  ベルゼに言われるがまま入ると、広々とした天井高の施設内部が見え、そこかしこに動物の臭いが充満している。

  そのまま案内されて歩いていけば、絶滅危惧種の動物達が檻の中に入れられている。

  「ここにいる動物達は、表向きの慈善事業です。最近どうにも、うるさくて……」

  ベルゼはにこやかに話し、次のフロアに行く。次のフロアでは何やら怪しい事業が展開されている。

  「これが、新薬の実験ですか?」

  「ええ。厳重に取り扱ってます。随分昔の話になるのですが、新薬の液体が、ある地域の川と海に流れてしまいましてね、そこの川と海を利用していた者達に重い障害が発生しまして。けれど今は、もう解決しましたから」

  ベルゼはそう言うと、アタッシュケースを持ってくる。

  「特別ですが、差し上げます」

  ベルゼはアタッシュケースをフロアに置いて開く。するとそこには、新薬が入っている。

  オレンジと、ピンク色の液体。オレンジ色の液体は二十代の頃に、ピンク色はヒロを助ける道中に見掛けた葉っぱから絞った際に──。

  「なるほどの……」

  「気に入りましたか?」

  「ええ、とても」

  これが、ヒメカやヒロやポルコ、そしてタコの狂四郎や、今は亡き、桐生悠にも関わっている物だったのか。

  ──無知は罪とは、こういうことだの……

  「こんな物を、大戦時に運んでいたワシは、罪で、とんでもないの……」

  いくら若造だったと言え、知らないでは済まされない。

  「へっ?」

  ワシの呟きに、ベルゼから疑問が返る。何の話か分かってなさそうだが、構わず告げる。

  「ベルゼさん、証拠はいただきましたよ。さぁ、ヴォルフ」

  ヴォルフに声を掛ければ、ヴォルフは咆哮をあげ、工場内を飛び回り荒らしていく。新薬を制御するコンソールを爪で破壊し、生産ラインを完全にストップさせ、沈黙させた。

  「──!? なっ……!? 一体、何を……?」

  「こんな物は世に出回っちゃならんでしょ。ベルゼさん、潮時です」

  そして施設外より、汽笛の音と共にけたたましいサイレンが鳴る。艦長がきたのだ。直に外から拡声器の声が聞こえる。

  『突入! 突入!』

  そして沢山の沿岸警備隊を引き連れてやってきたのだろう。物々しい雰囲気になり、あっという間に施設内は沿岸警備隊の者達で埋め尽くされていく。

  研究員も、ベルゼも、沿岸警備隊によって拘束された。

  「あ、あんた……まさか、最初から謀っていたのか!?」

  「ああ、そうだよ」

  ベルゼやその背後にいた者達も芋づる式で確保されていく。そしてオルガも呆気なく罪を認め、幕を閉じた。

  ༓࿇༓

  動物実験と薬の事件後、ヒメカに事件のあらましを話した。

  「ワシは昔、薬を知らんで運ばされていた」

  ついでに戦時中の話も打ち明ける。ヒメカは、「そうでしたか……」と頷き、黙りとする。

  ──そりゃ、ショックだの……。

  双子の息子に狼の血が流れていたり、耳が生えたり、ヒメカ自身も幼女になったりと……。その原因が、実験だけでなく、川や海に流れたとあれば、当然、怒りも芽生えるだろう。

  「ありがとう御座います、あきらさん。けど私は、この体と向き合って生きていきます。幼女になれるのも気にいってますしね。年を取っても、若くいられるのは好都合です」

  ヒメカはそう言って笑う。

  それから動物実験と薬が世間に公表される。ヌル列島だけではなく、他の列島やクローネ島にも情報は伝わる。薬による被害者がどれだけいるか分からないが、対策が報じられていく。

  ──ワシが生きている間に、何らかの形で補償されればいいがの。

  「あきら、生きるのって大変だな」

  ヴォルフが唐突に口にする。

  「何だの急に。まるで人のようなことを口にして」

  「そう感じたんだよ」

  ヴォルフはそう言って、空を見上げる。

  ༓࿇༓

  それからまた五年の月日が過ぎていく。外で庭の手入れをしていると、黒いカラスがやってきた。

  「あきらさん、手紙です」

  「ありがとよ」

  黒いカラスは小さな郵便物を届けにやってくる。カラスは相変わらず忘れっぽいが、ワシの家だけは覚えててくれる。

  「しかしワシに手紙とは……何かの」

  差出人は不明だ。受け取った手紙の封を切り開けてみる。中には一枚の紙と写真が入っている。写真に写っているのは、青年ヒロとポルコだ。

  「随分と、大きくなったの」

  ヒロとポルコはこの家を出て、健也の元で鍼治療を習い、院を構えるようになる。

  資格も無事に取れ、今では街一番の双子鍼師となった。手紙には元気にしている旨が綴られている。

  「ヴォルフ、ヒロとポルコから手紙がきたぞ」

  声を掛ければ、ヴォルフはとてとてとやってくる。かつてのように走る元気はなく、足腰はすっかりと衰えている。

  「ほら、ヒロからの手紙だ」

  ヴォルフの鼻先に当ててやれば、ヴォルフは鼻をひくひくとさせて匂いを嗅いでいる。

  「懐かしいか?」

  ヴォルフは尻尾を振って答える。

  あれからヴォルフは、一言も喋らなくなった。喋らなくなったが、反応はしてくれる。

  「久々に、ヒロ達に鍼を打ってもらいに行こうかの……」

  そう呟くと、ヴォルフはまたよたよたとサイドカーのある場所まで歩いていく。

  ヴォルフも一緒に行きたいようだ。

  「それじゃ、行くか」

  ヴォルフと共に、ヒロとポルコが構える院へと向かう。

  ༓࿇༓

  「あきら、ヴォルフ、来てくれたのか!」

  「じゃあヒロが鍼やった後に、俺が整体だな」

  ヒロのあとに、ポルコが口にする。ヒロもポルコも仲良く切り盛りしているようだ。商売繁盛で、すっかり街の看板息子となって人気だ。

  「お母様は元気?」

  と、ヒロが。

  「相変わらず元気じゃよ。長生きの白いうさ公と仲良くしてるよ」

  「そっか。それならいいや」

  と、ポルコが。

  鍼治療を終えた後、ポルコの整体が始まる。ヴォルフはといえば、ヒロにマッサージをしてもらっている。

  「ヴォルフも大分年を取ったよね」

  ヒロが染々と口にすると、ヴォルフは尻尾をパタリと一振する。

  「ははっ、ゴメンて」

  ヒロは笑って返す。

  「なんだ、ヴォルフの言葉が分かるのかね?」

  「まぁ、何となくだけとね。でもどうして、ヴォルフは喋らなくなっちゃったんだろ」

  ヒロの疑問に、ポルコが答える。

  「そりゃもう、ヴォルフもお年頃だからじゃないの?」

  するとまたヴォルフがパタリと尻尾を一振する。

  「ヴォルフの前で、年齢の話をするのは禁句だな……」

  それから整体が終わった頃に、ヴォルフのマッサージも終わる。暫く他愛のない話をしている内に、あっという間に夕方になる。

  「そろそろ日が暮れてきたの。それじゃあ、また」

  「えっ、晩御飯、ここで食べてかないの?」

  「食べていきたいが、今日はヒメカさんが待ってるからの。また今度にしよう」

  「そっか。それじゃあまたな、あきら」

  ヒロとポルコの二人に見送られ、ヒメカが待つ家の帰路につく。

  ༓࿇༓

  サイドカーで走る中、ヴォルフは隣で大人しく座っている。かつてのように話せないのが少し寂しいが、ヴォルフはヴォルフだ。

  ──しかしこうしていると、最初の頃が、懐かしいのう。

  悠々自適な一人生活。今思えば、とてもじゃないが考えられない話だ。それを思い出し、笑ってしまう。

  ワシは結局、一人では暮らせやしなかった……。

  もうじき家に着く道に差し掛かる。着く前に、ヴォルフに話さなければ。

  ──そうじゃ、今日こそ話そう。

  「ヴォルフよ、ありがとうな」

  ヴォルフは答えないが、続きを紡いでいく。

  「ワシがヒロ達のことを忘れないのも、物忘れがなくなったのも、足腰が良くなったのも、全部、お前さんの仕業じゃろ。こんな老いぼれに、お前さんの大事な物を寄越しおって全く……。お前さんが考えていることが、ワシには分からんよ」

  ヴォルフが声を失ってから、ワシは体も、頭も、判然としている。

  ──ヴォルフは、それで良かったのかの……?

  「ワシはお前さんに、貰ってばかりだ……」

  それから家に着くと、ヴォルフはよたよたと傍に近寄る。近寄ったヴォルフの頭を撫でてやると、大人しくしてる。まるで子供のようだ。

  「さぁ、家に入ろう」

  ヴォルフと共に家に帰れば、ヒメカが待っている。今日もうさぎのぴょんちゃんがという話で始まり、その話で終わっていく。

  「あきら、ちょっといいか」

  晩御飯を終えて暫くした後、タコの狂四郎から声が掛かる。なにかと思い行けば、「ヴォルフのことなんだが……」と言われる。

  「ヴォルフが、どうかしたのかね?」

  「大分弱っているから、もしかしたら……」

  その後の話を聞き、そうかと頷く。

  長年連れ添った相棒のヴォルフと過ごす時間を、今以上に増やすことにした。

  ༓࿇༓

  半年が過ぎた頃、ヴォルフは眠りにつく。夢を見ているように、安らかに眠っている。

  ──ヴォルフ、お前さんを一人にはしないからの、必ず会いに行く。だが今は、悔いのない、残りの人生も歩んでいくとするよ。

  眠ったヴォルフの背を撫でてワシは誓う。

  それから半年、ワシはヴォルフの元に辿り着く──

  ༓࿇༓

  「あきら、狩りに行こうぜ」

  「やれやれ、先日したばかりだろう」

  「今日は雉な」

  早速、狩る獲物を口にする。

  「元気だの……」

  何時ものサイドカーにヴォルフと共に乗り、走っていく。穏やかな森には、ヴォルフの好物の動物がそこかしこに見える。

  「雉はいそうもないが……」

  「あきら、向こうだ! 今いた! 走っていった!」

  ヴォルフはサイドカーから飛び降り、勢いよく駆けていく。

  それから数分、しょぼくれて帰ってきた。雉を見失ったという報告だ。そしてしょぼくれて帰ってきたヴォルフと共にやってきたのは雉ではなく、ベンガルトラの桐生悠だ。

  「急にヴォルフが飛び出してきて、吃驚したぜ」

  悠がヴォルフに言うと、「それはこっちの台詞だ」と透かさずヴォルフも返す。

  「今夜は肉なし鍋だな」

  そう言っている内に、声が響く。

  「あきらさーん! ヴォルフ! それから悠さんも、お昼ごはんにしましょう」

  妻の多栄子の声だ。

  「あきら、行こうぜ」

  「ああ、そうだな」

  「俺はついでなのか?」

  ヴォルフと悠と共に、妻の多栄子が待つ家に向かう。

  ༓࿇༓

  悠々自適な老後生活の計画は結局頓挫したが、ワシの人生は充実している。

  妻の多栄子に、悠に、それにヴォルフも傍にいて、飽きのない毎日があるからだ。

  だが、たまには一人の時間を作り、旅をしよう。

  ──旅をするなら、どこにしようか? 当て所もない旅をしてみるのもいいかもしれない。

  『旅をするなら、俺も連れてけ』

  そんな声がする。

  絶対嫌だ。これはワシだけの時間だ。誰にも邪魔はさせない。

  「まずは、どこに行こうかの?」

  そう口にして、行く場所は決まっている。ワシの会いたい者達がいる場所だ。沢山いる。あまりに沢山いて、選べない。

  ──困ったのう。

  困るほどに、大切な者達ができてしまった。

  ──やれやれ……ヴォルフにでも、決めてもらうかの。

  結局一人ではなく、一匹が増える。長年連れ添った相棒だ。

  「あきら、どこに行くんだ?」

  「そうだの、じゃあ……」

  そう言って、今日もサイドカーで走り出す──