悪事千里を走る

  「はーい、大熊が鬼なー!」

  「はう、つ、つかまっちゃった……」

  「大熊はつかまえやすいからな。もっと速く走らないと」

  ぼくは、走るのが、というかスポーツが苦手だ。こういう、鬼ごっこでもいつも最初につかまってしまう。じゃんけんでせっかく勝っても、最初にねらわれるのはいつもぼくなんだ。クマ獣人で、体も大きいし、すばしっこさっていうのがないんだよなぁ。

  「ま、まってよ~!」

  はぁ、はぁ……。いっしょうけんめい走っても、さーっと走りぬけていく犬山くんとか猫柳くんには追い付けない。二人とも、どうせぼくがびりになってしまうのをわかっててさそってるんだ。足の速い馬場くんとかと鬼ごっこすればいいのに……。

  けっきょく、今日の昼休みでも、ぼくが負けとおしだった。つまんないなぁ。

  はあ。誰もいいし、何でもするから、足を速くしてくれないかなぁ……。

  そう思いながら、とぼとぼと通学路を歩いていた。

  「ふうん。なんだかしょうもないお願い事だねぇ」

  「へっ⁉」

  後ろからとつぜん声がして、ふりかえってみると、なんだかあぶなっかしい、ふしぎな子がいた。頭にはヤギみたいなツノが生えていて、背中にはコウモリみたいな真っ黒の羽が生えている。先っぽのとんがったしっぽが背中からのぞいていて、全身はなんだろう……、ネコ、キツネ? そんな見た目だった。

  「ボクはね、きみみたいな男の子たちのお願い事を叶えて回ってるんだ。ま、きみたちの言葉でいうと、『悪魔』ってやつかな?」

  目の前の悪魔は、けらけらとわらっていた。信じられない! って頭では思っていても、こころの奥そこでは、この悪魔が言っていることは本当なんだってわかった。それだけのフンイキがあるもん。

  「じゃ、じゃあぼくのお願いもかなえてくれるの!」

  「もー。そんなにがっつかないでよ。ふふ……。もちろん、叶えてあげられるよぅ……♡」

  悪魔くんは、きばを見せてにやぁとほほえんだ。ぼくの背中につめたい汗がながれた。だ、だいじょうぶだよ。べつに変なことはされないって。

  「あ、悪魔さん……、走るのが速くなるようにしてください……!」

  「はいはーい、お安い御用さ。さ、手を出して」

  おそるおそる、右手を差し出す。すると悪魔くんは、ぼくの手に、ちょっとおしばいみたいな感じで、ちゅっとちゅーをした。

  「見える? なんか魔法陣みたいなやつ。これがケーヤクの証ね。ほら、帰り道、走ってごらんよ。もうきみは誰にも負けないよ?」

  それを聞いて、もうたまらなくなった。はやく試してみたい。ちょっと足に力をこめて、かるーく地面をけっただけだった。それだけだったのに、次のしゅんかん、ぼくは発射されたロケットみたいに、びゅーんと風をきって走りだしたのだ。

  「わ、わぁ……!」

  すごい! すごいよこれっ! びゅんびゅん景色が変わっていって、あっという間に家についてしまった。ぼくは、だいじにだいじに、悪魔くんとのケーヤクのあかし? である手のもようを、やさしくやさしくなでた。

  もうこれで、犬山くんとか猫柳くんにばかにされないぞ! そう思うと、学校まで行くのもちっともいやじゃない。それに、はやくぼくが変わったんだってことをみんなに言いたい、見せたい! こんなことをずっと考えてたから、午前中の授業もそわそわしてぜんぜん集中できなかった。

  ふふふ。給食を食べてお昼休みになって、さあ、来た!

  「な~大熊ぁ、今日も鬼ごっこやるか?」

  「うん! はやく校庭、いこ?」

  「ええ、なんか今日すごいやる気じゃん。どーしたの? まさか足が速くなる靴ママにたのんで買ってもらったとか?」

  「こら、猫柳! それじゃあ大熊がどんなにがんばってものろいまんまってことじゃん~」

  ふふ、笑っていられるのも今のうちだけだぞ。このいじめっ子め。

  わーきゃーって、いろんな子たちであふれている校庭。今日はなんだか明るく見える。じゃんけんの結果、ぼくが鬼になった。

  「えー、大熊が鬼かよ~。つまんねー。なあ、猫柳」

  「まあまあ、オレたちがテカゲンしてやろうぜ」

  「ほら、はやく逃げなよ?」

  しっしってやると、二人ともよゆうそうなぼくがそんなにめずらしいのか、目をまあるくしていた。いいきみだ。

  さてと。ひなたの方に走っていった犬山くんと猫柳くんは、みんなにまぎれて遠くの方にあっという間に行ってしまった。今までのぼくなら、ぜったいに追いつけなかっただろう。けど。

  ぎゅっと手をにぎり、浮かび上がっているケーヤクのあかしを見た。息をすって、走る。

  ぎゅん、とぼくが走り出すと、まわりに風がうまれた。びゅうっとふくから、通りすぎたあと、いろんな子たちがこっちを見ていた。ちらっとふりかえって、びっくりしているのがたまらなくうれしい。

  「え、ええっ!」

  ふふ、犬山くん、おどろいてるな。

  「ほらほら、ちゃんと走らないとつかまっちゃうよ?」

  「そんなの、言われなくても!」

  おそい、ぜーんぜんおそいな。あはは、これでもかるーく走ってるだけなんだけどなあ。

  「よいしょ。はい、犬山くんが鬼ね」

  「……え、お、オレが、大熊なんかに、つかまった?」

  「くやしいならつかまえてごらんよ、いっつもやってるじゃん」

  「い、言ったっな!」

  ぼくはわざとゆっくり走ってやった。犬山くんは、なんだ、さっきのはたまたまかっていう感じで、よゆうそうな表情がもどってきていた。手をぐいんとのばして……。

  「ふふふ、つかまえてみてよ」

  「あっ! お、おい、待てよ!」

  ぎゅーんと、ぼくは加速した。待てよって言って待つばかがどこにいるのかなぁ!

  「あっ、くそ! もうちょっとだったのに……、はぁ、はぁ」

  いつもへらへらしている犬山くんが、うそみたいにぜえぜえ肩を上下にして息をすったりはいたりしていた。

  「ちょ、犬山! なんで大熊なんかに負けてんのさ。ほ、ほら、オレが代わりに走ってやるから、な」

  「わ、わりーな。たのむ……」

  「猫柳くんも見てたでしょ? きみたちじゃあ追いつけないって」

  けらけら笑いながら、ぼくはわざと二人に近づく。猫柳くんはさすがネコ獣人だ。シュンパツリョクはものすごい。足をおりたたんで、びゅうっとばねでこっちに向かってきた。でもそんなの、すいってよけちゃえばいいだけだ。

  「ちっ、はずれた! なんであんなにシュンビンなんだよっ」

  そこから一直線に走れば、ほら、もう猫柳くんに勝ち目はない。

  けっきょく、ぼくは一度も鬼にならなかった。犬山くんも、猫柳くんも、ふしぎそうにぼくのことや足とかをちらちら見ていたけれど、何も言わなかった。

  はぁー! すっごくいい気持ちいいっ。あの二人の顔、おもしろかったなぁ。

  教室にもどるまえに、ちょっとトイレに行く。ぷうん、とくさいおしっこの匂いがしてきた。

  「やぁ! その調子じゃあ、けっこう大暴れしたみたいだね」

  「へっ、き、きみは……、きのうの」

  どうして、きのうの悪魔くんがここにいるんだ……?

  「願いが叶って、ひととおり楽しんで……、じゃあ、次にすることがあるよね?」

  「な、なんだよ、ま、またのろまになれって言うの」

  悪魔くんはほほえんだ。でもその表情は、今まで見てきたどんなものよりもおそろしかった。にげなきゃ! ぼくの心が叫んでる。

  「違うよ……、ちゃあんと、『対価』を支払うんだよ……」

  そうだ! 今ぼくはとっても足が速い。悪魔くんだって追いつけないだろう。なんとか、が、がんばれ、動け! ぼくの足。

  「おっと、逃げようっての? それはできない相談だねえ」

  「なにこれっ、あ、か、からだが、動かない……!」

  「はぁ……。じゃ、落ち着てお話、聞いてくれるよね?」

  やさしい口調、やさしい言葉なのに、なんでこんな、ナイフみたいに痛いんだろう。こわくて、ひとりで、明るいトイレのなかのはずなのに、まっくらで、全部があやしく細い光を出していた。悪魔くんの言葉に、ぼくはただただうなずくしかない。

  「対価は簡単だよ。きみにはこのトイレの、小便器になってもらう。ほら、ちょうどこの子だよ。簡単さぁ、この子がきみたちみたいになりたいってお願いされてねぇ。対価もたっぷり貰ったんだ」

  冷たい汗がだらだらと背中をつたう。ボンドでくっついたみたいに、体をうまく動かせない。

  「それじゃあ、『さようなら』」

  ぱちん。指をはじく音が、ぼくがぼくの体で聞いた、最後の音だった。

  「ふふ……、大熊くーん。新しい体の使い心地はどうかな」

  「へへ……最高だよ、悪魔くん。あったかくてふわふわもちもちしてて、それに! 手足があって動けるって気持ちいいね!」

  ぼくは、ただ目の前にいるぼくの体と、悪魔さんのやり取りを見ているだけだった。ぼくになった小便器は、ぴょんぴょん楽しそうにはねている。

  「うふふ。こっちの小便器くんはどうかなぁ。ぼくも優しいからね。ちゃんと顔は残しておいたよ」

  今のぼくは、へんてこのへんてこみたいな、見るからにおかしい姿をしていた。体はまるまる小便器になってしまい、手足もない。なのに陶器でできた頭だけが便器の上についていて、水道の管が頭のうしろからのどを通っているのがわかる。聞きたくないし、くさいおしっこのにおいだってかぎたくないのに、顔があるせいかぜんぶわかってしまう。悲しいのに、涙もながれない。はじめは、変化のせいで頭がこんがらがっていたけれど、こうやって落ち着いてくると、どうしようって、心の底に穴が開いて、冷たい水が流れ出していく気分になってしまう。

  「う、うう……、ま、ママぁ、た、助けて……」

  「あは! やっと泣いちゃった。みんなそうなんだよ。はじめは怖すぎて泣けないんだよね。でもいいのかなぁ? そんなに泣いちゃうと……」

  「え……? あ、うわっ!」

  次のしゅんかん、ぼくののどの奥からぷしゅーと水が勢いよく流れだして、じゅわじゅわと排水溝の穴の上にたまった。

  「あははは! ほんもののおしっこトイレじゃん! あ、ぼくおしっこしちゃくなったなあ」

  「や、やめてっ!」

  「やめないもんねー! さんざんぼくを使ってきたバツだよ」

  ぶるん、とぼくの体になった便器くんがちんちんを取り出す。むわあとパンツから出てきたソレは、いつも見ているはずなのに、なんだかとてもえっちに思えた。おしっこ、いっぱいたまってそうだな……。えっ⁉ な、なんだ今の……。

  「ん、あ、ああ……、これがおしっこを『出す』っていうカンカクなんだね……。ん~けっこう気持ちいいな」

  「あああっ! あ、や、やめ、んなあ!」

  じょろろろろ、とあったかい液が便器になったぼくの体にあびせられる。くっさいにおいがむわむわと立ち上がって、排水溝に流れて……、ひゃ、ひゃん!

  「あ、あうっ!」

  「ちょっと悪魔くん、この便器すっごいうるさいんだけど」

  「えへっ♡ ちょっといたずらを仕掛けてみたんだ……。この排水管、実は尿道になってまーす! つまりねえ、おしっこが出されて、お水が流れると、この便器くんはちんちんの中からビンカンなところをいーっぱい弄られちゃうんだ。もちろん、射精もするよ……、まあ、流れた水がぜーんぶ、せーしになっちゃんだけどね!」

  「へえ! それじゃあ、ぼくももっといっぱいおしっこだそっと」

  「この鼻のボタンを押すと、水が流れるようにしたから、こっそり教えておくね」

  あっ! な、なんだこれっ、ひん♡ はうっ♡ ぴりぴりして、排水管から、じわじわして、体の奥がかゆくて、ぴりぴりで、気持ちよくてっ! でも、からだ、動かせないから逃げられないっ♡ な、なんか、奥まで水、つめたいの、おしっこも来て、な、なんか出るっ!

  びゅる、びゅくく、びゅーっ♡ びゅーっ♡ びゅーっ♡ びゅーっ♡ びゅるるるるるるるるる!

  「あ、ああああああああ!」

  目の前が白黒になって、脳みそまでびりびりってしてぇ♡ も、もうぼくはなにも考えられない。ただただ気持ちいいいいいよくて、んあ、あう、いっぱい何かが排水管の奥から出て、びちゃって飛びちって、でも、あ、ああ……。

  「ちょ、う、うわあ……。ぼくもめっちゃかかったんだけど……。てか悪魔さんは、って、逃げたか。まあいいや。ねえ、『元』大熊くん。便器にされちゃっていろいろ大変かもだけど、大丈夫だよ。便器になったらおしっこが欲しくてほしくてたまらなくなるし、それに、君はトクベツな『射精できるトイレ』だもんねえ……?」

  「は、はう、はうう……♡」

  「うへえ、きっしょ。便器になれてしあわせとか、ほーんと、脳みそくさっちゃってるね! じゃあね、せいぜい気持ちよくなってなよ……」

  は、はひぃ……。おしっこ、お水、ぼく、もっとびゅーびゅー、シタイ。

  「なあなあ、知ってる? 一階の東トイレのうわさ!」

  「えー、あれだろ、へんなくさーい液が出てくるってやつ」

  「ちぇ、つまんねーの。知ってんのかよ」

  「でもさあ、あのトイレって使用禁止になったじゃん。なんか古くなったから新しくするんだって」

  「へえ。じゃあ、あそこにあった便器たち、なんかかわいそうだな……」

  「えぇ? どうしたんだよ、大熊。そんなこと思ってたのか?」

  「まぁね。ちょっと『知り合い』が、いたから……、なんてね!」