帰らずの森にて妖精に

  「帰らずの森?」

  身の丈ほどの大剣を背負った大男――アランが、腕を組み疑問の表情を浮かべながらそう聞き返した。

  「ここ最近、森に行った者が帰って来ないのじゃ。最初の頃はマリー……ああ、この村に住む子供が一人帰って来ないと騒いだものじゃが、そのマリーを探しに出た親――ララとジャックも帰って来ない、その親を探しに行ったジョンも帰って来ない。流石におかしい、と感じた我々は森へ近づかぬよう村中に“森には近づくな”と広めたばかりじゃ。勿論、旅人の御主も近づかぬ方がよかろうと思い、こうして伝えたところじゃ」

  そう言ったのは、アランが立ち寄った村の長老。大剣を振るって魔物を倒しながら生活費を稼いでいる冒険者と称される存在であるアランは、本拠地としている街から遠く街へと向かう際、たまたま通りかかったのがこの村だった。陽が沈み周囲も暗かった事から長老のご厚意で一晩泊まらせてもらっていた。一宿一飯の借りを返したい、と感じていたアランへ知らされたのは、アランが向かおうとしている街への道中に、“帰らずの森”と呼ばれる危険な場所がある――という長老からの注意喚起だった。

  村にとって、“帰らずの森”は解決したい問題の一つであるのは間違いない。初めは子供一人森の近くで遊んでいる最中にその姿を消し、この一人を救出しなければとその両親が森へ足を踏み込んでから帰って来ない。ララとジャックの二人は狩人として森の近くで獣を狩るのが生業という事もあって、いよいよ何かがおかしい、と自他共に村一番の力自慢と自負していたジョンも森へと足を踏み入れたがやはり誰も帰って来ない。由々しき事態であるのは間違いなく、できる事なら目の前のアランに森を調べて欲しいと言いたいのが長老の本音ではあった。しかしながら、村一番の力自慢すらも音沙汰がないという異常事態を受けて長老は慎重になっていた。

  だが、アランは違った。

  「それなら、俺が行ってくるぜ長老さん」

  アランには自信があった。身の丈程の大剣に手をかけながら彼はそう言った。身の丈程の大剣という事で、その重量は普通の刀剣等とは比較にもならない程の重さであるにも関わらず、彼の動きは重たいものを背負っているようには見えない。鍛え上げられた腕は丸太のように太く、これほど頼りがいのある身体を持つ男性は珍しいだろう。村一番の力自慢だった者と比べてもその肉体はその遥か上を行き、間違いなく長老が見て来たなかでは最も頼れる男なのは間違いなかった。

  「いや、危険じゃ!」

  しかしながら、長老はそれでも慎重だった。力でどうにかなったのなら、村一番の力自慢は何かしらの成果を得て帰って来られたのではないか、と長老は考えていた。目の前にいるアランが信用できないという意味ではなく、長老の知る限りで一番の強者が帰って来なかったという事実を強く受け止めていた。

  「大丈夫だ。これでも金級の冒険者だぜ?」

  そう言ってアランは胸元につけていた金色の札を長老に見せる。冒険者と称される者達は、金銀銅の三種類の札を必ず持ち歩いている。この札に刻んである名前と番号が冒険者たちの身分を証明するものであり、札の色がその冒険者たちの信頼度の目安であった。銅は駆け出しの冒険者、銀はそれなりに経験を積んだ冒険者、金は長年信頼を積み上げてきた冒険者――といった具合。つまり、このアランという冒険者は、冒険者と称される者達のなかでもより経験を積んで来た信頼のできる者という事だった。その札を見て、「むぅ」と長老は唸る。村一番の力自慢も冒険者として働いていて銀札を持つ者だったという事を長老は思い出す。それを上回る金札、となれば確かに期待してもいいかもしれない、と長老は考える。

  「……わかった。お願いするのじゃ。報酬は――」

  長老との報奨金交渉を終えたアランは、村を出て街へと向かう道を歩いていると、その視界端に生い茂る森があるのを見て立ち止まる。迷わずの森を前にその異様な空気感を覚えた彼は、ごくりと喉を鳴らした。

  「ここが……」

  村の者達が設置したのであろう“現在許可なく侵入する事を禁ず”という看板が森の入口に置いてあり、この先は誰も帰って来なかった危険地帯なのだと本能的に理解した。しかしながら、長老との交渉の末に森の調査、可能なら行方不明となった子供やその両親、それを探しに出た力自慢の計四人を救出する事、という依頼を彼は受けていた。報奨金そのものは決して良かっただけではないが、一宿一飯の恩を返すというアラン本人の気質がその依頼を受けさせるに至っていた。

  いや、これまでのどの理由よりも“自分なら大丈夫”という自信が一番だっただろう。金札を持つ冒険者というだけあって、当然ながら責任感もあるが、それ以上に金札へ至るまでの自身の経験や努力といったものに対する自信が多いにあった。彼の身の回りには、銅札のままその命を散らした冒険者が数多く、金札を目指していた銀札の冒険者は殆どが志半ばで何かしらの定職を探し始める。銀札の冒険者という時点で、ある程度の信頼は勝ち得ており、力自慢なら商人お抱えの護衛や国の兵士といった選択肢はありふれたものだった。それにも関わらず、銀札で満足せずに金札にまで至った彼は、冒険者の中でも上澄みなのは間違いなかった。そういった事もあって、彼にはこの帰らずの森に関する不可解な事件についても何らかの手がかりを掴めると信じていた。

  アランは慢心と紙一重な自信を抱きつつも、周囲を警戒しながらゆっくりと一歩を踏み出す。木々が生い茂り、奥へと足を踏み入れれば陽の光がまともに当たらない暗闇が広がっている事を彼は認識する。とはいえ、木々の隙間から漏れる陽の光でなんとか視界は確保できており、そもそももっと暗い洞窟等も探索した事のあるアランにとっては十分な明るさであった。ゆっくりと奥へと歩んでゆく。左右を見渡す。人の気配は一切なく、木々の揺れる音や風の音ばかりが彼の耳には届く。足元を見ても、人や獣の足跡は見られない。せめて何らかの手がかりだけでも早めに得たいと思いながら奥へと歩を進めるその瞬間だった。

  「――あら、お客さん?」

  唐突に、鈴の音が鳴るかのような綺麗な声が彼の耳に届いた。頭上からの声であると気づいて見上げれば、そこには木の枝に腰掛けた美麗な小柄な――肘から手の先程くらいしか身の丈のない――少女の姿があった。長くて美しいブロンドの髪に透き通るような碧眼、華奢な体躯に長い耳と背中にある羽。それを見て、彼の頭の中では警鐘が鳴り響いていた。

  古くから書物ではその存在が伝えられている存在――極めて小さな体躯に長い耳、そして背中に羽を持つ人間のような種族、それが妖精と呼ばれる存在だった。妖精は決して人間に悪意を持って接する存在という訳ではないものの、子供のような見た目の通りというべきか、子供のような無邪気さから結果的に人間が害を被るのが常だった。

  アランの知る書物によれば全ての妖精が人間に害を与えるという訳ではなかったものの、数少ない報告例の多くが妖精による害を被った者達からのものだった。身体の小ささもあって物理的な力を持つ訳ではないが、不思議な力で人間に何かしらの悪戯をするというのが書物には記されていた。その悪戯の詳細については、書物によって異なる記載がされていたものの、警戒しなければならない相手と彼は認識していた。

  だからこそ、妖精を視界に入れたまま、相手がどのような行動に出ようとも反応できるよう心掛けながら、森の入口に向けて彼は後ずさりする。一歩、また一歩と後ろへと下がる。今すぐ後ろを向いて脱兎のようにこの場から立ち去りたいという感情を理性で押さえつけながら、ゆっくりと出口へと近づく。それを見た眼前にいる妖精は、くすくすと笑って口を開く。

  「あら、どこに行こうというのかしら。出口はもうないわよ?」

  その言葉は、不思議なくらいに彼の頭の中に響いた。妖精という存在を目にした瞬間から抱いていた筈の警戒心は、その声一つであっというまに溶かされて、「えっ……?」と声を漏らす。出口がもうないと告げられて素直にそれを信じる心と、それを疑う心とで彼の心中は引き裂かれていた。僅かに残っていた警戒心は、早く逃げろと叫んでいたものの、先程まで妖精から目を離さずにいるくらいの警戒心はとっくに失われ、出口に向かおうと後ろを向いてしまった。

  「アハハ、人間っておばかさんなのね」

  耳元でそのような声が聞こえた瞬間、首元にちくりと何か細いものが刺さったような感触を覚えて彼の意識は失われた。

  「ウフフ、起きたかしら?」

  彼が目を覚ました時、その眼前にいたのは先程アランが目撃した妖精だった。くすくすと笑みを浮かべながら、指で彼の顔をつつく。それを払いのけようと身体を動かそうとして、身体が一切動かない事に彼は気づく。それを見て彼女はよりその笑みを強める。

  「どういう状態なのか、見たい?」

  見なくとも自身の身体が動かない事くらいは理解している、と彼が反論するよりも前に妖精は何かを唱えると、彼の目の前の宙で水が溢れ出してそれが板の形をとっていた。どのような仕組みなのかを彼は理解できないが、鏡のような役割を持つらしいと彼は自身の身体が蔦によって固定されている様子を水の板越し映っているのを見て理解した。物理的に拘束されていて、抵抗できない状態の彼を見て妖精が笑みを浮かべていたという事実に、彼は苛立ちを覚える。

  「そんな事より、俺以外の人間が迷い込まなかったか?」

  自身の事は後回しにして、そのような問いを眼前の妖精にしながら周囲の様子を窺う。ちらりと左右を見てみれば、眼前で彼に絡んでいる妖精以外にも、多くの妖精がいる事に彼は気づいた。あちこちから妖精の笑い声が彼の耳に届く。鈴の音のような、風を切る音のような――それこそ、この森そのもののように彼には聴こえていた。

  「あぁ、来たわよ。それがどうかした?」

  「その人たちをどうした、俺みたいにしたのか?」

  「ふぅん、それが知りたいんだ?」

  相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべる妖精の姿に、彼は苛立ちを覚えながらも感情的にならないよう自身を律していた。こうして眼前の妖精に不意をつかれる形で敗れてしまったものの、もともとは経験豊富な冒険者だ。自身が危機的状況にあると理解しているのなら、その状況に応じてより最適な行動を選ぶのが彼の持ち味だった。彼としては、ここからは眼前の妖精の機嫌を損ねないようにしつつ、行方のわからない人々の情報を可能な限り集めるというのが最も重要な事だった。機嫌を損ねさえしなければ、どうにかこの場から脱出できるのではないか――と彼は考えていた。

  「なら、いいわ。――アリス! 彼女達を呼んで来て!」

  だからこそ、相変わらず笑みを浮かべたまま眼前の妖精が遠くにいるアリスと呼ばれた妖精を介して何者かを呼ぶという行為に彼は首を傾げるのみだった。もしかしたら、行方知れずだった者達を、この妖精たちは保護しているのではないか――という考えが思い浮かぶものの、だとしたらいきなり彼が襲われた理由については理解が及ばない。これはどういう状況なのだろう、と彼はただ考える。

  「はーい!」

  「わかりましたぁー!」

  「いまいきまーす!」

  「はいはーい!」

  相変わらずの鈴の音のような高い声が遠くから彼の耳に届く。どういう事だろうと彼はその声の方向を見て、その疑問はより深まる。

  「マリーです!」

  「ララでーす!」

  「ジャックですー!」

  「ジョンでーす!」

  四人の妖精が、ぺこりと彼の目の前で頭を下げる。先程まで彼に絡んでいた妖精と比べると、それよりも小柄で子供のように見える。長い耳や羽はやはり同様にあり、髪型や色は四人それぞれがやや異なるものの、どれも似ているように彼には見えた。

  「これは、どういう……?」

  「あら? まだ理解できないの?」

  相変わらずのにやけ顔。くすくす、と笑いながら彼女は言った。

  「彼女達こそが、あなたの探し人なのではなくて?」

  その言葉に、彼は言葉を失った。先程は流してしまったもののマリーにララ、ジャック、そしてジョン――それは、この帰らずの森について村の長老から話を聞いた際に、行方知れずになった者たちの名前だった。そんな事はあり得ない、と断言したい気持ちは、一瞬にして意識を失わされた先程の出来事を思い出すだけであっさりと消失した。眼前にいるこの妖精は自身の理外にある存在であり、どのような事が起こってもおかしくない――この四人の妖精は、もともとは人間だったのだという事を彼は速やかに確信した。

  それと同時に、これから自身にどのような事が起きるのかについて考えを巡らせて、息が乱れ始める。呼吸は荒く、脂汗が武話ッと噴き出る。焦っている彼の様子を見て、四人の妖精は不思議そうに観察して、アランの眼前にいる妖精は相変わらずくすくすと笑みを浮かべている。

  「ど、どうするつもりだ……?」

  聞いたところで、自身の思い浮かぶ未来を告げられるというのに、アランの口からはそのような言葉が漏れた。四人の妖精がもともとは村にいた人間という事は、自身も同様に妖精になってしまうのではないか――という考えが、彼の脳裏にこびり付いていた。確かに、死ぬよりはマシかもしれないが、四人の妖精の様子を見る限りではかつては人間だったという認識すらもなさそうというのが、彼に恐怖を抱かせていた。人間こそが至高、といった思想こそ持ち合わせていないものの、人間として、冒険者として多くの人々と関わりを持つ彼からすればそういった環境から隔絶されるのはあまりにも受け入れ難い。

  そんな彼の恐怖を見てか、アランの眼前にいる妖精は「あははっ! いいねぇ、やっぱりこういうのは」と笑う。暫くの間、笑い続けてから再び口を開いた。そしてその内容に、彼は困惑した。

  ――帰ってもいいよ。

  「どういう……事だ……?」

  彼はそう問いかけている最中に、妖精は何かを唱えると彼を拘束していた蔦が彼を離す。拘束が解けた事で、彼は自由の身になったという事だ。予想していなかった状況に、困惑を覚えながらも好機である事を認識した彼は、これ以上は妖精に関わるまいと駆け出す。

  ――帰れるのならね。

  そのような言葉がつけたされていた事に気が付かないまま。

  妖精から解放されて暫く。未だにアランの姿は帰らずの森の中にあった。

  あれからどれほど歩いたのか、それすら彼にはわからなかった。木々の隙間から漏れる陽の光こそ健在で、明るさは変わらないといってもやや暗いまま。そして、どれほど歩いても森の出口が見当たらない。冒険者として様々な経験や鍛錬を積んで来た彼にとって、ただ森から出るだけというのはそう難しくない筈だったというのに、身体は既に疲労感に包まれていた。足が棒のように感じられ、歩くだけというのにその動きはあまりにも緩慢だ。

  そして何よりも、周囲の景色の見え方も少しずつ変化している事に彼は違和感を持っていた。森に入った時と比べて、周囲の木々が大きいように彼には感じられた。木の大きさが違うだけ、と考えていたものの、長い間歩いていると少しずつ大きくなっていくというのは何かが起きているように彼には感じられた。――その途端、彼はバランスを崩して転倒する。背中にとてつもなく重いものを背負っているかのように、腹から倒れる。そこで、彼はより違和感を覚えていた。

  確かに、彼の背負っている大剣は重い。常人であれば両手で持つのも一苦労なのは間違いない。だが、仮にもアランは金札にもなった冒険者であり、いくら疲労状態であっても自らの得物を背負った状態でその重さに耐えられないなんて事は今まで一度もなかった。「いたた……」と声を漏らしながら、立ち上がろうとして、その声が高い事に彼は気が付いた。

  「えっ……?」

  再び漏れた声もやはり高い。試しに「あー、あー」と声を出してみても高い。驚いて咄嗟に喉へ手を当ててみれば喉仏が消失しており、何より自らの腕が華奢なものになっている事に気が付いて目を丸くした。そこで、彼は確信した。木々が大きくなっているのではなく、彼自身が小さくなっているのだと。背負っていた大剣を下に下ろして刀身を鏡の代わりにしてみると、そこには若い――というよりも幼い彼の姿が映っていた。

  冒険者として鍛え上げられた筋肉はもうそこにはなかった。少なくとも、今の彼を見て金札の冒険者だと認識できるものはどこにもいないだろう。かろうじて、首元につけている金色の札が彼を金札の冒険者だと証明する数少ない証拠だった。冒険者と称される者は全員この札を身に着けており、この札が各々の冒険者としての活動についての情報を収集しているという代物である。幼い身になろうとも、この金札を持って所定の場所に行けば、彼が金札冒険者のアランであるという証明ができる。

  無論、証明ができたところで、この身体が元通りになるかはわからない。だが、少なくともこのままだと森から脱する事すらできなくなるのではないか、という恐怖が彼にはあった。このままでは、自身の証明どころではなくなる、と。

  先程まで背負っていた大剣は既に身の丈を越えていて、小さく華奢な身体では大剣を持って歩くのは難しいと判断した彼は、大剣をの場に放置して更に歩を進める。早く森からでなければ、と焦燥感に駆られながら彼は前へと足を踏み出す。だが、身体に対して元々着ていた服が大きい事から、歩き難さを覚えた彼は、衣服もその場に脱ぎ捨てる事を決意した。隠さなければならない箇所も露わになるが、それを気にしている状況ではない、と彼は覚悟を決めていた。

  身軽になり、地を駆ける身体はあまりにも軽かった。これまでと比べて格段に動きやすくなった、と感じるアランだったが、身体が小さくなった事で歩幅が縮まっている事に気が付く。どれだけ前へ足を踏み出しても、出口が遠くなるように彼には感じられた。一歩進む度に身体が縮んでゆき、出口が遠くなっているように彼には見えていた。必死に一歩、また一歩と踏み出している彼は気が付かない。髪が伸びている事や、耳が横に伸びている事。そして、下半身にある男性の象徴が縮んでゆき、最後には消失している事にも。

  それでも必死に走り続けたアランは、漸く森の出口へと辿り着き、そこで転倒した。その拍子に、これまで首にかけていたアランを金札の冒険者だと証明する札がその場に落ちた。「あいたた……」とアランは立ち上がりながら、ぶつけた膝をさする。

  「よし、これで森から出て――」

  森の出口はすぐそこという所でそのような言葉を発してから、アランは立ち止まって首を傾げる。

  ――なんで、森から出ようとしていたんだっけ?

  ――なんで、飛ばずに走っていたんだっけ?

  森を出ようとしていた理由を、忘却していた。必死に走っていた理由が、今のアランにはわからなかった。そして、自然と“飛ぶ”という選択肢が浮かんでいるという事実にすら、アランは違和感を覚える事ができない。

  ――妖精のわたしなら森から出る必要なんてない。

  ――妖精のわたしには立派な羽があるはずなのに。

  いつのまにか、アランの背には妖精の羽が生えていた。そう、アランの変じたその姿は妖精そのものだった。アランという男性冒険者の面影はどこにもなく、それを証明する筈の金札も出口に落としていて、アランはそれに気が付かない。それが自身の落とし物だと気が付かないまま、アランは落ちている金札を覗き込む。そこには幼い少女のような妖精の姿が映り込んでいた。

  「……あれ、なんで涙が出るんだろう?」

  それは、人間だった彼の最後の足掻きだったのだろうか。妖精の目からは涙が出ていた。しかしながら、既に妖精となっていたアランにはその涙の理由はわからなかった。首を傾げながら、何気なく腕でその涙を拭ってしまえば、泣いた形跡すらも残らない。まるで初めからあったかのように羽を器用に動かして宙へ浮くと、アランは森の奥へ――仲間達の下へと飛んで行ったのだった。

  一般金札冒険者、アランの冒険はこうして終わった。